トンガの火山大爆発は、ほんとにすさまじい。被害の様子もまだよくわからないというのが、不気味だ。現地の人々の無事を祈るとして、ここにきて何やら話題になっているのがいわゆる平成の米騒動、1993年の冷害による不作に端を発した米不足だ。なぜなら、こ…
「子どもの貧困とライフチャンス」の各章の紹介、というよりも読書感想文をここまで書きつづってきた。監訳者のあとがきをのぞけば、これですべてである。あとがきについては、ふれる必要はないだろう。あとがきだ。このシリーズは、これでおわりにしよう。…
「子どもの貧困とライフチャンス」の第10章〜12章は、ここまでのまとめということになっている。10章は各章で述べられてきた事実、すなわち所得、家族の構造、幼児教育、学校教育、健康、健康、メンタル、住居、就労の問題を有機的にまとめ上げている。11章…
かせぐにおいつく貧乏なし、とはよくいったものだが、最近ではどうも貧乏の足がはやくなったのか、ときどきおいつかれてしまう。経済の基礎代謝があがっているからだ。過去30年ばかりも賃金はあがっていないのに、固定的に出ていく金額はジリジリとあがって…
長く生きてきたおかげで、いろんな場所に住んできた。豪邸からアパートまで、ひととおりの暮らしはわかる。いちばんせまかったのは公称6畳、天井を見上げたらベニヤ板が3枚半という便所共用の中野のアパートだった。いちばん惨めったらしかったのは、田んぼ…
「子どもの貧困とライフチャンス」の第7章は、第6章にひきつづいて健康の問題だ。そのなかでもとくに、メンタルヘルスにかんする問題をあつかっている。貧困下に暮らす子どもたちはメンタルをやられる。それがライフチャンスに影響しないわけはないだろう。…
「子どもの貧困とライフチャンス」の第6章は、「ライフチャンスには健康が必須条件だ。健康のためにはそれをささえる経済資源が必須だ。つまり、貧困対策をしなければならない」という理屈で論が展開される。これは2010年に出された報告書、通称マーモット・…
私は学校がきらいだ。自分自身の経験として、すきではない。学校の唯一の魅力は友だちとあえることであって、それ以上ではない。授業のすべてがつまらなかったかといえばさすがにそこまでではなく、たまにおもしろい授業をしてくれる教師もいた。けれど、そ…
「子どもの貧困とライフチャンス」という本の第4章は、保育・幼児教育と子どものライフチャンスについて書かれてある。私は近所の保育園に縁あって年に何度かお邪魔するぐらいの関係は小さな子どもたちとつないでいる。なので、この章にはとくに関心があった…
「子どもの貧困とライフチャンス」の第3章は、「家族」に対する考えかた、価値観の相違について改めて考えさせてくれる。というのも、日本ではたとえば夫婦別姓問題をつうじて、「家族の絆」を主張する保守政治家の存在が浮き彫りになり、その一方で同性カッ…
「子どもの貧困とライフチャンス」の第2章は、お金の問題だ。それは冒頭にはっきりと書いてある。「子どものライフチャンスを改善することをねらった戦略を立てるのであれば……、適切な世帯所得をあらゆる家族に保障できるような計画を含めることが必要になる…
最初、この「子どもの貧困とライフチャンス」の原本を受けとったとき、「なんじゃいな、これは」とおもった。というのも、門外漢の私にとってlifechanceといえば生存機会であり、すなわちそれは生きるか死ぬかの問題であるようにおもえたからだ。「そんな御…
久しぶりに、翻訳者としてのクレジットがはいった本が出る。英語の出版で謝辞を入れてもらったのはここ10年で2度ほどあるけれど、それは翻訳者としてではなくそのコーディネイトをしたという意味でしかない。翻訳者として名前を出してもらえるのは15年ぶりぐ…
「問題解決」は、家庭教師のような仕事をしていると避けて通れない概念だ。なぜなら、家庭教師の仕事は公教育の補完であると期待されているのだし、その公教育の基準を決めた学習指導要領には、「問題解決」の言葉が頻出する。そういう感覚でこの記事を読ん…
はじめに 現実がどうかとかいうことはさておいて、理念として有機農業に一定の価値があることはいまさらどうこういう必要のないことだと思っていた。小学校の教科書にさえ有機農業や無農薬、省農薬の概念が記載されるようになって久しい。世の中の全員が認め…
天皇陛下がオリンピック開会の辞を訂正されたということが報道され、ここ、はてなでもブコメが集まっている。「さすが」とか、あるいは先の「原稿糊付け事件」とあわせて「首相とくらべてどうよ」みたいなコメントがあって、それはそうだろうとは思う。 dot.…
ものすごくレベルの低い話をするのだけれど、世の中、議論することの意味を取り違えている人があまりに多いように思う。議論は、議論への参加者を説き伏せるために行うのではない。議論は、よりよい解決策を発見するために行うものだ。これは議論の大原則だ…
Tracy Chapmanというシンガー・ソングライターがいて、Talkin' 'bout a Revolutionとか、やたらと格好のいい曲を歌っているのだけれど、なんと言っても出世作のFast Carがすばらしい。アコースティックのギターリフ(けっこうむずかしい)にのせて最小限のバ…
何の気なしに書いたブコメに星がいっぱいついて慌てることがある。いや、私の意見に何かを感じてくれた人が多いのは単純に嬉しい。一生懸命考えて書いたブコメだと、特に嬉しい。慌てるのは、何の気なしに書いたものが思わず伸びるときだ。詰めて書いてない…
私はもう10年ぐらい前になるけれど、非正規雇用の専門職(という言い方がものすごく奇妙なのだけれど)として太陽光発電関係の公的な仕事にごくわずかだけかかわっていたので、いまでも太陽光発電に絡んだニュースには注目している。そして、ブックマークし…
「宿題論」という名前のファイルがデスクトップに置いてある。プロパティを確認すると書き始めたのはちょうど2年ほどまえになる。プロットも考え、初めの方を原稿用紙換算で10枚ほど書いたところで、止まっている。書き始め時点ではそういう構想でもなかった…
絵本作家のエリック・カールさんがしばらく前に亡くなったそうで、「そういえばお世話になったよなあ」と追悼の思いを抱いた。お世話になったといっても、私自身が読者としてお世話になったというニュアンスではない。いま大学生の息子が小さい頃、よく読み…
booth.pm 真音のアルバムが届いた。正直なところ、あまり期待していなかった。というのは、彼らがアップロードしていた予告ティーザーの音があまり良くないと感じていたからだ。いまにして思えば、貧弱なスマホのスピーカで聞いたのがよくなかったのだろう。…
子どものころから宿題ができない。いまだに宿題となると、とたんに進まなくなる。実は、数年前から書こうとして書けていない文がある。自分にとっての宿題なのだけれど、これがなかなか仕上がらない。忘れたわけではない。デスクトップの目につくところにず…
家庭教師やってると、失敗ばかりでときにはイヤになる。生徒とのセッションは基本的には楽しい時間だ。けれど、それが結果としてどうなのかというと、たとえば「やっぱりここ、まちがえるかよ」とか、「なんでテストの点数が伸びないんだよ」とか、客観的に…
「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」と論じたのは紀貫之だが、そんなこといわれたって、誰もが歌人であるわけはない。私だって三十一文字のうたはつくらない。平安の雅な世は知らず、現代では、歌人のほうが希少種だ。だがもちろん、貫之の意…
英語教育の理想と現実 家庭教師として中学生に英語を教えるのは、けっこう悩ましい。というのも、理想と現実の間の距離があまりにも離れすぎているからだ。 究極の理想としては、言葉はその言葉が使われている場所で生まれ育った人々が覚えるように覚えてい…
ブログを書いている以上、少しでも多くの人に読んでもらいたいのは当然のことだ。読んでほしくなければ非公開設定だってある。そして、はてなブログの場合、ブックマークがつくと露出が高まる。より多くの人に読んでもらえる。だからブックマークがつくのは…
「成長」というとらえどころのないもの 教育が目指すものは、なにはさておき、人間の成長である。人間の成長を支える介入を教育とよぶ、と定義しても差し支えないほどだ。原理的に、これに異を唱える人は多くないだろう。多数の人が教育を人間の権利とし、そ…
家庭教師をやっていて、生徒を叱ったことがない。これはなにも私の性格がどうとかいうことじゃなく、原理的に家庭教師は生徒を叱る立場にないからだ。もっとも、生徒の方で勝手に「叱られた」と受け取る場合があるので、これはなんとかしなければいけないと…