第二次世界大戦中の英語教育について(メモ)

教育学業界のことは私にとっては謎だ。家庭教師という仕事をしている以上、それに関する学問に興味はあるのだけれど、入門書を眺めてみてもどうにも解せない。だから、アカデミックな教育の話になると私にはいろいろととんでもない誤解があるかもしれない。ということを前提に、教育史の話。たまたま、こういうTweeを見たので、戦時中の英語教育について興味をもった。

け64 on Twitter: "当時首相だった東条英機大将に国民の方から「高等教育の現場における英語教育を取りやめるべき」と要求を受けて、東条大将は「国会で英語教育は戦争において必要である」として拒否している
だから上から禁止された事実はなく、国民が自発的に禁止していった同調圧力があったことは確認されている"

ありそうな話だと思った。実質的な禁止が同調圧力でもって行われ、制度としては行われないというのは、実にありそうなことだ。実効的に禁止できるから、制度でもって禁止する必要がないとも言える。英語教育が戦時中に極端に制限されていたのは有名な話だし、戦争が激化するとまともに授業ができない学校も多かったのだから、なおのこと英語が教えられる機会は減ったようだ。このあたりは昭和6年生まれの私の父親が戦後に高校に進学しようとして英語が全くわからなかったという話とよく符合する。実際、「星野博士の学問と松山商科大学の歴史(その3) 松山大学論集第30巻5-2」には、開戦後、英語の時間数が3ヵ年22時間から16時間に削減されたことが記されている。「敵性語」を排除するキャンペーンが広く行われたことも確認されているし、教育の現場から英語が減らされていったのは事実としてあるようだ。その一方で、「大戦下の東京高師文三(英語科)」によると、トップレベルの学校では英語教育は維持されたようであり、このあたりも大衆キャンペーンがあくまで大衆に対する教育を禁止していくのに対して研究レベル、戦略レベルではそうではなかったということがわかる。

ここで、実際に東條英樹の国会答弁はどうだったのかということになる。これは国会の議事録でも探せば出てくるのだろうが、どうやら元ネタがこちららしいので、そこを参照する。

archive.org

Traveller From Tokyo : John Morris : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

そうすると、この部分、

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となっていて、当時の英語教育に関する見方がよくわかる内容になっている。つまり、当時、日本は占領地に対する同化政策として(必ずしも同化の必要だけではなかったとも言えるが)、日本語教育の実施を必要としていた。実際、先の、「大戦下の東京高師文三(英語科)」にも、「英語教師は南方に行け」という論が新聞に掲載されていたことが記されている。ちなみに、たとえばマレーシアに派遣する人材を養成するにあたっては当初の英語から途中マレー語の習得に比重が移ったが、さらに後には英語が復活しているというようなことが「「総力戦」下の人材養成と日本語敎育」に記されている。イギリス植民地の「解放」にあたって、英語が必要とされたわけである。占領地における日本語教育に関しては、「占領地日本語教育はなぜ「正当化」されたのか」にも詳しい。そして、上記の東條英機の答弁では、オーストラリアの占領政策にまで述べられている。このあたり、一貫しているといえば一貫している。

 

よく言われるのは、「アメリカは対日戦争にあたって日本のことをよく研究していたが、日本はそうではなかった」という言説だ。上記を見てみると、これは半ばあたっていて、半ば外れていると言えるだろう。あたっている部分は、戦争遂行にあたっての諜報として相手の言語を研究していたかどうかということでいえば、アメリカはそうだったのだろうが、日本はどうやらそうではない。その一方で、占領政策としての研究ということでいえば、どちらも同じようにやっていたと言えるだろう。ただし、アメリカの占領対象は日本であったのに対し、日本はアメリカ本土の占領などは考えておらず、あくまで西欧列強のアジア植民地の再占領という観点だったわけだ。

このあたり、もっと掘ってみたら面白いのかもしれないが、とりあえず、息子を起こしてこなければ。まったくあいつ、いつまで寝てる気だ…