蕎麦の思い出 - たいした話ではないけれど

蕎麦、といっても麺類としての「ソバ」ではなく、穀物としての蕎麦を初めて意識して食ったのは、たぶん20代の終わり頃、信州の土産で「蕎麦米」を買ったときだと思う。信州土産といえばそれ以前に蕎麦茶は何度かもらったり買ったりしていたので、そこまで遡るともうちょっと古い話になる。蕎麦茶は香りがいいので好きだったが、どういうわけか2種類、全く別々のものがあるのを不思議に思っていた。いずれも玄米茶と同じように蕎麦を炒ってあるのだけれど、いまにして思えば丸い粒のまま炒ったものと、粗挽きにしていったものだったのだろう。その後、粒のままの蕎麦茶には巡り合わない。

なぜ「蕎麦米」を手にとったのかといえば、その頃、私は意識的に米を食わない生活をしていた。まあ、外食したときには食べるので完全に忌避していたわけではないのだけれど、自炊では基本、米は食べない。その代わりに雑穀を主食にする1年を過ごした。雑穀には粟、黍、稗の3種があるが、いろいろと漁っているとその他にもシコクビエとかキヌアとか、いろいろあることがわかってきた。おもしろいと思っていろいろ手を出すうちに、蕎麦米を見つけたわけだ。ひょっとしたらそういう生活をしている私をおもしろがって、当時よく家に酒を飲みに来ていた友人が買ってきてくれたのだったかもしれない。自分で買ったのか、もらったのか、記憶が曖昧だ。ともかくもその友人と、蕎麦米をネタに飲んだ記憶がどこかに残っている。

蕎麦は、本来粉に挽く。粉に挽いたほうが合理的だからだ。というのも、蕎麦殻(枕のクッションに使われる)は脱穀しにくく、力を込めると脱穀する前に穀粒が割れる。割れるのなら脱穀せずに粉に挽いて蕎麦殻は篩い分けたほうがうまくいくという原理だ。その点は小麦とよく似ている(小麦は殻ではなく種皮なのだけれど)。

信州名物の蕎麦米は、わざわざ蕎麦粒を蒸してから干し直して、デンプンを固め、その上で脱穀するのだそうだ。手間がかかっている。米の貴重な山間部で、それでも米のように蕎麦を食べたいという執念が結実したのではないか、みたいなことがどっかに書いてあったように思う。ツルンとした感じで食感は悪くないが、あまりありがたみもなかったように記憶している。

そのうち私は雑穀から小麦に主食を移していった(あちこちとよその家の飯を食うことが増えて結局米断ちも解禁した)。小麦は粉だから、いろんな粉に興味が移っていった。たとえば「はったい粉」は、大麦の粉で、かつては日本全国で食べられていたものだ。日本に限らない。ブータンではいまでも普通に食べられていると聞く。これは大麦を炒ってから挽いてあるのだけれど、それは小麦と大麦の粒の性質のちがいによる。そんなこともだんだんと身をもって学んでいった。そして蕎麦に再会した。当時はまだ限られたスーパーにしかなかったが、それでもごく当たり前のスーパーマーケットの棚に蕎麦粉を発見したわけだ。

蕎麦粉は、加熱時間がごく短時間で糊化する。とことんでいえば、熱湯をかけてかき混ぜるだけで食べることができる。蕎麦掻きだ。だから、薄焼きのクレープなんかがうまくいく。ただし、蕎麦の粉は水との馴染みが良くない。小麦粉とは明らかにちがう。なるほど、蕎麦打ちが趣味になるわけだ。

 

そのうちに私は地方都市に引っ越して、数年のうちによくわけのわからない耕作者になった。自家菜園にしてはやたらと広い場所を、自分のものでもないのに耕すようになった。そして、友人に蕎麦のタネをもらった。「どうすんの?」と聞いたら、「さあ。私ももらったからわからない」という。一応、春蕎麦と秋蕎麦があるとか、蕎麦は75日とか、そういう古い農書に書いてあるようなことぐらいは耳学問としてあったから、この辺の時期かなと思うところで畑に播いてみた。いまとちがってまだネットの情報もない頃だから。

蕎麦はきれいに発芽した。そして、どんどん伸びた。盛夏を過ぎた頃だったけど、まだまだ夏草は伸びる時期だ。けれど、雑草に打ち克つスピードでどんどん成長した。そして、思いもかけずしっかりと収穫できた。僅かなタネを15メートル×2条ぐらい播いただけだったけれど、1kgぐらい穫れたのではなかったかと思う。別に何というアテがあってつくったわけではない収穫、どうしようかと思っていたら、友人の友人が蕎麦打ちを趣味にしているというので、来てもらって蕎麦打ち大会となった。

ところがどっこい、これを粉に挽くのが実に厄介だ。代わる代わるに石臼をゴロゴロと回すのだけれど、いっこうに粉にならない。結局、その粉で打ったのは1回分だけで、あとは持参の粉をごちそうになったのだったと思う。穀物の粒を粉に挽くのは、相当にたいへんだ。よくこんなことをやろうと思ったなと呆れてしまう。それでも食うという執念が、人間をここまで変えてきたのだろう。おそろしい。

 

蕎麦はその後も、数年の間は毎年のように播いた。というよりも、半ば雑草として生えていた。蕎麦の実は、熟するとどんどん脱落する。稲のように刈り取って干していても、あんなにきれいに穂に残るようなものじゃない。だから、収穫できる実の量と畑に落ちる実の量と、どっちが多いかというぐらいになる(もちろんプロはそんなアホなことはしないだろうけれど)。結果、畑に大量のこぼれ種が残るから、翌年以降も雑草のように発芽する。

蕎麦の若い葉っぱは、刻んで薬味にできる。あの頃は、よく雑草化した蕎麦やらしそやらの葉っぱを集めてきては、刻んで食っていた。そこらの草を食ってれば、あとは貰い物でけっこうどうにかなる。そんな生活は、それなりに安定していたなと思う。古い思い出だ。