シチズンシップについてのわかりにくい話

シチズンシップについてのわかりやすい話」みたいな解説がどこかにあったら、ぜひ読みたいと思っていた。というのも(あんまりはっきり書くと不都合もあるのでやや事実を枉げて書くのだけれど)大学を受験する高3生から「世界市民としてあなたはどう生きるか」というお題について質問を受けたからだ。「入試の小論文なんですけど、世界市民って、どういうことなんでしょうか」というわけだ。尋ねられたって困る。私も知らない。

知らないでは務まらないのが家庭教師だ。知らなくても、言葉の背景ぐらいは説明できる。そこで私はおもむろにホワイトボード(「白紙」と書きたいけどオンライン授業なんで)を広げ、説明をはじめた。

一家庭教師のシチズンシップ理解

「市民」の概念は、「都市国家」に遡る。「都市国家」はメソポタミアや中国にも発生したけれど、現代に続く「市民」の概念についてはギリシアまで遡れば十分だ。世界史の教科書だか資料集だかに詳しく書いてあるけれど、たとえばアテネでは、都市国家の構成員として「市民」(ここでホワイトボードに「citizen」と英語を書く)という概念があった。ただ、この「市民」の資格はなかなか厳格で、まず成人男性であること、次にアテネ生まれであること、自由人であること、アテネに農地を所有していること、ざっとこういった要件がなければ「市民」とはみなされなかった。言葉をかえれば、こういった要件が満たされていれば、自動的にその人は「市民」であるわけだ。「シチズンシップ」(さっきのcitizenに「+ship」と書いてアンダーライン)というのは、いわば「市民である資格」であり、「市民である権利」でもある。そして都市国家には、実質として国家の構成員であるけれど、構成員としての資格、つまりシチズンシップをもたない人々が数多くいた。女性、子ども、他国からの移住者、長期居留者、土地をもたない無産者、奴隷など、現実には多数を占めたであろう人々には、シチズンシップは認められなかった。

シチズンシップには、都市国家の構成員としての権利と義務が付随する。権利は主に参政権だ。アゴラと呼ばれる広場で開かれる民会に出席して自分の意見を表明できる。また、裁判において自分を弁護するための弁論を述べることもできる。一方の義務は、兵役だ。国家を防衛し、場合によっては他国を侵略する軍の一員となって戦う義務だ。だが、この義務は、その戦いに参加して栄誉や略奪品、奴隷を入手する権利でもある。同様に、くじ引きで当選したら公職につくことになるのも、義務であると同時に権利でもあった。そういう視点からいえば、政治に参加する権利にも義務的な側面はあった。ただし、民会に出席しないペナルティはなかったらしい。

シチズンシップはやがて無産者にも拡大していったが、その経緯は教科書に書いてあるんで読んでおいてくれ。この都市国家的なシチズンシップが拡張するのがローマ帝国の時代だ。ローマももともとは都市国家だったので、ギリシア的なシチズンシップの概念をそのまま受け継いだ。だが、ローマは拡大していく。征服地を属州として支配する征服国家の性格を強めていく。このときにシチズンシップは支配の道具として用いられた。すなわち、被征服地の有力者にローマ市民権を与える。ただ、権利といっても、ローマの政治に参加するためにわざわざ属州からローマ市に出向いてくるわけはないので、これは一種の名誉として与えられる。「あなたはローマに屈服したのではなく、ローマの一員として迎えられたのだよ」という懐柔でもある。ローマ市民としてローマの繁栄を分かち合えるという幻想でもある。そして拡張するローマはローマ軍団の構成員を必要とする。軍団で出世すれば、退役とともに広大な農園が恩給として与えられる。だからこれは実利にもつながる。こうしてローマは拡大し、さらに帝政期になるとローマ市民権はローマ世界を構成する自由人(の男性)すべてに与えられる概念となった。もはやそれは特権ではなく、「自分はローマとともにある」という概念になった。あるいは、「自由人」すなわち奴隷ではないという身分を表す概念となった。

しかし、このシチズンシップの概念は、ヨーロッパが中世になると意味を失っていく。封建制のもとでは多くの人々は農奴であり、支配層は騎士であって、どちらも市民の概念から遠いところにある。市民的な概念が復活してきたのは中世が終わろうとする時代の自治都市においてであり、やがてそのなかで力を蓄えていったブルジョワジーを核とする市民革命の時代になって、国民国家(ホワイトボードに「nation states」と記す)の意識と結びついていく。ここにおいて「シチズンシップ」に「国籍」的な概念が加わるようになった。「シチズンシップ」を獲得することは、すなわちその国家の一員として認められ、その国家が保証する権利を享受するとともに国家に対する義務を引き受けることであると考えられるようになった。

この「市民」概念でひとつ重要なことは、「市民」はすべて平等であるというギリシア以来の伝統だ。言葉をかえれば「シチズンシップ」は一国内では一種類しかなく、「一級市民」や「二級市民」といった区別はありえないということだ。これが後にアメリカ合衆国公民権運動(civil rights movement)につながっていく。合衆国憲法では制定当初、奴隷に対して選挙権を認めてはいたものの、その1票は白人の5分の3でしかないとされていた。つまり、憲法の規定上、奴隷を二級市民としていたわけだ。たしかに自由人男性成人しか市民として扱われなかった古代ギリシアよりはマシなのかもしれないが、「不完全なシチズンシップ」は実質的に2種類のシチズンシップの存在を意味する。そこは合衆国憲法修正14条で否定されるのだが、現実に差別がなくならない。そういった状況に対する抗議運動が公民権運動だ。だから、「公民権」は、シチズンシップにともなう諸権利のことであり、その根本には平等という前提があるのだということは覚えておかなければならない。

一個人としての疑問

と、知識がないならないなりに高校世界史の教科書からの受け売りを最大限に引っ張り伸ばしてアドリブで上記のような講義を行ったわけだけれど、さて、これで生徒の質問に答えられたかというと、とてもそうはいえないことがわかるだろう。なによりも質問のお題は「世界市民」なのだ。「国籍」的な意味でのシチズンシップではあり得ない。仮に「国籍」的なシチズンシップがギリシア都市国家的な観念だとしたら、「世界」を関するシチズンシップは当時の人々には世界と同義とさえ感じられた巨大なローマ帝国におけるシチズンシップになぞらえられるのだろうか。

シチズンシップ」が平等であり、市民に認められた諸権利であるというのも、ある意味では謎だ。だって、「平等」とか「自由」とか「参政権」とか、そういうのをひっくるめた概念は「人権」もしくは「基本的人権」じゃないのか? シチズンシップと人権はどうちがうのか? たしかに、人権はユニバーサルなものだ。人間であれば誰であっても基本的な権利を有するはずだというのが人権の考え方だ。だれがその人権を保障するのかといえば、それは国家だ。だから、人権は理念的なものであり、シチズンシップは具体的に国家がそれを保障するものだというように書いてある資料もあった。そうはいうけど、たとえば日本国憲法前文には「…福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」とある。あるいは、世界人権宣言前文には「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、(中略)すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する」とある。こういうのを見ると、シチズンシップとか言わなくったって人間の権利は法制度以前の理念としてユニバーサルに認められているはずなんじゃないか。そのときに、なぜあえて「市民」なのか?

だいたいが、この「市民」という言葉、都市国家の伝統のない日本では、まず字面から誤解を受ける。平成の大合併のおかげでずいぶんと「市」が増えて「郡部」は減ったが、いまから30年ほども前だったか、「市民運動」を力説するインテリの言葉に、「でも私は町民なんで」みたいに困惑の言葉を返す人が実際にいるのを見たことがある。誤解とも性格がちがうが、「市民」を「農民」との対比で捉える人もいた。いや、私自身、ときにそういうスタンスをとることもある。たとえ都市国家的な源流に立ち返っても、もともと「市民」は、ある種の特権を表すステータスであった。「自由人で男性で生粋の土地所有者」が特権的でないわけはない。そういった「市民」の所有する土地で実際に汗水流して働いたのは多数を占めるシチズンシップのない奴隷であったり半自由人であったりしたわけだ。そういった構図は近代日本にもあてはめることが可能で、都市住民が勝手なことをやってるときにそれを支えていたのは物言わぬ農民たちであったと敷衍することもできる。だからこそ、市民としての意識よりも農民としての意識を出発点とすべきだと主張した人々の意味する「市民」が完全に誤解であったとも言い切れないわけだ。

だが、「市民」はローマ帝国においては「都市住民」の枠を超えて、ローマ帝国の支配に服するすべての人々(ただし女性と奴隷は除く)に拡張された。もはや特権を伴わない、あるいは特権とされたものがすべての人の権利とされる状態になったシチズンシップは、そういった分断を超えるのではないか。近代日本においても、市民(〇〇市の住民)だとか町民だとか村民だとかは何ら権利に影響しないし、都市に住もうが田舎に暮らそうが、同じ陛下の臣民(後には同じ日本国民)となった。そうなると、「市民」に「ある国家の枠内に居住する人々」以上の意味はなくなる。だが、そんなふうに特権を伴ったステータスでなくなったシチズンシップは、基本的人権とどこがちがうのか。

これに対して、「人権」は権利だけをいうが、「シチズンシップ」は国家が保障する権利と国家に対する義務の双方を含むのだという論がある。つまり、人権は生まれながらに人間が持つものだとして、じゃあ誰がそれを保障するのかという問題がある。その役割を果たすのが国家であり、ただし、タダでやってくれるわけじゃない、代わりに義務も発生するよというのがシチズンシップだというわけだ。

実際、高校生に対する講義の後で文献を調べたら、「シチズンシップ」の検索でぞろぞろ出てくるのは「シチズンシップ教育」だった。これは「道徳」との関連で語られることも多く、「社会の一員としての自覚を持ちましょう」みたいな観点からとりあげられたりもする。「市民としての義務」がその眼目であって、「社会を良くするためにボランティア活動に励みましょう」みたいな誘導があったりもする。つまり、「人権」ですむところをわざわざ「シチズンシップ」と言い換えるのは、「人権」では義務の側面が見えなくなるのに対して「シチズンシップ」なら「権利と義務」の相互関係としてそれを語ることができるということなのだろう。

だが、それは現代の社会を理解するうえで正しい捉え方なのだろうか。「権利と義務」に関しては、明治憲法の「天皇が臣民に権利を与えるからその代償として臣民は義務を負う」という相互的な思想から、「国民には本源的に権利があり、国家はそれを擁護する義務を負う」という「権利を保障する国家の義務」的な思想への転換があったはずだ。学習指導要領に準拠した教科書もそういう書き方になっている。では人々には権利だけが存在するのかというと、ロックのような人権概念の源流から説明する教科書的な書き方では、「そうだ」ということになる。ただし、人権はすべての人々に等しく与えられているので、個々の人権を尊重するということは、他者の人権を擁護する義務が発生するということでもあり、それを個人で行うのではなく共同執行装置として獲得したのが政府であり国家であるという建て付けだ。だから、義務は国家の側にあって、人々の側にはない。それがどうやら教科書的な「権利と義務」の思想だ。

シチズンシップ教育」は、そういう枠組みに居心地のわるさを覚える人々が主導しているのではないだろうか。「国にすべてを任せて知らんふりは社会の構成員としての義務という点でどうなのよ」と考えたときに、どうしてもロック以後の人権論では追求ができなくなる。けれど、国家はロックがつくったのでもなければ、ロック以後の概念によってはじめて国家が成立したのではない。それ以前のはるか昔から国家は存在し、現に存在するわけで、そのときに国家と個人の間にある関係は「国家が権利を保障し、その代償として個人は国家に対する義務を負う」であることは間違いがない。ロック以後の思想は、その枠組みを単純に利用・流用しているだけだ。有名な「御恩と奉公」だって、互恵的な契約ではないか。権力をそのように理解したときに、「シチズンシップ」は便利な概念となる。

だが、それは正しいのだろうか。いや、正しいと思わないのなら近寄らなければいいだけだ。けれど、生徒は「地球市民」なんていうお題を抱えてくる。それだけではない。実は先に翻訳した本(「貧困とはなにか」)にも「シチズンシップ」は出てくる。そのときにも、このcitizenshipという単語の訳語には苦心した。「市民権」ではどうにも文脈に合わないし、「人権」は別の訳語に予約されている。まして「国籍」なんかではない。どうしようもなくて監訳者に投げ出したら、カタカナ語で「シチズンシップ」になった。それはそれでまあいいのだろうが、だったらそれでスッキリするかといえば自分の中では釈然としない。監訳者によればこの「シチズンシップ」は重要な概念で、著者であるリスター教授には別に「シチズンシップ」を表題に組み込んだ著書もある。そのぐらいに鍵になる概念なのに、翻訳者側の理解が追いつかない。私が翻訳した「貧困とはなにか」でもリスター教授は貧困を一国だけの問題とは見ていなかった。注目すべきなのは実際に貧困を生きている人々の経験であり、政策はその声に耳を傾けて決定されるべきだと主張している。ということは、これは「権利は生得的に人々にあり、国家はそれを擁護する義務を負う」という人権的な思想であり、「国家に対する義務を果たせば国家は権利を与える」という互恵的な思想ではないはずだ。そういう人が「シチズンシップ」なのかよ、というのが正直なところだった。

だいたいが、「世界市民」みたいに枠を拡大したときに、そこに「市民」という概念は非常に据わりがわるいことに気がつく。「市民」がシチズンシップの保持者であるとして、それを「世界」が与えるのだろうか。市民は「世界」に対して義務を負うのだろうか。そりゃ、人間は社会的存在として社会全体に義務を負うだろう。国家に対してはたとえば納税の義務みたいな形でそれが存在する(ちなみに、日本国憲法の3大義務のうち、「勤労の義務」は「勤労の権利」の裏返しであって「人間は社会の構成員として存在すべきだ」という思想の表明であると受け取るほうがよく理解できるし、「教育を受けさせる義務」は国家が保障すると憲法内に規定されている教育権の実行を実務的に保護者に委託しているものと見たほうがいい)。だが、納税は世界に対して行うのではなくて、それぞれが所属する国家に対して行う。そう思えば、「世界市民」という概念は、どうも実態とそぐわない。

共同体とシチズンシップ

辺境の国の日本では、ユーラシアの歴史の中では珍しく、都市国家がほとんど発達しなかった。それに類するものとしては弥生時代に見られた環壕集落ぐらいだろう。だから、「市民」的な感覚は理解しにくいのではなかろうかと思っていたが、しかし、これを公共と個人との関係と捉え直すと、日本人にとって最も近いものは室町期以後、日本のかなりをカバーすることになったムラ(惣村)ではないかと思いついた。というのも、古代ギリシア市民の「代々の土地所有者の奴隷的身分ではない男性」という属性は、そのまま惣村の「本百姓」に相当すると気づいたからだ。私がかつて2年ほど居留したムラは、戦国時代から文献に登場するというから、ある意味、典型的な惣村だった。そのムラを構成する数十戸の戸主は常会に参加する権利と義務をもっており、村役である溝掃除や道普請に参加する義務を負っていた。当番は輪番で平等にまわってきたし、私が厄介になるすこし前の時代までは葬儀があると土葬のため、地区を半分に割って当番地区は墓掘りとそのサポートのための炊き出しにまる一日を潰す慣例があった。神社の当番は「あんたは別にここの氏子というわけじゃないから」と居留者である私は免除されたが、祭りの際に神輿を担ぐ権利は与えてくれた。地域対抗の運動会で盛り上がるのは、権利だか義務だかよくわからないが、まだ体力があったその頃の私は、優勝争いをする人々の足を引っ張らない程度には貢献できたのではないかと思う。いまだに私の心は、あの「故郷」に帰っていく。

このようにムラには「社会の構成員としての義務」が明確にあり、それはある意味、「シチズンシップ」的なものとして理解できる。というよりも、あのムラの決めごとが「シチズンシップ」であると規定するのであれば、雲をつかむような概念であるシチズンシップが「ああ、そりゃ常識だよね」と腑に落ちる。ムラの決めごとはなにはさておいても守るべきものだ。そこに住むという権利と引き換えに、やらねばならない義務だ。それが「シチズンシップ」だと言われれば、「なるほど、住んでる以上はやらないといけないことがあるっていう感覚だな」とわかる。ちなみに、日本語では「住む」と「生きる」は別々の言葉になっているが、英語的には同じliveという動詞だ。生きることが権利であるなら、それは同時に義務もともなう。なるほど。

ただ、この「ムラに生きることにともなう義務」は、けっして「国家に対する国民の義務」的な感覚ではない。もっと当事者性の切迫したものだ。自分の住居に至る道が草に埋もれていたり破損したりしていては、自分自身が不便だ。用水路に泥がたまっていたら、田畑に十分な水が確保できないだけでなく、時には溢れてプチ洪水を起こす。常会ではいろいろなことが話し合われたが、たとえば土地の境界線のような争いが道路の整備との関係で問題になるようなこともあった。公共と個人の権利は常に調整されねばならないが、それは「公共」がその地区の住民の共通利益として、具体的に該当する人々の顔をもっていることから、「お互い様」「自分ごと」という意識になる。「結局は自分のためじゃないか」というのは、わざわざ言われなくても腹に落ちる。「帰属意識」みたいなものは、涵養される必要もない。庭を眺めてそこが自分の住む場所だと思ったら、その先には隣の家の庭があり、農村ならではの風景がある。そのすべてを含めて自分の住む場所であるわけで、それが同時に隣の人やさらにその隣、この地区のみんなの場所でもあるというのは小学生でもわかるぐらいに自明のことだ。だからムラ仕事の義務といっても、それは朝起きたら歯を磨くこととかたまには自分の部屋の掃除をすることとかそういった「ちゃんとした生活」をすべきだという感覚の延長線上にある。そういう生活上の「こうしなさいよ」というのは、あたかも親が子どもにしつける正しさのようなものであり、それだけに「うっとうしいな」という感覚にもつながるだろう。だが、だとしても、どこまでも個人の生活と密着した「まあ、生きてるんだからやらなきゃしゃあないよね」という感覚が惣村における「権利と義務」の感覚であり、それが「シチズンシップ」だというのなら、「ああ、なるほど」ともなるわけだ。

けれども、そういったシチズンシップの理解は、「世界市民」的な言説と折り合わない。「世界」までいかなくとも、もっと狭い範囲でも、公共は既に「自分ごと」の感覚を失わせるのに十分なほどに拡散している。国家までいけば、それはもう怪物の顔をしたリヴァイアサンだ。その一部が自分であると言われても、「そんなん知らんわ」という気分になる。そうなると義務は「自分のことは自分でするのがあたりまえじゃない」という感覚でおさまらなくなる。もっと相互的な「公共が自分の役に立つのであれば、自分も公共の役に立つべきだ」という理屈に落とし込まねばならなくなる。そういう理屈を「シチズンシップ」の言葉で表そうというのであれば、もうそれはムラ社会の論理で理解したものとは完全に性格が異なっていると言わざるを得ないだろう。

京都再訪

そうこうするうちに、監訳者から「リスター先生が来日するんだが、京都で開かれるワークショップに顔を出さないか」という招きがあった。ワークショップのお題は「シチズンシップ」だという。私は堅い学術書の翻訳はしたが、あくまで言葉の専門家として仕事を請け負ったわけで、内容に関しては完全な門外漢だ。学者ではない。まして、シチズンシップなんて、上記のように「わけわかんないよなあ」という以上の感覚がないわけで、「そういうワークショップに出てどうするよ」と思わなくもなかった。ただ、翻訳をしていて著者に実際に会える機会なんてそうそうないのだから、時間をつくってでも行ってみようかという気にもなった。

ちょっと脱線するが、京都は若い頃、2年ほど部屋を借りていたことがある場所だ。住んでいたというのもちょっと恥ずかしいぐらい居着かなかったのだけれど、それでも「ああ、このあたりはよく来たよね」みたいな懐かしさはある。四条から今出川まで、そんな思い出に浸りながら歩いた。外国人観光客ばかりいるあたりを抜けると、やっぱり京都は学生の街なんだなと認識を改める。前の方を歩いていく学生っぽい人を追い抜きながら、「こういう頭の良さそうな学生が今日のワークショップみたいなのにやってくるんだろうなあ」とか思っていたら、実際に後でその人がプレゼンターとして発表していた。ちょっと笑った。

で、ワークショップの方だけれど、その話をする前に、あらかじめことわりを入れておきたい。上記のように、私は学者ではない。貧困についての専門書を訳したとはいえ、それは「英語圏の一般読者が読んで受け取る情報と同程度の情報を読み取る力は自分にはあるし、それを日本語で表現する能力もある」という語学力をもとにしたものであって、特別に深い読み取りをしたわけでもない。まして、シチズンシップに関して深い知識があるわけでもない。学者なら、ワークショップの報告であっても参考文献に当たり、また発言はきちんと記録を参照して根拠ある文を書くべきなのだけれど、私はそういう仕事はしていない。だから、以下のリスター教授の言葉にしても、「私がそう受け取った」というだけのことで、教授の考えを正確に反映しているかどうかは保証できないし、また、その語られた文脈も正しいかどうかは保証しない。リスター教授はこういう注釈を入れておかないと失礼に当たるぐらいの学者だし、実際、ここで重要なのは「私の納得」なので、教授の名前を出さずにおこうかなとさえ思った。ただ、「貧困とはなにか」の翻訳からの流れだから「ある学者」みたいな書き方もおかしいので、名前を出しているにすぎない。このブログは単純に「それって私の感想ですよ」であって、何の根拠になるものでもないと、くどいぐらいに言っておこう。

ともかくも、ワークショップは大学院生や大学教員がリスター教授の研究に触発されて研究を進めたフェミニズムシチズンシップに関するプレゼンテーションに対してリスター教授がコメントする形で進んだ。恐ろしいことに、近ごろの学生は私なんかよりもはるかに英語がうまい。学生の発表を聞きながら、「ああ、この単語の発音は正しくはこうなんだ」とか「アクセントの位置、間違えて覚えてたよ」みたいに自分の英語と引き比べてたぐらいなもんだ。これが極度に恥ずべきことでもないのは、むしろ年齢層の高い教員のほうが英語が上手ではなかったからだ。年齢が上がるほど英語のプレゼンテーションが下手なのは、そういう教育を受けないままに大人になったからだ。私が翻訳の仕事をはじめた頃の英語力なんていまの高校生ぐらいなもんで、ほんとにレベルの底上げはたいしたもんだ。いや、また脱線した。

そのプレゼンテーションや質疑を聞いていても、私の中の「で、シチズンシップってなによ?」というモヤモヤはなかなか晴れなかった。いや、発表のひとつひとつはよくできていて、まあプロなんだなあと思った。おもしろい事例報告もあった。ただ、私の疑問にドンピシャくるものがなかったというだけだ。女性の権利の話なんか、別にシチズンシップを持ち出さなくてもふつうに人権で十分じゃないとかね。

それが少し腑に落ちたのが、最後のまとめの一言、みたいなところでリスター教授が言った言葉だった。私は帰りの電車の時間を気にしていたのでしっかり聞き取れていた自信もないのだけれど、その言葉はこんな感じだった。

「当事者の経験に学ぶこと、当事者の声に耳を傾けることが重要なのです。問題を解決していくためには、当事者がそれをどう経験しているかから出発しなければなりません。そして、そのときにシチズンシップは役に立つと思うのです」

こういう立場は「貧困とはなにか」でも再三にわたって述べられていたので私はそれほど注意を払わずに聞いていた。けれど、「え?」と思ったのが最後の言葉だった。「役に立つ」と言ったか「便利だ」と言ったか、言葉そのものは覚えていないのだけれど、けっして「シチズンシップが重要だ」みたいには言わなかった。そして、「あ、そういうことか」と私は感じた。

 

「貧困とはなにか」のひとつ前、やはりリスター教授の編著になる「子どもの貧困とライフチャンス」という本を私は訳している。これはこのブログでもネタに取り上げてきたので、そちらの方も読んでもらえればいいのだけれど、実はこの「ライフチャンス」という言葉、イギリスの政治の世界ではかなり偏った使われ方をしてきた経緯があるらしい。つまり、「貧困とかいうけれど、それは個人の責任でしょう。まあ、いくら個人が貧困から抜け出そうと思ってもそのチャンスが与えられなければ無理だろうから、チャンスだけはしっかりと確保できるように政策を立てましょうね」という感じの「自助」が基本になる右派的な主張で使われるようになった言葉らしい。それに対して、「子どもの貧困とライフチャンス」では、「貧困が解消されない限りはどれだけチャンスを均等にしようとしても結局はうまくいかないでしょ。無理にそういう政策をとるとコスト高になる。むしろ、ストレートに対貧困政策をするほうがライフチャンスの改善には対費用効果が高いでしょう」と、ネオリベラリズム的な主張を完全に逆手に取って左派的な主張を展開している。

「なるほど、これがリスター流か」と思ったのが、「シチズンシップは使える」という言葉だった。上述したように、「シチズンシップ」の概念は、権利部分では「人権」概念と被る一方で、「人権」の方では重視していない「市民としての義務」をしっかり含んでいる。だからこそ、「権利を言うんならまず義務を果たせ」と主張する右派的な人々が好んで使うようになったと推測される。そして、その言説は、共同体的な感性から民主主義を理解するときには、ある種の納得感をもたらしてくれる。だから、正面からはなかなか対抗しにくい。だったら、それに乗っかってしまえ、というのが、リスター教授の発想ではないだろうか。怪しげな「ライフチャンス」にさえ乗っかったお人だ。右派的な人々が「ごちゃごちゃ言う前にまずは市民としての義務があるだろう」とシチズンシップを持ち出したら、「ほんと、シチズンシップって大事ですよね」と持ち上げておいて、そして実質は人権であるところのシチズンシップの概念に乗っかって権利を奪われた人々の主張を展開しようというのではなかろうか。

このあたりは、完全に私の想像にすぎない。想像を補完するようなリスター教授の著作も私は読んでいない。だから的はずれな妄想かもしれない。ワークショップには、リスター教授の著作を研究してきている研究者も何人もいた。だから、そういった先生方に尋ねれば、あるいは簡単にわかったのかもしれない。ワークショップのあとには懇親会が用意されていたから、望めば出席もできただろう。けれど、私は夜までには自宅に帰り着かねばならなかった。オンラインの高校生が待っているのだ。翻訳者といいながら、実態はしがない家庭教師だ。日銭を稼ぐことが知的な関心に優先する。それが私の当事者性なのだから、ま、あきらめるしかなかろう。

そして、いつまでも謎は謎のまま残る。わかりやすい話なんて、世の中にはなかなかないんだよなあ。