EV乗り比べの記 - i-MiEVとMINICAB MiEVを乗ってみて

いま、車を乗り換えたところだ。先週までちょうど2年のあいだ乗っていたのが三菱のi-MiEVで、これは2009年に製造されたEVの初期型の中古車だった。それに代わって乗り始めたのが同じ三菱のEVで、やはり型式としては同じ時期に製造が開始された軽ワゴン車の新車だ。同じEVでもだいぶちがう。実は新車の納車から2週間ほど、同時に使用して乗り比べをしていた。そういうことをした人はあまりいないと思うので、一例報告。ただし、なにかデータを取っていたわけではないので、あくまで感想文にすぎない。

たぶんごちゃごちゃと長くなるので、要点だけ先に書いておこう。

  • i-MiEVは乗用車で、MINICAB MiEVは貨物車。根本的に発想がちがう。
  • 具体的には、経済巡航速度がi-MiEVは60km/hぐらいの感じだけれど、MINICAB MiEVの方は40km/hぐらいの体感。もちろん内装その他はi-MiVEが快適でMINICAB MiEVは質実剛健
  • 共通する特徴として、電気自動車は乗りやすい。加速がいいし、レスポンスもはやい。航続距離はほぼ予測計算値通りに出る。そして、新車ではそれがカタログ値と同じか、やや上回る。
  • ただし、上り坂や急加速、高速運転では、航続距離は急激に減少する。そういう区間が連続して入ると、航続距離はカタログ値を大きく下回る。
  • 充電コードのプラグ形状が旧式と新式で異なっていた。余分な出費になった。
  • i-MiEVの古びた電池に比べ、新MINICAB MiEVの電池はやっぱり新しいだけのことはある。新しい電池を基準にすると、古いのは容量が50%ぐらいに落ち込んでいた。そして、急速充電にうまく対応できず、充電速度は新しい電池の半分ぐらいしか出なかった。よって、ディーラーの急速充電器での充電では、単位時間あたり4倍ほどの航続距離が出る。結果、150円で80km走るというとんでもなく安い電気代を実感できた。

忙しい人はここで帰っていい。以下、駄文。工学部にいた人間ならちょっとぐらいデータ取っとけよとも思うのだが、最終的に落ちこぼれてるのは、やっぱりそういうのが向いてなかったということなのかもしれない。なので、きちんとした根拠がないから、感覚のウソが交じるだろう。したがって、そういう観点で興味がある人には読む価値はない、というのが残念ながらあたってるかな。

なぜEVか?

長らくEVには懐疑的だった。電気で走ると言ったって、電気はどこかで発電しなければならない。発電には石油とか、ウランとか、そういった有限な資源が消費される。結局は石油を発電所で燃やすか車のエンジンルームで燃やすかのちがいでしかない。宗教上の理由*1でできるだけ原子力発電の電気は使いたくないから(そして消費者に選択権はないから)、電気はなるべく使わないに越したことはない。だったら、電気自動車よりもガソリン車というのが、長らく私の個人的な考えだった。車の運転そのものもべつに好きでやってることではないから、乗らずにすむなら自動車の使用も控えれば、まあ、そこまで地球温暖化とか、気に病むこともなかろうと。

その考えが大きく変わったのは、5、6年前だったか、屋根の上に載せた太陽光発電の固定価格買取期間がもうじき終了を迎えるということに気がついた頃だった。太陽光発電のことを書き始めると長くなるのでそこはあえて触れないのだけれど、私の家の場合、2009年に設置して、そこから10年間、余剰電力は割高で電力会社に買ってもらえることになっていた。この制度の趣旨は、本来は割のあわない太陽光発電の投資分をこの10年間である程度回収しなさいよということであって、実際、10年間の売電収入と自家消費による電気代の節約分を合わせると、(計算方法によって異なるのだけれど)まあそれに近い数字にはなる。そうなったら特にパネル設置者を優遇するいわれは何もないので、余剰電力の買取価格は極端に下がる。いうなればタダ同然の捨て値で売るしかなくなる。もちろんそれでもゼロではないし、自家消費分の電気代は下がっているのだから、経済的にも文句を言う筋合いは何もない。ちなみに、それで儲かるのかといえばメンテナンス費用でその経済効果は相殺されるから、べつに(特別に儲けるための工夫をすれば別だけれど)太陽光発電は儲かるものではない。要は、ライフスタイルの選択の問題だ。

ともかくも、そういう選択をした結果として、10年後からは電気をタダ同然で売り渡す立場になる。そういう叩き売りをするぐらいなら、自分で有効に使うほうがいい。そこで気がつく。この電気は、石油を燃やしているのでも核分裂によって発生する熱を使っているのでもない。もちろんパネルの製造とか設置とか運用とかで化石燃料の使用が発生するからどこまでも「クリーン」だと主張する気もないけれど、少なくともいま、ここで晴天の日に生み出されている瞬間の電気は、太陽からのものだ。メガソーラーの停止が問題になるぐらいに太陽光の電気が余りつつある現状、それを有効利用できるなら、それに越したことはない。

蓄電池というアイデアがある。うまく使えれば、グリッドからの実質的な独立、つまり、電力会社からの買電をゼロにさえできそうだ(私の家の電力消費はそのぐらいに小さい)。ただ、蓄電池のシステムはけっこう高価で、おまけに私の家のようなごくささやかな量しか電気を消費しないライフスタイルを想定していないから、牛刀をもって鶏を割く状態になってしまう。いろいろ調べても、どうもうまくフィットしない。そうやって悩むうちに、「そうだ、電気自動車なら」と思いついた。

その頃は、まだ家庭教師の仕事もオンラインではなく、訪問だった。訪問は基本的に自動車で行う。そのガソリン代が、月に1万円にもなる。その1万円が節約できるなら、EVに投資しても十分にもとがとれる。だいたいが、ガソリンを燃やして二酸化炭素を発生させながらやる仕事にもいいかげん嫌気がさしていた。屋根の上で発電される電気にすれば、そのあたりの気持ち悪さも多少はマシになるかもしれない。

そこで検討をはじめたのだが、当時、2017年から18年頃に、EVの選択肢はあまりなかった。私のニーズは家庭教師でせいぜいが片道20kmぐらいまでの範囲内の生徒宅を訪問するだけなので、できるだけ小さな車がいい。日本だと軽自動車ということになる。ところが軽自動車のEVは、当時は三菱のMiEVしかなかった。乗用車のi-MiEVか商用車のMINICAB MiEVかだ。どちらも、自分としては「なにかちがう」という気がしていた。そこでさらに調べたら、原付き規格の4輪車が、トヨタをはじめ国産でも中国製でも存在することがわかった。政府が「超小型モビリティ」という概念で小型のEVを認可していく方向であることもわかった。それに先んじて、中国製やインド製の電動トライシクル(トゥクトゥク)を販売している業者もあることがわかった。

ただ、あんまりにもマニアックなものは、メンテナンスの問題がある。そこでいつも車の整備を依頼しているガレージの社長に相談した。すると、中華製の原付き規格の4輪で知り合いのディーラーが輸入しているのがあるという。おもしろいと思ってそれを試乗させてもらいもした。これでいくかなあという気もした。

ところがそのあたりのタイミングで、老父の体調が落ち込んでいった。そうなると、父親を乗せられる車というのが条件になってくる。原付き規格の4輪は1人乗りだ。トライシクルは人を乗せられるけれど、車室を密閉できないので冬季や雨天に難がある。やっぱりふつうの車じゃないとなあとなって日産のノートとかも検討したが、プラグインで充電できるわけじゃないので候補から落とした(技術的にはエンジンを発電専用で使うやり方は非常に優れていると思う。私のニーズに合わなかっただけだ)。そうなると、やっぱり三菱のMiEVしかない。

そこで2018年には、実際にMiEV(MINICABの方)を契約する直前までいった。その段階ではまだi-MiEVも生産していたので、どちらでも選べたのだが、試乗したときの見晴らしが商用ワゴンのほうがよかったので、そちらに決めた。その時期に乗っていた軽乗用車の視界の悪さには辟易していたのだ。そしてハンコや住民票なんかの書類一式を持って契約にいった段階で、「充電器の設置工事」を求められた。

私は屋根の上の太陽光による発電で充電したかったから、そのまま100Vコンセントから充電するつもりでいた。ちなみに、この時代のMiEVのシリーズは、いずれもオプションで100V充電のケーブルがあって、それで家庭用の100Vコンセントから充電できるようになっていた。それを使うつもりだったのだけれど、いきなり「専用の200V充電設備を設置してください」と言われて戸惑った。「いや、100Vで運用するつもりなんですよ」と答えても、「それでも200Vの端子が必要です。それがなければ販売の契約はできません」と、ディーラーの担当者は譲らない。その時点で私には屋根の上の太陽光からの余剰電力が充電用の200V端子から出力できるかどうかの知識がなかった。基本的には売電は200Vで出している。だから理屈の上では可能だと見当はついた。けれど、実務的にどうなっているのか、ちょっと調べてみないとわからないなと感じた。回路の引っ張り方によってはうまくいかない気もした。なので、その時点では契約を保留にして、「調べて返事しますよ」ということになった。

ちょうどその頃、父親の体調が急速に悪化した。いや、ちょっと新車どころじゃない、という感じになって、「調べなきゃ」とは思いながらも手が回らず、気がついたら父親の入院で病院に通い詰めとなって、EV購入の話は立ち消えになってしまった。思い返してみたらこのタイミングで三菱のMiEVのどちらかを買っておくのがあらゆる意味でベストの選択だったのだと思う。けれど、多忙すぎてそれどころでなかった。結局のところ、EV購入の第一章は夢と終わった。

そこから3年近くがたち、2021年の秋、息子が免許をとることになった。私の乗っていた軽乗用車は、そのまま息子に譲る話になって、私は自分用に1台の車を必要とすることになった。その時点で家庭教師の仕事は全面的にオンラインに移行していたから、そういう意味では私はもう車を必要としない身になっていた。実際、家庭教師を辞めたら車の運転もやめようぐらいに思って、必要であればカーシェアで間に合わそうと、タイムズの会員にもなっていた。ところがその時期はまだコロナのまっただ中だった。父親の死後、一人残された母親を定期的に訪れる必要があるが、できるだけ電車は使いたくない。そこでEVの構想が再浮上した。

ただ、その段階で、三菱はMiEVシリーズの生産を終了していた。手に入れようと思っても、もうつくっていないのだ。そこでふと気がついた。何も新車にこだわることはない。確かに補助金とかは新車じゃなければつかないけれど、べつに補助金が欲しくてEVに乗るわけではない。電池は劣化しているだろうけれど、逆にいえばそれだけに値段が安くなっているのではなかろうか。調べてみると、確かに十万円台からMiEVの中古車はあるようだ。それに中古車だったら、「充電設備が必要です」みたいな文句を言われることもない。電池が劣化しすぎていたら、交換すればいいのだ。交換にかかる費用はWeb検索の情報だと、だいたい110万円から上になるようだが、それでも新車が手に入らないのなら、考慮に価する。中古車の状態にもよるけれど、仮に30万円で中古車を買って120万円で電池を交換しても新車を買うよりもだいぶ安い。この方向かなと思った。

ただ、コロナの流行から新車の製造ラインに支障が出た影響で中古車市場全般の相場があがった状態が続いていたらしく、MiEVシリーズの中古車でMINICABはいずれも高額だった。i-MiEVの方は比較的安価だったが、いつも世話になっているガレージの社長と一緒に検討をしていくと、どうにか使えそうな状態のものは30万ぐらいになる。諸手続きや再整備費用を加えると50万を超える値段になる。しかし、長いことの夢でもあるEVだ。ここはひとつ奮発しようと、そこそこに状態がいい、けれど、製造は最も古い2009年製のi-MiEVが私の専用車となることになった。

i-MiEVの2年間

最初にi-MiEVに乗ったときの感想は、「やたらとレスポンスがいいな」だった。その感覚はいまも変わらない。モーターは、踏み込めば踏み込んだだけ、素直に反応する。加速・減速に関して、ガソリンエンジン車のように無意識のタイミングみたいなものをとる必要がない。だからガソリンエンジンの車から乗り換えた当初はすこし戸惑ったが、数日で慣れた。そしてそうなったら、操作性の良さに感心することになる。

そういった感覚とはべつに、気になったのが航続距離だ。カタログ値は120kmだけれど、10年以上経過している車、そこまで伸びるはずがない。満充電した状態で(ちなみに100Vケーブルが付属していたので20AまでOKの通常のアース付き100Vコンセントからふつうに充電できた)、「走行可能距離」の指示が80km前後を指すのがわかった。これがそのとおりに走るなら、十分に実用になる。

ちなみに、家庭教師として生徒宅を訪問する必要がなくなって以後、さらに息子が免許をとって彼を送迎してやる必要がなくなって以後の私の主な自動車の用途は、実家訪問の往復になった。これが最短距離の高速道路を使って片道約50kmになる。実家のすぐそばにはイオンのショッピングモールができていて、そこには各種充電設備が整っている。なので、片道がもてばそれで大丈夫だ。80km走るのなら、すこしの余力を残して到着できることになる。

実際やってみると、往路はまったく問題がなかった。というのは、私の住居は標高300mぐらいの山の上の住宅地にあるので、下りは燃費がいい。ときには「バッテリー残量計」の充電量を示す目安の目盛りで半分近くの余力を残して実家に到着できる。問題は帰路だ。同じ50kmといえ、上り坂になる。上り坂になると、急速に航続距離は下がる。

実際、使い始めのころ、帰路の坂道の途中で「電欠」状態になったことがある。一本道だから後続車の邪魔にならないようになんとか路肩に寄せたが、最初はよく理解できなかった。というのも、計器の上ではまだ電池残量があったからだ。

この「バッテリー残量計」、目盛りが16ある。仮に80kmの航続距離が信用できるのであれば、1目盛りあたり5kmの計算になる。走行してみると、平坦で走り続けられる道であれば(たとえば田園地帯の裏道なんか)、実際にこれは十分に出る。6km近くまで伸びることもある。坂道途中で「電欠」になったとき、実はこの計器の目盛り、残りが3から2になったばかりだった。ということは、まだ10kmくらいは走れるはずだ。けれど、車は止まってしまった。

これが電池劣化の実態だ。電気は残っているのだけれど、坂道を登るに足るだけの電力を一気に出すだけの電気量がない。参ったなあと思ったが、車をUターンさせて下りにかかったらふつうに走る。坂を下りきって平地に出ても、やっぱりふつうに走る。ふつうに走って高速充電器が設置されている車販ディーラーまで行って、充電した。このときは「やっぱり電池交換しなきゃな」と、120万円の出費を覚悟した。

この「1目盛りあたりの走行距離」、上記のように条件がよければ最大で6kmぐらいまで伸びることもあるが、ふつうの町走りだと4.5kmぐらいになることが多かった。冬季は電池の持ちが落ちて、4kmぐらいになる。そして、高速道路を使うと1割ぐらい落ちる。上り坂だと半分ぐらいになる。さらに、上記のように、上り坂だと2目盛りを切ったら坂道の途中で止まる可能性がぐっと高まる。ということは、実用的には航続距離50kmぐらいで考えておくのが穏当ということになる。

厄介なのは、私の住居がどちら側から回っても坂道の上に位置するということだ。帰宅するためには、最後の数kmはどうあっても標高差150〜250mの坂を登らなければならない。ということで、最後の2目盛りで登れなくなるということは、登りはじめの段階で4目盛りぐらいはなければ突っ込めない計算になる。坂の入り口に都合よく充電スポットがあるわけではないので、「危ないかも」と思ったときには予め少し手前の充電スポットで充電しておくことになる。結果、夏場のバッテリが快調なときには実家からの帰路の50kmはかつかつ可能だが、実家で満充電できなかったときや途中寄り道をしたとき、あるいはバッテリ性能が低下する冬季なんかには、帰路の途中で充電スポットに立ち寄るのが常となった。

そう、冬季にはバッテリ性能が急速に低下する。おもしろいのは実際の気温変化よりも少しタイムラグがあることで、木枯らしが吹き始める11月ぐらいはまだそれほどの低下は感じられないが、12月になると急速に落ち込む。そして暖かくなってきた3月あたりはまだ回復せず、5月半ばぐらいになってようやく安定する。どんなふうに性能が低下するかといえば、まず航続距離が下がる。1割から2割、落ち込む。次に、高速充電時の充電速度が低下する。カタログでは30分の充電で80%ぐらい回復するようになっているのだが、厳冬期の最も調子のわるいときだと20%ぐらいしか回復しない。ちなみに三菱の車は三菱のディーラーの充電スポットが安くて30分で150円なのだが、これで20%ぐらいしか戻らないと、燃費はガソリン車とほぼ変わらないことになる。経年劣化のバッテリは、このぐらいにひどい(夏場だと30%ぐらいは回復する)。

興味深いのは、この劣化しきったバッテリ、2年間の使用期間中にはそれ以上には目立った劣化がみられなかったことだ。寒くなると航続距離が下がってきて「ああ、やっぱりバッテリがダメだわ」と思う。ところが暑くなる頃には復活して「やっぱり気温のせいだったんだな」と思う。その繰り返しで、結局、買ったときと手放したときでほぼ航続距離に変化はなかった。とことんまで劣化しきったら、そこである程度安定するものらしい。このあたりは、急に死ぬスマホのバッテリとは大きなちがいだ。やっぱり自動車用ともなると、そのぐらいの品質は確保するものなのだろう。

バッテリに不安があって特に冬場なんかにはしょっちゅう充電スポットに立ち寄らねばならないのはそれなりのストレスだった。けれど、それを除けば、乗るほどにi-MiEVはいい車だなと感じるようになった。モーター駆動は、単純に乗りやすい。「踏めば踏んだだけ加速する」というのがこれほどラクなものだとは思わなかった。

ただ、そういう操作性の良さを武器にガンガン飛ばすようになったかというと、これがまったくの逆だった。急加速・急減速、そして高速運転は、とにかく電気を消耗する。もちろん劣化したバッテリで常に充電残量を気にしなければならないということがあったからというのが大きいのだけれど、そうでなくてもやっぱりバッテリ残量は気にかかる。その結果、ガソリンエンジン車時代とは打って変わって安全運転になった。これはもちろん、家庭教師としての生徒宅訪問がなくなったことも大きく影響している。仕事でスケジュールをきっちりと詰めて車に乗っていると、どうしても運転は荒っぽくなる。飛ばせるところは飛ばし、抜け道は最大限に利用し、信号なんかの障害はそれぞれの特徴を掴んで一瞬でも早く抜ける小技を身につけて、周囲の迷惑にならない程度、警察の厄介にならない程度に走り抜けることになる。そういうストレスがなくなったタイミングで、EV乗りになり、省エネ運転を心がけるようになった。結果、制限速度走行で余裕をもってエンジンブレーキをかけるという模範ドライバーに転身した。阪神高速を制限速度を守って走るなんて、「そんな非常識な」と思っていたのが、実際にやってみるとそういう仲間が結構たくさんいることにも気がついた。「年をとったらEVやで」と、免許をとったばかりで車の運転が楽しくてしかたない年代の息子に話したりもした。いつでも加速して抜けられる心の余裕でもってタラタラと安全運転するのは、案外に気持ちがいい。

ただし、バッテリの心配があるので、せっかくついているエアコンを活用することはほとんどなかった。実家で母親を買いものや病院に連れて行くときには、冷房も暖房もつける。エアコンの効きはガソリンエンジン車と特に変わらない。つけるか、つけないかだけれど、自分一人のときにはバッテリの減りを気にしてほとんどつけず、厳寒期には湯たんぽを抱えて乗るようにしていた。

i-MiEVからMINICAB MiEVへ

ということで2年間、ヘタレのi-MiEVに乗り続けたのだけれど、3度めの冬を前に、「次の冬にはあのバッテリはゴメンだなあ」と思うようになってきた。冬はバッテリがもたないから実家から帰る途中にほぼかならず充電スポットに寄る。寒いなか、30分の時間を待つのは(たいていその間は買いものに行ってるのだけれど)さすがにめんどうだと思うようになったのだ。

解決策としては、バッテリの交換か新車の購入になる。中古車は、バッテリの状態がわからないし、同じような劣化具合のバッテリにあたったら何をやってるのかわからないので、選択肢から落とした。2年前に比べると、軽の電気駆動車は各社、少しずつではあるけれど出るようになってきている。MiEVのシリーズは終わってしまったけれど、三菱は日産と共同でEKクロスのEV(日産版はサクラ)を売り出すようになった。トヨタはc-podを出した(これは入手不可だった)。これを書いている段階でホンダが来春のN-VAN e:の発売を発表したとかいう報道がある。中華製のEVも徐々に入ってきつつある。選択肢は少しは増えた。そして、そうこうするうちに、企業向けに生産を再開していた三菱のMINICAB MiEVの一般販売が再開された。新車の購入は十分な選択肢になる。

バッテリの交換は、ディーラーに聞いたら「モノによるので実際に見積もりしないとわかりません」とのことだけれど、だいたいは120万円ぐらいが相場のようだ。そこだけみれば、バッテリの交換のほうが圧倒的に有利だ。ただ、三菱の場合、新車にはバッテリ保証というのがついてくる。一定の年数、走行距離までの間にバッテリが劣化したら安価にバッテリ交換をしてくれる。これに該当するかどうかは走ってみないとわからないのだが、もしもそこに該当したら、新車の購入は「バッテリ2回分の購入」にほぼ該当することになる。新車はざっと260万円だ。それに補助金で返ってくる分もあるから、実は新車のほうが安かったりすることにもなり得る(バッテリの劣化状況によって話は変わるわけだけれど)。

それ以外のいろいろな検討条件もあったのだけれど、そこは個人的な事情とか好みとかいろいろ入ってくるから、あまり長く書いてもしかたない。たとえば、三菱のEKクロスは顔が気に食わないとか日産車は嫌いだとか、そんなことを聞いても「はあ?」でしかなかろう。

最終的にMINICAB MiEV購入に落ち着いたのは、他の選択肢をひとつひとつ落としていった結果でしかない。以前に購入するつもりで試乗もしていたから、だいたいのことはわかる。「あれならいいか」という感じで、決めた。100Vの充電ケーブルがオプションで存在するというのも魅力だったが、これは「販売中止」とのことで入手できないことがわかった。残念だったけれど、i-MiEVに乗るようになって実家の方に200V用のコンセントも設置したので、200V運用でもかまわないかなとも思った。ちなみに、5年前に調べがつかなかった太陽光発電の電流を200Vで利用することに関しては、やっぱり可能であり、何の難しいこともなくコンセントの工事ができることがわかっていた。なので、そこの障害もなくなっていた。もともとの趣旨である「太陽光発電の余剰電力を有効活用したい」というのは、一般的な200V用の電気自動車でも満たすことができる。

ただ、もうその前提を抜きにしても、「次もEVだなあ」という気持ちにはなっていた。というのも、上記のように走行性能がいいことに加え、メンテナンスがほぼ不要で2年間の運用ができたからだ。

ガソリンエンジン車の場合、老朽化してくるとやたらとメンテンナンスに費用がかかるようになる。たとえば以前に乗っていた軽自動車では、定期的なオイル交換はもちろんのこと、タイミングベルト交換、エンジン搭載部分のダンパー交換、排気ガスセンサーの交換、ラジエーターの修理などが10年を超えたあたりから頻発するようになった。そのたびに3万とか4万が出ていく。そして、これらはすべてガソリンエンジンに係るメンテ&トラブルだから、電気モーターでは基本的に発生しない。電動車であるi-MiEVでもアクセサリー周りのバッテリはガソリン車と同じ鉛蓄電池なのだけれど、プラグの発火に使わないためか、劣化がなくて、これも2年間で1回も交換しなかった。たぶん前照灯やブレーキ灯、ブレーキパッドなんかは同じように劣化するし、実際、タイヤは1回交換した。とはいえ、メンテンナンス費用は圧倒的に小さくなる。費用だけでなく、「ぼちぼちオイル替えなきゃ」とか気にすることがないのはストレスの軽減になる。やっぱり、「年をとったらEV」なのだ。

MINICAB MiEVに乗ってみて

新車のMINICAB MiEVが入ってきて、最初に乗ったときの感覚は、「やっぱり見晴らしがいいわ」だった。商用車で市街地の走行が多いことを想定してあるからか、ミラーも死角が少なく、取り回しがいい。そして、「え? こんなショボいの?」と思ったのは各種の装備だ。後席の窓はパワーウインドウではないし、前席のパワーウィンドウの操作も一時代前の感覚だ。キーレスエントリーはオプションでつけてもらっていたものの、起動のためにキーを挿入する必要はあって、それさえ不要だったi-MiEVとはだいぶちがう。サンバイザーの駐車券入れとか、後部座席用の車内灯とか、ダッシュボードの収納部のティッシュペーパーホルダーだとか、ドリンクホルダーとか、ハンドルのグリップの持ちやすさだとか、「最近の車だから」と思っていた装備品類が実は乗用車のグレードによって付属しているものだと知った。ナビは要らないからと言ったのはたしかに私だけれど、オーディオの入る部分にカバーもなくむき出しになっていたのにはちょっとおどろいた(一応、購入前に聞いていたのだけれど、やっぱり聞くと見るとは大違いで)。内装に金属部がむき出しとかシートが布ではなくて塩ビ製だとか、そういったのは商用車だからそうなんだというのは知っていた。後部座席がオマケみたいなものだというのも、i-MiEV時代に後部座席に人を乗せたことが2回ぐらいしかないから別に構わないとは思っていた。それにしても、実に質実剛健。言葉をかえれば、i-MiEVはけっこうな高級仕様だったんだなとわかる。そりゃそうかもしれない。なにせ初期発売時には400万からした車だ。その値段なりの内装でないと、買う方は納得しなかっただろう。

計器周りはi-MiEVとまったく同じで、これに関しては違和感も何もなく、助かった。そして、EV独特の「踏めば踏んだだけ加速する」というのも同じ。なので、最初の印象は、「これはi-MiEVにMINICABの車体を乗っけた車なんだな」だった。販売店で受け取ってその足で50kmほどドライブしたが、運転のしやすさに見晴らしの良さが加わって、実に気持ちが良かった。

そして、肝心のバッテリだ。カタログ値では航続が133kmなので、「バッテリー残量計」の16等分の目盛りを信じるのであれば(あくまでこれは目安でけっして電力量の残量に正確に比例しているわけではなさそうだけれど)、1目盛りあたり8.3kmとなる。それを上回るだけの距離は出たので、やっぱり嬉しかった。上記のように劣化バッテリのi-MiEVが1目盛りあたり4.5kmぐらいだったから、およそ倍の数字になる。これで安心して実家往復ができる。

ただ、そこから2週間ばかり、i-MiEVととっかえひっかえ乗るうちに、「あ、やっぱり別の車なんだ」というのがだんだんにわかってきた。それは、「パワーメーター」の挙動だ。これは、ガソリンエンジン車のタコメーターのようなもので、どのくらいの電力を消費しているのかを表示している。これが絶対値なのか相対値なのかとか、あんまりよくわかっていないのだけれど、ともかくも、これが大きく触れれば触れるほど、電池の減りが大きいのは実感としてわかる。最初の方は緑のゾーンになっているのだけれど、およそこの緑のゾーンで走っていれば、航続距離は伸びる。高速道路や坂道なんかで踏み込んでパワーメーターの表示が緑のゾーンを超えれば、そのぶんだけ航続距離に影響する。その挙動が、i-MiEVとMINICAB MiEVでは明らかにちがう。

実際のところ、i-MiEVでタラタラと安全運転をしている限り、このパワーメータの針が緑のゾーンを超えることはほぼなかった。高速道路で時速80kmぐらい出すと巡航でもそのゾーンを超えるのだけれど、時速70kmぐらいまで落とすと緑のゾーン内で推移する。上り坂で時速40kmも出すと緑のゾーンを超えるが、坂の傾斜が緩かったり、スピードを落とせる局面だと、なんとかゾーン内で処理できる。発進時には瞬間だけゾーンを超えるけれど、穏やかな加速を心がけたらゾーン内でなんとかなる。だいたいはそんな感じだった。ところがMINICAB MiEVでは、ごく簡単に指針がこのゾーンを超える。発進時やごくわずかな加速でこのゾーンを超える。ゆるい坂でもほぼ間違いなく超える。時速50kmも出すと、超える。明らかにi-MiEVとはちがう。

やはり、乗用と貨物用で設計思想がちがうのだ。貨物用は少々の荷物があってもスムーズに動けるよう、馬力が出るギア比になっている。だから回転数が上がる。配達業務なんかだったら速度を出す必要もないから、経済速度は低いほうが好ましい。だから、(あくまで運転者の感覚の話だけれど)i-MiEVが時速60kmぐらいで燃費が最も良くなるのに対して、MINICAB MiEVは時速40kmぐらいで燃費が良くなる。高速道路なんか走ると、明らかに航続距離が落ちる。「バッテリー残量計」の目盛りで、1目盛りあたり7kmぐらいまで落ちたりもする。都心部を走るときには、たとえ渋滞中でも、燃費は落ちない。かえって1目盛りあたり9kmぐらいまで伸びたりする*2

ということは、やっぱりこれは「MINICABのエンジンをi-MiEVのモーターに載せ替えた車」なのだろうかという気もしはじめた。基本はどこまでも軽ワゴン車であり、ただ、エンジンのかわりに電動モーターで走る。しかし、さらにしばらく乗っているうち、そのどちらでもないような気がしてきた。i-MiEVi-MiEVであり、MINICAB MiEVはMINICAB MiEVだ。たしかに駆動電池やモーターは同じかもしれないけれど、別々の車だと思ったほうがいい。ま、あたりまえといえばあたりまえの話。

電池が新しくなったことで、嬉しいのは航続距離だけではなかった。急速充電が、文字通りの急速充電になった。劣化バッテリの急速充電は名ばかりで、30分かけてようやく航続距離が20km伸びる、みたいな感じになることが多かった。これが一定しないのは季節的なこともあるが、電池残量がどの程度かによって入る量がちがうからでもあった。たとえば55%ぐらいの残量で30分充電すると75%ぐらいまで回復するが、45%の残量だと70%ぐらいまで、30%の残量だったら60%ぐらいまで回復する、みたいにスタート地点が低ければ低いほどたくさん入る。いずれにせよ、時間の割にたいして回復しない。上述のように自宅で充電する場合の電気代はほぼ無料だからそれはいいとして、外で充電するときにはガソリンエンジン車に比べてあまり大きな差が出ない燃費ということになっていた。これが新車のMINICAB MiEVの場合、20%ぐらいのところからスタートして30分の急速充電で80%ぐらいまで入る。60%は133kmの航続距離に対して80kmに相当するから、老朽i-MiEVの4倍ということになる。つまり燃費が4分の1ということになって、これは相当に安い。ちなみに充電の料金は時間割でチャージされるのだが、たとえば高速道路のパーキングは30分で360円、日産のディーラーに三菱車を持ち込むと30分で450円、三菱車なら三菱のディーラーで150円と、けっこう場所によって単価がちがう。150円ならガソリン1Lの現在の価格より安いのだから、それで80km走るなら御の字だろう。

ただ、ひとつ想定外だったのは、充電ケーブルのプラグの規格が旧i-MiEVと新MINICAB MiEVとで変更されていたことだった。これは気がつかないトラップだった。自宅の方のコンセントは新設するからいいとして、せっかく実家の方に設置した200Vコンセントを付け替えなければならない。「どうせこの先もEVしか乗らんのだから」と、長期投資と思ってつけたのに、なにをやってんだかわからない。変換アダプタかなんかないもんかと思って電気屋に聞いたら叱られた。200Vでそういうことをやるバカがいるから火災が起こるんだ、みたいな感じだった。

EVの軽自動車は実用的か?

新旧EVの乗り比べに関する記事は以上だ。もともとi-MiEVを買ったあと、ある程度のデータとって「EVは使えるのか」というテーマで記事を書こうと思っていた。けれど、そこまでマメな性格でもないのと、なかなか「これはこう」という結論が出ない中で、ずっと持ち越しになっていた。そして、新車のEVを買うことで、ようやくそこにも触れることができるようになったような気がする。ただし、その間にEV軽自動車はだいぶ普及したから、私みたいなクルマに詳しくもない者が、それもメジャーどころのサクラみたいなのに乗りもせずに書くのもどうかという感じにもなる。まあ、いつまでも書かないと自分自身の中で決着がつかないから、とりあえずここにオマケのような格好で書いておこうと思う。

あたりまえな話だけれど、これは「用途による」。あるいは「ライフスタイルによる」。1日に数百km走行するのを繰り返すようなユーザーには、EVは向いていない。たとえばホンダの来春出るモデルは航続距離200kmということだが、サクラやEKは180kmだ。1日の移動距離がそれを超えるユーザーであれば、EV軽自動車は選択肢から外したほうが無難だ。ちなみに、私が家庭教師で東奔西走生徒宅を訪問していたとき、1日の走行距離が100kmを超えることもあったが多くは50kmまでで、200km近くなるのは月に1度あるかないかだった。この程度の業務での使用には耐えるだろう。

燃費は圧倒的にいいとして、その分、購入価格が高い。オイル交換など維持費が安いことも加味すれば、年間1万kmぐらいの走行でおそらく8万円ぐらいは出費が節約できる。それが何年続けられるかということで「どっちがトクか」は決まるだろう。

この電気代、ユーザーによって大きく異なる。私のように既に償却済みの太陽光発電設備があって、なおかつそちらを優先に充電できるのであれば、電気代は実質無料になる。実際、100%を昼間の太陽光からの電力で使い回せたわけではないのだけれど、i-MiEVの2年間、電気代は特に上昇しなかった。むしろ大幅に安くなったのだけれど、これは息子が自立して家を出た影響だから、いったいどのくらいの負荷が買電にかかったのかはわからない。ま、多く見積もってもせいぜい月間数百円がところだろう。この買電契約、私は特にオトク契約をしていない。宗教上の理由で深夜電力その他の電力会社が儲かる契約を結ばないからだ。だから、ひとによって、自宅充電にかかってくる電気代はずいぶんと異なることになる。ちなみに、たまに豪華なPHV車がディーラーの急速充電器を占有していて「はよのけや、コラ」とか思うことがあるのだけれど、あれはたぶん、ディーラーの電気代が安いからにちがいない。いや、自宅で充電して、そこは緊急用に空けといてくれよと思う。ともかくも、電気代が安ければ上記の年間節約費用は10万にもなるだろうし、高ければ7万円ぐらいに下がるかもしれない。

自宅充電は、実はEV軽自動車を運用するときの大きなメリットだ。なにせ、ガソリンスタンドに行く必要がない。私は主に昼間に充電するのだけれど、夜、寝ている間に満充電に回復しておいて翌日の1日の走行に備えるなんてことは普通に可能になる。ガソリンスタンドの値段表示を気にしながら、「次にカラになったらあそこで補充しよう」なんて作戦を練る必要がなくなるのは、人によってはそれ自体が大きなメリットにちがいない。ただ、これにはデメリットもあって、「ガソリン入れたついでに空気圧チェックしとこか」みたいな運用ができなくなる。さすがに無料で空気だけもらいにガソリンスタンドに寄る勇気はないので、たまにディーラーに急速充電に立ち寄ったときに、遠慮がちに整備士に頼むことが多かった。

充電に関しては、経済的なこと以上に、運用の適・不適がだいじだ。たとえばi-MiEV運用の最初の頃は実家に充電コンセントを用意していなかったのだけれど、これは実家のすぐそばにイオンがあって、実家に帰るということはそのままイコール、イオンに母親を散歩代わりの買い物に連れていくということでもあったからだ。イオンを歩いている間に、充電ができる。母親が健康を回復してきて散歩時間が短くなってきたので、コンセントを設置した。だから、充電はライフスタイルでもあるわけだ。また、実家から帰るときにはたいてい自宅用の食料品の買い出しが必要になるから、充電の30分で近くのスーパーに寄るのは何の不自由もなかった。深夜に帰るときはたいていオンライン家庭教師の仕事上がりなので、モバイル用のPCで報告書を書くとかの雑用もあったから、充電時間を長いとかムダだとか感じたことはない。ただ、それでもそれなりに鬱陶しいのは確かだった。運用がどこまでぴったりハマるかどうかということだろう。

充電スポットに関しては、そりゃもっとあったほうが嬉しいけれど、特に不足は感じなかった。ただ、何度も愚痴るようだけれど、本来充電の必要もないPHVがデンと充電器を占拠しているときにはほんとに腹が立った。こっちはギリギリで動かしてるというのに、あんたの電気代の節約のために時間をムダにするのかと、まあ本来は筋違いな怒りを感じたわけだ。これが同じEV軽自動車だったら、充電の途中でも「あ、ウチはもうだいじょうぶですから」みたいに譲ってくれることも多かった。やっぱり弱者同士には連帯感みたいなものが生まれる。まあ、これからEVが増えてきたら、こういう風景も変わっていくんだろう。いまは塞がってることはめったにないし、あっても少し待てば順番がまわってくる。

そして、結局は走行性というか、運転のしやすさだろう。EV軽自動車は、明らかにガソリンエンジン車よりも運転がラクだ。エンジン音がないぶんだけ狭く混雑した市街地なんかでは歩行者に気づかれにくくて少し気を使う局面はあるけれど、歩行者ぐらいの低速で徐行しながら抜ける分には大きな危険性もない。要は、交通規則に準拠した安全運転を心がけるなら、EV軽自動車は乗りやすい車だといえる。

ときどき、「EVなんかで渋滞に巻き込まれたら死ぬじゃない」みたいなことが書いてあるのを見るが、実は渋滞時にこそEVは実力を発揮する。ガソリンエンジン車だと渋滞走行は著しく燃費を下げるが、EVではあまり下がらない。渋滞のせいで電池を大幅に消耗した経験は一度もない。電気のモーターは、低速時でもあまり効率が下がらないようなのだ。また、発進時・減速時のエネルギーのムダも、回生ブレーキのおかげか多くない。i-MiEVの2年間、渋滞で燃費が下がる心配だけはしなかった。ただし、それは私がケチってエアコンを使わなかったからではある。エアコンは時間に比例して電気を食うので、長時間渋滞でエアコンをつけっぱなしにしたら、確かに電池は減ってピンチになるだろう。なので、このあたりも個人のライフスタイル依存性が高い。

最終的な私の感覚は、「年をとったらEV」だ。急がず慌てず、長距離を走るでもないけれど、日常に移動手段がほしい。そういうニーズにEV軽自動車は十分にフィットするのではなかろうか。

*1:「反原発真理教」といってもらってもかまわないが、自分的には30年以上前から「分散型エネルギー信者」であると思っている

*2:実際のところ、本当にカタログ値の133kmまで伸びるのかどうかということだが、たまたまこの記事を書いた2日後、ギリギリまで航続距離を試してしまう事態が発生した。その結果、128kmの走行で、残り走行可能予測距離が6kmと、やはりカタログ値は出ている。ちなみにこの日の走行は、高速道路は使わず、山を下って大阪の実家まで行き、戻ってきた。なので、坂道のアップダウンを含んでの走行だから、距離が伸びる条件ではない。あと、このときには最後の標高差約200mの登りがあったわけだが、バッテリ残量が20%を切った状態で速度が落ちることもなく登りきってくれた。これはi-MiEVのヘタレなバッテリでは不可能だったことだ

「主義」という語のややこしさについて - まとまらない雑感

-ismと「主義」

量としてはたいしたことはなくなったとはいえ、いまだに翻訳の仕事をあたえてくれるクライアントがいる。AIの時代にこれはなかなかありがたいことだ。いずれはくると予測していた「翻訳はマシンの方が使いやすい」時代が、現に到来しつつある。そんななかで翻訳者として生き延びていくのは、相当にむずかしい。

AI翻訳のほうが信頼できるような時代に、人間が翻訳をする意味はどこにあるのだろうか。ま、いろいろ考えることができるかもしれないが、ひとつには、「途中がみえる」ということではないかと思う。ひとつの語を訳出するときに、AIは「なぜその語を選んだのか」を説明してくれない。人間にはそれができる。その説明は、特に求められなければ記録しておくことも報告することもない。ただ、そういう論理的な説明根拠があるからこそ、全体を通したときに整合性のとれる翻訳ができるのだし、場合によってはアクロバティックな訳文をつくりあげることもできる。このあたりはまだAIには追いついてこれない領域ではなかろうか(そのうちに追いついてくるかもしれないが)。

機械翻訳は、かつては辞書式に行われていた。それだけではとんでもない訳文ができあがることが(特に日本語のような非ヨーロッパ言語とヨーロッパ言語の間のような大きく異なる言語間では)多発する。そこで、共起表現に着目する改良が行われてきたが、それでもまだ「機械翻訳の文章を読むと頭が痛くなる」時代が長く続いた。現代のAIは、そういった単語レベルの対応を捨てて、「いかにもありそうな訳文」を(表現はわるいが)捏造する。それは実際に人間の翻訳者が頭の中でやっていることに近いわけで、それだけにいい訳文が生まれる。ときには下手な翻訳者が訳した文なんか足元にも及ばないほどの精度の高い翻訳をする。単語レベルの対応にかかずらっていたのでは、そういった質の高い翻訳はできない。とはいえ、単語レベルの変換をAI翻訳が無視しているわけではないし、人間の翻訳者だって単語レベルで悩むことがないわけではない。というよりも、悩みの多くはそこだ。そして、そこを悩めることがむしろ、AIではなく人間が選択される理由でもあるのではないかという気もする。

 

と、前置きが長くなったが、書きたいことは「主義」という翻訳語についてである。ちなみに漢語としての「主義」はあまり古いものでなく、どうも唐代に仏典の注釈で用いられるようになって以後のもののようで、そのまま「主な意味」とか「導き」「理論」「(仏教の)教義」のような意味で用いられることが多かったようである。ま、私は漢籍を含めて中国語をほぼ知らないので、このあたりは間違っているかもしれない。正確なところは詳しい人に聞いたほうがいい。

この「主義」、現代では「-ism」の訳語として広く用いられている。たとえばsocialismは社会主義だし、capitalismは資本主義だ。個人主義はindividualismだし、全体主義はtotalitarianismだ。ただ、この-ism、辞書を引いてみるとけっして単一の「主義」という概念に収まらない。

-ism

1   a : act : practice : process
  b : manner of action or behavior characteristic of a (specified) person or thing
  c : prejudice or discrimination on the basis of a (specified) attribute
2   a : state : condition : property
  b : abnormal state or condition resulting from excess of a (specified) thing
   or marked by resemblance to (such) a person or thing
3   a : doctrine : theory : religion
  b : adherence to a system or a class of principles
4     : characteristic or peculiar feature or trait

-ism Definition & Meaning - Merriam-Webster

とある。小分類まで加えると、8種類あるわけだ。このうち、「主義」があてはまるのは3−bだけであって、他は「主義」とやるとちょっとおかしい。たとえば1-aで例にあがっているcriticismは「批評」だし、bのanimalismは「動物愛護」、cのsexismは「性差別」だ。2-aのbarbarianismは「蛮行」だし、bのalcoholismを「飲酒主義」と訳す人はいないだろう。3-aのBhuddismは「仏教主義」ではないし、4のcolloquialismは「会話体」ぐらいになる。つまり、-ismはそのまま「主義」と訳すべきではないし、また実際に、そのように一律に訳されてきているわけでもない。

ところが、「これはどう考えても主義じゃなかろう」という-ismが「主義」で訳されていることがある。去年の後半は貧困関係の本を訳していた。そのときに、これに出くわした。racismだ。これは、上記の辞書にもはっきりと1−cの用例としてあげられている。つまり、明らかに「人種差別」の意味だ。けれど、どういうわけかこれに対しては「人種主義」という訳語が定着している。「レイシスト!」というのはしょっちゅう聞く罵り言葉なのだが、「人種主義者」という訳語が、ふつうに本を読んでいても出てくる。辞書的には誤りなのだけれど、その誤りが定着してしまっているから、もうそれで通じてしまう。これはちょっとマズいんじゃないかと思った。

もうひとつの「主義」:-cracy

実は、「主義」と訳されるのは-ismだけではない。民主主義、官僚主義などは-ismではない。それぞれdemocracy、bureaucracyとなる。辞書によれば、

-cracy
1 : form of government
2 : social or political class (as of powerful persons)
3 : theory of social organization

-cracy Definition & Meaning - Merriam-Webster

とあって、やはり3種類あるのだけれど、これは-ismほどに差がはっきりとしていない。それでも1は「国家」、2は「階級」みたいな訳語が当たることが多いようで、「主義」は3に相当する。ただ、3に関しては、たとえば例としてあがっていたtechnocracyを「テクノクラシー」とカタカナで訳出するなど、「主義」を避ける場合も多いようだ。民主主義も「デモクラシー」と書く場合も多いし、「メリトクラシー」なんて日本語がすぐに思いつかなかったりもする。

-ismと-cracyは、英語的にははっきりとちがう。確かに-ismの3-bと-cracyの3はよく似ている。ただ、-cracyの方ははっきりと社会組織に関する理論であるとしているのに対し、-ismの方はそういう縛りはなく、「原理体系に従うこと」となる。したがって、-ism系の「主義」と-cracy系の「主義」は、枠組みが異なっている。

そう思うと、たとえば私たちはうっかりと「民主主義 - 社会主義」みたいに言ってしまうのだけれど、これは-cracyと-ismの組になるので、対義語としておかしい。どちらも-ismで揃えるなら「資本主義 - 社会主義」というのが正しいし、-cracyで揃えるなら「民主主義 - 独裁制」あるいは「民主主義 - 官僚主義」ということになるだろう。「主義」という言葉に引っ張られて異質なものを対比するのは、まったく無意味というわけではないけれど、ときに本質を見失う。

重商主義重農主義

なんで近ごろこんなことを思っているのかというと、ひとつには去年の翻訳仕事で拾ったネタにふくまれていたからではあるけれど、もうひとつはすこしまえ、マイケル・サンデルの解説書を読んだことが関係している。いろいろとおもしろい内容ではあったのだけれど、やっぱり「正義」の出処がどうもいまひとつピンとこなかった。このあたりはまた詳しく書こうと思うのだけれど、やっぱりサンデルは哲学の人であって、社会学の人ではないのだな、というのが率直な感想。おそらく社会にとっては正義は存在するのだろうけれど、それをそのまま個人にあてはめてしまうわけにはいかない。そこのところの切り分けと関連づけがうまくいっていないような気がした。ともかくも、社会にとっての正義は、結局は生物としての人間集団の存在ということであって、それは生物学、それも物理学や化学にもとづいた現代の生物学に基礎を置くべきものではないのかなあと思った。そして思い出したのがフィジオクラシーだ。

フィジオクラシーphysiocracyは、通常、重農主義と訳される。これがいろいろ問題含みなのはあちこちに書いてあるから見てもらえればいいのだけれど、少なくともこの単語中には「農」の含意はない。なぜそんなことを気にするのかといえば、かつて私は日本語の文字通りの意味としての「重農」主義者たちと行動をともにしていたことがあるからだ。実のところ、あらゆる経済、というよりも人間の存在の基礎に農耕をはじめとする第一次産業があるというあまりに明らかな事実が往々にして無視されるのに憤りを感じることは、未だに変わっていない。結局のところ、人間は農業が生産する食料の総和が支える以上の数には増えられないのだし、その上に成り立つ経済は単純に食料の分配構造の問題でしかない。もちろん、こんな単純化をすればたちまち非難の嵐を呼び込むことになるわけだが、少なくとも農業の側からみれば、世の中はそのぐらいに単純だ。そこから世の中を見ていこうよというのが日本版の「重農」主義であるわけなのだけれど、実際のところ、これはケネーの唱えた「重農主義」とされるフィジオクラシーとはいささか異なる。

これは、言葉をみればよりはっきりするわけだ。なぜなら、世界史の教科書なんかでは、「重農主義」はコルベールらの「重商主義」との対比で取り上げられる。この重商主義は、英語ではmercantilismだ。つまり、本来は-cracyであるフィジオクラシーを-ismである重商主義と対になる概念であるかのように翻訳したのがおかしいわけだ。もちろん、歴史的に、ケネーらの思想を継承する人々とコルベールらの思想が対立したという事実は、あるのだろう。だが、その対立の軸上にフィジオクラシーを「重農主義」として理解することは誤りを含んでいる。だって同じ「主義」という翻訳語を使っていても、もともとの言葉がちがうのだから。

-ismは、「この原理体系に従う」という「主義主張」である。これに対して-cracyは、社会集団(伝統的には国家)が「こういう原理で成り立っている、成り立つべきだ」という「主義主張」になるだろう。そういう意味では、それぞれが主張する「正義」に関して、すこし意味合いが異なってくる。-ismのほうが曖昧な分だけ包摂する範囲が広いともいえるが、社会集団をより意識した概念が-cracyということになるだろう。

これが、社会集団と正義の関連を考えはじめたときにフィジオクラシーを思い出した理由だ。サンデルはコミュニタリアン共同体主義者)だと書いてあったが、コミュニティというのは社会集団であって、社会学の対象になる。社会学でも正義は問題になるのであって、それは昨年末に訳していた貧困に関する本でも書かれていた。たとえばロールズの引用があったりした(ちなみにその中にあったgoodは「善」のはずなのだが、監訳者の校訂で「財」に変更されていた。いや、それは複数形のときの意味だからって指摘しといたんだけどなあ)。正義はやはり、社会を考えるときに重要な概念になる。そういうことをつらつらと考えていて、自然法則と社会集団としての正義の関連に気がついた。そういうことを過去に言ってた人がいないかなあと思い巡らせて、歴史の教科書に出てくるケネーのことを思い出したという順序だ。そういや、フィジオクラシーについて、そういう説明があったよなあと。

たとえば、「事物の固有の運動として、ケネーが他の論考で挙げる例は、自然界の天体の運行、物体の衝突の法則すなわちケネーの理解した限りでの運動量保存則、七大要素が司る生物の仕組みなどがある。それらが、それぞれ自然な運動によって秩序を形成するように、行政もまた同様な自然運動に任せればよいだろう。ここでのケネーの確信を支えているのは、自然界の秩序と同じ秩序が社会にも存在するという前提である。」(解釈理論からみたケネーの政治経済思想, 1990, 森岡邦康)のような説明を読むと、フィジオクラシーの発想が、自然法則の中の社会法則という捉え方をしているのがわかる。そこを単純なアナロジーでもって説明することの危険性や誤りは古くから指摘されてきたし、また失敗の実例も多い。しかし、人間が生物であるという事実、生物の生存は物理化学的な存在に還元されるという現代科学の立場からは、少なくともその集団である人間社会のいくらかの原理は導かれ得るのではなかろうか。啓蒙思想の時代の科学の理解から現代の科学の理解は相当に変化している。その変化に立って、改めてそういうふうに考えてみたらどうなのだろうか。

 

ここから先の考察は、まだまだ材料が足りてないので、もしもちゃんと勉強できたなら、もう少し先に書くことになると思う。ただ、ひとついえることは、社会にとって仮に「正義」が存在するとしても、それは結局は個人一人ひとりの正義を束縛するものにはなり得ないということだ。個人の存在は社会を基盤としている以上、社会に束縛されるけれど、それでも個人は究極的には自由である。だから、個人の正義は、その人が自分自身で設定して構わない。人間はそのぐらいに自由である。たとえその自由がその人を孤独な場所に連れて行こうとも。

解釈すること

「一を聞いて十を知る」という言葉がある。利発さを表す言葉であり、私の兄などはよくそんなふうに褒められていた。子どもの頃のことだ。私の方はといえば「あんたは何遍言ってもわからん」と呆れられる方で、利発さとは程遠かったのだが、だが、そこは遺伝、同じような性質は備えていたように思う。

どういうことか。「一を聞いて十を知る」というのは、つまり、一の情報から正確に事象を解釈し、十に至る未知の事象を正確に予測することだ。つまり、そこにはかならず解釈がともなう。事象を解釈するというのは、つまりそこに何らかの法則性を認め、その法則性に基づいて「一」の事象が説明できることを把握することだ。法則性がわかるから、それを「二」以下の事象に当てはめることができ、そして法則の理解が正しければそれが正しい結果を示すことになる。優等生であった兄はそういう「正しい解釈」をきっちりと自分のものにしていた。一方の私は、割と短絡的に「あ、そういうことだからこうなるんだ」と表面的な関連だけを見て、理解した気になる。事象を解釈するプロセスは同じなのだけれど、そこが甘いから、誤った法則性を見つけてしまう。さらにわるいのは、そういったショートカットに自己満足してしまう。結果、「何遍言ってもわからない」と、「一を聞いて十を知る」から遠く離れた評価を受けることになってしまうわけだ。

なぜ遺伝と思うかといえば、年老いた母親を見ていて、そういう誤った解釈が頻発するのを感じているからだ。それも加齢のせいというよりは「そういえば、この人は昔っからそうだったよなあ」という思いを新たにする。振り返って、自分の中にもそういうのがあることに気がつく。ああ、親子は似るもんだなあと思う。DNAとか環境要因とかそういった科学的な話は抜きにして、「遺伝だよなあ」と思う。

具体的なエピソードでいこう。2週間ほど前、母親はメガネを失くした。昔っからモノを失くすのは得意技で、そのことはまあ、「らしい」といえばそれまでだ。どうせどこかから出てくるだろうと大きく構えていたのだが、1週間が過ぎてもどこにも見当たらない。突拍子もないところ(たとえば生ゴミの中だとか畳まれた洗濯物の間とか)から出てくるのはふつうなので、まあそういうことなんだろうと思っていたが、しかし、メガネがないのは不自由する。いや、実際のところ、そこまで読書家でもないし米寿にもなって事務仕事もないもんだから、実務的にはたいして不自由しない。ただ、認知症で忘れっぽい人がメガネを失くすとどうなるか。
「あれ? メガネしてくるの忘れた」
「メガネは失くしたやんか」
「そうやったね。さがそうか」
となって、探索が始まる。いや、同じ探索はもうここまで何十回もやっている。たまたま失くした前日には兄夫妻が来ていて記念写真を撮っているから、まずはiPhoneからその写真を探し出す。写真を撮ったことはちゃんと覚えているのだ。そして、そこでメガネをかけていることを確認して、「このあとは出かけてないから、絶対に家の中にあるはずやね」と、どこまでもまっとうな推論を働かせる。そこから家の中をさがし始めるわけだが、上述のように、この携帯の写真を確認するからのサイクル、1日に何回も繰り返しているわけだ。それをやったことを忘れているから、何度も同じことをする。これは見ていて痛々しいだけでなく、ウロウロするだけで一日が終わることになって、実害があると言ってもいいだろう。

それを防ぐためには、事態を一歩前に進めるしかない。そのために、先週、眼鏡屋に行った。「もうちょっと探せばきっと出てくるから」と、たぶんそこは正しいことを言う母親を「いや、これはマジナイの一種やで。だいたいが、探しものなんてのは諦めたときに出てくるって、歌にもあるやろ。諦めたことをはっきり宣言するために、メガネを買うんやで。たぶん、買ったとたんに出てくるから」と、わけのわからない説得をして、眼鏡屋にひっぱっていった。それでも渋る母親を、「予備やんか。いつものが出てきても、今回みたいにちょっと失くなることはこれから先もあるやろ。そのときに予備があったら便利やん」と、無茶苦茶な理屈で説得し、店員の加勢も得て、ようやくのことで1つ、老眼鏡を注文した。明日には仕上がる予定だから、明後日に取りに行くことになっている。

前置きが長くなったが、ここからが本題だ。一昨日のこと、いつものように母親を訪問すると、メガネを前に、暗い顔をしている。
「あの眼鏡屋には騙された。あんな店はあかん」
と、ぷりぷりと怒っている。わけがわからない。そこでいろいろ事情を尋ねてみると、下記のような流れだったと判明した。
「メガネがないので不自由する」
    ↓
「古い眼鏡をさがして出してくる」
    ↓
「眼鏡が合わない」
    ↓
「眼鏡屋に行ったことを思い出す」
    ↓
「この合わない眼鏡は眼鏡屋で買ったものだと誤認する」
    ↓
「あの眼鏡屋はあかん!」

つまり、すべてを忘れるのではなく、またすべてに無能なのでもない。不自由だという現状認識はできる。それに対応しようとして知恵を絞り、使っていない古い眼鏡があることを思い出すのも堅実だ。古いメガネが合わないのは、加齢によって視力が変わってるんだから、もうどうしようもない現実だ。そして、消失することが多い新たな記憶である先週の眼鏡屋訪問も、ここではしっかり覚えている。つまり、ここまでの経過におかしなことはひとつもない。高齢者にしては上出来だろう。ただ、そこで、目の前にある事実、「ここにあるメガネは度が合っていない」と「先週眼鏡屋に行った」を独自に解釈する。そして、「メガネが合わないのは、眼鏡屋の責任だ」という結論に達する。「一」の事実から、誤った結論が導かれてしまう。そして、「あの眼鏡屋はあかんからイオンの眼鏡屋に連れてってくれ」という見当はずれの要望が出てくる。いや、先週注文したメガネ、まだ工場やから。

 

限定された情報から誤った解釈をするというのは、実に母親らしい。今回は加齢によって記憶力が落ちているから、その誤った道筋がこちらから見てよくわかった。だが、思い起こしてみれば、若いころから彼女はそういうことをずっとやってきていた。そのたびに「いったいこのひとは何をやってくれるんや!」と腹を立てていたのだけれど、こうやって改めて振り返ってみると、実はそれは利発さと紙一重の、「限られた情報から世界を解釈する」というプロセスが発動していただけなのだなあということがわかる。

たとえば、母はいつも、私が絶対に着たくない服ばかり買ってくるひとだった。それは、私が着ている服を見ての行動なのだ。私は、嫌いな服から優先して着る。嫌なものはさっさと着潰してしまいたいからだ。けれど、母は、「ああ、この子はこの服ばっかり着るから好きなんやな」と解釈して、同じような服を買ってくる。勘弁してくれよと思うのだけれど、やがてそういう服ばかりになると、もうそういう系統を着るしかなくなってしまう。

ある意味、母は非常に気のつくひとであるわけなのだ。ごく些細な情報にも敏感に反応して、それを手持ちの他の情報と組み合わせる。そして解釈をし、そこに法則性を見出す。残念なのは、その法則性が往々にして誤っていることだ。誤っていても、本人の中では辻褄が合っている。辻褄が合っているから、世界に対して、自信満々でいられる。そういう自信が、幸福な人生をつくりあげてきたのだろうと思う。

 

振り返ってみると、私も中学生ぐらいの頃にはそんな自信を感じることもあった。世界のすべてが自分が学校で学んだ法則性に当てはめて理解できるような気がしていた。全能感といってもいい。やがて学ぶほどに自分が知らない世界が無限に広がっていることを知るようになり、不安がそれにとってかわった。だが、何かを勉強すると、「お、これであれも、これも、うまく説明できるじゃないか」と思ってしまうクセは、いまだに抜けない。そしてその瞬間だけは、あの中学生の頃の全能感を一瞬だけ思い出す。もちろん現実世界はそんなたやすいものではない。やっぱりそれでは説明できないこともいくらでもあって、振り出しに戻る。「世界には知らないことばっかりだなあ」と、すぐにいつもの無力感の基底状態に落ち込んでいく。それでもやっぱり、新たな情報がやってくると、それをなんとかして解釈しようとする。

もしも中学生の頃の自分にタイムマシンかなんかで出会うことができたら、「おまえはなんでもわかってると思ってるようやけど、それはたとえていえば座標上の2点を知っていてその間を直線でつないですべての値がわかると思いこんでいるようなもんなんやで。実際には2点の間はグニャグニャの曲線かもしれないし、折れ線でつながってるかもしれないし、なんならつながりが切れてるかもしれない。そういことも思わずに定規で一本の線を引いて得意になるんちゃうで」と警告するだろう。だが、まったく同じことが、おそらくいまの自分にもいえる。何かを見つけたような気になって、得意げにブログなんか書くけれど、たぶん、もっとわかっているところから見たら、ぜんぜん、ここもあそこも抜けている穴だらけのお話にちがいあるまい。

けれど、それがわかっていても、どうしようもない。もっと高いところから見たら、私なんて、無限に失くしたメガネを探し続ける存在でしかないんだろう。けれど、それが無意味だとは、少なくとも私自身のレベルからでは思えない。せんもなく同じことを繰り返すだけでも、そうやってしか進めない存在もある。ちなみにメガネは、母親の家庭菜園から見つかった。なんでピーマンの枝に引っかかっていたのか、永遠の謎だ。

息子が不登校になったときの思い出

学校は行っといたほうがいい。これはもう大前提だ。その上で、実際には学校なんてそこまでのもんでもない。だから、命がけで行くようなもんじゃない。しんどかったら行かなければいい。新学期のこの時期、こどもの自殺が有意に増える。死ぬくらいなら休めばいいし、何なら不登校になったっていい。私の息子は中1の夏休み明けに不登校になった。それでもおかげさまで二十歳になったいまも元気に生きている。

ただし、彼は絶賛無職アルバイト中で、世間的にいう安定した人生への道からは大きく外れている。たぶん、外れっぱなしのままでいくんだろう。だから、一般には学校に行っといたほうがいいのはまちがいない。命、とまでは言わなくとも、健康(心の健康も含め)に大きく被害が出ない範囲であれば、まあガマンして行っといたほうがいい。

もちろん、いったん路線を外れても復帰する道はある。実際、私がこれまで教えた生徒でも、半年不登校やってましたとか1年不登校やってましたとかいう事情で家庭教師を選んだケースはけっこうある。不登校真っ最中の生徒だっていた。ただ、彼らのほとんどは中3生で、高校受験をしっかり乗り越えて高校から普通の人生に復帰していった。そういう道筋もある。

息子の場合は、フリースクールの2年半ですっかり独自路線に突き進んでしまったから、いまさら戻ることもできず、高校もかなり特殊なところに進んでどんどんと落ちこぼれのエリートコースを歩むことになった。まあ、そこは結果論だ。それなりに楽しい人生であるようだから、そこはよしとしよう。人生、楽しいのがいちばんだという価値観だって、あってかまわない。とりあえず今日書きたいのは、息子が不登校になった顛末だ。特に書き立てるようなケースでもないから、単なる思い出話と思ってほしい。

 

中1の夏休み、息子はひたすらダラダラと過ごした。基本的に体力のないやつだし、小学校の高学年頃から朝が起きられなくなっていたから、寝ている時間が長い。まあどうやって過ごそうが本人の好きにすればいいし、中学校に入って選んだ吹奏楽部で楽しくやっていたから、その反動で疲労も溜まっていただろう。長い人生、ダラダラ過ごす夏があってもいい。というか、中1の夏休み以外のどこにそんな機会があるんだ?

ただ、夏休みの宿題だけは、もう早いうちから「やっておけよ」と口うるさく言ってきた。夏休みの宿題なんて、特に中学1年生の夏休みの宿題なんて、その後の成長に対してはほとんどどうでもいい程度の意味しかない。あんなもの、やってもやらなくても、学校の学習内容の理解にはほとんど影響しない。ただし、やらなかったら相当に面倒なトラブルになる。それは経験則的にわかっていた。だから、単純にトラブルを避けるために、夏休みの宿題はやっておかねばならない。それも、ギリギリでとりかかったら地獄を見るだけなんで、早い段階からやっておくべきだ。これはもう家庭教師という商売上、絶対に忘れてはならない基本中の基本だ。

だから、息子には「宿題やったか」を連日のように言った。ただし、そこで商売として、家庭教師として言うのとは違った難しさがある。なぜなら、私自身が小学校から高校までの12年間を通してほぼ宿題の提出がゼロだったという実績があるからだ。それは、息子もちゃんと知っている。なので、その私が単純に「宿題をやれ」というのは説得力がない。

なので、そこはていねいに歴史の流れから説明せねばならなかった。私が子どもの頃は1学級45人、1学年10クラスというようなマンモス校が普通にあって、教師の目が行き届かなかった。また、学校もそこまで教師に管理を求めていなかった。だから、夏休みの宿題をやっていかなくても、体育祭が終わる頃にはだいたいウヤムヤにできた。けれど、その後の教育に対する社会の考え方の変化やら「学力」に対する考え方の変化の中で、クラスの人数は減り、小学校では副担任制がとられるようになり、教員には生徒に対する「サポート」が求められるようになった。その「サポート」は、現実には管理主義と結びついている。だから、自分一人が他の生徒と違ったことをして通すことが難しくなっている。宿題に対する考え方も変わってきている。だいたいがいまの教員は、ほぼ全員が宿題を当たり前だと捉えるような学校を通過してきているから、そこに疑いをもつなんてことはしない。彼らにとって宿題をしないことは犯罪行為に等しく映るはずだ。そういうところで、宿題をしないというのは本当にヤバい。ヤバいことになりたくなければ、とにかく形だけで構わんから宿題をしてくれと、そういう順序で説得するしかなかった。だが、そういう論理で中学生を説得するのは無理がある。

ふつうなら、説得しなくったってやるんだろう。なんで息子にそれができないのか。理屈ではわからないが、感覚的にはものすごくわかる。私の息子なんだ。私自身、「なんでおまえは宿題をやらないんだ」と言われたら、答えられなかっただろう。けれど、できないものはできない。やろうとしても、できないものはできないのだ。自分自身の身体性として、宿題はできなかった。理屈では説明できない。だから、息子が宿題をできないのも、理屈では理解できないけれど、私にはわかってしまう。これは厄介だ。

結局のところ、夏休みが終わる日になっても、宿題はできていなかった。それでも息子は私よりは遥かに上等の人間だ。なんとか間に合わせようと最後の数日は頑張っていた。いくつかの教科は提出できる状態になっていたと思う。ただ、完璧ではなかった。完璧には程遠かった。

そして、新学期が始まった。近頃の夏休みは、短いことが多い。9月1日を待たず、8月の最終週にはもう登校ということになる。そして、そこが宿題の提出期限だ。息子は宿題を提出できなかった。そして放課後に居残りさせられ、担任に一対一で説教された(ということは、彼以外の生徒は全員宿題が提出できたのだろう。家庭教師として生徒を教えている感覚からいえば、それはいかにもありそうなことだ。いまの生徒は信じられないほど真面目に事を運ぶ)。その説教の中で、息子は担任から部活の禁止を申し渡された。宿題の耳を揃えて提出するまで、部活に行ってはならない。それが担任が彼に与えた処罰だった。

息子は激怒した(メロスではない)。帰宅して、「もう学校をやめる」と宣言した。いや、キミの言うことは筋が通らない、キミは吹奏楽の部活に行きたいんやろ、学校をやめたら部活に行かれへんようになるやんか、と、私は筋道立てて説得したのだが、「けど、どっちみち部活がでけへんのやったら同じことやん。禁止やって言われたんやから」と反論する。いや、宿題だしたら済む話やんかと思うのだけれど、それがどれほど難しいか、私はよく知っている。遅れてでも出せるぐらいなら、私だって中学時代、宿題を出していただろう。できないものはできない。ヘンな性格を遺伝させてしまったよと思うが、ここは張本人として同情するしかない。

いずれにせよ、私は仕事に出なければならない。家庭教師という仕事、生徒が在宅している時間帯が仕事時間帯だ。息子が帰宅しているということは、私の仕事時間帯だということを意味する。しかたないので、別居している妻にメッセージを送って、あとを任せた。とはいえ、どうしたらいいのか、私にもさっぱりわからない。押し付けられた彼女もかわいそうだ。

ところが、彼女は実に息子のことをよく知っていた。「あんた、それやったらフリースクールに行き。調べたあるから、いまから連絡するわ」と、早手回しに段取りをつけたのだ。なんでも、「あの中学じゃ長くはもたないと思ってた」らしい。母親の勘はおそろしい。

そして翌日、息子は学校を休み、午後から母親とフリースクールの見学に行った。そして、そこが気に入ってしまった。私としても、これ以上、学校とトラブルを続けるよりは、とりあえず緊急避難したほうがよかろうと思った。だが、緊急避難が平穏に進むだろうか。私は担任の顔を思い浮かべた。体育の教師で、熱血漢だ。これはちょっとヤバい。まあフリースクールにまで押しかけて修羅場を演じることはなかろう。だが、生憎なことにフリースクールはまだ夏休み中で、「1週間後に来てください」と言われている。その間は自宅待機だ。そこを平穏に放置してくれるだろうか。面倒が降り掛かってくるのが目に見えるようだった。

そこで私は、北海道に住む兄に電話をした。「ちょっと亡命者を預かってくれんか」。こういうときに兄弟は話が早い。二つ返事でOKがくると、私は翌朝、息子を車に乗せて敦賀港に向かった。そこからフェリーに乗せてしまえば、もう追っ手はかからない。「水を渡れば追手をまける」と、トム・ソーヤだったかどこかに書いてなかったか。

そして翌日、私は学校に電話して、担任との面談を取り付けた。穏便に事を済ますには、なによりも情報の共有だ。予想通り、担任は息子と話をするのが先だ、連れてこいという感じの対応だったが、残念ながら彼はもう亡命している。向こうもある意味プロだから、生徒に罪悪感を抱かせてコントロールする技術にはたけているだろう。そういう対応に引っかかるような息子じゃないから、それが状況を悪化させるのは目に見えている。なので、同席させずに担任と私で交渉したかった。だが担任からは、「ルールを守るのがだいじです」みたいな頭の硬い繰り言しか聞けなかったので、「こりゃだめだ」と思った。息子は単純に吹奏楽部に参加したいだけなのに、宿題を盾にとってそれを阻む。宿題提出以外の条件で部活への参加を認められないのかと思ったが、交渉の糸口はつかめない。これでは学校に戻れそうにない。北海道に亡命中に学校が考えを変えてくれればという望みは消えた。

ということで、彼は晴れて不登校生となったわけだ。単純に宿題が提出できずに部活を禁止されたというだけの事情だから、身体的な理由(主に起立性調節障害)や人間関係(主にいじめ)などによって不登校になった他のフリースクールの生徒とはちがって、皆勤賞がもらえるくらいに熱心にフリースクールに通った。いわばフリースクールの優等生になってしまったから、そこから抜けることもできず、結局は、「落ちこぼれのエリートコース」に進むことになってしまったわけだ。

 

何のオチもない思い出話だった。その後のこともいろいろあるのだけれど、とりあえずこのぐらいにしておこう。さ、仕事、仕事。

書くだけなら、犯罪の手口を書いても罪には問えない(ふつうは)

死んだ祖母が私が子どものころに「世のなかに覚えておいてわるいことは何もないよ」と言っていたのを、いまでもその口調とともに思い出す。「泥棒だけは覚えたらあかん」とも言っていたのだが、この「泥棒を覚える」は知識の類ではなく、慣用表現で「悪事を習慣化する」という意味だから、祖母の意図としては「知識に関しては制限を設けるな」ということだったのだと思う。というのも、この話をしてくれた時期、私は将来のビジョンも何もなく、ただ手当り次第に本に読みふけっていた。昭和の私小説からコンクリートの打設方法まで、古代史からソビエト製の通俗科学書まで、ノージャンルで目につくものを片っ端から読んでいた。そして不安になった。いったい自分は何をやってんだろうと思った。そういうときに、そんな私の内心の焦りを的確に見抜いて「泥棒のほかは覚えてわるいことなんて何もないよ」と言ってくれた祖母の言葉は、私の心に深く刺さった。

実際のところ、この時期の乱読が実用的に後の役に立ったことはほぼない。系統立たない知識は何の力にもならないし、だいたいがほとんどのことは忘れてしまう。それでも1冊の本からは相応のことを学べるし、学んだことは目に見えない形で自分自身をつくっていく。だから、スポーツ選手がオフシーズンに走り込みや筋トレをするような意味で、若い頃の読書は重要なのだと思う。そして、そこに制限をかけないこともまた、意味あることなのだと思う。

 

そういうことを前提にして、情報を供給する側に制限がかけられるべきであるのかどうかということが議論の対象になるだろう。結論はもう出ていて、制限は基本的には一切かけられるべきではない。それは憲法にも書き込まれた言論の自由だ。およそ、人間の思念の中で生まれた情報は、それを公表すること自体には一切制限をかけられてはならない。ただし、だからといって何を言ってもいいということにはならない。他者に損害を与える言説は、言論の自由とは別次元で処罰の対象になる。名誉毀損著作権の侵害に特に注意すべきだということは、近頃の学校の教科書にも書いてあったりする。プライバシーの権利や肖像権なんていうのにも、もちろん配慮が必要だ。性的表現を含む著作物に関しては、かつてはそれが「公序良俗」を乱すものとして言論の自由とは別な立場から制限を加えられるべきという論が強かったが、近年ではそれが他者の尊厳を侵すもの、加害性があるものという観点から制限が加えられるべきという論に変わってきているように思う。ともかくも、大前提は「言論の自由」であり、それが他の人権を侵害する際にそちら側から制限が加えられるという大枠は、現在の法体系ができてから変化していないと言っていいだろう。

なんでこんな話をするかというと、こちらの話題に関して、「それは〈書いたこと〉が処罰対象になってはいかんよな」と思ったからだ。

newsdig.tbs.co.jp

恋愛感情を利用し男性から現金をだまし取る “パパ活の詐欺マニュアル”を作成・販売か 25歳女を逮捕 1万円から3万円程度で販売 | TBS NEWS DIG

いや、逮捕されたことそのものは、あり得るなと思う。今後裁判でどうなるかはわからないけれど、犯罪性はあると思う。ただ、その「マニュアル」を書いたことそのものは、公表の手段さえまちがえなければ、「言論の自由」で十分に保護されたのではないかと思うわけだ。

これに関して思い出したのは、「腹腹時計」と「完全自殺マニュアル」だ。かつて編集の端くれで飯を食っていたとはいえそれは業界のいちばん端っこの学習参考書業界だったから、実は編集者にとっては基本の基本であるこれらの書籍の経緯については私はよく知らない。ただ、「腹腹時計」に関しては、こちらを見る限り、出版そのものに関しては(それが地下出版であったこともあって)ほぼ争われず、基本的には爆破の実行犯かどうかということが争われている。むしろ、被告側が出版を「幇助」であると主張していることのほうが奇異にうつるぐらいで、「爆破物の製作が可能になる文書を作成・配布した」ことが犯罪行為かどうかが争われた様子はない。また、「完全自殺マニュアル」は「それが自殺志願者の実行を容易にする」と批判を浴びながらも、出版そのものが司法の問題になったことはない。

つまり、犯罪や自殺のような社会的に問題のある行為の具体的な実行方法を記載した文書・図画を出版することそのものには、犯罪性はないというのがどうもここまでの流れのようなのだ。そりゃそうだろう。爆薬をつくる方法は化学の教科書に書いてあるし(高校化学程度だとちょっとしんどいが、大学の教科書は容易に入手できる)、人間がどうやったら死ぬのかも医学の教科書をみれば理解できる。そしてこれらの学問にかかわる書物を禁止したり検閲したりするわけにはいかない。いや、学問は特別でしょうと線を引くことも危険だし、合理的ではない。すべての知は等しく価値があるものであって、そこに何らかの基準を設けることは人間の活動を歪めてしまう。それに、たとえばシリンダー錠の破り方を書いた本のように明らかに犯罪者に有用な情報を与えるような書物であったとしても、それは同時に防御する方にも情報を与えるのであって、広く周知するだけの意味はある。どのみち犯罪者は何らかの方法でその情報を入手しているのだ。だったら広く公知にしておくほうがいい。特に近年のインターネットを巡る犯罪に関しては、こういう考え方が納得できるのではないだろうか。

 

というふうに論を進めてくると、「パパ活で高齢男性を騙す方法」にしたところで、それを書き、公表することそのものを犯罪行為にはできないし、また、犯罪とすべきではないという考えに至る。だが、もちろん私は上述のように、今回はつかまった側がマズいことをやったなと思う。もちろん、主な容疑である詐欺に関しては、これは疑う余地もなく犯罪だ。だが、「マニュアル」を書いて公表する行為に関しても、たしかにそれが「幇助」であると言われても反論しづらいところがある。それは、情報の非対称性だ。

どういうことかというと、このケースでは、情報を1〜3万円で販売していたというところだ。販売形態がマズい。なぜかといえば、それだけの投資をして情報を買おうというのは、よっぽどの物好き以外は明らかにその投資をそこに書かれてある情報で取り返そうと考える人物であるからだ。つまり、詐欺を実行することを考えている人物だ。そういう人物に具体的な実行方法を指示する文書を渡したら、それは幇助と言われても文句はいえないだろう。

もしも、この価格がもっと安く、300円とか、せめて1000円だったらどうだろう。それは単純に興味から買う人にも手が出る価格帯であり、そうなると幇助という性格は薄れる。もしもひとこと、「これを真似してはいけませんよ」みたいなお座なりなことわり書きでも入れておいたら、それはもう、幇助での立件は不可能になるだろう。場合によっては、「こうやって詐欺の手口を広めることで被害を未然に防ぐのに貢献しています」と強弁することだってできる。クリアファイルに入れるとかじゃなく、書店に並ぶような本になっていれば、もう絶対に司法は文句はいえない。まあ、出版社が噛むとなったら、そこはちゃんと編集が手を入れて訴えられないような辻褄を合わせるだろうしね。

結局は、加害側と被害側に情報の非対称性が生じることが問題なんだと思う。その非対称性は、究極には価格設定だ。加害側は3万円を高いと思わないが、潜在的な被害の予防のために3万円を払う人はいない。結局のところ、情報は加害側だけに回る。価格設定は、販売側の意図を雄弁に物語る。そこがおそらく、裁判では争点になるのではないだろうか。

 

この件、「情報商材屋がつかまった」みたいによろこぶのは早とちりだろう。情報商材は、それ自体が詐欺だ。今回の情報は、情報そのものは正しかった。ただし、その正しい情報通りにやれば詐欺になる。それは、本来は情報を受け取って詐欺を実行した者の罪であって、情報を提供した側の罪ではない。しかし、今回は、情報の提供がその実行を促すような設定になっていた。それがマズかったのだ。変なところで欲をかいてはいけない。

テレビを見ないとどうなるか? - 特に大きな影響はないかな?

私はテレビを見ない子どもだった。私の息子もそうだ。単に特殊な事例ではあるのだけれど、2例そろってるから、報告の資格はあるのではなかろうか。テレビを見なかったからといって、それで子どもが不幸になるわけではない。逆に優秀になるわけでもない。すこし変わった人生にはなるかもしれないが、たいしたことではない。

正確にいえば、私も息子も、まったくテレビを見なかったわけではない。私は小学3年生までは、当時の標準でふつうにテレビを見ていた。当時の標準というのも定めにくいのだが、1960年代に白黒テレビの普及が一段落し、カラーテレビがぼちぼちと普及をはじめた頃だ。番組でいえば鉄腕アトムウルトラマンが終わり、ウルトラセブンが終わって、タイガーマスクの放送が始まった頃だ。私はこういった番組をそれなりにしっかり見ていた。「それなりに」というのは、現代のようにスケジュール管理がしっかりしている時代じゃないし録画機能もないから、見逃し回はけっこうあった。そういう時代ならではの再放送もけっこうあったが、同じ回を2回見ることのほうが多く、うまい具合にそれで見逃し回が埋まるようなことはあまりなかったような気がする。

子ども向け番組以外については、クレイジーキャッツゲバゲバ90分とかドリフターズの8時だよ全員集合なんかは、子ども心にはおもしろいと思ったが、親がいまいち好きではなく、野球が始まるとすぐにチャンネル変更された。たぶん上方の笑いとツボがちがいすぎたんだろう。子どもとしては野球なんか興味がないから、いくらテレビがついていてもそれを見ることはない。結局、テレビを見るのは夕方のお子様アワーの1時間ぐらいというのがふつうだったように思う。それはどこの家庭でもそんなものだったのではなかろうか。

それが急変したのは、忘れもしないタイガーマスクの放送が始まってしばらくしてのことだった。小学4年生の初夏だったと思うから、まだ放送開始からいくらもたっていないころだろう。タイガーマスクの裏番組が何だったのかもう覚えていないが、とにかく私はタイガーマスクをひどく楽しみにしていた。ところが1歳上の兄が、別の番組を見たがった。その結果、兄弟喧嘩が始まり、茶の間はプロレスリングの様相を呈した。そこで母親がブチ切れた。
「あんたら、二人とも、以後、テレビは一切禁止!」
これは絶対だった。私も兄も、これを単なる脅しだと受け取ったのだが、翌日になっても翌々日になっても禁止は解けなかった。翌週のタイガーマスクを見ることができず、さらに翌々週とテレビがつけられない日が続いて、ついに私も兄も諦めた。母は本気だ。以後、私の生活からテレビは失われた。そこから現在に至るまで、テレビを習慣的に見る生活はついに私に戻ることはなかった。

 

それでなにか不都合があったか? なかった。よく「学校でテレビの話題についていけないでしょう」と言われるのだが、これは案外とそうでもなかった。いくつか要因があるだろうが、ひとつには私の中にそれまでの蓄積があったからだ。やがてウルトラマンが帰ってきて、タロウが出てきたりしたのだが、私はそれらの新しいウルトラマンシリーズを「幼稚だ」「お子様向けだ」と批判することができた。社会派のウルトラマン、メカが超絶素晴らしいウルトラセブンを踏まえれば、その批判もあながち(当時としては)的を外したものではなかっただろう。いや、新しいウルトラマンシリーズがそういう方向に進んでいることはどうやって知ったのだと思うかもしれないが、当時の小学生向け雑誌にはそういう情報はちゃんと載っていた。情報チャネルはテレビだけではない。また、私がもともと「変わった子」で通っていて、子どもたちの大きな輪の中にはもともと入っていなかったことも影響している。そんな私にも庇護するような兄貴肌の友人やなんでも許してくれる長い付き合いの友人はいた。そういう友達は、私がテレビを見ないのを知っていたから、最新の番組がどうなっているかを事細かに説明してくれた。テレビを見ていないからこそ、テレビの話題を真剣に聞くことができたわけだ。そして、テレビを見る機会は絶無というわけでもなく、親戚の家に行ったときとか友達の家にいる間に、チラチラと見ることはできた。ただ、番組ひとつをまるまる見ることはめったになかったと思う。私は奇妙な性格で、「せっかく友達が(あるいは従兄弟が)いるのにテレビなんか見ていられない」みたいな感覚をもっていた。近くにいる他者の存在に落ち着かないところは、いかにもスペクトラムな個性だ。なので、テレビは断片から情報を吸収するものとして私の中で位置づけられることになった。おもしろいことに、だからこそ断片的な場面が印象的で、番組全体は知らないのに、その場面についてやたらと語ることができたりもした。それも、テレビの話題で困らなかったひとつの要因だろう。

 

さて、息子の方だが、彼は最初からテレビに関しては疎遠な環境に育った。私は上記のようにテレビと無縁の人生を歩んでいたし、妻も常習的にテレビを見るひとではなかったからだ。妻の場合は、テレビを見ないというよりも、「バラエティなんか見るよりは自分の好みの映画をレンタルで見たい、好きなゲームをしていたい」という選好の結果としてテレビを習慣的に見なくてもOKになったという方がいいだろう。だから、私が日常的にテレビをつけないのに対して別段、おかしいとも思わなかったようだ。結果として、新婚家庭は「テレビは特別に見たい番組があるときだけつけるもの」というスタイルになった。息子はそこに生まれたわけで、「常にテレビがついている」家庭とはスタート時点でちがっていた。

ただ、彼も小さなうちは人並みにテレビは見ていた。それは放送を見ていたのではなく、録画の再生を見ていたわけだ。親としてもべつに自分たちが見るわけでもないバラエティやドラマを子どものために見せる理由はないわけで、といっていつでも小さなお子様向けの番組をやっているわけもないから、いきおいレンタルビデオ屋でアンパンマンやらディズニーやらジブリやらを借りてきて見せることになる。テレビの放映時間に自分たちの生活リズムを合わせる必要がないので、NHKのお子様向け番組でさえ、借りてきたビデオで見せることになる。だから息子はほとんどの子ども向け番組をリアルタイムでは見ていなかった。

小学校に入ったあたりからだろうか、いくつかの番組については、リアルタイムで見るようになった。それは学校に通う生活がどこの家庭にも同じような生活パターンを強いるからかもしれない。夕方に帰宅して、友達と遊び、夕食になってホッとする時間帯に小学生向けの番組が用意されている。子どもは早い時刻に寝床に追いやられるから、それまでの自由時間にテレビ視聴というのは、多くの家庭のパターンなのだろう。いくつかのアニメやドキュメンタリー番組が1週間の繰り返しのリズムに組み込まれ、息子はごくあたりまえのテレビ環境に育つことになった。もしもちがいがあるとすれば、親が大人向けのテレビ番組を見ないので、そういうものを目にすることがなかったことぐらいだろう。だが、いずれにせよ、小学校低学年の子どもはそういうものに興味を示さない。

その彼の平穏なテレビ生活に転機が訪れたのは、奇しくもやはり小学4年生のときだ。このとき、(まだあんまりシラフで語りたくはないのだけれど)夫婦間のなんやかやがあって、妻が出ていくことになった。私は単身、息子の面倒を見ることになったわけだけれど、たいした収入があるわけでなく、ほんと、カツカツで精一杯の毎日だった。出費は1円でも抑えたい。そんなときに、テレビの受信料が払えるか、という問題が発生する。ちょっと話題が逸れるのだが、テレビの受信料は奇妙な建付けになっていて、受信料は世帯単位で発生する。私はもともと独身時代にテレビを持っていなかったから、堂々と受信料は免れてきた。一方の妻は、独身時代もテレビを持ち続けてきている。結婚後、私は妻に寄生する形でテレビの視聴の権利をもっていたことになるが、妻が出ていくと、その権利も失うことになる。新たに受信料契約をするかどうかということになるわけだ。この金のないときに?

ということで、私はテレビの視聴の権利を失った。権利がないのだからと、インターネット越しのテレビ回線の契約を解除した(この地域では、その契約がないと番組受信ができない)。以後、テレビ受像機はあるけれど、それは受信不可能の単なる大画面モニタに成り下がった。NHKが来ても、「これは受像機の設置に当たらない」ことは確認済みだ。こうして日々の生活に苦しい中での余分な出費は免れたわけだが、迷惑を被ったのは小学4年生の息子だ。それまで楽しみにしていたテレビ番組を見れなくなった。

もちろん、事前に彼とも話していた。「テレビは映らなくなるけれど、キミが望むだけのビデオを借りてやる。それでええな」と。彼はこの交換条件に納得した。リアルタイムでなくても見ることができるのは幼児期に経験済みだし、それで何の問題もないと思ったわけだろう。

実際に彼がどうこの事態を受け止めたのかは、本人でないからわからない。けれど、いまの子どもは、テレビだけが話題の中心ではない。むしろ、ゲームだ。そして、ゲームに関しては、彼はWiiの利用券を持っていた。また、途中からはマイクラ使いになった。これらには当初は制限がかかっていたが、いつの間にかそれを破ってしまっていた。PCやスマホはそれぞれ他の多くの子どもよりははやい時期から(こちらの都合で)使うようになっていたし、そういう意味では「情報が遅い」ということで他の子どもたちに取り残されることもなかったのではなかろうか。

ただ、バラエティを見ないことで、最新流行のギャグやら流行のJ−Popなんかには疎くなる。だが、これに関しては、もう小学校低学年のあいだから、彼には落語という確固とした趣味があり、ビートルズというアイドルが存在した。落語のおかげで彼は常に自分自身がクラスの「おもしろいやつ」であり、ビートルズや(小学生時代にずっと在籍した)合唱団のおかげで音楽的にも充足していた。だから、最新流行に振り回されずにそれなりのプレゼンスを保つことができたのではないかと思う。

息子のテレビなし生活は、高校生のときに寮に入ることで終わりを迎えた。寮の食堂にはテレビがあって、夜の一時、寮生たちがそこで団欒する。忙しい学校だったのでダラダラ長時間見ていた様子はないが、そこで世間に追いついたのではなかろうか。そのあたりからこっちは、もう親の知らない世界だ。

 

テレビを見ないことで、いくらかの時間が生まれる。私も息子も、その時間を読書に当てた。私の場合はその読書はその後も長く私を支えてくれてきたが、息子はどうなのだろう。近頃はほとんど読んでいない様子だ。ただ、ネットの情報に触れるときに、それを批判的に取り込んでいく姿には、やっぱり読書で培われた素養が効いているのかなという気がする。だが、そこまでテレビ断ちの影響だと言ったら言いすぎかもしれない。結論としては、テレビを見ても見なくても、子どもの成長にはたいした影響はないのだということだ。少なくとも、この2つの事例からは、そういえるような気がする。

 

思った以上にまとまらなかった。ただ、雑多な思い出として、ここに残しておこう。

己を知るということ - 自己認識と思い込みのはざまで

「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」は孫子の兵法以来、経験則としてあらゆる勝負事の基本とされてきた。敵(彼)を知ることは、困難ではあっても、一定の限界内では客観的に判断可能だ。これは通俗ビジネス書などではたとえば顧客情報や市場分析のような文脈で語られる。それらの情報は必要な程度には入手可能だし、あるいは入手できないときにはその不可能性自体が判断上の有力な情報となる。「役員構成もわからないような会社は怪しい」みたいなふうにね。その一方で、己を知ることは難しい。もちろん、表面的な情報であれば敵よりも自分のほうがよくわかる。ところが、それがどのくらいの価値があるのか、みたいなことになると、案外に頼りにならない。「このぐらいの実力はあるだろう」と踏んでいたものが、実際にはまったく役立たず、みたいなことはふつうに起こる。だから私も、家庭教師として生徒に説教するときには、「己を知る」ことの重要性をことさらに強調する。
「何がわかってて何がわかってないのかがわかったら半分勝ちや。そこをぐちゃぐちゃにしてなんぼドリルを解いたところで意味はない。まず、どこを攻めればええのかを考えることからスタートや」
みたいなことも言うし、あるいは
「集中力がないとかいうのは弱点の分析として弱い。なんで気が散るのかをもっとよく考えてみぃや。物事には原因があるんや。原因を潰さんことにはどうしようもないで」
みたいなことも言うことがある。自分自身がどこで困っているのか、自分自身の問題の根っこはどこにあるのかを、しっかり意識できている生徒は多くない。

「だから生徒に任せたらあかんのや」とか「教師がひっぱってやらないかん」みたいなふうには、しかしながら思わない。意識がそこに向いていないだけで、実際には本人でなければわからないことは多い。そういった情報を全体の中に位置づけ、正しく解釈することさえできれば、生徒本人は本人の状況に関するもっとも優れた専門家になり得る。家庭教師はそれを助けるのが仕事だ。

「ある人の状況に関するもっとも優れた専門家はその当人である」という考え方に初めて触れたのは看護学関連の本を翻訳していた15年ほど前のことだ。医療の現場をわれわれシロウトがみると看護師はまるで医師の手伝いをする存在であるかのような誤解をしてしまうのだが、実際には医学と看護学は出発点になる思想が大きくちがう。いずれも自然科学を基礎としているという点では同じなのだけれど、医学が人間の健康を客観的に捉えようとするのに対し、看護学では患者の主観もあわせて重視する。これは医療が「cure=治療」を目的とするのに対して看護は「care=ケア」を目的とするからだと説明される。たしかに患者は健康を損なっているからこそ問題を抱えているわけで、医療によって健康を回復すれば問題は解決するだろう。けれど、その問題は客観的な病変によってのみ存在するのではなく、患者の主観的な痛みであるとか違和感であるとかの不調の感覚によっても存在する。極端な場合、医師が「検査の結果は全てOKですね。あなたは健康です」と宣言しても、患者の主観では「そうはいっても現に痛いんだから」みたいなことだってあり得る。ふつうに、ある。そして、患者が不調を訴える限り、それは看護の対象になる。つまり、主観を無視して看護学は成り立たない。そして、医学的な観点からの客観情報がそれを完全に捉えられない以上、患者本人が自分自身の健康に関する「もっとも優れた専門家」になり得るわけである。

ただし、これは患者が主観で主張することをすべてそのまま受け入れろということではない。患者の主観は、患者にとっての事実であり、まずはそれが出発点になる。主観的事実を事実として受け入れるためには、いったん患者の主観を枠組みとして採用しなければならない。しかし、その枠組みのなかで看護師は患者の提示した事実に対して専門家として合理的、批判的な考察を進めなければならない。枠組みは患者の提示したものであっても、そのなかで看護師としての専門性を発揮する。このように患者だけでなく看護師が共同して問題にとりくむことで、問題の解決への道筋ができる。互いの知見を尊重するそういった作業を通じることによってはじめて患者は自らについての「専門家」になり得るわけだ。

同様の主張、「当事者こそがもっとも重要な専門家である」という考え方は、社会学の方でも重視されるようになっている。昨年、翻訳に携わった貧困に関する書籍では、貧困研究、貧困政策に当事者の「声」を反映させることの重要性が繰り返し説かれていた。これは貧困が本質的に差別問題であるとの理解に立脚している。差別問題で生じるもっとも大きな被害は当事者の痛みである。これは看護学の扱う問題が患者の苦痛であるのとある意味で共通している。だから、当事者の主観から問題の枠組みを立てなければならないという共通の発想につながる。だがここでも、当事者の主張のすべてがそのまま受け入れられるべきかといえば、それはそうではない。専門家は、別な立場からの専門家との共同作業によって、はじめてその専門性を力に変えることができる。したがって、現場で支援に当たる人々や研究者、政策立案者なども当然のように専門家として問題の解決に参加しなければならない。そんななかでなぜ当事者が「もっとも重要な専門家」として扱われねばならないかといえば、それは過去に、むしろその存在をほとんど無視されてきたからだといえるだろう。

 

とまあ、なんでこんなことを書き始めたかというと、なんのことはない、年老いた母親の愚痴を書きたいだけのことだったりする。ここしばらくこのブログで何度も書いてきているのだけれど、私の父親が死んでから、母は単身の生活を続けている。徐々に体力が落ち、短期記憶ももたなくなって、一般的な診断基準では認知症と判定されるのは確実な程度にボケてきている。まあ、年齢相応ということだろう*1。それでも、「ああ言えばこう言う」能力に関しては、さすが歴戦の大阪のオバハンだけあって、いっこうに衰えていない。かなわない。

以前にも書いたように、母はおよそ1年前に短期間の入院をした。それは床から立ち上がるのに困難をきたすほどに体力が急激に低下したからだ。あわてて医者に連れて行って、結局は投薬ミスによる高カルシウム血症であることが判明して入院となった。そういうわけなのだが、その状況の母の主観的解釈が、腹立たしいことこの上ない。退院したときからの主張は一貫していて、

  • なぜ自分が入院したのか、まったく理解できない。自分はずっと健康だった。
  • 退院後、歩行が困難でリハビリ的な運動をしなければならなかったことは事実だ。だが、その原因は入院させられてベッドの上で動けなかったことだ。

となっている。これは退院直後から、1年たったいまでも変わらない。もちろん、事実はそうではない。現に入院前、床の上で這いつくばって1時間前から立てずにいる母を発見したことも事実だし、靴下を履こうとして30分間も苦闘しているとか、椅子から立つのに手を貸してほしいと頼まれたことだとか、危なかった状況の事例には事欠かない。そういった事実を列挙して(そのたびに母は「おぼえてない」というのだけれど)、歩けなくなったのは入院したせいではなく、歩けなくなったから入院したのだということを説明する。そしてそのたびに、「へえ、そうやったん」と、一応の納得は得るのだ。

腹立たしいのはそこからだ、なにせ短期記憶がもたない。したがって、そうやって事実に納得したことをすぐに忘れる。だいたいが、1年前に入院したことも、ふだん自分から思い出すこともない。なにかの話のついでに「年とってるんやから気をつけないかんで。油断したらまた去年みたいに入院することになるで」みたいなことを言うたびに、「私、入院したっけ」から始まり、そして、「そういえばそんなこともあったね」から、上記の「自分は理由もなく入院させられて、その結果として歩けなくなった」という主張を繰り返すことになる。いや、そうじゃないんだという話をまた繰り返さねばならなくなる。

それにはもう慣れた。問題は、2週間ほど前に遡る。定例の主治医への通院で、主治医がやはり年に1回は行う血液検査の結果を見て、「どうも膵臓にトラブルがあるような気がする。CT撮りましょ」と言った。そしてスキャンの結果、「ウチのCTだとよくわからないけど、膵臓と十二指腸をつないでる主膵管が圧迫されてる可能性がある。癌かもしれない。いっぺん専門病院に行って検査してもらい」と言った。あーあ、癌かよ、と私は思った。低空飛行なりにせっかく安定してきた母の毎日が、これでダメになるかもと、がっかりした。ま、癌じゃない可能性もある。なんにせよ、検査しなきゃわからない。大病院への紹介状をもらって、2週間後に予約を入れてもらった。もしも癌だとしても年齢が年齢だけに摘出手術はなかろう。にしても、何らかの入院は避けられないかもしれない。一連の説明は母もしっかりと聞き、医師の説明もそれなりにちゃんと理解して、精密検査に向かうことも了解した。

それが数日たったときから、「なんで病院に行かないといけないのか、わからない。やめとこか」みたいなことを言うようになった。「私、どこも痛くないし、困ったことはなにもない。物忘れがひどいことぐらいやけど、その検査とちがうやろ。痛くもないのに医者に行くのはおかしい」と主張するわけだ。いや、痛くなってからでは遅い。主膵管が閉塞したら、腹痛どころでは済まなくなる。そうなる前に手を打たなければいけないのだと主張するのだが、「でも、私の体は私がいちばんよく知ってる。咳が出るから肺のことだというんならわかるけど、お腹に関しては調子ええよ」と、譲らない。いや、自覚症状が出る前、検査で怪しいとなったときに対処したほうがずっと軽くてすむんだと医学的には順当なことで説得しても、あまり納得した様子はない。納得しないまでも不承不承にそうなのか程度の反応は示してくれるのだが、やがてそれも忘れて、「病院の予約、キャンセルしょうか」と言ってくる。これには参った。

何度かそういうやり取りが繰り返され、そして、昨日、ようやくその専門病院に行った。場合によっては検査入院を申し渡されるかと思ったのだけれど、その場ですぐに造影CT検査ができることになり、あちこちと連れ回され、待たされた挙げ句に、それでもありがたいことに、即日、診断が出た。癌はない。その他、炎症などの特別な異常はない。確かに血液検査の特定の値は異常値を示しているのだけれど、その原因として憂慮すべきような大きな異常は見つからない。だから、以後もモニタを続ける程度でよかろう、とのこと。つまりは無罪放免だ。これ以上に喜ばしい結果はない、シロ。

 

息子として、結果に対しては心から嬉しい。それはまちがいない。だが、腹が立つのはそれを受けての母の反応だ。
「1日ひっぱりまわされてたいへんやったけど、これで安心できたんやから、ほんまにうれしいわ」
という私の言葉に対し、
「安心したやろね。自分の体やないからわかれへんかったやろからねえ」
と、母は私のために、喜んだのだ。いや、そうちゃうやろ!

つまり、母の感覚としては、自分の体に異常がないことは、最初からちゃんとわかっていた。なぜなら自分のことは自分がいちばんよく知っているからだ。けれど、息子が検査の数値を見て心配している。だったらがんばって検査も受けてあげましょう。その結果、自分が健康なことが証明されて、息子は安心した。息子を安心させることができて、自分は嬉しい、ということなのだ。

ええい、自分が健康だったことが嬉しくないんかい! こっちとしてはそう思う。だが、母にとってはそれはいまさら証明するまでもない自明のことであり、専門病院に来たのも息子を納得させられなかったからで、可愛い息子のわがままに付き合ってやったぐらいの感覚なのだ。なんともはや。

 

看護学にせよ、社会学にせよ、当事者の主観が重要であるという主張には、たしかに説得力がある。「自身に関するもっとも優れた専門家」というとらえ方で開けてくる地平もあるだろう。それはそれ、これはこれ。母の「自分のことは自分がいちばんよく知っている」という感覚は、客観性をまったく欠いた独善にすぎない。ただ、悔しいのは、その独善で突っ走ってきて、ここまでどうにか生き延びてこれたことだ。勝てば官軍、生き残ったものがチャンピオンだ。ああ、生存者バイアスを否定することは、論理にはできないのだなあ…

*1:ただ、「年齢相応」は、一概にはいえない。数日前に母と同じ年齢で20年前とまったく記憶力、判断力などに衰えを見せない方に再会した。嬉しい驚きだったが、そういうこともあるから、何が「年齢相応」なのかはほんとうにわからない。