少し、中学受験指導の要領がつかめてきた

中学受験に関してはこのブログでも再々書いているのだけれど、ぶっちゃけていえば、私自身は中学受験指導の経験がそれほど豊富とはいえない。家庭教師業、いちばんお客さんが多いのは高校受験だし、中学受験は手数ばかりかかる。高校受験のノウハウは割と確立しているので、こっちもそれを繰り返すほうが楽だ。なので、訪問指導で仕事をしていた頃には小学生が来たら、何かと口実をつけて他の講師に早い段階で交代するように心がけていた。主にスケジューリングの都合を優先すれば、それほど角もたたずに交代できる。まあ、なかには「この生徒は大学受験まで付き合いたい」と思わせてくれる生徒もいたが、それも事情で途中交代した。なので、自分の担当で合否が出るところまで教えたのは5年か6年前に本番直前の数ヶ月だけを教えた1件があるきりだった。

それがオンライン指導専任になってから、急に中学受験生が増えた。増えたといっても年に2、3人だけれど、それでも小学校4年生ぐらいからの長期プロジェクトだから、体感としてはもっと多くの小学生を指導しているように思える。あと、もうひとつオンラインになってからの変化として、以前は主力だった地元の公立中学から高校進学を目指す生徒がほとんどいなくなり、中高一貫校の生徒が増えたことがある。これは、中学受験生が合格後にどんな教育を受け、一般の公立中高生とどんなふうに違った学習をしていくのかを知ることにつながった。そういう意味で、中学受験を立体的に捉えることができるようになってきた。

そこで、まだまだ専門家とまでは言えないのだけれど、中学受験の指導で得た知見を少しまとめておこうと思う。ちなみに、別の記事でも書いたけれど、私は家庭教師の会社に所属して業務にあたっている。なので、会社特有のノウハウや会社独自の業務内容に関しては守秘義務がある。そういう部分は書かないし、それに関連する部分はぼかしたりフェイクを入れるかもしれない。そういう意味では、これはネットによくある怪しげな情報のひとつでしかない。

プレーヤーには案外と素人が多い

正確にいえば、中学受験生の指導は、私がオンライン専任になった3年前のさらに少し前から徐々に増えてはいた。その中でも、小学4年生から3年間つきあってもらった生徒が、私にとって初めて「最初から最後まで」を見届けた生徒になった。彼の受験はオンラインになってから受け持った他の2人の生徒と同じ時期、2年前の春になった。そして、そのときの中学受験組は、3人が全員志望校不合格という惨めな結果になった。

私も素人だったよなあと思う。わずか3年前のことではあるけれど、後悔は多い。そういうときに限って、「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」という言葉をご家庭からいただくことになる。結局、こっちがうまく進められずに苦しんでバタバタやっているのが伝わってしまうから、「先生は一生懸命」という感想が生まれるのだ。そう言われるうちはまだまだ素人だ。そして、私以上に素人なのが、生徒が通っていた塾だった。

その3年教えた生徒、私が担当したときには既に学習塾に通っていた。京阪神で中学受験といったら2番目くらいに名前があがる大手学習塾だ。そこの宿題についていけなくなって家庭教師にお呼びがかかったというのがだいたいの経緯だったように思う。そういう需要はけっこう多い。だからこそ、こちらも塾の手の内はだいたいわかる。そして、実は大手学習塾が、こっちに劣らず素人であることがわかる。

そりゃ、企業全体が素人であるわけはない。以前にも書いたけれど中学受験には「伝統的にそうなっている」以上の根拠がまったくない不文律が数多く存在していて、それに精通しているのは昔っからその業界にいる宗匠たちだけだ。大手塾ならそういう人材はかかえているだろうし、講師の中にはベテランだっているだろう。けれど、そういうトップクラスのスタッフは、トップクラスの生徒の組にだけ配属される。これは学習塾のビジネスモデルを見れば明らかだ。彼らは精鋭がどれだけ難関校に合格したかだけを見ている。それが新たな客を呼び寄せる最強の広告材料になるからだ。中から下の生徒は、単純に金づるでしかない。よって、そこには人件費の高いベテラン講師は配属しない。まして、個別教室の講師とか、月謝をいくら払っているかを考えたら安い時給のアルバイト以外は配属できないことが明らかなはずだ。別に私は安いアルバイトの講師を批判したいわけではない。私だって最低時給と大差ない安い講師でしかない。彼らだって、一生懸命にやる。その姿は「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」につながる。ちょうど3年前の私のように。

いや、3年前の私でさえ、塾のやり方には相当に腹がたった。「こいつら、頭悪いんちゃうか」ぐらいには思った。なぜなら、そこに戦略性が全く感じられなかったからだ。一般に、中学受験対策には時間がかかる。出題される問題が多様で複雑で、その全てに対応しようと思ったらひとつひとつマスターするのに十分な時間をかけねばならず、十分な時間は前倒しで稼ぐしかないからだ。だから、学習塾では各種問題を3年生、4年生のうちから割り振って仕上げていく。もちろんそのカリキュラムに難易度の工夫や積み上げの順序、関連性の工夫がないわけではない。うまくその流れに乗っけられたら、確かにかなりの難関校にでも対応できるだろう。

だが、中学受験はそうそう筋書き通りにいくものではない。たいていの生徒がどこかで行き詰まる。伸び悩む。割合がどうしても飲み込めないとか、比の基本操作はできるのに応用問題が全くだめとか、ふつうに発生する。そういうときには、早い時期に見切りをつけて、次の段階に進むほうが効率がいい。そして、重要なことは、ほとんどの学校で、合格ラインは100点満点換算の平均で60点から70点の間にあるという事実だ。もっと低い場合もある。つまり、中学受験では、決して満点を狙いにいく必要はない。捨て問題をつくってもかまわない。30点は最初から取りにいかなくてもいい。実際にはミスもあるからそこまで捨ててはまずいのだけれど、だからといって保険をかけるつもりで全部に対応しようとするとかえってしくじる。やってみればわかるのだけれど、「とれる問題を確実にミスなくとる」練習と、「どんな問題にでもそこそこ対応できて一部分でも点数がとれるようにする」練習と、どっちが楽かといえば前者なのだ。そして、どっちが点数が高いかといえばやはり前者だ。つまり、絞り込むことで労力はかなり削減できる。

小学生に特殊なことをやらそうというのであれば、その生徒に合わせた戦略を立ていかなければならない。「ここはさっさと見切りをつけて、別な方面にリソースを振り向けよう」みたいな判断は臨機応変にやっていかなければならない。そのうえで、目先の都合だけでそういう判断をするのではなく、受験までの長い道のりの中でどの時期にどこを補強するのかの見通しをつけて、「いまやらなかったことはどの時期にどんなふうに組み込むか」という修正を加えていかなければならない。いまやっていることが先のどのあたりにどう影響してくるのかを予想し、必要十分な指導をしなければならない。

学習塾で呆れるのは、そういった戦略性が全く感じられないことだった。そりゃ、教室で集団授業をするなら、そんな対応は不可能かもしれない。けれど、個別指導でも同じことなのだ。塾のカリキュラムに沿ったテキストの消化が最優先され、「それ以前にこのあたりは大丈夫なの?」みたいなことは完全に抜ける。そして、習ったことを大量に反復させることで作業手順を覚え込ませたところでテストをして、「合格です」と次に進む。いや、作業はすぐ忘れるだろ、その作業の意味をわかってないだろと、傍からは思うのだが、どんどんカリキュラムは進んでいく。無理もない。そうすることを業務としてあてがわれたアルバイト講師に、それ以上を求めるのが筋違いなのだ。

そこを補うのが家庭教師でしょうといわれたら、私はうなだれるしかない。それはこっちはこっちでいろいろと考えて実行しようとする。けれど、時間のほとんどすべてを塾に奪われて、その上、「塾の宿題でわからないところを教える」ことが最優先で期待されている状況で、どうやって塾の機先を制して戦略を立てられるだろう。すべて後手後手に回って、気がついたら、ありとあらゆる入試問題を練習してきながら、どの問題も満足に解けないというわけのわからない状況に陥っていた。彼の名誉のためにいっておくと、彼は非常に頭の回転の早い生徒で、ユーモアに溢れ、素直であり、どこといって非の打ち所のない小学生だった。結局、彼は素人である塾講師と、やはり素人に毛の生えた程度の家庭教師の間で混乱してしまい、合格を勝ち取れなかったのだと思う。本当に申し訳ないことをしたと思うが、この程度のプレーヤーが跋扈しているのが受験業界の実態だということは、まちがいない。

それでも、「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」になるのが、本当に闇が深い。実際、私もずいぶん悩んだし、伝え聞いたところでは個別教室の講師も相当に力を入れてくれていたらしい。けど、だから褒められるってわけはない。頑張ったって結果が出せなけりゃプロじゃないんだよなあ。

焦ったところで結果は出ない

私はもともと(高校受験組の指導経験なんかも含めて)塾のやり方には疑問をもっていたのだけれど(ちなみに、会社の講師ミーティングでは元塾講師なんかからの情報もけっこう入る)、上記の生徒のフォローで印象は相当に悪化していた。そんな(ちょうどオンラインに移行した直後)の3年ほど前、小学6年生を担当した。6月頃だったかと思う。本番まで半年ちょっとだ。やはり塾に行っている。

塾に振り回されるのは懲り懲りだったので、「基本的なところは塾に任せましょう。プラスアルファの部分で合格の力になります」みたいな話で始めた。とりあえず志望校の過去問題を解いてもらったらかなり高度な文章題に手こずっていたので、「じゃあ、こういう系統の速さと比の混合問題みたいなのをうまく解けるようにすれば、似たようなのが毎年出るから、15点ほど積み増せるはず。それで自分の役目は十分でしょう」と割り切って指導に入ることにした。頭のいい生徒なので、中学の代数的な発想まで踏み込んで、塾とは全く無関係な練習を2ヶ月ほど続けた。ほかを一切無視してあと2ヶ月も続けたら、いい感じに仕上がるような気がしていた。

ところがそこで、実は春からずっと彼女が塾を休んでいることが判明した。ちょうどコロナ騒ぎが始まった時期で、学校も休みになり、多くの生徒が日常のリズムを崩していた時期だ。塾もオンライン指導になって、サボろうと思えばいくらでもサボれる。いや、サボろうと思わなくてもサボってしまうような流れができていた時期だ。私は慌てた。対策は塾に任せて自分は楽なポジションをとろうと思っていたのに、肝心の塾が機能していなかったのだから。

ここで、ご家庭と懇談をもった。なにせ大きな方針転換になる。塾の授業も受けず、教材もほとんど手を付けていない状況で、ようやく受けた模試の判定も低い。ここは志望校の変更か、むしろ撤退のほうがいいかもしれない。なにせここは首都圏ではない。地元の公立中学校に行ったって、そこから公立高校の上位校に進めば名門大学への合格もふつうに用意されたコースだ。下手な私立に進むよりも、オーソドックスに「できる生徒」である彼女の場合は、そっちのほうがいいのではないかと思った。ご家庭の方も概ねそう感じていたようなのだが、やはり本人の決断が大事と、最終判断は生徒本人に求めた。彼女の答えは、「がんばる」だった。

ここでストップをかけるのが自分の役割だったはずだと、いまになれば思う。不完全燃焼のまま挑戦を諦めさせて傷を負わせてはいけないと思った、といえば綺麗事だ。だが、受験に失敗して受ける傷だって小さくはない。春から塾を休んでいることにその予兆をもっとしっかりと感じ取るべきだったのだろう。「生徒の意思」といったって、頭のいい生徒ほど、親や教師の顔色に敏感に反応するのだ。どこまで「がんばる」が主体的なのかは怪しい。けれど私は他人任せにしてしまった。責任逃れに過ぎない。「本人がやるといったんだから」と、担うべき力のない人に責任を担わせてしまったのだと思う。そして、私はこの一連の流れの中で、ひたすら焦った。ただただ焦った。「ヤバい」と思った。なにしろ、受験は点取りゲームだ。どこで点を取りに行くか、いまから見取り図を描き、そしてそれに間に合わせるだけの力をつけていかなければならない。いろいろ言い訳もあるのだけれど、結局、私は授業コマ数の押し売りみたいなことをしてしまった。そして生徒にプレッシャーのかかるスケジュールを組んだ。結果として、何も得るものはなかった。合格はできなかった。もちろん、力のある生徒だから、滑り止めで受験した学校には合格した。けれど、それが何の慰めになるだろうか。彼女を大きく傷つけてしまったことには、後悔しかない。

生徒は、どこまでいっても結局はひとりの小学生に過ぎない。こちらが焦ってどうあがいたところで、年齢相応の成長しかできない。もちろん、この時期の成長はときにこちらが驚くほどの変化になって現れる。あとの方で述べるが、こちらも、それを期待して策を練ることもできる。ただ、そういった変化は、猛特訓であるとか、一時の頑張りであるとか、そんなものからは決して得られない。もっと緩やかに、気長に仕組んでいくものだ。「あれも足りない、ここもやってない」と焦ってたくさんのことをやろうとしたあの半年足らずの間に、私は彼女に何も与えられなかったのだと思う。「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」は、何の意味もない言葉だ。成果は、余裕をもって戦略を立てていくことでのみ得られる。じたばた焦ることに意味はないことを、この失敗から私は学んだ。高い代償を支払って。

生徒を過信してはいけない

3年前に担当したもうひとりの中学受験生は、100%のオンライン指導になった(ちなみに前項の生徒は、訪問可能な距離の生徒だったので、訪問指導を織り交ぜていた。最初の生徒は訪問だ)。この生徒は男子には珍しく大人びた感じで、周囲からは超然として趣味にのめり込むタイプの小学6年生だった。塾が合わないからやめたということで、既に受験に必要な一通りの学習は済ませている。算数の問題をやらせてみるとひととおりできるので、安心した。これが間違いだった。

小学生は忘れる。不可避的に忘れる。これは何も、批難すべきことではない。なぜなら、小学生が「わかった!」と思った理解なんて、しょせんは表層的なものに過ぎないからだ。だから、いったんわかったことを忘れ、また学び直す。学び直すときに、理解は一歩深まる。そうやっておいて、また忘れる。また学び直して、だんだんと本質に近づいていく。

塾のカリキュラムが現実的ではない理由の一つは、ここにある。たとえば鶴亀算について、その基本的な解法を学ぶ際には、かなり突っ込んだところまでテキストは詳しい。5年生(あるいは4年生)でそれを学ぶときに、そこまで突っ込む必要があるだろうか。たとえば、当てずっぽうでやってみて、そこから量を1変えてみたらたまたまうまくいった。そういう体験だけでも最初のうちはいいのではないだろうか。だって、どうせ忘れる。それでも、「こんな感じの問題は、なんかごちゃごちゃやってたら解けたなあ」という感覚は残る。その感覚を大切にして、忘れた頃に再度学び直せばいい。すると、今度は「1だけ変えてみたら」という操作の中に存在する規則性に気づくだろう。そんなふうに、忘れることを利用して、うまい具合に理解を深めていけばいい*1

けれど、やるとなったら完璧なところまで、塾はやる。少なくとも操作として、作業として完璧にこなせるところまで反復する。問題を与えられたらきれいに模範解答通りの答えがかけるようなところまで練習させる。その解法をみていても、理解の深さなんて、こっちにはわからない。だから、外見上、問題を鮮やかに解くことができていれば、「あ、わかってるんだな」と思う。そして、そこは片付きと思って棚に上げる。

けれど、それは塾でやった直後だから解けただけだったのだ。「ここは大丈夫」と思ってほかをやっていたら、秋になって慌てた。え? もうあと3ヶ月しかないじゃないの、となって、改めて確認していったら、あちこち、ボロボロとわかっていないところが出てくる。本人はわかっているつもりでいるから、平気で見当違いな方向に突っ走っていく。基礎からやり直そうにも、どこまで理解していてどこからわかっていないのかが、なまじ手順だけ覚えているだけにこっちから見えにくい。結局は、反復して解けるようになるまで繰り返すという、最終手段に頼らざるを得ない。効率が悪いことおびただしい。

結局、この生徒も志望校には合格せず、滑り止めに受けていた学校に進むことになった。志望校の過去問とか、手応えはあったのだけれど、確実と思えるところまでは仕上げられなかった。生徒の見かけを信用してしまったのが失敗の始まりだったように、振り返って思う。そして、なまじに見かけをつくってしまう塾のやり方に、さらに不信感が増した一件でもあった。

小学生は親の影響を直接受ける

中学受験生を本格的に指導するようになった最初の年度の本番で3連敗の憂き目をみて、私は相当に落ち込んだ。これはやってられんわ、と思った。もちろん、試験なんて運が左右するものだ。それでも、運以外にコントロールできる部分はある。たとえば、倍率が1.1倍とか1.2倍くらいの入試なら、だいたいは風邪をひかないように、寝不足にならないように、お腹を冷やさないようにといった体調コントロールだけでほぼ確実に通ることができる。経験則的に、だいたい受験者の1割ぐらいは体調不良で実力が出せずに落ちるからだ。1.5倍くらいまでなら、やることをきっちりやっていればほぼ確実に合格できる。最初に風邪ひきさんが脱落したあとに落ちるのは、準備がまるでできていなかった生徒だからだ。だが、そのあたりを超えると、運の要素が入ってくる。避けられず、運に左右される。準備をきっちりやっても、運が悪ければ落ちる。どんなに優秀な生徒でも、たまたま出題された問題との相性が悪ければ落ちる。指導者の側にできることといえば、運にかかってくる部分の確率を上げることだけだ。ちょっとしたミスや勘違いだけで落ちるようなところから、それがあっても通るぐらいに正答率を上げることとか、そういう対応はできる。ただ、それは確率を上げているだけで、やっぱり運が悪ければ落ちる。

だから、たとえ3連敗でも「あれは運が悪かっただけだ」と自己弁護することはできる。けれど、それは薄っぺらい虚しさにしかならない。自分の手の内は自分がいちばんよく知っている。打った手がほとんど空回りしたのははっきりと自覚できた。「これは入試だけじゃなくて、その先、中学・高校に行ってから必ず役に立つ基礎です」と主張して実施した作文指導のような基礎トレーニングでさえ、本当に先に行って役立つものになったか疑問だった。ましてそれが入試の基礎として有効だったかどうかは、さらにさらに疑わしかった。

それでも新年度になれば生徒は入ってくる。ラッキーなことに、今度入ってきた生徒はほぼ完成品だった。既に塾でしっかりと入試準備をしてきている。塾の補強のつもりで梯子を外されるようなこともなければ、表面だけ繕った状態で全てを任されることもない。基本的には塾の指導だけで合格までいくんじゃないかと思った。塾の宿題で苦しんでいるわけでもない。特にわからないところがあって困っているわけでもない。

では、なぜそういう優秀な生徒が指導を求めてきたのか。それは、個人経営のその小規模な塾が、その生徒の志望校への対応に不足するのではないかと、ご家庭の方で感じたからだ。小規模な塾には地域性があるから、その地域の優秀な生徒はその地域の優秀な学校に集中する。なので、その塾では、その特定の学校に対する指導はきめ細やかだった。けれど、その地域外の学校を志望している生徒に対しては、どうしても指導が通りいっぺんになる。実際にそうなのかどうかは知らない。ご家庭はそういうふうに感じた。そこで家庭教師を依頼した。

これは気楽だった。たしかに、模試の判定評価はよくない。けれど、技能的にはほぼ問題ないレベルに鍛えられている。だとしたら、あとは志望校の過去問題を研究して、その類題を1種類ずつ潰していけばいい。幸いなことにこの学校は、過去問題が遡れる期間ずっと、同じ傾向の問題構成を続けている。そこから逸脱しないのだから、こんな取り組みやすい対策はない。実際、結論からいうなら、本番2ヶ月前ぐらいには、「これはどうみても合格でしょう」というところまで、難なく到達できた。

けれど、そこにいくまでの途中、けっこうなアップダウンがあった。模試の成績が下がったとか、志望校を変えようかとか、そういった悩みがよくご家庭から飛んできた。こっちからみたら、「なんでそこで悩むかよ」としか思えない。なぜなら、模試は別に特定の学校に合わせて設計されているわけではなく、標準的なものでしかない。試験対策は特定の学校に絞って行うのが効果的で、標準的な模試で一定水準を超えていたら、あとは個別の学校の出題パターン別達成度だけに照準を合わせればいい。そのためには志望校を決めるのが先であって、模試が悪いから志望校を変えるとかいったらまた一から仕切り直しで作業効率が下がるだけだ。正確には学校によってちがうのだけれど、過去問題が一貫した問題構成になっていて、合格基準点や平均点や倍率の統計がはっきりと出ている学校だと、ある水準からは模試の成績なんて気にする必要がなくなる。そういう仕組みだから安心するように伝えても、なかなか理解されない。

よく、入試は親子の二人三脚だといわれる。本来は当事者は子どもなのだけれど、どうしても親にも当事者感覚が生まれてしまう。そして、当事者には不安がつきまとう。この不安は、子どもにも影響を与える。それは直接には志望校の変更であったりするし、間接的には心理的影響であったりする。だから、この生徒の場合、生徒への指導そのものは割と楽だったのだけれど、ご家庭を落ち着けるための対応にけっこうなエネルギーをとられた。細かいことをいわなくても「任せてください!」と大口を叩ければ簡単なのだろうが、前年度3連敗の実績ではそうもいかない。ひとつひとつ根拠をもって安心させなければいけないので、それはそれなりにたいへんだった。

中学受験は「親子の受験」みたいにいわれるので、親が必要以上に気負ってしまう。この言葉は、そういう意味ではないのだ。この時期の子どもは、親のサポートがなければ中学受験のような一大イベントを乗り切れないことが多い*2。ただ、そのサポートは、たとえば美味しいものを食べさせてやるとか、夜、きちんと眠れるようにしてやるとか、日常のストレスを減らして、毎日を安心して過ごせるようにしてやるとか、そういった方面であるべきだと思う。つまり、子どもと同じ目線で当事者になってしまってはいけない。当事者はあくまで本人一人であり、それをどうやって支えるのかということにフォーカスしてもらうのがいちばんだ。アドバイスを書きながら、そんなことを私自身が学ばせてもらった。

志望校を絞ることの重要性

結局、この年度の中学受験は3人の生徒を送り出し、3戦全勝、パーフェクトで前年度の雪辱を果たしたのだけれど、考えてみればどの生徒も志望校1校しか受けなかった。多くの中学受験が滑り止めを含めた複数受験になることを思えば、これは珍しい。どの生徒も、ほぼ確実と言えるところまで仕上げて送り出すことができた。前項で書いた生徒だけは同じ学校の複数受験になったけれど、これは心配性のご家庭の性格から、まあ順当なところだろう。ちなみに、2日目の日程を他校にと相談を受けたのを私は押し留めている。どうせ通るのに、意味ないから。

あとの2人は、それぞれの事情で、進学先を絞っていた。1人はきょうだいが先に行っていてその校風に惚れたから、もう1人は近所にあって通いやすいからという明確な志望理由があった。どちらも偏差値的には高くない。中堅クラスの学校だ。過去問題の傾向も一貫しているし、倍率も1.5倍程度で高くない。風邪さえひかなければ、ふつうに準備すれば通る。気楽な立場だった。

もちろん、きちんとした準備は必要だ。そのためには生徒の現状を把握する。点数がどれだけ不足しているかを推定し、不足する点数はどの問題を取れば充足するかを判断する。あとはその問題が取れるように反復するだけだ。基礎がしっかり出来ていれば、それだけで済む。問題は基礎がしっかりできているかどうかだ。一方の生徒は十分だった。塾の経験はなく、完全に自学自習でそこまで仕上げていたのだから、いくら偏差値の高くない志望校相手とはいえ、先恐ろしい勉強家ともいえる。ただ、もちろんそれでは点数は不足する。そこが伝統芸能に落ち込んだ中学受験の怖いところだ。だから塾や家庭教師のような宗匠がそこで儲ける余地がある。そういうノウハウをもとに問題を絞り込んで少し練習したら、たちまち点数は十分になり、ついでに他の問題も練習させたら8割以上の正答を出すところまですぐに到達した。先方の都合で夏休みや冬休みの平日午前が指導の中心だったのだけれど、リモートワーカーらしいお父さんがいつも背後の台所でなにか美味しそうなものをつくっていた。ご家庭のサポートとしても、これがベストだろう。実に楽をさせてもらった。

もうひとりの生徒の方は、基礎がやや怪しいようだった。この生徒は、実は同じ会社の別の講師から引き継いだものだ。ぶっちゃけた話でいえば、その講師の指導がまずかった。あまり同僚の悪口は言いたくはないのだけれど、話を聞いてみても生徒のせいにばかりして、自分が何をやってるのかよくわかっちゃいない。戦略性がないのは、なにも学習塾ばかりではない。同業の家庭教師だって、合格への道程をきちんと設計せずにただ練習問題ばっかりやらせて「ダメだ、ダメだ」と焦るばかりの講師だっている。まあ、私自身が駆け出しの頃にはそうだったのだから、よくわかる。とにもかくにも、彼が手を付ける余裕がなかった国語、それと算数の文章題を片付けなければならない。そのためには、基礎的な国語力から積み上げないといけない。引き継いだ時点が残り4ヶ月だったから、これはかなりキツかった。けれど、やらせてみたら案ずるより産むが易し、どんどんと要領をつかんでいってくれた。これもまた、逆な意味で「生徒を信用してはいけない」事例かもしれない。見かけ上、この生徒は計算ミスはするわ、文章題の意味は取り違えるわ、国語の記述問題は白紙で残すわと、「できない生徒」の見本みたいなものだった。けれど、それは指導する側がきちんとした方向性を示さず、獲得目標も明確にせずに、ただただ正解だけを求めていたから起こった混乱だったようだ。踏み込んでいけば基礎はしっかりしているし、理解力もある。それが点数に結びついていかないちょっとした障害物をひとつひとつていねいに取り除いていけば、あっという間に合格点のレベルは超えた。最後はもう、やることもなくなって、保険をかける意味でしかない漢字練習や慣用句の暗記みたいなのをやらせてお茶を濁していた。

結局のところ、この年度の3連勝は、志望校がきっちり絞られていたことによることが大きい。いや、それは前年度の3連敗でも同じだったじゃないかといえなくはない。じゃあどこが違ったのかといえば、それ以外の要因だろう。先に書いたように、前年度は塾に振り回されて、大きな流れをコントロールできなかった。コロナの影響も大きかった。それに比べれば、この年はこちらで主導権を握って生徒の学習の流れをコントロールすることができた。指導内容にそれほど大きな変化はない。やっぱり作文のような基礎トレーニングも組み込んだ。前年度にはそれが単発で脈絡のないイベントに終わってしまったのに対し、この年は、それをひとつの流れのなかに組み込めた。たとえば、「作文をやったことで国語の記述問題が書けるようになり、そのことが算数の文章題の読み取りに好影響を与える」みたいな流れを意図的につくりだせた。

そして、そういったストーリーは、志望校がきちんと定まっていたからこそできたのだと思う。中学受験は長旅だ。長い旅にはいろんな思いがけない出来事があって、紆余曲折になる。けれど、やっぱり大きな見取り図と正確な地図があってこそ、そこを抜け出せる。目的地のない旅はどこにもたどり着かない。それを強く感じた年度だった。

小学生の成長は、あてにしていい

3連敗から3連勝へと目まぐるしい2年間を過ごしている時期に、私はその反省を直接に指導に還元していた。それは、3年前のオンライン指導をはじめた時期に小学4年生の生徒を預かったからだ。県庁所在地の地方都市の生徒で、その地域のナンバー2という感じの中高一貫校に進学させたい。ただし、スポーツをやっているので塾には行かせられない(両立ができない)。だから家庭教師という要望だった。私は緊張した。「チャンスだ」と思ったが、同時に怖かった。

散々、学習塾のやり方にケチをつけてきて、実際、この年には他の生徒で振り回されている。いや、実は最初に事例としてあげた生徒、塾を辞めて全面的に家庭教師に切り替えるという話もあったのだ。そのときに切り替えを促していればよかったのだが、私のスケジュールの都合が合わなかったために話が流れてしまった。もしも切り替えなら、週3回になるはずだった。けれどそんなふうに塾と同じだけの指導時間を確保しようと思ったら、家庭教師はバカ高いものについてしまう。それでは優位性を主張できない。そこを乗り越えないと、塾には勝てない。なので、週1回、多くても2回までの指導で成果を出せることを実証する必要がある。これはそのチャンスだ。だが、本当にできるのだろうか。ケチをつけてきたということは、「もっとこうやったほうが絶対にいいのに」という確信があるからだ。けれど、それはひとつのダメな方法に対する対案としてのみ存在する。まったくの白紙から、自分の手でロードマップを描いていくのは初めてと言っていい。失敗はできない。うまく進めなければならない。

戦略としては、大まかにこんなふうになる。4年生のあいだは、基礎づくりに徹する。発達段階に適合しない無理な先取り学習は一切しない。5年生になったら、通りいっぺんの中学受験の問題別パターンの学習をする。ただし、ここでは完成形まで追い込まない。そんな時間的な余裕はない。「ああ、こんな感じの問題もあるんだな。こんなふうにして解くことができるんだな」という感覚だけ、つかんでもらえればいい。そして6年になったら、志望校の問題パターン別の得点対策を行う。これが大方針だ。

学習塾のやり方と大きくちがうのは、問題パターン別の学習を4年生、6年生ではやらず、5年生に集中することだ。なぜそうするのか。その前に、もともと学習塾のカリキュラムがどんなふうにできているのかを分析したほうがはやい。彼らの使用する学年別テキストを見ると、小学5年、6年の学習事項にもとづいて、その応用としての受験問題が分別されている。これは、実際にそういう観点から問題が出題されるからだ。そしてその分別した問題を、基礎から順にスタートする年度から割り振っていき、ほぼ6年生の夏休みぐらいで終了するようにカリキュラムを組む。たとえば小学3年からスタートするのなら3年生から分数の計算とか三角形の面積計算とかを入れていく。そうやって一つ一つのパターンに時間をかけ、完成までもっていく。そうやっておいて、6年の夏休みの特講で総復習をやって一気に受験モードにもっていくような組み立てでテキストが構成されている。私がこの方法をとらないと決めたのは、2つの理由だ。まず、4年生には4年生なりの発達段階がある。上の学年の学習事項を、そりゃいろいろ工夫すれば押し込むことはできるけれど、無理をしてそれをやったところで残るものは少ない。これは、4年生から塾のフォローで教え続けた生徒を見ていてつくづく感じたことだ。彼は頭の回転がはやいから、塾で教え込まれた解法の手順はすぐに覚えて、塾のテストではそこそこの点数をとる。けれど、4年生のときに覚えたテクニックは、5年になると覚えていない。6年の受験前には、5年生でやったテクニックを忘れている。もちろんそれには塾の方でも厳しくチェックが入って追加の宿題が出るのだけれど、中途半端に発達段階が追いつかない時期に仕込まれてるものだから、根本の理解に至らないままに作業として終えてしまう。結局はいつまでも無意味な反復ばかりが続くことになる。これは受験生を消耗させる。なので、それを避けるためには、4年生には問題パターンとはまったく別な基礎づくりをしてやる必要がある。もう1つの理由は、6年の夏休みから受験モードでは遅いからだ。しかも、多くの学習塾は、そこから秋にかけての模試で志望校を最終決定させる。志望校の出題パターンに合わせた準備はもっと時間をかけてやったほうが効率的だ。そのためには、問題パターン別の学習は5年生のうちに終わらせなければ時間を確保できない。これが、学習塾型を採用しなかった根拠だ。

では、4年生のあいだは何をやったか。算数は、学校進度に合わせるか、ひとつ前の予習程度のことをやった。計算問題を何題かやってもらって、「よくできましたね」という感じだ。だからそれほど時間はかからない。もっぱら時間をかけたのは国語だ。

私は国語を語学だと捉えている。世の中にはそうではないと考える教師のほうが多いようなのだが、指導要領を虚心で読む限り、これは語学としての教育が期待されているのだとみたほうがいい。そして語学は、読む・書く・聞く・話すの4要素からできている。入試では聞くと話すの要素は重視されていないし、これは家庭教師という1対1の対面授業のなかで自然と培えるものでもある(実際、私の生徒は一般に面接ではまったく物怖じしない)。そこで「読む」と「書く」に特化して教えることになる。まず「書く」は作文だ。具体的な手法について書くと長くなるのでそれは別の機会ということにするが、とにかく書かせる。思考を文字化する練習をしっかり積ませる。「読む」方は一般的な国語の読解問題の教材を使うのだけれど、問題を解くのにフォーカスしない。まず音読してみせ、次に音読させ、語句について質問させ、質問する。そのうえで、設問の中から一つか2つ選んで「どう思いますか」みたいに尋ねる。正解とか不正解はいわない。その解答の根拠を質問し、答えさせる。別な答えの可能性を示し、その根拠を説明する。それを繰り返していく。

そんな授業を続けていると、生徒の中にあった「文章を読むことへの抵抗」がだんだんと小さくなっていくのが感じられる。そうなってから読解問題を宿題に出すと、何の苦もなく解いてくる。もちろんまだ正解が出ないことも多いが、全部根拠を説明させる。根拠がきちんとしていれば、正答例と同じでなくてもOKを出す。まだまだ入試じゃないんだから、点取りゲームに進ませるには早い。要は、問題文を踏まえて思考ができることをつかませていけばいいのだ。

こうやって、4年生の間には受験勉強っぽいものはほぼさせなかった。宿題の量も微々たるものだ。だから彼女は好きなスポーツに打ち込むことができた(6年生のときにはキャプテンにもなった)。お母さんは、「これであの学校に合格したら奇跡ですよって他のお母さんにいわれてます」と言っていたが、なに、奇跡は起こせばいいのだ。根拠のある奇跡は、やがて確立された技術になる。

5年生になると、受験用のテキストをもとに、算数のパターン別の指導に入る。植木算からのスタートだったと思う。ただ、このテキストをスタートしてすぐに、5年生用のこのテキスト(ちなみに多くの学習塾で採用しているものと同じ)、既に4年生で分数の計算を学習済みである前提だということがわかった。ま、そりゃそうでしょう。ということで、問題集を休んで分数計算の予習、百分率の予習、比の計算の予習なんかを一通りやった。実はこれを挟み込んだことで、想定してた予定日数をだいぶ食い込んでしまった。このあたりはまだまだ不慣れなところが出てしまった。最終的には5年生の3学期から指導回数を週1回から週2回に増やしてもらうことでつじつまを合わせたが、反省すべき失敗だったとは思う。その3学期からは算数のテキストは6年生用に進んだ。春休みで終わるつもりだったのが5月ぐらいまでかかってしまったのも、少しスケジュール管理が甘かったなあと思う。

6年生になると実際の過去問題を使って達成度を測定し、問題パターン別に追い込んでいく段階に入った。これがなかなかうまくいかない。正直、この段階では焦った。自分なりのやり方が間違っていたのかなとも疑った。やっぱり中途半端な仕上がりで置いておかずに完璧なところまで詰めていく学習塾式のやり方でないといけないんだろうかとも思った。算数、計算問題はいいとして、文章題でなかなか正解が出てこない。国語も選択肢問題はいいとして、記述が書けない。多くの中学受験生にみられる症状だ。これでは合格点に届かない。奇跡は起こらないのだろうか。ただ、こちらの焦りは見せないようにした。焦ってろくなことがないことは既に以前に経験済みだ。とにかくやりかけたことは最後までやるしかない。

光が見えたのは、秋も半ばを過ぎてからだった。文章題のうち、夏休みが終わった時点で解決できないものが4パターンぐらいあった*3。これは、捨て問題をつくった上でのことだから、全部点が取れるように仕上げたい。ところがそれがうまくいかない。焦っても仕方ないので、秋になってからそのうちの1つに絞って何度も何度も解説と試行と反復を繰り返してどうにか理解させようと頑張った。その甲斐あって、秋が深まる頃、ようやくそれが完璧に解けるようになった。そのときだ。なんと、残りの3つのパターン、自力で解けるようになったのだ。「え?」と思った。教えてないぞ!

だが、それこそが小学校4年から1つ1つの問題に時間をかけて積み上げてきた成果なのだ。パターン別で解法を覚えさせるのではなく、「どうやったら解けるのか」を考えさせ、「どんな工夫があるのか」を探るような教え方をしてきたつもりだ。だから、6年になって実戦問題にあたった当初は苦労した。解法を覚えていないのだからスムーズには解けない。けれど、ひとつなにか突破するコツをつかんだら、解法パターンとか無関係に、どんどんそれを応用していく力がついていた。解法は、魔法でもなんでもなく、論理的な帰結であるということが体感的に理解できていた。だから、考えて、考えて、正解を導き出せるようになった。

もともとそれを狙っていたはずなのだ。けれど、指導していて、成果が出ないと自分自身を疑うことになる。そんな理想論通りにいくもんかという気になる。いや、疑ってはならない。生徒の成長は信じていい。焦って芽を出させようと思って踏みにじったり傷めつけたりせず、がまんして時間の熟成を信じていれば、播いた種子は自分自身の力で芽を出してくれる。正しく仕組んだ筋書きは、余計なことをしなければ、かなりの確度で実現する。

それは国語の記述問題でも同じだった。4年生のときにあれほど作文をやったのだ。書けないはずはない。書けないはずはないのに書かないから点数が下がる。これも自分を疑う必要はなかった。なぜ記述問題が白紙のままなのかといえば、単純に、制限時間を気にして、「時間がかかるから」と敬遠していただけだった。そこを取りに行く必要性を説明し、そのうえで、記述問題ばかり反復して練習したら、すぐに十分な答案が書けるようになった。ちゃんと文の書き方を指導しておいた成果が、目の前でどんどん形になる。作文指導は4年生で終わっておいたけれど、その後の成長もはっきりと反映されている。これこそが求めていたものだった。

結論としては、中学受験のような長期プロジェクトは、プロジェクトの内部だけみていてはいけない、ということになるのだろうか。中身だけを見れば、「あれとこれとこれを覚えさせ、これとそれの技能を身につけさせ…」となる。それを割り振って、指導していこうと思う。けれど、実は生徒自身が2年とか3年の間に大きく成長する。その成長していく力は、あてにしていい。それは指導の外側にある。読書であったり友人との交流だったり、遊び、時にはゲームだったりする。家庭での日常も大切だ。そういった毎日の成長が健全に進むことが、指導計画の中に織り込めない爆発的な展開を生み出す。そして、そういった成長は、もちろん日常がうまく進むことが根本なのだが、こちらの方でも多少の仕掛けをつくっていってやることができる。4年生のときに国語に集中したこと、算数の宿題を基礎的なものに絞り込んで、考える余裕を奪わなかったことなんかは、そういった仕掛けとしてうまく機能したのではないかと思う。

秋口には「これはマズかった。合格は逃したかもしれない」と思っていたのに、受験1ヶ月前には「落ちるはずはないよね」と思えるところまで得点力がアップした。そして実際に、こともなげに合格した。ふつう以上に嬉しかったのは、ここにきてようやく、「最初から最後まで」をきっちりと、大きなストーリーに沿って育て上げた事例が一つできたからだった。もちろん、実際にはここに書かなかったいろいろな個別の事情もある。ただ、私はこれは再現性のある戦略だと思っている。

 

あとひとつ、事例はある。今年度の受験生は2人だった。もう1人のことは書いていない。彼女は5年生から、やっぱり上記の生徒と同じように長期計画でやってきた。その事例でも同様に、最後になって爆発的な成長が見られた。けれど、受験の状況がかなりちがうので、まとめて報告するにはちょっと無理があった。別個の事例として書きたい気はあるのだけれど、それはそれで長くなりすぎる。さらに、彼女に関しては、中学進学後も指導を続けることが決まっている。その指導の中でどう変化していくか、その変化の中に小学校5年生、6年生で仕込んでおいた仕掛けがどのように作用するのかなど、ここから先のほうが展開が面白そうな気もする。なので、別の話として準備していきたい。

なんにせよ、ようやく安定して中学受験に立ち向かうことができるようになってきた。手探り状態だった頃に迷惑をかけた生徒たちには、本当に申し訳ないことをした。けれど、彼らのおかげで、どうやら全体像が見えるようになった。中学受験はクソだ。だが、そのなかでも、それをうまく使って成長していける細い道筋がある。それを大切にしていきたい。

とはいいながら、実際にはここに書いたことを裏切るような事態が、ここから先も起こっていくんだろうと思う。そのぐらい、生徒は多様であり、状況も千差万別だ。いつまでたっても、「これでOK」という処方箋はない。だからこそ、まだこの仕事、やり続ける価値がある。定式化された仕事は、どんどん機械に取って代わられるのが産業化の時代の運命なのだから。え? AIは定式化されていない仕事でも……

*1:最終的にこれは関数の概念に発展させる。かつては代数的に解くのが主流だった鶴亀算だが、現代では関数的な概念の導入と位置づける入試問題のほうが多いように見える

*2:そういう一大イベントにしてしまうことの是非に関しては思うところがないこともないのだけれど、実質的にそうなっていることは、現状として認めねばならない。

*3:おまけに悪いことに、この志望校、年度によって入試の問題構成が全く異なっていた。なので、どのパターンで来るか予想がつかない。こういう学校はあまり多くないのだけれど、人気が急速に高まっている学校とかではたまに見る

なぜ「全部譲ってようやく対等」なのか

この記事

anond.hatelabo.jp

結婚・同居すんなら「絶対に譲れないこと以外は相手の希望に沿うように譲れ。それも無言でそうしろ」

 

に対してつけたブックマーク・コメント

結婚・同居すんなら「絶対に譲れないこと以外は相手の希望に沿うように譲れ。それも無言でそうしろ」

そやねん。対等だと思って対等のつもりで話し合いとかしてたら、実はこっちの方ばっかり押し付けてることになってたという結果になる。なので、ぜんぶ譲るつもりでようやく対等。向こうも我慢してる。

2023/01/23 15:19

b.hatena.ne.jp

が賛同を集めているようなので、蛇足で書いておく。ごく当たり前のことなので、言うまでもないのだけれど、案外と独り身のときには気づかないもので。ちなみに、もちろんこれは多くのケースにあてはまるというだけで、最終的には「ひとによる」。同じひとでも相手によるし、なんなら状況にもよる。お金に余裕があるか、カツカツの生活か、それにどちらがどの程度適応しているか、などによるので、実際には程度の問題だったりもする。とはいえ、

「全部譲ったつもりで、ようやく対等」

というのは、不思議でもなんでもない。なぜなら、いくらいっしょに生活することになっても他人は他人だし、人間、自分のことはよくわかるけれど、他人のことはわからないのがふつうだからだ。読心術とかエスパーとか、そういうのでもない限りは、人の心は読めない。それが大前提。

で、文化の異なる2人の人間が、あるいは共通する文化背景があってもそれぞれ好みであるとか人生に求めるものであるとかが微妙にズレている2人の人間がいっしょに生活するとする。すると、行動に噛み合わないところが当然のように出てくるだろう。そのとき、どうするか。

いちいちそこで行動にストップをかけて、「ねえ、どっちの方法がいい?」なんて話し合うやつはいない。次から次へと起こってくる日常の違和感に、ひとつひとつそんなことをしていたら、身がもたないのだ。だいたいが、そんなことに引っかかっているようなら最初からいっしょに生活なんかはしない。むしろ、そういった違和感を新鮮に感じるぐらいが、ひとの世の常だ。「へえ、そういうふうにするんだ!」という発見にさえなる。はるかむかし、まだウチの母親がそれほど年老いてもいなかった頃、同級生がウチに来て、「キミのお母さん、もしも私がやったらウチの母親に叱られるようなことばっかりやってるね」と言ってた。そうやっても生きていける、むしろ楽しく生きていけるということが彼女には新鮮な驚きだったようだ。もしも彼女と私がいっしょに暮らすことになっていたとしたら(現実にはそれはさまざまな紆余曲折のうえで実現しなかったのだが)、彼女はそういった自分にとって違和感のある新しい習慣のかなりの部分を喜んで受け入れていただろう。

そして重要なことは、その際に、私が間違いなくそれに気づかなかっただろうということだ。つまり、私にとってみれば米を申し訳程度にしか研がないのも、大根の皮をむかないのも、味見と称して台所で立ったまま食べることも、椅子に座って皿洗いをするのも、それがふつうだと思っていることだった(いまではだいぶとその異常性がわかる)。もしも彼女がそれまで身につけてきたやり方を捨てて新しいものを採用するとしたら、それは確かにある部分では「そっちのほうが楽だし」というのがあるかもしれないが、やっぱりかなりの部分で「相手に合わせよう」という感覚でもあるだろう。それは私にはわからない。ここで、不均衡が発生する。先方には「私の方が譲歩した」という感覚があるのに、こっちには「譲ってもらった」という感覚はない。つまり、まったく対等ではない。

その一方で、たとえばバスタオルを毎日洗う習慣が彼女にあったとしよう(実際にはいっしょに暮らすことはなかったのでそれは知らないが、たぶんそうだと思える根拠ぐらいはある)。私の方は「え、そんなことするの!」と思っても、洗濯するのが自分の役割でなかったら、別に異議申し立てまではしないだろう。その代わり、「まあ、洗剤や水はもったいないよなあ。けど、ここは譲るか」という気持ちが残る。ところが彼女の方には「譲歩された」という気持ちはない。むしろ、「私が洗濯してやらなければこの人はバスタオル1枚洗わない」という感覚が残るだろう。つまり、まったく対等ではない。

自分のことはよく見えるけれど、相手のことは基本的にわからない。だから、自分がふつうに暮らしているだけでなにひとつ相手に譲歩を求めていないときは、たいていの場合、相手が大幅に譲歩しているのだと思ったほうがいい。逆に、自分が100%譲歩している状態でも、相手はこちらが譲歩していることにまったく気づいていない。だからこそ、その状態でようやく交渉が可能になる。

「向こうも譲歩してくれているけれど、こっちも譲歩しているよな」という認識では、たいていの場合は、先方から見ると「自分ばっかり譲歩している」というようにしか見えない。なので、そこから交渉するのは横暴に映るだろう。もちろんこれは、明示的な取り決めがない事柄についてのことだ。たいていの事柄については、無言でどちらかが譲歩している。だから、自分に譲歩している自覚がない事柄はすべて相手が譲歩していると思ったほうがいいのだし、生活のなかには「こんなことを気にしてたの!」みたいなことも数多くある。たとえばキャベツの切り方ひとつとっても、自分が当たり前だと思っていることが、相手にとってはストレスだということがありうる。それが見えない以上、見えている部分に関しては、100%譲歩でちょうど釣り合いが取れる。

そのうえで、「これだけは取り決めておきたい」ということだけ、ようやく交渉のテーブルに乗る。その際でも、常に、自分が譲歩していることには目をつぶり、自分が気がついていないけどおそらく相手が譲歩しているのだろうということに関して気をつけて話すべきだ。そうでなければ、交渉は対等ではない。対等に話すためには、状況がまったく対等には見えていないということを前提にしなければならない。

 

そこまでしてなんで他人といっしょに暮らさなければいけないのかと、思うこともあるだろう。けれど、やっぱりそれは、そのほうが楽しいからだ。それは、やがてひとりになってみればわかる。ひとりの気楽さは、ひとりのしんどさでもあるわけで……

DeepLを業務に使った

翻訳エンジンのDeepLは、登場したときから「あ、これで時代は変わったな」と思わせてくれるものだった。ただ、実際の仕事に使おうとは思わなかった。仕事というのは翻訳仕事だ。業務としてお金をもらう仕事では、いくら優れていても使う気になれない。クライアントは、そこに払うつもりでお金を出しているのではないだろうと思うからだ。ただ、業務としての翻訳以外では、けっこう使ってきた。個人的な翻訳プロジェクトではかなり使った。結局それは日の目を見なかったのだけれど、そうやって使い込むことで練習にはなった。また、教材作成で使った事例は、ここでも報告している。

mazmot.hatenablog.com

そうやってあちこちで使うことで、だいぶとDeepLのクセみたいなのもつかめてきた。もっとも、DeepLも進化を続けている。たとえば上記記事を書いた2年ほど前には英語でしか利用できなかった別候補の提案が既に日本語でも利用できるようになっている。正確性もだいぶと向上した。ただ、今回、初めて業務で使用したのは、そういうことだけが理由ではない。

 

昨年の夏から年末にかけて、1冊の本を訳した。まだ出版社から発売に関する何のアナウンスもないので書名その他の詳細は控えておくのだけれど、監訳者付きの専門書で、多数の論文が引用された相当に硬いものだ。ここから得られる印税は(発売前からいうのも憚られるが)微々たるもので、とても投下労働力に見合うものではない。そういう意味では「業務」というのもちょっとちがうような仕事である。まあ、儲からなくても遊んでいるよりはマシか、程度の仕事ではあるし、勉強になるからやってもいいか、程度の趣味みたいなものでもあったりする。

この本、面倒くさいことに、既に邦訳のある本の改訂版だ。幸い、この時代だから旧版・新版のテキストファイルは入手できる。Meldで比較すれば差異がわかる。見てみると、骨格はほとんど変わらないし、かなりの部分が流用できる。ただ、変更がないように見える部分にもところどころ語句の置き換えや追加・削除がある。さらに書き換えられた箇所、追加で書き起こされた箇所もそこそこに入り混じっている。専門書だし、旧版もあちこちで参照されてきた教科書的な位置づけの本であることから、基本的には旧版の残せるところは残したほうがいい。旧版の翻訳そのものも、けっして悪くはない。

となると、作業としては新版の英語テキストを参照しながら旧版の日本語テキストを修正していくことになる。まあ、それで別に問題はないかとスタートして、すぐに案外とやりにくいことに気がついた。というのも、ところどころにチャンクで入ってくる新規原稿部分を翻訳するときに、頭が切り替わらないのだ。

どういうことか。既存の翻訳を修正するときには、頭は編集者モードになっている。文章を書く立場を離れて、第三者的な目で「ここはこういう意図で書いてるんだよね。ここは前の文を受けてこうなってる。だったらここはこうすべきじゃないのかな……」みたいな感じで頭が動いている。その一方で、少しでもまとまった文の翻訳をするときには、頭は著者モードになっている。翻訳者というのはそういうものだ。原著者に成り代わって別な言語で同じ内容を語るイタコ稼業だ。原著に書かれてある内容を読み取ったら、できるだけそのメッセージを損なわないようにして、一から自分の言葉で書き始める。その際に、スタイルは意識するのだけれど、それは自分のなかに予めプリセットで用意してあるいくつかのスタイルの中から選ぶことになる。基本的には、自分がブログなんかの文章を書くときと変わらない。砕けた調子、硬い調子、柔らかい調子、おどけた調子、いろいろあっても、ぜんぶ自分の言葉だ。なるだけバリエーションは増やすように意識しているけれど、他人の言葉では喋れない。そこまで器用じゃない。だから、既訳部分に新規原稿が挟まると、「うっ」となる。他人の言葉のなかに、自分の言葉をうまく組み込めないのだ。どうしても調子が変わってしまう。もちろん、そこを切り替えてなんとか挟み込むことができたら、あとは頭を編集者モードに切り替えて違和感のないように調子を整えることぐらいはできる。けれど、編集者モードから著者モードに切り替え、さらに編集者モードに切り替えるというのは、やってみると思った以上にストレスだった。

そこで、DeepLを使ってみることを思いついた。まとまった新規原稿部分が出てくると、すぐに原文のテキストをコピーしてDeepLに入れる。これはMeldでdiffを見ているから、ふつうにPC作業の流れで行える。そして、旧版のテキストに組み込む。そのうえで、同じ編集者目線のまま、修正を加えていく。これがかなり快適だった。だいいちに、頭を切り替える必要がない。ずっと編集者モードのままで作業ができる。もちろん、DeepLみたいなAIの仕事は基本的に信用できない。けれど、それは旧版のテキストに対するときも同じだ。旧版の翻訳者に対するリスペクトがないわけではない。だが、基本的に他人を(というよりも自分もふくめてあらゆるテキストを)信用しないのが編集者だ。人間の訳したものであろうがAIの訳したものであろうが、必ず何らかのケチはつけられる。批判をする。批判の果てに結局は元原稿のママを採用することもあるし、てにをはを改めることもある。文章の組み立てを変えることもあれば、専門用語の統一を変更することもある。それをやるのは同じ頭で行うので、人間の訳とAIの訳が混じっていても気にはならない。少なくとも、気にならない程度にDeepLは精度の高い翻訳を返してきている。下手な人間の翻訳者なんかよりは、遥かにマシだ。

実際、人間は間違える。改訂作業のおもしろいところは、原著の改訂によって、旧版の読み間違いがはっきりする場合があることだ。2通りに解釈できる表現があって、旧版を読みながら、「ああ、そういうことなんやね」と納得している。そこに、ひとつの単語が加わること、ひとつの文章が挟まることで、「あ、こっちの解釈は違ってたんや」と気づくことがある。さらに、原著で変更のないセンテンスでも、なんとなく違和感がある場合もある。そんな場合、思い切ってDeepLに突っ込んでみる。そうすると、まったく別な解釈の文が吐き出される。それを見て旧版の解釈違いに気が付くこともある。最初から自分で訳していたらたぶん間違えない自信はあるけれど、読んでいたら少しの違和感を覚えながらも読み過ごしてしまう。それがDeepLを併用することで、違和感を拡大してはっきりと見ることができるようになる。これは老眼鏡並みに便利。

ということで、今回の翻訳では、自分ではほぼ訳さなかった。ひたすらに原著のテキストと旧版+DeepLで構成された日本語テキストを突き合わせ、推敲に徹した。それがよかったと思う。というのは、翻訳しているときなら「自分は翻訳者であって学者じゃないんやし、専門用語は監訳者がなんとかするやろ」と、あまり深く調べもせずに辞書的に訳してしまうような箇所でも、編集者目線なのできっちりとウラを取りに行くことができたからだ。そのせいでよけいに時間がかかり、よけいに割のあわない仕事になったことは否めない。その代わり、クォリティがあがったのは間違いないし、なによりもいい勉強になった。そして、多忙な監訳者の負担を少しでも減らすことができたのではないかと思う。

 

そうやって勉強したことは、おいおいに書いていこうと思う。いままで自分が思い違いしていたことも多々あったし、また、「これって奇妙な訳が定着してるんちゃうん」みたいな気づきもあった。そういうネタを拾えた仕事でもあった。少しぐらいは余得がないと、こういうことはやってられない。納品物はもう自分のものではないが、そこから得られた知見は、自分のものとして使わせてもらおうと思う。

しかしまあ、ChatGPTの話題が持ちきりのこのタイミングで、周回遅れのDeepLでもないよなあと思わなくもない。次回に似たような仕事があったら、ChatGPTがどの程度組み込めるか、やってみたいなとは思う。とはいえ、AIにどんどん奪われるこの時代、仕事、くるかなあ……

多様性と宗教と

私の宗教に関するスタンスは割とはっきりしている。個人的に敬虔でありたいと願っているが、それは他者と共有するものではない。したがって、共有することを前提として人が集まる組織宗教に属することはないし、そういったものとは距離をおきたい。このあたりは、すこし前の記事でも触れたことだ。

mazmot.hatenablog.com

組織宗教に辟易するのは、その排他性だ。それは、宗教に限らず一般に、生き残りのための戦略、組織維持と拡大を活動原理に組み込まない組織は簡単に消滅してしまうからだ。言葉を替えれば、組織の維持・拡大はあらゆる宗教にとって不可欠のものになる。そのときに、信者の他宗教への流出はもっとも忌むべきものになるし、他宗教の信者を改宗させることはもっとも重要な行いになる。組織への忠誠と布教がおよそあらゆる宗教に組み込まれるわけだ。

余談であるが、日本における宗教には、そういった他宗教への敵対性は強くない。これはおそらく江戸時代の檀家制度の名残だろう。檀家・氏子の制度では、各寺社に信者が割り当てられている。仮にその信者がよその寺社に参拝しても、自分のところから逃げ出すわけではない。信心深くなくても、檀家・氏子であることに変わりはない。利権としては安定しているから、他宗教に寛容でいられたのではないだろうか。まあ、檀家制度以前から寛容だったフシがないわけでもないので(たとえば兼好法師なんかはかなりいい加減な宗教観に見える)、これは実証性を欠いた憶測に過ぎないのだけれど。

もちろん、組織の生き残り戦略としては、必ずしも他宗教に対する排他的・敵対的な姿勢だけが選択肢ではない。新興宗教のなかには、他のあらゆる宗教を自分たちの教義のなかに取り込んでいく方向で生き残りをはかっているものもある。つまり、お釈迦様の言うこともキリストの教えもアッラーのお告げも何なら孔子の言葉だって、根本的にはぜんぶ同じことを言ってるじゃないかというわけだ。そういう汎宗教主義に立てば、対立なしに他宗教の信者を取り込んでいける。もっとも、先方が対立的であれば他宗教への流出は止められないので、主流派にはなれない。弱者の戦法だといえるかもしれない。

 

いずれにせよ、組織宗教に身を置く限り、他宗教の信者である人とどう付き合っていくのかは課題になるだろう。かつて小さな共同体でほとんどの用が足りていた時代には、そもそも他宗教の信者と付き合う必要はなかった。商売などの取引で関わり合う必要があっても、それは仮のものと割り切ることができた。つまり、日常は内側で進行し、外側との相互関係は日常とは切り離された空間でのみ行われるものであって、そこは特別であって日常の原理は通用しないと考えればよかったわけだ。「あいつらはちがう」で、ことが済んだ。同質である共同体の内部と外側は、実質的に分離可能であった。しかし、現代はそうではない。

資本主義、あるいは産業化の結果として、現代は人間が個として存在せざるを得ない時代だ。宗教は、かつてのような小さな共同体の中の共有原理ではなくなり、産業社会のなかでバラバラに存在する個人が一時的に身を寄せる疑似共同体を提供するものになった。この疑似的な共同体にはある程度の相互扶助、ある程度の安住の場所はあるにせよ、かつての地縁的な共同体のようにそこに全面的に依存することは不可能になっている。人はあくまで個人として産業社会のなかに居場所を見つけるのであって、そこで充足されないものを宗教共同体で補うことになる。つまり、日常は共同体のなかにあるのではなく、外側にある。非日常の特別な空間は、むしろ宗教の方になっている。

そういうときに「あいつらはちがう」は、通用しない。現代社会でなぜ「あいつらはちがう」という態度が差別として糾弾されるようになったかといえば、もちろん多数派によるそういう姿勢が多くの実害を生み出してきたからではあるのだけれど、根本的には人間性を疎外した産業社会において、人間を能力以外の属性でもって分けることが合理的でないからだ。人間を労働力としての単位でみる産業社会は、その個人がイスラム教徒であろうがヒンズー教徒であろうが仏教徒であろうがキリスト教徒であろうが、差別しない。差別をする合理的根拠をもたない。だからこそ近代になって差別がこれほどまでに排除されるようになったという見方も可能になる。

しかしまた、産業社会の原理は、個人に自由を認めることでバランスをとる。産業社会の原理は、ある意味、宗教のように人々を覆い尽くす。けれど、組織宗教のように改宗を求めることはしない。なぜなら、この産業社会組織は、組織維持の原理によって成り立っているのではなく、人間の生存への欲求によって成り立っているからだ。だから、「人は働いて賃金をもらう」という原理への帰依への代償に、心の自由を保証する。どのような信念をもっていても構わないし、どのようなライフスタイルを選んでも構わない。何なら性別だって、どのように自認しようが自由だ。それがすなわち多様性であり、多様性は産業原理の統一性との抱き合わせで保証される。宗教もその多様性のひとつだ。

かつては、宗教を同一にする共同体が基本的な人間のニーズを満たし、多様性はその外側にあった。だから、多様性を拒否して生きることも、ある程度は可能だった。だが、現代ではそれは逆転している。多様性を前提とする産業社会が基本的な人間のニーズを満たし、宗教共同体はその内側で存在している。多様性の一つとして存在している。

そんな時代にあって、宗教は急速に個人化しつつあるように思える。私のように「組織宗教は願い下げ」という人間もいる。最近増加しているムスリムのように熱心な信者が集まる宗教の信者でさえ「それは内心のことだから」と、宗教共同体外ではその属性を意識させないような行動をしている。むしろ、信者であるがゆえに差別されたくはないと思っているだろう。宗教共同体内部でさえ、「他宗教のものと付き合うな」的な言説は消失している。他宗教の教義に触れることを禁忌するようすも、一部の急進的な新興宗教を除いてはあまりみられないだろう。目をつぶって内にこもることは、そもそもこもるべき内側に生活基盤がないのだから、およそ現実的ではない。

とはいえ、それが汎宗教主義に行き着くのかといえば、そうではなかろう。そうではなく、他宗教の教義に触れても、「そうなんだ、じゃ、私は教会行くね」と、無関心とはまたちがう、他者を尊重しながらも「自分は自分」と割り切るところだろう。場合によっては、理解できない、奇妙だ、変だと感じることもあるだろう。けれど、そのときに、「あいつらはちがう」と排除するのではなく、それはそういうものだ、世の中にはそういう人もいるんだろうと遠ざけながらも敬意をもつ態度がひろまっているのではないだろうか。つまり、ひとつひとつの個人の自由にかかわる部分には、それが認められているのだからと容認する態度が、教義にかかわらずあるのではないだろうか。

そしてこれが宗教に限らず、「多様性」に対処するときに現代社会で求められている態度なのだろう。異質なものを排除するのではなく、異質なものがそのまま異質なものとしてそこに存在することを許容する(ただし、それは産業社会の教義である「きちんと賃労働をこなす」ということ(場合によっては弱者保護の特例ルールに則って行動すること)が遵守されていることが前提である。もちろんそこが遵守されていない場合には制裁があるわけだが、それを行うのは個人ではないので、ここに注目する必要はない)。その態度の中心にあるのは、「個人は個人」という感覚だ。自分は自分であり、他人から干渉されたくない。その裏返しとして、他人には干渉しない。それが現代社会の「多様性」を支える原理だ。

そして、それが宗教共同体内部でも適用されるようになってきているのではないだろうか。聖典の解釈についても、絶対的な正解を規範として受け入れることが求められるというよりも、規範を示して、あとはそれをどのように受け入れるのかは個人に任せるという態度になってきているのではないだろうか。その際に、他宗教からの情報を参照するのも、個人の内部のことであるから認めざるを得ないのではないだろうか。そうなってくると、結局は、宗教共同体に属していても、信念に関しては非宗教的な個人と同じ内面の自由であり、あとは共同での儀式的な行いに参加する際の行動が規範に外れていなければよしということではないだろうか。

こんなことをつらつらと考えたのは、この匿名日記の記事をみたから。

anond.hatelabo.jp

宗教的な信念はその人の内面だし、その際に教義は参照項目になっても、絶対ではない。もしも他宗教の教義で心に響くものがあれば、それは自分の宗教の教義に照らしても、その体系のなかで再解釈できるものだろう。多くの宗教は懐が広いので、さまざまな思考に十分に対応できるものをもっている。一本、自分のなかの信仰を通しておいて、ときにはその対照として、ときにはその補強として、他宗教の説を聞いてみるのはいいことではないだろうか。その際に、対象は宗教でもいいし、宗教以外の何者かでもあってもいいし、ときには正体を隠した宗教であっても構わないのではないか。自分のなかにひとつの信仰が通っていれば、それはそれで問題ないのではなかろうか。

そして音楽に関しては、また別な話なので…

「高三の夏休み」の比喩がわからない

はてなの有名人のシロクマ先生のブログは、語り口が柔らかくて、読んでいて気もちがいい。だから割と楽しみにしていて、私がいつも見ている「お気に入り」のリストにあがってくるとたいてい読んでいる(そしてシロクマ先生の記事はたいてい誰かがブクマしている)。読者であると言って差し支えないと思う。ただ、ときどき、シロクマ先生の感性がよくわからないことがある。以前、このブログでも、シロクマ先生の記事に触発されてひとつ書いたことがある。生きる世界がちがうこともあって、どこか理解し合えないところもあると思っている。

それはほとんどの人がそうなのであって、そのこと自体にどうという感慨もない。私は自分自身の親きょうだい、息子とでさえ、わかりあえない部分をもっている。人間と人間はそういうもんだし、また、そういうことがなければ人生おもしろくもないと思う。ちがっている人間同士がたまに重なるから、「ほう!」と膝を打つわけだ。そういう楽しみは、ちがっていることが前提だと思う。私がシロクマ先生のブログを楽しみにしているのも、そういうことなのだろう。

ただ、読んで、よくわからなければ上記のようにブログにも書くし、ブックマークした際のコメントにも書く。今朝も、こちらのブログ記事にこんなコメントを残した。

p-shirokuma.hatenadiary.com

高3の夏休みが何の比喩だかわからなくて、何度か行きつ戻りつして、「ああ、受験勉強で頑張ることが当然の世界に生きてた人なんだなあ」と思い至った。数百年後の国語教師が注釈をつけるんだろうな。 - mazmot のブックマーク / はてなブックマーク

私としてはブックマークのコメントでだれかと会話をしているつもりもなく、単なる独り言やメモに過ぎないのだけれど、これに対して、驚いたことにシロクマ先生からコメントを頂いた。

ひつじ雲を見上げ、今日も明日も生ききろうと思う - シロクマの屑籠

<a href="/mazmot/">id:mazmot</a> この文章のうちには受験という単語は登場しないのに、なぜそういう推測になったのかわかりませんでした。私の高校三年生の夏休みは楽しく忘れがたいものだったので、そのようにありたいと思っています。

2022/11/04 15:33

b.hatena.ne.jp

これは恐縮で、私が誤解をしていたことを指摘されて、まあ、恥ずかしくもある。ただ、なんか釈然としないものは残る。楽しい思い出があったとして、それが比喩として成立するものだろうかと。比喩というのは共有されているイメージがあって、それによって成立するものではないのだろうか。つまり、「高校三年生の夏休み」は、そのまま「楽しかったひととき」の比喩になりうるのだろうか、ということだ。

正直、ここはわからない。なぜなら、私はたぶん、私の周囲の人々とは明らかに異なった高校三年生を過ごしたからだ。そして、それは当時の私の周囲の人々(つまりは進学校の同級生)以外の高校三年生ともちがう。ひとことでいって、それはなにひとつ変わったことのない、ごくあたりまえな夏として過ぎていった。そして、たぶんそれは多くの人の経験とはちがう。

振り返ってみたらけっしてそうではないということがわかるのだけれど、そこを生きていた当時の感覚として、私は極端に「何事も起こらない」人生を生きていた。すべての事件は、すべて私とは無関係な場所で起こり、無関係に終わっていった。学校にまつわるさまざまなエキサイティングな出来事はすべて私の頭の上を通り過ぎていき、私の近くには着弾しない。まるで周囲にバリアがはられたように、私のまわりは無風地帯で、私は世の中に対して何の働きかけもできず、そして世の中から何の働きかけもされない存在だった。

だから、高校三年生の夏休みといわれても、それはその前後の一学期、二学期の生活とほぼ同じであり、またその前年の夏休みとも、そして感覚としては山岳部に入って山に入り浸っていたはずのその翌年の夏休みとも、感覚的には同じだった。私はどこまでも無風地帯にいて、退屈しているか、さもなくば見えない恐怖におびえるか、それを紛らすためにひたすら本を読んでいるか、うまくならないギターに絶望しながら指先に傷をつけているか、まあ、そのどれかだった。いずれもけっして楽しいものではない。もちろん、苦しいものでもなく、ただ、恐ろしいぐらいに「なにひとつ起こらない」感覚だけが日々に累積していた。

そういう自分の日々を振り返ったとき、「高校三年生の夏休み」がいったい何の比喩になるのだろうと、本当にわからなかった。もちろん、世の中にはとうてい信じられない「高校三年生」のイメージはある。古い話で恐縮だが、橋幸夫舟木一夫の「高校三年生」はラジオからよく流れていたし、「青春」の文字はむかしも変わらず苦かった。だが、あらゆる興奮が素通りしていく私の人生においてそういうものが信じられるわけもなく、「あれは虚像」という思い込みが私のなかに刷り込まれている。実際、赤い夕日が校舎を染めてバカヤローと走り出すような人がこの世に存在するだろうか。私は信じない。

ただ、年齢を重ね、いつの間にやら自分がもっとも縁遠い受験勉強を指導する側にまわって、「ああ、あの高校三年生の夏休み、だれも遊んでくれなかったのはやっぱりみんな勉強していたんだよなあ」と、いまさらながらに思うようになった。そして、私がやったこともない受験勉強に燃えるのも、またひとつの思い出になるのかもしれないと想像するようになった。だから、ひょっとしたら「高校三年生の夏休み」はそういうことの比喩なのかなあと思った。そう思って読むと、前半の方の「残された時間があんまりない」みたいな部分とよく共鳴するのかなあと、思った。結果的にそれが誤読だったのだ。自分にない尻尾はふれない。

 

しかしまあ、これで現代文の指導なんかやってんだから、家庭教師なんていい加減なもんだよなあ。よくこれで世間が許してくれるよとか…

 

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追記:

書き終わってしばらくして見たら、シロクマ先生にブログに追記まで頂いている。恐縮だ。そして、楽しかった夏休み、うらやましいな。それが訪れないのが自分なんだと、もうこれはある意味、私という人間を構成する基本要素なので。

 

 

ごく個人的な、ランドセル問題

ランドセルの話が出るたびに、もやもやする。ランドセルという製品そのものについてではない。いや、用途によってはいいものだろう。弾薬を運ぶとか、そういう物騒な話でなくとも、あのカチッとした形状がフィットする用途はあるだろうし、持つ人が持てばオシャレにも見える。ああいったカバンが世の中に存在することについて、何一つ文句をいうつもりはない。

ただ、個人的にはランドセルにいい思い出がない。というのは、半世紀も前の古い話なのだけれど、自分自身が小学生だったころ、まだ品物がよくなかったためなのか、たぶん小学3年生のどこかであっさりと壊れてしまったからだ。壊れたのが残念だったのではない。壊れたあと、もっと軽い布のカバンで登校して、それが快適だったことが自分の印象に強い。たぶん当時のランドセルなんてみんな同じように耐久性が低かったのだろう、高学年になるとみんな思い思いのカバンで登校していた。そういうもんだと思っていたし、実際にもっと軽いカバンをもってみて実感したのは、「ランドセルなんて奇妙なもんだよなあ」ということだった。同じことなら1年生のときからもっと持ちやすいカバンにしたかったよと、思った。

その後、ランドセルという言葉はその概念とともに私の関心からすっかり抜け落ちた。ただ、新聞のどっかで「最近はランドセルの代わりにリュックサックを使う自治体が出てきている」みたいなことを読んだ若いときに、「そりゃそうだよ」と意を強くした。あんな重くて重心のバランスがわるいもの(そのころには私は山登りを趣味にしていたので、ザックの重さや重心にはとくにこだわりがあった)、滅びるのが当然だよなと思った。そして、私の中では「ランドセル=時代遅れ」という図式がかたまった。ああいうのは高度成長期の遺風であり、フジツウさんがアメリカのビジネスを支配して未来へ帰るような時代には似合わないのだと、勝手に断じた。

だから、自分の息子が小学校に入るころになって、実家の両親から「ランドセルを買ってやろう」という話が出たときには、正直、びっくりした。「え? いまどきランドセルなの?」と。そこでその話を妻にすると、「なに言ってるの。ランドセルは絶対必要だし、買ってくれるんならお願いしたらいいんじゃない」と。「いや、現代はランドセルじゃないだろ」と言うと、「じゃあ、朝にそこの角に10分でも立ってみたら」と言われた(いや、そういう言葉じゃなかったかな)。たしかに、登校する小学生を見たら、100%、ランドセルを背負っている。いかに私が自分の想念のなかで生きていて現実世界を見ていないかの証明となった。人は関心のないものは見ないものなのだ。妻が妊娠するまでは世の中の妊婦が見えていなかったし、息子が生まれるまでは赤ん坊なんて世界には存在しなかった。保育園に進んで初めて保育園児がこれほど跋扈していることに気づいたのだし、息子が小学校にいく直前まですぐ近所で朝に小学生の行列ができていることがわからなかった。それも全員がランドセルを背負っていることに。

そういうふうに決まっているのなら、ランドセルは買わねばなるまい。だが、ランドセルとはどういうものだ? そりゃ、百貨店なりショッピングセンターなりの売り場に行けば「これがランドセルです」と明確に示してあるだろう。だが、ここで「規則」に奇妙にこだわる私の性格が頭をもたげた。ランドセルをもっていくことが決まっているとしても、もしも学校で決められたものとちがっていたらいけない。それは、私自身が子どもの頃に他の生徒と微妙にちがう所持品を持たされることがしょっちゅうだったことも影響している。「他の子とちがう」のは、子どもにとってはとても負担になる。だから、私は「学校からの通達を待とうよ」と言った。小学校入学に際しては、必ず小学校の方から「こういった物品を用意してください」と通知があるはずだ。実際、それはあった。お道具箱やら算数セットやら、さまざまなものが指定された。だが、膨大なプリントの隅から隅まで読んでも、ランドセルに関する規定はなかった。これこれの寸法で、これこれの色で、みたいな規格が必ず指定されていると思ったのに、ランドセルのラの字もなかった。

「ほら、やっぱり現代はランドセルなんて要らないんやで」

と、私は言ったけれど、現実にみんなランドセルを背負っている。「一生に一度のことやのにいったいあなたは何が不満なの」と責められては、私もなにもそこまで反対することもない。自分自身のネガティブな記憶は、それは時代が古かったからなのだろう。現代のランドセルはきっともっといいものにちがいない。ということで、息子は祖父母に深緑の上等なランドセルを買ってもらった。

ただ、この顛末で、私はランドセルに関して非常にセンシティブになった。自分がランドセルに関する規定を見落としたのではないかと不安になったのだ。そこで、息子が小学校に通うようになってから、ことあるごとにランドセルには注目した。そして、奇妙なことに気がついた。

学校は、ランドセルに関する規定を何らもっていない。規定がないにもかかわらず、「今日はランドセル登校です」とか「今日はランドセル不要です」みたいな通知がくる。いや、最初っから「入学前にランドセル用意してください」と言ってないじゃないかと思うのだが、全員がランドセルを用意していることが大前提になった運用をしている。それって、絶対におかしい。

実際、ランドセルの規格は自由だった。だから、よくよく目を凝らしてみると、いろんなランドセルがいた。そして、私が子ども時代に(ランドセルではないが他の物品で)経験したのと同様に、「他と変わっている」という理由でなにかといじられている子どもも見た。これも、実際にはなにも決めごとはないのに、あたかも決めごとがあるように運用されていることからくる不条理であるのかもしれない。ランドセルの色が何色でもいいじゃないかと思うのだけれど、そこに根拠はない。色や形がちがうからとあだ名までつけている子どもたちにも、根拠はない。ああ、こういう世界は嫌だ。

 

息子が中学校に進み、不登校になっていくなかで、当事者としてはランドセルや制服や、そういったものからはどんどん遠くなっていった。けれど、あのときのもやもやした感覚は、いまだに私のなかで「ランドセル問題」として残っている。これは世間が問題にしているものとはまったくちがうだろう。地域によっても、ランドセルへの対応は異なる。学校によってはおそらく事情もちがうだろう。だからこれは、ごく個人的なものだ。そういう個人的な「ランドセル問題」だから、永遠に解決しないだろう。きっと墓場にまで、持ってく。

Twitterをはじめてみた

Twitterのアカウントをつくった。特に深い意味があるわけではない。

Twitterを最初に使い始めたのは割と古く、2010年初頭のことだ(アカウントそのものはもう少し前につくっていたようにも思う)。ブログを書き始めたのが2006年で、その頃はいろいろな選択肢があった。いろんなサービスも出ては消えという状態で、その中で「ミニブログ」として注目を集めていたTwitterにも興味を覚えた。リーマンショック後で仕事の先行きも不透明な中、「これからはソーシャルメディアだ」との掛け声もあって、ちょっと乗り遅れ気味ではあったけれど、「Twitterぐらいやっとかないとなあ」という気持ちで始めたように思う。

やってみると、それなりにおもしろかった。それまでつながることが思いもよらなかった人々と知り合うことができた。特に東日本大震災のときには、Twitterの力に驚かされた。そこから見えてくる世界が自分の知っている世界とまるで違うことに、社会の複雑さを思い知らされた。震災までの1年間の助走期間があったことは自分にとって幸いだったと思う。

ただ、SNSは時間食いだ。リーマンショックでも途切れることがなかった翻訳の仕事が地震の後ぱったりと止まってしまい、急速に金に困ってくるようになって、しかたがないから事務所は開店休業にして働きに出ることになった。そうなると、とてもTwitterなんかやっている暇はない。そこで得られた関係を切るのはつらかったけれど、やむなくフェードアウトすることにした。いつか戻るつもりで、アカウントは残していた。

何年かたって戻ろうとしたとき、もうパスワードも忘れてしまっていることに気がついた。めんどうなのでまたしばらく放置し、さらに数年たってまた気になった。実はTwitterのアカウントは仕事用とプライベートとブログの宣伝用を分けて3つつくっていたのだが、早い段階でほぼ活動をやめていた2つは整理して消してしまおうと思った。そして残りの1つは復活させようと思ったのだけれど、その肝心のプライベート用のアカウントに設定していたメールアドレスを、その少し前に失っていることに気がついた。パスワードを失ってもメールアドレスがあれば戻ることはできる。そのはずだけれど、メールアドレスまで失ってしまっていては、どうしようもない。戻ることもできず、消すこともできず、Web上のゴミとして、私の古いアカウントは管理不能になってしまった。大失敗。

それからかなりたって、2年ほど前だったか、Instagramをやってみようと思って、その際にTwitterアカウントを新たにつくった。ただ、こちらはInstagramを続ける体力がなかったせいで、ろくろく使いもせずに干からびてしまった。ほとんど何も使わずに、結局は消してしまった。

 

なぜ、古いアカウントからフェードアウトしなければならなかったのかとか、なぜ2年前につくったアカウントを使えなかったのかと考えてみた。それはある意味、私が「正しく」Twitterを使っていたからだろう。当初の「ミニブログ」という認識とは異なって、Twitterは実際にはコミュニケーションのツールだ。フォローし、フォローされることで、そこに緩いコミュニケーションが成立する。興味をもった個人のアカウントを追いかけて「そうか、そういうこともあるか」と思ったり、「こんなことがあったんだよ」という独り言に反応してくれる人がいるのに喜んだりする。おそらくそれがTwitterの王道の使い方なのだろう。ただ、そういうコミュニケーションのためには、タイムラインをある程度は追いかけていないといけない。全部が全部読むことなんてできないし、特に私が抜ける頃からタイムラインの仕様が変化してフォローしていないアカウントからの情報もどんどん流れるようになってからは、タイムラインをどこまでも追いかけることなんておよそ無理になっている。それでも、眺めている時間が多ければ多いほど、Twitterを楽しめるような仕組みにはなっている。それは時間の限られた私には無理だ。だからもうTwitterは自分の生活からは切り離すしかない。もうそこに戻ることはないだろうと思っていた。

 

けれど、しばらく前から、考えの断片をどこかにメモしておく必要があるかもなあと思うようになった。ちょっと物騒な話なのだけれど、奈良の発砲事件のあと、容疑者のTwitterアカウントが発見され、過去の投稿が流布するという出来事があった。それによって、容疑者がその数年間にどんなことを考えていたのかが可視化される。これはおそらく、今後の公判やその後の犯罪をめぐる議論のなかで、ますます重要な役割を果たしていくことになるだろう。そういう意味では、非常に貴重な記録でもある。

私は別に重犯罪を犯す予定はないのだけれど、やっぱり自分の日常をどこかに残しておくことは意味あることではないかという気がし始めた。もちろん、長くブログを書いてきているので、その軌跡は残っている。既にサービスをやめたところに書いていたものも、少なくともローカルにはログを保存してある。日常の記録、日記みたいなものはたしかに残っている。ただ、ブログはやっぱりある程度はひとの目に触れることを想定して書いている。だから、ある程度のまとまりはある。

もっと断片的な想念は、日々に起こる。ほんの二、三行のそういった思いは、書き留められることもない。それだけの値打ちもないだろう。けれど、それを蓄積しておけば、やはりなにかの役に立つような気がする。いつか消えてしまうものとしても、少しの役には立つ可能性がある。誰かがその跡をたどるのか、自分がたどるのか、そんなことは全く起こらないのか、よくわからない。よくわからないけれど、よくわからない未来には、多少の投機はしておいてもいい。

 

だから、今回、私はTwitterの「正しい」使い方はやめようと思う。これをコミュニケーションのためのツールとして使うのはやめようと思うわけだ。タイムラインなんて見ていられない。そこはスッパリとやめる。そのためにはフォローはしない。フォローなんてするから、その人のことが気になるのだ。いや、気になるひとはいる。けれど、追いかけるのはやめる。そんな時間はない。そこに時間をかけて自滅するぐらいなら、やらないほうがいい。残念だし寂しい話だが、そこは割り切ろう。

純粋に、自分自身のメモとして使う。そういう使い方なら、しばらく続けられるかもしれない。だから、フォローも、フォローバックもないし、リツイートやらコメントやらがあっても基本的には読まない。そういうことをやらないことを前提にすれば、たぶん、しばらくは使い続けられるだろう。その意味は十分にあると思う。たとえばこの先、私が老年性の痴呆になっていくとしたら、その過程を追いかけることができるかもしれない。それはそれでひとつの知見だろう。

 

あと、実利的なこととして、TwitterアカウントがないとTwitterで流れてる情報が読みにくいということがある。すぐに「アカウント作れ」と言ってくるんだから。まあ、営利企業のサービスなんてそんなもんなんだろうけど。なんだかなあという感覚は、どうしても抜けない。

 

Jun Mazmot (@JunMazmot) / Twitter