ボールペンの思い出 - すこしの後悔とともに

私は字が汚い。自分の書いた字を見ていて気分が悪くなるほどだ。なので、子どもの頃からできるだけ字を書かないで済まそうとしてきた。それがどういうわけだか若い頃に編集プロダクションにアルバイトで入って、原稿を書く日々になった。嫌だなあと思っていたから、大衆向けのワードプロセッサが発売されたときには真っ先に飛びついた。忘れもしないNECのPWP-100という機種だった。これはその若かった頃の思い出。

字を書く仕事を可能な限りワープロ、すぐにパソコンに頼るようになったため、私は万年筆やボールペンをほとんど使ってこなかった。例外は校正に使う赤のボールペンで、これだけは商売道具として必須だった。けれど、そのボールペン、一時期はほとんど買わずに済んでいた。どういうことか。

ボールペンメーカーとして有名なある会社、「ある会社」ではまだるっこしいからX社としようかと思ったけど、それはクロスというメーカーがあるようでややこしいから、YとかZ、そう、Z社としようか、そのZ社に勤めている人から、替え芯を横流ししてもらっていたからだ。これは21世紀の感覚なら業務上横領だから、いくつかフェイクを入れておく。まあ、時効だと思うし。さらに、その方は私よりも20年ほども年上だったから、いまさら困ることもないだろうと。

その先輩は、私が雇われていたプロダクションの社長の元部下だった。高度経済成長期には出版社はずいぶん儲かったのだそうで、どこの出版社も急成長し、社長が以前に在籍していた学習参考書畑では大手になる出版社も第三編集部まである大所帯の編集部門を抱えていた。それが1970年代なかばのオイルショックを経て急速に産業構造が変わり、従来のような景気のいい話はなくなった。そして後に「リストラ」と呼ばれるようになる業務の再編が始まり、編集部は縮小されるようになった。ただ、編集という仕事ほどつぶしの効かない職種はない。結局は編集で食うしかないのだけれど*1、どこの出版社も縮小の方向だから雇ってくれるところはない。結果として生まれたのが星の数ほどある編集プロダクションであり、出版社は編集部の縮小であふれる業務を編集プロダクションに委託するようになった。まあ、出版業界も広いので、これが多くにあてはまるのかどうかは知らない。というか、本当かどうかもわからない。私が社長から聞いた話は、そういうことだった。というのも、社長が編集プロダクションを開業したのはそういう事情であり、そして、Z社に勤めていた先輩は、出版社時代に何番目かの編集部長だった社長のもとで働いていた部下だった、という状況があったからだ。「彼とはずいぶん長い付き合いなんだ」と言って、そんな来歴を話してくれたわけだ。

なぜZ社なのかといえば、それは70年代にZ社が多角化の一環として出版事業への進出を考えていたからだ。新設予定の出版事業部の準備要員として、既に十数年のキャリアを積んだ働き盛りの編集部員を引っこ抜いたわけだ。ただし、上記のように出版業界を巡る潮流が大きく変化している時期だった。なのでこの計画はうまく立ち上がらず、せっかく新天地に採用された先輩は、たちまち余剰人員となってしまった。ただ、Z社の社長は人情家であり、いったん雇った人を不要になったからと首を切るようなことはしない。結果として先輩は編集とは無縁の閑職を与えられることになった。社長の側近といえば聞こえはいいが、適当な部署がないから社長から雑用を言いつけられる係というのがどうも実態であるようだった。

先輩が会社をサボって私が勤務していた編集プロダクションにしょっちゅう顔を出していたのには、そういう理由がある。まあ、暇な仕事だったのだろう。そういう従業員でも、「何かの役に立つかもしれないから」と雇っておくぐらいの余裕がまだ多くの日本企業にはあったと言えるかもしれない。実際、インターネット以前の時代には、そうやって暇なのをいいことにあちこちに出入りする人々が情報を運んでいたのかもしれない。

ともかくも、そうやってうちのプロダクションに遊びに来るとき、先輩は決まってボールペンを持参した。

「ボールペンってのはインクが乾くんで、賞味期限みたいなものがあるんですよ」

そんなふうに言っていた。

「文房具店に置いてるペンが売れないと返品で戻ってくるんですけどね、なかにはもうインクが乾いてしまってるのがある。そういうのは売れないから、廃棄になるんです。一応、検査があって、何するかっていうと天秤で測るんですよ。で、一定の重さよりも軽くなってると廃棄になる。ただ、理屈の上ではそうなんだけど、実際にはそうやって廃棄になるやつでもだいたいは書けるんです。商売は信用が大事だから、安全側で廃棄するわけですよ。で、捨てるやつで申し訳ないんだけど、もったいないから」

といって、未使用のボールペンや替え芯を取り出すのだった。ちなみに、当時Z社ではかなり高級なペンをつくっており、私も漆塗りの上等なボールペンをもらった。これは軸を回転させるとペン先が出てくるなかなかおしゃれなタイプで、しっくりと手に馴染むものだった。欠点といえば芯が短くてその分だけ早くにインクがなくなるのだけれど、その替え芯も先輩にもらうことができた。金属製の替え芯は文具店で買えば確か100円以上したので、安物のボールペンが買えるぐらいの値段だった。

 

先輩にはボールペンをもらっただけではなく、個人的にもいろいろとお世話になった。私が編集プロダクションをやめてからは顔を合わせる機会はなくなり、お礼も言えていない。いまも不義理が気になるのだけれど、もうこればっかりは埋め合わせようもない。

そんなふうに、自分が世話になって何一つ恩を返せていないこと、あるいは迷惑をかけてその後に謝罪もできていないこと、そういうものが降り積もっていく。そして思う。いつかどこかで会うことができたら、そのときに恥じることのない自分でいたいと。「あのときはずいぶん手を焼かせたけれど、まあそれだけの甲斐はあったな」と思ってもらえるぐらいには、ちゃんとした人間にならないといけないと。

だから私は、後悔によってどうにか生きているともいえる。やってしまったことは償えない。けれど、生きている限りは、ほんのわずかなら償える可能性がある。その可能性が、明日をつくってくれる。

*1:さもなくば水商売で、実際のところ、元編集者のやってる飲食店は東京に少なくなかったと、その頃に聞いた。真偽の程は定かではない。

「英語がわかること」と「英語の成績」の関連性が低いことについて

長いこと家庭教師なんかやってると、いろんな生徒に接することになる。いまは生徒の数はだいぶ減らしているのだけれど、その中でも特に変わり種なのは、25歳*1の社会人生徒だ。彼はもともとが私の息子の先輩であり、大学卒業後に私のもとにやってきた。というのは、大学の卒業制作の取材中に、「小学校の先生になりたい」という夢が突然に生まれ、それまで教職課程をとっていなかったことから卒業後に改めて教職課程取得のための学習を進めなければならなくなったからだ。ちなみに、「卒業制作」という言葉からわかるように、彼は芸術系の大学出身だ。芸術系の大学の学生にはありがちなのだろうが、「学校の勉強」にはあまり相性がよくなくて、中学は不登校、高校も一風変わった学校に行っていたので、教職課程で必要な基礎教育部分の学習内容がさっぱり理解できていなかった。なので、「中学校の勉強を改めて教えてください」と、私の生徒になったわけだ。「中学校」と言われたから、私は小学校からスタートして英数国社理の全教科、復習をやった。

それももう3年あまり前の話だ。人間、目標があるとどんどん進むもので、2年ぐらいで一通りの復習は終わった。中学校の勉強ぐらい2年あれば十分だろうというかもしれないが、はじめのうちは指導時間の半分以上を大学の教職課程のレポートの書き方の指導で使っていたのだから、だいぶ頑張ったほうだと言っていいのではなかろうか。ちなみに、レポートひとつ書くのにはじめのうちは何週間も苦しんでいたのだけれど、1年ぐらい練習したらウソのようにスラスラ書けるようになった。コツを飲み込むというのはこういうことかと思ったものだ。

そして、2年目ぐらいから、バイト先も教育関係に変えた。福祉系の放課後デイサービスのような施設で、仕事の内容は戻り学習中心の塾講師のような部分がかなりの比重を占める。なので、気がつくと私は、塾講師を指導する家庭教師みたいな変な立場になっていた。この1年ぐらいは、「こんな生徒がいるんですけど、どうやって教えたらいいんですか」みたいな相談を受けることが多くなってきている。いや、みんな苦労してるんだなあ。

 

以上が前フリだ*2。本題は、そこで相談を受けた「英語ができない子」の話だ。

4月頃の話だったと思う。

「中学2年の女の子なんですけどね。英語が全くわからないんです。スタッフのミーティングで、『とにかく基礎が大事だから中学1年の問題から解かせてみたら』ってアドバイス受けて中1の問題をやらせてるんですけど、全然マルがつかないんですよ。本人も自信なくしてて、英語やってると泣き出すぐらい」

と、まあ悲惨といえば悲惨な状況だ。「どうやって教えたらいいんですか」と言われても、そこまで壊滅的だと下手なことは言えない。

「いったん英語から離れて他の教科をやってみたら?」

「でも、英語の成績がやばいから、なんとかしてくれって親御さんからも言われてるし」

「教科書の音読とか、そういうのが初歩としては定石なんやけど」

「あ、そういうのはできるんです。上手とまではいかないけど、読めます」

「じゃ、泣くことないじゃない」

「でも、問題がひとつもわからないんですよ。なにより、『自分は英語がわからない』って思ってるから、考えるのをやめちゃって、当てずっぽうで答え書いてるのが見ててもわかるんですよ」

「で、本当に『英語がわからない』って、見てて思う?」

「そりゃ、中1の基礎問題もわからないんですから」

「単語もわからない?」

「そこは一生懸命やってるんで、ある程度は覚えてるんです。けど、過去形とか、変化がわかってない」

「教科書の本文の意味はわかる?」

「それはわかってるみたいです。でも、問題はわからない」

だいぶ状況が見えてきた。

「英語がわかるって、どういうことなんやろね」

「それは、ちゃんと読めて、書けて、聞けて、話せてっていう」

「語学の4要素やね。で、実際のところ、書くのと話すのはそこそこハードルが高い。近頃は小学校ぐらいから英会話とか行ってる子どもはそれでもけっこう英語で喋るけど、そうでもなければ中学生ぐらいだと無理だと思っといたほうがいい」

「ですね。試験にも出ませんし」

「なので、読むのと聞くのが中心になるんやけど、聞く方はYouTubeの動画とか使ったらええんちゃうか」

「前に教えてもらったシャドウイングのやつですね」

「そうそう。けど、問題は読む方や。ところで、英語の読む力って、どうやったらわかると思う?」

「長文の読解問題とかですか」

「そうやね。ただ、英語の試験問題ってのは長文問題でもそこにいろいろな種類の問題を混ぜてくるからね。だから、英語が読めてるかどうかを知るには、とりあえず簡単な長文読ませて、『なにが書いてあった?』って、聞いてみるのがいい」

「そういう問題集とか、ありますか?」

「いや、問題みたいにするとかえって面倒や。ほら、以前、英語をやり直そうっていうことになったとき、最初に英検4級用の長文読んでもらったやろ」

「ありましたねえ」

「単語とか、わからないのがあったら説明したらええんよ。とにかく最初から最後まで読んでもらって、『何の話やった?』みたいに聞いてみたらいい」

「たとえば、『本を買う話だった』みたいな感じですか」

「そうそう。そしたら『それって何の本?』とか『なんで本を買おうと思ったの?』とか『誰と買いに行ったん?』とか、いろいろ聞けるじゃない。そうやって聞いていったら、だいたいの意味が取れてるかどうかは判断できるやろ」

 

実際、私は中学1年から英語を学び始めた生徒には、そういう指導をする。以前には、中学1年の生徒には英語指導はしなかった。せいぜい定期テスト前に教科書の音読をさせるぐらいで、なるべく英語には触らなかった。というのは、英語が全くわからない生徒に英語を教えても、あまり目に見えた効果が上がらないからだ。中学1年が終わるまで学校の授業を通じてある程度は英語に馴染んでもらってから、一気に文法のまとめをやるのが効果的だった。けれど、改訂ごとに目に見えて英語の教科書の内容が高度になり、前回の指導要領の大改訂で一気に英語のレベルが上がって、その方法は捨てた。なぜなら、中学1年の学校の学習だけでは、圧倒的に「英語に馴染む」ための量が不足するのが明らかだからだ。いまの指導要領のレベルを中学の3年間で達成するためには、もっと多様な英語に大量に触れておくことが、文法的な学習を開始する以前に必要になる。

なので、中1になったら、まず英語を読ませる。いや、それは無理でしょうと思うかもしれない。以前の指導要領の考え方は、そういうことだった。西も東もわからないのにいきなり読ませても混乱させるだけだ。それよりは初歩的な文を教えて、そこから徐々にステップアップしていくべきだと。

けれど、まず音読から入ることは、やってみれば可能だとわかる。教科書にはフォニックスに準拠した基礎的な発音法の解説があるから、必要があればそれを参照させて(ほとんどの場合その必要もないが)、「そこはローマ字の読みとは違ってこう」とか、「こういうアルファベットの組み合わせではこんな音になる」とか説明しながら読ませると、割と早い段階で簡単な長文をきれいに読めるようになる。そして、そんなふうに英語を読ませて、「いま読んだところにはどんなことが書いてあった?」と聞く。すると、たいていは「わかりません」となる。あたりまえだ。そこで「わからない単語があったら質問して」と指示を出し、質問させ、できるだけていねいに単語を解説していく。そうやって解説しきってから、もういちど音読させ、「なにが書いてあった?」と尋ねる。すると、だいたいは当たらずとも遠からずの説明をしてくれる。つまり、文法的な説明とかほとんどせずに、「英語がわかる」状態を無理矢理につくり出すことができるのだ。

そうやって、毎回、長文をとっかえひっかえしながら、音読をさせては単語の解説を補足し、そして内容を確認するということを繰り返していく。数ヶ月繰り返すと、本人の中に「英語がわかる」という感覚が生まれてくる。ちなみに、それをさらに自信に変換するために、たとえば英検4級を受験させてみるとかいうことも、生徒によってはやる。その場合には英検受験用のちょっとした特訓もやるけれど、あのあたりはパターンだからあんまり英語力とは関係なく、訓練だけでできたりする。ともかくも、そういうことをやると、「私は英語がわかる」という感覚が生まれる。そこまできて、ようやく文法的な学習に進むことができる。いまの学習指導要領に合わせたスピードで英語を身に着けさせようとしたら、このぐらいの荒療治はしないととても間に合わない。

 

ともかくも、重要なことは、言葉というのは文法的に分解して単語間の正確な関係を理解しなくても、だいたい雰囲気でふわっと理解できてしまうことだ。それも、音として受け入れると、その「ふわっと」がさらにうまくいく。国語*3の低学年の教科書にルビが振ってあるのは、「知らない言葉でもとりあえず音として読みましょう」という考え方の現れだと思う。そしてそれがうまくいく*4。声に出して読み上げることができ、そして鍵になる単語の意味を説明してもらえれば、文の大意は雰囲気でわかる。

もちろん、英語学習を進める上では、そこで止まってはならない。「ふわっとした理解」は、ときにはとんでもない誤解を含んでいる。正確に理解するには文法的な知識が不可欠であり、それはきっちりと積み上げていく学習によって身に着けねばならない。ただ、そういう正確な理解に至る学習は、「ふわっとした理解」があったほうが圧倒的に効率がいい。それをささえるのは、「英語ならだいたいわかる」という自信だ。「わかるんだけど、なんかここのところがなんでそうなるのかわからない。変だ」という感覚から、「なるほど!」が生まれる。江戸時代の漢文ではないが、「素読百回、自ずと意味通ず」の乱暴な方法は、そういう意味で案外と効率がいい。

 

教職免許を目指している例の生徒に、こういう指導方法についてアドバイスした翌週、さっそく報告があった。

「長い文を読ませて、何が書いてあるか聞いてみたんですよ。そしたら、その『当たらずとも遠からず』のことをちゃんと答えてくれました」

「英語が全くわからないわけじゃなかったんだ」

「そうなんですよ。それで褒めたら、とても嬉しそうでした」

「そこで言ってあげるんやで。『いままで中1の問題をたくさんやってきて辛かったと思うけど、そのおかげでほら、英語がわかるようになったじゃない』ってね。そして、しばらくは穴埋めとか並べ替えとか書き換えとか、とにかくテスト対策みたいな勉強は触らないようにして、その自信を深めていくようなことをどんどんやらせてみたらいい。半年もやったら、準備ができるから、文法に進めるよ。そしたら遅れを取り返せるから」

もちろん、「中1の問題をたくさんやってきたから英語がわかるようになった」はウソだ。けれど、自分がやってきたことが無意味だったと思うほどしんどいことはない。それがどれほど意欲を削ぐことかと思えば、ウソでも、「これまでがんばったからわかるようになった」と思ってもらうほうがいい。そうやって自信をつけて、そしてそこから「なんとなく英語がわかる」と思えるようになったら、文法に進めばいい。

 

これで一件落着かと思ったのだけれど、実はこの話、続きがある。2ヶ月ほどたって、また「以前に話した英語ができない生徒のことなんですけど」と、相談があった。

「うまくいきはじめたんじゃないの?」

「はい。どんどん英語を読ませて、いい感じに進んでたんです。けど、俺が休暇とったときに、他の先生が入ったんですね」

「まあ、たまには休みも必要やんな」

「今年は教育実習も入らないといけませんし。で、そのときに、その先生、その子の英語のテスト見て、『これじゃダメだから、このプリントをやりなさい』って、大量のプリントを宿題に出したんですよ」

「そんなん、無視させたらええやん」

「そうもいかないんですよ。っていうのは、その先生、有名な塾から移ってきた人で、実際、うちに来てからでも生徒の成績をあげてきた実績があるんですよ。俺みたいなのが文句言える立場にないです」

「で、その生徒は」

「また、英語が嫌いな状態に逆戻りです。ぴたっと手が止まってます」

「だったらもうそのやり方があってないのは明らかじゃない」

「でも、その先生、『毎週提出は先生との約束だぞ』みたいに脅してるんですよ。俺が休んだ1回だけで、もうずっと先の計画まで立てて、そして俺に『それをちゃんとやらせないからこの子はこんな成績なんだ』って言うんですよ。ミーティングでも、はっきりと『君の責任でしっかりやらせなさい』って」

「でも、1年間、そういうプリント中心でやってきてダメやったんやろ」

「少なくとも俺が引き継いだときはそうでしたね」

「だったら、そのやり方があかんのは明らかやん」

「でもね、学校のテストに出るのはそっちなんですよ。その先生、確かにプロなんです。『俺はこの地域で採用されてる教科書を徹底的に研究してこのプリントをつくった。テストには必ずこのプリントの問題から出る。この問題の答えを完璧に覚えたら、テストで満点取れるはずや』って言うんです。で、たしかにそれはそのとおりなんで、俺、反論できないんですよ」

 

私だって反論できない。学校のテストは学習指導要領、そしてそれを体現した教科書に準拠している。だからこそ、教科書を徹底的に研究すれば、出題される問題の7〜8割は予測可能だ。それを100%暗記すれば、学校のテストなんて恐るに足らない。実際、かつての中学英語の学習塾の指導の多くはそういう観点から実施されてきたし、それで十分に役に立ってきたと言えないこともなかろう。

けれど、学習指導要領の改訂で、教科書の記載内容は一気に増えた。教科書ごとの変異も大きくなった。学校の定期テストだけなら1社の教科書だけ研究すればいいのだけれど、県単位の入試や全国単位の模試だとそれだけでは不足するようになる。いきおい、反復練習で覚えなければならないプリントの量は膨大になる。まず、人間にとって処理可能な量ではなくなる。

じゃあ、英語のテスト対策は無理なのかといえば、実はそうではない。最終的には、英語がわかってしまえば、あんなもの、暗記なんてしなくったってそこそこの点数が取れるようになっている。対策をするんじゃなくて、英語の理解を深めることで、最終的に点数を確保しにいく。それしかないだろうと、新学習指導要領の時代に思う。

けれど、「これを全部覚えたら満点取れますよ」という理屈には、それで対抗することはできない。なぜなら、そりゃ、全部覚えたら高得点が取れることはウソではないからだ。そして、それが実質不可能だと指摘したところで、「がんばればできないわけはない」「怠け心では向上しない」「根性が足りない」みたいな精神論を持ち出されたら、もうそこで議論はできなくなる。ああ、そうですねと言うしかなくなる。

 

結局、私は自分の生徒である彼に、「まあ、プリントの方はなんとか誤魔化して、やってるふりだけさせて、半分くらい、元に戻して自信をつけさせてあげるしかないんちゃうかな」と姑息なアドバイスをするしかできなかった。こういうことは、しょっちゅうあるのだ。例えば学校の宿題。無視しては成績が下がるけど、やったところでたいした意味はない。それでも、学校の教師の機嫌を損ねないことは、それはそれで重要なのだ。だってそれで「英語の成績」が変わってくるのだから。

英語はおもしろい。英語を学ぶことはおもしろい。おもしろいと思えるようになったら、それほどの負担でもない。それを阻害してる元凶がつまらないテスト問題だ。けれど、それがなければ評価のしようもないというのも、わからんでもない。まったく、世の中はうまくいかないもんだ。

*1:ぐらいだったと思う。生徒の生年月日をいちいちチェックしないから。

*2:もちろん、これが文章講座なら、「まず、長い前フリは全部削除しろ」と指導するところだ。私だって他人に対してはそうアドバイスする。けど、ブログぐらい、まあ、好きに書かせてもらおう。

*3:つまり「日本語」なんだが、なぜだか教科名は「日本語」ではない。学習指導要領の七不思議。

*4:ちなみにそれができない英語圏では読字障害がはっきりと多い

マナーは厳しくなったのか、緩やかになったのか

数日前、こんなコメントを書いたら、そこそこにはてなスターをいただいた。

友人の結婚式に招待されたのでレンタルドレス屋に行ったら、店員が勧めてくるドレスがオフホワイトや淡い水色など全部白に見えるようなものばかり…安全ラインでいきたいと伝えても「いえ、白ではないので」

こないだ初めて結婚式に出席した息子の話とか聞いてると、いまの若い人は過剰にドレスコードを意識しているようだ。それも「年配者に遠慮して」と。いや、昔のほうがよっぽどええ加減やったって。いまはなまじAIが…

2026/08/16 11:43

b.hatena.ne.jp

こないだ初めて結婚式に出席した息子の話とか聞いてると、いまの若い人は過剰にドレスコードを意識しているようだ。それも「年配者に遠慮して」と。いや、昔のほうがよっぽどええ加減やったって。いまはなまじAIが…

ただ、このコメントは相当に不足した内容だった。100字の制限では書ききれない。なのでちょっと補足が必要かなと思っていた。そしたら同じ記事に、こんなコメントもあった。

友人の結婚式に招待されたのでレンタルドレス屋に行ったら、店員が勧めてくるドレスがオフホワイトや淡い水色など全部白に見えるようなものばかり…安全ラインでいきたいと伝えても「いえ、白ではないので」

『「年配者に遠慮して」と。いや、昔のほうがよっぽどええ加減やったって。』昔の方が厳しいし年配者は直接言ってくるからな。そもそも気にしてる人にそれ言ったって全く意味ない。

2026/08/16 14:20

b.hatena.ne.jp

もっともなことで、昔っから口うるさい人はいた。それがどこまで許容されるかという話でもあるのだけれど、実際には一概にはいえないと思う。そのあたりのこと。

 

まず、「昔」というのが実に漠然としている。たとえば、昭和のはじめ頃は旧憲法下で家制度が法的に有効であって、家長に逆らうと結婚なんてできなかった。年長者の言うことは絶対であったから、相応に厳しかった*1。ところが同じ昭和でも、戦後すぐには「旧弊な制度から自由になった」という空気が生まれ、おそらく昭和30年代の半ばぐらいまでは続いたようである。この時期には年長者の発言力は弱まった*2。ところが高度経済成長期が続く中で一億総中流化が進むと、新たに財力をもった人々が年長者として権威をもつようになっていった。その一方でアメリカからヒッピー文化が流入し、「大人なんて」という対抗文化も生まれていった。さらに時代が進むとバブルでひと財産儲けた人々が、やたらと懐旧的・復古的にマナーにうるさくなった。昭和だけでもこのぐらいにややこしい。いまでは平成だって「昔」の範疇なのだから、ひとくちに「昔は」なんて括りは、実際にはできない。

それに加えて地域差も大きい。この地域差は、たとえば都市部と農村部というような違いに大きく区分することもできるし、関東地方と京阪神といったような地方を括りとした違いで考えることもできる。あるいは、同じ都市部でも中心の商業地帯と近郊の住宅地、さらにその住宅地を生み出した旧農村では社会のあり方は同じではない。ひとくちに「田舎」といっても酒屋へ三里のような山奥と役場のすぐそばでは考え方は同じではない。

そして、個人差がこれらを覆ってさらに極度に大きい。これは小うるさいことを言う人はどこにでも必ずいるという意味でもあるし、同じことを言われても気に病む人もいれば全く無頓着な人もいるという意味でもある。

 

ということで、こういう話をすることに意味はない、というのが結論になりかけるわけだけれど、それでも、ブックマークにコメントをつけたのは、現に、「結婚式(の披露宴)に初めてよばれてん」という息子と話をしたからだ。そしてそのときに感じたことがある。あるいは息子が発した言葉がある。

それは、息子が着ていったスーツの色目のことだった。一般常識的には──少なくとも昭和の終わり頃の常識的には──、結婚式の披露宴は親族は略礼服、友人はスーツということになっていた。親族の略礼服は結婚式の方にも出席するからだ。もっとも、従兄弟とか、少し離れた若輩者はスーツという場合もあった。いずれにせよ、近親者ほどフォーマルで、遠くなるほどあまりフォーマルにしすぎないというのが原則だった。だってそのほうが見分けがつく。相手方の親戚なんて初めて見るわけだから、「あ、あの人はお父さん、あの人が兄弟なんだな」ぐらい、格好で判断できたほうが便利だ。

ともかくも友人で参加する場合は、あまりフォーマルにしすぎずに、かといってあまり派手なスーツにもせず、地味なグレーあたりにしておくのがよろしいとされていた。新郎よりも派手になってしまっては、それこそ誰が主役かわからないじゃないかということでもある。もっとも、グレーと決まったわけではなく、濃紺のスーツとかもけっこういた。とにかく、派手でなければまあよろしいと。私の感覚はそんなところだ。

そして息子だけれど、初めての結婚式披露宴だということで、だいぶ前から張り切って服やら小物やらを買い揃えていた。実際のところ彼は私なんかよりもずいぶんといい男で、まあ非の打ち所のない格好で出かけていった(はずだ。私は仕事をしていて出かける姿は見ていないから)。で、帰ってきてから首尾を聞いたら、「少しスーツの色が明るすぎたな。ちょっと浮いてしまった」と、冴えない顔で言った。

「いや、グレーと言ってもいろいろあるやろし、そのなかでちょっと明るめやったぐらいで浮くことはないやろ」

「いや、みんな同じような色合いやったな。実際、行く前に調べたらちょっと違うような気はしてたんやわ」

「でも、グレーはグレーやろ」

「まあ、アウトというわけではないと思うねん。けど、みんな同じ中では、ひとり浮いたのは間違いない」

「近頃の結婚式は、そういうもんなんか?」

「全部がそうかは知らん。けど、いまはなまじ調べられるやろ。結婚式に着ていく服はどんなのがええか、AIがすぐにパッと出してくる」

「そんなもん、AIなんか嘘つきやんか」

「AIに限らん。ネット調べたらいくらでも情報が出るやろ」

「言うてもそのとおりにせなあかんことはないやろ」

「ただ、調べへんかったら、ちょっと調べたらわかることをサボりやがったみたいに思われるやろ」

「そういうもんか?」

「調べたらわかることを調べもせんと行ったら、そのことが非常識やと言われる。スーツの色の問題やないんや。下調べをきちんとせんことが問題になるんや」

正確な再現ではないが、こんなふうなことを話した。

 

「昔」と変わったなあと思ったのは、ここだ。たしかに昔も口うるさい年長者はいた。「あんた、そんな格好してきたらあかんで。失礼やで」みたいなことを、顔を合わせるなり言ってくるような人はいた。けれど、困った顔で佇んでいると、「あのオバハンの言うことなんか気にせんとき。あの人は誰にでもああやねん。なんやったら天皇陛下に向かってでも行儀がわるいぐらい言いかねんで」みたいにフォローしてくれる人も現れた。つまり、絶対的にこれが正しいとかあれが間違いという基準は当人の中にしかなく、世間一般には決して共有されていなかった。

ところが現代では、本来は存在しない「世間標準」が、あたかも存在するかのように見えてしまう。だって、ちょっとスマホを開けば、それを教えてくれるからだ。

もちろん、Webの世界は現実同様に多様であり、中には私のように「そんな、マナーみたいなもん、どうでもええねん。披露宴は楽しんだもんが勝ちや」みたいに言う異端だって探せば見つかる。けれど、初めて披露宴に出ようかという人が、わざわざそんな極端な意見を探すわけはない。そして標準的な情報を探そうとすれば、だいたい出てくる答えは同じになる。それが現代のWebのあり方だ。

ということで、何が起こるのかというと、すべて同じ色調のグレーのスーツが並ぶという結果になる。息子の場合、たまたま手持ちのグレーがあったからそれで行こうという話になったのだけれど、それはGoogleで、あるいはSNSで、あるいはAIが推奨してくるものとはすこしだけ色調が異なっていた。その程度のちがいは誤差の範囲のようにも思えるが、他がすべて同じだと、さすがに浮いてしまう。

そのことを誰かになにか言われたわけではない。おそらく誰も気にしてはいない。けれど、「調べてわかることをサボった」みたいに思う人がいるのではないかと、これは一種の被害妄想かもしれないが、しかしネットの炎上なんかを見ていると、あり得ない話でもないように思えてくる。「誰にでも文句をいうオバハン」は、視界の中からは消えたかもしれないが、それだけに不気味にクラウドの上から見下ろしている。「仮想年配者」は、面と向かって文句を言ってこないだけに、余計に厄介だ。

 

難儀な時代やなあと思う。自由ということでいえば、いまほど自由な時代はない。けれど、雁字搦めといえば、こんなにも目に見えないものに縛られる時代もない。そういうことを相対化してみることができればいいのだけれど、若い人たちには無理なのだろう。そういう意味では、「あのオバハンがおかしいねん」と二次会でクダをまくことができた昔のほうが、ある意味、ゆるかったのかもしれないなあと思う。といった話の果てで、「昔のほうがよっぽどええ加減やった」と書いたつもりだった。

 

ま、「昔がよかった」が出てきたら、人間おしまいが近いのかもしれないな。そう思えば、たとえどれほど窮屈な思いをしていても、やっぱり若い人が羨ましくもあり…

*1:はずだ。私は話でしか聞いていない。

*2:という話を聞いている。このあたりも不確かではある。

書くという行為について ─ 一次方程式その後

前回、家庭教師として中学1年生への一次方程式の指導に失敗している話を書いた。

mazmot.hatenablog.com

下手くそな内実を晒してどうするよということではあるが、書いてよかったなと思う。今回はそういう話。

 

一次方程式を学ぶ意味は学習者にはわかりにくい。意味だと意義だとか目的だとか考えさせるよりも、たとえば点数を意識させるとかゲーム感覚で取り組ませるとかいったゴマカシでもって乗り切る方が楽だ。実際、多くの生徒はそういうふうにごまかされてこの難関を越える。そういうことを書いたのだが、正直、ごまかすのはどこか違うなという気がしていた。次回の指導時にどういうふうに進めるか、つまりどうやってごまかすのかを考えながら、どうしても違和感を抜くことができなかった。

「書いてよかった」というのは、書くことによってそういった自分の感覚がはっきりと言語化*1できたことだ。どういうことか。

 

今日、その生徒の指導があった。通常のコマではなく、前回のやり直しで入れたコマだ。その仕切り直しにあたって、まず私は謝った。これは当然だろう。ちゃんと教えられず、迷わせてしまったのは指導側の責任だ。そのうえで、ブログに書いた内容を、そのままではないけれど、包み隠さずに伝えた。なぜうまくいかないのか、それをごまかす方向に動くのではなく、情報を共有する方向で動こうと思ったわけだ。そのためには、私が困っている状況をそのままに知ってもらうのがいいのではないかと思ったわけだ。

これはひとつの賭けだった。私の言葉を単なるお説教とか言い訳とか、そういうふうに生徒が受け取ったら、かえって事態は悪化する。もしそうなるのなら、最初からこの手は避けて、素直にゴマカシに走ったほうがいい。けれど、この生徒とは1年近い付き合いがある。その間、私はずっと彼に正直に接してきたつもりがある。そういう素地があるからこそ、彼なら理解してくれるのではないかと感じていた。

結果、15分ほどかけて一次方程式を巡る状況を説明したことは吉と出た。「答えを考えるのではなく、決められた手順通りに決められた操作を実行する練習だ」ということを(不承不承の様子ではあったけれど)受け入れた彼は、ものの15分もすれば適切な解法を実行できるようになり、30分後には自力で正確な解が出せるようになった。まだ完成まではいかないが、60分授業の15分を犠牲にした意味は十分にあった。

 

前回のブログを書こうと思ったのは、特別に目的があったわけではなかった。強いていうなら、「やってられんわ」と愚痴をこぼしたかったということになるかもしれない。誰に対して愚痴るわけでもなく、チラシの裏に書きつけるのと同じようなことだ。10年以上前ならともかく、近年はブログにはそのぐらいの価値しかなくなっている。たいして読まれもしないし、共感やアドバイスが欲しければSNSに書き込む方がずっといい。ただ、まとまった分量を書こうと思ったらそれはブログにならざるを得ないというだけのことだ(SNSで連投なんかやっても、一部の人以外はほぼスルーされるのだし)。

けれど、そうやって書くことで、自分の考えが明確になる。輪郭がはっきりしてくる。そして、それまでに見えなかったことも見えてくる。「ごまかすしかないかなあ」と思っていたことが、「いや、正面からこの悩みを共有してみたらどうだろう」という考えに変わっていく。書かなければ、それは起こらなかったことだろう。

ブログなんかやってて何になると、特にアクセスの減った近年は思わないこともない。このブログをはじめた頃には、「自分の発言が可能なチャネルは確保しておきたい」という気持ちがあった。けれど、現に1日に数人の人が読むかどうかというような場所は、もうそういう目的には合致しない。それでも書くことには意味がある。こうやって考えをまとめることができる。そしてごくわずかでも、それを読んでくれる人がいるということで、チラシの裏とはまた少しちがった緊張感が生まれる。誤字だって直そうと思うしね。そういうことで人間、少しずつマシになっていくのだろう。

そうあってほしいものだ。

*1:この近年の表現が適切かどうかはちょっと置いておいてほしい。

中学1年生を泣かせてしまった

家庭教師として、私は決して厳しい方ではない。基本的に生徒を叱責することはないし*1、大声を出したり威嚇することもない*2。けれど、生徒を泣かせてしまったことがないわけではない。「あとで泣いてました」という報告をご家庭から受けたことが数回あって、それは恥ずべきことだと思っている。だいたいはこっちの説明がわるくてよくわからないのを「理解できない自分がわるい」と思って泣くわけだから、責任は全面的にこっちにある。もっと上手に教えないのがわるい。

そういう失敗を乗り越えて私も少しずつ進歩していると思う。だから「あとで泣いてました」みたいな話はしばらくなかったのだけれど、昨日の夜*3、久しぶりに中学1年生の生徒を泣かせてしまった。オンライン指導中、回線が途切れて生徒が消える。それはたまにあることで、しばらくすると「パソコンの調子がわるくて」とか「タブレットの電池が切れて」みたいなことを言いながら生徒が戻ってくるのがふつうだ。けれど昨日は戻ってこなかった。どうしたのかと思ってお家の方に連絡を入れたら、「泣いてました」とのことだった。まだまだ修行が足りない。

 

基本的にこの話は「家庭教師としての教え方がわるい」だけで完結するのだけれど、それでもなお、付け加えておきたいことがある。それがまあ本文というわけなのだけれど、中1生に何を教えていたかということだ。それは一次方程式だった。そして、私の中に、何か思い当たるところがある。もう古い話なのだけれど、そういえば私もこの一次方程式、つまづきかけたよなあと。

 

中学生に一次方程式を教えるとき、まあ生徒によって多少は違うのだけれど、「移項」とか「分母を払う」とかいったジャーゴンはなるべく使わないようにしている。もちろんそういった用語があるということはそれによって整理される概念があるわけで、言葉が先にあったほうがきちんと理解できる人もいる。そういう人には言葉から入ってもいい。けれど、多くの生徒は、言葉から入ると言葉に本来のものではない意味を与えてしまう。たとえば、小学6年生で出てくる「逆数」だが、「逆数ってなんですか?」という質問にほとんどの生徒が「分母と分子を入れ替えた数」と答える。これは技術的に正解なのだけれど言葉の意味、つまり概念としての逆数の捉え方としては完全にマズい。そうではなく、「積が1になる数のペアが必ず存在する」*4ということを体験的に納得させてから、そのペアの関係が特別であって、それが計算に役立つということをつかんでもらった上で、「その2数の関係を逆数というのだよ」と説明する順番でなければならない。もちろん、そういう2数を分数で表すと「分母と分子を入れ替えた数」になるわけだけれど、定義はそうではない。

それでうまくいく生徒はそれでもいいのだけれど、たとえば「移項」という概念を方程式が安定して解けるようになる前に教えてしまうと、「移項だから項を移せばいいんだな。えっと、なんか気をつけることがあったな。プラスとマイナスを入れ替えるのか。えっと、だからここの符号は…」という順番で思考が進むため、エラーの発生頻度が多くなる。移項の際に符号を間違える事故が多発するのだけれど、それはだいたいこういう順序で思考が進む途中での迷いから発生している。そうではなく、もともとの等式の性質で「両辺から同じものを引く」式で操作をするなら、この混乱は起こらない。ただ、それでは作業効率が上がらないので、ある程度安定したところでショートカットとして「移項」という概念を教える。まあ、こっちが教えなくてもその頃には学校で耳にタコができるぐらいに「移項しなさい」みたいに言われているだろう。それが結びつけば、それはそれでいい。

つまり、私のやり方は、あくまで「基本に忠実に」だ。常に「自分は何をしているのか」を意識すること、「なぜそういうことをするのか」を把握しながら、「なぜそうなるのか」を確認すること、これらを一つずつ積み上げる。だいたいはそれでうまくいく。もちろんそれではスピードは出ない。けれど、確実に身に着けた技能は、必要に応じて練習が可能になる。練習をすればスピードは上がる。最初からスピードを意識すると、あやふやなまま手先だけが動くようになって、計算ミスがいつまでたってもなくならない。これはもう、小学算数から高校数学まで、一貫して言えることだ。自分がいまやっている操作はどういう意味をもつのか、そこから目を離してはならない。

多くの生徒はこれでうまくいく。特に一次方程式は、「決められた手順通りに決められた操作を実施すれば自動的に解が出てくる」ものであるために、学校の指導はどちらかといえば「手順を覚える」「操作を覚える」という訓練に偏りがちになっている。その際に、「自分が何をしているか」は、見失われがちになる。「何のためにその操作をするのか」を意識することなく、「このパターンではこの操作」的に反応する訓練を受ける。だからこそ、いったん崩れると回復ができない。思い出せなければ終わりという暗記力に頼った技能になってしまう。これに対して、原理から入って基礎をつくれば、そういった脆さは生じない。だから、基本に忠実に積み上げていく方式にはそれなりに自信をもってきた。

けれど、振り返ってみて、自分自身が中学生のときに、方程式の解法に迷いがなかったのかというと、けっこうそうでもないことを思い出す。どういうことか。

 

中学校に入った時点で、私には「算数なら得意だ」という意識があった。それが、しょっぱな、正負の数で躓いた。当時の正負の数の計算は(基本はいまも変わっていないが)「正の数と正の数の和」「正の数と負の数の和」「負の数と正の数の和」「負の数と負の数の和」「正の数と正の数の差」「正の数と負の数の差」「負の数と正の数の差」「負の数と負の数の差」といった具合に細かく場合を分けていって、それぞれについてその計算を練習していくというスタイルだった。これで私は一気に迷い道に放り出された。なにより暗記の苦手な私は、問題が出てもそれがどの場合に当てはまり、その場合にはどういう操作をすべきなのかを思い出せなかったわけだ。算数では何一つ迷うことがなかったのに、このときには本当に途方に暮れた。

どうしようかと思ったのだけれど、このときには「そもそもプラス、マイナスってなんだ」というところに戻って、自分なりの脱出方法を考えだした。我流ではあるけれど、最終的にそれは正統的な考え方と同じであるということがだんだんにわかってくる。このときに学んだことは、「本質をつかめば練習はそれほどの量はいらない」という事実だった。もちろん練習によって得られるものがあることは間違いないのだけれど、「身体で覚える」式の練習は、数学に関しては意味がない。数学はあくまで論理の学問であって、論理は身体的なものではない。

そうやってひとつの壁を超えることはできたのだけれど、そのときに別種の壁があったことをかすかに思い出すことができる。それは、「こんなん、要らんやん」という感覚だった。「要らんのに、なんでやらなあかんねん」と、納得ができなかった。というのも、小学校までの算数では、負の数なんて使わなくても正解が得られた。それで不自由しなかった。そして、中学校で「負の数の考え方を応用して解いてみましょう」みたいに提示されている問題も、負の数なんて使わなくても解くことができた。マイナスがくっつく数は温度計ぐらいしかなくて、温度計を理解するために負の数の演算法則なんてなくったってどうにかなる。

もちろん、世の中に負の数の概念があるのは、それが便利だからだ。役立つからだ。それが便利に使えるような問題は、小学生には出題されない。だから中学1年の初っ端の時点では、それがこれから必要なのだということが見えない。「必要になります」と説明されても、納得できない。だって、鶴亀算だって旅人算だって、そんなものなしで解けるじゃないのと*5。しょせん、12歳の視界にうつる世界なんてその程度のものだ。

そして方程式だ。方程式の入り口は、かんたんだった。これは小学校で既に「□に入る数をもとめましょう」として出題されていた形式のものだったからだ。私が子どもの頃には□だったが、その後、小学校から文字を扱うことになり、いまでは中学1年生の段階で文字を含んだ式にも、その文字にあてはまる数(つまり解)を求めることにも、多くの生徒がそれなりに慣れている。その当時でも、「ああ、あてはまる数なんだな」ということはすぐにわかった。そして、それは逆算で求めればいい。かんたんだ。

けれど、ここで中学校の教科書はそういうふうに進まない。等式の性質を用いて、式を変形していく。等式が常に有効に成立することを確認しながら最終的に左辺に求めたい文字、多くの場合はxを、右辺に数をおく形になるまで変形していく。これは馴染み深い逆算とは全く異なる概念だ。

もちろんその意味は、通り過ぎて振り返ってみればわかる。逆算は、ひとつひとつ計算の意味を逆に辿っていく行為だ。ひとつひとつの計算の意味を確かめながら、「もしもこの計算をしなかったらどうなったか」と戻っていく。それはそれで論理的な思考を鍛える意味がある。けれど、方程式はそうではない。式が成り立つに至った論理を一切無視し、等式に抽象化された情報のみから、一定の定型化した手順でもって操作することで解を導く操作が方程式だ。

そしてそういった抽象化から定型化した手順で解く操作を身につけることは、その先の数学の基礎になる。方程式の概念がつかめないまま中学数学のその先を学ぶことは困難だし、高校数学は不可能と言っていい。だから何はさておいて一次方程式の解法には力を入れることになる。

けれど、学んでいる当人にはそれが見えない。ここがポイントだ。ここまでの算数で学んできたことは、方程式的な抽象化をしなくとも何の困難もなく解けている。小学生から中学生になったばかりの生徒には、世界はもう自分の手中にあるような錯覚が生まれている。たしかに中学の数学では難しいことを学ぶのだろう。けれど、それがどんなに難しかろうと、それは自分の手にした技術でもって解決することができる。現に、一次方程式の応用問題とされている問題を、私は解いてみた。なんだ、こんなもの鶴亀算の応用で解けるじゃないか!

こうして私は迷いの道に踏み込みはじめた。何のためにこんなややこしい手順を辿らなければならないのか、意味を見いだせない。もちろん、教師は言う。これが数学の基礎だ。この先、この技法がとても役に立つ。けれど、具体的になぜそうなのか、どんなことに役に立つのか、それはその先を知らない者にとっては霧の向こうに薄ぼんやりと霞んでしか見えない。

「移項」とか、わけのわからないことはどうでもいいじゃないか。私はあくまで逆算式にこだわった。そしてだんだんと解けなくなっていった。方程式の特徴は汎用性だ。どんな複雑な形をした式であっても、単純な操作を繰り返していけば必ず解にたどり着くことができる。ここが逆算とは違うところだ。特に、文字の項が複数存在するような場合には、逆算式ではやがて太刀打ちできなくなる。そうやって問題が解けなくなってくると、だんだんと自信がなくなってくる。素直な生徒ならそこで自分のこだわりを捨ててもう一度基礎から方程式の手順を身に着けようとするのだろうが、私は早い段階でそれに見切りをつけてしまっていたから、「あんなものは無意味だ」と、振り返りもしなかった。結果、数学はどんどん謎になっていき、私は落ちこぼれへの道をまっすぐに歩き始めていた。

 

そういう生徒は少なくないのだと思う。泣かせてしまった中学1年生も、全く同じではないはずだけれど、似たような感覚に陥っているのではないかと想像する。そしてそれは全面的に教える側の責任だ。「なぜそれが基礎になるのか」「それがどんなふうに役立つのか」「それを身に着けた先にどんな風景が広がっているのか」、それを見せてやれていない。そこを見せることができれば、彼ほどの理解力があれば一次方程式の解法なんて実にたやすいはずだ。

けれど、それをうまく見せられない。なぜなら数学の世界は数式と論理でできていて、その数式と論理を理解するためには基礎がなければならず、基礎がわかっていない人にそこに表現された風景を理解させることはできない。その風景が理解できなければなぜそれが基礎なのかがわからず、学習へのモチベーションが生まれないというのに、まずそこを越えてくれなければ風景を見せてやれないわけだ。これは教える側にとっても教わる側にとってもフラストレーションになる。

こういうことは数学を学んでいく途上で起こりやすい現象なのだけれど、特にそれがはっきりと発生しがちなのが、一次方程式の単元だと思う。中学数学の最初の躓きの石は正負の数だ。そこをなんとか乗り切った先にある障壁が一次方程式なのだと思う。そして、それを乗り越えるためには、結局は何らかのごまかしを加えなければならないのだろう。

最大のごまかしは、そもそも「なぜ」を考えさせないことだ。そのためには点数を競わせるのが最も効果的だ。これが多くの学校や塾でやっていることであり、現実にそれが効果をあげている。方程式を学ぶ意味だとか、方程式で開ける世界だとか、そういったことは一切無視して、手順を身につければそれで点数が上がる、さもなくば点数が下がるということに集中させる。意味なんかは、そうやって技能が身についてから考えればよろしい。それでだいたいうまくいく。

けれど、それでは納得できない人がいる。納得がなければ身体が動かない人がいる。数は多くないが、世の中にはそういう人もいる。私がそうだった。「こんなことをやっていったい何になる」と思った途端に手が止まる。「これって変じゃない」と感じたら、それだけでブレーキがかかる。そういう人が少数でも存在する。証拠はないが、あの泣かせてしまった中学1年生も、そんな一人ではないかという気がする。小学生から見てきて、彼ほどのセンスがあれば方程式を解くぐらい何の困難もないはずだというのはわかる。実際、操作をひとつひとつほどいてやれば迷いもなく正確な計算をする。けれど、一連のシーケンスを自力で実行させようとすると、破綻する。手順を定められたとおりに追いかけなければならないという意識がまったくないのが見ていてわかる。そうしろと直接形で言ってもやらない。納得していないのだと推定するのは、そういった反応があるからだ。

 

私自身は、やっぱりごまかされてそこを越えたのだと思う。たぶん、YMCA主催の合宿か何かに中1の夏休みに放り込まれ、そこでドリルをやらないと遊びに出られないみたいなことがあったように記憶している。鳥取県の大山の麓で、気持ちのいい高原だった。日常から離れたそういう環境で、自分自身のこだわりをいったん脇に置くことができたのだろう。

それがよかったのだかどうだか、私には価値判断ができない。ひとつ言えるのは、そこで一次方程式に悩まなくなって、そこから数学が安定し始めたことだ。だから、成績を安定させるという意味では、効果はあった。それでもいまでも思ってしまう。もしもあのまま悩み続けたら、どうなっていたのだろうと。おそらくその悩みが自己解決するまでの長期にわたって、私の数学の成績は底辺に徐々に近づいていったことだろう。それでも気になる。もしもあのまま悩んでいって、最後に自分自身で納得を見つけることができたら、そこにはどんな世界が見えたのだろうかと。

そういった余裕のある学びを、可能であれば自分の生徒にはたどっていってほしいという願いが私の中のどこかにある。けれど、それが本人の幸せにつながるのかどうか、それは予見できない。ごまかされてそこを回避してきた私に言えることは、ごまかしでもなんでも、バカになってここを越えていけばそれはそれなり、人並みに成績は上向くよということぐらいだ。ああつまらない。

 

次の授業、私はやっぱりごまかしの方法を考えるんだろうな。それはスマホのアプリかもしれないし、段階的なドリルかもしれない。いろいろと方法を思案してるが、それはどれもこれもごまかしだ。そうではなく、「いや、だから、ここはこういう思想でもって一見無意味な手順を踏む行為を行うのだよ」ということを納得させるような手段が見つかれば、それがベストだ。けれど、それはいまのところ見つかりそうにない。ああ、まだまだ修行が足りない。道は遠いよ。

*1:これは原理的にそうすることができないからに過ぎない。詳細は以前に書いた

*2:オンライン指導専門だから、インターネットの回線を通してパソコンの音量以上の声を出すこともできなければ回線越しに物理的な暴力を加えることもできない

*3:私は遅筆なので、公開時点では数日前の夜になる。

*4:もちろん0には存在しないのだが、それはまあ本題ではない。

*5:こういった算術が指導要領から外れて長いが、私が子どもの頃はまだ授業で教えられていた。ちなみに、現在の教科書ではコラム扱いになっていて、学校の授業で取り上げる必要はないとされている。取り上げる時間もないだろう。その一方で中学受験では必須の基礎になっている。このあたりの捻れに関しては、いろいろ言いたいこともあるのだが、それは別の機会にしよう

夏掛けにサマーシュラフを使っている

私は寝袋、古い言い方ではシュラフザック*1、略してシュラフで寝るのには慣れている。もともとが大学山岳部だからね。ただ、シュラフなんてのは夏用と冬用の2つあれば十分というスパルタ式でやってきて、実際、山登りをしていた頃には新人のときに買ったその2つをずっと使っていた。これらの寝袋は、30代半ば過ぎに山に登らなくなってからも何かと便利に使っていたのだけれど(例えば繁忙期に事務所の床に転がって寝るときとか)、結婚して何度目かの転居の際に廃棄した。長年使い込んだためにあまりにもボロボロになっていたからだ。そしてそれ以来、シュラフとは無縁の生活をしてきた。

4年と少し前になる。老母の住む家に週に何日か泊まるサイクルで生活していかないといけなくなった。実のところ、これはちょっと恐怖だった。というのは、私はアレルギー体質で、子どもの頃は喘息と慢性鼻炎、アトピー性皮膚炎に苦しんでいた。それが一人暮らしをはじめて以来だいぶマシになり、結婚後にほぼ軽快したので、「あれは実家アレルギーだったんだな」と思うようになっていた。なので、そこに生活すると、また体調が崩れるのではないかと怖れたわけだ。

基本的にはハウスダストだろうと見当がついていたので(ペットなどの動物アレルギーもあるのだけれど、幸いペットはいない)、まずは徹底的に掃除をした。あと怖いのはベッドと布団だ。なので、そこは避けることにして、ベッドの代わりにハンモックを、布団の代わりにシュラフを持ち込むことを考えた。このあたりの発想が、我ながら山岳部だと思う。

ハンモックに関しては、そこそこに試行錯誤があった。山登りと縁のある装備とはいえ、私は使ったことがなかったから。最終的に、フレームを3つ試してようやく安定した運用に落ち着いた。これに関してはまた別途記事を書こうと思っている。

シュラフに関しては、当初、DAISOで1500円だったかでキャンプ用のが格安に売っているのを見つけていたから、それを買った。けれど寒かったので、羽毛のサマーシュラフを改めてネットで探して買った。羽毛量の少ない軽量コンパクト型のシュラフなのでこれはこれで暖かくはないのだけれど、キャンプ用の安物と組み合わせて二重にするとなんとか実用的な保温性にはなった。ただ、DAISOの安物はしょせん安物で、使ううちに中綿がどんどん偏り始めた。その結果、半分くらいは綿のないペラペラの布の袋みたいになって、ほぼ意味がなくなる。ちょうどその頃、ハードオフに行く用事があった折に、やはりキャンプ用のサマーシュラフが1000円で売っているのに気がついた。こっちのほうが安いのに、はるかにしっかりしたつくりで、中綿もいい。なのでこれを買ってDAISOの方は冬場のデスクワークのひざ掛けに転用することにした。

ちなみに、デスクワーク時に下半身をシュラフに突っ込むのは絶大的な威力を発揮する。「冷えは万病の元」というが、「冷え」というのは基本的に下半身の血流が不良になることで、実際のところ風邪をはじめとする体調不良の遠因になる。だから「頭寒足熱」は重要なのだけれど、靴下を履こうがひざ掛けをかけようが、冷えるものは冷える。けれど、シュラフに半身突っ込んで覆ってしまうと、さすがに保温性が高くなる。ついでにいえば就寝用の電熱式のアンカを足先に入れておけば無敵だ。少々室温が低くても、快適に仕事ができる。難点といえばうっかり立ち上がって動こうとするとひっくり返ってしまうことぐらいで、いちいち袋から身体を出さなければならない。

ともかくもそういう運用をするようになった冬、へたばったDAISOのシュラフをデスク用に使っていたのだが、中綿の偏りはそういう用途でも気になる。そんなとき、今度はセカンドストリートだったかで以前買った「ちょっとマシな」キャンプ用のサマーシュラフとほぼ同じ製品が500円で売っているのに気がついた。キャンプ用品は夏に売れる。冬だから投げ売りしていたのだろう。なんか悔しかったが、500円で快適になるのならと買った。その直後に、もっと暖かそうな(それでも分類としては夏用の)シュラフが別のセカンドストリートで値札の半額で売っていた。確か700円だったと思う。思わず買ってしまった。山に登ってた時期には2つしか持ってなかったシュラフ、この時点で4つも持つことになってしまった。

ひざ掛けはこれで充足したのだけど(DAISOのシュラフは完全に退役した)、就寝用としては不満がないわけではなかった。冬期にサマーシュラフで寝るのは寒い。ただこれは、羽毛のサマーシュラフを内側に、外側にキャンプ用のサマーシュラフと、二重にするとしのげることがわかっていた。いよいよ寒くなると3重にする。これで中綿の量は冬期用のシュラフに近くなるし、実際、寒さもしのげる。ただ、3重のシュラフをかぶるのは面倒だ。そうこうするうちに、またもセコハンショップでスリーシーズン用のシュラフを見つけた。1000円ぐらいだったように思う。山岳部で使う厳冬期用のシュラフよりはだいぶ薄いが、これと羽毛のサマーシュラフを組み合わせるとほぼ無敵になる。ということで5つ目のシュラフを保有することになった。なにをやってんだか。

 

シュラフが増えていく途中で、実のところ、これらの何枚かは夏用の掛ふとん、いわゆる夏掛けに使えるのではないかという気がしていた。サマーシュラフは基本的にサイドジッパーで、ファスナーを全開にすると1枚の広いキルトになる。化繊だから丸洗いできるし、タオルケットなんかに比べたら少しは保温力もある。ちなみに夏の暑いときはタオルケットがいいとかいうのだけれど、暑いときにはその1枚でも暑いくせに少し冷えたときにひっかぶっても寒いままなので、私はあまり好きではない。サマーシュラフならそのあたり、ちょうどいい保温力のように思う。

そこで去年あたりから使い始めたのだけれど、これが案外によろしくなかった。軽すぎて落ち着かない。表面が化繊で滑りやすいのもあって、朝になったらどこかにいってしまっている。これでは布団の役に立たない。

 

それが今年はいい感じに使えている。なんのことはない、寝袋は袋状で使えばいいのだと気がついたからだ。つまり、サイドジッパーを閉めて使っている。ただし、暑いから足先は開いている。つまり、筒状にしてもぐりこんでいるわけだ。

サマーシュラフのジッパーは、同じように見えて、スライダーが1個のものと2個のものがある。5つも使っているから嫌でも気がつく。スライダーが1個のものは基本的に開閉しかできないが、2個ついているやつは上の方を閉めておいて下の方を開くことができる。つまり、頭の方も足の方も開いた筒のようにして使うことができる。

夏場に袋に潜り込むのは暑いよなあと思っていたわけだが、足が開いているとそれなりに涼しい。そして、夏の睡眠時にいちばん防御したい腹から腰にかけてをしっかりと温めることができる。寝返りを打ってもずり落ちていかないし、これは具合がいい。この夏はこれで乗り切れそうだ。

 

ちなみに、山登りをやっていた感覚では、こういったキャンプ用のサマーシュラフほど理解に苦しむものはない。基本的に山の上は寒いので、サイドジッパーがついている意味はほぼない。真夏の低山なら夜でも暑いこともないではないが、そんな場合はシュラフではなく、シュラフカバーで夜を過ごすことにすれば背中の荷物の軽量化ができる。サイドジッパーなんてのは重量が増えるだけだし、さらにいうならほとんどのサマーシュラフで採用されている封筒型は役に立たない。結局、ああいうのは安いだけの無意味な製品だというのが、登山をやる人間からの結論だった。

けれど、日常に使うのであれば、こういうのも役に立つのだなあと改めて思う。’世界は単純ではない。一方から見たら全く無意味に見えるものでも、他方から見たら便利なものだったりする。ジッパーのスライダーが1個だろうが2個だろうが、何も関係ないと思っていたが、その違いで使い方の幅が広がる。

だから何事によらず、「あれがいい、これがよくない」という判断は慎むべきなのだろう。あるいは、そういう判断には、必ず「いまの自分にとっては」という限定をつけるべきだ。「いま」は変わるものだし、「自分」だって不変ではない。新しい時代、新しい自分になれば、いつだって判断を変えてもいい。たとえその新しさが、単にこの先に年老いていくことであるとしても。

*1:もちろんこれはドイツ語由来の外来語で、英語のsleeping bagに相当する

先が見通せないのが世の中だから

先月、実家の片隅にある工場のことを書いた。 

mazmot.hatenablog.com

ナフサとともに仕事がなくなる世界 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

ちょっと悲壮感のある締め方をしたので、その後のことは書いておかないといけないなと思った。というのは、あの記事を書いたすこしあとぐらいから、工場の方はけっこう稼働率が上がっている。だいぶ前から1週間の稼働日数は3日ぐらいだったのだけれど、先月からは、私が来た日にはほとんどいつも機械を動かしている。私は毎日実家を訪問するわけではないので来ないときにどうだかはわからないけれど、こないだは日曜だというのに機械が動いていた。

一昨日、家賃の集金に行った際に、大阪人の決まり文句「儲かりまっか」ではないのだけれど、仕事の様子を聞いてみた。なにせ、前回は相当に暗い顔で「しばらく仕事が切れると思う」みたいに言っていたのだから。「おかげさまでようやく戻ってきました」とのことだった。切れずに発注が来るのだという。特に4月から5月にかけては休みが多く、仕事も半日で上がるような状態が多かったから、最悪の時期は過ぎたのだろう。そして、そうなると、仕事が減っていた時期の不足分を補う発注が来る。なにせ、包装資材は、世の中になくてならないものなのだから。

 

いろいろ考え合わせてみると、2月末にアメリカのイランに対する武力行使が始まり、4月の頭ぐらいにはホルムズ海峡が通れなくなった。世間でナフサ不足が話題になっていったのは(ブクマの履歴を見ると)4月半ばだ。けれど、それはいくつかの企業でナフサ不足に対応する動きがあった報道を受けてのことだから、業界内ではもうホルムズ海峡封鎖とともにナフサ供給に問題があることは予見されていたのだろう。だから製袋所の方にも発注が来なくなり、仕事が減った。私はそういうことに疎いから、一方でTOTOやカルビーのニュースにブックマーク付けたりコメント書いたりしながら、それを工場が休みがちなことと関連付けて考えることをしなかった。「最近よく休んでるなあ」とは思っても、「あそこももう高齢だからなあ」ぐらいにしか思っていなかったわけだ。

イラン情勢の先行きはまだまだ不透明だ。けれど、ナフサに限って言えば、どうやら供給は可能だという目が、おそらく業界内では6月の頭ぐらいにはもう見えていたのだろう。実際のところ、値崩れなんて噂も聞くようになったぐらいだ。だからポリエチレン袋の発注も再開されるようになった。このあたり、プロの世界は反応が早い。

 

結局のところ、末端の町工場はそういうのに振り回されるだけ振り回されるわけだが(そしてそれを外野から見た私のようなものが騒ぐだけ騒ぐわけだが)、経済はそれなりに回り続けている。とはいえ、戦争みたいな派手なことをやると必ずその損失はどこかに押し付けられる。私の視界に入る範囲では、それは町工場の2ヶ月ほどの売上減少として吸収されたわけだ。年金もらえるほどの高齢者の仕事がすこしぐらい減ったところで、世の中はなんということもなく回る。そういうバッファを社会は備えている。

そんなことを考えていたら、こんな増田(通称:はてな匿名ダイアリー。あ、逆や)の記事も見かけた。

anond.hatelabo.jp

米問屋さん無事死亡

一昨年の米不足の折に高価で仕入れた米が昨年の収穫を経て不良在庫化して経営を圧迫しているという話のようだ。私のようなシロウトの外野から見れば、「早いこと損切りしてなかったのが甘い。だいたいが米屋なんてのは江戸時代以来の長年にわたって利益を貪ってきた既得権益の最たるもので、伝統的に農家からも消費者からも恨まれてきたんだから、その報いだ」ぐらいに思わないでもないのだけれど、これもまた、社会全体としては危機的状況に対するバッファとして働いたのだと見ることもできる。つまり、仕入れ価格が高騰したときでもとにかく仕入れ、販売する業務を継続したことで経済は回るのだし、昨年の新米の前にそれを放出しなかったとしても、それ自体が万一の不作に対する備えにもなったはずだ。

実際、早々に見切りをつけて損切で仕入れ価格を割り込むような販売をする判断もできただろうし、高値が続くことを見込んで在庫を置き続けることもできた。前者であれば価格の低下に寄与しただろうし、後者であれば(実際にはそうならなかったとはいえ)7年産の米の収量が低かった場合に在庫をつなぐことができた。つまり、米屋の思惑にかかわらず、さまざまな事業者の経営判断から総体として社会全体は恩恵をこうむっていたわけである。

見通せない未来に向かって、事業者は、何らかのベットをする。「こうなったら儲かる」「そうなったら損をする」という金儲けの理屈でもって、予測を立て、その中で最善と思われる手を打つ。それがあたったらガッポリと儲かり、はずれたら最悪倒産というのが資本主義の原理だ。だから、一方に賭ける事業者がいれば、逆張りをする事業者もいる。両方がいることで、どっちかに賽が転がったときにどっちかが勝ち、どっちかが負ける。バクチのようなものではある。

そのバクチのおかげで、社会は不安定な未来に対して一定のバッファを持つようになる。それはいろいろな事業者がいろいろな思惑、いろいろな都合、いろいろなバックグラウンドでさまざまな対応をとるからだ。そのどれかがうまく機能するから、どれかがハズレても、全体としては社会は安定する。

 

そういうふうに思うとき、ハズレくじを引いて失敗した事業に対して、「そりゃ、お前の見通しが甘い。自己責任だ」と切り捨てるのはおかしいのだということに気がつく。いや、そういう場合もなくはないだろう。あんまりにも夢のような見通しで無茶なことをした結末には、「自業自得やん」と思わなくもない。けれど、たとえば戦争が続くかどうかみたいな予想のできないことに対して、どちらかにベットして、そしてそこで損失を出しても、それは社会にとって必要なことだったと言わざるを得ないだろう。

実家の片隅の町工場、年金暮らしで困っていないところにシワ寄せを押し付けるのは、なんだかなあと思わなくもない。けれど、言葉を変えれば、しっかりと社会福祉が機能しているからこそ、仕事が減って売上がガタ落ちになっても、工場の主は困窮することはない。

 

セーフティーネットは、たんなる弱者救済ではないのだと思う。資本主義はある部分、冷徹な勝負だ。勝者がいれば必ず敗者がいる。平常時にはそれは目立たないが、世の中には必ず波乱が生じる。そういうときに、その時流にうまく乗れた人と乗れなかった人で、大きな差が生じる。だが、そういう勝負をかけることで、社会の安定が回復する。だとしたら、敗者も勝負に参加したことで、実質的に社会の安定に寄与したわけだ。だったら、勝負の上では負けても、「よくがんばったで賞」は胸を張って受け取るべきだ。セーフティーネットというのは、そういう機能を果たすのではないだろうか。

資本主義を認めるのであれば、公共の資金は常に弱い方に回さなければならない。なぜなら強者はもうそれだけで十分に報いを受けている。その一方で、報いを受けられなかった人々も、それぞれなりの役割を果たしている。だから、社会を維持するためにこぼれ落ちそうな人々を支える必要がある。そうでなければ、成功している人たちだって生きていけないからだ。

 

という原理があることはもうまちがいがない。ということを前提にして、それでもやっぱり、私は資本主義そのものに対する違和感を、相変わらず拭えない。自分自身の経済感覚としては「ほっといてくれ。好きなことをやって稼ぐから」というスタンスがあって、それはまさに自由主義そのものだろうと思わなくもない。そうやって好きなことやることで社会がうまく回る。社会がうまく回ることに寄与するのだから、もしも失敗したら社会に養ってもらうのに何ら恥じることはない。そういう感覚が確かにある。けれど、そこで落ち着けない。もっとなにか違う原理原則で自分は生きているような気がする。だが、それをしっかりと捉えられないでいる。いつか、見えるだろうか。

 

いや、先のことは見通せないよ。もう、自分自身にベットするしかないよなあ。わけがわかんなくても…