中学受験は子どもの成長に寄与するのか

逆境は人を成長させる? 「中学受験は子どもの成長に寄与するのか」という大仰なタイトルにいきなり答える形でいうならば、「それは場合による」。さらに言うならば、たいていの場合は寄与する。ただしそれは、人間というものがそういうものだからだ。人間は…

若い頃の本棚の中身が出てきた

死んだ父親は営業職から早い退職をして以後の人生後半を自宅の片隅にしつらえた町工場で製袋加工を営んでいた(ちなみにこの工場はもともと母親の個人事業だったから、「どっちが社長か」というのは微妙だ)。しっかり稼いでいたのだけれど、マラソンを引退…

シチズンシップについてのわかりにくい話

「シチズンシップについてのわかりやすい話」みたいな解説がどこかにあったら、ぜひ読みたいと思っていた。というのも(あんまりはっきり書くと不都合もあるのでやや事実を枉げて書くのだけれど)大学を受験する高3生から「世界市民としてあなたはどう生きる…

チラシ配りの思い出

長い人生で戸別のチラシ配り、つまりはポスティングをやったことが何度かある。ポスティングの求人のチラシがたまにポスティングされているが(ややこしい)、そういう専門の事業としてではない。事業なら数種類をまとめて投函するので1枚あたりのコストが下…

新刊発売のご案内 - 「貧困とはなにか」(明石書店)

去年の秋から年末にかけて1冊の本を翻訳していた。ようやく出版、発売になる。 www.akashi.co.jp 新版 貧困とはなにか - 株式会社 明石書店 https://www.amazon.co.jp/dp/4750356484 この翻訳に関するネタは、何度かこのブログでも取り上げてきた。 mazmot.h…

EV乗り比べの記 - i-MiEVとMINICAB MiEVを乗ってみて

いま、車を乗り換えたところだ。先週までちょうど2年のあいだ乗っていたのが三菱のi-MiEVで、これは2009年に製造されたEVの初期型の中古車だった。それに代わって乗り始めたのが同じ三菱のEVで、やはり型式としては同じ時期に製造が開始された軽ワゴン車の新…

「主義」という語のややこしさについて - まとまらない雑感

-ismと「主義」 量としてはたいしたことはなくなったとはいえ、いまだに翻訳の仕事をあたえてくれるクライアントがいる。AIの時代にこれはなかなかありがたいことだ。いずれはくると予測していた「翻訳はマシンの方が使いやすい」時代が、現に到来しつつある…

解釈すること

「一を聞いて十を知る」という言葉がある。利発さを表す言葉であり、私の兄などはよくそんなふうに褒められていた。子どもの頃のことだ。私の方はといえば「あんたは何遍言ってもわからん」と呆れられる方で、利発さとは程遠かったのだが、だが、そこは遺伝…

息子が不登校になったときの思い出

学校は行っといたほうがいい。これはもう大前提だ。その上で、実際には学校なんてそこまでのもんでもない。だから、命がけで行くようなもんじゃない。しんどかったら行かなければいい。新学期のこの時期、こどもの自殺が有意に増える。死ぬくらいなら休めば…

書くだけなら、犯罪の手口を書いても罪には問えない(ふつうは)

死んだ祖母が私が子どものころに「世のなかに覚えておいてわるいことは何もないよ」と言っていたのを、いまでもその口調とともに思い出す。「泥棒だけは覚えたらあかん」とも言っていたのだが、この「泥棒を覚える」は知識の類ではなく、慣用表現で「悪事を…

テレビを見ないとどうなるか? - 特に大きな影響はないかな?

私はテレビを見ない子どもだった。私の息子もそうだ。単に特殊な事例ではあるのだけれど、2例そろってるから、報告の資格はあるのではなかろうか。テレビを見なかったからといって、それで子どもが不幸になるわけではない。逆に優秀になるわけでもない。すこ…

己を知るということ - 自己認識と思い込みのはざまで

「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」は孫子の兵法以来、経験則としてあらゆる勝負事の基本とされてきた。敵(彼)を知ることは、困難ではあっても、一定の限界内では客観的に判断可能だ。これは通俗ビジネス書などではたとえば顧客情報や市場分析のよう…

無目的な行動と合目的的な行動と - まとまらない雑感

山登りらしい山登りをやめてから20年以上になる。ピッケルだとかクライミング用のロープだとか山靴だとかは、結婚したときに捨てた。命を危険にさらすことができる立場ではなくなったと覚悟を決めたからだ。ただ、実質的にはその数年前からそういった道具類…

「正しい勉強の仕方」なんてない - 幻は追いかけないこと

「勉強のやり方を教えてほしい」という需要が多いことに、家庭教師をやっていると気がつく。そこに至る状況はだいたい想像できる。 「なんで勉強しないの」「やろうと思ってるんだけど」「じゃあ、やりなさい」「何からやったらいいのかわからない」「まず宿…

外国大学への進学を勧める理由とその対応 - 主に英語に関しての話

私立高校なんかでよくプログラムに組み込まれてる短期留学などの語学留学を除けば私の生徒で外国の学校へ進んだ人はいまのところいないのだけれど、遠からず出てきても不思議はないと思っている。先日も、体験授業だけ受けて結局契約には至らなかった医学部…

「いつ、だれが」に関心がある自分と、ない自分

辻邦生の「安土往還記」を少し前に久しぶりに読み返した。中学生か高校生の頃に何度も読んで「スゲェわ」と感心して以来、十年ぐらいおきに読み返しているんじゃないかと思う。とりあえず手堅く楽しめる1冊として、自分の中ではリリーフエース的な位置づけと…

民主主義って何かというのが、まず人によってちがうという話

細かい話をするといろいろと面倒なので、大雑把な話。 このあたりを読んで、「ああ、なるほど、そもそも民主主義ってものに対して考え方がまったくちがう人がいるんだなあ。それもけっこうな多数で」と思ったので、そのこと。 anond.hatelabo.jp まあ、以前…

校正やってた頃の思い出

大学を途中で辞めてバイト生活をはじめてしばらくして、私が自分の仕事として選んだのは編集だった。もう40年も前のことだ。まだDTP以前の時代で、主流は写植だった。電算写植がそろそろ出てきていたけれどまだ虫眼鏡でドットが見えるぐらいの解像度で評判は…

認知症のことはよく知らないけれど - 老母との日々

老母、その後 去年の春、生活のパターンを変えた。年老いた母親の体調が急速に低下したからだ。3年半ほど前に父親が死んで以来、母親の住む実家には週に1回ぐらいの割で顔を出していた。高齢であるし、コロナが流行していることもあったから。ちなみに、父親…

「共同親権」の議論を思うにあたっての個人的経験

ブコメの言い訳 先日、こちらのツイートにくっつけたブックマーク・コメントに対して、たくさんの黄色い星を頂いた。ただ、短いコメントなので、けっこういろいろな受け取り方をされているのではないかと、あとになって思った。 猫さん on Twitter: "やばい…

「貧困」という言葉を誤解していたらしい

「実家が太い」と言ってしまっていいと思うのだが、私は貧しさと無縁な生活を送ってきた。無縁というのもちょっとちがう。いろいろな局面で貧しさと隣り合わせになりながら、そこにつきものの苦しみから本質的に遠いところにいた。事業がうまくいかなくなっ…

少し、中学受験指導の要領がつかめてきた

中学受験に関してはこのブログでも再々書いているのだけれど、ぶっちゃけていえば、私自身は中学受験指導の経験がそれほど豊富とはいえない。家庭教師業、いちばんお客さんが多いのは高校受験だし、中学受験は手数ばかりかかる。高校受験のノウハウは割と確…

なぜ「全部譲ってようやく対等」なのか

この記事 anond.hatelabo.jp 結婚・同居すんなら「絶対に譲れないこと以外は相手の希望に沿うように譲れ。それも無言でそうしろ」 に対してつけたブックマーク・コメント 結婚・同居すんなら「絶対に譲れないこと以外は相手の希望に沿うように譲れ。それも無…

DeepLを業務に使った

翻訳エンジンのDeepLは、登場したときから「あ、これで時代は変わったな」と思わせてくれるものだった。ただ、実際の仕事に使おうとは思わなかった。仕事というのは翻訳仕事だ。業務としてお金をもらう仕事では、いくら優れていても使う気になれない。クライ…

多様性と宗教と

私の宗教に関するスタンスは割とはっきりしている。個人的に敬虔でありたいと願っているが、それは他者と共有するものではない。したがって、共有することを前提として人が集まる組織宗教に属することはないし、そういったものとは距離をおきたい。このあた…

「高三の夏休み」の比喩がわからない

はてなの有名人のシロクマ先生のブログは、語り口が柔らかくて、読んでいて気もちがいい。だから割と楽しみにしていて、私がいつも見ている「お気に入り」のリストにあがってくるとたいてい読んでいる(そしてシロクマ先生の記事はたいてい誰かがブクマして…

ごく個人的な、ランドセル問題

ランドセルの話が出るたびに、もやもやする。ランドセルという製品そのものについてではない。いや、用途によってはいいものだろう。弾薬を運ぶとか、そういう物騒な話でなくとも、あのカチッとした形状がフィットする用途はあるだろうし、持つ人が持てばオ…

Twitterをはじめてみた

Twitterのアカウントをつくった。特に深い意味があるわけではない。 Twitterを最初に使い始めたのは割と古く、2010年初頭のことだ(アカウントそのものはもう少し前につくっていたようにも思う)。ブログを書き始めたのが2006年で、その頃はいろいろな選択肢…

宗教に関する断片的な思い出 - 1990年代の地方都市と農村で

私はノンポリであると同じくらいに非宗教的だ。ただ、これにかんしては個人的に引いている一線がある。「宗教」というものを私は2つに分けてとらえている。まずひとつは個人的な非合理な思考だ。もちろん非合理的思考のすべてが宗教であると考えているわけで…

蕎麦の思い出 - たいした話ではないけれど

蕎麦、といっても麺類としての「ソバ」ではなく、穀物としての蕎麦を初めて意識して食ったのは、たぶん20代の終わり頃、信州の土産で「蕎麦米」を買ったときだと思う。信州土産といえばそれ以前に蕎麦茶は何度かもらったり買ったりしていたので、そこまで遡…