中学受験に関してはこのブログでも再々書いているのだけれど、ぶっちゃけていえば、私自身は中学受験指導の経験がそれほど豊富とはいえない。家庭教師業、いちばんお客さんが多いのは高校受験だし、中学受験は手数ばかりかかる。高校受験のノウハウは割と確立しているので、こっちもそれを繰り返すほうが楽だ。なので、訪問指導で仕事をしていた頃には小学生が来たら、何かと口実をつけて他の講師に早い段階で交代するように心がけていた。主にスケジューリングの都合を優先すれば、それほど角もたたずに交代できる。まあ、なかには「この生徒は大学受験まで付き合いたい」と思わせてくれる生徒もいたが、それも事情で途中交代した。なので、自分の担当で合否が出るところまで教えたのは5年か6年前に本番直前の数ヶ月だけを教えた1件があるきりだった。
それがオンライン指導専任になってから、急に中学受験生が増えた。増えたといっても年に2、3人だけれど、それでも小学校4年生ぐらいからの長期プロジェクトだから、体感としてはもっと多くの小学生を指導しているように思える。あと、もうひとつオンラインになってからの変化として、以前は主力だった地元の公立中学から高校進学を目指す生徒がほとんどいなくなり、中高一貫校の生徒が増えたことがある。これは、中学受験生が合格後にどんな教育を受け、一般の公立中高生とどんなふうに違った学習をしていくのかを知ることにつながった。そういう意味で、中学受験を立体的に捉えることができるようになってきた。
そこで、まだまだ専門家とまでは言えないのだけれど、中学受験の指導で得た知見を少しまとめておこうと思う。ちなみに、別の記事でも書いたけれど、私は家庭教師の会社に所属して業務にあたっている。なので、会社特有のノウハウや会社独自の業務内容に関しては守秘義務がある。そういう部分は書かないし、それに関連する部分はぼかしたりフェイクを入れるかもしれない。そういう意味では、これはネットによくある怪しげな情報のひとつでしかない。
プレーヤーには案外と素人が多い
正確にいえば、中学受験生の指導は、私がオンライン専任になった3年前のさらに少し前から徐々に増えてはいた。その中でも、小学4年生から3年間つきあってもらった生徒が、私にとって初めて「最初から最後まで」を見届けた生徒になった。彼の受験はオンラインになってから受け持った他の2人の生徒と同じ時期、2年前の春になった。そして、そのときの中学受験組は、3人が全員志望校不合格という惨めな結果になった。
私も素人だったよなあと思う。わずか3年前のことではあるけれど、後悔は多い。そういうときに限って、「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」という言葉をご家庭からいただくことになる。結局、こっちがうまく進められずに苦しんでバタバタやっているのが伝わってしまうから、「先生は一生懸命」という感想が生まれるのだ。そう言われるうちはまだまだ素人だ。そして、私以上に素人なのが、生徒が通っていた塾だった。
その3年教えた生徒、私が担当したときには既に学習塾に通っていた。京阪神で中学受験といったら2番目くらいに名前があがる大手学習塾だ。そこの宿題についていけなくなって家庭教師にお呼びがかかったというのがだいたいの経緯だったように思う。そういう需要はけっこう多い。だからこそ、こちらも塾の手の内はだいたいわかる。そして、実は大手学習塾が、こっちに劣らず素人であることがわかる。
そりゃ、企業全体が素人であるわけはない。以前にも書いたけれど中学受験には「伝統的にそうなっている」以上の根拠がまったくない不文律が数多く存在していて、それに精通しているのは昔っからその業界にいる宗匠たちだけだ。大手塾ならそういう人材はかかえているだろうし、講師の中にはベテランだっているだろう。けれど、そういうトップクラスのスタッフは、トップクラスの生徒の組にだけ配属される。これは学習塾のビジネスモデルを見れば明らかだ。彼らは精鋭がどれだけ難関校に合格したかだけを見ている。それが新たな客を呼び寄せる最強の広告材料になるからだ。中から下の生徒は、単純に金づるでしかない。よって、そこには人件費の高いベテラン講師は配属しない。まして、個別教室の講師とか、月謝をいくら払っているかを考えたら安い時給のアルバイト以外は配属できないことが明らかなはずだ。別に私は安いアルバイトの講師を批判したいわけではない。私だって最低時給と大差ない安い講師でしかない。彼らだって、一生懸命にやる。その姿は「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」につながる。ちょうど3年前の私のように。
いや、3年前の私でさえ、塾のやり方には相当に腹がたった。「こいつら、頭悪いんちゃうか」ぐらいには思った。なぜなら、そこに戦略性が全く感じられなかったからだ。一般に、中学受験対策には時間がかかる。出題される問題が多様で複雑で、その全てに対応しようと思ったらひとつひとつマスターするのに十分な時間をかけねばならず、十分な時間は前倒しで稼ぐしかないからだ。だから、学習塾では各種問題を3年生、4年生のうちから割り振って仕上げていく。もちろんそのカリキュラムに難易度の工夫や積み上げの順序、関連性の工夫がないわけではない。うまくその流れに乗っけられたら、確かにかなりの難関校にでも対応できるだろう。
だが、中学受験はそうそう筋書き通りにいくものではない。たいていの生徒がどこかで行き詰まる。伸び悩む。割合がどうしても飲み込めないとか、比の基本操作はできるのに応用問題が全くだめとか、ふつうに発生する。そういうときには、早い時期に見切りをつけて、次の段階に進むほうが効率がいい。そして、重要なことは、ほとんどの学校で、合格ラインは100点満点換算の平均で60点から70点の間にあるという事実だ。もっと低い場合もある。つまり、中学受験では、決して満点を狙いにいく必要はない。捨て問題をつくってもかまわない。30点は最初から取りにいかなくてもいい。実際にはミスもあるからそこまで捨ててはまずいのだけれど、だからといって保険をかけるつもりで全部に対応しようとするとかえってしくじる。やってみればわかるのだけれど、「とれる問題を確実にミスなくとる」練習と、「どんな問題にでもそこそこ対応できて一部分でも点数がとれるようにする」練習と、どっちが楽かといえば前者なのだ。そして、どっちが点数が高いかといえばやはり前者だ。つまり、絞り込むことで労力はかなり削減できる。
小学生に特殊なことをやらそうというのであれば、その生徒に合わせた戦略を立ていかなければならない。「ここはさっさと見切りをつけて、別な方面にリソースを振り向けよう」みたいな判断は臨機応変にやっていかなければならない。そのうえで、目先の都合だけでそういう判断をするのではなく、受験までの長い道のりの中でどの時期にどこを補強するのかの見通しをつけて、「いまやらなかったことはどの時期にどんなふうに組み込むか」という修正を加えていかなければならない。いまやっていることが先のどのあたりにどう影響してくるのかを予想し、必要十分な指導をしなければならない。
学習塾で呆れるのは、そういった戦略性が全く感じられないことだった。そりゃ、教室で集団授業をするなら、そんな対応は不可能かもしれない。けれど、個別指導でも同じことなのだ。塾のカリキュラムに沿ったテキストの消化が最優先され、「それ以前にこのあたりは大丈夫なの?」みたいなことは完全に抜ける。そして、習ったことを大量に反復させることで作業手順を覚え込ませたところでテストをして、「合格です」と次に進む。いや、作業はすぐ忘れるだろ、その作業の意味をわかってないだろと、傍からは思うのだが、どんどんカリキュラムは進んでいく。無理もない。そうすることを業務としてあてがわれたアルバイト講師に、それ以上を求めるのが筋違いなのだ。
そこを補うのが家庭教師でしょうといわれたら、私はうなだれるしかない。それはこっちはこっちでいろいろと考えて実行しようとする。けれど、時間のほとんどすべてを塾に奪われて、その上、「塾の宿題でわからないところを教える」ことが最優先で期待されている状況で、どうやって塾の機先を制して戦略を立てられるだろう。すべて後手後手に回って、気がついたら、ありとあらゆる入試問題を練習してきながら、どの問題も満足に解けないというわけのわからない状況に陥っていた。彼の名誉のためにいっておくと、彼は非常に頭の回転の早い生徒で、ユーモアに溢れ、素直であり、どこといって非の打ち所のない小学生だった。結局、彼は素人である塾講師と、やはり素人に毛の生えた程度の家庭教師の間で混乱してしまい、合格を勝ち取れなかったのだと思う。本当に申し訳ないことをしたと思うが、この程度のプレーヤーが跋扈しているのが受験業界の実態だということは、まちがいない。
それでも、「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」になるのが、本当に闇が深い。実際、私もずいぶん悩んだし、伝え聞いたところでは個別教室の講師も相当に力を入れてくれていたらしい。けど、だから褒められるってわけはない。頑張ったって結果が出せなけりゃプロじゃないんだよなあ。
焦ったところで結果は出ない
私はもともと(高校受験組の指導経験なんかも含めて)塾のやり方には疑問をもっていたのだけれど(ちなみに、会社の講師ミーティングでは元塾講師なんかからの情報もけっこう入る)、上記の生徒のフォローで印象は相当に悪化していた。そんな(ちょうどオンラインに移行した直後)の3年ほど前、小学6年生を担当した。6月頃だったかと思う。本番まで半年ちょっとだ。やはり塾に行っている。
塾に振り回されるのは懲り懲りだったので、「基本的なところは塾に任せましょう。プラスアルファの部分で合格の力になります」みたいな話で始めた。とりあえず志望校の過去問題を解いてもらったらかなり高度な文章題に手こずっていたので、「じゃあ、こういう系統の速さと比の混合問題みたいなのをうまく解けるようにすれば、似たようなのが毎年出るから、15点ほど積み増せるはず。それで自分の役目は十分でしょう」と割り切って指導に入ることにした。頭のいい生徒なので、中学の代数的な発想まで踏み込んで、塾とは全く無関係な練習を2ヶ月ほど続けた。ほかを一切無視してあと2ヶ月も続けたら、いい感じに仕上がるような気がしていた。
ところがそこで、実は春からずっと彼女が塾を休んでいることが判明した。ちょうどコロナ騒ぎが始まった時期で、学校も休みになり、多くの生徒が日常のリズムを崩していた時期だ。塾もオンライン指導になって、サボろうと思えばいくらでもサボれる。いや、サボろうと思わなくてもサボってしまうような流れができていた時期だ。私は慌てた。対策は塾に任せて自分は楽なポジションをとろうと思っていたのに、肝心の塾が機能していなかったのだから。
ここで、ご家庭と懇談をもった。なにせ大きな方針転換になる。塾の授業も受けず、教材もほとんど手を付けていない状況で、ようやく受けた模試の判定も低い。ここは志望校の変更か、むしろ撤退のほうがいいかもしれない。なにせここは首都圏ではない。地元の公立中学校に行ったって、そこから公立高校の上位校に進めば名門大学への合格もふつうに用意されたコースだ。下手な私立に進むよりも、オーソドックスに「できる生徒」である彼女の場合は、そっちのほうがいいのではないかと思った。ご家庭の方も概ねそう感じていたようなのだが、やはり本人の決断が大事と、最終判断は生徒本人に求めた。彼女の答えは、「がんばる」だった。
ここでストップをかけるのが自分の役割だったはずだと、いまになれば思う。不完全燃焼のまま挑戦を諦めさせて傷を負わせてはいけないと思った、といえば綺麗事だ。だが、受験に失敗して受ける傷だって小さくはない。春から塾を休んでいることにその予兆をもっとしっかりと感じ取るべきだったのだろう。「生徒の意思」といったって、頭のいい生徒ほど、親や教師の顔色に敏感に反応するのだ。どこまで「がんばる」が主体的なのかは怪しい。けれど私は他人任せにしてしまった。責任逃れに過ぎない。「本人がやるといったんだから」と、担うべき力のない人に責任を担わせてしまったのだと思う。そして、私はこの一連の流れの中で、ひたすら焦った。ただただ焦った。「ヤバい」と思った。なにしろ、受験は点取りゲームだ。どこで点を取りに行くか、いまから見取り図を描き、そしてそれに間に合わせるだけの力をつけていかなければならない。いろいろ言い訳もあるのだけれど、結局、私は授業コマ数の押し売りみたいなことをしてしまった。そして生徒にプレッシャーのかかるスケジュールを組んだ。結果として、何も得るものはなかった。合格はできなかった。もちろん、力のある生徒だから、滑り止めで受験した学校には合格した。けれど、それが何の慰めになるだろうか。彼女を大きく傷つけてしまったことには、後悔しかない。
生徒は、どこまでいっても結局はひとりの小学生に過ぎない。こちらが焦ってどうあがいたところで、年齢相応の成長しかできない。もちろん、この時期の成長はときにこちらが驚くほどの変化になって現れる。あとの方で述べるが、こちらも、それを期待して策を練ることもできる。ただ、そういった変化は、猛特訓であるとか、一時の頑張りであるとか、そんなものからは決して得られない。もっと緩やかに、気長に仕組んでいくものだ。「あれも足りない、ここもやってない」と焦ってたくさんのことをやろうとしたあの半年足らずの間に、私は彼女に何も与えられなかったのだと思う。「先生は一生懸命頑張ってくれたんですけど…」は、何の意味もない言葉だ。成果は、余裕をもって戦略を立てていくことでのみ得られる。じたばた焦ることに意味はないことを、この失敗から私は学んだ。高い代償を支払って。
生徒を過信してはいけない
3年前に担当したもうひとりの中学受験生は、100%のオンライン指導になった(ちなみに前項の生徒は、訪問可能な距離の生徒だったので、訪問指導を織り交ぜていた。最初の生徒は訪問だ)。この生徒は男子には珍しく大人びた感じで、周囲からは超然として趣味にのめり込むタイプの小学6年生だった。塾が合わないからやめたということで、既に受験に必要な一通りの学習は済ませている。算数の問題をやらせてみるとひととおりできるので、安心した。これが間違いだった。
小学生は忘れる。不可避的に忘れる。これは何も、批難すべきことではない。なぜなら、小学生が「わかった!」と思った理解なんて、しょせんは表層的なものに過ぎないからだ。だから、いったんわかったことを忘れ、また学び直す。学び直すときに、理解は一歩深まる。そうやっておいて、また忘れる。また学び直して、だんだんと本質に近づいていく。
塾のカリキュラムが現実的ではない理由の一つは、ここにある。たとえば鶴亀算について、その基本的な解法を学ぶ際には、かなり突っ込んだところまでテキストは詳しい。5年生(あるいは4年生)でそれを学ぶときに、そこまで突っ込む必要があるだろうか。たとえば、当てずっぽうでやってみて、そこから量を1変えてみたらたまたまうまくいった。そういう体験だけでも最初のうちはいいのではないだろうか。だって、どうせ忘れる。それでも、「こんな感じの問題は、なんかごちゃごちゃやってたら解けたなあ」という感覚は残る。その感覚を大切にして、忘れた頃に再度学び直せばいい。すると、今度は「1だけ変えてみたら」という操作の中に存在する規則性に気づくだろう。そんなふうに、忘れることを利用して、うまい具合に理解を深めていけばいい*1。
けれど、やるとなったら完璧なところまで、塾はやる。少なくとも操作として、作業として完璧にこなせるところまで反復する。問題を与えられたらきれいに模範解答通りの答えがかけるようなところまで練習させる。その解法をみていても、理解の深さなんて、こっちにはわからない。だから、外見上、問題を鮮やかに解くことができていれば、「あ、わかってるんだな」と思う。そして、そこは片付きと思って棚に上げる。
けれど、それは塾でやった直後だから解けただけだったのだ。「ここは大丈夫」と思ってほかをやっていたら、秋になって慌てた。え? もうあと3ヶ月しかないじゃないの、となって、改めて確認していったら、あちこち、ボロボロとわかっていないところが出てくる。本人はわかっているつもりでいるから、平気で見当違いな方向に突っ走っていく。基礎からやり直そうにも、どこまで理解していてどこからわかっていないのかが、なまじ手順だけ覚えているだけにこっちから見えにくい。結局は、反復して解けるようになるまで繰り返すという、最終手段に頼らざるを得ない。効率が悪いことおびただしい。
結局、この生徒も志望校には合格せず、滑り止めに受けていた学校に進むことになった。志望校の過去問とか、手応えはあったのだけれど、確実と思えるところまでは仕上げられなかった。生徒の見かけを信用してしまったのが失敗の始まりだったように、振り返って思う。そして、なまじに見かけをつくってしまう塾のやり方に、さらに不信感が増した一件でもあった。
小学生は親の影響を直接受ける
中学受験生を本格的に指導するようになった最初の年度の本番で3連敗の憂き目をみて、私は相当に落ち込んだ。これはやってられんわ、と思った。もちろん、試験なんて運が左右するものだ。それでも、運以外にコントロールできる部分はある。たとえば、倍率が1.1倍とか1.2倍くらいの入試なら、だいたいは風邪をひかないように、寝不足にならないように、お腹を冷やさないようにといった体調コントロールだけでほぼ確実に通ることができる。経験則的に、だいたい受験者の1割ぐらいは体調不良で実力が出せずに落ちるからだ。1.5倍くらいまでなら、やることをきっちりやっていればほぼ確実に合格できる。最初に風邪ひきさんが脱落したあとに落ちるのは、準備がまるでできていなかった生徒だからだ。だが、そのあたりを超えると、運の要素が入ってくる。避けられず、運に左右される。準備をきっちりやっても、運が悪ければ落ちる。どんなに優秀な生徒でも、たまたま出題された問題との相性が悪ければ落ちる。指導者の側にできることといえば、運にかかってくる部分の確率を上げることだけだ。ちょっとしたミスや勘違いだけで落ちるようなところから、それがあっても通るぐらいに正答率を上げることとか、そういう対応はできる。ただ、それは確率を上げているだけで、やっぱり運が悪ければ落ちる。
だから、たとえ3連敗でも「あれは運が悪かっただけだ」と自己弁護することはできる。けれど、それは薄っぺらい虚しさにしかならない。自分の手の内は自分がいちばんよく知っている。打った手がほとんど空回りしたのははっきりと自覚できた。「これは入試だけじゃなくて、その先、中学・高校に行ってから必ず役に立つ基礎です」と主張して実施した作文指導のような基礎トレーニングでさえ、本当に先に行って役立つものになったか疑問だった。ましてそれが入試の基礎として有効だったかどうかは、さらにさらに疑わしかった。
それでも新年度になれば生徒は入ってくる。ラッキーなことに、今度入ってきた生徒はほぼ完成品だった。既に塾でしっかりと入試準備をしてきている。塾の補強のつもりで梯子を外されるようなこともなければ、表面だけ繕った状態で全てを任されることもない。基本的には塾の指導だけで合格までいくんじゃないかと思った。塾の宿題で苦しんでいるわけでもない。特にわからないところがあって困っているわけでもない。
では、なぜそういう優秀な生徒が指導を求めてきたのか。それは、個人経営のその小規模な塾が、その生徒の志望校への対応に不足するのではないかと、ご家庭の方で感じたからだ。小規模な塾には地域性があるから、その地域の優秀な生徒はその地域の優秀な学校に集中する。なので、その塾では、その特定の学校に対する指導はきめ細やかだった。けれど、その地域外の学校を志望している生徒に対しては、どうしても指導が通りいっぺんになる。実際にそうなのかどうかは知らない。ご家庭はそういうふうに感じた。そこで家庭教師を依頼した。
これは気楽だった。たしかに、模試の判定評価はよくない。けれど、技能的にはほぼ問題ないレベルに鍛えられている。だとしたら、あとは志望校の過去問題を研究して、その類題を1種類ずつ潰していけばいい。幸いなことにこの学校は、過去問題が遡れる期間ずっと、同じ傾向の問題構成を続けている。そこから逸脱しないのだから、こんな取り組みやすい対策はない。実際、結論からいうなら、本番2ヶ月前ぐらいには、「これはどうみても合格でしょう」というところまで、難なく到達できた。
けれど、そこにいくまでの途中、けっこうなアップダウンがあった。模試の成績が下がったとか、志望校を変えようかとか、そういった悩みがよくご家庭から飛んできた。こっちからみたら、「なんでそこで悩むかよ」としか思えない。なぜなら、模試は別に特定の学校に合わせて設計されているわけではなく、標準的なものでしかない。試験対策は特定の学校に絞って行うのが効果的で、標準的な模試で一定水準を超えていたら、あとは個別の学校の出題パターン別達成度だけに照準を合わせればいい。そのためには志望校を決めるのが先であって、模試が悪いから志望校を変えるとかいったらまた一から仕切り直しで作業効率が下がるだけだ。正確には学校によってちがうのだけれど、過去問題が一貫した問題構成になっていて、合格基準点や平均点や倍率の統計がはっきりと出ている学校だと、ある水準からは模試の成績なんて気にする必要がなくなる。そういう仕組みだから安心するように伝えても、なかなか理解されない。
よく、入試は親子の二人三脚だといわれる。本来は当事者は子どもなのだけれど、どうしても親にも当事者感覚が生まれてしまう。そして、当事者には不安がつきまとう。この不安は、子どもにも影響を与える。それは直接には志望校の変更であったりするし、間接的には心理的影響であったりする。だから、この生徒の場合、生徒への指導そのものは割と楽だったのだけれど、ご家庭を落ち着けるための対応にけっこうなエネルギーをとられた。細かいことをいわなくても「任せてください!」と大口を叩ければ簡単なのだろうが、前年度3連敗の実績ではそうもいかない。ひとつひとつ根拠をもって安心させなければいけないので、それはそれなりにたいへんだった。
中学受験は「親子の受験」みたいにいわれるので、親が必要以上に気負ってしまう。この言葉は、そういう意味ではないのだ。この時期の子どもは、親のサポートがなければ中学受験のような一大イベントを乗り切れないことが多い*2。ただ、そのサポートは、たとえば美味しいものを食べさせてやるとか、夜、きちんと眠れるようにしてやるとか、日常のストレスを減らして、毎日を安心して過ごせるようにしてやるとか、そういった方面であるべきだと思う。つまり、子どもと同じ目線で当事者になってしまってはいけない。当事者はあくまで本人一人であり、それをどうやって支えるのかということにフォーカスしてもらうのがいちばんだ。アドバイスを書きながら、そんなことを私自身が学ばせてもらった。
志望校を絞ることの重要性
結局、この年度の中学受験は3人の生徒を送り出し、3戦全勝、パーフェクトで前年度の雪辱を果たしたのだけれど、考えてみればどの生徒も志望校1校しか受けなかった。多くの中学受験が滑り止めを含めた複数受験になることを思えば、これは珍しい。どの生徒も、ほぼ確実と言えるところまで仕上げて送り出すことができた。前項で書いた生徒だけは同じ学校の複数受験になったけれど、これは心配性のご家庭の性格から、まあ順当なところだろう。ちなみに、2日目の日程を他校にと相談を受けたのを私は押し留めている。どうせ通るのに、意味ないから。
あとの2人は、それぞれの事情で、進学先を絞っていた。1人はきょうだいが先に行っていてその校風に惚れたから、もう1人は近所にあって通いやすいからという明確な志望理由があった。どちらも偏差値的には高くない。中堅クラスの学校だ。過去問題の傾向も一貫しているし、倍率も1.5倍程度で高くない。風邪さえひかなければ、ふつうに準備すれば通る。気楽な立場だった。
もちろん、きちんとした準備は必要だ。そのためには生徒の現状を把握する。点数がどれだけ不足しているかを推定し、不足する点数はどの問題を取れば充足するかを判断する。あとはその問題が取れるように反復するだけだ。基礎がしっかり出来ていれば、それだけで済む。問題は基礎がしっかりできているかどうかだ。一方の生徒は十分だった。塾の経験はなく、完全に自学自習でそこまで仕上げていたのだから、いくら偏差値の高くない志望校相手とはいえ、先恐ろしい勉強家ともいえる。ただ、もちろんそれでは点数は不足する。そこが伝統芸能に落ち込んだ中学受験の怖いところだ。だから塾や家庭教師のような宗匠がそこで儲ける余地がある。そういうノウハウをもとに問題を絞り込んで少し練習したら、たちまち点数は十分になり、ついでに他の問題も練習させたら8割以上の正答を出すところまですぐに到達した。先方の都合で夏休みや冬休みの平日午前が指導の中心だったのだけれど、リモートワーカーらしいお父さんがいつも背後の台所でなにか美味しそうなものをつくっていた。ご家庭のサポートとしても、これがベストだろう。実に楽をさせてもらった。
もうひとりの生徒の方は、基礎がやや怪しいようだった。この生徒は、実は同じ会社の別の講師から引き継いだものだ。ぶっちゃけた話でいえば、その講師の指導がまずかった。あまり同僚の悪口は言いたくはないのだけれど、話を聞いてみても生徒のせいにばかりして、自分が何をやってるのかよくわかっちゃいない。戦略性がないのは、なにも学習塾ばかりではない。同業の家庭教師だって、合格への道程をきちんと設計せずにただ練習問題ばっかりやらせて「ダメだ、ダメだ」と焦るばかりの講師だっている。まあ、私自身が駆け出しの頃にはそうだったのだから、よくわかる。とにもかくにも、彼が手を付ける余裕がなかった国語、それと算数の文章題を片付けなければならない。そのためには、基礎的な国語力から積み上げないといけない。引き継いだ時点が残り4ヶ月だったから、これはかなりキツかった。けれど、やらせてみたら案ずるより産むが易し、どんどんと要領をつかんでいってくれた。これもまた、逆な意味で「生徒を信用してはいけない」事例かもしれない。見かけ上、この生徒は計算ミスはするわ、文章題の意味は取り違えるわ、国語の記述問題は白紙で残すわと、「できない生徒」の見本みたいなものだった。けれど、それは指導する側がきちんとした方向性を示さず、獲得目標も明確にせずに、ただただ正解だけを求めていたから起こった混乱だったようだ。踏み込んでいけば基礎はしっかりしているし、理解力もある。それが点数に結びついていかないちょっとした障害物をひとつひとつていねいに取り除いていけば、あっという間に合格点のレベルは超えた。最後はもう、やることもなくなって、保険をかける意味でしかない漢字練習や慣用句の暗記みたいなのをやらせてお茶を濁していた。
結局のところ、この年度の3連勝は、志望校がきっちり絞られていたことによることが大きい。いや、それは前年度の3連敗でも同じだったじゃないかといえなくはない。じゃあどこが違ったのかといえば、それ以外の要因だろう。先に書いたように、前年度は塾に振り回されて、大きな流れをコントロールできなかった。コロナの影響も大きかった。それに比べれば、この年はこちらで主導権を握って生徒の学習の流れをコントロールすることができた。指導内容にそれほど大きな変化はない。やっぱり作文のような基礎トレーニングも組み込んだ。前年度にはそれが単発で脈絡のないイベントに終わってしまったのに対し、この年は、それをひとつの流れのなかに組み込めた。たとえば、「作文をやったことで国語の記述問題が書けるようになり、そのことが算数の文章題の読み取りに好影響を与える」みたいな流れを意図的につくりだせた。
そして、そういったストーリーは、志望校がきちんと定まっていたからこそできたのだと思う。中学受験は長旅だ。長い旅にはいろんな思いがけない出来事があって、紆余曲折になる。けれど、やっぱり大きな見取り図と正確な地図があってこそ、そこを抜け出せる。目的地のない旅はどこにもたどり着かない。それを強く感じた年度だった。
小学生の成長は、あてにしていい
3連敗から3連勝へと目まぐるしい2年間を過ごしている時期に、私はその反省を直接に指導に還元していた。それは、3年前のオンライン指導をはじめた時期に小学4年生の生徒を預かったからだ。県庁所在地の地方都市の生徒で、その地域のナンバー2という感じの中高一貫校に進学させたい。ただし、スポーツをやっているので塾には行かせられない(両立ができない)。だから家庭教師という要望だった。私は緊張した。「チャンスだ」と思ったが、同時に怖かった。
散々、学習塾のやり方にケチをつけてきて、実際、この年には他の生徒で振り回されている。いや、実は最初に事例としてあげた生徒、塾を辞めて全面的に家庭教師に切り替えるという話もあったのだ。そのときに切り替えを促していればよかったのだが、私のスケジュールの都合が合わなかったために話が流れてしまった。もしも切り替えなら、週3回になるはずだった。けれどそんなふうに塾と同じだけの指導時間を確保しようと思ったら、家庭教師はバカ高いものについてしまう。それでは優位性を主張できない。そこを乗り越えないと、塾には勝てない。なので、週1回、多くても2回までの指導で成果を出せることを実証する必要がある。これはそのチャンスだ。だが、本当にできるのだろうか。ケチをつけてきたということは、「もっとこうやったほうが絶対にいいのに」という確信があるからだ。けれど、それはひとつのダメな方法に対する対案としてのみ存在する。まったくの白紙から、自分の手でロードマップを描いていくのは初めてと言っていい。失敗はできない。うまく進めなければならない。
戦略としては、大まかにこんなふうになる。4年生のあいだは、基礎づくりに徹する。発達段階に適合しない無理な先取り学習は一切しない。5年生になったら、通りいっぺんの中学受験の問題別パターンの学習をする。ただし、ここでは完成形まで追い込まない。そんな時間的な余裕はない。「ああ、こんな感じの問題もあるんだな。こんなふうにして解くことができるんだな」という感覚だけ、つかんでもらえればいい。そして6年になったら、志望校の問題パターン別の得点対策を行う。これが大方針だ。
学習塾のやり方と大きくちがうのは、問題パターン別の学習を4年生、6年生ではやらず、5年生に集中することだ。なぜそうするのか。その前に、もともと学習塾のカリキュラムがどんなふうにできているのかを分析したほうがはやい。彼らの使用する学年別テキストを見ると、小学5年、6年の学習事項にもとづいて、その応用としての受験問題が分別されている。これは、実際にそういう観点から問題が出題されるからだ。そしてその分別した問題を、基礎から順にスタートする年度から割り振っていき、ほぼ6年生の夏休みぐらいで終了するようにカリキュラムを組む。たとえば小学3年からスタートするのなら3年生から分数の計算とか三角形の面積計算とかを入れていく。そうやって一つ一つのパターンに時間をかけ、完成までもっていく。そうやっておいて、6年の夏休みの特講で総復習をやって一気に受験モードにもっていくような組み立てでテキストが構成されている。私がこの方法をとらないと決めたのは、2つの理由だ。まず、4年生には4年生なりの発達段階がある。上の学年の学習事項を、そりゃいろいろ工夫すれば押し込むことはできるけれど、無理をしてそれをやったところで残るものは少ない。これは、4年生から塾のフォローで教え続けた生徒を見ていてつくづく感じたことだ。彼は頭の回転がはやいから、塾で教え込まれた解法の手順はすぐに覚えて、塾のテストではそこそこの点数をとる。けれど、4年生のときに覚えたテクニックは、5年になると覚えていない。6年の受験前には、5年生でやったテクニックを忘れている。もちろんそれには塾の方でも厳しくチェックが入って追加の宿題が出るのだけれど、中途半端に発達段階が追いつかない時期に仕込まれてるものだから、根本の理解に至らないままに作業として終えてしまう。結局はいつまでも無意味な反復ばかりが続くことになる。これは受験生を消耗させる。なので、それを避けるためには、4年生には問題パターンとはまったく別な基礎づくりをしてやる必要がある。もう1つの理由は、6年の夏休みから受験モードでは遅いからだ。しかも、多くの学習塾は、そこから秋にかけての模試で志望校を最終決定させる。志望校の出題パターンに合わせた準備はもっと時間をかけてやったほうが効率的だ。そのためには、問題パターン別の学習は5年生のうちに終わらせなければ時間を確保できない。これが、学習塾型を採用しなかった根拠だ。
では、4年生のあいだは何をやったか。算数は、学校進度に合わせるか、ひとつ前の予習程度のことをやった。計算問題を何題かやってもらって、「よくできましたね」という感じだ。だからそれほど時間はかからない。もっぱら時間をかけたのは国語だ。
私は国語を語学だと捉えている。世の中にはそうではないと考える教師のほうが多いようなのだが、指導要領を虚心で読む限り、これは語学としての教育が期待されているのだとみたほうがいい。そして語学は、読む・書く・聞く・話すの4要素からできている。入試では聞くと話すの要素は重視されていないし、これは家庭教師という1対1の対面授業のなかで自然と培えるものでもある(実際、私の生徒は一般に面接ではまったく物怖じしない)。そこで「読む」と「書く」に特化して教えることになる。まず「書く」は作文だ。具体的な手法について書くと長くなるのでそれは別の機会ということにするが、とにかく書かせる。思考を文字化する練習をしっかり積ませる。「読む」方は一般的な国語の読解問題の教材を使うのだけれど、問題を解くのにフォーカスしない。まず音読してみせ、次に音読させ、語句について質問させ、質問する。そのうえで、設問の中から一つか2つ選んで「どう思いますか」みたいに尋ねる。正解とか不正解はいわない。その解答の根拠を質問し、答えさせる。別な答えの可能性を示し、その根拠を説明する。それを繰り返していく。
そんな授業を続けていると、生徒の中にあった「文章を読むことへの抵抗」がだんだんと小さくなっていくのが感じられる。そうなってから読解問題を宿題に出すと、何の苦もなく解いてくる。もちろんまだ正解が出ないことも多いが、全部根拠を説明させる。根拠がきちんとしていれば、正答例と同じでなくてもOKを出す。まだまだ入試じゃないんだから、点取りゲームに進ませるには早い。要は、問題文を踏まえて思考ができることをつかませていけばいいのだ。
こうやって、4年生の間には受験勉強っぽいものはほぼさせなかった。宿題の量も微々たるものだ。だから彼女は好きなスポーツに打ち込むことができた(6年生のときにはキャプテンにもなった)。お母さんは、「これであの学校に合格したら奇跡ですよって他のお母さんにいわれてます」と言っていたが、なに、奇跡は起こせばいいのだ。根拠のある奇跡は、やがて確立された技術になる。
5年生になると、受験用のテキストをもとに、算数のパターン別の指導に入る。植木算からのスタートだったと思う。ただ、このテキストをスタートしてすぐに、5年生用のこのテキスト(ちなみに多くの学習塾で採用しているものと同じ)、既に4年生で分数の計算を学習済みである前提だということがわかった。ま、そりゃそうでしょう。ということで、問題集を休んで分数計算の予習、百分率の予習、比の計算の予習なんかを一通りやった。実はこれを挟み込んだことで、想定してた予定日数をだいぶ食い込んでしまった。このあたりはまだまだ不慣れなところが出てしまった。最終的には5年生の3学期から指導回数を週1回から週2回に増やしてもらうことでつじつまを合わせたが、反省すべき失敗だったとは思う。その3学期からは算数のテキストは6年生用に進んだ。春休みで終わるつもりだったのが5月ぐらいまでかかってしまったのも、少しスケジュール管理が甘かったなあと思う。
6年生になると実際の過去問題を使って達成度を測定し、問題パターン別に追い込んでいく段階に入った。これがなかなかうまくいかない。正直、この段階では焦った。自分なりのやり方が間違っていたのかなとも疑った。やっぱり中途半端な仕上がりで置いておかずに完璧なところまで詰めていく学習塾式のやり方でないといけないんだろうかとも思った。算数、計算問題はいいとして、文章題でなかなか正解が出てこない。国語も選択肢問題はいいとして、記述が書けない。多くの中学受験生にみられる症状だ。これでは合格点に届かない。奇跡は起こらないのだろうか。ただ、こちらの焦りは見せないようにした。焦ってろくなことがないことは既に以前に経験済みだ。とにかくやりかけたことは最後までやるしかない。
光が見えたのは、秋も半ばを過ぎてからだった。文章題のうち、夏休みが終わった時点で解決できないものが4パターンぐらいあった*3。これは、捨て問題をつくった上でのことだから、全部点が取れるように仕上げたい。ところがそれがうまくいかない。焦っても仕方ないので、秋になってからそのうちの1つに絞って何度も何度も解説と試行と反復を繰り返してどうにか理解させようと頑張った。その甲斐あって、秋が深まる頃、ようやくそれが完璧に解けるようになった。そのときだ。なんと、残りの3つのパターン、自力で解けるようになったのだ。「え?」と思った。教えてないぞ!
だが、それこそが小学校4年から1つ1つの問題に時間をかけて積み上げてきた成果なのだ。パターン別で解法を覚えさせるのではなく、「どうやったら解けるのか」を考えさせ、「どんな工夫があるのか」を探るような教え方をしてきたつもりだ。だから、6年になって実戦問題にあたった当初は苦労した。解法を覚えていないのだからスムーズには解けない。けれど、ひとつなにか突破するコツをつかんだら、解法パターンとか無関係に、どんどんそれを応用していく力がついていた。解法は、魔法でもなんでもなく、論理的な帰結であるということが体感的に理解できていた。だから、考えて、考えて、正解を導き出せるようになった。
もともとそれを狙っていたはずなのだ。けれど、指導していて、成果が出ないと自分自身を疑うことになる。そんな理想論通りにいくもんかという気になる。いや、疑ってはならない。生徒の成長は信じていい。焦って芽を出させようと思って踏みにじったり傷めつけたりせず、がまんして時間の熟成を信じていれば、播いた種子は自分自身の力で芽を出してくれる。正しく仕組んだ筋書きは、余計なことをしなければ、かなりの確度で実現する。
それは国語の記述問題でも同じだった。4年生のときにあれほど作文をやったのだ。書けないはずはない。書けないはずはないのに書かないから点数が下がる。これも自分を疑う必要はなかった。なぜ記述問題が白紙のままなのかといえば、単純に、制限時間を気にして、「時間がかかるから」と敬遠していただけだった。そこを取りに行く必要性を説明し、そのうえで、記述問題ばかり反復して練習したら、すぐに十分な答案が書けるようになった。ちゃんと文の書き方を指導しておいた成果が、目の前でどんどん形になる。作文指導は4年生で終わっておいたけれど、その後の成長もはっきりと反映されている。これこそが求めていたものだった。
結論としては、中学受験のような長期プロジェクトは、プロジェクトの内部だけみていてはいけない、ということになるのだろうか。中身だけを見れば、「あれとこれとこれを覚えさせ、これとそれの技能を身につけさせ…」となる。それを割り振って、指導していこうと思う。けれど、実は生徒自身が2年とか3年の間に大きく成長する。その成長していく力は、あてにしていい。それは指導の外側にある。読書であったり友人との交流だったり、遊び、時にはゲームだったりする。家庭での日常も大切だ。そういった毎日の成長が健全に進むことが、指導計画の中に織り込めない爆発的な展開を生み出す。そして、そういった成長は、もちろん日常がうまく進むことが根本なのだが、こちらの方でも多少の仕掛けをつくっていってやることができる。4年生のときに国語に集中したこと、算数の宿題を基礎的なものに絞り込んで、考える余裕を奪わなかったことなんかは、そういった仕掛けとしてうまく機能したのではないかと思う。
秋口には「これはマズかった。合格は逃したかもしれない」と思っていたのに、受験1ヶ月前には「落ちるはずはないよね」と思えるところまで得点力がアップした。そして実際に、こともなげに合格した。ふつう以上に嬉しかったのは、ここにきてようやく、「最初から最後まで」をきっちりと、大きなストーリーに沿って育て上げた事例が一つできたからだった。もちろん、実際にはここに書かなかったいろいろな個別の事情もある。ただ、私はこれは再現性のある戦略だと思っている。
あとひとつ、事例はある。今年度の受験生は2人だった。もう1人のことは書いていない。彼女は5年生から、やっぱり上記の生徒と同じように長期計画でやってきた。その事例でも同様に、最後になって爆発的な成長が見られた。けれど、受験の状況がかなりちがうので、まとめて報告するにはちょっと無理があった。別個の事例として書きたい気はあるのだけれど、それはそれで長くなりすぎる。さらに、彼女に関しては、中学進学後も指導を続けることが決まっている。その指導の中でどう変化していくか、その変化の中に小学校5年生、6年生で仕込んでおいた仕掛けがどのように作用するのかなど、ここから先のほうが展開が面白そうな気もする。なので、別の話として準備していきたい。
なんにせよ、ようやく安定して中学受験に立ち向かうことができるようになってきた。手探り状態だった頃に迷惑をかけた生徒たちには、本当に申し訳ないことをした。けれど、彼らのおかげで、どうやら全体像が見えるようになった。中学受験はクソだ。だが、そのなかでも、それをうまく使って成長していける細い道筋がある。それを大切にしていきたい。
とはいいながら、実際にはここに書いたことを裏切るような事態が、ここから先も起こっていくんだろうと思う。そのぐらい、生徒は多様であり、状況も千差万別だ。いつまでたっても、「これでOK」という処方箋はない。だからこそ、まだこの仕事、やり続ける価値がある。定式化された仕事は、どんどん機械に取って代わられるのが産業化の時代の運命なのだから。え? AIは定式化されていない仕事でも……