いくつかの原稿(たぶん何かの企画で書いてでボツになったエッセイ)にはもっと詳しく書いたし、このブログでも2回ぐらい触れている(こことここ)から目新しい話ではないのだけれど、若い頃1年ばかり、雑穀を主体に暮らしていたことがある。このブログで過去に書いたのを引用しておくと(新たに書くのも面倒なので)
そのころ私は、若さ故の不安に苛まれながら東京で暮らしていた。いまなら笑うしかないのだけれど、その不安のなかには、「もしも米が食えなくなったら自分は生きていけるのだろうか?」というものもあった。なぜ米なのか? たぶん、小さいころからずっと毎日食べてきているものだから、それなしでは生きていけないという感覚が抜けず、けれど、この狭い日本、いつか米が食えなくなる日が来るんじゃないかと、ありもしない妄想にとりつかれたのかもしれない。
いや、米を常食にしているのは世界でも一部の地域だけで、他の地域では米以外のものも食べている。たとえば小麦だ。だが、(中略)パンやスパゲティで生きていくのは無理だろうと勝手に決めていた。
そこで、「もしも米が食えなくなったら」という恐怖を克服するために、1年間の米断ちをしようと決心したとき、選んだのは雑穀だった。粟や稗といった雑穀を主体にした食生活に変えて暮らしはじめた。
という顛末だ。まあ、よっぽど暇だったのだろう。
なぜ雑穀に変えたのかといえば、これはほぼ偶然だった。そういう変な悩みを抱えていた私にもありがたいことに友人がいた。彼はときどき、これも変な場所へ誘ってくれたのだが、あるとき「いっぺん見学に行こうよ」と連れて行ってくれたのが、当時「じいさんばあさんの原宿」として脚光を浴びていた巣鴨のトゲ抜き地蔵だった。私は文京区大塚に住んでいたから、歩いていけない距離ではない。そこである春の日に散歩がてらに連れ立って行ったわけだが、参拝を済ませ、商店街をもどってくると、怪しげな食料品店が目についた。どうやら飲食品店で使う乾物や製菓原料みたいなものを扱っている業者向けの卸商売みたいな感じだ。一般小売もしていて、じいさんばあさん連中が珍しそうにいろいろ買っている。そこそこ広い店内には確かに当時はほかであまり見かけなかったような食料品があって、見ているだけでそれなりに楽しかった。そして、そこでアワ、ヒエ、キビの3種類の雑穀を、1キロ袋で売っていた。私はそれを見て、「これだよ、これ!」と思った。
そのときには買わずに帰ったのだけど、確かキロあたり600円とか800円とか、そんなに高価ではなかった。米が当時キロあたり500円ぐらいだったと思うから、比較すれば少し割高だけれど、手が届かない値段ではない。一晩寝て考えて、やはりこれを機会に「米のない生活」を実験してみようと思った。ちなみにその前は玄米を食っていたのだけれど、そのあたりの顛末はべつのところに書いている。その玄米もちょうど切れそうなタイミングだった。米を買う代わりに雑穀を買うというのはいいスタートに思えた。
そこで改めて出かけて、キビ、アワ、ヒエをそれぞれ1kgずつ買ってきた。これらの雑穀は「かて飯」つまり、米が主体である食生活の中での米の不足を補うための増量として用いられてきた歴史がある。だから、米に2割とか3割混ぜて炊くのが、すくなくとも初心者にとっては正しい道だったのだろうけれど、私の目的は「米断ち」だから、そんなことは思いもしなかった。そしてアワを、米を炊くのと同じように炊いてみた。
「うまい!」
それが偽らざる感想だった。後になってわかったのだけれど、キビにもアワにも、たぶんヒエにも、実に多様な品種がある。そしてこれらの穀物は、収穫から食用としての出荷までにかなり調製の手間がかかる。なので、味は相当に多様だ。もっというと、調製に手間がかかることから国産の雑穀はかなり高価で、後に自然食品店なんかで買うときには300グラムぐらいで500円を超えているパッケージで販売されているのに出会うことが多かった。そう思うと、このトゲ抜き地蔵前商店街の食料品店で謎に売られていたアワは格安でうまかった。おそらくは中華料理店のお粥の原料として中国あたりから輸入していたのではなかろうか。ちなみに、いまこのぐらいの値段で雑穀を探すと、ほとんどが鳥の餌として売られているものしか見つからない。言葉を変えれば鳥の餌レベルならまだまだ安価で生産可能なのが雑穀であるといえるかもしれない。
ともかくも、アワは美味であることをこのとき知った。上記のようにいつもそんなにうまいものに遭遇できるとは限らない。ひどくまずいアワにあたったこともある。それでも全般としては、アワはうまいし、そして調理が手早い。米のように浸水40分以上で炊飯に20分、蒸らしに10分は最低でもかけないとうまくないということはない。水を加えて10分も煮たら食べられる。粒が小さいことがこういうところで利点になる。遅くまで出かけていて家に帰ってなにか食いたいなと思ったら、お茶を沸かすぐらいの感覚で粥ができるわけだ。「便利だなあ」と感心した。
キビに関しても、ほぼ「アワに準ずる」という感じだった。キビのほうが粒が少し大きいから食べごたえがあるぐらいがちがいだろう。もっともその後いろいろ試して、キビのほうがアワよりもさらに変異が大きいことを知った。なかにはかなりアクが強いものもあった。よくいえば「野趣にとんでいる」わけだが、食べやすくはなかった。
そしてヒエだが、これには辟易した。見かけはアワと同じようなつぶつぶで、色がちがうぐらいだ。けれど、アクが強く、食感もわるい。アワが溶けるようになめらかなのに対して、ヒエはざらざらとしている。ただ、歴史書なんかを読むと、貧農はほぼヒエを常食としている。米なんかめったに食えず、ひたすらヒエを食わざるを得なかった地方もある。まあ、これを食ってたら米がお菓子並みに甘く柔らかに感じるだろう。
そして雑穀全般に、食事の量が減る。米だと(当時の私は若さから大食いだったので)1合つまり150グラムぐらい食べないと気がすまなかったけれど、雑穀だと100グラムも炊けば多いぐらいだ。ヒエだとまずくて食えないから、もっと減る。減った割に欠乏感はないから、ある意味、飽食の時代には健康的だ。健康のために雑穀食にしたわけではないけれど、そのうちに健康のためにそういう食生活を選ぶ人々の意見に触れる機会も多くなっていった。シンポジウムに出かけたりね。
そういう人々が根城にしていたのが健康食品店だ。これもいろんな派閥があってちょっと簡単に語りきれないのだけれど、そういうところに出入りするようになって、雑穀の相場がやたらと高いことに驚いたりもした。驚きながらも、アワ、キビ、ヒエのほかにいろいろな雑穀があることを知った。そして、シコクビエやキヌアといったマニアックな商品も試してみることになった。
雑穀だけでは高くつくので小麦に走ったことは、上記にリンクを貼った別の記事で書いた。そのほかいろいろ試しながら、気がつくと1年近くがすぎ、そして私は個人的な事情から生活拠点が定まらない時代に突入していった。そうなるとあんまり変なことはできないので、雑穀生活は自然消滅した。正確には、1991年の5月から1992年の3月まで、ということだと思う。
若い頃のむちゃをいま繰り返そうとは思わない。けれど、そういうことをやってきたことが、いまの自分をつくっているなとは思う。そしてこういう駄文を書くネタにもなる。だからどうしたといわれたら言葉に窮するけれど、ま、それも人生。