己を知るということ - 自己認識と思い込みのはざまで

「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」は孫子の兵法以来、経験則としてあらゆる勝負事の基本とされてきた。敵(彼)を知ることは、困難ではあっても、一定の限界内では客観的に判断可能だ。これは通俗ビジネス書などではたとえば顧客情報や市場分析のような文脈で語られる。それらの情報は必要な程度には入手可能だし、あるいは入手できないときにはその不可能性自体が判断上の有力な情報となる。「役員構成もわからないような会社は怪しい」みたいなふうにね。その一方で、己を知ることは難しい。もちろん、表面的な情報であれば敵よりも自分のほうがよくわかる。ところが、それがどのくらいの価値があるのか、みたいなことになると、案外に頼りにならない。「このぐらいの実力はあるだろう」と踏んでいたものが、実際にはまったく役立たず、みたいなことはふつうに起こる。だから私も、家庭教師として生徒に説教するときには、「己を知る」ことの重要性をことさらに強調する。
「何がわかってて何がわかってないのかがわかったら半分勝ちや。そこをぐちゃぐちゃにしてなんぼドリルを解いたところで意味はない。まず、どこを攻めればええのかを考えることからスタートや」
みたいなことも言うし、あるいは
「集中力がないとかいうのは弱点の分析として弱い。なんで気が散るのかをもっとよく考えてみぃや。物事には原因があるんや。原因を潰さんことにはどうしようもないで」
みたいなことも言うことがある。自分自身がどこで困っているのか、自分自身の問題の根っこはどこにあるのかを、しっかり意識できている生徒は多くない。

「だから生徒に任せたらあかんのや」とか「教師がひっぱってやらないかん」みたいなふうには、しかしながら思わない。意識がそこに向いていないだけで、実際には本人でなければわからないことは多い。そういった情報を全体の中に位置づけ、正しく解釈することさえできれば、生徒本人は本人の状況に関するもっとも優れた専門家になり得る。家庭教師はそれを助けるのが仕事だ。

「ある人の状況に関するもっとも優れた専門家はその当人である」という考え方に初めて触れたのは看護学関連の本を翻訳していた15年ほど前のことだ。医療の現場をわれわれシロウトがみると看護師はまるで医師の手伝いをする存在であるかのような誤解をしてしまうのだが、実際には医学と看護学は出発点になる思想が大きくちがう。いずれも自然科学を基礎としているという点では同じなのだけれど、医学が人間の健康を客観的に捉えようとするのに対し、看護学では患者の主観もあわせて重視する。これは医療が「cure=治療」を目的とするのに対して看護は「care=ケア」を目的とするからだと説明される。たしかに患者は健康を損なっているからこそ問題を抱えているわけで、医療によって健康を回復すれば問題は解決するだろう。けれど、その問題は客観的な病変によってのみ存在するのではなく、患者の主観的な痛みであるとか違和感であるとかの不調の感覚によっても存在する。極端な場合、医師が「検査の結果は全てOKですね。あなたは健康です」と宣言しても、患者の主観では「そうはいっても現に痛いんだから」みたいなことだってあり得る。ふつうに、ある。そして、患者が不調を訴える限り、それは看護の対象になる。つまり、主観を無視して看護学は成り立たない。そして、医学的な観点からの客観情報がそれを完全に捉えられない以上、患者本人が自分自身の健康に関する「もっとも優れた専門家」になり得るわけである。

ただし、これは患者が主観で主張することをすべてそのまま受け入れろということではない。患者の主観は、患者にとっての事実であり、まずはそれが出発点になる。主観的事実を事実として受け入れるためには、いったん患者の主観を枠組みとして採用しなければならない。しかし、その枠組みのなかで看護師は患者の提示した事実に対して専門家として合理的、批判的な考察を進めなければならない。枠組みは患者の提示したものであっても、そのなかで看護師としての専門性を発揮する。このように患者だけでなく看護師が共同して問題にとりくむことで、問題の解決への道筋ができる。互いの知見を尊重するそういった作業を通じることによってはじめて患者は自らについての「専門家」になり得るわけだ。

同様の主張、「当事者こそがもっとも重要な専門家である」という考え方は、社会学の方でも重視されるようになっている。昨年、翻訳に携わった貧困に関する書籍では、貧困研究、貧困政策に当事者の「声」を反映させることの重要性が繰り返し説かれていた。これは貧困が本質的に差別問題であるとの理解に立脚している。差別問題で生じるもっとも大きな被害は当事者の痛みである。これは看護学の扱う問題が患者の苦痛であるのとある意味で共通している。だから、当事者の主観から問題の枠組みを立てなければならないという共通の発想につながる。だがここでも、当事者の主張のすべてがそのまま受け入れられるべきかといえば、それはそうではない。専門家は、別な立場からの専門家との共同作業によって、はじめてその専門性を力に変えることができる。したがって、現場で支援に当たる人々や研究者、政策立案者なども当然のように専門家として問題の解決に参加しなければならない。そんななかでなぜ当事者が「もっとも重要な専門家」として扱われねばならないかといえば、それは過去に、むしろその存在をほとんど無視されてきたからだといえるだろう。

 

とまあ、なんでこんなことを書き始めたかというと、なんのことはない、年老いた母親の愚痴を書きたいだけのことだったりする。ここしばらくこのブログで何度も書いてきているのだけれど、私の父親が死んでから、母は単身の生活を続けている。徐々に体力が落ち、短期記憶ももたなくなって、一般的な診断基準では認知症と判定されるのは確実な程度にボケてきている。まあ、年齢相応ということだろう*1。それでも、「ああ言えばこう言う」能力に関しては、さすが歴戦の大阪のオバハンだけあって、いっこうに衰えていない。かなわない。

以前にも書いたように、母はおよそ1年前に短期間の入院をした。それは床から立ち上がるのに困難をきたすほどに体力が急激に低下したからだ。あわてて医者に連れて行って、結局は投薬ミスによる高カルシウム血症であることが判明して入院となった。そういうわけなのだが、その状況の母の主観的解釈が、腹立たしいことこの上ない。退院したときからの主張は一貫していて、

  • なぜ自分が入院したのか、まったく理解できない。自分はずっと健康だった。
  • 退院後、歩行が困難でリハビリ的な運動をしなければならなかったことは事実だ。だが、その原因は入院させられてベッドの上で動けなかったことだ。

となっている。これは退院直後から、1年たったいまでも変わらない。もちろん、事実はそうではない。現に入院前、床の上で這いつくばって1時間前から立てずにいる母を発見したことも事実だし、靴下を履こうとして30分間も苦闘しているとか、椅子から立つのに手を貸してほしいと頼まれたことだとか、危なかった状況の事例には事欠かない。そういった事実を列挙して(そのたびに母は「おぼえてない」というのだけれど)、歩けなくなったのは入院したせいではなく、歩けなくなったから入院したのだということを説明する。そしてそのたびに、「へえ、そうやったん」と、一応の納得は得るのだ。

腹立たしいのはそこからだ、なにせ短期記憶がもたない。したがって、そうやって事実に納得したことをすぐに忘れる。だいたいが、1年前に入院したことも、ふだん自分から思い出すこともない。なにかの話のついでに「年とってるんやから気をつけないかんで。油断したらまた去年みたいに入院することになるで」みたいなことを言うたびに、「私、入院したっけ」から始まり、そして、「そういえばそんなこともあったね」から、上記の「自分は理由もなく入院させられて、その結果として歩けなくなった」という主張を繰り返すことになる。いや、そうじゃないんだという話をまた繰り返さねばならなくなる。

それにはもう慣れた。問題は、2週間ほど前に遡る。定例の主治医への通院で、主治医がやはり年に1回は行う血液検査の結果を見て、「どうも膵臓にトラブルがあるような気がする。CT撮りましょ」と言った。そしてスキャンの結果、「ウチのCTだとよくわからないけど、膵臓と十二指腸をつないでる主膵管が圧迫されてる可能性がある。癌かもしれない。いっぺん専門病院に行って検査してもらい」と言った。あーあ、癌かよ、と私は思った。低空飛行なりにせっかく安定してきた母の毎日が、これでダメになるかもと、がっかりした。ま、癌じゃない可能性もある。なんにせよ、検査しなきゃわからない。大病院への紹介状をもらって、2週間後に予約を入れてもらった。もしも癌だとしても年齢が年齢だけに摘出手術はなかろう。にしても、何らかの入院は避けられないかもしれない。一連の説明は母もしっかりと聞き、医師の説明もそれなりにちゃんと理解して、精密検査に向かうことも了解した。

それが数日たったときから、「なんで病院に行かないといけないのか、わからない。やめとこか」みたいなことを言うようになった。「私、どこも痛くないし、困ったことはなにもない。物忘れがひどいことぐらいやけど、その検査とちがうやろ。痛くもないのに医者に行くのはおかしい」と主張するわけだ。いや、痛くなってからでは遅い。主膵管が閉塞したら、腹痛どころでは済まなくなる。そうなる前に手を打たなければいけないのだと主張するのだが、「でも、私の体は私がいちばんよく知ってる。咳が出るから肺のことだというんならわかるけど、お腹に関しては調子ええよ」と、譲らない。いや、自覚症状が出る前、検査で怪しいとなったときに対処したほうがずっと軽くてすむんだと医学的には順当なことで説得しても、あまり納得した様子はない。納得しないまでも不承不承にそうなのか程度の反応は示してくれるのだが、やがてそれも忘れて、「病院の予約、キャンセルしょうか」と言ってくる。これには参った。

何度かそういうやり取りが繰り返され、そして、昨日、ようやくその専門病院に行った。場合によっては検査入院を申し渡されるかと思ったのだけれど、その場ですぐに造影CT検査ができることになり、あちこちと連れ回され、待たされた挙げ句に、それでもありがたいことに、即日、診断が出た。癌はない。その他、炎症などの特別な異常はない。確かに血液検査の特定の値は異常値を示しているのだけれど、その原因として憂慮すべきような大きな異常は見つからない。だから、以後もモニタを続ける程度でよかろう、とのこと。つまりは無罪放免だ。これ以上に喜ばしい結果はない、シロ。

 

息子として、結果に対しては心から嬉しい。それはまちがいない。だが、腹が立つのはそれを受けての母の反応だ。
「1日ひっぱりまわされてたいへんやったけど、これで安心できたんやから、ほんまにうれしいわ」
という私の言葉に対し、
「安心したやろね。自分の体やないからわかれへんかったやろからねえ」
と、母は私のために、喜んだのだ。いや、そうちゃうやろ!

つまり、母の感覚としては、自分の体に異常がないことは、最初からちゃんとわかっていた。なぜなら自分のことは自分がいちばんよく知っているからだ。けれど、息子が検査の数値を見て心配している。だったらがんばって検査も受けてあげましょう。その結果、自分が健康なことが証明されて、息子は安心した。息子を安心させることができて、自分は嬉しい、ということなのだ。

ええい、自分が健康だったことが嬉しくないんかい! こっちとしてはそう思う。だが、母にとってはそれはいまさら証明するまでもない自明のことであり、専門病院に来たのも息子を納得させられなかったからで、可愛い息子のわがままに付き合ってやったぐらいの感覚なのだ。なんともはや。

 

看護学にせよ、社会学にせよ、当事者の主観が重要であるという主張には、たしかに説得力がある。「自身に関するもっとも優れた専門家」というとらえ方で開けてくる地平もあるだろう。それはそれ、これはこれ。母の「自分のことは自分がいちばんよく知っている」という感覚は、客観性をまったく欠いた独善にすぎない。ただ、悔しいのは、その独善で突っ走ってきて、ここまでどうにか生き延びてこれたことだ。勝てば官軍、生き残ったものがチャンピオンだ。ああ、生存者バイアスを否定することは、論理にはできないのだなあ…

*1:ただ、「年齢相応」は、一概にはいえない。数日前に母と同じ年齢で20年前とまったく記憶力、判断力などに衰えを見せない方に再会した。嬉しい驚きだったが、そういうこともあるから、何が「年齢相応」なのかはほんとうにわからない。