なにはなくとも銭と金 - 低所得はライフチャンスをそこなう

「子どもの貧困とライフチャンス」の第2章は、お金の問題だ。それは冒頭にはっきりと書いてある。「子どものライフチャンスを改善することをねらった戦略を立てるのであれば……、適切な世帯所得をあらゆる家族に保障できるような計画を含めることが必要になる」と。はい、結論出ましたね、解散、みたいなぐらいに、はっきりと書いてある。「政府は貧困対策ではなくてライフチャンスだっていう。じゃあ、ライフチャンスを改善しようっていうんなら、なにが必要になるか見てみましょうね。えっと、あらゆる世帯にちゃんと収入がなければライフチャンスはグチャグチャになりますね。そこ、やらないとダメですよね。あ、それって貧困対策でした」みたいな感じだろう。まったくひとがわるい。

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あと、章のテーマそのものではないのだけれど、この本全体でくりかえし出てくる主張も、ここではっきりと述べられている。ライフチャンスという発想、あるいは「チャンスをものにして貧困から自力で脱出しよう」という考えかたがおちいりやすい認識は、「子ども時代を大人への準備期間であるとだけみる」ことだ。「子ども時代はそれ自身が人生のなかで重要な段階である。なにしろ平均寿命の5分の1は子ども時代なのだ」としごくまっとうな話をしたあとで、「したがって、子どものライフチャンスには、良好な子ども時代を過ごすチャンスが含まれねばならない」と展開するのには、おいおいと苦笑してしまう。「チャンス」という言葉に引っ掛けて、ほとんど言いがかりだとおもう。けれど、たしかに重要なことだ。幸せな子ども時代は、それがあることによって後の人生が豊かになるという意味でも、たしかに重要だ。だが、幸せな子ども時代は、それだけでも十分な価値がある。人生の価値とはなんなのかと問い詰めれば答えは人それぞれだろうけど、幸せだと感じることがその構成要素になるという考えかたには、ある程度の人びとが賛同するのではなかろうか。

家計が子どもの教育に影響し、その後の進学や就職、経済的な成功の多寡に影響することは、いうをまたないだろう。それ以前に、家計が子ども時代の幸せに影響することも明らかだ。それは単純な因果関係ではない。貧しくとも幸せな子ども時代を送る人もいれば、裕福でも不幸な子ども時代を過ごす人もいる。AならばBという直線的な関係ではなく、確率の問題だ。社会学は、個別の事情ではなく、統計的にあらわれたものを相手にする。そのときに、家計収入が十分でないことは、子どもの人生を確実にむしばむ。

そのひとつめとしてこの章であげられているのは、栄養だ。「2015年のイギリスでは、5組に1組の親が子どものために食事をがまんするか、……親族知人に食べ物をたよっている」というちょっとショッキングな事実が明らかになっている。日本ではどうなのだろう。「食事をがまんする」が「食べない」ということならそこまでの比率はないかもしれないが、子どもにはちゃんとした食事をさせても自分はラーメンをすするようなところまでふくめたら、似たような数字はあるのかもしれない。興味深いのは、「低所得世帯では収入が増えると、親はその分のお金を子どものためにまわす」のだし、具体的には「青果・野菜、子ども用衣料、おもちゃ、書籍への支出が増加し、酒類とたばこへの支出が減少する」ことが判明しているのだそうだ。酒やタバコをやってるから貧乏なのではなく、貧乏だとそういうものに逃げるしかなくなるのが真相のようだ。言葉をかえれば、だれも好きこのんで不健康な生活をしたいわけではない。「所得水準が収束するにつれ、低所得世帯の支出パターンが中所得・高所得世帯のものへと収束していく」。野菜や果物が食卓に少ないのは、単純にそれが買えないからだということを研究の結果は示しているようだ。

さらに、所得が低いことは、学校での社会的な地位を低下させる。それは服装や学用品である場合もあるし、活動への参加が制限されることでもある。食事を抜いて必要なお金を捻出しようとすれば、栄養に響いてくる。子ども時代の栄養は、健全な成長に欠かせないものだとはいうまでもない。

とはいえ、重要なのは親の目配り気配りだ。愛情だ。だが、「低所得での暮らしが親のストレスと悩みをふかめ、結果として家庭内の力学や関係性に影響する」。さらに「親のストレスが高まると子どもたちのストレスが高まりやすい」。そして、「親の最大のストレス源が貧困であることに多くの子どもたちが気づいて」いる。

結局、子どもの幸福と所得のあいだには、明らかすぎるほどの関係がある。それは出生時からそうだ。貧困は新生児の低体重と相関している。収入が増加すると酒類やタバコへの支出が減ることは上述のとおりだが、それは妊娠中の喫煙率にもあらわれている。

そして、学校の成績は、はっきりと世帯所得と相関している。「頭がわるいと収入が低くなるし、頭がわるい親からは頭がわるい子どもが生まれるのだろう」的な俗な解釈を排除するコントロールをしたうえで、やはり家計収入が高いほうが成績がいいのである。因果関係はいくらでもおもいつくが、そういう個別の、たとえば「塾に行かせる余裕があるから」みたいな説明を抜きにして、事実として所得と成績は相関している。さらに、世帯収入の増加は「社会的、情緒的、行動上の状態を改善する」。

そして、どうやら所得と教育成果の相関は、「教育投資」によるものではない。ある程度以上に裕福になればそういうこともあるのかもしれないが、たとえば私立学校への学費のような高額の支出にたりないわずかの家計収入の増加が、成績を改善する。その場合には、「収入の増加は家庭内で起こることの性質を変化させるようだ。落ち着いた環境をつくり出し、親の関わりを改善する」ということであるらしい。

第2章を読むだけで、「チャンスというのなら、まず貧困がチャンスをうばっているんじゃないの。お金がなければチャンスをつかみにいくこともできないじゃないの」という本書の立場がはっきりしてくる。「ライフチャンス」が「チャンスをあたえるから自助でがんばれ」というのであれば、それをもっとも効果的にするにはまず貧困対策が必要じゃないのと、本書は主張している。そして、それは第3章以下でさらに具体的に展開されることになる。

 

(次回につづく)