健康は金では買えないが、金がなければ健康は損なわれる、という話

「子どもの貧困とライフチャンス」の第6章は、「ライフチャンスには健康が必須条件だ。健康のためにはそれをささえる経済資源が必須だ。つまり、貧困対策をしなければならない」という理屈で論が展開される。これは2010年に出された報告書、通称マーモット・レビューを下敷きにしているのだけれど、さもありなん、この章の著者は御大であるマイケル・マーモット医師ご自身ということである。

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一般に、「健康は金では買えない」といわれる。いくら金持ちでも不摂生な生活をしていれば健康はむしばまれていく。日頃の摂生ととしては、十分な睡眠や運動、野菜350グラムなど、どこかで聞いたようなお題目をあげれば十分だろう。だが、経済的に圧迫されると、それらを確保するのがむずかしくなる。低賃金で家計をささえなければいけないとなれば無理な労働時間で睡眠をけずらざるをえなくなるし、ちょっとした運動をする心の余裕もなくなる。「カロリーあたりの栄養素が豊富な食物は高価である」し、「果物・野菜の消費量が少ないことと食費の少なさ」は関係がある。人間はまず熱量がなければ動けないから、お金に余裕がなければカロリーあたりの値段が安いものをえらぶ。つまり、野菜ではなく穀物や油を買うようになる。「栄養的には優れているカロリーの低い食品は、比較的高価なものだ」。

つまり、健康的な食生活をするためには、心がけだけではなく、十分な収入がなければならない。実際、2歳から15歳までの子どもについての肥満の発症率調査では、「低所得側5分の2の集団の子どもたちのほうが肥満率が高い。この集団は、最低所得基準に達しない家庭の子どもたちである」わけだ。肥満が各種の慢性疾患の予測因子であることはいうまでもないだろう。「収入最低の層は、一般にタンパク質、鉄分の摂取量がすくなく、果物・野菜をあまりとらず、ビタミンC、カルシウム、魚類、葉酸の摂取量も少ない」。これで健康になれるはずもない。

こういった栄養不良は、出生前から子どもたちに影響する。「低所得世帯出身の女性は妊婦健診を予約することが少ないし、妊娠中の喫煙・飲酒の可能性も高く、食生活に問題がある場合も多い。これら最適とはいい難い状況はすべて、胎児の発達に影響し、低体重児の発生率を高める」。妊婦に酒をやめろ、タバコをやめろというのはかんたんだが、やめさせるのは容易ではない。しかし、経済状態が改善すれば、統計として、酒・タバコの消費が減ることはあきらかになっている。であるならば、妊婦を責めるより、経済状態をささえてやるほうがずっと効果が高いことになるはずだ。だいたいが、周産期には女性につよい精神的な負担がかかる。周産期の「うつ、不安障害、双極性障害統合失調症精神病性障害などの罹患率」は、「社会経済的な剥奪が大きくなるにつれ増加する。母親のメンタルヘルスが不調であれば、その子どもたちは行動上の困難、社会的困難、学習上の困難を経験するリスクが高くなる」。貧困が低学力につながるメカニズムは、こんなふうに説明することもできるわけだ。

さらに、貧困は子どもの精神状態に直接影響する。一般に、「低い社会経済的地位と子ども・若者のメンタルヘルス問題のあいだには明確な関係がある」のだし、「最貧世帯の子ども・若者は…、メンタルヘルス問題を発現する可能性が3倍近くにものぼ」り、「貧困下に暮らす思春期の子どもたちに行動上の問題が高い率で見られる」。「世帯収入の減少が子どものメンタルヘルスにマイナスの影響を直接あたえる」原因は、「経済的なプレッシャーの増加であり、親のメンタルヘルス、夫婦間のやりとり、子育ての質のマイナス方向への変化」とされている。

貧困は、住居の質が下がることをつうじて間接的に子どもの精神に影響をあたえる。住居がせまいと心理的に圧迫されるし、「寒い住居に住んでいる思春期の子どもたちの4人に1人以上が複数のメンタルヘルス問題のリスクにさらされている。暖かい家にずっと住んできた場合には20人に1人でしかない」というわけだ。

経済状況は、子どものネグレクトも増加させる。「継続的なネグレクトは健康や発達に重篤な損傷をあたえることにつながるだけでなく、社会機能、人間関係、教育上のアウトカムに対する長期的な困難も引き起こす。極端な場合には、ネグレクトには死という結果もまっている」。児童虐待の問題で親を責めるよりは、社会の不平等に起因する貧困をなくすほうがより被害を軽減できるのだろう。

健康は、きわめて個人的な問題だ。けれど、統計的にそれがあらわれるときには、社会問題としてあつかわれる。個別の人が個別に健康を心がけたり、あるいはあえて不健康を選択することを、他者がとやかくいうべきではないだろう。ただ、個別に対して意見するのではなく、社会の構造にたいしてはたらきかけることでそれが改善できるのなら、そうすべきだ。社会問題の解決とはそういうことだろう。社会の構成要素である個人は、あくまで自由な存在だ。ただし、その行動は、自由な意思の選択として、社会のありように影響される。行動をかえるために社会のありようをかえるのは、個人にたいする干渉ではない。健康の改善を社会問題として解決したいのであれば、健康を悪化させる社会的な因子をみいだし、それをつぶしていくことだ。そしてその最大の因子は、経済的な貧困である。

貧困を低減させようとすれば、当然、社会的なコストが発生する。それにたいして、本章の著者はいう。「忘れてならないのは、不健康は社会にとって高くつくということだ。不十分な収入の人々の数が増加すれば、それでなくともかつかつの国民保険サービスへの負担が増加し、政府にさらに出費を強いることになっていく」と警告して章を締めくくっている。なにもイギリスだけの話ではないだろう。

 

(次回につづく)