オンライン家庭教師を2年以上続けたので、そのノウハウを公開する

前史(ここは飛ばしてOK)

あまり気が進まないままに家庭教師をはじめて10年以上になる。そこら辺の事情は別で書いたので、繰り返さない。やっているうちにいろいろ考えて、「やっぱりこれは自分の仕事なんだろうなあ」と思うようになっていった。そこにすべてを賭ける気にはなれないが、いろんな仕事のひとつとしてこの先もずっと付き合っていくことになるんだろうぐらいに思うようになった。その矢先、アレルギー性の喘息が再発した。再発というのもおかしいかもしれない。小児性の喘息持ちだったのが成人して寛解しても、年をとるとまた出てくることがあるらしい。それだった。自分の感覚では喘息なんて慣れたものと思っていたのだが、実際に数十年ぶりに発症してみると血中酸素濃度が下がって平地にいるのに高山で行動しているような覚束なさに陥った。通常5分の駅までの道のりを途中2回休憩のためにしゃがみこまなければ歩き通せなくなって、命の危機を感じた。医者に行くとステロイドの吸入を処方されて事なきを得たが、アレルギー検査の結果、ペットとハウスダストには要注意と言われた。ここに至って、家庭教師を続けることに赤信号が灯った。

子どものいる現代の家庭が一般にどの程度の比率でペットを飼っているのか知らないが、少なくとも家庭教師を依頼する家庭のペット飼育率は高い。統計をとったわけではないから偶然である可能性もなくはないのだけれど、私が担当した生徒の場合、半数以上には何らかのペットがいた。寝そべっている犬をまたいで玄関に上がる家もあれば、足下にまとわりつく猫を振り払いながら教えたことも、授業中に脱走したモモンガにペースを乱されたこともある。ペット不可の条件を出して生徒を探すことは不可能ではないだろうが、生業としては難しいだろう。さすがに多くはないのだが、ときには掃除の行き届いていない子ども部屋で教えねばならないこともある。ペット不可の条件は出せても、家庭教師のために掃除をしておいてくれとはとても頼めない。アレルゲンを極力避けねばならない身の上としては、職業としての家庭教師は無理ではないかと、冷静になった夜に結論づけた。

家庭教師の仕事はもともとはある会社の業務委託として始めたのだが、すぐに自分自身で生徒を探して自前の生徒をもつようになった。つまらない話だが、そのほうが圧倒的に実入りがいいからだ。といって会社に対して中抜きを非難するつもりはない。諸経費を考えたら、逆に「よくそれだけで経営が成り立つねえ」と感心するぐらいだから。ただ、こっちだってボランティアじゃないから、会社の仕事は安定を確保するためのベースとして捉えることにしたわけだ。実際、間に1枚挟むことでいろいろと都合のいいこともある。

そのひとつが、緊急時に講師交代を頼めることだ。個人でとった生徒は、全責任がこっちにかかる。会社の生徒は会社が責任を引き受ける。だから喘息で動けなくなったときもそれで助かった。実はその少し前から自前の生徒はどんどん減らしていた。ここのブログでも書いたが、父親の体調が落ち込んで、最終的には入院から病死に至る一連の流れが2年ぐらいかけてあったからだ。いつ何時、緊急で教えにいけなくなるかわからない。だから、自前の生徒は自然減に任せて、会社の仕事ばかり入れていた。父親が死んだあとも後始末で忙しかったから、自前の生徒は増やさなかった。喘息の発作が起こったときにはたまたまそれがうまく機能したわけだ。

だから、家庭教師をやめるのは、簡単だった。会社に対して「やめます」といえばすむ。会社は困るだろう。私ぐらい会社にとって都合のいい人間はそうそういないだろうからね。だが、知ったこっちゃない。まあ、そこはあくまでソフトに、オブラートに包んで、相談という格好で、辞めることを伝えた。当然、引き止めが入った。が、命には代えられない。やめるのは既定路線だからと思っているところに、「今年からスタートさせたオンライン授業のほうがまだまだ十分じゃないから、そっちの専任で残ってくれないか」と言ってきた。正直、めんどくさいなと思ったけれど、いきなり家庭教師からの収入ゼロになるのもちょっと怖いわけで、だったら引き受けてみるか、と思った。新しいことへの挑戦は、常にわくわくすることでもあるのだし。

既存の生徒はペットがいるところはすべて交代を頼み、ペットもハウスダストも大丈夫なところだけ、通うことにした。そしてオンライン授業のオリエンテーションを受け、準備を整えた。けれど、最初の数カ月は、1件の生徒も入らなかった。「結局、企画倒れで、既存の生徒が卒業するにつれてだんだんとフェードアウトしていくのかなあ」と思い始めた頃に、コロナ騒ぎが始まった。突然のようにオンラインがもてはやされるようになり、ようやく私のところにも生徒が回ってくるようになった。半年もたたないうちに訪問指導の時期と変わらないぐらいに(つまりほとんど毎日いっぱいいっぱいに)生徒のスケジュールが埋まるようになり、1年ほどたって完全に訪問の生徒がいなくなった。名実ともにオンライン専任講師となって、いまに至る。

だから、私ほどオンライン指導の時間を重ねた家庭教師はそうザラにいないだろう。安定して毎月100時間ぐらいオンラインで教えてるわけだから、たぶん2年余りで2000時間ぐらいは経験したことになる。オンライン英会話みたいなのはずいぶん以前からあるけれど、オンラインの家庭教師は比較的最近だろう。いや、存在そのものはSkypeの時代からあるのかもしれないが、なんといってもコロナ以降に大きく進化している。ネタとしては美味しいのではなかろうか。

もちろん、ノウハウのいくらかは私のものではない。会社からのオリエンテーションを受けているし、その後の指示やアドバイスも受けている。そういったものは守秘義務の対象になるはずだ。けれど、家庭教師商売なんて、まだまだ個人の試行錯誤に頼り切ったところから抜けきれていない。そして、私が私自身の試行錯誤で得たノウハウは、個別のプライバシーにかかわることを除けば私のものとして持ち出して構わない。それが業務委託にとってのNDAだ。

だから、ここから書くことには、会社独自のやり方やノウハウは含まれていない。それ以外の部分、つまり、一般的にそうなるよねというものと、私が工夫してこうしているというものが基本だ。そして、そのすべてを書くことはできないだろう。書いたつもりで伝わらないことのほうが多いのが普通だからだ。また、すべてを書く意味もない。

なぜなら、これを書いておこうと思ったのは、やっぱり多くの同じ立場の人に、できるだけ質のいい授業をしてほしいからだ。商売敵であるかもしれないけれど、そんなケチなこと以上に、次世代の人々に質の高い教育を施すことは重要だ。私にそれができているかどうかは甚だ疑問だが、ここに一例あれば、それを参考に、よりよい方法を工夫することができる。そして、参考であるならば、すべてを完全に伝える必要もないわけだ。

いつものように前置きが長くなった。私が編集者なら、この部分は全面的にカットする。けれど、私はこの場では著者だから、ちょっとワガママでいたいと思う。えい、さっさと始めろ!

準備

オンライン授業をするには、いくらかの設備がいる。もちろん、やれといわれればPC1台あればどんな場所でもどうにかするだけの自信はある。けれど、恒常的に業としておこなうのであれば、環境は整えておきたい。そのほうがストレスなく授業を進められるからだ。まずはハードウェア環境からだが、最も重要なパソコンに関してはソフトウェア環境とまとめて後述することにしよう。というのも、パソコンの場合、ハードウェアとしては一定の要件を満たしていることぐらいが条件になるが、むしろソフトウェア環境のほうが重要だからだ。

ハードウェア設備

なにはなくとも専用のデスクだ。専用のデスクを置こうと思えば、当然、それに対する椅子や照明といった設備を含めての空間が必要になる。私は現在、2箇所にオンライン授業用の拠点をもっている。自宅と母親の居宅だ。自宅の方で当初から続けていたのだけれど、最近になって老母の体調に不安が出てきたから実家に拠点を新たにつくってそちらで仕事をすることにした。行ったり来たりだが、セッティングのストレスをなくすため、どちらも同様の設備にしてある。そして、どちらも1.5×1.5メートル程度の空間を仕事空間として確保した。オンライン授業専用スペースとして、このぐらいが必要かつ十分だ。もちろん、そんな狭い部屋があるわけではなく、自宅の方は子ども用の本を集めた図書室の片隅を専有しているし、実家の方はかつて母親が趣味で使っていた暗室を改造したので、ガラクタが積まれた半端な残りの部分はある。実際、上記空間はオンライン授業には必要十分だが、資料を置いたり、休憩時にストレッチしたり、お茶を飲んだりと、その他の空間はどうしても必要になるだろう。とはいえ、それはそれぞれ個別の事情によるわけで、上記の2.25平方メートルがあれば仕事そのものはたいていどうにかなる。授業に必要なテキスト類だって置いておくことができる。もちろんそこには電源があり、インターネットのアクセスがあることが重要だが、それは言わでもがなだろう。

一般のデスクの大きさは、70センチ×110センチぐらいのものが多い。よくある事務のスタイルではこの70センチの奥行きのデスクの奥に書類を立てて置いたり、右側か左側に書類を積んでいたりするのだけれど、オンライン授業ではデスクは広く使いたい。というのは、講師の顔を写すカメラと顔の距離が近すぎると、どうしても圧迫感が生まれてしまうからだ。生徒に気持ちよく授業を受けてもらうためにはカメラから顔面までの距離を70センチぐらいはとったほうがよく、そうなるとノート型PCのばあい、デスクの奥の方にPCを寄せて手前に空間を広くとる必要がある。モニタ上部にカメラを設置するデスクトップタイプのPCの場合も同じだろう。私はマウスは使わないのだけれど、マウス操作をするのであればPC画面の前面で行い、右手側は広く空けておく必要がある。これは手もとを第2カメラで写す必要があるからだ。ということで、私はどちらのデスクも奥行き、幅とも通常よりもかなり大きなものを使っている。実家の方のデスクは80×140センチの合板に日曜大工で脚をつけたものだ。このぐらい大きいと、かなり自由がきく。

実家の方のデスクの配置

 

椅子は、高さが重要だ。数センチの差で画面に映る位置や姿勢がかなりちがってくる。理想的には高さが調整できるタイプのオフィスチェアがいいのだろう。ただし、PCのマイクは(指向性の高い専用品を用意するのでなければ)かなり雑音を拾うので、軋み音がするものはよくない。いったん始めたら60分から120分は座りっぱなしということになるわけだから、体への負担の少ないものを選びたい。とはいいながら、私はダイニング用の椅子の座面高を間に合わせに改造したものを使っていたりする。理想と現実は、かくも異なる。

椅子のすぐ背後が背景になる。背景は、案外と重要だ。もちろんクロマキー処理でソフトウェア的に背景を適当に変更することはできる。けれど、いくらソフトが進んでも、この処理は縁がボケたり腕が突然に消えたりと、あまり感心しない現象が起こりがちだ。背景にお花畑や星空を置くのもいいだろうが、それが生徒にどういう印象を与えるかは予測できないし、予測できないことはやらないに越したことはない。なので、背景は物理的、かつ無地であることが好ましい。無地の壁であればそれでOKと思うが、私は当初、自宅環境の背景を180×90センチの大判のホワイトボード(物理)にしていた。これは実際に、そのホワイトボードに板書するためだった。画角の関係から、画面いっぱいにホワイトボードを写すためには、椅子のすぐ背後にホワイトボードを設置する必要がある。椅子を置く空間が60センチぐらい必要だから、机の奥行きやその他の隙間を見込んで1.5メートルの空間が必要となる計算だ。ちなみに、椅子から背景までの距離が遠いと画面に映り込む壁面が増えるから、よっぽど広い無地の壁面が確保できる場合以外は、背景面は椅子のすぐ後ろにある方がいい。

背面のホワイトボード

ホワイトボードはホームセンターで売っているプラスチックの板にホワイトボード用のシートを貼って自作した。板はすでに手持ちのものだったから、実費1000円程度。実はその後の運用でホワイトボードに板書することはほぼなくなったのだけれど、背景としてわるくないので、実家の方に拠点をつくったときもそうしようと思って準備した。けれどこちらは、ホワイトボードを吊るすのにいい壁面がなかったので、プロジェクター用の幅150センチの大型スクリーンを置くことにした。必要に応じて収納できるので、これはこれで使い勝手がいい。このスクリーンは、自宅でオンライン授業をしているときでも、臨時に場所を変更する際には何度か使用していた(冷房のある部屋に移動する夏場とか)。これも新たに購入したのではなく、以前に別の用途で用意してお蔵入りになっていたものを活用したものだ。それにしてはまるで誂えたようにうまくはまっている。

背後のスクリーン。元暗室なので、窓が黒いのが不気味だ

デスクにPCを置いたら、右手側には第2カメラを設置する。左利きの人は左側になるんだろう。このカメラは数千円出してWebカメラを買っておくのが手間がなくていい。この際、解像度はケチらずにフルHD 4K以上の高品質のものを選ぶべきだ。手元を写したときに文字が読めないと何をやってるのだかわからなくなる。幅720pの解像度だと、ページもののテキストを左右幅いっぱいで写したときに文字が読みづらい(テキストを写すのはときには著作権法上ややこしいことにもなるので注意。くわしくは後述)。手書きの文字もボヤけると生徒にストレスがかかる。なので、解像度は重要。なお、私は長いこと古いスマホを第2カメラとして使ってきた。この使い方は後述するが、スマホのカメラは近年解像度が非常に高いので、その点では優れている。

第2カメラはできるだけ正確に、机の水平面に正対するように固定する。百均ショップや500円ショップ、ホームセンターや家電量販店で簡易なスマホ用のアームが売っているが、あれは実はよろしくない。基本的には針金を曲げているだけなので、アームが長くなると不安定だし、スマホの重さによってよく傾く。不用意に振動すると、生徒にとっては画面全体がゆれる感じになるから、気分がよくないだろう。これはホームセンターで手に入る金物やパイプ類でカッチリしたものを自作したほうがいいようだ。そうはいいながら、自宅では百均のアームを改造して安定度をあげたものを使っている。実家の方はもともと暗室だったので、現像用の機材がいろいろあったから、それを流用している。第2カメラとしてのスマホの固定には、自撮り棒を使ったが、これは案外といい。

ちなみに、第3カメラとして別アングルからの講師の顔を写すWebカメラも設置はしたけれど、これはあまり役に立っていない。むしろ、第2カメラとは別に机の面を写して参考書とノートを切り替えて使うほうがいいかなと思案中。ともあれ、入力ソースは多いほうが使い回しはいいように思う。

カメラに劣らず重要なのは照明だ。自宅の図書室はもともと子ども部屋だった関係で、天井が低く、部屋の一方の端に壁を背に向けて座っているため斜め前上方から照明が当たる。窓からの光も顔の高さとあまり変わらない。夜になるともうひとつのシーリングライトをつけるが、これもかなり低い斜め前方から光る。この2灯の配置がたまたまよかったので照明の重要性には気づかなかった。むしろ、手もとの第2カメラの画面にカメラ自身の影が映りこんでしまうのをどうやって避けるかということのほうが重要に感じていた。けれど、こちらの問題はカメラ自身のLED(あるいはスマホならスマホ自身のフラッシュライトの点灯)で解決できる。むしろ、講師の顔に当たる照明のほうが重要だと、実家の拠点をつくってようやく理解した。

というのは、実家のデスクは真上に天井灯がある。その結果、顔の陰影があまりに際立ちすぎるのだ。もちろんソフトウェア的な補正もできるが、そうなると光があたっている鼻の頭が飛んでしまったり、全体的にボケた感じになったりして、うまくいかない。役者じゃないから顔なんかどうでもいいといえばどうでもいいのだけれど、それを見なければならない生徒の立場にたってみれば、あんまり化け物じみたものは嬉しくなかろう。「オンライン会議のために照明を設置しました」みたいな話を読むたびに「自意識過剰!」とか思ってきた私だけれど、照明の向きによって「ああ、これはないよな」という画面になってしまうのは事実だったようだ。

真上からの照明。影が不気味

照明は、正面から2灯で当てるのが基本だ(だから自宅はたまたま理想的な照明環境だったわけだ)。ただ、真正面に顔を照らすランプを置くのは眩しいし、直接光を当てるといくら2灯でもやっぱり影ができる。そこで、こんな工夫をした。

正面からの照明

台所からアルミホイルをくすねてきて真正面の壁に貼り、そっちに向けてLEDのランプを当てたわけだ。これがうまい具合に柔らかく光る。ちなみに白熱電球用のソケットはなぜか大量にあった。もともと暗室だから。

正面からを加えた照明。多少はマシ

これで頭上の照明を消せばさらに顔は明るくなるのだけれど、全体的に部屋は明るいほうがいい。カメラは光があってのものだから、補正をするとしても基本的には明るい入力を補正していくべきだ。もともと白い背景だから自動で露出すれば逆光になって顔が暗くなるのだけれど、十分な光量があってのバランス上のことならソフトウェア上の補正でうまくいく。上の写真は青いシャツを着ているけど、白いシャツだと完全に飛んでしまうぐらいになる。けれど、それでもクロマキー処理の失敗で消えてしまうような不自然さはないから面白いものだ。

PCとソフトウェア (追記あり*1

PCは、それほどハイスペックでなくてもどうにかなるだろう。最初の1年はcore i3のちょっと古いノート型で仕事をしたが、特に不自由は感じなかった。ただし、メモリだけは16Gを積んでいたから、そのせいでうまくいったのかもしれない。ここは検証していない。一方で、モバイル用に使っている非力なノートはメモリ4Gしかないせいなのか、あるいはCPUはじめとしてあらゆるスペックが低いせいなのか、いろいろと不自由が出る。会社のWeb会議ぐらいならそっちでもできるけれど、授業は難しい。これは、会議システム(ZoomやGoogle Meetなど)以外のアプリケーションを使う都合上というのがあるのだろう。

現状、使っているのは2箇所の拠点にそれぞれ1台ずつの合計2台とも、Core i7NVIDIAのグラボを積んだゲーミングタイプのノート型で、まずは十分すぎる性能といえる。これはたまたま息子のお下がりをもらえたからで、自分の好みで誂えたわけではない。ちなみに彼はグラフィック系のソフトを扱う大学生であり、音楽系のソフトや配信関係のソフトを扱うミュージシャンでもある。だから、彼が不自由を感じるマシンでも、こっちにとっては十分すぎるわけだ。

周辺機器としては、USB接続の外部カメラかその代用に使うスマホが1台必要だ。スマホは決して普段遣いのスマホを使ってはならない。当たり前な話だが、普段遣いのスマホには電話がかかってきたり通知が入ったりと、忙しい。時には指導中に生徒との連絡に使わなければならなかったりもする。手もとを写しているのを中断して操作をするのは鬱陶しい。だから、古くなって使わなくなったものでもいいし、それがなければ数千円の中古品でもいい。必ず、別途用意する。それから、ヘッドホンかヘッドセット、イヤホンなどを用意しておく。これは常に使うのでなくとも、非常用に置いておくべきだ。

PCや周辺機器ではないが、PCまわりの環境としてインターネットアクセスも重要だ。基本的には光回線が通っていればいい。可能であればルーターとPCは有線でつないだほうがいいように感じている。Wifiでも可能といえば可能なのだが(実家の方はまだLANケーブルを引けていない)、Wifiの中継機は使わないほうがいいような気がする。確たる根拠はないのだけれど、トラブルが発生した事例が何件か中継機使用の生徒で発生している。他の要因もあるので原因とは言い切れないが、講師側では避けておいたほうが当面は無難かなと思う。あと、どこの会社とは言わないが、接続が切れる業者が存在するようでもある。ルーター再起動で解決するのだが、もちろんその間の5分程度は失われるわけで、信頼性の高い業者は選びたいものだ。ちなみに、Wifiが安定しない場合にスマホテザリングでつないだほうが安定するという裏技もあるのだけれど、日常的に業務としてやるのにその方法はどうかなと思う。

ここからのソフトウェアの話は、多くの方の参考にはならないかもしれない。というのは、私は2006年からこっち、基本的にずっとUbuntu使いで、業務の必要がない限りはWindowsを使わない(Macは母親のマシン以外は触っていない)。近年は多くのソフトがマルチプラットフォームであったりプラットフォームに依存しなかったりするのでまったく参考にならないこともないかもしれないが、ちょっとずつズレている可能性は高い。Linux、いいよ。なんでみんな使わないの?

ともかくも、ソフトウェア環境として、なにはなくともZoomやGoogle Meetなどのビデオ会議システムがないと授業にはならない。上記の2つはどちらもそれぞれなりの良さがあるが、基本的には大差ないといってかまわないだろう。これらを使うにはブラウザがほぼ必須だが、ブラウザなしで日常的にPCを使ってるひとも普通はないだろうから、特記することはない。生徒との連絡手段はいろいろあるだろうが、古典的なメールが文書の添付も手軽で結局は楽なのかもしれない。もちろん「そこはLINEでしょう」というのがあってもかまわない。ちなみにLINEはビデオ会議もできるわけで、それを指導に使うのももちろんあり得ると思う。使ったことはないので使い勝手はわからないが、Zoomの音声不良のときに音声だけLINEで間に合わせたケースはある。いろいろなオプションが用意できればそれに越したことはない。

実は最近になって使い始めたのだが、配信用のアプリケーションがかなり使える。というか、使い始めてみると、これなしでどうやって済ませていたのかがわからない。OBS(Open Broadcaster Software)Studio というマルチプラットフォームかつオープンソースのツールで、実のところ息子に教えてもらったものだ。ただし彼は、それでオンライン授業を受けつつも「さり気なく自分の名前を画面に表示しとくぐらいしか使いみちあらへん」と嘆いていた。生徒側からすればそうなんだろう。だが、講師側には実にメリットが多い。必ずインストールをお勧めしたい。ちなみに、Ubuntuの場合、リポジトリに含まれてはいるのだけれど、公式サイトからソースを追加しておかないと重要な機能が使えない*2。また、バグがあって、「仮想カメラ」機能を使うためにはちょっとしたオマジナイが必要だったりする。たぶん他のプラットフォームでは大丈夫なんだろう。

もうひとつ、必須にしているのが、実はとてもマイナーなソフトでXournalというもの。これはもともとWindowsにあったJournalというメモ用アプリを想定して開発されたものらしいのだけれど、本来の用途とはまったく別な用途で非常に使い勝手がいい。どういうものかといえば、PDFファイルを開いて、そこに文字や描画を自由に追加していける。典型的な使用例としては、生徒から提出してもらった宿題の画像をPDFファイルにしておいてXournalで開き、赤ペンを入れる感じでどんどん書き込んだり、マーカーで強調したり、正答例をテキストで打ち込んでいったりできる。そして指導後にPDFを書き出して生徒に返却することもできる。PDF形式はずいぶん前からユニバーサルなものになっているし、ときには生徒から送ってくるファイルがすでにPDFだったりもする。それを指導教材のベースにもってくるのは理にかなっている*3

XournalでPDFファイルを使用する関係上、PDFファイルを操作するためのアプリが必要だ。PDFsamのようなオープンソースマルチプラットフォームなツールはいろいろあるのだけれど、私はPDF Arrangerというのを使っている。特にこれでなければならないというものではないが、複数のPDFファイルをまとめたり分割したり、あるいはサイズを変更したり余分なところを切り落としたりと、いろいろと下処理に使えるものがあれば便利だ。

PDFで文書を扱うなら、画像ファイルをPDFに変換する処理も手早くやってしまいた。これにはいいGUIのアプリが見当たらないので(以前はあった気がするのだけれど)、あまり気が進まないけれど端末を開いてimageMagickのオマジナイを唱えている。複数の画像ファイルを一瞬で複数ページのPDFにしてくれるので、魔法は便利。

あと、PCのデフォルトで入っているスクリーンショット機能は、ショートカットで簡単に起動できるようにしておく。特に、「範囲を指定してスクリーンショット」の機能が最も使い勝手がいい。というよりも、指導ではそればかり使う。たとえば生徒側のカメラで問題を映してもらったら、すぐにその必要部分だけビットマップとして切り取って、上記のXournalで開いたPDFに貼り付ける。あるいは選択肢のある問題では選択肢部分だけコピーしておいて、それを本文上で動かしながら指導する。基本機能は便利だからこそ基本機能として組み込まれているのだと理解している。

第2カメラとしてスマートフォンを使う場合、スマホ側にアプリを入れる。USB接続でそのままPCの外部カメラとして使うアプリもいくつかあるようだが、無料版だと解像度が低かったり、いろいろとやりにくいところがあるようだ。私が使っているのは無料版のIP Webcamというアプリで、これはUSB接続はできないが、解像度もしっかり取れるし、いろいろな設定をPC側から操作できる。よっぽど古いAndroid以外は少々古い機種でもインストールできる。PCとスマホが同じWifiに繋がっていれば、IP Webcam側で表示されているIPアドレス(たとえばhttp://192.168.2.301:8080/みたいなやつ)をブラウザのアドレスバーに打ち込んでやれば、それだけでスマホで写した画像がブラウザ上で表示される。PC側では特別なアプリは不要だが、上記のOBSで読み込んで使うのが基本だろう。

文房具など

ハードウェア環境というほどのものではないが、文房具はオンライン指導でも必要になる。最も基本的なものは紙と鉛筆だろう。いくらPC上で文字も打てれば図も描けるとはいえ、手書きの表現力は侮れない。第2カメラで手もとを写して書きながら説明する。ホワイトボードに板書しなくなったのは、やっぱり紙に書くほうが早くて読みやすいからだ。紙は白紙であれば何でもいいのだけれど、基本的にはA4の裏紙を使っている。これは単純にそんな裏紙が溜まっていたから。2年でほぼ使い切ったので、最近は新品のコピー用紙も使っている。表裏、ともに使う。鉛筆の方は、Bもしくは2Bの濃いのを使っている。これは、HやHBで「読めません」と言われることが頻発したからだ。鉛筆の黒は、照明が強いと光ってかえって読みにくいのだけれど、暗ければやっぱり読みづらい。そう思えばサインペンやボールペンのほうが読みやすいのだろうけれど、消しゴムをかけられる点で鉛筆は捨てがたい。濃い鉛筆を使う。

訪問指導の頃は赤ペンは必須だったし、何ならマーカー類もカラフルに使った。けれど、オンライン指導ではほぼ使わない。カラフルにしたいのはたいてい元になる文書がある場合だし、そういうのはだいたいはPDFにしているわけだから、アプリケーション上でカラフルにできる。上記のXournalならそこが自由自在だから、下手な蛍光ペンなんかは要らない。

定規やコンパスなんかは、やはり訪問指導の頃に比べれば必要となる頻度は減った。とはいえ、これらは定規やコンパスの使い方そのものを指導するケースがあったりするので、必要なことに変わりはない。消しゴム、ハサミ、鉛筆削り、USBケーブルなど、一般的な文具も一般的なものとして必要だ。

意外なものが重宝する。文鎮とルーペだ。第2カメラで手もとを写すのだけれど、カメラから被写体までの距離があまりとれない関係上、思いの外に手もとの文書が歪む。例えば本が丸くなっているとして、1センチだけ真ん中の部分が端の方より浮き上がっているとする。ふつう、実物を目にしているときにはなんの違和感もない。けれど、これを本の表面から20センチだけ上方にあるカメラから写すとなると、カメラと被写体の距離が5%も変わってしまう。これは思った以上に読みづらい。だから、なるべく重い文鎮が役に立つ。いくら大量に抱え込んでいても、iPhoneXperiaレベルでは軽すぎて話にならない。小学生が書道で使うものでも軽すぎるぐらいだ。ブロンズ製のずっしりしたのを愛用している。

ルーペは、単純に老眼だからというのもあると思うが、最近の電子デバイスの解像度が高いからこそ使う価値がある。スクリーンに表示された文字が細かいときに、たしかにそれはソフトウェア的に拡大表示ができるのだけれど、それよりは虫眼鏡で見たほうが早い場合が少なくない。特にスマホタブレットの画素数はそこらのPCのスクリーンの画素数よりも多いのだから、ルーペで拡大して読んでも違和感がない。PCのスクリーンでさえ、20年前はルーペで拡大するまでもなくドットが視認できたことを思えばずいぶんと細かいところまで表現できる時代だ。見えなければ虫眼鏡(物理)が案外と手軽だ。恥ずかしがる必要はない。

時計は、もちろんPCに表示されるもので十分ではあるのだけれど、アナログ時計があったほうがPCの前に座っていないときでも時刻を確認できていい。指導直前の準備でバタバタしてるときなんかは、いちいちPC前まで確認に行けないから。そして、おそらくもっと役に立つのはキッチンタイマーだ。気に入ったのがなくて導入していないのだけれど、たとえば90分指導なら90分でタイマーをスタートしておけば、終了時刻を間違える心配はない。タイマー音が鳴れば指導終了のきっかけにもできるし、きっと役に立つよと思いながら、日用品売り場を探し続けている。

教材

教材は、当然ながら担当する生徒ごとに必要になるものが違う。だから個別にいろいろと異なるところはあるのだけれど、一般的に事前に準備できるものは準備しておく。事前に準備できないものとしては、たとえば突然の質問や指導中に思いがけず深入りする場合に必要な情報がある。そういうときにはブラウザ画面を生徒と共有して見ながら検索して探すことになる。

事前に準備しておけるものは問題集や参考書ということになるわけだが、出版物に関しては著作権に留意しておくことが重要だ。なお、後述するように教材は可能な限りPDF形式で準備しておいたほうがいいのだけれど、まず基本になるのは物理的な紙で出版された教材だ。そして、そういった出版物の著作権は、物理的な存在に紐付けられているとみていい。なので、1冊の本に許諾された著作物の利用権は1つであって、複製は許可されていない。こういうことは訪問指導の家庭教師にとってほぼ意識する必要がないことだ。なぜなら、生徒と一緒に問題集を開いているとき、そこにあるのは利用が許諾された著作物であり、その利用方法は(公衆に公開するとかいった場合は別になるけれど)どんな方法であっても私的な範囲であるから文句を言われる筋合いはない。生徒と教師が同時に利用していても、1冊の本しか利用していないなら1冊の本に許諾された著作権の範囲でだいじょうぶだ。まあ、世の中の教師には1つの利用権しかない1冊の本を平気でコピーして何人もの生徒に使う不届者もいたりするし、ときにそういうのが学校で配布されてたりして「どうなのよ」と思ったりもするのだけれど、それはまあ置いとこう。悪しき慣行はマネしてはならない。ふつうにやってれば、著作権はだいじょうぶなんだから。

ところがこれがオンライン指導になると突然話が変わる。たとえば生徒がある問題集を使っているとする。それを訪問して一緒に見るのではなく、オンライン上で一緒に見る。やっていることはまったく同じに見えるが、これは著作権法上、アウトである可能性が高い。教師が参考書を持っている。この参考書を生徒に読ませようとカメラで写す。やはりアウトになる可能性が高い。なぜか。それは、画像を共有しようとカメラで写した瞬間に、私的利用の許諾の範囲を越えて複製したことになり得るからだ。訪問指導とまったく同じことをしても、間に機械が挟まるだけで、法律の解釈上は別な事象として扱われる。正直、釈然としないのだけれど、どこかで線を引かないと拡大解釈はどんどん広まってしまうので、ここは「まあ、そういうことなんだろうな」と思っておくべきなんだろう。時間が経てばもう少し法律やその解釈も変わっていくとは思う(だからここに書いたことも時代遅れになるはず)。当面は、回線越しの本(物理)の共有はアウトだと認識しておこう。

では、問題集や参考書(物理)は使えないのか。いや、使うことはできる。基本は、生徒と教師が同じ教材をそれぞれ手もとに置くことだ。こうすれば、仮に指導の必要があってカメラでその教材を写していても、1冊の本に対する2つの使用許諾を2つの利用でもって消費しているだけなので、著作権の原則を何も侵さない。カメラで写す行為は同じであっても、それは複製のためではないことになる。同じ行為であっても目的と実質が異なるので、これは文句はつけられない。ただし、その授業を第三者が見た途端にその行為は著作物の複製になってしまう。このあたりがとてもややこしいのだけれど、安全のためには問題集や参考書(物理)を写した授業は、録画もストリーミング等での公開もできない。ふつう、家庭教師の授業でそんなことをするやつはいないわけだからだいじょうぶなんだけど、ここはしっかり押さえておく必要がある。

とはいえ、現実には、家庭教師の手もとにない練習問題を生徒が教えてほしいと思うことは普通に発生する。そういう場合は、特に数学や理科であれば、その練習問題を生徒が写真に撮って教師に送っても、ほぼ著作権上の問題は発生しない。なぜかといえば、だれが作っても同じようなものができる著作物に関しては、著作権は発生しないからだ。だれかが「1+1=2」という問題に著作権を主張し始めたら世の中の動きがストップするという単純な例をあげれば十分だろう。およそ、広く公知である科学的な事実をもとにそれを展開しただけの問題には、著作権は発生しない。ただし、それだと数学の問題集はすべて著作権フリーになるのかといえば、そうではない。なぜなら、ひとつひとつには著作権が発生しない問題であっても、それをどう配列するのかということに工夫があるからだ。まずは問題Aを解かせ、その基礎の上に問題Bを解かせようという意図のもとに問題AとBを配列してあるような問題集であれば、その配列にはまちがいなく著作権が発生している。これも一般的に「どう考えたってその順番じゃなきゃおかしいよね」という程度の配列なら著作権は無理筋だと思うのだけれど、まあ細かな工夫はどこにでもあり得るから、そこはツッコまないことにするのが礼儀というものだろう。ともかくも、数学や理科であれば、多くの場合、問題単体に著作権はないが複数の問題の配列には著作権があると考えるのが穏当だ。そうでなければ世の中は発展しない。だから1ページまるごとのコピーは著作権法上アウトでも、わからない問題1つを教えを請うために写真に撮って教師に送るのは、ほぼ著作権を侵害しない。

社会科の1行問題、英語や国語の文法問題に関しても、これはあてはまる。だが、ややこしいのは社会科や英語、国語では、通常、「本文」と呼ばれる長文が付随することだ。これらの本文は、誰が書いたって同じようなものとはとうてい言えないし、実際、オリジナリティがはっきりと読み取れるものである。国語や英語の長文読解では、問題集に掲載される以前にさらにオリジナルの著作物があり、そちらははっきりと著作権を有している。安易に複製して送信することはできない。

正直なところ、これに対処する方法を私は知らない。もちろん、そのオリジナルの本文がすでに著作権切れである古典(例えば芥川龍之介の「羅生門」とか)なら遠慮は要らない。英語の長文の場合、たとえばNew York Timesの公開記事にオリジナルが見つかったとかなら、そっちを参照して指導ができる。学校の定期テストで教科書の本文が引用されている場合なら、同じ教科書が家庭教師の手もとにあるなら、文句を言われる筋合いはない。個別にそういうふうに可能な場合はあるだろう。けれど、一般的に著作権を侵さない方法は、これら「本文」を含んだ問題では存在しないのではないだろうか。

話がだいぶと逸れたが、結局のところ、問題集や参考書(物理)の教材準備は、単純に同じものを生徒用と教師用の2冊、購入しておくということだ。可能であれば生徒が学校で使用している教科書も、同じものを入手しておく。教科書は販売されている場所が限られているので、特に留意が必要だ。もっとも、最近はネットで注文もできる。けっこうな時代だ。ともかくも、「同じものを回線のこちらと向こうの両方に用意しておく」のは、手間がかかるので事前準備としてわざわざ書き出しておく意味があると思う。

ただし、教材として使いやすいのは、PDFだ。カメラで写すことによる読みづらさが発生しないのと、解説を直接画面に打ち込んだり重要なところをマーカーで記したりといった作業がやりやすいので、紙媒体よりも指導しやすい。可能であれば教材はPDF形式の電子データで手もとに置いておきたい。

とはいえ、「じゃあ、手持ちの問題集をスキャンしてPDFにしようか」と考えるべきではない。それはたいていの場合、著作権を侵害する。だいたいがけっこうな手間であり、どこからどう見ても賢いことではない。じゃあどうするのがいいのかといえば、ベストの方法は紙媒体と同じで、すでに電子化されているデータを生徒の分と2件分、有償で購入することだろう。

それをやった上でなお、教材は不足する。家庭教師をやっていて痛感するのは、大部分の教材は使う必要はないけれど、本当に必要な教材は必ず不足するという事実だ。ほとんどの生徒は、特定の教科の特定の単元だけを繰り返し練習する必要に迫られている。集中的に弱点補強をしようとすると、その範囲の問題は必ず不足する。その一方で、(十分に点数がとれてるケースとか、逆にそこまで手を広げられないケースとか、事情はいろいろだが)それ以外の範囲の問題はほとんど余る。教材を買っても手を付けないまま終わることが多い。それを無駄と感じるひともいるだろうが、必要な問題を揃えるためには余分なものもまとめて買っておかなければならない。問題のバラ売りなんて基本はないのだから。

ともかくも、有償で教材を準備しても、教材は必ず不足する。それを補うのは、著作権上の問題が発生しないオープンな教材だ。あらゆるものが十分に揃っているわけではないけれど、Webを探せば自由に利用できる教材を公開してくれているサイトがいくつか見つかる。もちろん「自由に」といっても営利利用はダメとかいろいろサイトによって条件があるので、利用規約はしっかりと見る必要がある。個人利用のみOKというような場合には生徒には紹介だけして授業で利用しないようにするとかの工夫も必要だが、ともかくも、こういうサイトには助けられる。英語圏まで広げるとこういうフリーな学習補助サイトみたいなのはけっこうたくさんあるから、高校生ぐらいだと英語の勉強を兼ねてそういうところの情報を使うこともできる。また、世の中には行政が公開している教材もPDF形式で存在していたりもするので、著作権に問題なく使えそうなものは探して手もとに確保しておく。古文だったら、古文の原文そのものは著作権切れだから、国会図書館とか探したら画像ファイルとして入手することもできるだろう。

その上で、最後に不足するものは、自作するのが最も問題がない。汎用性の高いもの、たとえば中学数学の計算問題とかであれば、自作するのも容易だ。とことんな話、手書きで書いてスキャンしてもかまわない。私は字が汚いので、もっぱらワープロで打ち込んでPDFで出力する。英作文問題とか理科や社会の記述問題なんかは、何人もの生徒で使いまわしている。

指導

準備が整ったところで、実際の指導だ。もちろん指導以前に新規生徒の獲得とか、いろいろあるのだろうが、そこは別の話になるだろう。現在の私のようにそのあたりを会社に丸投げしているなら、来るものを受ければ済む話でもある。

ソフトウェアの設定

指導開始前にソフトウェアの設定をしておく。とはいえ、ほとんどの設定は最初に1回やっておけばいいのであって、あとは起動順だけ気をつければいい。もっとも、起動順をまちがえても一手間増えるだけで、何も問題はない。

最初に起動するのは(もしもスマホを第2カメラとして使うのであれば),スマホのIP Webcamだ。起動したら「映像ストリーミングの開始」でスタートさせ、電池の消耗を防ぐために「動作」から「バックグラウンドで起動」もしくは「撮影画面を表示しない(エコモード)」を選んで、ディスプレイの電源を切っておく(あるいは「電源管理」で設定できるのかもしれないが、よくわかっていない)。ただし、初回の場合、あるいは再起動したあとなんかには、ディスプレイを切る前にIPアドレスは確認しておく。

次にOBSを起動する。初回の設定がうまく通れば再起動とかでIPアドレスが変更されない限りは、この順番でやればIP Webcamの読み込みは前回から引き継がれる。ともかくも、OBSの設定では、まず、いくつかの「シーン」を考える。OBSは複数のカメラからの動画、ファイルに保存された動画、画像、同時に開かれているウィンドウ、テキスト、ブラウザのページなどを1枚の「仮想カメラ」として出力できる機能を備えている。これを使えば、ZoomやGooglle Meetの入力値として、上記のイメージを自由に送り込むことができる(音声に関してもできることは多そうだが、オンライン指導では使いみちがいまのところ見つかっていない)。ただ、常に同じ配置で送信するのでは芸がない。いくつかの配置を切り替えて使う。これを「シーン」と呼ぶ。

たとえば、待ち受けのシーンはこんな配置になる。

待ち受けのシーン

左下隅を拡大すると、こんな感じ。

左側の「シーン」でこの「待機」を選ぶと、テキストと画像を組み合わせた映像が仮想カメラに出力される。だからどうなのよ、と思わないでもない。この画像をZoomに流しておけば生徒がアクセスしたときに「ああ、このIDでうまく参加できたんだな」とわかるわけだが、別にこんな画面がなくたって、不安になることはないだろう。また、やろうと思えばZoom上で似たようなことはできる。けれど、OBSの使い勝手がいいのはここからだ。

上の画像の「シーン」で、「待機」を「講義」に切り替える。すると、こんな画面になる。

「講義」のシーン

PCの内蔵カメラが表示される。操作部分を拡大すると、

シーンの切り替え

これは生徒から見ると、通常のZoomの講義の画面だ。ふつうにZoomなので、「何が嬉しいの?」となるだろう。しかし、ここで「シーン」を「手元」に切り替える。

「手元」のシーン

第2カメラで写した手元が表示される。それだけならZoom単体でも工夫すればできなくはない(USBの外付けWeb Cameraなら、左下隅のボタンで切り替えられるはず)。けれど、上の画像の左上隅を見てほしい。私の顔が映っている。これは静止画ではなく、PC内蔵カメラで写した動画だ。つまり、講義中の講師の姿を映したまま、手元も同時に映すことができる。

あるいは、「講義」のシーンで内蔵カメラをオフにすると、こんな画面になる。

さらに画像を追加したシーン

左側の答案は、生徒から画像で送ってきた提出物。これを画面に表示しながら、手元の紙に指導していくことができる。この画像はXournalで処理中のアクティブなものだから、こっちの方にいろいろと注釈していくこともできる。

答案にソフトウェア上で注釈をつけていく

もちろん、Xouranalの画面をもっと全面に引き伸ばすこともできるし、さらに別の入力ソースを加えていくこともできる。

入力ソースは増やせる

つまり、基本的には複数のシーンを切り替えながら講師の顔を映したり、手もとを映したりする。その上で必要に応じて、ソースの表示・非表示を切り替えたり追加したりして画面に映る情報をコントロールしていく。

OBSの設定は、そこまでを想定して行っておく。たとえば「手元」のシーンでは講師の顔画像が縮小されているが、よく見てもらえれば顔の周囲の空白もクロップされている。これはソースを右クリックして「変換」を編集すれば簡単にできる。こんなふうに、あらかじめレイアウトを決め、それぞれのソースを最適にしておけば、使い勝手がどんどん上がる。

なお、IP Webcamを使った場合のソースの追加は「ブラウザ」で行うのだが、このときのURLは、たとえば表示されているのがhttp://192.168.2.301:8080/だとしたら、http://192.168.2.301:8080/browserfs.htmlのように、末尾にbrowserfs.htmlを追加しておくといいようだ。詳しいことは聞かないでほしい。私もよくわかっていない。スマホの操作(ピント固定とかズームとか明度・コントラストの調整とか)は、別途Webブラウザの方で行うといいようだ。

OBSを起動したら、必ず「仮想カメラ開始」をクリックしてから、Zoomを起動する。この順番でやると、ミーティングを起動したときに(前回OBSを使っていれば)、OBSの出力映像が自動的にZoomに表示される。順番を間違えるとZoomがカメラを見つけられないから、改めて「仮想カメラ開始」をしてからZoom側で設定を触らないといけないので、一手間だけ増える。まあ、たいしたことではない。

Zoomの設定についてはいろいろ解説も出回っているので私が今更どうこう言うこともないと思うが、だいたいはデフォルトで使っていて問題ないと思う。ただ、オーディオ設定の「マイク」の「自動で音量を調整」だけはチェックを外しておいたほうがいいようだ。音声は毎回生徒にきちんと聞こえるか確認したほうがいいのだが(先方の環境によって聞こえ方が多少異なるようだ)、その際にPCの音量調整を調整しても、ここにチェックが入っているとZoom側で勝手に調整をかけてもとに戻ってしまう。小さな親切・大きなお世話を感じている。

指導の開始から実際

事前の準備が整ったところで、指導が始まる。もちろん、上記の設定のほかに実際の授業の準備が必要な場合は、それもやっておかねばならない。たとえば、メール添付で宿題の提出を受けていた場合なんかは、複数画像ファイルのままでは面倒なので、1ファイルのPDFにまとめておく。そういったPDFファイルや、教材として予定しているPDFファイルはあらかじめ開いておく。その他ローカルにあるファイルで臨時に必要になるものが出る可能性があるので、ファイルブラウザも開いておく。質問が予想される場合なんかは、Webブラウザも開いておく。なお、ブラウザはアドレスバーに履歴が見えたりして自分の情報が生徒に見えてしまう場合もあったりするので、指導用には専用のブラウザもしくはプロフィールを用意しておくぐらいの用心はしてもいい。たとえば、普段は使わないFirefoxとかOperaを指導用にインストールしておくというのもひとつの方法だろう。

セッションの開始は定時を契約時に決めておくわけだが、開始前からZoomでミーティングルームを開けておいて、OBSで待機画面を出しておけばいい。

定時になったら講師の側から顔と声を出して、挨拶をする。このとき、必ず、音声がクリアに聞こえるかどうかの確認をしている。音声のトラブルは、案外と多く、また、授業の妨げになる。生徒にも声を出してもらって、こちら側でもきっちり聞こえることを確認する。聞き取りにくい時にはヘッドセットやイヤホンを使うと聞き取れる場合がある。毎回の指導で使うのは耳に負担だが、聞こえにくい生徒の声に苛つくぐらいなら1回の指導の間ぐらいは我慢できる。

指導の内容には踏み込まない。というのは、これは生徒によって千差万別だからだ。ただ、訪問指導の場合と大きく異なるのは、生徒の手もとが見えないことだ。もちろん、あらかじめ契約時に説明して、生徒の手もとが写せるように外部カメラやスマホを用意してもらうのは可能だ。だが、経験上、そういったハードウェアをうまく使いこなせる生徒は5人に1人だ。もちろん、たまにはこちらが感心するぐらいうまく手もとを映してくれる生徒もいて、そういう場合には、たとえば「じゃ、この問題やってみて」みたいに指示を出して問題を解く手もとをじっと観察してアドバイスを送るような指導もできる。けれど、多くの場合は、画角が狭すぎてすぐに画面をはみ出したり、アームが不安定で見ているだけで酔いそうになったり、ピントがボケて文字が全く読めなかったり、あるいは最初から設定を諦めていたりで、手もとを見ながらの指導なんて基本的にはできない。

ではどうするかといえば、工夫は生徒によってそれぞれだ。スマホの操作に慣れた生徒なら、問題を解いたらすぐに写真に撮って送ってもらう。送ってもらった画像をスクリーンショットで切り出してXournalで開いたPDFに貼り付けて、その上に赤を入れていく。ガジェットを使うのに苦労する生徒なら、顔を映しているカメラの前に答案を広げてもらう。ピンボケしていても、どうにか読める場合がほとんどだから、手で広げてもらっている間にスクリーンショットを撮る。あるいは指導中の問題演習は一切諦めて、問題を解くのはすべて宿題にしておいて画像で提出させる。ときには、問題のPDFファイルをXournalで開いた画面を共有して、口頭で解答や途中式を言わせて、それをこちら側でPDFに書き込んでいく。共有画面では生徒に書き込ませることもZoomの仕様上は可能なのだが、実はZoomの描画機能は思いの外に使いにくく、生徒がそれを使いこなすことはかなりの困難を伴う。それよりは、Xournalのアノテーション機能でこちら側で書き込んだほうが確実で早いわけだ。

とはいいながら、やっぱり訪問指導に比べたら、目の前で問題を解かせる頻度は減る。ま、もともと私は他の家庭教師に比べたらそういう時間は少ない方だった。「勉強の見張り番」みたいな役割ではまともな指導料は取れない。学生講師ならそういうのもありかもしれないが、いい年をしてそういう仕事はできない。現状を把握し、ビジョンを見せ、計画に落とし込み、それが実行できるように工夫するのが仕事の基本だと思うし、問題の解説や講義をするのはそれを支えるためだと思っている。問題を目の前で解いてもらうのは現状を把握するためであり、練習を積ませるためではない。練習なら自分一人でできるだろう。もっとも実際には、1題うまくいったら次はこれ、うまくいかなかったらこっちの問題みたいに、目の前で練習させないと先へ進まない単元もあったりする。たとえば中学数学の正負の計算や方程式の導入時の指導なんかはどうしてもそうなる。そういう指導は、確かにオンラインはやりにくい。実際、それでうまくいかなかった生徒もいて、数学だけは訪問指導に切り替えられて、私は国語の指導に配置換えになった。このあたりは未解決の課題だ。

しかし、そういう単元は全体から見れば多くない。英語なんかは、手もとを見なくても別に不自由はない。もともと言葉は音声なのだから、音声で答えさせればいい。それでは単語の綴りを覚えないではないかと思うかもしれないが、練習問題の解答を手書きにしたからといって余計に綴りを覚えるものでもない。むしろ、綴りと音の関係をしっかり意識して発音させるほうが、単語の習得は早い。私ではなく英語が専門の講師がそういう実証的なエビデンスがあるようなことを言ってたから、たぶんそうなんだろう。

となると、結局のところ、音声でのコミュニケーションが訪問指導のときにも増して重要になる。訪問指導のときに比べると喋る量は体感で2倍くらいになるし、生徒の喋る量も増える。これは実はオンライン指導のひとつの長所ではないかと思う。というのは、誤解を避けるために講師の側も声の出し方に気を使うようになって技量が上がるのだし、それよりなにより、生徒のコミュニケーション能力が向上するからだ。だいたいが、中学生とかの年代の子どもは、無口になることが少なくない。訪問指導の生徒でほとんど声を聞かないまま最初から最後までの指導を終える場合だってないわけではない。男女を問わず、喋らない生徒はとことん喋らない。けれど、オンライン指導ではそういうわけにはいかない。音声のコミュニケーションがなければ指導が進まない。うまい具合に、生徒の側にとってもオンラインは案外と喋りやすいもののようなのだ。生徒が無口になるのは、「人見知り」みたいな言い方もできるが、やはり家庭教師という存在の物理的な圧迫感が影響している部分が大きいのだろう。同じ生徒で比較できたわけではないけれど、訪問指導だったら口を開かないような生徒がオンラインだからどうにか喋ってくれる、という感触のケースが多いように思う。もしもそうであれば、そこをきっかけに、コミュニケーション能力が向上していくのではないかと思う。ちなみに、コミュニケーション能力は、学習指導要領でも重視している基本スキルセットのひとつだと私は捉えている。

学校での学習事項の理解が生徒に乏しいときや先取り学習をするときなんかは教科によらず講義をすることになるわけだが、その場合ももちろんこっちは喋り詰めになる。といって生徒を黙らせておくのももったいないので、適宜質問を挟んでいく。私は(学生の頃の塾講師のバイトを除き)教壇に立ったことはないので、多人数に対する講義をどう進めていいのか、想像もできない。けれど、一対一なら普通の会話と同じなので、どうやって相手に喋らせるかみたいなことは考えながら進めることができる。これはなかなか楽しい。そして、音声だけでなく、もちろんいわゆる「板書」もする。ただし、ホワイトボードの使用は半年ぐらいでやめた。もともとそういう素養がないので、下手くそなのだ。数学なんかは数式のややこしいのや図形は手書きのほうが楽なので第2カメラで手もとを写して白紙の上に書いていくことが多い。けれど、最近は可能な限り、Xournalで白紙のPDFページを開いて、そこにテキストと描画で打ち込んでいくようにしている。なによりも読みやすいからだ(なにせ私の手跡はひどく汚い)。そして、講義が終わったあと、その板書をそのままPDFで保存して生徒に送ることもできる(滅多にやらないけど)。

オンライン指導では、Webブラウザを生徒と共有して利用することも多い。基本的な検索・閲覧で使うことも多いわけだけれど、Web上のアプリケーションを使うこともある。特にDesmosは、関数の学習では中学・高校を問わず必ず使う。ほかにも役に立つサイトはいろいろあるが、それはまた別の話になると思う(もう2万字越えてる。どう考えても一記事として長過ぎるやん)。

指導の終了と後始末

あの手この手を尽くして無事に1コマの指導を終えたら、締めの言葉と挨拶で授業を終了する。音声をオフにし、画面はOBSでGoodbyeに切り替えて、生徒の退出を待ってミーティングルームを閉じる。Zoomの場合、設定にもよるけれど、1回限りのミーティングルームはいったん閉じるともう再開できないので、生徒を先に退出させるほうが一般にはいいのだろう。

通常は指導と指導の間には必ず一定の休憩時間を挟むので、その間に次の生徒の準備をすればいい。ただし、稀には生徒の都合で連続して次の生徒にかからなければならない場合もある。Zoomの場合、定刻前に入室可能の設定でミーティングルームを予約しておけばそういう対応も可能なのだけれど、正直、これは慌ただしい。ただ、おもしろいのは、訪問指導だと定刻に終了といってもなんだかんだと5分とか10分、生徒の家の玄関を出るまでにはかかるのが常なのだけれど、オンライン指導の場合、定刻に終わるのがそれほど難しくない。そういう意味では、こんなアクロバットも可能になるわけだ。

とはいえ、指導が終了したら、ログを兼ねた報告を書いたり、生徒に必要なPDFを書き出して送ったり、いろいろとやっておくことはある。なので、間の休憩時間は決して休憩のためではない。このあたりは学校の教員と同じなのかもしれない。その時間も時給の対象にしてほしいなあとは思うが、業務委託の「時給」は実際には1コマやっていくらの丸投げなので、このあたりは自分で工夫して合理化していくしかない。

おわりに

家庭教師をはじめてまだ数年しかたたない頃に、家庭教師のためのマニュアル本を書いた。出版社には相手にされなかったのでAmazon電子書籍として出したが、7年ほどの間に累計で130冊以上プラス2万ページ以上が細ぼそと売れている。年間にすれば(ページ数も冊数に換算して)30冊ぐらいがコンスタントに出続けている計算だ(その程度しか出ないロングテール商品だから出版社が見向きもしなかったのもわかる)。その本はそれなりに思い入れもあってつくったのだけれど、経験としてはそれ以前よりもそれ以後のほうがずっと長いわけで、いろいろと不満なところもある。

だから、数年前から新たな本を書こうと思っている。だけれど、これがなかなか進まない。いったん宿題化すると、いつまでも積まれてしまうのは性格なのだろう。とはいえ、放っておくには惜しい。新たな知見もたくさんある。たとえば、今回書いたオンライン授業にまつわるものなんかは、以前の本にはひとつも触れられていない。ならば、新たな本にこのネタはとっておいたほうがいいんじゃないの、と思わないことはなかった。

けれど、ソフトウェアに依存したオンライン授業は、あっという間に変化する。変化の早いものは、情報として劣化してしまう。以前の本のように7年も売れ続けたとしたら、あとの方の読者にはずいぶんと役立たずな情報を与えてしまうことになるだろう。それは本意ではない。

ここで取りあげた内容の多くは、私自身の体験を基本にしている。けれど、その中でもOBSやIP Webcamのようなソフトウェアのあれこれは、Webから得たものが多い。そしてそれらの情報は、先人が公開していてくれたものだ。ずいぶんと助けられた。であるならば、やはり私も同じように情報を公開すべきではないかと思った。もちろん電子出版も公開のひとつの方法であるが、古びていく情報にはブログのほうがお似合いだろう。

家庭教師という商売をやっていて、この方法にはまだまだ多くの可能性があると思う。一対一の指導は、実にいろいろな展開を可能にする。従来の教室型では考えられないような指導方法もまだまだ見つけていけそうだ。その一方で、1人の教師を食わせるためにはかなりの経済的負担を生徒家庭がしなければならず、裏を返せば家庭教師で蔵を立てるほど稼ぐことは不可能でもある。そういう意味では問題の多いあり方でもある。

オンライン指導は、まだまだ始まったばかりで、どう展開するかはわからない。けれど、ひょっとしたら一対一の指導の長所を活かしながら、経済的にはどうもうまく回らないよねというところを変えていくきっかけになるかもしれない。それにはまだまだ知恵とイノベーションが必要だ。けれど、そういう未来も、ひょっとしたら来るかもしれない。

そして未来は、誰か頭のいい人が一人で切り開くのではない。天才も必要かもしれないが、その足下には無数の捨て石が転がっている。そういう石ころのひとつとして、この記事が役立てばいいなと夢想したりもする。いや、そんな大層なもんかいな。

*1:その後、同業者との話の中で、案外とタブレット使用の講師が多いことがわかってきた。タブレットにはタブレットなりのノウハウがあるのだと思うが、私はその実践者でないので触れない。ただし、タブレットユーザーのデモを見ていて羨ましいと思ったのは、デジタル教材への書き込みだ。タッチスクリーンなので手書きでどんどん書き込める。後述するように私はソフトウェア上で書き込むのにポインタでやっているので、ただでさえ汚い字が更に汚くなり、生徒に申し訳ないことこの上ない。これが多少は改善できそうだ。

そこで、タブレットの導入も考えたのだけれど、実はこれは以前にPCのサブモニターとして導入しようと試みて失敗している。これはそもそもハードウェアの問題でもあったので、そういう解決策もあるとは思う。ただ、そうするためには新たなタブレットを買わねばならず、予算と市場価格を見比べて考えていて、それならいっそ、タッチスクリーン式の外部ディスプレイを手書き入力専用端子として導入するのがいいのではないかと考えが至った。
割と安物の14インチのディスプレイを導入してみたら、これがプラグイン・プレイで何の苦労もなく本体PCとミラーリングができる。そしてそこにタッチペンで書き込むと、確かにポインタ操作で苦労して手書きするのとは比べ物にならないぐらいに楽にペン描画ができる。これはオンライン指導時のハードウェアの標準装備として書き加えておくべきだと思った。
なお、後述のソフトウェアXournalは、このペン描画のときにタッチスクリーン対応をいちいち指定しなければならず、実用上問題がある。困ったなと思ったら、そのフォークらしいXournal++というのがあることがわかった。これならまったく問題なく、直観的な操作でタッチペンの描画ができた。Xournal++はクロスプラットホームらしいので、私のようなLinux環境でなくても使い勝手がいいだろう。

*2:Ubuntu 23.04では通常のリポジトリのもので解決していた。なので、普通にインストールするだけで大丈夫だ

*3:さらにいえば、Zoomはデフォルトのホワイトボードが非常に使い勝手が悪いので、Xournalで白紙のPDF文書を開いてホワイトボード代わりにしている。これがなかなか有能