「家庭崩壊」が原因か? - 子どもの「チャンス」をそこなわないために

「子どもの貧困とライフチャンス」の第3章は、「家族」に対する考えかた、価値観の相違について改めて考えさせてくれる。というのも、日本ではたとえば夫婦別姓問題をつうじて、「家族の絆」を主張する保守政治家の存在が浮き彫りになり、その一方で同性カップルを認める自治体が現れるなど、「じゃあいったい家族ってなによ」みたいな混乱がみられるからだ。日本の家族が根っこを「家制度」にもっていることはまちがいないし、それが制度として否定されたあとでは「子育ての単位」として法制度上の扱いを受けてきた一面があるのもまちがいないだろう。だが、子育ての単位としての家族は、伝統的な大家族にかぎらないのはもちろんとして、「核家族」が想定する「夫婦と子ども」というかたちだけでいいのだろうか。

たしかに、子育ての単位を夫婦と子どもとしておくのは、それなりにつごうがいい。けれど、現実にはさまざまな関係性のなかで子どもは育つ。とくに、ひとり親家庭は、めずらしいものではない。これは世界的にそうなのだろう。驚いたのは、イギリスにおいて、「ひとり親家庭が貧困の根本原因であるとされることが増加してきており、ふたり親家庭が最善であると持ち上げられ、推奨され報われるべきであるといわれるようになってきた」と3章冒頭に書いてあることだ。おやおや、ひとり親に対する風当たりの強さは日本だけじゃなかったんだ。

実際、2016年の首相演説が引用されているのだが、そこでは概略「離婚した家庭は離婚しない家庭より貧困になりやすいのだから、家族の絆を強めなければならない」みたいなことがいわれているらしい。安定した結婚こそが貧困対策だ的な考えかたが政策に反映されると、それは日本円にして年間1000億円にものぼる有配偶者への税額控除のかたちをとったりする。「経済的なインセンティブがあれば人びとは結婚し、離婚しないだろうという考えかた」であるわけだ。だが、人は経済的に有利になるからと結婚するのだろうか。そういう場合もあるかもしれない。離婚したら損だから結婚を続けるのだろうか。そういう場合もあるかもしれない。だが、そういった損得勘定で結びついた関係性が、本当に子どもの成長にとって有益なのだろうか。

男女がひと組の関係をもち、子どもをつくって育てるのは、本来究極の個人的な事情だ。ただ、社会にとっては再生産が重要であるため、この個人的な事情に社会が介入してくることになる。だから家制度のもとでは愛情であるとか価値観であるとかそういったことは基本的には抜きにして、社会の存続維持にとって有利なかたちでの結婚制度がとられることになった。それで不足する愛情や気配りは、拡大家族のなかでなんとか見つけられる場合もあっただろうし、なければないで済ませる場合もあったのかもしれない。個人の自由意志を尊重するたてまえになっている民主主義社会においても、やはり再生産の確保という意味で社会は個人的な選択に介入してくるだろう。だが、その介入が形式上の結婚関係を保護するものであれば、やはり子どもたちが必要とする愛情や気配りを十分に確保できないのではないだろうか。

そもそも、ひとり親家庭はさまざまな事情で発生する。個別の事情は個別の事情だから、社会を観察し、それに働きかけようとするときには問題にしない。問題とするわけではないが、「子どものことを考えたら離婚なんかできないはずだ」とか「結婚もせずに子どもを生むなんて子どもの幸せを考えていない」などといった言説は否定しておかねばならないだろう。世の中には夫婦がいっしょにいないほうがうまくいく関係もあるのだし、ときにはあえて結婚というかたちをとらないほうが子どもにとって幸せな場合もある。個別の事情はあくまで個別の事情だ。

そのうえで、社会学が注目するとしたら、それは統計だ。本書によれば、「家族の構造(つまりふたり親かひとり親かとか拡大家族か核家族かといったこと)そのものが子どものアウトカムにはほとんど影響しないというエビデンス」が存在するらしい。あるいは「ひとり親であることはごくわずかの因果関係を子どもの発達にあたえるに過ぎない」。「肉親と暮らす子どもたちとひとり親家庭の子どもたちは、ほぼいつでも同じ程度の結果を示している」のだし、「ひとり親家庭の子どもに生じる差異は、大半が親の学歴や職業に依存している」。

だとすれば、もしもひとり親家庭の子どもが不利な立場におかれるとしたら、その原因は「結婚」という形式にあるのではなく、それがもたらす仕事の上の困難と、さらにその結果としての家計への圧迫が真の要因だということになる。であるならばなすべきはひとり親家庭への支援であろう。しかしそれは、離婚したほうがトクだからという離婚へのインセンティブをあたえてしまうからダメだと、結婚という外形にこだわる立場からは見えてしまうようだ。本書でひとり親家庭への支援の必要性をとくに強調しているのは、そういった政府の態度をかえさせなければならないからなのだろう。

実際のところ、子どもに悪影響をあたえるのはひとり親かふたり親かという形の問題ではなく、親の精神が安定しているかどうかであるようだ。「両親が摩擦を解消できなければ、それは子どもの健康やウェルビーイングに長期的な影響を及ぼし」かねない。ちなみに、この「摩擦」という専門用語、翻訳者としてはこの文脈では「いさかい」ぐらいに訳したかったのだけれど、「これは術語だから」と採用されなかった。conflictという単語は専門領域によってべつべつの訳が存在する上に、日常的にはまたべつの言葉が適切なやっかいな言葉だ。訳し分けたら統一的な理解がうしなわれるし、統一したら統一したらで、門外漢にはなんだかよくわからなくなる。どっちにしても消化不良感が残る。ともかくも、子どもに悪影響をあたえるのは離婚そのものではなく、その前後のゴタゴタであり、さらにはひとり親を直撃する経済的な困難や忙しさであるようだ。それ故に、本書では「離別前後の家族に対する支援プログラム」が必要であると主張している。

結局のところ、かつてうまくいっているように見えた「ふた親そろった家族」は、実のところ、それがうまくいく場合もあれば、そうでない場合もある。おなじことはひとり親家庭にもいえるだろう。であるならば、どちらかを理想化するのではなく、あるいはそのどちらにもあてはまらないような子どもの生育環境もふくめて、あらゆる場において子どもがおおきく育つようにしていくことが、おそらくイギリスでも、日本でももとめられているのだろう。