小学校卒業式、羽織袴の思い出

いま大学2年生の息子は、小学校卒業式に羽織袴で出席した。本来これは彼の思い出であり、私がどうのこうのと書くことではない。ひょっとしたら彼の中では黒歴史に近いものであるかもしれず、あまり触れられたくはないかもしれない。とはいえ、親には親の側の思い出もある。桜の花の季節に、少しそんなことを書いておこう。

小学校の卒業式に何を着るのか? 私の感覚は、こざっぱりしたものであれば何でもかまわない、というものだった。なにせ、古い話だが自分が子どものころ、1970年代の小学校の卒業式といえば、特別な格好をしている生徒はそんなにいなかったように思うのだ。自分のときにはふだん通学しているのとそれほど変わらない格好で出席した。だいたいが、子どもなんてすぐに服を汚してしまうのだから、晴れ着なんて無意味だよ、くらいの大雑把な時代だったのだと思う。中学校、高校の卒業式は制服だったし、大学はそもそも卒業さえしなかった。だから、「卒業式に晴れ着を」という感覚は、私にはなかった。

けれど、どうやら時代はそうではない。息子が小学校6年で卒業を目前にしたとき、卒業式は和服で出たいということを彼がいい出した。おそらくクラスの中で、「卒業式は何を着る」みたいな話題が出るようになっていたのだろう。ちなみに、彼は後に高校でも学年唯一の男子として女子に囲まれてもなんとかやり過ごせたぐらいに女子耐性が高く、小学校の頃も女子の仲間に入っておしゃべりしてることとか、普通だった。だから、特にそういったファッション系の話に敏感だったのかもしれない。

彼が和装だと言ったことに驚きはなかった。というのは、彼は小学校1年の頃から趣味として落語をやっていて(といっても正式に習ったわけではなく、完全に自己流)、年に5、6回は人前で舞台に上がっていたからだ。当然そういった機会には着物を着る。だから、その頃にはもう自分で着物を畳むことも帯を結ぶことも、一通りはできるようになっていた(ちなみに後に彼が高校に入って学校の日本文化の授業で踊りを習うことになったとき、「ちゃんと着付けを習える」と期待していたのに、先生は彼の着物姿をチラッと見て、「君はもういいね」と何も教えてくれなかったと、非常にがっかりしていた、という思い出もある)。彼から相談を受けた妻も、「あんたらしいから、えんちゃうん」と、反対はしなかった。けれど、私にはひとつだけ気がかりがあった。羽織、どうするよ?

落語を見ているとわかるが、ちゃんとした落語では、噺家は羽織を着て舞台に上がる。マクラを語り終わる頃にさりげなく羽織を脱いで、そこから本格的な話になるわけだ。和装のことは詳しくないが、やはり着流しはよろしくないのではなかろうか。ちなみに、妻の母親が着物を趣味にしていた関係で、彼は子どもにしてはけっこう小マシな着物はもっていたが、羽織まではついていない。それは身分不相応ということだ。けれど、着流し姿で卒業式は、そりゃ、ないんじゃないの?

私としては決してそこにこだわったつもりはないのだけれど、妻によると私が頑として受け付けなかったために、着物を着るなら羽織を着なければならない、ということになったらしい。じゃあ羽織をどうするか、ということに話は進んだ。既にある着物は彼の祖母に買ってもらったもので悪くはないのだけれど、それに合わせた羽織をつくるとなると相当な出費になる。だいたいが(私は着物に詳しくないからわからないのだけれど)羽織をつけて着るようなタイプの着物ではないらしい。羽織だけでも新調するお金はないのに、まして羽織付きで着物を新調するなど、とんでもない。

そこで、羽織だけでも借りられないかということになった。ちょうど中途半端に背が伸びてきたところだったのだけれど、着付けを工夫すれば彼の祖父の着物が着れるかもしれない(やっぱり羽織はない)。羽織だけでもどうにかならないかと、貸衣装屋に行った。

すると、貸衣装屋がいうには、お手持ちのものに合わせる羽織を探すよりは、一式借りてもらったほうがかんたんだし安いという。そりゃそうかもしれない。そして、羽織だけなんてのはおかしい、袴もつけなければ本当じゃないという。そういえばそうかもしれない。そして、羽織袴の礼装ならば、どこかにあったはずだと。なんだか、いつも着てる着物を着る話が、ずいぶんと大げさな、本格的な礼装になってしまった。けどまあ、それはそれでよく似合った。

ということで、彼は羽織袴の一式を借りることになった。卒業式の当日は早起きして着付けしてもらい、その大仰な格好で学校まで送るという面倒なことをやった。学校に駐車場はないので、いっぺん車を置きに家まで帰って、学校まで走っていった。やれやれだ。ただ、それだけの効果はあった。なにしろ、卒業証書授与で舞台に上がったときには、会場がどよめいたのだから。あれはなんとも言えなかった。「ようやるわ」と、まるで他人事のように半ば呆れ、半ば感心してたのを覚えている。

 

とまあ、決して華美にしようとか奇を衒うつもりで和装になったわけではなく、単にいきあたりばったりでそうなっただけだった。一応、学校にも確認したが、女子で和装の子がいる以上、特に男子だからダメということはない、という返答だった。あくまで本人らしさを優先した結果、世間を騒がせてしまった。それはそれで、また、彼らしいといえばそうだろう。親として悔いはない。とはいえ、もしもこれが後に「男子も和装で」みたいな影響を与えたとしたのだったら、それは申し訳ないなあとも思う。まあ、そこまでの影響力はなかっただろうけれど。

その息子、あの頃は輝いていたけど、だんだんと色あせてきた。二十歳超えればタダの人という言葉ではないが、まあ、そういうものなんだろう。もっと色あせて、渋色になって味わいが出てくればいいのだけれど、そこまではまだまだ辛抱なんだろうな。