平成の米騒動について

トンガの火山大爆発は、ほんとにすさまじい。被害の様子もまだよくわからないというのが、不気味だ。現地の人々の無事を祈るとして、ここにきて何やら話題になっているのがいわゆる平成の米騒動、1993年の冷害による不作に端を発した米不足だ。なぜなら、この不作が1991年のピナツボ火山大爆発の影響であることはほぼ間違いないので、「火山の大爆発→寒冷化→米不足」と連想が及んだのだろう。

農業は自然に依存するから、今回の大爆発でも農業への影響は避けられない。けれど、1993年のような米不足が再来するかといえば、それはないだろう。未来のことだから断言することはできないけれど、少なくとも物理的には米の供給不足が発生するとは考えにくい。

なによりも、1993年から94年にかけての騒動は、いい教訓になった。米は蓄えておくものだという農家伝来の常識が改めて見直されるようになったわけだ。あの騒動の頃でさえ、「ウチは農家なんで新米は食べたことがないんです」という人に実際にお目にかかったことは何度もある。かつて多くの農家は、販売分を「供出」したあと、自家飯米を備蓄に回し、前年の備蓄を取り崩して食べるようにしていた。いまでいうローリングストック法だ。往時は備蓄していた米は味が落ちた。だから、農家なのにおいしいお米が食べられないというのは、よく聞く嘆きだった。ちなみに、1970年代の米余りが言われた時代にこの習慣は崩れはじめたように思う。子どものころの曖昧な記憶だから、これはあまり確実なことではない。

ともかくも、あの米騒動は一部に人災だと非難された。米の備蓄が大幅に少なかったからだ。その反省を受けて、農水省は以後、米の備蓄はしっかり確保するようになった。このあたりを見れば、いまだにそれを忘れていないことがよくわかる。

政府備蓄米の制度について教えてください。:農林水産省

だから、まず、制度として備えがある。さらに、米の品種も変わった。冷害に対する備えも農家の側にある。だから、大幅な減収は起こりにくくなっている。

 

最初にこういうことを書いておかないと、過去の事例を引っ張り出して不安を煽る人が出てくるだろうと思う。人間は過去から学ぶものだから、過去の事例をとりあげるのは、それはそれで重要だ。だが、そこから学んで変化したことを織り込まなければ、状況を見誤る。ま、いつになっても学ばないのが人間だということもまた、コロナ初期のトイレットペーパー騒動を見れば学べるのだけれど。

じゃあ、なんで既に対応済みの平成の米騒動のことをいまさら書こうと思ったかといえば、あの騒ぎの記憶が、多くの人と私でずいぶんちがうのではないかと感じたからだ。私にとっては、あの騒ぎは農業というものについて深く考えさせてくれる契機だった。その前年あたりから農家を訪問することをはじめていた私にとってちょうどタイムリーだったということもあるだろう。人間は食い物があってはじめて存在できるのだし、その食い物は一次産業からしか生まれない。自然に100%依存しているのが人間だということが、農村を歩いているとよくわかる。お天気を一喜一憂するのは人間にとってあたりまえのことなのだと、米騒動は教えてくれているような気がした。

ところが、どうも多くの人にとって、あの米騒動は「まずいタイ米を食わされた事件」でしかないような気がするのだ。そして、それが実に、あの騒動が起こった時代の感覚をよく表していると思う。そして、「まずいんじゃないの?」という気になる。

なぜ1991年の作況指数が95であったのに、冷害前の1992年、あるいは1993年の作付けにあたって政府が動かなかったのか、それは当時のバブル経済と関係がある。ちなみに、当時はまだ減反政策が行われており、農村には米をつくるだけの労働力も(既に高齢化が深刻だったとはいえ)存在した。だから、政府が減反の割当を減らせば、簡単に米の増産はできる状況にあった。けれど、政府はそれをしなかった。むしろ、逆だった。

その時代のオピニオンリーダーたちがどんなふうに言っていたのか。それは国際分業論であり、高収益型産業への転換だった。彼らによれば、日本の農業は国家の生産性を大きく下げている。同じ面積あたり、農業が生み出す金額とゴルフ場が生み出す金額なら、後者のほうがはるかに大きいではないかというわけだ。日本の土地は高いのだから、そんな地価の高いところで生産性の低い農業をするのはおかしい。農地では投資価値もない。レジャーランドやリゾートでもつくれば生産性は上がるし、投資効果も高い。食糧は、そうやって儲けた金で外国から買ってくればいいではないか。地価の安いところで大規模化できる広大な農地が外国にはある。農業はそういう国に任せて、日本はもっと収益性のある産業に進むべきだ、というのが、彼らの主張だった。

これがおかしいのだということは、その後のバブル崩壊を目の当たりにしてきた現代の人々には明らかだろう。経済は、コントロールしようとしてもそうは問屋が卸さないものだ。そして、いくら成長しようが外国との比較で負けてしまえば国際分業論なんて机上の空論になる。いくら買いたいといっても、奪い合いになれば金のない側が買い負けるのは当然だ。ジャパン・アズ・ナンバーワンでどこまでも走れることを前提にした国際分業ほど危ういものはない。

けれど、当時の政治家の主流は、経済成長に目を奪われていた。東京の土地を売り払ったらアメリカ全土が買えるみたいな現実にはあり得ない計算を根拠に、食糧は輸入すればいいのだという構えでいた。だから、1993年の凶作に際しても、あっさりと米の輸入を決定した。農業関係者は強い調子で「ひと粒の米も入れさせない!」と力んだが、実際のところ、不作で米を輸入した実績は過去にもあったのだし、だいたいが1960年代になるまで日本で米が十分にとれた時代はないわけで(戦前は植民地である朝鮮半島から米を入れていた)、「米は聖域」という理屈にも無理はあった。一方で減反を押し付けながら他方で輸入するとは矛盾も甚だしいではないかと農家には感じられたが、農業を潰してリゾートを建てたほうが儲かると考えている人々にとっては何の矛盾もないことだったのだろう。

これに対して、農業界からの声は小さかった。農協は既に金融機関と化していて不動産で儲けていたのだから、ある意味、当然だったかもしれない。それでも、農業関係ではかなりコアなフォロワーがいる農文協は、こんな論を張っていた。

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農文協の主張:1993年11月 凶作=コメ輸入はもう1つの貿易摩擦への道

私はこの少し前から「現代農業」をときどき買っては読んでいたので、この文は雑誌で読んだ記憶がある。要点は、もともと国際商品としての流通量が少ない米を大量に買い付ければ、価格が暴騰して、資金力のない国が買えなくなるだろう、というものだ。つまり、「カネの力で強引に買い付ける」ことで「国際価格をつり上げることになり、買えなくなる国々がアジアやアフリカなどで続出する」と警鐘を鳴らしている。一般に、供給量の変化は価格を通じて需要量を変化させる。そして市場価格は適正なところでバランスするだろう。けれど、それが生存に関わるときに、それでいいのかということである。この時代、「生存に関わるもの、つまり食糧、医療、教育は市場システムに任せてはいけないんですよ」と主張していた人にも出会った。不要不急のものであれば「市場価格が高いから買わない」という選択ができるとしても、生命に関わるものやサービスにそれが許されるのだろうかということである。人間、食べなければ死ぬ。だからこそ、日本は米不足に際して命をつなぐものとして米を緊急輸入した。けれど、それでもって食べられない人が出るのであれば、これは道義に反するだろう。であるのに、やれ外米はまずいの、パサパサしてるだの、何をいってるのだと、そういう話は当時からあったように思う。

で、結局、「国際価格をつり上げることになり、買えなくなる国々がアジアやアフリカなどで続出する」は、現実のものとなったのだろうか。これに関しては、「そうなった」という話をそのころによく聞いたが、あくまで噂話程度にしか聞かなかったように思う。実際、農文協の翌年の主張も、伝聞でしか述べていない。

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農文協の主張:1994年08月 いま食と農は、「脱欧入亜」の時代

日本のコメの緊急輸入は輸入元であるタイや中国はもちろん、タイとコメの取引きのある、ベトナムやマレーシア、フィリピン、さらにはコメの輸入国であるアフリカ諸国などの食糧事情に少なからぬ影響を与えたとも聞く。

1993年の論説がやたらとデータをあげてきっちりと論考しているのと対照的だ。では実際どうだったかというのは、ちょっと調べても出てこない。もちろん、農学者がちゃんと調べてくれたらいくらでもデータ出てくるのだろうけれど、素人の目につくところにそれがあがってきていない。唯一、簡単な検索で出てきた文献はこれだ。

日本の近代化と食生活
吉田 睦子(YOSHIDA Mutsuko)
生活科学論叢(Review of Living Science)
No.34:39-47
2003
Bulletin Paper / 紀要論文

1993年、日本は大変な凶作となり、米を緊急に海外から大量に輸入した。この凶作の原因も、
冷夏・長雨・台風が原因であると言われているが、米の商品としての価値を追い求めるあまり、コシヒカリ等の気候変動に対する耐性の弱い品種が生産の主流となっていたことも挙げられる。そして、日本が突如大量の米を輸入したために国際的な米の取り引き価格は2倍以上にもはね上がり、従来から米を輸入していたアフリカ諸国などが深刻な打撃を受けた。今、日本はまだ食料の輸入のための資金に困るような状況では無いが、このまま食料の自給率を高める努力を放棄し輸入に頼り続けていると、いずれは1993年のアフリカ諸国のように食料の国際価格の暴騰によって深刻な打撃を受けるようなことになりかねない。「食」を商品と考え、自給を放棄し、農地すらもないがしろにしてしまうようなことは、長い目で見て、決して賢明なことでは無いだろう。

日本の論文であまり嬉しくない慣行は(最近はだいぶ変わってきたのだけれど)、記述に対応する参考文献番号が付されていないことだ。だから、この米の価格が2倍以上になったこととか「深刻な打撃」とかの典拠が参考文献のどれに当たるのかがよくわからない。ということで、上記の農文協の論説と合わせ、実際にどの程度の影響があったのかは、やはり伝聞程度のことしか言えないのだろう。

ではあっても、これは十分に説得力をもつ考察だと思う。エビデンス重視の時代、まるで根拠となるデータがなければ何一つ喋ってはいけないかのような風潮がある。そりゃ、データはなにより重要だし、それがあれば話は早い。けれど、たとえば私たちは人をぶん殴りたいときにそれを思いとどまるのに、拳が与えるダメージのデータを参照するだろうか。そうではなく、「あ、殴られたら痛いだろうな」というごく健全な当て推量をもとに、「痛いのは嫌だろうな」と、物理的な打撃を与えるのを控えるのだ。データを参照しなくても、理屈の上でこういう順序でこうなるんだろうなと思ったらとりあえずその判断は価値がある。もちろんそれが検証されることは重要だが、検証のデータがない間は、正確性を保留しても、その考えかたは行動の礎となる。そういう意味で、私はこういう因果関係は十分にあり得ると思っている。

 

なにはともあれ、「なければ買ってくればいいじゃない」という発想で食糧を語るのは危ない。私はそう思う。もちろん、どうしても食い物がなくて、飢えるかカネを手放すかという段になったら、手放すのはカネだ。そういう意味では、「ないから買う」はあり得るだろう。けれど、重要なことは、食い物は誰かが食えば誰かが食えなくなるものだということだ。カネが即、食い物に変わるわけではない。資金の投下は農業においても生産を増大させるだろうが、それが結実するまでには自然の時間がかかる。だからこそ、農家は豊作貧乏に怯えながらも豊作を願うのだ。食糧は、少し余るぐらいにつくっておかないと、必要なところに行き渡らない。そこにあまりに細かな効率の計算を入れ始めると、ちょっとした自然の変動であたふたしなければならなくなる。そういう意味では、きちんと備蓄をおこたらない日本の農政は、過去から学んでいるといえるんだろうな。

 

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ちなみに、この記事は、米不足を煽るようなデマっぽいTweetにつけたブックマークコメントで書き足らなかったことの補足として書いた。もとのコメントは、こんな感じ。

長粒種うまいとかのんきなこといってる人は、あのとき、日本がコメを買い占めたせいでアフリカで飢餓が発生したという噂を聞かなかったのかな(事実関係は確認していないけど、ありうると思っている)。

「飢餓」は、だいぶ不正確だったかもしれない。うろ覚えで書くと、こういうことになるよなあ。私ももっと学ばなければ…