「有機農業」についての7つのよくある勘違い

はじめに

現実がどうかとかいうことはさておいて、理念として有機農業に一定の価値があることはいまさらどうこういう必要のないことだと思っていた。小学校の教科書にさえ有機農業や無農薬、省農薬の概念が記載されるようになって久しい。世の中の全員が認めるものでなくとも、大多数の人はその価値を認めているものだと思っていた。ちょうど、「暴力はいけない」という考え方が大多数の人に共有されているのと同じ程度のものだと思っていた。ちなみに、世の中には「いや、暴力(と当人はいわないけれど、物理的な力)こそが重要だ」みたいな価値観の人は一定数いるし、「暴力はいけない」という理念を正しいと認めていても「とはいえ現実にはそういうのが必要になる」と考えている人も少なくないだろう。「非暴力」はキレイゴトであるのかもしれない。有機農業も同じようなもので、理念としてはわかるけど、「現実には無理だよ」「現実はそうなってないじゃないか」みたいいな批判はあるし、「そうはいってもねえ」と敬遠されることも多いだろう。だが、理念としては、「まあそうだよね」と共有されていると思っていた。だから、いまさら「なぜ暴力がいけないのか」を説明する必要がないのと同じくらいに、「なぜ有機農業なのか」を説明する必要もないと思っていた。どうやら私は間違っていたようだ。

ここのところ立て続けに、「なんで有機農業なのかわからない」的な言葉を聞いた。いや、実際、有機農業は理念としてはりっぱでも、現実とうまく噛み合わないところはある。だからむかしから批判も多いし、私自身、無条件でそれが素晴らしいとも思ってこなかった。だからそういう話なのかなと最初は思ったのだけれど、どうも繰り返しそういう言葉に接するうちに、「こりゃ、本当にわからないのかもしれない」と気がついた。これは相当にショックだった。自分が世界の常識だと思っていたことが、実はそうではなかったとわかったときの衝撃は決して小さくない。自分がある種のエコー・チェンバーのなかにいたのかもしれないと、ちょっと呆然とした。

有機農業の概念は、語る人によって異なる。「有機農産物」に関してはJASに定められた規格があって定義があやふやということはないのだけれど、有機農業については狭い定義から広い定義、歴史にもとづいたものから理念にもとづいたものまでさまざまだ。また、有機農業ということばを嫌って、別な概念で自分の実践を語る農家も数多い。そういうものを含めるのかどうかということも、問題になってくる。だからあえてそこに踏み込まないとして、私が共有されている価値観だと思っていたのは、「だってこれ、ヤバイじゃん」と、化学肥料や農薬を手にしたときのあの感覚だ。あるいは除草剤が撒かれた圃場を前にして、「これはマズいよね」と感じたあの恐怖だ。もちろんそこから、「そうはいってもこれ使わないとダメじゃん」という方向に向かうこともあり得る。それでも、化学物質が基本的には人間にとって危険な物質であるという認識は、それに触れてみればだれも否定しないことだと思ってきた。だからこそ、その危険な物質を否定する概念である有機農業が存在するのだし、そこに関しては、「わからない」はないだろうと思ってきた。もちろん、現実にそれを否定してどうするよ的な批判とか、有機農業だって十分に破壊的じゃないの的な批判とか、批判はいろいろあり得る。けれど、出発点の理念は説明するまでもないほど明らかだと思ってきた。どうやらそうではなかったらしい。

だから本来は、そういう理念を改めて共有するための文章を書くべきなのだろう。けれど、それをやりはじめたら、たぶん1冊の本ではおさまらない。私一人の力でも無理だ。有機農業の関係者はそれぞれ独自の立場をもった一国一城の主であることが多いし、世の中の農学者は確実に有機農業者よりも多い。そういう百家争鳴の場所にあえて飛び込んでもろくなことにならないし、また、そういうレベルではおそらく有機農業の理念についてはイヤというほど語られている。問題は、それが世の中の多くの人に共有されていないことだろう。閉じられたサークルの外にひろがっていない。かつてレイチェル・カーソンの「沈黙の春」のような名著が世の中に化学物質の危険性を知らしめたようなことはあったのだけれど、そういったエポックメイキングなことでもない限り、どうやら「なぜ有機農業なのか」は、多くの人に伝わらないだろう。がんばってそういう書物を書いたところで、結局はエコー・チェンバーの中の騒音を増やすだけにしかならないような気がする。

そこで、(ああ、前置きが長くなった)とりあえずは表題のように、「有機農業についてのよくある勘違い」を書いておこうと思う。そうすることで、多少なりとも誤解が解けるのではないかと期待するからだ。誤解が解けたら、なぜ、そんな有機農業の理念が、それでもひろく行き渡っているのかと考える方向に進むだろう。そうなってはじめて、「なぜ有機農業なのか」について語ることが意味をもつ。そうあってほしいと思う。

 

1.  有機農業って有機肥料をつかった農業でしょ

私たちは「有機」という言葉を「無機物」に対する「有機物」として習います。そしてホームセンターに行くと、有機肥料が置いてあります。有機肥料ではない化学肥料が窒素やリン、カリウムといった無機物からできている一方、有機肥料は畜糞であったり油かすであったり落ち葉や樹皮であったりと、有機物からできています。だからほとんどの人は「有機肥料とは有機物でできた肥料のことなんだな」と思うでしょう。そして、「有機農業ってのは有機肥料を使う農業のことなんだろう」と類推するわけです。このような類推は、実際、1970年代の農村でもふつうにみられました。だから荒唐無稽というわけではありません。けれど、語源的にいっても考え方の上からいっても、これは誤りです。

諸説ありますが、有機農業という言葉が最初に使われたのは1940年代のアメリカでのことです。この時代、思想史的には、要素還元主義に対する批判として「全体は部分の総和ではない」というホリスティックな思想が流行していたようです。フランケンシュタインの怪物のように生物体のパーツを繋ぎ合わせても生命は機能しない、生命は全体の総和以上のものであるという考え方です。そういう思想のもとにみた生命を「有機体」といいます。有機体においては、各部分はそれぞれの機能を担いながらも、他の部分と協調して、全体として部分の総和以上の存在になります。そういった全体をかたちづくる存在を「有機的」と表現するわけです。ですから、「有機的」は「命があるもの」とかなりの程度同義的に使われていたことになります(これは「有機」のもともとの意味とそれほど離れたものではなく、だから生物由来の炭素を含んだ物質が「有機物」とよばれる理由でもあります)。したがって、「有機農業」(organic farming)は、有機体である自然生態系の一部をなすものとして名付けられたわけです。

もちろん、自然循環の一部に農業を組み込もうとすれば、どうしても肥料は有機質肥料になるでしょう。そういう意味で、「有機農業って有機肥料をつかう農業のことなんだろう」という理解は、完全に的外れとまではいえません。けれど、だったらなぜ農薬の使用を拒むのかが理解できなくなります。有機農業の理念が工場生産された化学肥料だけでなく農薬の使用も受け付けないのは、それが「有機的」ではないとする思想からなのです。

2.  有機農業の野菜っておいしいんでしょ

残念ながら、そうだとはいえません。なぜなら、有機農業の理念が自然生態系の一部として農業を営むということである以上、「だからおいしい」とつながる論理的根拠がまったくないからです。「自然のものがおいしい」というのは、「そうあれかし」という願望ではあっても、現実にそうだということにはなりません。たしかに自然循環の中で生み出された食べ物は「本物」であるかもしれませんが、「本物のほうがうまい」というのは、ときには真実であっても、ときにはそうではありません。

私が世話になった多くの農家の名誉のためにいっておくと、有機農業(と本人は名乗っていなくても自然循環的な農法)でつくられた野菜は確かにおいしいものでした。ただ、それは彼らが野菜を育てることが心底好きで、実にこまめに田畑に精を出していたからにほかなりません。野菜に限りませんが、手をかけ、目をかけてやればいいものができます。有機農業を営む人にそういう人が多いことが結果的に有機農業の野菜をおいしくしている事実はあると思います。けれど、だからといって「有機農業の野菜はおいしい」という論理的帰結にはなりません。極端な話、完全無化学肥料・無農薬でつくっても、まずい野菜はできます。私の家庭菜園の野菜がその見本です。放ったらかしでおいしい野菜がとれるほど、自然はあまくありません。

これは有機農業以外の方法(慣行農法というような言い方もあります)に関しても実は同じことです。手をかけてやればいい作物がとれるし、いい加減なことをやったらおいしくない作物がとれます。有機かどうかということは基本的に無関係でしょう。もちろん、一般人にはわからない微妙なちがいまで求めるグルメであれば、「本物かどうか」にこだわる場合もあり得ます。そういう人が、「やっぱり有機はうまい」という言葉まで否定するつもりは私にはありません。あくまで標準的な味覚の持ち主として、農作物のうまさは有機農法か慣行農法かというちがいよりも、その年の気候や収穫してからの鮮度、農家がどれだけ作物に思い入れをかけているかに依存するほうがはるかに大きいのです。

3.  有機農業って安全なんでしょ

安全かどうかということが「食べ物の安全」であるのなら、現実には有機農産物の安全性はそれ以外の農産物の安全性とほとんど変わりません。野菜を食べて中毒になったという話はふつう聞きません。もちろん、ときに多量の残留農薬が検出されるような事例がないわけではありませんが、それはほとんど事故レベルのことですし、また、そういった野菜を食べたからといってすぐに健康被害が発生するものでもありません。「農薬が心配だから」と野菜を敬遠するよりも、とりあえず野菜350グラムを毎日摂るように心がけたほうがよっぽど健康にはいいでしょう。多くの農薬は洗えば落ちるものですし、出荷直前の野菜に農薬を大量に使用することも(ふつうは)ありません。農薬は有料の資材ですから、利益を減らしてまで使うような人は(ふつうは)いません。

有機農業がもともと「健康のため」からスタートしているのは、紛れもない事実です。アメリカで「有機農業」の概念を提唱したロデールも、それ以前から「自然農法」を実践していた日本の先駆者たちも、ほとんどが「健康のため」が動機でした。たとえば日本で有機農業の先駆的な販売網をつくりあげたMOAは、世界救世教創始者岡田茂吉が健康を害したときに大本教の教団が実践していた自然農法の食べ物を食べて健康を回復したことが出発点になっています。有機農業運動が日本でスタートしたのは1970年頃、公害問題が人びとを不安に陥れていたときに環境汚染から身を守る方法のひとつとして有機農業が注目されたからです。つまり、化学物質が危険であるから、安全である有機農業に転換すべきだと、消費者が考えたことが日本の有機農業のひとつの出発点です。だから、有機農業の看板として「安全」ははずせないものであったわけです。

物質として硝酸アンモニウムや硫酸アンモニウムのような化学薬品が人体に有害であるのは、明らかです。ただし、それは大量に摂取した場合です。一方の農薬はそもそもその使用目的からいっても毒性が強いもので、取扱いには注意が必要です。ただし、いずれも微量ではそれほど有害ではなく、また、適切に使われれば消費者の食卓には基本的に達しないものです。その一方で、これらの物質が大量に用いられるのは農業の現場です。そして、その使用目的から、これらの物質の使用は、生態系に確実に影響を与えます。影響を与えることを目的に製造・使用されているといってもいいでしょう。

個別の健康被害(直接毒性)はほとんど問題にならない(もちろん、有機農業であればもともと使わないのでその発生はゼロであるわけですが)化学肥料や農薬が、少なくとも理念として「危険」であるのは、そういった理由です。化学肥料の過度の使用は、正常な土壌微生物の活動を妨げ、「土を殺」します。環境中に放出される農薬は、生態系の循環を通じてときに破壊的な影響を与えます。これは、個人の健康観のような些細なレベルではなく、もっと確実に人類の生存に悪影響を与えます。少なくとも、「自然循環という有機体の一部を成す」という思想からうまれた有機農業の立場からいえば、とてつもなく危険なものです。そして、それに対置するものと考えれば、「有機農業は安全である」というお題目は、確かに成り立つでしょう。ただし、それは個人のレベルで有効なものではなく、人類レベルでの話です(だから有機農業はもっとひろがるべきだという話にもここでつながるわけですが)。

先人たちが「有機農業(あるいは自然農法)によって健康をとりもどした」と感じた事実は、決して軽視していいものではないと思います。けれど、それは安直に「食の安全」と結びつけるべきではありません。人間の健康は、何よりもその精神によって大きな影響を受けます。自然から切りはなされ、疎外されて病んでしまった人が、自然循環を意識し、その大きな流れのなかに身を委ねることで健康を回復することは、大いにあり得ることです。有機農業は、そういう意味では健康に役立つかもしれません。ただ、単純にそれが化学物質を使わないからだという理解では、データによって「そんなことはないだろう」と否定されるのを待つだけになるのです。

4.  有機農業って、結局はビジネスでしょ

有機農産物が認証され、マークをつけて売られるようになったときから(あるいはその少し前に有機ブランディングがはじまったころから)、「有機農業をするのは金儲けのためだ」という見方が生まれてきました。実際、有機農業にビジネスとして取り組んでいる人びとがいるのは事実です。しかし、順序からいえばこれは逆転しています。

もともと農業は、消費者の意向に左右されて成立してきたものです。当初から経済作物であった穀類の生産は別として(自給自足的な生産も別にして)、「業」として農が成立するのはそれを消費する都市生活者が現れて以降のことです。物流が十分でなかった時代に軟弱野菜よりも重量野菜の生産が多かったのもそのあらわれですし、それが改善されていく高度経済成長期に葉物の生産がふえたのも、それに伴って「清浄野菜」の需要がふえたのも、常に需要が農業を規定してきたことのあらわれでしょう。農村においてそういった市場動向に敏感である人びとは明らかにビジネスとして農業に取り組んできましたし、そこまでの感覚のない人々でも「農協にいわれたものをつくる」なかでビジネスとしての農業に参画してきたのだといえるでしょう。そういう意味では、有機農業に限らず、農業には本質的にビジネスとしての側面があります。

しかし、その一方で、農業にはビジネスよりももう少し生活にまとわりついた生業的な側面もあります。それは、いくら儲け話が転がっていても、自然条件の許容範囲の中でしか対応ができないからです。季節がこなければタネはまけないし、収量のコントロールも限定された範囲でしかできません。リードタイムは長いし、生産物は長期に保存できないほうがふつうです。それでも農業が生業として成り立つのは、そういった自然のサイクルの中で多様な暮らしの要素を組み合わせればなんとか生きていくことができるからです。特に有機農業は、自然循環のなかでの生産を基本においていますから、コントロールできる幅がずっと狭まります。その狭い幅の中でやりくりするため、有機農業は本来儲からないもの、ビジネスからは最も遠いものでした。

経済主体でまわる現代では、ビジネスとして成立しない業は消えていくことが運命づけられています。実際、有機農業運動がはじまった時代、農村部で有機的な農業を営んでいる農家はごく僅かでした。農薬や化学肥料がはいってくる前の古い方法に頑固にこだわる人や思想的にそういったものを拒む人がひっそりとやっている程度で、それも周囲からは煙たがられながらどうにか折り合いをつけている程度だったといわれています。有機農業運動の正史によれば、そういう人びとを都市部の意識の高い消費者が発見したのが日本の有機農業のスタートであるとされています。

ほかの農業と同じく、有機農業も、都市部の消費者のニーズから生まれたといってもいいかもしれません。もちろん、それを受け入れる農村側の生産者がいたからこそどうにかなったわけですが、彼らは経済の中で消えゆくべき存在でした。しかし、需要を作り出した消費者としては、消えてもらっては困ります。そこで生み出された理論が、「買い支え」でした。有機農業を持続させるためには、消費者が生産者の農産物を買わねばならない。それは、経済の枠組みの外でおこなわれねばならない。なぜなら、「安くて品質のいいものを」という消費経済の理論のなかでは有機農業者は潰されてしまうからです。心ある消費者は有機農業生産者の農産物を価格や供給時期の偏りを度外視して買わねばなりません。そうすることでしか、自分たちが必要とする(と感じた)有機農産物を確保できないのです。これは経済的な行動としては非論理的なことですから、この時代、有機農産物の消費者は、「だって安全で安心だから」という理屈で自分を納得させるようになります。彼らが有機農産物を望んだもともとの理由がそうなのだから、それはそうなりますよね。さらに納得させるために「おいしい」も付け加えられることになりました(いや、たぶんこの時代の生産者の野菜はおいしかったはずです。有名な精農家が活躍した時代ですから)。

ところが時代がすすむにつれ、この「買い支え」理論が破綻していきます。当初有機農業運動を担った消費者たちが高齢化していき、買い支えきれなくなっていったからです。その一方で、そういった理論と無関係に、「有機農産物=安全安心でおいしい」のイメージが普及しはじめます。それならばと、そういうイメージをビジネスに利用する人びとがあらわれます。あたりまえの野菜に「無農薬」や「有機」とラベルを貼って金儲けに利用する人びとです。「どこが有機なんですか?」「有機肥料をたっぷりつかっていますよ」という笑うに笑えない状況が広まります。これは有機農業関係者にとっては非常に困ったことです。

有機農業運動のひとつの功績は、「食料生産は自然循環の中でしか行えない」という厳然とした事実を改めて認識させてくれたことだろうと思います。人間は生物である以上、食物連鎖のなかに組み込まれてのみ、生存が可能です。第一次産業はすべてその循環のなかに存在するのですが、そのなかでも特にその循環を意識し、それを積極的に取り入れようとするのが有機農業でしょう。ですから、有機農業の価値は徐々にひろく認められるようになっていきました。けれど、その一方で、買い支えが先細っていく状況下、有機農業で食っていくことはどんどん厳しくなります。その向こう側で、「有機農業」のラベルだけで儲ける人々も生まれています。非常にまずい状況が生まれていました。

それを解決するひとつの方法として採用されたのが有機認証制度です。これは、一定の基準を満たした圃場で生産された農産物に限って「有機」を名乗ることを認めようという制度でした。ニセモノの「有機」に市場を荒らされていた生産者にとっては、確かに説得力のある制度でした。しかし、これは危険な賭けでもありました。というのは、日本が世界経済のトップを走っていたこの時代、農産物の自由化が国際政治の争点であり、そして外国産の農産物をいかに日本に売り込むかはビジネスにとって重要なテーマだったのです。

認証制度は国際的なものでならないという枠組みがいつの間にか設定されました。そして国際標準を決定する議論の中で生まれた基準は、日本の有機農業者がとても実現できないような厳しいものでした。たとえば、慣行農法の圃場との距離を確保することは、大規模農業を実施する海外の農場では何の苦もなく行えることです。中山間地に狭い農地の点在する日本の状況で同じ基準を満たすのは非常に困難です。あるいは、日本の輪作体系の中で圃場のいくつかの条件を満たすことが困難になります。さらに、小規模農家が多い日本の有機農業の状況にとって(日本のような土地で自然循環に沿った農業を営もうとすると大規模化は現実的ではありません)、認証機関に定常的に支払うコストは経営を圧迫します。だから、途中からこの制度の制定には多くの批判が寄せられました。それでも、有機農業運動の中の人が制度の実現に努力したのは、やはりそれによって有機農業を持続可能なものにしたいという理想があったからでしょう。

実際、農村で有機農業をひろめようとしても、「それは儲かるのか?」という壁に阻まれるのがふつうでした。もしも有機認証制度によって有機農産物が安定的に高値で売れるようになったら、経済的に苦しい有機農業者がなんとか生きていく道筋が見えるだけでなく、「儲かるのならやろうか」と普通の人々もまきこんでいくことができるはずです。有機農業の理念からいえば、自然循環の中でおこなわれる農業は一部の変わり者だけがすべきものではなく、ひろく主流としておこなわれるべきものだということになります(もしも農薬や化学肥料が環境を破壊しているのであれば、全体としてそれを減らすことが重要でしょう)。農村で人をまきこむ最も説得力のある言葉は「これをつくったら儲かる」です。有機認証制度に努力した人びとは、外国農産物のリスクは十分に認識していたけれど、それを超えてなお、有機的な農のあり方をひろめるベネフィットがあると信じていました。

さて、現状はどうなったかというと、有機認証制度を利用できているのは、よっぽどしっかりした生産者の団体のほかは、ビジネスとして参入してきた人びとです。とくに、外国農産物の輸入業者です。それが「有機農業ってビジネスでしょ」という受け止め方につながっているのでしょう。けれど、順序が逆なのです。

有機農業は、もともとビジネスとは最も遠いところにあるものです。けれど、それを存続させるためには経済的な支えが必要になり、支えるために「有機農産物は割高でもしかたない」という認識が生まれ、その認識を確実なものにしようとして、ビジネスを呼び込んでしまいました。これは、現代社会で生き延びていく中で逃げようのなかった帰結であるかもしれません。けれど、多くの有機農業の生産者は、決して「儲かるから有機農業」的な発想ではないのだということは、理解してほしいと思います。

5.  有機農業では世界の食料生産はまかなえないでしょ

化学肥料の発明は、世界の農業生産を変えました。これは否定のできない歴史的事実です。農薬もそうです。防除によって収量が安定したことは農業をおおきく変えました。そして、結果として現在の世界人口があるわけです。ですから、化学肥料や農薬を否定してしまえば世界が飢餓に苦しむだろうという論には説得力があります。何の準備もなく一気にこれらを廃止すれば、おそらく予想は現実となるでしょう。

その一方で、では、現在のような農業をつづければ将来の飢餓は心配しなくていいのかといわれれば、むしろそちらのほうが心配だと考えるほうが妥当でしょう。そのひとつの理由は、マルサスを持ち出すまでもなく、人口は食料生産に合わせて増加するからです。利用可能な食料に合わせて人口が増えるのであれば、飢餓をもたらすのは絶対的な生産量ではないことがわかります。実際、世界全体で十分な生産があるときでさえ、局地的な飢餓はたびたび発生しています。飢餓の発生は生産の問題以上に分配の問題であることが経済学の力によって明らかになっています。

もちろん、分配以前に絶対的な量が不足することは起こります。しかし、食料が基本的には長期の保存ができないものであることを「人口は食料生産に合わせて増える」という事実に加味すれば、飢餓は収穫の絶対量ではなく、収穫の変動によって生じるのだということがわかります。つまり、安定した収穫を確保することが、収量以上に飢餓を防ぐ上で重要だということがわかります。つまり、持続可能性です。

そういった観点に立つと、むしろ、化学肥料や農薬を多投する農業のほうが問題だということがわかります。部分的に野菜の工場生産が実用化されているとはいえ(そしてそのエネルギーが太陽光発電など持続可能な方法で得られるように進化しつつあるとはいえ)、大部分の農業生産は自然のエネルギー循環を利用したものに頼らざるを得ません。そして、その有機的なつながりを人工的な化学物質は妨げます。たとえば乾燥地域での化学肥料の多投は土壌を荒廃させ、利用不能な荒蕪地にしてしまうことが知られています。農薬や除草剤の過度な使用は生態系を乱し、かえって病害虫を発生させ、さらなる薬剤の使用を余儀なくするといった悪循環につながる場合もあると指摘されています。こういった弊害は予測不可能な形で発生することが多く、安定的な農業生産を損ないます。

それ以上に問題になるのが、化学肥料や農薬に依存することで、農業が自立的な基盤を失うことです。日本の農家には、「いよいよとなってもウチの田んぼの米を食えばいい」という安心感があります。どんな危機が来ようとも、最低限の自給のための食料はいつでも確保できるという感覚は、農家の強みです。そして実際に、そういう自信は社会を安定させます。農地のプランテーション化が進行した地域においては、農民はほぼ完全に自給の基盤を失って農業賃労働者になります。そういう地域で不作が発生すると、賃金が得られないために農民がまっ先に飢餓に陥ることになります。プランテーション化されていなくても、農業が資本の投入とその売上という工業的サイクルに変化してしまった地域では、やはり同様の不安定さが発生します。有機的な農法は、貨幣経済への依存を減らしてその分だけ自然循環に依存するため、不作による社会の不安定化に対するバッファになります。商品作物に特化しない自作農地では、多様な作物を組み合わせることができるため、持続可能性がおおきく高められるのです。

このようにみてくると、短期的には化学肥料や農薬を一気になくすことは現実的ではなく、社会的影響が大きいにせよ、長期的にそれを減らし、有機的な農法に変化させていくことは、むしろ世界の食料問題の解決におおきく寄与するのだということがわかります。

このような論を書くと、「昔の原始的な農業にもどるのか」的な誤解を受けるので、1960年代以降の急速な農業の変化以前の農業がどんなようすだったのかに少しだけ触れておきましょう。私は野菜づくりの教科書として戦前の昭和初期に農業学校で使われていたらしい教科書を愛用していたことがあるのですが、そこでは化学肥料は高価な資材なのでなるべく使わず、農薬はマシン油や硫酸銅程度の素朴なものだけが掲載されていました。そんな農業の教科書ですが、そこに記載された収量は現代の農法と大差ありません。手間さえ惜しまなければ、有機的な農法でも十分に量は確保できていたことの査証であるといえるでしょう。さらにまた、有機農業の歴史の中で、化学肥料や農薬に依存しないさまざまな工夫も進化してきています。農業は昔にくらべればおおきく進化しましたが、化学肥料や農薬は、その進化のなかのほんの一部分を担っているにすぎないのです。

6.  有機農業って、お金持ちのためのものでしょ

有機農産物が割高なものであり、この格差の時代に一般の人びとが割高なものなど買えないことを思えば、「有機農業は金持ちの贅沢」という考え方は、素直なものだとさえいえるでしょう。これはいまにはじまったことではなく、有機農業運動の初期にあっても、都市部の消費側の人びとは概ね経済的に豊かな人が多かったようです。一方生産者の側で有機農業で蔵を建てたような人はあまりいませんから、外見上は貴族が奴隷をつかって趣味の農業をさせているように見えたかもしれません。

けれど、有機農業は決して都市住民の贅沢にとどまっていいものではありません。むしろ農村部の自立的な経済のためにこそ、有機的な農業が発展していくべきです。それは、ひとつ前の世界の食料生産に触れたところでも書いたように、農業資材への依存を減らしてくれるからです。自然循環のなかに生産を位置づけることは、自給的な暮らしとしての農の上に販売としての業をのせることになります。そのような暮らしは大儲けはできないかもしれませんが、安定します。有機農業の付加価値に依存するのではなく、有機的な生存基盤に依存することが、本来の有機農業の理念です。そしてそういった暮らしは、都市部の富裕層に奉仕するためのものではなく、自分自身のためのものであるべきです。

そうはいいながら、現実の中で、それを達成するにはやはり余分な金を落としてくれる消費者がいなければならないのも事実です。ただ、それが「贅沢」でないことは、上のほうで書いた有機農産物だからといって特別においしいわけでもなく、特別に安全・安心なわけでもないということを読んでもらえればわかるでしょう。「いいもの」に余分なお金を出すのは贅沢かもしれませんが、べつにそうでもないものに余分なお金を出すのは贅沢とはちょっとちがうでしょう。

では、なぜ有機農産物に余分なお金を出すのでしょう。それは、そうすることによって有機農業の生産者にお金を渡し、その行動を支援するということです。つまり、投げ銭とかクラファンと同じようなことです。そして、上記のように、有機農産物であっても、それだけで支援にあたいするかどうかは証明できません。たとえば奴隷的労働によって生産されていても、基準が満たされていれば有機認証を受けられます。その土地の自然循環には全くそぐわないような方法で生産していても、基準さえ満たせば有機農産物です。そういった略奪的な農産物に投げ銭するのはナンセンスでしょう。

有機農業は、金持ちの遊びではありません。あるいは、そういうものにしてしまってはならないものです。持続可能な生存のための戦略として、有機農業を考えるべきです。もしも余分なお金を払うのであれば、そこまで考えてカードを切るべきだと思います。

7.  有機農業って宗教でしょ

有機農業は、一歩踏み出すと怪しげな世界です。認証ビジネスに関わっている人はまだマシです。ある意味、お金儲けのために動くのは、現代社会の常ですから、ふつうに理解できます。むしろ、そういうことに関心のない人々のほうに、怪しげな人が多いですね。宗教がかった人にもけっこう出会います。

上の方で世界救世教の自然農法に触れましたが、そもそもそれ以前に大本教で自然農法をやっていたわけです。また、私がかつて田舎にいたときに世話になったある農業者は、統一教会の信者向けの産直ネットワークをやっていました。キリスト教系の新興宗教の人もいましたし、真光の人ともよく話をしました。そういった教団がしっかりある系統の人ばかりではなく、インディペンデントなスピリチュアル系の人も少なくありませんでした。ある意味、私自身がどこかスピ系であるのかもしれません。

EM菌はほとんど宗教のようなものかもしれませんし、古くは福岡正信さんや川口由一さんのように教祖的な自然農法実践者も多くいました(川口さんは実質的には「単なるおもろいおっちゃん」だったそうですが、教祖に祭り上げられてましたね)。山師みたいな人もたくさんいました。有機的な農業は近代経済原理とは対極のところに理念があるので、社会で痛めつけられた人を誘引する力をもっています。「自分がやっていたことがすべて間違っていた!」と目覚めた人が流れ込んでくる素地があるわけです。

そういうカウンターバランス的な存在として、「自然な生き方」があってもいいと私自身思います。けれど、「こっちに来て」も、しょせん私たちは現代社会の枠組みからはのがれられません。どこにいても不条理なことにはぶち当たるし、しんどいこともついてまわります。逃げ出せたと思えるのは錯覚にすぎないことが多いのです。

有機的な発想は、そういう社会全体を変えていくものでなければなりません。化学肥料や農薬がマズいのは、それが自然循環を壊すからだけなく、その過程を通じて社会的な剥奪を行うからです。物質そのもの問題ではなく、それがつくり出す社会構造の問題だと言ってもいいかもしれません。だから最終的には持続可能性の問題になります。人が人を痛めつけ、その上にあぐらをかくような社会は持続可能ではありません。そのツールとしてモノが使われているのだということをしっかりと認識すべきです。

そんなふうに風呂敷を広げると、「やはりこれは宗教か」と感じる人もいることでしょう。宗教の基準をどこにおくのかによるでしょうが、組織宗教という意味ではそれはちがいます。有機農業教団のようなものがあってそれが取り仕切っているような世界ではありません。ひとりひとり言っていることもちがえばやっていることもバラバラです。そういう意味では思想ではあるでしょう。カウンター・カルチャー的な思想です。そして、そちら側から見れば、現代の都市生活者の経済に依存した生き方もまた、一種の宗教に見えるのだということは付け加えておくべきかなと思います。

 

おわりに

まさか自分が有機農業の解説を書くとは思わなかった。私自身は有機農業の人ではない。四半世紀も前に有機農研の集まりには2度ほど行ったことがあるけれど、その程度の関わりだ。どちらかといえば脱サラや田舎暮らし、新規就農者のコミュニティにいた。そういうところには有機農業関係者もすくなくなく、個人的なつながりから、有機農業のことを遠くから見るような感覚だった。もちろん、世話になった多くの人の中にも有機農業の農家はたくさんいて、そういう人びとには個人的な恩義を感じている。それでも、「有機農業運動」には特別に何の義理もないと思っている。

有機農産物が市場にあふれ、教科書にさえ有機農業が記載されるこの時代、私がこういう方面でなにか言葉を発する必要はもうないのだろうと思っていた。持続可能性は小学生でも学び、そこを語らないと大学のAO入試さえ通過できないような時代である。農業にだって農ギャルがいたり、いろんな新しい感覚をもった人があつまるようになっている。昔のことをどうこういうのは錯誤でしかないと感じてきた。

けれど、冒頭で書いたように、実際には有機農業はおおきく誤解されている。誤解されているというよりも、そもそもそれがなんであるかの理解がないままに言葉がつかわれている。毎度同じことをいうようだが、これが現代の教育だ。言葉さえ覚えれば、それについて深く考えることまで求められない。本来、言葉を知ることは出発点であって、そこからようやく学びがスタートする。けれど、現代の多忙な子どもたちは、考える時間を与えられていない。

だから、少なくとも考え始めるヒントとして、自分の知ることを書いておく価値はあるのかなと思った。ちなみに、ここに書かれている「事実」は、ぜんぶ私の中途半端な記憶から引っ張り出したものであって、根拠となるエビデンスはひとつもない。だからもしもこの話をもとになにか考えるのであれば、いちいち根拠を探し出して確認してほしい。ときには私の勘違いや記憶違い、時代遅れな情報もまじっているだろう。そういうものを批判的にきっちり調べることが、きっといい訓練になるのではないかと思う。

というか、だったら自分で調べろよなと、自分にツッコんでみたりする。書いていて、「あ、これって聞きかじりだけどどっかに根拠があるんだろうか」と思ったことが再三あった。本当はそれを調べるべきなんだろう。だが、それをやったら、たぶんこのブログ記事は1冊の本になる。そして、そんな本なんてだれも読まない。農学者が書いた本がベストセラーになったという話は聞いたことがない。私は学者ではないけれど同じことだ。

もしも本を書くなら、もうちょっと面白いテーマで書きたい。いや、きっと書く。いま中断しているけれど、もうスタートしている。その本の宣伝ができるぐらいの時期が来たら、きっと楽しいだろうなといまから思う。まあ、形になるのはずっと先だろうなあ。

「元首の器」は、美談ではない - 一般庶民にも帝王学を

天皇陛下がオリンピック開会の辞を訂正されたということが報道され、ここ、はてなでもブコメが集まっている。「さすが」とか、あるいは先の「原稿糊付け事件」とあわせて「首相とくらべてどうよ」みたいなコメントがあって、それはそうだろうとは思う。

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東京五輪、天皇陛下はJOCの「誤訳」をさり気なく訂正 開会宣言に垣間見えた元首の器 (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

一般庶民とは教養がちがうわ、と、私でも思う。そして、思い至った。なるほど、百年前、二百年前の人々は、そんなふうに感じていたのだろうと。

 

歴史とか政治史、思想史的なことを教えていて、困惑することがある。私が現代民主主義のもとで教育を受けた人間だからなのだろうが、なぜ、アメリカ独立以前の人々が、唯々諾々と君主制を受け入れていたのか、どうにも説明しにくいと感じる。「むかしっかっらそうだったから」というだけの理由で、なんで人々は王を支配者として受け入れられたのだろう。ヨーロッパであれ日本であれ、人々は世襲制の君主を受け入れていた。もちろん、それに疑問を抱く人もいたわけで、だからこそ、儒教のように統治者の倫理性を強く要求する(そしてそれでもって統治者の支配を正当化する)学問が普及したのだし、あるいはホッブスのように「そんなこと言うても万人が万人とケンカしたらグチャグチャになるやないか」と統治者の存在を必要だと主張したり、あるいは「王が契約違反したらクビ切ってもええねん(物理)」と革命権を主張したロックみたいな人があらわれたりもしたわけだが、基本的に一般大衆は、そこまで深く考えず、支配者は支配者であるから支配者であるみたいな思考停止で権力に服従していたようだ。けれど、これは民主教育を受けた人間としては、どうにも納得できない。

私だけではない。民主主義のチャンピオン(自称)アメリカの高名な文学者、アメリカ文学夏目漱石みたいな人であるマーク・トウェインに「アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー」という転生モノがあるのだけれど、ここには、中世「暗黒時代」(19世紀にはそうよばれていた)のイギリスに転生した19世紀のヤンキーが、一般庶民になんとか民主主義を理解させようとして挫折するエピソードがおさめられている。民主主義的な教育を受けた人間からすれば、王の支配を疑いもせずに受け入れるのは無知蒙昧の極みであり、単純に愚かである、という以上の理由がないように見える。これは実際、アメリカが民主主義のチャンピオン(自称)として世界に対してきた態度であるわけだ。そこまでいかなくても、事実私も、生徒に革命以前のことを教えるときに、どうにも歯切れの悪い説明にならざるを得ない。「こいつら、何も考えてなかったんか?」と。

しかし、人間なんて、実際にはそこまで急速に進歩するものではない。現在の我々にもしも知性があるとすれば、百年前、二百年前の人間にも同じくらいには知性があると考えるのが穏当だ。過去の人間をアホのバカのと謗ることは、未来の人間から同様以上に謗られる覚悟がなければできない。アメリカ独立やフランス革命以前の300年前の人々にも現代人と変わらない知性があるのは、ほぼ間違いなかろう。だとしたら、彼らはどういう考えで、同族会社の社長みたいに世襲で代々トップをつとめる君主を受け入れていたのだろうか。その感覚が想像できない私は、「民主主義の思想が成熟する以前には、受け入れるよりなかったのである」とか詭弁を弄して切り抜けるしかない。

 

けれど、今回のオリンピック開会の辞の修正をみれば、明らかに、選挙で選ばれた与党の領袖よりも、君主(?)として世襲天皇の位についた今上天皇のほうが有能なのだ。こういう実態を目の当たりにすると、「王者は王者であるがゆえに王者である」みたいな感覚が、微かに理解できるような気がしてくる。「選挙で選ばれたとかいっても、それは有権者を騙すような詭弁と利益誘導で勝ち取った議席の上に、さらにボス猿の権力争いのような低級な策略を弄して勝ち上がったに過ぎないじゃないか。そういう人よりも、早くから帝王学を仕込まれて、君主としての器を磨いてきた人のほうがすぐれているのは当然じゃないか」といった気持ちにもなってくる。そんなときに、王が威厳を示すような行いのひとつでもすれば、人々は「やっぱりそこらの馬の骨に任せるよりも王様だ」と思うだろう。そういうことか!

だが、民主主義教育を受けてそだった人間として、私はそれを受け入れるわけにはいかない。だいたいが、支配者としての王族も皇族もとっくの昔にいなくなったこの現代の世の中で、いまさら王党派に鞍替えしても、担ぐ人がいないのだ(いまの日本の皇族は、担がれることを絶対に拒否するだろうし)。だから、ここで思考はどうしても自分の畑、というか田んぼに流れてくる。我田引水というやつだ。もしも今上天皇を優れたものとしているものがあるとすれば、それは何だ? 血統ではない。遺伝学的に優劣を決める思想を、現代民主主義は否定している。だとすれば、育ちの方であるはずだ。すなわち教育だ。教育が、この優れた人材をつくったはずだ。

だが、ここで疑問がうまれる。そりゃ、特別な教育も受けているだろう。いまでも学者が「ご進講」とかいって特別講義をすることもあると聞く。そういうものが日常的にあれば、そりゃ、教養もついていく。けれど、そうはいっても、基本的な部分では、皇族だからといって特別な教育が組まれるわけではないのが、近代以降の世界的な標準だ。とくに日本の場合、皇太子候補者であったとしても、小学校、中学校、高校、大学と、一般的な教育課程に則って教育を受けることになっている。学習院の内情まで私は知らないけれど、日本の公的な教育機関としての認可を受けている以上、その教育内容は学習指導要領をはじめとする諸法令に準拠しているはずだ。準拠した上でなおさらに優れたところが、もしもあるのであれば、学習院の人気がもっと高まって日本最高の教育機関としての地位を得ているだろう(入試の偏差値的にはそこまで高くない)。あるいは、その教育メソッドが他の教育機関にも広まっているだろう。現実にそういうことがないということは、つまり、基礎教育に関しては、たとえ皇族であったとしても、ごくあたりまえの教育を受けているのだ。つまり、「教育こそが帝王をつくる」みたいなことは、現実を見ると当てはまっているようには見えない。

けれど、よくよく考えてみたら、実は、現代の教育が歪んでいるのは、そのカリキュラムがおかしいんじゃない、という自分自身の持論がここにあてはまることに気がつく。どういうことかといえば、常々主張しているように、よく考えられ、練り上げられた現代の教育カリキュラムがクソみたいな結果になっているのは、入学試験の存在だ。入試対策みたいなことを生業としてやっているとわかるのだけれど、入試に勝ち上がるには点取りゲームに徹するのが最も効率的だ。つまり、入試が目的である限り、学生がやるべきことは、ゲームのトレーニングである。しかし、学問はそうではない。学問はゲームではない。もっと別な次元で取り組むべきものだ。ゲーム必勝法なんかでは、断じてない。

だから、学問のためには、現代の入試制度は百害あって一利なしだ。とはいえ、大学は学問の府としてだけ機能しているのではなく、結局は階級を発生させ、そこに経済的な格差を作り出すための社会的な装置としてこの社会に組み込まれ、機能している。だから、キレイゴトをいっても始まらない。とりあえずチートでもなんでもそこをかいくぐっていかなければ、生存が確保できない。それが現代の入試制度あり、本来は学問の府であるはずの大学自身がそこによっかかっている(そうでなければとっくに廃止してるはず)。だから、一般庶民は学問の本質は脇においても、とにかく入試をこなしてしまうことをまず目標におかざるを得ない。そのことによって青年期の貴重な時間が潰され、成長の機会がうばわれるとしても、それが人生。

だが、帝王にとっては話はちがう。なぜなら、将来の天皇の座を予約された人にとって、競争に勝ち上がるとか、そんなことはどうでもいいことだからだ。だから、基本的人権の一部をうばわれ、その代償として皇族の身分を確約された人々は、チートである入試対策なんか忘れて、本質的な学問を楽しむことができる。だとすれば、なぜそこに「帝王の器」ができるのか、理解できるのではないだろうか。

 

ま、現実には、陛下も受験勉強されたんだろうとは思う。だから、これは、今回の事例に限っていえば妄想なんだろう。それでも思う。学問は、しっかりと学べば本当に役に立つ。ただ、それを目先の競争の道具に使ってばかりいたら、その恩恵は受けられなくなる。そういう意味で、根本的な教育改革は必要なんだと思うよ。まずは入試制度の全廃から始めるのが手っ取り早いと思うんだけどな。あ、こういうことをいってると、きっと後世の人々から、「むかしは野蛮だったんだなあ」とバカにされるのだろうけれど。

論破するのは議論ではない、というあたりまえの話

ものすごくレベルの低い話をするのだけれど、世の中、議論することの意味を取り違えている人があまりに多いように思う。議論は、議論への参加者を説き伏せるために行うのではない。議論は、よりよい解決策を発見するために行うものだ。これは議論の大原則だ。なにも私が独断でいっているのではない。たとえば、Googleで「debate goal」と検索してたまたまトップに出てきたサイトには、

Three interrelated goals of the class are:

  • To become exposed to important—and often controversial—issues in American history, and TO THINK ABOUT THEM.
  • To comprehend historically significant and often complex ideas, and to articulate a position regarding them.
  • To listen to others with an open yet critical mind, and to become more clear and persuasive in arguing your own position.

Goals of Class Regarding Discussion and Debate

とある。どうも大学の歴史の授業心得らしいのだけれど、目標は「考えること、学ぶこと、人の話を聞くこと」であるとしている。さらにこの少しあとには、「権力闘争になりがちだ」と戒めた上で、

Discussions and debates in this class do not have winners or losers

と、勝者・敗者などないのだと注意している。そして、検索結果の2番めに出てきたサイトには、

「議論には3種類ある」とした上で、

The second-worst kind of debate is the kind we engage in most often. It’s the debate where the goal is to prove that you're right.

An even worse kind of debate is the kind where the goal is to destroy someone.

The best kind of debate, on the other hand, is the kind where the goal is to make progress together. The process of this debate often leads the group to explore ideas that no one member could have come up with on their own.

How To Have A Productive Debate

と書いてある。「自分が正しいこと」「相手をやっつけること」が目標の議論はダメで、「参加者の誰もが気づかなかったようなアイデアを探る議論」こそが実りあるものだとしている。ほら、私の言ったのとほとんど同じだ。答え合わせでマルがつくと、やっぱり嬉しいな。1番目の検索結果のものは教育上のものだし、ここにはあげなかったけれど3番目のものも教育上のものだ。だから一般的な意味での「議論の目標」で最初に出てくるのが「議論はいっしょに前進してくためのもの」としているのは、常識的にそうなんだと言っていいのだろうと思わせてくれる。まあ、しょせんGoogleだから、もっと正確な調査は専門の人がやってくれたらいい。

ともかくも、常識的に考えれば、わざわざ人が集まってしゃべるのだから、そこには生産的な意味があると思うのが普通だろう。自分の考えがすべてならなにも人の意見を聞く必要はないのだし、叩き潰したいような相手とはかかわらなければよろしい。論破するのはゲームとしてはおもしろいのかもしれないが、議論の場を設定するコストに比べて見合うものとは思えない。

他人の意見を聞き、自分の意見を開陳し、それを突き合わせてよりよいものを探るプロセスは楽しいものであるし、それを経ることで思いもかけなかった新しいアイデアが浮かんでくる。そういう経験を積んできた人類は、話し合いによって問題を解決していく方法を学んだ。それが現代、議論が重視されている理由だろう。衆知を集めればよりよいものがうまれることを、私たちは経験則として知っている。議論をする目的は、そこにしかない。

 

しかし、人々が集まってなにかを成し遂げようとするとき、議論だけが効果的な方法であるかというと、そうとばかりはいえない。すくなくとも、歴史的にはそうでない場面のほうが多かったことだろう。たとえば、地域に用水が不足しているとする。その解決のために議論すれば、水の配分方法であるとか利水施設の新設であるとか、いろいろと生産的なアイデアは出てくるだろう。しかし、そのときに、一部の集団が結託して他の集団を排除し、用水を独占してしまえば、なんら新しい方法を試してみなくても、その集団にとって問題は解決する。戦争のような単純な力勝負では、あれやこれやと作戦を議論するよりも、専断果敢に攻撃に踏み切ったほうが勝利の確率は高い。技術が概ね出尽くして発展がプラトーになってしまった文化では、議論するよりも秩序を守るほうが生産性が高い場合もある。議論は効果的な方法であるが、常に最良の方法であるとはかぎらない。

ということで、議論が最良でない場合、人々は議論の形式をとっても実際には議論なんてどうでもいいという態度をとることになる。たとえばそれは、議論の形で他の権力者を蹴落とす闘争になる。あるいは、議論といいながらリーダーがその意思をメンバーに伝達するだけの場をつくる。場合によっては、そういった場が権力交代の舞台ともなる。

どうやらこれがこのくにで起こってきたことらしい。会議は、会議を実施したという履歴のためだけに必要となる。基本的にそこは、上意下達の場である。しかし、ときには権力簒奪の場にもなる。その場合、必要なのは論理ではなく、場の力学だ。だから、議論以前に根回しが重要になる。賛同者をいかに集めるかが重要であり、もしも論理性が関わるとしたら、その賛同者を募る過程でのみ重要であって、議論の場では完全に不要なものになる。

 

そういった会議が上から末端まで日常化してしまった世界では、「議論とはより良い解決策を見出すための知恵の出し合いだ」みたいな正論は、寝言にしか聞こえないのだろう。だから、学校でも正しい議論の方法を教えない。いや、学習指導要領では教えることになっている。たとえば中学校の学習指導要領では、国語の2年と3年に「議論や討論をする活動」が組み込まれているし、社会科では教科目標に「議論したりする力を養う」と記されている(個別には地理・歴史・公民の各分野で議論する力を養うことになっている)。実際、国語の試験問題では、議論している場を想定した設問がふえてさえいる。しかし、ではそういった教育を受けた人々がちゃんと議論する力を身につけているかといえば、疑問だと思わざるを得ない。

知識として身につけても、実際にそれを練習する場がないからだ。いや、練習する場は無限にある。日常の社会生活のなかで、議論によってよりよい方法を見出していける場はいくらでもあるだろう。ただ、そういう場で、議論がおこなわれることはめったにない。

たとえば、校則に関して、生徒と教員が議論できる場が設けられたとしよう。このとき、「自由闊達な議論」がおこなわれるだろうか。教員は「立場として」意見を制限される。議論の場に赴く以前に、「どこまで譲歩できるか」が既に決定されている。そういう場で、それでももしも、教員も生徒もそれまで思いつかなかったようなアイデアが発見されたとしたらどうだろう。教員にできることは、せいぜい「持ち帰って検討する」のが最大ではないだろうか。ほとんどの場合はそこまでいかず、想定外のことは議論の対象から排除されるだろう。「それを話し合う場ではありません」と、枠組みが切られてしまう。なぜなら、枠組みは最初っから事前準備のなかで決定されているからだ。

こういった「話し合い」でおこなわれ得るのは、せいぜい生徒の側からの苦情申立と、教員の側からの説得でしかない。それは、「話し合いは実施した」というガス抜きにしかならず、実効的な意味合いはほとんどない。

なぜそうなるのかといえば、同じようなこと、議論の体裁だけをとった上意下達の会議が教職員のレベルでおこなわれているからだ。権力関係が歴然としてる場では、会議の結果は既に決められている。もしもその結果を変えたければ、論理の力では変えられない。会議の場でいくら名案が出ても、それは「次回までに検討」と闇にほうむられるだけだ。まして、お互いのやり取りのなかでどちらの考えも及ばなかったような次元の高いアイデアが浮かんでくるようなことはない。だから、結果を変えるには、会議の場で考えるような悠長なことではダメだ。それ以前にしっかりとアイデアを練り上げ、練り上げたアイデアを持ち回って参加者に根回しをし、会議の場で主導権をとらなければならない。つまり、権力関係がある場では、権力闘争が何より優先される。いいとかわるいとかは抜きにして、それが現実だ。

あるいは、根回しもなしに会議の結果を変えたければ、徹底的に相手を論破するしかない。人格攻撃や泣き落としや駄々をこねるところまでも、ありとあらゆる技を動員して、論敵を困らせ、論敵が退却するように仕向けなければならない。これもまた、一種の闘争だ。こういった闘争の場としてしか議論を用いないのが教員の日常であれば、どうして正しい議論を生徒に教えられるだろうか。

いったいに、そういった闘争は、このくにの会議でごくふつうにみられるものだ。それが標準といってもいい。だから、会議は「よりよい解決策を産み出す」ための生産的なものではなくなる。たとえば、国の有識者会議に出席する人に聞いた話では、ああいった会議の結論はあらかじめ役人が用意していて、それを変えることはほとんどできない。だから、影響を与えたかったら、有識者会議がひらかれる以前に省庁に出向いて根回しをしておかなければならない。もしもそういうことがなしに有識者会議によばれたら(彼はそういうふうによばれることが多いらしい)それはアリバイ作りの員数合わせでしかない。「いろんな意見を聞きましたよ」という形をとるための要員であって、その会議でなにを喋ろうが、政策に反映されることはほぼない、のだそうだ。

だったらなぜそんな会議に出るのか。それは、やはり一種の闘争なのだ。この先、省庁と交渉する際に、「あのとき、あの会議で私はこういう問題を指摘しましたよね」とねじ込むことができる。議事録に残れば、「それが指摘されていたのに行動を起こさなかったのはけしからん」と批判することができる。その会議では実効性はなくとも、将来に向けての布石にはなる。どうもそういうことらしい。

有識者とよばれる人においてさえ、そういうレベルでしか会議をしていない。かなしいかな、「互いのもつ知見を照らし合わせ、そこから新たな発見をする」みたいな生産的な知的活動は、そこにはない。そして、世の中の多くの人が、そういった戦いこそが会議であり、会議でおこなわれるものが議論であると、肌感覚で認識してしまう。

 

だから、なにかというと他人を論破したがる人が現れる。揚げ足を取り、嘲笑し、相手の話を遮り、ありとあらゆる手段で論敵を封殺にかかる。ちょっとは落とし所とか考えないのかと傍からみていて思うが、権力闘争として議論をとらえている人にとっては、一歩譲ることは一歩の負けである。勝負こそがすべてなのだから、まずは勝たねばならない。もしも相手のいうことが正しければ、勝利したあとに、それを取り入れればいい。それが議論の方法だと、勘違いしている。

正しく議論するためには、「自分には見えてないところがあるかもしれない」「自分の枠組みからでは考えきれない領域があるかもしれない」と、あらかじめ認めておかなければならない。そういう前提があるからこそ、「他人には見えないことを自分は提案できる」「他の人の枠組みから考えの及ばないことを自分は問題提起できる」といった自負を正当化できるのだ。どっちが正しい、誤っているなんて、この混沌とした世の中で、そうそう簡単に決められることじゃない。それがわかるなら、誰も議論なんかしない。ひとりの頭では追いつかないから多くの頭でマルチコアに考えようよというのが議論なんだけど、それよりなにより権力という人々には、なにを言っても通じない。

実際、権力闘争がすべてというのはある意味正しくて、とことんな話、正義は拳銃の前にあっさり倒れたりする。マルクスはそういう意味で正しいのだろう。けれど、それでもなお、正義が世の中にあると、私は信じていたいな。こういうことについて議論できる人がいればいいんだけど…

自分でない何かを求めるのは群れ生活者の宿命かもしれない

Tracy Chapmanというシンガー・ソングライターがいて、Talkin' 'bout a Revolutionとか、やたらと格好のいい曲を歌っているのだけれど、なんと言っても出世作のFast Carがすばらしい。アコースティックのギターリフ(けっこうむずかしい)にのせて最小限のバンド編成で進んでいくのだけれど、歌詞が聞かせる。この歌を聞いていたのはちょうどブルデューとかを読み始めてた時期で、貧困の再生産みたいな概念がいまひとつ体感的につかめなかったのを、すっとわからせてくれた。そういえばその少しまえに流行ったSuzanne VegaのLucaは児童虐待のいちばん見えにくところを教えてくれた。こんなふうに、ときには数百ページの大著よりも数分の歌のほうが納得感をもたらしてくれる。もちろん、重厚な著作の重要性がそれで矮小化されるものではないのだけれど。

youtu.be

Fast Carは貧困のなかで虐待されてきた主人公(女性)が恋人との再出発に夢を描き、けれど新しい街でもやはり貧困からは逃げ出せない状況を歌ったものだ。そのテーマはそれはそれで重いのだけれど(その重いものを美しいメロディと甘い声で歌っていくのは凄いのだけれど)、最も耳に残るのはコーラス部分の最後のこの歌詞だ。

And I-I had a feeling that I belonged
I-I had a feeling I could be someone, be someone, be someone

「belong」という感覚を私はこの歌から学んだ。誰かのものである、どこかに所属しているという感覚は、つまりは孤独ではないという感覚であり、それは社会の一員としてしか生きることができない霊長類に共通する感覚だろう。森の哲人とよばれ単独行動で知られるオランウータンでさえ、緩やかな群れを形成しているといわれる。多くのサルの仲間では、群れから離れて単独行動する雄も、実は緩やかに特定の群れと繋がっているのだといわれている。社会から切り離された場合、物理的な生存基盤が脅かされるだけでなく、おそらくは心理的な基盤も崩れていくのだろう。このあたり、人間も同じことである。90%以上は猿一般と変わらない。安心をつくるのは、belongedの感覚だ。

そして、「be someone」だ。「何者かになること」が、希望を与える。そして、このsomeoneは、けっして有名人とか人気者というわけではない。もちろん、英語でもsomeoneを「大物」の意味で使うことは多い(その場合、対義語はanyone とかnobodyとかになるだろう)。しかし、それは特定の行いや場所に関する文脈での用法だと、辞書は言う。

someone
1. PRONOUN
You use someone or somebody to refer to a person without saying exactly who you mean.
2. PRONOUN
If you say that a person is someone or somebody in a particular kind of work or in a particular place, you mean that they are considered to be important in that kind of work or in that place.
Someone definition and meaning | Collins English Dictionary

2番めの意味が「大物」だ。1番目の意味は、「誰か」ということである。たとえば、「誰か手伝ってよ」とか、「誰かがこっちを見てる」とかいった用法だ。別に有名人に手伝ってもらいたいわけでも大物がこっちを見ているわけでもない。

Fast Carのsomeoneは、ちょっと聞くと2番めの「大物」の意味のような気もする。「新しい生活をはじめたらきっと何者かになれる。成功して、郊外に家を買ってひとかどの人物になれるかもしれない」と、そんなふうに思うかもしれない。実際、その夢はこんなふうに歌われている。

We'll move out of the shelter
Buy a bigger house and live in the suburbs

しかし、重要なのはその前のバースだ。父親がアルコール依存症の失業者で母親が愛想を尽かして出ていったことを歌ったあとで、

I said "Somebody's gotta take care of him"
So I quit school, and that's what I did

学校に行かずにコンビニで働いている現状の説明がある。そこでsomeoneと互換的に用いられるsomebodyが、「誰かが面倒見なくちゃ」と、1番目の用法で語られている。主人公は、この段階で、この「誰か」を引き受けているのだが、それが自分自身の人生を食いつぶしていくことを自覚している。だからこそボーイフレンドの車に夢を託す。その車が州境を超えていくときに、belongedと感じ、そして、someoneになれるかもしれないと思う。してみると、このsomeoneは、父親の人生の後始末をする誰かではない、べつの誰かであればそれでいいのだということになるだろう。「何者かになる」というのは、けっして「大成功をおさめる」ということではなく、「いまの自分ではない別の人物になる」ということだ。そして、そこには、疎外された人が常に感じる「みんなはちゃんと居場所があるのに、自分にはそれがない」という感覚が裏側にある。どこにも帰属する場所のない人間はnobodyであり、帰属する場所があってはじめてsomeoneになれる。そんなsomeoneになりたいと、Fast Carの主人公は歌っているのだろう。

 

だが、皮肉なことに、帰属するところのない人間などいない。人間は本質的に社会的生物であり、社会のなかに居場所がなければ存在できない。実際、この主人公も、「父親の世話をするためにコンビニで働く」という(引き受けたくはない)社会的な居場所をもっているのだ。だからsomeoneになりたいというのは、「自分ではない誰かになりたい」つまり「もっとマシな生活をしたい」ということである。ただ、それが現状を改善するという外部の変化によるのではなく、「自分が何者かになる」という形で発露しているだけだ。

では、なぜ「よりよい現状への希望」が「何者かになりたい」という表現をとるのか。それは、人間が群れ生活者として、避けがたく群れの他の成員を観察しているからではないだろうか。生物の存在基盤は基本的には外部環境であるのだけれど、群れ生活者にとっての存在基盤は群れという社会だ。だから、社会の外側の環境への関心よりも、社会の内側をつくる他の成員への関心が桁違いに強くなる。そしてもしも自分が苦しいのであれば、なぜ他のメンバーは苦しくないのだろうかと思う。それは自分が自分だからだ。自分が彼であれば、こんなに苦しまずに済む。これが「自分ではない何者かになりたい」と思うメカニズムだろう。そして、生憎なことに、苦しみは個人的なものであり、自分だけが感じることのできる感覚だ。だから、私たちは常に「自分だけが苦しい」とか、「他の人も苦しいかもしれないけど自分は特に苦しい」と感じる。理性としてではなく、動物的な感覚としてそう受け止める。だから私たちはつねに「何者かになりたい」と思う。そういうことではないだろうか。

 

では、充足された人は「何者かになりたい」と思わないものだろうか。苦しいからべつの誰かになりたいと思うのなら、苦しくない人はそうは思わないのだろうか。私にはそんなふうに見えない。むしろ、充足されたように見える人ほど、「何者かになりたい」という願望が強いように思える。たとえば中小企業の社長がスポーツカーを買うときの感覚は、「スポーツカーを乗り回すような格好のいい人間になりたい」という願望ではなかろうか。ステータスシンボルとよばれるものを求める人の感覚は、たいてい、そのシンボルによって表される「何者か」になりたいのだと、私には見えてしまう。

いや、そういう物質的な成功者はけっして充足されているのではない、心の平安をもっている人こそが充足されているのだというかもしれない。言葉をかえれば、社会的な自分の役割を自分自身のアイデンティティとして引き受け、それに没頭している人は、いまさらなりたい何者かなどないのだろうと、そんなふうにも推測される。それはそうかもしれないとも思う。ただ、残念なことに、そういう人に出会ったことはない。もちろん私の見てきた範囲など世界のごく僅かだし、類は友を呼ぶともいうから、充足できない私のような人間の周りにはそういう人しか集まらないのかもしれない。けれど、「ああ、この人は尊敬できるなあ」と思える哲学者のような人でさえ、「こんな自分ではダメだ、もっと修行しなければ」と思っているように見える。あるいは、平安の極みにいるような乳児を抱えた母親でさえ、「もっといいおかあちゃんにならないとね」と話していたりする。もしも充足しているように見える人がいたとしても、それは「私でない誰か」の姿として見えているだけなのではないだろうか。そういう落ち着いた人になりたいと思うのも、結局は「私でない誰か」になりたいというこっち側の願望ではなかろうか。

そういう人しか周りにいないからかもしれないけれど、私には、「何者かになりたい」、それも「大物」という意味の「何者」ではなく、「自分ではない誰か」の意味での「何者かになりたい」は、群れ生活を営む生物としての人間の宿命的な感覚ではないかと思えてしかたない。その願望に食い散らかされてしまうと、人生はロクなものにならない。けれど、適度にそういう感覚があれば、それは向上心ということになるだろう。そして、「よりよい場所」をめざす向上心は、確かに人間を進歩させるのかもしれない。だから、そういう感覚を抱え込んでしまうことそのものは、いいことでもわるいことでもない。重要なことは、生得的なその感覚をどこまで理性でコントロールできるかではないだろうか。

 

人間は社会の中でしか生きられない。けれど、社会というものには五感で知覚可能な実体はない。ただ、その存在が概念として理解できるだけのものだ。ある意味では幻影だ。共同幻想だ。それでも人間はそこに依存して生きる。そういう構図を理性で認識すれば、既に「自分」という何者かである存在が、それでも「何者かになりたい」と願うプロセスが見えやすくなるのではないだろうか。そうやって「何者かになる」ことは、社会のなかでの自分の居場所を再設定することでもある。それはつまり、社会に受け入れられること、つまり、belongedである自分を実現するために必要なことではないだろうか。

それにしても、これだけ長く生きてきて、何者にもなれないというのは、いったいどういうことなんだろうかと、自分自身を振り返って、嘆息が漏れる。たしかに私は編集者にもなったし翻訳者にもなった。風来坊にもなったし教師にもなった。経営者にもなったし非正規の底辺労働者にもなった。夫にもなれたし父親にもなれた。けれど、いまだに「何者かになりたい」という願いは消えない。まったく、ろくでなしだ。そういえば「ろくでなし」を英語ではnobodyと…

 

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この文は、シロクマ先生のブログに触発されて書いた。けれど、先生のブログの内容との関連は、ないな。スミマセン。

blog.tinect.jp

価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの

何の気なしに書いたブコメに星がいっぱいついて慌てることがある。いや、私の意見に何かを感じてくれた人が多いのは単純に嬉しい。一生懸命考えて書いたブコメだと、特に嬉しい。慌てるのは、何の気なしに書いたものが思わず伸びるときだ。詰めて書いてないから、曖昧になっている。曖昧なぶん、ときには真逆に受け取られることもある。これまでも何度かそういうことがあった。そして、昨日も。

問題のブックマークコメントは、これだ。

新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔) | 現代新書 | 講談社(1/5)

「良いこと」とか「悪いこと」という言い方が、そもそも歴史に向き合う態度じゃないと思う。

2021/06/27 10:49

b.hatena.ne.jp

元の記事は、「ナチスもよいことをした」と主張する人々に対して、「それはおかしいよ」と、本を紹介しながら述べるものだ。私は基本的に、その論の張り方に同調する。ブコメ群の中には批判的なものも多いけれど(その中にはある程度頷けるものもあるけれど)、私は細かいことはともかく、「ナチスのいいこと」なんてのはほとんど悪事の一環でしかないと思うので、あんまり記事の批判はしたくない。だいたいが、この記事の中でも触れられているTwitterで話題になった高校生だかなんだかがナチスを擁護した小論文を書いた件にもブックマークコメントをつけて、

予備校時代、一番添削に困った「完璧な文体でナチスの政策を肯定した小論文」とヒトラーファンの女子高生の話 - Togetter

何の教科かによる。国語だったらケチつけるわけにいかない。社会だったら、ケチつける穴を見つけられなかった自分を恥じるべき。 / 教科枠のない小論文なら、社会科的な観点から批判できると思う

2021/02/08 12:22

b.hatena.ne.jp

社会学的な観点からは絶対に批判されねばならないと主張したぐらいだ。だから、そもそも「ナチスもいいことをした」みたいな言い方は、あんまりにも幼稚じゃないの、と言いたくて、最初にひいたブックマークコメントを書いたわけだ。「良いとか悪いとかはお伽話の世界の話であって、そういう単純な切り方をしたら笑われるよ」と。

ところが、意外なことに、これが「相対論」みたいに取られてしまった。確かに、読みようによっては、「物事には良いことも悪いこともあるんだから、そこは公平に評価すべきじゃないの」みたいな主張にとれなくもない。もともと100字制限のあるコメントで誤読を避けることはできないとはいえ、そういう読み方をされるのは本意ではない。それで批判する人(ブコメをずっと読んでいくと批判するひともいたし、わざわざブコメへのブコメで批判してくれたひともいた)に関しては、「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ」で済む。けれど、たくさんついた星の中の、ひょっとしたら半分くらいのひとがそういう誤解をしてつけてるんじゃなかろうかとも思った。だとしたら、そういうひとの主張を代表しているような顔をするのは嫌だ。ここで言い訳しておけば、取り消したいひとは取り消せるだろうとも思った(自分がつけた星の上にカーソルをもっていってしばらく待つと、取り消せる仕様のようだ)。

 

私は、社会を見るとき、自分の価値観から逃れられないのを知っている。だから当然、「これはいい、あれはダメ」みたいなことを思う。そういった意見が個人的な偏見であったとしても、それを主張するのは重要だと思っている。だから、多くの人が肯定する宿題という慣行に対しても、「それって根拠がないんじゃない?」みたいなことを平気で言う。だって、おかしいものはおかしい、と思うからだ。こんなもの、価値観のカタマリだ。

ただ、じゃあ、何のためにその価値観を他者にぶつけるのかといえば、それは愚痴ではない。いや、愚痴っぽくなることも多いけれど、なるべくそれは避けたいと願っている。そうではなく、未来をよりよいものしたいと思うから、自分の価値観にもとづいて、「こうしたほうがいいのに」と主張する。自分の価値観に沿ってよりよい未来がほしいわけだ。もちろん、それは他の人の価値観に適合しないかもしれない。そこは弁証法だ。異なる意見がぶつかったとき、そのどちらでもない新しい地平が開けることもある。未来はそうやってできていくのだと思う。そこに投機するための原動力として、自分の価値観は存在する。

そして、その価値観は、過去に学ぶことによってより深められる。補強される。なぜなら、過去の事実は、実にいろんなことを考えさせてくれるからだ。だからこそ、私は歴史に興味がある。その中には、たとえば千年前の源氏物語に対する興味みたいなものもあるし、つい十年ばかり前の太陽光発電の制度ができた経緯みたいなものもある。そして、そういうものは、より詳しく知れば知るほど、さらにいろんなことを学ばせてくれる。

 

たとえば、私は家庭教師として中高生に歴史を教えることもしばしばあるわけだけれど、中学校の歴史の教科書にはかならず、戦時中の日本の「欲しがりません勝つまでは」的なポスターが掲載されている。戦時下に国家主義のもとで人々が総動員された様子を学ぶためのいい資料だ。これが出てくると、私は(時間的余裕があればだけれど)、必ず、「同じようなポスターはアメリカでもつくられた。国家総動員的な動きは特にイギリスでは強かった。なぜなら、イギリスは連日ドイツ軍の空襲にさらされ、いつ侵略されても不思議ではない状態だったからだ」といった解説をする(ちなみにこれは、20代の頃に写真史関係の本を翻訳していたときに学んだ)。こういう知識は、戦争というものがどういうものであるのかを考える上で役に立つと思うからだ。

ただ、ここで、もしも「よい、わるい」といった価値観を安易に持ち込むとどうだろう。たとえば、「国家総動員は人々の自由を侵害するから悪い」という価値観で日本の「欲しがりません勝つまでは」を断罪するとする。すると、「同じようなものはアメリカにもイギリスにもあった。みんな、悪いことをしていたんだ。だから、日本が特に悪いということはない」みたいな、安直な「相対論」みたいなのに落ち込まないだろうか。あるいは、「当時の侵略国家の日本は悪い国なので、そのための総動員は悪い」みたいな価値観で物事を判断するとどうなるか。「よい総動員」と「悪い総動員」が存在することになってしまわないだろうか。

それでは、本質から遠ざかる。そうではなく、歴史事実に対しての善悪は、いったん保留する。そして、未来に対してのみ、価値観を投影する。すると、当然、私のような人間の価値観からすれば、「国家のために自分の全てを投げ出すのが美談になるような世の中はまっぴらゴメンだ」ということになる。そうなると、「たとえ日本であれイギリスであれ、とにもかくにも、国のために死ねというような社会はまちがってたんだよな」ということが見えてくる。つまり、そもそも戦争に至るような社会のあり方そのものに対する批判が生まれてくる。これは相対論ではない。

つまり、自分の価値観に基づいた判断をするためには、細かなひとつひとつの事実に関して、その歴史の文脈の中では価値判断すべきではない、となる。なぜなら、価値判断は事実を見えなくするからだ。そうではなく、ひとつひとつの事実が由来した力学を観察する。観察するときにもちろん自分自身の価値観から感情は動くのだが、なるべくそこを保留する。そうでなければ、それは阪神タイガースの応援で騒ぐ外野席の観客みたいなことになってしまう。

どういうことか。たとえば、昨今の日本の政治になぞらえてよく引き合いに出されるインパール作戦を考えてみよう。これはひどい作戦であり、あちらこちらと批判されるエピソードが山盛りだ。特に、その中でも牟田口廉也将軍の言動はネットミームにさえなっている。だから、我々外野席の人間としては、「牟田口はカス!」「あんなやつがいたから日本が負けた」みたいなことを言いたくなる。だが、それは、外野の観客としては言ってもいいのだけれど、歴史から何かを学ぼうとするときにはけっして言ってはいけない。なぜなら、もしも将軍がもっと優秀な人であり、戦略にも長け、合理的な判断ができる人であったとしたら、インパール作戦は一定の成功を収めたかもしれないのだ。そのとき、それを「よかった」と、歴史を見るものは言ってもいいのだろうか? 確かに白骨累々のジャングルの退却路は避けられたかもしれない。けれど、それによってビルマ、あるいはインドにさらに犠牲が拡大していたかもしれないのだ。もしも現代の価値観から「人殺しをする戦争はよくない」というのであれば、じゃあ作戦の成功はより大きな人殺しにつながらなかったと保証できるのか、ということになる。日本が勝利して大東亜共栄圏が完成したら、それはそれでめでたしめでたしだったのだろうかということになる。

「お前は日本が負けたことがよかったというのか!」みたいな罵声が飛んでくるかもしれない。私は別に敗戦を喜ぶようなナントカ症候群の人ではない。けれど、日本が勝って万々歳とも思えない。現状の日本の政治を見る限り、もしもこれが70年前にアジア一帯に広がっていたらと思うと、かなりげんなりする。とことんでいえば最初っから戦争とかなしに繁栄できたらよかったと思うのだし、けれど、植民地争奪戦の19世紀からの流れの中でそれが無理だったのなら、それはもう、私の価値観で物を言うのをやめようと思うばかりだ。そして、過去に対して「あれがよかった、これがよかった」という口を謹むかわりに、未来に対しては、「戦争を絶対に起こさないような世の中にしよう。戦争がなければそれでOKなんて話じゃないよ。だって、戦争がなくったって、多くの人が自分の意志に背いて無理やりにしたくもないことをさせられて、しんどい思いをしてるじゃないか。そういうのはまっぴらだよ」と、価値観全開の主張をする。「誰も喜ばないオリンピックなんてやめたらいいのに!」は、1936年のベルリンオリンピックに対しては言わないが、まだ歴史には組み込まれていない2021年東京オリンピックに対しては言う。未来はまだ変えられる可能性がある。だからこそ言う。

 

こういうのが「相対論」だと言うのなら、もう私は文句は言わない。この考え方が批判されるのなら、それはそれで納得する。互いの批判はけっして後ろ向きなことではないと思う。私は、びくびくしながらそれを歓迎するだろう。批判と批判がぶつかって、なにか新しいものがうまれる。人間はそうやってここまで来たのだと思うし、ここから先も、そうやってなんとかかんとか、やっていくのだろうと思う。すくなくともあとしばらくは。

「太陽光発電の拡大は民主党政権のせい」という事実誤認 - 時系列は正しく見よう

私はもう10年ぐらい前になるけれど、非正規雇用の専門職(という言い方がものすごく奇妙なのだけれど)として太陽光発電関係の公的な仕事にごくわずかだけかかわっていたので、いまでも太陽光発電に絡んだニュースには注目している。そして、ブックマークしたら、他の人のコメントもながめている。参考になるものもあれば、見当違いだなあと思うものもある。たとえば、今日も、そういうのがあった。このニュース

 

mainichi.jp

についた、このコメント

再考エネルギー:全国で公害化する太陽光発電 出現した黒い山、田んぼは埋まった | 毎日新聞

何度でも言う 菅民主党政権時に雑に制度設計し補助金→経済の弱い地方で利権化→その後自民党政権下で補助金率必死に下げる

2021/06/27 10:34

b.hatena.ne.jp

なんかを見ると、「事実とちがうことを何度でも言われてもなあ」と思う。フィードインタリフの固定価格買取制度は、確かに民主党政権下で成立したものだけれど、それは、自民党政権下で既に方向性がきまっていたものを受け継いだに過ぎない。最初に「フィードインタリフをやる」と言ったのは、いまだに自民党の重鎮として君臨する二階氏であるらしい。

このあたりの流れは、私が細かく書いてもいいのだが、資料を調べるのもめんどうなので、ちょっと検索してパッと出てきた適当な論文のリンクを貼っておこう。

rikkyo.repo.nii.ac.jp「買い取り制度のケーススタディー : 日本」(飯田 哲也)

2011年の論文なので、その後のいろいろな推移のことは書かれていないが、逆に、再生可能エネルギーの系統接続がはじまった頃からのあれこれが詳しめに書いてある。ちなみに、飯田哲也氏は政治的には民主党寄りの人で、民主党政権時には政府関係の委員も務め、後には自民党候補の対立として山口県知事選挙に立候補していたと記憶している。私は彼が若いころに主催していた勉強会に何度か参加させてもらったことがあるので、まったく縁がないわけではない。とはいえ、深く知っているわけでもない。

ということで、細かい話はそっちを見てもらえればいいのだけれど、いくつか上記のブコメのどのあたりが事実に反しているのかをきちんとあげておこう。まず、「菅民主党政権時に雑に制度設計し」という部分は、歴史的経緯からいえば制度設計そのものは、自民党議員も多数参加した超党派の集まりで検討され、諸外国の動きや制度を参考に練り上げられたものだ。そして、固定価格買取制度は、「補助金」ではない。補助金は別に用意されていて、やがてすぐに廃止になった。さらに、「補助金率引き下げ」と書いてあるのは固定買取価格の引き下げなのだが、フィードインタリフはもともと固定買取価格を細かく引き下げていくことを前提にした制度だということだ。だから、「自民党が必死に引き下げ」というのは、そもそも制度をまったく理解していないことを白状しているようなものだと言わざるをえない。下げるのが前提の制度で下がったのを、政府の努力と思うのは、完全に事実に反する。

むしろ、私の見たところ(ここからの話にはエビデンスはないけれど)、自民党政府は固定買取価格を不当に高く維持する方に力を注いできた。このブログでも何度か書いていると思うが、もともと太陽光発電の設置費は、その後の売電収入でかつかつ元が取れる程度に調整すべきものである。ところが、いったん「太陽光は儲かる」みたいな神話を官民挙げてつくってしまったせいで、下げられなくなった。それは、下手に太陽光業界みたいなのを育成してしまったために、そこに利権が生まれてしまったからだ(上記ブコメで「利権」の部分だけはあながち間違いでもない)。そして、そういった利権絡みの陳情に弱いのは、(まあたぶん他の政党でも同じとは思うが)、自民党だ。太陽光発電の固定買取価格がなかなか下がらず、世間からの風当たりが一気に強まったのは、自民党のせいだと私は思っている。

 

ま、私の観測は、事実だとして争うつもりはない。ただ、その前に書いたように、歴史的経緯、制度の設計に関しては、上記に引用したブックマークコメントは完全に誤っている。そして、そういう誤りを含んだ議論はしょっちゅう見かける。なんなら、民主党系の議員でさえ、まちがえている。自分とこの政権が関わったことぐらいちゃんと覚えとけよとおもうのだが、政治家はすぐに忘れるものらしい。どうにかならんもんかなと、いつも思う。

 

ともかくも、現状の太陽光発電、けっして好ましいとはいえないことには10年前にごくわずかでもそこにかかわった人間として、非常に残念に思っている。特に、本来分散型でこそ力を発揮するはずの再生可能エネルギーを大規模化することに関しては、なぜあの時点で強く批判しなかったのかと、後悔している。もちろん、自分がセミナーで話すときなんかは、そのあたりも触れるようにはしていた。けれど、「メガソーラーでパネルの量産が加速したらパネルの価格が下がっていっそう太陽光の普及が進むじゃないか」という議論のまえに、「まあ、そうだよねえ」と、口をふさいでしまったのは事実だ。そのあたりの不明を、現在も恥じている。だが、そのあたりのことは、もっと長いべつの話になる。いつか、書ける日がくるかなあ。

宿題を自明とする教育方法は正しいのだろうか - 「宿題論」はなかなか進まない

「宿題論」という名前のファイルがデスクトップに置いてある。プロパティを確認すると書き始めたのはちょうど2年ほどまえになる。プロットも考え、初めの方を原稿用紙換算で10枚ほど書いたところで、止まっている。書き始め時点ではそういう構想でもなかったのだけれど、その後、これは家庭教師の手引書の第二弾の1つの章を構成するものとして私の中では位置づけられている。最初の本を書いてからもうずいぶんになるから、そろそろ次を書きたいと思って準備をしてきた。これはその一環だ。

ただ、なかなか書けない。言い訳はいろいろあるが、いまだに進んでいない。なに、そのうち書けると思う。そして、しっかりした論はそっちで書くつもりだ。中身は、一般に「宿題」として出されるものの欠点を論って、最終的に「それならばどんなふうにしてどんな内容の宿題を出すのが有効なのか」というところにもっていこうと思っている。なにせこれは、家庭教師のためのマニュアルなのだから。

 

だから宿題の話はそっちで全てになるはずなのだけれど、それ以前のところでどうにもすっきりしないので、今回はその話。そもそも、宿題を出すことが当然というのは、何が根拠になっているのだろうか、ということだ。

一応、学習指導要領に、それっぽいことがないわけではない。明確に「宿題」という言葉はないのだけれど、家庭学習の重要性が説かれており、解釈のしようによっては、「家庭学習を有効なものとするために教師は宿題を出すのだ」と強弁できないこともないようにはなっている。このあたりから攻めていきたい気持ちはあってそれなりの論拠もつくっているのだけれど、そもそもそういう解釈を許容するのは、社会全体に「だって、授業をしたら宿題は出すもんでしょう」という暗黙の前提が共有されているからだ。だから、本当は「なんでそんな前提が存在するのか」ということに遡らなければここは見えてこない。そして、それは家庭教師の技術書の守備範囲をこえるだろう。

私の感覚では、宿題というのは一種の残業だ。よく「学生の仕事は勉強です!」みたいな説教をする教師がいるが、もしもそうだとしたら、授業時間が正規の労働時間であり、それ以外の拘束時間は時間外労働となるだろう。そして、多くの業界で一定の残業を見込むことが雇用の前提になっているとはいえ、本来従業員の員数は残業をせずに業務を終えられることを基準に算出すべきであって、最初っから残業しなければ業務が回らないような職場はブラックの烙印を押されたって仕方ないだろう。そう思えば、授業に自動的に宿題がくっついてくるのはおかしいのではないか、ということになる。

それに対して、「勉強は仕事ではない!」と怒りだす教師もいるだろう。二重規範のような気もするが、必ずしも「学生の仕事は勉強」という主張と同じ教師が言ってるとはかぎらない。そして重要なことは、教師がどう理屈をつけようと、それを受け入れる社会常識がある、ということだ。なぜ宿題は特別視されるのだろうか。

プロの教師であれば、授業時間内に生徒に伝えるべきことはきっちり伝えるだけの技量をもっているべきではないのだろうか。授業時間外の生徒の努力をあてにしなければ教科指導が行えないのは指導力不足ではないのだろうか。私はどうしてもそう思ってしまう。

もちろん、子どもの成長にとって、学校が全てではない。家庭での学び、放課後の学びは子どもを大きく成長させる。むしろ、授業時間以上に成長させる。だが、それは宿題のような与えられた課題によらなければできないものなのだろうか。小学生であれば遊びを通じてさまざまな思考方法を子どもは身につけていく。家事の手伝いによっても、多くのことを学習する(料理が成績を向上させる可能性については以前にも書いた)。読書は目に見える成績だけでなく「非認知的能力」を向上させるとも言われるし、伝統的に悪口を言われてきたテレビやマンガ、さらにはゲームやWebの閲覧でさえ、子どもの成長にはそれなりの寄与をしてきたといえる。だって、「テレビばっかり」「マンガしか読まない」「ゲーム中毒」「ネット廃人」と子ども時代に罵られてきた人たちが、大人になって現にこの世の中を動かしているのだから。

そして、そういった学びは、宿題によって妨げられる。なぜなら宿題は子どもの時間を奪い、エネルギーを消耗させる。さらにわるいことに、多くの場合、親子関係を悪化させる。なぜなら、親はかならず「宿題やったか」の一言を子どもに投げかけるからだ。やりたくもない宿題でもやらねばならないというプレッシャーのなかにいる子どもに、この言葉が与える影響の大きさは格好の研究課題だと思うのだけれど、その悪影響をはっきりと評価した話をあまり聞いた記憶がない。

 

なぜ、宿題が自明視されるのだろうか? 息子の小学校のときの担任は、「これは先生と君たちの約束だ。宿題が問題ではなく、約束を果たさないことが問題なのだ」と言っていたそうだが(息子はその言葉に感銘を受けたようではあるが)、そんなもの、ただの論点のすり替えにすぎない。なぜ一方的に出される宿題を「約束」として強要できるのか、そこが問題だ。

確かに、孔子が言うように、「学びて思はざれば則ち罔し」であって、学習したことは振り返ることによってようやくその意味が明らかになってくる。しかし、振り返ることは、宿題を通じて可能であろうか。学校の授業の内容を反芻しようとするとき、何ら課題は必要ない。必要なのはただ思い巡らせる時間だ。実際、私は子どものころ、よく授業の内容を思い返しながら通学路を歩いていた。あれは自分をよく成長させてくれたなと思う。小学校から高校・大学まで、徒歩(後には自転車)でいずれも片道30分ぐらいかかる距離だったから、空想に費やす時間は十分にあった。だから、私は宿題を全くしない子どもであったにもかかわらず、必要なだけの復習をしていたのだともいえる。

ただし、全ての授業をそうやって復習できていたかというと、そうではない。人間、楽しいことだけを思い出していたいのだ。だから、面白かった授業、印象に残った教師の話ばかりを考えていた。そのせいで、数学や英語の成績はひどかった。授業がおもしろくなかったからだ。数学や英語がおもしろいと思えるようになったのはもっとずっと後で、授業とは無関係に自分で好きなだけやることができるようになってからだ。人間の成長とはそういうものだと思う。

生徒の成長をコントロールできると思って教師が宿題を出すのは、むしろ成長の阻害要因になるのではないか。そして、生徒を本当に成長させたければ、まずは生徒が身を乗り出すような授業をしなければならないのではないか。生徒の印象に残る授業、生徒が興味をもつ授業は、放っておいても生徒のなかで発酵する。生徒が思い返して、「罔し」に陥らないようにしてくれる。そして生徒は成長してくはずだ。

 

けれど、教師はデフォルトで宿題を出し、社会はそれを当然のものとして受け止める。私のような残業論に対しては、そもそも授業時間の合計は一般社会人の労働時間にくらべたらずっと短いのだから、宿題込みでようやくそれと等しいのだという論も成り立つ。ただ、この論理はそろそろ限界に来ているのではないかと、私は感じている。というのは、基礎教育の話ではなく、大学生の勉強時間が伸びているという話を聞いて、「そうだよねえ」と思ったからだ。

yuiami.hatenablog.com

私は大学生は教えていない。元の教え子の何人かは大学に入ってからも連絡をくれるし、息子もこの春から大学生になったし、まあ少しぐらいは最近の大学生の様子も見聞きしている。大学で教えている人からの話も聞くことがある。あと、この程度のことは言っても守秘義務違反にはならないと思うのだけれど、十数年前から7、8年前ぐらいまでの期間、大学の教育管理システムを開発している会社の仕事を少しだけやっていた。なので、どのようにして最近の学生を管理するシステムが発展してきたのかには少しだけ詳しい。

そういう知識を動員して大学生の勉強時間の推移を追いかけてみると、明らかにICTが教務管理や授業に組み込まれてきたあたりから学生の勉強にかける時間が増加してきているように見えてくる。そして、それはそうだろうと思う。私がかかわっていたシステムは、いかに学生を効率よく勉強に駆り立てるかをセールスポイントにしていたからだ。それは競合各社のシステムも同じだ。授業前の資料配布や事前アンケート、授業中の抜き打ちのアンケートや小テスト、授業後のレポート提出機能や質問機能、資料の共有機能など、「ああ、たしかにこれやったら学生は勉強するな」と実感させられるものばかりだった。当時はその機能を使いこなしている教員は少数だったようだが、ベンダーの側もどんどんUIを進化させていた。そりゃ、使いやすくなれば使うだろう。そして、学生はどんどん勉強に駆り立てられる。

学生の本分が勉強であることを思えば、それはそれで批判すべきことでもなんでもないだろう。けれど、たとえば授業前に「反転学習」で動画の閲覧を求め、授業中は居眠りや内職ができないほどに各種機能を活用し、授業後には8時間以内のレポートを求め、さらには生徒同士のコラボレーションや相互批判を推奨するというようなことを標準化するとどうなるか。90分の授業に最低でも60分、下手をすると120分ぐらいはプラスアルファの時間を費やさねばならなくなる。昔もいまも大学生が卒業までに必要とする単位数は特に変化がないので、大学生が受ける授業時間数は時代が変わっても大差ない。90分授業が4コマ、5コマとはいる日もある一方で、2コマぐらいしか授業のない日もある。3コマの日だと授業時間数はたかだか4時間半だ。けれど、ここに上記の時間を入れると7時間半になる。ほぼ8時間労働に相当するといってもいい。もしも「学生の仕事が勉強」であるのなら、だ。つまり、「学生は遊んでばっかり」というのは、管理が緩やかで仮にレポートの課題が出てもサボり放題だった昔には真実であったかもしれないが、ICTの導入によって管理が厳しくなった現代においては(たとえばレポートの未提出は厳格に減点されるし、締切は秒単位で厳守になる)まったくあてはまらない。

ただ、上記のブログに引用された大学生協の調査データをみると、授業時間外の大学生の勉強時間は1日あたり60分程度であり、私の推計よりもかなり少ない。おそらく、ひとつにはうまい具合にサボっているのだろうし、ひとつには教員の側がそこまでシビアに授業管理システムを活用していないのだろう。

いや、それにしても1日の平均学習時間が5時間程度なのはやっぱり仕事に比べたら遥かに少ないのではないかとも思えるかもしれない。ただ、この統計は特に休日を除外しているようにも見えないから、週に直せば35時間であり、もしも週休2日で当てはめれば1日7時間の労働となり、休憩の1時間を労働時間に含めるのであればちょうど8時間労働に相当する。つまり、現状、大学生は社会通念上十分な時間を学習に当てているわけで、それは遊んでばかりいたかつての大学生のイメージとは程遠い。

こういった学習時間の伸びは、制度の強化とそれを支える教育管理システムの進化によるところが大きい。私が学生のころは、学生の側からみても首を傾げたくなるような成績評価が多かった。たとえば私は大学1年のときに一般教養として芸術学なる授業を受けたのだけれど、最初の数回で教師が何をいいたいのだかさっぱり理解できず、脱落した。試験だけは受けたけれどまず単位が取れるとは思わなかったのに、「良」の成績がついた。同様のことは専門科目でもあり、たとえば線形数学はまるで理解できなかったけれど単位がもらえた。あえて文句を言うつもりもなかったけど、絶対におかしいと思った。そういったいい加減な成績評価は、現代では許容されていない。出席、レポート、試験など、客観的な基準できっちりとスコアを出し、それに準拠してしか単位は出せなくなっている。かつては「そんなこといっても無理じゃない」と言い逃れができたのが、システムが整備されることで「こうやったらできますよ」と具体的にソリューションが提示される。なんなら教務課からサポートや研修が提供される。「現実は不可能」という言い訳はていねいに潰される。管理は強化され、最終的には、学生は真面目にならざるをえない。

真面目であることそのものはいいのだ。けれど、もしもこういったシステムをシステムベンダーが理想とするような方法で活用しはじめると、上記のように学生は1日に7時間どころか、日によっては10時間とか11時間机にかじりつかねばならなくなる。労働であれば1週の残業時間は15時間が上限だから、本当に真面目に勉強すれば過労死ラインを超えることにもなりかねない。現実はまだまだそこまでいっていないが、流れはそうなっている。ICTを忌避してきた高齢の教授たちが引退していき、システムに従順に従うことを受け入れる教員がその後を埋めていけば、学生たちの学習時間がブラック企業並みになっていくのは、システムの設計を見ていれば避けられない運命のように思える。

そこまで真面目にやれるものではない。ということで、どうなるかといえば、学生は適当にサボるわけだ。けれど、昔のように代返(これも死語か。「サボってる人の代理で出席の返事をすること」)を頼んだり教師の情に訴えるような方法では、現代の洗練されたシステムは乗り越えられない。ではどうするかといえば、レポートは適当に検索してコピペをする。「本当はしっかりしたレポートを書きたいけれど、時間がないから適当なものを出した」というのは、実際に大学生が口にする言葉だ。コピペのレポートなんて無意味を通り越して害悪でしかないけれど、学生の生活時間を侵食するような制度設計のもとでは、そういった劣化が起こるのは当たり前ではないか。

 

重要なことは、こういった管理システムの進歩は、徐々に大学から高校、高校から義務教育の世界へとひろまりつつあることだ。「勉強は善」という考え方からは当然、「しっかりと勉強させるためのシステム」は歓迎されこそすれ、何ら否定されるものではない。しかし、そこで無視されるのは、子どもたちの時間が有限であるという事実、そして、成長のためには緩やかな時間、枠組みにとらわれずに思考をひろげていく時間が必要であるという事実だ。

宿題がそれを阻害すると言ったら、多くの教師が目を剥くだろう。宿題なんてほんのわずかの時間だけがんばれば終わるじゃないかと、自分の出している宿題の量を実証的に持ち出してくるかもしれない。だが、中学生や高校生をみてきて、現実に、彼らがどれだけ宿題に苦しんでいるかをみていると、「わかっちゃいない」と思う。たしかに、ひとりの教師が出す宿題の量は大したものではない。1日の授業の復習にせいぜい30分もかからないだろう。だが、中高生は毎日6時間の授業を受ける。体育のように宿題のない授業もあるから、平均4教科の宿題が毎日出るとしよう。各教科30分かかるとしたら合計2時間にものぼる。2時間の残業が標準化するような企業は、やっぱり人を壊すのではなかろうか。

そして、ここでも「手ぬき」が起こる。真面目に取り組めば1時間、2時間とかかる宿題を、サラッとやってしまう生徒も多い。そして、そういう「要領のいい生徒」のかなりの部分は、成績が伸びない。あたりまえの話で、自分で考えもせず、手先を動かすだけでこなす宿題が教科の理解に寄与するわけはない。教師は、「真面目にこれだけの課題をやったら成績が伸びないわけはない」と考えて宿題を出すのだろうが(せめてそうあってほしい)、「真面目にやったら」という前提が可能かどうかをあんまり考えていないのではないか。そこをどうにかするのが「がんばりだ」「学生の本分だ」と主張するばかりでは、まるで説得力がないことに気づかないのではないか。

 

こういう構造を支えているのが、「だって宿題はあたりまえでしょう」と考える世間の常識なのだ。なぜ、時間外労働が当然とされるのだろう。人生は学びの連続だし、子どもは特に多くのことを学んでいかねばならない。じゃあ、そのために宿題が有効だという根拠はどこにあるのだろう。そもそも、生徒の時間を支配することに関して、教師は何の権限があるのだろう。

こんな疑問を抱えながら、それでも私も遠慮がちに宿題を出す。業務規程にそれが組み込まれている以上、逃げられない。いや、必要のない宿題は有害でしかないし、効果的に宿題を出すのは本当にむずかしいんだと、経験をかさねるごとに思うのだけれど、なかなかこういう主張に耳を傾けてくれる人は多くない。ほんと、「常識」ほど怖いものはないよ。