こみいった話をこみいったままに書くのは難しい

著者ってのは救いようのないくらい文章が下手くそだ。若いころ編集業界の末端にいた私は、傲慢にもそんなふうに思っていた。なんでこんなわかりにくい文章を書くんだ、ここは整理したらもっと論旨がすっきりするじゃないか、ここはほとんど繰り返しじゃないか、こんなところで横道にそれるなよ、みたいに、激しいツッコミを入れながらゲラを読んでいた。ときにはびっしりとコメント付きで著者に戻すことさえあった。「3行で書けるところに50行かけるなよ」という感覚にそれは近いかもしれない。

だが、年齢を重ねるとともに、あれは決して著者の文章力の問題ではなかったのかもしれないと思うようになってきた。なにも、一部の文芸業界のように著者様は神様ですみたいな感覚になってきたのではない。そうではなく、著者であっても自分と同等の人間であり、やはりある程度は読みやすさ、読みにくさというものを知っているはずだということに気づいたのである。そして、文章は読みやすいほうがいいにきまっている。なのに、あえて読みづらい文章を書くとしたら、それにはそれなりの理由があるのだろう、と思うようになってきたのだ。

それをつくづく感じたのは、昨年末に和文英訳のチェックをやっていたときのことだ。だいぶ減ったとはいえ、いまだに私のところには学術関係を中心に、翻訳の仕事が舞い込んでくる。和文英訳は英語圏のネイティブ・スピーカーの仕事になるのだが、私はその原文との照合を担当する。伝統的な日本の翻訳事務所のスタイル(日本人翻訳者が訳して「ネイティブチェック」を入れる)とは真逆のスタイルだが、クォリティでは明らかに英語ネイティブが英文を書くほうがいい(過去にそうなっていなかったのには歴史的な理由があるのだが、そこは長くなるので)。ともかくも、けっこう長い堅苦しい書物を照合していく、長距離走のような仕事だった。

この原文書籍、そうとうにまだるっこしい。ひとつのテーマに関する実証的な研究なのだが、行きつ戻りつしながら論考を進めていく。ときには文脈さえ見落としてしまいそうになるほど、逡巡する。ところが翻訳版の方は、非常に論旨がスッキリしている。どっちが論文として優れているかといえば、もう疑いもなく英語版の方だ。

だが、私は読み進めながら、フラストレーションがたまるのを感じた。確かに翻訳者は優秀だ。著者が回りくどく語数を費やしている部分を、ズバリ一言で置き換えてしまう。それが誤訳かと言われれば、そうではない。原文の意味に相当するところをうまくすくい上げている。けれど、私にはどうにも納得できない。どうしても引っかかるところは、修正を依頼した。もう長い付き合いになる翻訳者は、ちょっとびっくりしたようだった。明らかに優れた品質の英文を書いているのに、それに対して、どう見ても改悪を要請するコメントがつく。今回に限ってなんで?と思ったのではなかろうか。

それは、私が原文のわかりにくさ、まだるっこしさのなかに、そう書かざるを得ない著者の気持ちを汲み取ってしまったからだ。たとえば、日本語で書かれた文章は、英語の文章に比べて断定を避ける傾向がみられる。多くの場合これは著者が断定的な判断をしていないのではなく、単純に修辞上そうしているに過ぎない。だから英文に訳すときには「だろう」のような推定の助詞はあえて無視する。そのほうが著者の真意が伝わる。ところが今回に関しては、どうも、著者自身が迷い続けているように見えた。複雑な社会的事象として発生している研究対象に関して、ひとつのありうる解を提示しつつも、それが決して唯一の解でもなく最適解でもなく、いや、ひょっとしたらそもそも解決など無理ではないのかとさえ感じているように、私には思えた。そういった著者自身の心のゆらぎを、「これは日本語の特性と英語の特性のちがいだから」と一刀両断にするのは、やはりどこかちがうのではなかろうかと感じた。

だからといって、読みにくい直訳調の英文がいいかといえば、それはとんでもない。文章は読まれてこそのものだし、読んで意味のわからない文章は書いてはならない。英語として論旨が一貫することは、何よりも重要だ。だが、そこで抜け落ちてしまう著者自身の抱え込んだ「わかりにくさ、すっきりしない感覚」を、どう伝えるのか。若いころの私なら鼻もひっかけなかったようなことに、ずいぶんと苦しめられた(それにつきあわされた翻訳者もいい迷惑だったろうとは思うのだけれど)。

わかりいくいこと、こみいったこと、迷いをかかえたことを、そのままの状態で人に伝えることは極度に難しい。頭の中に去来するよしなしごとをそのままに文字に起こされても、読者は疲弊するばかりだ。たとえば、こんなしがないブログを書くときでさえ、文章を書くときには情報の整理をする。そして、ややこしいこと、混乱しそうなこと、文脈を乱すようなことは、意図的にそこから除外する。ひとつ前のエントリも、そんなふうにして書いた。

mazmot.hatenablog.com

病床の父親の脇では、いろんなことを考える。昨年末は上記の翻訳チェックの仕事の(そのほか、私自身が翻訳しなければならない英文和訳の仕事とかもあった)せいで、病人をほったらかして膝の上のパソコン画面ばかりみていることも多かった。それでも苦痛にうめけば中断せざるを得ないし、中断するとやっぱりいろいろ考える。父親のこともだけれど、自分のことも考える。自分が死ぬときはどうなのだろうとか、そんなことも思う。だが、前回記事ではそのあたりに触れることができなかった。

ひとつには、父親は父親、私は私という感覚が強いからだ。たとえば父親は医療に対しては相当な信頼感をもっているが、私はそうではない。それで元気でいられるのならサイボーグのようになってでも生きていたい(逆にそうでなければさっさと死にたい)というのが父親の感性だが、私はもっとずっとウェットだ。そういったちがいは終末医療への考え方のちがいにもなる。だが、そこを書き出すと無限にややこしくなる。

ひとつには、いくら考えても私には正解が見えてこないからだ。たとえばゴチャゴチャ言わずに70歳(あるいは80歳でも90歳でもいいが)人生定年制を採用してくれて、その年齢になったら有無を言わさず安楽死みたいな社会制度にでもなれば、どれほど気楽だろうと思うこともある。自分自身の終わり方としては、そういう先の予定がきっちり立つほうが嬉しい。けれど、そういう社会制度は多くの人々の合意を得られないだろう。また、「この人は価値ある人だから生かしてほしい」というような例外的要求が、必ず発生する。そういった例外を認めることは、すなわち人間を能力によって選別する思想であり、民主主義の根本原理とは相容れない。なにも民主主義が最終的な人類の社会形態とは思わないので将来のことまではわからないが、すくなくとも現在の視界に入っている範囲で、そのような選別思想を容認できるような原理を人類はまだ知らない。あるいは、安楽死制度はぜひ現実になってほしい(そしたら私は苦しむ前にさっさと逃げ出すつもりだ)けれど、じゃあそれが制度化されたときに、「おじいちゃん、そろそろ安楽死してよ」という社会的圧力が発生するのはほぼ確実だし、それが世の中のためになるとはとても思えない。さらに、安楽死を選択できるのはごく一部のラッキーな人々であって、意志の疎通が病によって阻害されてしまえば、それは不可能になる。つまり、公平性、平等性という観点から、安楽死制度は願えども実現しないのではなかろうか。

こういう惑いをそのまま書いたら、とても読める代物ではなくなる(上の段落だけでも辟易だろう)。こういう想念が、無数に私の頭の中を去来する。そういったものをいったんは捨て去らないと、意味ある文章は書けない。

それでも、たとえば経済的な話が出てくると、やっぱりそういうところにも触れておけばよかったかなと思ったりもする。たとえば、老人に対する医療費はどうせ遠からず死ぬ人間に対する無駄な投資である、という論があるが、これは一概にそうともいえないと思ったりもする。老人はまったく役立たずだろうか? 私の父親は、いくつかの面では私よりもスキルがあるし、知識もある。もしもそれだけのスキルと知識を備えた人間を一から養成しようとしたら、そのためには高額なコストがかかるだろう。それよりは、ある程度の医療費を投入しても、既存の資源を生かしたほうがいい場面だってあるのではなかろうか。

だが、そうなってくると、どの程度、投下した費用に見合ったリターンがあるのかという話になってくる。ところが医療は確率論でしかない。また、回復した高齢者に改めてその投下分に見合った社会貢献を求めるというのも、それはそれで筋違いな話に見えてくる。けれどこれはまったく同じことが若者に対する投資にもいえて、しょせんは遊んでばかりいて社会に貢献しないような若者に金を投下するのはドブに捨てるようなものではないかという話にもなる。けれど、そういった合目的論的な社会のつくり方は、現代民主主義と非常に折り合いのわるいものだ。人は好き勝手に生きていいのだし、そうやって好き勝手に生きることを保証することによって社会は進歩していくのだというのが、自由主義、資本主義の原理だ。であるのなら、そもそも医療を経済論で語ることは筋がよくないということにもなる。

だが、こういった話もやっぱり結論が出ない迷いに過ぎない。だから、書きたいという気持ちを抑えて、はずしておいて正解だったのだろう。それでも、たとえば現状に至るまでの細かい経緯は、もうちょっと書き込んでもよかったのかもしれない。

たとえば、心臓の手術に踏み切るかどうかの決断に関して、それが現状につながるターニングポイントだったことは間違いない。ただ、この手術の結果が現状につながったというのは後知恵で振り返っているからいえることであって、むしろあの時点では延命治療を避けるためのベストの選択と本人が判断していたものだ。どういうことかといえば、手術をしないということは、現状維持であり、それはすなわち、退院もできず、死ぬのを病院のベッドで待つだけ、しかもそれが何年続くかわからない状態に置かれることになる。それよりは手術の大勝負に出て、うまくいけば一気に回復して退院、そうでなければ手術失敗ですぐに死ぬ、ぐらいの覚悟だったようだ。ところが案に相違して、どちらにもならなかった。この読み違いをいちばん悔しがっているのは父親本人だろう。

そして、点滴での栄養補給に至る経緯も、なし崩しだった。つまり、緊急の手術(その直前の状態の悪化)に対処するため血管に経路を確保する必要が先行してあり、そして、そのついでに「食事もとれていないし、とりあえず栄養をこっから入れます」的にはじまったことだった。そして、それは手術後に回復したら外れるはずが、大きな回復はせず、かといって危篤状態になるわけでもないなかで、「外せないよねえ」というかたちで残ってしまったものだ。だから、「延命治療をしますか?」的な判断を求められたことは一回もなく、ただただ流れのなかでこうなってしまった、というのが正確なところだ。

だが、これでもたぶん、本当は正確ではない。事実の再現にこだわっていけば、無限に文章は長くなっていく。やはり、こういうところも端折るには端折るだけの理由があったわけだ。

そして、たとえ延命治療をするかどうかの判断を求められるような場面があったとしても、私はその責任者にはなりえない。本人の意識がしっかりしている以上、決めるのは本人でしかないし、もしも本人の意志の確認がとれなくなっても最初に決めるのは父親の妻である私の母親だし、その次には長男である兄だろう。私のところまでお鉢が回ってくるのはだいぶ遠い。だが、こういうこともまた、書きはじめたらキリのない話になる。母親には母親の生死観があるし、兄には兄のものがある。そういったことに触れはじめたら、長編小説並みの長さになっても物語は終わらない。

結局のところ、こみいった話は、整理しなければ文章にはならない。何かを伝える力にはなりえない。文字はコミュニケーションのツールであり、情報を伝達しなければ、それはミミズののたくった痕以上に存在する意味をもたない。そのためにはどんどん捨てていかなければいけないし、捨て去ったところに未練をもってはいけない。けれど、それでも読みにくい文章を読んだとき、その行間に著者の苦悩を感じたとき、いったい私たちはどうすればいいんだろうか。

 

そっ閉じが、いちばんかもしれない。