イラストが本文化していく時代

ブコメはてなブックマークにつけたコメント)の補足を書いておこう。もともとの話題はこちら。

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これももともとのTweet(といまは言わんのか)をまとめたもので、さらにそれにブコメつけるというやたらと階層のめんどくさい構造になってるのだけれど、それはともかく。スタートのポストはまともなことを言ってて、

当時は小説におけるイラストというものが惰性的というか、かなり軽んじられていたことが窺える 

と、なんかニュアンスはあれとして、事実関係はそのとおりと思う。ところがそれにぶら下がるポスト群が、なんだか現代の文脈で当時を解釈していて、なかには「それはあり得んだろ」という解釈をとくとくと語っていてそれに賛同者が出てくるみたいな奇妙なものもあった。そこで、ブコメを書いたら割と星がついたので、「じゃ、補足しておこう」と思った。

映画化された小説『セーラー服と機関銃』の表紙がセーラー服ではなく、ブレザーを着ていて、当時は小説におけるイラストというものが惰性的というか、かなり軽んじられていたことが窺える話

なんかすべて現代の基準で物事を語ってて、ああ昭和は遠くなりにけりと思った。絵と本文が矛盾するとか、むかしはそんなこと誰も気にしてなかったよと。何ならあの時代の単行本を10冊ぐらい並べてみたらいい

2024/04/27 12:07

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で、「単行本を10冊ぐらい並べてみたらいい」と書いたんだけど、思い立ってデスクのすぐ脇にある本棚からひと並びの10冊抜き出して写真に撮った。ただし、昭和の頃に中高生だった私が買った「単行本」は実際にはほとんどが軍事関係のオタク本ばっかりなのでそれは参考にならんだろうと、当時買った文庫本を広げた。ここ、自分の言ったことと齟齬が生じてるので一応の言い訳。まあ、もとの文脈からいえば文庫本のほうがいいかもしれない。

見事に本文と「なんか違う」みたいなのばかりになったが、恣意的に選んだのではない。もちろん、少しは選んだが、それは本文との整合性とかいう視点ではなく、同じ作者ばっかりにならないようにとか、文字だけでレイアウトされているのははじくとか、そういうことだから。なので、ふつうこのぐらいには表紙絵と本文は違うんだという見本にはなると思う。

 

左上から見ていこう。「船乗りクプクプの冒険」は、私がごく初期に買った本だった。そして、この表紙絵には面食らった。というのは、小学生の頃に読んだ本は挿絵入りの子ども向けのものがほとんどであり、そして挿絵は(多くの場合は)本文との整合性が意識されていて、そして表紙絵もその挿絵と矛盾ないようになっていた(表紙絵は画家が別になる場合もあったけれど)。だから、表紙に描かれている絵は本文の内容を表すものだと思い込んでいた。そして、この水色は海を表すのだろうか、茶色は島を表すのだろうか、みたいに悩むことになった。それが、北杜夫の同じ新潮文庫の本をもう1冊買って、「なあんだ」と拍子抜けした。全く別内容の本に同じ表紙絵が使われていたのだ。つまり、これには「新潮文庫北杜夫のシリーズはこの絵でいきますよ」という以上の意味はなく、本文とは全く無関係に「デザイン」(20世紀日本の文脈での用法)として用いられていただけだったわけだ。中学生になったばかりの私にそれが理解できるまでだいぶ時間がかかった。

宮沢賢治の童話集の表紙は、明らかに「銀河鉄道の夜」をモチーフにしている。だが、このお話を読んだことがある人なら、この表紙は本文の内容とほぼ無関係だと思うことだろう。そうではなく、「銀河」というキーワードと「少年が登場する」というプロットだけから画家が自由にイメージを広げたものだと思ったほうがすんなりくる。表紙絵とはそういうものだというのが当時の常識だったのだろう。

「ようこそ地球さん」は星新一ショートショート集で、単一の作品ではない。だから当然、本文の内容とは無関係に、SF的な世界を表現した絵にならざるを得ない。ただ、上記のように小学生向けの本に慣れ親しんでいた私は、「この絵はどのお話の絵なんだろうな」と何度も見返していた。結局結論は出ず、最終的には「表紙絵なんてそんなもんなんだ」と何年かかかってようやく納得したように覚えている。

長靴をはいた猫」は、確かに猫が主人公だから(いや三男なのか?)猫が表紙で本文とあっているといえなくはない。けれど、だいぶイメージが違う。私はこの猫、嫌いだったなあ。

動物農場」も豚の出てくる話だから豚が表紙で内容は本文とあっているといえる。でも、そうなのか? やっぱりこれは違うぞと思うのだけれど、当時の本の表紙なんて、読者の納得感とかはどうでもよかったといえるんじゃなかろうか。

「怪傑黒頭巾」はもう内容をあんまり覚えてないのだけれど、確か二刀流ではなかったと思う。これは脇差というよりも太刀を2本差してないか? 背景も江戸城の城内にしてはやたらと鬱蒼としている。

「バクの飼い主めざして」はエッセイであり、バクは登場しない。

いつか猫になる日まで」は新井素子の数々の作品の中でも出色のものだと思うのだけれど、決して主人公が猫に変身する話ではない。この表紙を見たら誰だってそう思うんじゃなかろうか。

「オヨヨ島の冒険」は、どう見てもこの2人、本文に登場する人物と同じとは思えない。爺さん、こんなに鍛えてないだろう。「あたし」は体操服着てないと思うぞ。

あなたにここにいて欲しい」は、作品の舞台になる秋吉台を描いているし、中心人物である2人の女性も描かれているのである意味、これこそ本文にピッタリ合わせて描かれているともいえるのかもしれない。でも虹は出てないぞ、とか本文と違うツッコミを始めたらそれはいくらでもできるだろう。

 

結局のところ、昭和の時代には表紙絵はある程度本文と独立して扱われていた。ちなみに、「適当な既存の絵を探してきたんだろう」みたいな話は、ある部分は正しく、ある部分は噴飯ものでもある。ここに例示した10冊の本のカバー絵は、おそらくほとんどが作品に合わせて依頼・作成されたものだ。例外は「船乗りクプクプの冒険」の絵で、これは串田孫一のクレジットがあるから既存の絵を編集者が気に入ってカバーに採用したのだろう。このように、本文と全く無関係に「この絵はすばらしいから」みたいな理由でカバーに採用されることがむかしにはけっこうあった。その一方で、「本文にあうようなイラストがないかな」みたいに既存の絵を探して持ってくる、みたいなことはほぼなかった。なぜかといえば単純な話で、そんなライブラリが存在しなかったからだ。1970年代も半ばをすぎると有償で提供するフォトライブラリみたいなのが生まれていったが、それはあくまで写真素材であって、イラストを登録してあるライブラリはたぶんなかった。いまみたいに画像検索したら何でも出てくる時代じゃない。だから、「そこらに転がってる既存の絵」なんてのがそもそもあり得ない前提であるわけだ。

 

こういう発想の変化は、「なぜ表紙絵が本文と半ば独立していたのか」という方向でしか現代の人々には考えられないのだろうけれど、逆に、私は「なぜ本文と合わない表紙絵に違和感があるんだろう」というふうに感じる。ここで最初の「『セーラー服と機関銃』の表紙絵がセーラー服ではなくブレザーだ」という話に戻るのだけれど、昭和の感覚だとこのぐらい本文と離れているのは(少なくとも読者にとっては)ふつうの体験だった。ところが現代はそうではない。

いや、昭和の頃でも、小学生にとっては大きな違和感があった。ここに問題を解く鍵がある。なぜ小学生だった私が本文無関係の表紙絵に違和感を感じたかといえば、それは小学生向けの本は基本的に本文と挿絵が一体化していたからだ。そしてラノベ以降の現代の作品では、本文とイラストはひとつのものとして作品世界を作る。それが常識化してしまったがために、この程度のことで違和感を覚えるように読者の側が進化してしまった。

 

それがいいとかわるいとかいうのではなく、ああ、時代は変わるのだな、ということだ。セーラー服とブレザーの違いは、それが「女子高生を表象している」という意味において昭和の時代には何ら問題なく同一のアイコンでありえたが、現代ではそうではない。そこまで描きこむことが十分に合理的な時代なのだ。そして時代の変化に取り残されていく老兵は、ただ去るのみ。いや、そういうのが居心地良く過ごせる場所もあって、たとえばはてブとか…

ああ、やだやだ

 

 

 

「ディスレクシア」(マーガレット・J・スノウリング)を読んだ

本をもらったので、昨日、一気に読んだ。もっとも、200ページほどの本だから、それほどたいへんな話ではない。

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「もらったから読んだ」というのは身も蓋もない事実で、けっして興味があったわけではない。とはいえ、私の仕事にまったく無関係かというとそうでもない。というのは、(言語圏によって発生率は異なるようだが)ディスレクシアはそこらの公立小中学校でも各学年に1人か2人いるのがふつうなぐらいにありふれた障害であるからだ。そういった障害が学校でうまくサポートされず、家庭教師にヘルプを求めてくるケースは十分に想定される。家庭教師商売をやっている以上、無関係とはいえない。

無関係ではないが実際には、10年を超える家庭教師としてのキャリアで毎年十数人からときにはそれ以上の生徒を教えてきているにもかかわらず、私はいまだにディスレクシアの範疇に入りそうな生徒にあたったことがない。同僚の講師の中にはディスレクシアの疑いがある生徒を担当した人はいるのだけれど、最終的にそれは他の学習障害だろうという結論に達したと先日聞いた。なので、どういうわけだか、私の周囲には実例はない。それでもまあ、いつそういう話がくるかわからないので、知っておくにこしたことはない。

ただ、それでは興味が続かない。途中で投げ出してしまうだろう。読み通せたのは、ディスレクシアについて語ることで、この本が「言葉ってどういうものなんだろう」という問いに思わぬ方向から答えてくれるからだ。私たちは、「言葉は自然に覚えるもの」として扱う。小学校の国語の授業の成り立ちを見ていると、そういうふうに思える。一方で、小中学校での英語教育の内容を見ていると、「言葉は理屈で理解するもの」として扱われているように思える。だが、実際はどちらでもない。「自然に」のなかには、けっこう複雑なメカニズムがある。そのメカニズムは、「理屈での理解」ともやや異なっている。何らかの法則性を把握することによって言葉という暗号の解読が実行可能になっていくのだけれど、それは論理というよりはもっと肌身に沿ったもののような気がする。多数派の人々とは同じように言葉の理解が進まないディスレクシアな人々の分析を通じて、このあたりの「ちょっとちがうんだけどなあ」という感覚が腑に落ちる場所に整理されていくような気がした。

その一方、ディスレクシアは遺伝的な要因が発現する形質であると断定されているのには驚いた。驚くと同時に、それが納得できる形で展開されているのに感心した。遺伝子が支配するタンパク質は、実は単独で目に見える結果を生むものではない。それは他の遺伝子からもたらされる他のタンパク質との共同の中で何らかの作用を引き起こす。そしてそういう遺伝子の発現は、環境要因によってトリガーが引かれる。それらの働きが連鎖的、累積的に行われて、ようやく障害のごく一部の要因が動き始める。だから、たとえ遺伝的な要因を根本に持つものだとしても、結局はそれが絡み合ってディスレクシアという障害となって現れるまでには個体を取り巻く環境、さらにはその成長の歴史、ときには偶然や運・不運のような要因までが関係してくる。同じ遺伝的素質を持っていても、それがディスレクシアという障害として発現しない場合だってある。程度も異なれば、困難の意味や位置づけも異なる。遺伝子なんてことを持ち出すとまるでそれですべてが決定されるような印象を受けるが、実際に起こることは多様であり、スペクトラムとして展開する。そういった多様性は生物が獲得してきた強みであって、忌避すべきものではない。なすべきことは、その多様な特性が障害として個人の「生きること」を阻んでいかないように手を打つことである。そういった立場を強く感じた。

書いてある内容を読んで素人なりに私はこんなふうに感じたわけだが、一方、書かれていないことに関しても、いろいろと思うことはあった。たとえば、言語に関するあるタスクを実行すると脳のある領域が活性化する、みたいなことが実験から実証されているのだそうだが、「はたして人間は身体(脳)をそこまで同じように使うのだろうか?」という疑問が生まれた。たとえば、同じタスクを同じ道具を与えてやらせてみても、(正しいやり方みたいなのを指導しない限りは)人間は百人百様の身体の使い方をする。彫刻刀なんか持たせたら、確かに手を使うというところまでは同じなのだけれど力の加え方とか刃の当て方とか、同じではない。もちろんそこは指導によってある程度の型にはめていくことはできるのだけれど、それは身体の動きが外側から見えているから可能になる。動きが見えない脳の働きなんて、しょせんはすべてが我流ではないのだろうか。ある人が左頭頂側頭部を使って単語分析を行っているとしても、他の人が別の領野を使っている可能性は否定できないのではないだろうか。だが、実験結果はそうではないようだ。ということは、脳の領域は運動器官でいえば手や足のような特定の運動を分担する器官に相当するのだろうか。けれど、たとえば足の不自由な人が腕力でもってある程度の運動能力を確保するように、代償的な脳の使い方というのもまた可能なのではなかろうか。そんなふうに、空想はどんどん広がっていった。

 

結局のところ、私はこの本をディスレクシアを理解するために読んだのではないのだろう。むしろ、そういったスペクトラムの範疇に入らない人々、つまり自分が日々に接する生徒たちのことを思い浮かべながら読んだ。特に、外国語として英語を学びはじめる中学生の学習の進め方をディスレクシア支援の方法と突き合わせながら読んでいた。というのも、この本はイギリスの事情を前提に書かれてあり、(ときどき対照として中国語などの別体系の言語に関して触れられることがあっても)基本的に英語に特有な困難がそこに関わってくるからだ。おもしろいのは、フォニックスがイギリスで英語教育に全面的に取り入れられたのはそれほど古い話ではないということが書いてあったことだ。これは日本でフォニックスが注目されるようになった流れなんかを思えば、なかなかに興味深いことである。

監訳者はこの本の読者を「研究者や学生も含まれる」と想定しているようだ。確かにそういった人々が読んで有益なものではあるだろう。けれど、もともとの建付けはあくまで入門書のシリーズの1冊だ。だから、途中、唐突に「魚油とサプリメント」みたいな項目が出てくる。概ね、「いや、影響が皆無とはいいませんけど、直接に改善に役に立つかと言われたらそんなエビデンスはありませんし、まあ、おすすめはしませんねえ」程度の言及なのだが、研究者相手ならあえてそんなことは書かないだろう。だからこれは、ディスレクシアに悩む当事者の家族や支援者に向けて「ディスレクシアってこういうものですよ」と伝えるための本であるにちがいない。そして、それを具体化するための工夫もされている。一貫して3人の当事者の事例を参照し続けていることなどはその最たるものだろう。だが、残念なのは、翻訳においてそれが十分に活かされ得ないことだ。やはり日本の当事者家族や支援者には、日本の事例、日本語に特有の研究こそが役に立つ。そういう意味で、翻訳であることそのものに限界がある。私が言うべきことではないのだとは思うが、この翻訳を出発点として、日本語版の類書が編まれることを期待したい。

中学受験は子どもの成長に寄与するのか

逆境は人を成長させる?

「中学受験は子どもの成長に寄与するのか」という大仰なタイトルにいきなり答える形でいうならば、「それは場合による」。さらに言うならば、たいていの場合は寄与する。ただしそれは、人間というものがそういうものだからだ。人間は、どんなバカバカしい状況にあっても、それを成長の糧とすることができる。逆境にあればあるほど成長するとさえいえる。たとえば、戦争は大きく人間性を蝕むものだが、ときにそのなかで人間を大きく成長させる場合もある。だから、いきなりで申し訳ないが、このタイトルの問いは立て方をまちがっている。いや、そりゃ、何らかの寄与はあるでしょうと。

ただ、それでもあえて、ときにこういう自問をしてしまうのは、多くの中学受験生の親に見られる言説を聞くシーズンに入ってきたからだ。家庭教師にとって、この季節はそれまで抱えていた受験生(私の場合は中学受験生と大学受験生が今年は合計8人いた)の手が離れ、次の年度の生徒が入れ替わるように入ってくるときだ。そういうときに受験生の親と話すと、(あくまで感覚だが)半分くらいの親は「別にいい学校に入ってもらいたいとか、そういうことじゃないんですよ。もちろん、志望校に合格したら嬉しいですけどね。けど、失敗したっていいんです。目標に向かってがんばることで、勉強に取り組む姿勢が身につくじゃないですか。それが子どもを成長させてくれると期待してるんですよ」みたいなことを言う。ニュアンスはそれぞれだいぶとちがっていて、「がんばること」に力点がある人や「頭が良くなる」ことに力点がある人や、そこはさまざまだ。ただ、「受験勉強には合格以上の価値がある」と考えている人が多いことに驚いてしまう。そして、そこはきちんと正しいことを伝えなければならないと思う。

カリキュラムの組み立てからいえば中受の勉強は異端

受験勉強に、「合格するための点取りゲーム」以上の価値はない。「いや、さすがにそれは言いすぎだろう」という反論はすぐに予想できる。たとえば、中学受験を目指して塾に通った生徒は、明らかに計算が上手だし、漢字もよく知っている。図形の扱いにも慣れているし、慣用句にも通じている。さまざまな知識・技能を身につけていることは、その生徒にとってプラスではないのか。たしかにそれはそうだろう。けれど、これに対しては、私はいくつかの点で再反論できる。

まず1つは、そもそも中学受験で極める高度な知識のほとんどは中学・高校の学習内容に接続しないという事実だ。カリキュラム上、これはウソでもなんでもない。たとえば鶴亀算の解法は、中学に入ったら役に立たない。なぜならまったく同じ問題を連立方程式を使ってはるかに容易に解くことができるからだ。あれほどエレガントな解法を身につけた図形問題は、高校にいけば多少無骨でも三角比を用いてより一般的に解決できるようになる。虚構新聞ではないが、いくら入試向けの高度な知識を獲得しても、それは先に行けばほとんど役に立たない。多くの父母が中学受験生の子どもが使っている問題集を見て「私の頃はこんなことは習わなかった」と焦るのは、実際にそれが教育カリキュラムの中で不要だからであり、なんなら(特に自分自身が中学受験を経験したような人の場合は)使わない知識としてすっかり忘れてしまって、そして何不自由を感じなかったからでもあるだろう。

もちろん、計算を正確に実行することのようないくつかの技能、漢字や熟語・慣用句などのある種の知識のように、中学・高校の学習カリキュラムに直接接続するものがないわけではない。だが、ここで2つ目の反論ができる。それらの基礎的なコンピテンシーは、実際には中学受験準備のような「いかにしてテストの点数をあげるか」で勝負が決まるような状況下でなくとも十分に学習できるし、なんならそういった状況がないほうがしっかり学べるという事実だ。これに対しては「目標がなければ勉強なんかできないでしょう」という反論がくることが予想されるのだけれど、それはそういうやり方しか知らない学習塾みたいなとこが言ってるだけだ。そんなプレッシャーがなくても成長期の若い人はいくらでも新しい知識を受け入れていくのだし、適切なマイルストーンを置くことで訓練的な部分にもよく耐える。学習産業は「◯◯中学合格!」みたいなわかりやすい実績がないと客が呼べないから、そういうプレッシャーを与えることに意味を見出す。けれど、それは商売の都合でしかない。このあたり、詳しく書くと長くなるので端折るのだけれど、「効率的な点のとり方」は、必ずしも「基礎として役に立つ技能・知識」と同じではない。

3つ目に、(これは1つ目に書いたことと関連するのだけれど)中学受験の準備で詰め込もうとする知識の中には、子どもの発達段階から考えて明らかに不適切であると思われるようなものがふくまれていることだ。いや、確かに子どもだからといって知識に制限を設けてはならないし、どんな高度なことでも柔軟な頭で掴み取ったほうが先々に大きな果実を付けるケースだってある。だとしても、学問で扱う多くの概念は積み上げの上にある。積み上げるうえで無視できないのは、人間の頭の成長だ。物理的な肉体としての脳はどうやら9〜10歳ごろに大きな変容を遂げるようで、それ以前の「勉強」は、以後の基礎としてはあんまり役に立たない。だから多くの中学受験は小学4年生か5年生からスタートするわけで、さすがにここを通り越して1年生や2年生からの入塾を勧めるところは信用しないほうがいい。ただ、この大変容ほどでないにせよ、やっぱり中学生の思考方法と小学生の思考方法はかなりちがう。まちがいなくそこには単純に時間を経過することによる成長が存在する。高校生ぐらいになると批判的な思考が強まってくるから、やっぱり成長というものはある。これは、長いこと同じ生徒を教えていると特によくわかる。(家庭教師の特権だと思うが)小学生から高校生までずっと見ていると、その人の個性は基本的に変わらないのに、頭の使い方がまるで異なっていることに驚かされる。人間にそういう変化が起こるのが前提でカリキュラムが組まれているときに、当人のニーズとはまったく別の「合格のために必要だから」という理由で先取りを行うことにどれほどの意味があるのだろうか。

このことを別な言葉で言い換えれば、「早いうちから仕込んでおいたほうが有利だ」という考え方そのものがおかしいということでもある。確かに肉体的な技能、たとえばバレエだとかピアノだとか、そういうものは小さいうちから身につけたほうが圧倒的に有利であり、大人になってからスタートしたのでは絶対にムリな地平があるというのはよく知られた事実だ。大リーグボールを投げたければ小学生のうちから養成ギプスが必要になるのかもしれない。けれど、学問ということに関しては、そういった「早くからスタートしたほうが有利だ」という事実はまったくない。古くはルソーの「エミール」でも指摘されている。人間には抽象的な概念を受け入れるための肉体的な発達段階というものがある。適切な時期に適切な学習行動をとれば、早期に出発した生徒の達成度を易々と超えていくのが人間だ。そういう観点からみると、中学受験で生徒に教え込まれる知識、特に理科・社会の知識は、「ちょっとそこまで小学生に求めるのは焦り過ぎじゃないの」と思えてしまう。

精神論は時代錯誤

学習内容だけ考えたら、中学受験のための勉強にあまり意味はない。それを納得してもらっても、それでもなお、「いや、それでもそうやって受験に挑むことでがんばる姿勢が身につくはずだ」とか、「毎日勉強しなければならない環境におけば勉強する習慣ができるでしょう」と考えて、中学受験を決断するご両親もいる。だが、「がんばること」や「学習習慣」に過剰な意味を見出すことには、それ自体の危うさがある。

まず、「がんばること」のような精神論が重視された昭和という時代を考えてみよう。そういう時代の組織のあり方は垂直的であり、集権的であった。つまり、いったん「上」で方針が決まったら、末端の駒はその命令に従ってその遂行にのみ全力を注ぐべきであった。たとえそれが辛かろうが、誤っていようが、無意味であろうが、上が決めたことを黙々と実行すれば、必ずその報いが得られた。それが「がんばり」を称揚する意識を生み出した。けれど、これは現代、そして何よりも子どもたちが生きていく未来にあてはまるだろうか。この時代、そしてここから先はますます、組織は所属する個人を守ってくれない。なぜなら、適切な判断を行うだけの能力が個人に備わっていることが前提になった高コンピテンシー社会だからだ。上司の命令で公共の植栽に除草剤を撒いても、やっぱり実行犯は器物損壊に問われるだろう。それが犯罪行為だぐらいはあたりまえにわかるからだ。だから、むかしのように、「自分がやるべきことをがんばってさえいればそれでいいのだ」という生き方はもうできなくなる。社会がそれを歓迎しなくなる。そして、自分自身が好き好んでやること、自分の利得になると思うことに対しては、それは精神論なんかなくても人間はどこまでも熱心にやるのだから、そもそも「がんばり」の精神なんて必要はない。「がんばること」は、他者の評価を前提にした依存体質そのものであるともいえるだろう。そんなものを子どもに植え付けて、どうするんだと思う。

「学習習慣」だってそうだ。人間は、習慣で学ぶのではない。本性として、人間は学ぶ存在である。邪魔さえしなければ人間は自主的に学んでいくものだ。あるいは邪魔になるものを取り除いてやりさえすれば、自ら学ぶ。小学生の親は自分の子どもを見て「この子は怠けてばかりで勉強しない」と思うだろうが、それは親が「勉強」だと思っている類の行動を子どもが示していないだけで、子どもは(もしも阻害する要因がなければ)必要なだけのことはしっかり学んでいる。何のために学校で毎日何時間も座っていると思っているのだろう。まあ、教師の中には子どもたちのニーズに十分に応えられずに自らが阻害要因になってしまっている人もいないわけではない。しかし、多くの教員の質は、外野で思っているほどはひどくはない。ともかくも、そんなときに「学習習慣がないとできない」と親が思うような行動、たとえばドリルを毎日何ページもやるとか書き取り練習を欠かさないとかは、本来、その子どもにとって不要なことである場合がほとんどだ。やらねばならないときがくれば(何度も繰り返すが阻害する要因がなければ)、子どもは自分からやる*1。人間は、そもそも必要があるから物事を実行するのであって、習慣だからといって物事を実行するのではない。必要かどうかは、自分でわかる。子どもを馬鹿にしてはいけない。むしろ、習慣で物事を実行することが習い性となれば、それは害悪だろう。仕事をやっていて本当に困るのは、それが必要かどうかを判断もせず、ただ「いつもやってるから」と仕事に割り込んでくる人々だ。あるいは、必要な行動があるときに「習慣」から抜け出せない人々だ。そういう人々を再生産するのが「学習習慣」であるとさえいえるのではないだろうか。

「無意味だけれどがんばったからエラい」「効果はなくても習慣になればそれは尊い」みたいな心性は、およそ人をどこにも連れて行かない。私は決して結果主義に傾倒するつもりはないのだけれど、それでも「がんばること」「毎日続けること」そのものには、いくら考えても価値は見いだせない。特に、それが学習や成長という観点から見て、けっしてプラスにならないことがわかっているときに、それを評価する気には到底なれない。

マイナス面も多い

袋小路に向かう「勉強」は、ときには素直な成長の阻害要因となる。その最大の要因は、単純にそれが時間とエネルギーを奪うからだ。もっとやるべきことが他にある成長期の人々を机の前に縛り付けることのマイナスは、いまさら論を重ねなくても十分に明らかだろう。実際、アメリカ合衆国では、1950年代のスプートニク・ショック以前、あるいは1980年代の日本製半導体の躍進まで、そういう理由で宿題を禁止する条例が各地にあったと聞く(文献あたってません。すいません)。子どもは外で走り回らせておいたほうが成長に好影響を及ぼすというのは、根拠はなくとも長年の間に多くの人々がそう認識してきた常識のひとつだろう。

さらに細かいことをいえば、受験勉強の中心を占める大問単位、ときには小問単位の練習が、せっかくの教材をだいなしにしているという事実がある。たとえば悪名高い「妹が出発して5分後にお姉さんが追いかけ…」みたいな算数の問題があるとしよう。これもまた、どうせ中学に入ったら連立方程式でササッと解ける問題なのだからカリキュラムの組み立てからいえば無意味ではあるのだけれど、ただ、これを小学生の手持ちの知識と技能で考えさせることは、頭の体操としては悪くない。タイミングさえ合えば、こういうのが子どもの成長に寄与する場面も、そりゃあるだろう。だが、受験勉強では、なかなかそうはいかない。なぜなら、問題単位で思考がぶった切られるからだ。

たとえば、「なるほど、妹の速さとお姉さんの速さがわかってたらうまく解けるのか。じゃあ、たとえばお姉さんが1時間後に出発したらどうなるんだろう。あ、追いつく前に駅に着いちゃうな。お姉さんの速さがわからないとしたら、どうだろう。いや、解けっこないか。でも、もしも追いついた時刻がわかるなら…」みたいに、そこからどんどん空想を膨らませ、そして、その空想に対して論理で追いかけ、論理が世界のどこまでを支配できるのかを確認していくような展開は、実は興がのれば子どもは言われなくたってやる。自分でそういうふうに展開できない生徒でも、教師がそういった「おもしろさ」を引っ張り出してやれば、やはり同じように効果はあるだろう。だが、それがどう展開していくかはその場その場の流れによる。ジャズのセッションが同じ曲をやっても実は毎回異なっているように、そのときの空気感によって展開は2つとして同じではない。だが、中学受験をゴールに指導していると、そんな自由な展開、ときにはまったく見当違いの方向への展開(たとえば「お姉さんとケンカしてたら?」みたいな発想)に費やす一見してのムダ(だがそれがどれほど貴重なことか!)な時間をかける余裕がなくなる。よって、「まずは距離がわかっているときの追いつき、次に出発点からの時間経過と速さから2者の距離を求めさせるタイプ、次に向かい合わせのすれ違い…」みたいな誘導順序をこちらで立てて無理矢理にもそこに当てはめていくことになる。そこにうまくノッてこれる生徒ならいい。おもしろみは減るが(その分だけ成長への寄与は少ないが)、それでも生徒の論理的な思考の成長に寄与することはできるだろう。だが、そういう展開とはまったく別な方向へ展開する指向をもっている生徒になると、この指導は空回りする。下手をすると、単なる苦行になり、もっと悪い場合には「暗記しなければならない教条」となる。そこに意味を見出さないでひたすら暗記する知識が何らかの成長に寄与するだろうか。私はそうは思わない。だが、受験勉強の要請は、「いったんこのタイプの問題が解けたら次のタイプの問題へ」と、問題単位に分割され、統合されている。そもそも本番入試の設定がそうなっているのだ。その対策である以上、ひとつのことから連鎖的にどんどん踏み込んでいくような学習はそぐわない。

特に国語の問題を子どもに解説しているときに、そういうことを強く感じる。典型的な国語の出題は、論説なり文芸作品なりの数ページを抜粋して掲載し、その読解を問うものとなっている。その元ネタになった文章はけっこうおもしろいものが多く、ときには出題者の深い見識を感じさせるものであったりもする。ただ、それはほんの数ページ、時にはわずか数段落の抜粋で終わってしまう。ちょっと待てよ、ここからが本番じゃないかというところで終わる。ときにはたまたま私自身がその作品を知っていたりする場合もある。そういうときには、「この前のパートがよかったのに」とか、「ここの話はあそこの話と結びついてるんだよなあ」とか、言いたくてうずうずする。けれど、「次の文を読んで問いに答えなさい」という設定のものとでは、そういった感情や情報は一切が余分なものとなる。提示された文によってのみしか、問題は成り立たない。それが約束事だ。なんともったいないことではないか。ここから世界が広がる可能性があるというのに、その枠を超えてはならない。もちろん、「問題を解く」という枠組みを離れれば、そういう制約はなくなる。けれど、問題集の文がおもしろかったから大元の作品を図書館で探して読んだ、みたいな殊勝な生徒には、いまだかつてお目にかかったことがない。たまには私の方から、「この作家の作品はおもしろいから読んだらいいよ」みたいにアドバイスすることさえあるというのに、実際に読んでくれた生徒はいない。なぜなら、受験勉強に時間を奪われている生徒にとって、それは不可能だからだ。このようにして、せっかくの含蓄のある文に触れても、それが断片以上のなにものももたらさないことに慣れてしまう。それが習い性となってしまえば、文章とはそういうものであるとさえ錯覚するのではないか。これは先々、大人になっていく道程で大きな損失になるだろう。

受験勉強に夢は見ないこと

それでも私は、中学受験を完全に否定するつもりはない。大局的・長期的に見ればああいうものは社会にとって大きな損失だぐらいには思うが、局所的・短期的にみるならば、そうとも言い切れない。まず、私立中高一貫校のような通常の公立中学・高校ではできない教育をする場が存在することそのものはいいことだと思うし、そういった学校が独自に入学者を選抜することも許されるべきだと思う。その手法が伝統芸能的な現在の入試である現実はあまりにもバカバカしいとは思うが、そこに頼ってしまう学校側の事情もわからないではない。そして、そういう学校を目指す生徒やそれを良しとする親がいてもかまわないと思うし、そのために入試で点数をとらねばならないのなら点取りゲームのこなし方ぐらい指導してもかまわないとも思う。

ただし、それはこの状況を正しく認識した上でのことだ。現状の中学受験はいびつなことになっている。だから、特定の中学に進学することが目的であるならば、その目的のために最小のエネルギーを費やすだけで済むようにすべきだ。中学受験生を持ったときに、志望校がはっきりしている生徒はこの点、やりやすい。なぜなら、獲得目標がはっきりしていれば、最も効率的な戦略が立てられるからだ。だが、世の中には、「本当は◯◯中学校に行けたらいいと思うんですけど、ムリだったら△△中学校でも。けど、もしも成績が上がったら、もっと上の◇◇中学校もいいと思うんですよ」みたいに、まるで八百屋で大根でも買うみたいに「あっちが安いから、こっちは高いから」みたいな感覚で志望校に迷う親御さんもいる。そういうもんじゃないだろう。どこでもいいんなら公立に行っとけばいいのだ。そうではなく、「この学校に行きたい」というから、無意味でときには害悪でさえある受験勉強でも耐えてやることになるわけだ。それだけの覚悟はしてほしいと思う。

マクロで見たら害悪でも、ミクロで見たら最善手であるような行動は、確かに世のなかにある。その最善手を個人として選択することを、人間は否定してはならない。妙な道徳やら倫理観を持ち出すことは誤りだ。そういったものが結局は自己矛盾に陥る図式を人間は何度も見てきた。中学受験は問題だらけだが、もしも1人の小学生の親となったときには、「やはりこの子にはあの学校に行ってほしい」と思うこともあるだろう。それはひとつの合理的な選択だし、私の商売はそういう選択を支えることである。ただ、勘違いはやめてほしい。受験勉強そのものには、何ら価値はない。唯一の価値は、それが合格につながるということだけだ。「合格しなくてもいいんです。がんばることがこの子のためになるから」みたいな思い込みは捨ててほしい。それは事実ではない。「やらなくてすむならやらないほうがいいけれど、目的のためにはあえて我慢してやること」が受験勉強だ。まずはそれを真っ直ぐに見つめてほしい。

 

まあ、そんなことは言っても、こちらとしてはその受験勉強をできるだけ生徒の成長に役立つようにしてみたいと思うし、なんなら楽しくてワクワクするものに変えてみたいとも思っている。ただ、そんな芸当は、ほんとうにむずかしくて、なかなか現実のものにならない。そして、そんなヘボな指導のもとでも、生徒は実にたくましく成長していく。結局、どんな劣悪な条件のもとでも人間は成長するのだ。煉獄は、やがて魂を浄化していく……、のだろうか?

*1:たまたまだけど、こういうまとめ記事を見た。

togetter.com

どうやら、教師が阻害要因にならないように心がけるだけで、必要性を感じる場合にはちゃんと行動ができるのが人間のようだ。

若い頃の本棚の中身が出てきた

死んだ父親は営業職から早い退職をして以後の人生後半を自宅の片隅にしつらえた町工場で製袋加工を営んでいた(ちなみにこの工場はもともと母親の個人事業だったから、「どっちが社長か」というのは微妙だ)。しっかり稼いでいたのだけれど、マラソンを引退してしばらくして、事業の方からも引退をした。ただ、事業をすっかり畳むのではなく、従業員として有能だと目をつけた人に場所・機械とも引き継いだ。だから以後、現在に至るまで、私の親の家では、同じ敷地内に別の人が営む小さな工場が営業している。

個人事業で生活と事業の境目が曖昧になるのはよくあることで、両親は工場を改装するために子どもの部屋を撤去した際にそこにあったガラクタ類を一時的に工場内に置いた。そのほとんどは後に別の場所に移されていたのだけれど、私の部屋にあった書棚の内容物の一部が天井の梁の上に取り残されていた。数日前、この工場で設備更新があって、長らくホコリまみれになっていた古本が返却された。最も興味深かったのはホコリよけに被せてあったポリエチレン袋の劣化具合で、「なるほど、ポリエチレンは紫外線が当たらなくても30年も経つとこんなふうに分解していくんだ」と、認識を改めた。本そのものは、まあ高校生から大学生ぐらいの時期に毎日のように背表紙を眺めていたものばかりだから珍しくもなかった。それでも、自宅に持ち帰ってホコリを払っているうちに、いろいろと思うところもあった。なので、ちょっとそこのところをメモしておこうと思う。私以外の人が読んでも、別に面白くもないだろうな。以下、出てきた本をすべてリストアップして、それぞれにコメントをつけていく。

 

赤毛のアン」「アンの青春」「アンの婚約」「アンの愛の手紙」(モンゴメリ、訳・村岡花子、中村佐喜子、新潮文庫・角川文庫)

これを読んだのは大学生のときだ。私の中でこういう小説は「女の子の読むもの」であって自分とは縁がないと思っていたのだが、高校の同級生の勧めで読んでみたらやたらと面白かった。「騙された!」と思った。もっとも、誰かが私を騙したわけではなく、「世の中には男の子向けと女の子向けの2つの世界がある」という常識を受け入れていた自分自身に自分が騙されていたわけだ。以後、私は自分の思い込みを疑うようになった。そういう意味では私に与えた影響は非常に大きい。また、この本を読むうちに、「これって原文でどうなっているの」と興味が芽生え、そこから英語の本を読むようになった。私が最初に読了できたペーパーバック本がAnne of Greengablesだ。そういう意味でも、私の人生に与えた影響が最も大きい本といっていいのかもしれない。ただし、このシリーズは巻が進むにつれて鼻につくようになっていくので、最後までは読み切っていない。

「ブラウン神父の知恵」「ブラウン神父の不信」「ブラウン神父の秘密」(G・K・チェスタトン、訳・福田恆存、中村保男、創元推理文庫

中学生の頃から高校1年生の頃にかけて、ブラウン神父は私のヒーローだった。小学生の頃に子ども向けバージョンのシャーロック・ホームズにはまり、中学になると新潮文庫でそれを完全になぞり返した。そうやって推理小説の基礎を学んだ次に新たな展開をもたらしてくれたのが、これらチェスタトンの名作だった。その後、読みたくなってもなかなかめぐりあうことができなかっただけに、この発掘は嬉しい。

ムーミン谷の彗星」「たのしいムーミン一家」(ヤンソン、訳・山室静、下村隆一、講談社文庫)

子どもの頃に「たのしいムーミン一家」の本を親からプレゼントしてもらった。まだムーミンのアニメが始まる前で、そういう意味では純粋なムーミンに触れることができた私は、その本をとても気に入っていた。それが、なぜかその本はあるときに処分されてしまっていた。事情はもう覚えていない。けれど強烈な印象を私に残したので、後に文庫本で手に入れたのだと思う。ちなみに「彗星」の方は後になってから買って読んだのだけれど、そのときは初めて読んだような気がした。そういう意味では、当時の私にとっては印象の薄い話だったのかもしれない。

月世界旅行」「地底旅行」「八十日間世界一周」(ヴェルヌ、訳・赤坂長義、石川湧、江口清、角川文庫)

八十日間世界一周は何度も読んだ。たぶん高校一年生の頃だと思う。大学生になっても読み返していて、そのときの記憶、たとえばインド横断のエピソードや開国期日本の描写、アメリカ人の気質なんかは、たぶんその後の世界史の講義をするときの私の中の基本的なイメージの一部を形作っている。時差と日付変更線のネタは、いまでも中学理科で使うし。地底旅行の方も冒険が始まるまでのエピソードは割と印象深いのだけれど、そこから先がぼんやりしているのは、やっぱり時代が古びるといまひとつ山場がショボくなるからなんだろう。月世界旅行の方はまったく印象がない。カバーがかかっているので、ひょっとしたらこれは兄の蔵書であったかもしれない。私は買ってすぐに本屋でかけてくれるカバーは外す方だった。兄はむしろそれを補強するぐらいのタイプだったから。

「失われた世界」「地球最後の日」(ドイル、訳・永井淳、角川文庫)

コナン・ドイルは、もちろんシャーロック・ホームズものの著者として知っていたのだけれど、高校時代に入手したこのチャレンジャー教授シリーズの2冊は推理小説以上に私のお気に入りだった。チャレンジャー教授ものはもう1冊あったように思うのだけれど、記憶違いなのかなあ。

百億の昼と千億の夜」(光瀬龍、ハヤカワ文庫)

萩尾望都の漫画で有名な作品だけれど、その原作。妻と結婚したての頃にこの話題になって、彼女が原作があると知らなくて、私は漫画があると知らなかった。ぜひ原作を読ませたいと思っていたのだが、ずっと見つからなかったのが、こんなところにあったのかという感じ。内容はほぼ覚えているけれど、もう1回、読み返してみようと思う。

注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」(宮沢賢治、角川文庫、新潮文庫

宮沢賢治は息子に読ませてやろうと実家から昔の自分の蔵書を回収してきていた。いくつかお気に入りの話が抜けているなあと思っていたのだけれど、そうか、ここに3冊まぎれこんでいたのか。

「ノックの音が」「声の網」「おみそれ社会」(星新一講談社文庫)

文庫本を買うようになったのは中学1年の頃だと思っていたのだけれど、小学生のときの友達に星新一の面白さを力説して「ボッコちゃん」の文庫本を貸した記憶まであるので、ということは小学校の6年生頃からそろそろと文庫本に手を出していたのだろうか。最初に買った本屋は市場の片隅にあった小さな本屋で、それでも岩波文庫が並んでいたのだから昭和の本屋文化というのはなかなかたいしたものだった。星新一は最初は新潮文庫で集めていた。講談社文庫が一気にシェアを広げてきたのは私が高校生の頃なので、この3冊は最後の方で買い足したものなのかもしれない。

「そこなし森の話」「名なしの童子」「おばあさんの飛行機」(佐藤さとる講談社文庫)

佐藤さとるは、コロボックルのシリーズに魅せられた。中学2年生の頃だと思う。コロボックルのシリーズは完結してしまったので、他の作品をさがして、この「ファンタジー童話集」を見つけたのだと思う。いまの分類だと、こういうファンタジーはロー・ファンタジーになるのだろう。そういう世界で長く遊んだことで、やがて「指輪物語」というハイ・ファンタジーの大作が読めるようになったのだと思う。

「われら動物みな兄弟」「ムツゴロウの結婚記」「ムツ・ゴーロの怪事件」(畑正憲、角川文庫、文春文庫)

畑正憲は、小学生の頃から読んでいた。たぶん、当時毎朝聞いていたラジオ番組、朝日放送の「おはようパーソナリティ」で北海道に移住したばかりの畑正憲ことムツゴロウ氏が登場して、両親のどちらかが「おもろいやんか」と「どんべえ物語」のハードカバーを買ってきたのが最初だと思う。ちなみに、両親はどちらも読書家ではない。なので、買ってきても実際に読んだのは兄と私で、ハマったのは私だった。ただし、畑正憲が後の売れっ子時代から思えばまだ下積み時代ともいえる頃に書いた名作「われら動物みな兄弟」の方は、本屋のカバーがかかっていて兄の丸っこい字で背表紙に表題が書いてあるから、兄の蔵書だ。ハードカバーの何冊かと文庫本の主要部分は以前に回収していたが、まだここに3冊残っていたんだな。

「山のむこうは青い海だった」(今江祥智、角川文庫)

高校2年生の頃に読書はスランプに落ち込んだのだけれど、その頃に買った本。なにかスランプ脱出のヒントになればと思ったのだろうけれど、こっちの方向には進めなかったようで、あんまり印象もない。

「ねこに未来はない」(長田弘、角川文庫)

こちらも同様に、読書がしんどいくなって、「なにか軽くて楽しいものが読みたいな」思ってタイトルに惹かれて買ったのだと思う。ただ、やはり、タイトル以外にはあまり印象に残っている内容ではない。なぜ「ねこに未来はない」のかの説明だけは、覚えている。

星の牧場」(庄野英二、角川文庫)

小学生の頃に親に買ってもらった本で、「雲の中のにじ」という小説がやたらと気に入っていた。いや、いまでも戦後のある時代の日本や西アジアの様子をイメージするときにこの小説の中身を思い出したりもする。よくできた物語だと思って、これは早くに実家から回収してきていた。その同じ作者の作品ということで、書店で見つけて喜び勇んで買ったのだと思う。ただ、案に相違していまひとつ惹かれなかった。だから内容は覚えていない。年齢を重ねてどう感想が変わるのか、読み返してみたいな。

れとると(なだいなだ、角川文庫)

今回発掘されたシリーズにはないのだけれど、私の最初の文芸ヒーローは北杜夫だった。なぜだかわからないが、親の本棚に1冊「幽霊」という初期の小説があって、やがてそれがユーモラスな「どくとるマンボウ」と同一人物であるとわかって、そのギャップから惹かれたのかもしれない。その北杜夫からの連関で読むようになったのが辻邦夫であり、なだいなだだった。もっとも、大作を多く遺した辻邦夫にくらべれば、なだいなだはエッセイストという感じが強い。この「れとると」は小説なのだけれど、残念なことにまるで印象に残っていない。最後まで読まなかったのかもしれない。新書の「権威と権力」はだいぶ読み込んだんだけどな。

「龍の子太郎・ふたりのイーダ」「日本の伝説」(上・下)(松谷みよ子講談社文庫)

以前に回収した本の中にグリム童話全集やアンデルセン童話全集、ペローの童話なんかもあったから、高校から大学の頃には民話・童話の類を割と読んでいたのだと思う。そういった物語の原型になるものを探し求めていたのだろうけれど、結局自分のものにはならなかったと思う。柳田國男の本ぐらいなのかな、その後に自分の中で印象に残り続けたのは。

「全訳 源氏物語」(中・下)(与謝野晶子、角川文庫)

なぜか上巻が欠落しているのだけれど、これは以前に回収していたかもしれない。私はこれを読むまで、恥ずかしい話だけれど「源氏物語」は「平家物語」みたいなものだと思っていた。たぶん高校生だったと思うのだけれど、源氏物語は十分以上に衝撃だった。なんでこんな大作が平安時代に存在できたのかと呆然となった。もちろん古文で読むだけの力はなかったので、以後、谷崎訳とかあるいはサイデンスティッカー訳とかを漁るきっかけになった。図書館で見つかる範囲だったけれど、源氏物語の研究書なんかも読んだなあ。

金閣寺」(三島由紀夫新潮文庫

読んだのは読んだのだけれど、正直なところ、あまりおもしろいとは思わなかった。肌に合わなかったんだろうな。この時期、「どんな本でも3度読むまでは読んだうちに入らない」という主義だったので無理をして3度は読んだのだけれど、最後の方はちょっと苦痛だった。

「さまよえる湖」(ヘディン、訳・岩村忍、角川文庫)

これは兄の蔵書のはず。ただ、内容はいまでも思い出す。特に最近の世界史はユーラシア大陸全体で語ることが多いので、この本を読んだことはその理解を助けてくれている。

「東方見聞録」(ポーロ、訳・青木富太郎、教養文庫

これを読んでいたとは思わなかった。もっとも、途中まででカバーを折り込んであるので、そこまでしか読んでいなかったのかもしれない。実家を出る直前の大学生の頃のことかもしれない。

「死者の博物誌・密告」(ヘミングウェイ、訳・谷口陸男、岩波文庫

ヘミングウェイも「老人と海」とか、いくつか読んだのだけれど、いまひとつピンとこない作家だった。確か洋書でも別の作品を読んでる。アメリカの夏目漱石みたいなとこがあるから「このくらい読んどかなきゃ」という義務感で読んだんだろうな。この本の中身も覚えていない。

ギリシア神話」(アポロドーロス、訳・高津春繁、岩波文庫

幼年期に親が子どもたちにと買い与えてくれていた物語の全集(昭和の昔にはこういう「全集モノ」が流行した)に「ギリシアの神話」という巻があった。それを見ても「なんのこっちゃ?」だったので、ギリシア神話はもっとちゃんと知りたいとずっと思ってきた。いまも思ってはいるが、やっぱりよくわからない。この本もそういうつもりで買ったのだと思うが、いまだによくわからないということは、ちゃんと読みきれずに挫折したのかもしれない。

「饗宴」(プラトン、訳・山本光雄、角川文庫)

教養を身につけたくとも、まずは出発点となる教養が必要なのだなあと思う。たぶん、「学校でいろいろ哲学者の名前は聞いたけど、結局何を言いたかったのかよくわからんわ。やっぱり原著を読まなきゃ」と思って、プラトンの名前でこの本を買ったのだろう。けれど、「饗宴」はプラトンの入門書にはふさわしくない。なぜこれを買ったのかはだいたい想像がつく。薄いからだ。薄いから、門外漢の自分でも読めるんじゃないかと思ったにちがいない。それから、題名だ。宴会の話なら気楽に読めるんじゃないかと思ったのだろう。基礎になる教養がないから、こういうトンチンカンなことをする。内容の記憶がまったくないから、そういうことなんだろうな。

「日本音楽の再発見」(團伊玖磨小泉文夫講談社現代新書

坂本龍一の訃報に際してその師匠筋にあたる小泉文夫の名前を目にした。私はそっち方面の音楽には詳しくないのだけれど、「あ、この人、知ってるわ」と思った。なぜ知っているのかまったくわからなかったのだけれど、そうか、高校生だか大学生だったかのときにこの本を読んでいたわけか。とはいえ、内容、まったく覚えていない。

「物理の世界」(湯川英樹・片山泰久・山田英二、講談社現代新書

高校生に物理の講義をするときには、かなり緊張する。ニュートン力学は大学が機械系なんでわからないわけはないのだけれど、20世紀以後の物理学はきちんと学んだことがないからだ。それでもどうにかこうにか「おはなし」として講義をまとめ上げられるのは、(もちろん教科書があるからではあるけれど)、若い頃にこういった一般向けの読み物をいろいろと読んでいたおかげかもしれない。当時、内容をしっかり理解していたかはだいぶ怪しいし、またその怪しげな理解がいまにつながっている気もしない。けれど、言葉や概念について「ああ、これ、見たことあるわ」的な感覚が、どこかで役立っているのだろう。

マックスウェルの悪魔」(都筑卓司講談社ブルーバックス

熱力学の話なのだけれど、大学の授業で学ぶ熱力学とあんまり結びつけて考えずに「なんか面白そうな読み物」的に消費していたような気がする。バラバラの情報をまとめ上げていくだけの素養がなかったわけだ。とはいえ、いま多少なりともそういう力があるとすれば、それはやっぱりこういった断片的な情報に若い頃にたくさん触れていたことがなんらかの基礎をつくってくれたのだろうと思う。これはまちがいなく高校生の頃の読書。

「飛行機はなぜ飛ぶか」(近藤次郎、講談社ブルーバックス

大学では航空工学科にいたのだけれど、この本がそれ以前の高校生のときに買ったものだか、それとも大学生をやってたときに買ったのだか、よくわからない。もともと小学生の頃は軍事オタクだったので、第二次世界大戦中の日本の軍用機の諸元をほぼソラで言えるぐらいには飛行機に関心があった。ただ、そういったマニアックな関心は中学3年生ぐらいから急速に薄れ、航空工学科に進んだのもたまたまそこに合格したからに過ぎない。だから、なぜ「飛行機はなぜ飛ぶか」みたいな本を買ったのかもさっぱりわからない。ひょっとしたら大学の講義があんまりにもわからなかったものだから、「せめて一般向けの入門書ぐらいの知識は仕入れておかないと」みたいに思ったのかもしれない。いずれにせよ、中身はまったく覚えていない。

錬金術」(ユタン、訳・有田忠郎白水社文庫クセジュ

魔法とか忍術とかの怪しげな世界に惹かれるのは若い頃ならではなのだけれど、錬金術関係の本は何冊か読んだ。これはそのうちの1冊だ。牽強付会すればこれは高校生に化学の講義をするときにいくらかの役に立っているのだけれど、具体的な書物の内容は完全に忘れている。その頃は、たとえば硫黄がどういう物質なのか見たことも触ったこともないと思っていたし、歴史に関する理解も浅かった。だから書かれてあることが断片的な情報としてしか入ってこなかったのだろう。

「教師」(国分一太郎岩波新書

いま私はオンライン家庭教師をやっているわけだけれど、いままでの生涯で「教師になりたい」みたいに思ったことは一度もなかった。むしろ、教師は敵であり、滅ぼさねばならないものだと一貫して思ってきた。なのに、この本が出てきたのは不可思議だ。読んだ記憶もまったくない。でも、たぶん読んでいるんだろうな。奇妙だ。

「宇宙と星」(畑中武夫、岩波新書

天文学は私が最も苦手にする分野のひとつだ。まず、星の名前が覚えられない。距離や時間が「天文学的」に巨大で、イメージがわかない。おそらくそういう自覚があったことがこの本を買ったことにつながったのだと思うけれど、いまだに苦手感が消えないということは、たいした効果がなかったのだろう。

「時間」(滝浦静雄岩波新書

今回の発掘で、いちばん「あっ」と驚いたのはこの本だ。1年あまり前、目標、努力、成功、成長について - 流れ去る時間と円環する時間という記事を書いたのだけれど、そのなかで、

ずいぶん古い読書で得た知識なのでもう出典も定かではないのだけれど(調べたら案外と簡単にわかることなのかもしれないけれど)、近代西欧的な時間の観念は、直線的なものなのだそうだ。(中略)その一方で、人類の歴史の中では西欧近代的な時間の観念は特異的なものであると、その書物には記されていた。もともと人類は、円環する時間の中を生きていた。

と書いた。このネタ元がこの「時間」という本だったのだ。ただ、ここでは直線的な時間はキリスト教的であり、円環する時間はそれ以前の古代ギリシア的なものであるみたいに書いてある。ということは、もう少し別のネタが合わさっているのかもしれない。いずれにせよ、この小むづかしい哲学に関する議論の大半は忘れ去っていたのだけれど、断片的な記憶が何十年を経て残っていたのは驚きだ。

アメリカ南部の旅」(猿谷要岩波新書

アメリカの公民権運動の話なのだが、もともとそういった社会的な事象に興味がなかった私がなぜこの本を手にしたのかわからない。ひとつ推測されるのは、オールマン・ブラザース・バンドやレナードスキナードなんかの「サザン・ロック」が好きだったから、その背景を知りたいと思ったのではないかということだ。そこまでも考えていなかったのかもしれない。具体的な内容は何一つ覚えていないけれど、たぶん、いまの社会理解の基礎ぐらいにはなっている。

「イタリア人」(山崎功、講談社現代新書

これはアメリカ南部の旅以上に謎で、イタリアに対してなにか知りたいと思うような動機はたぶん何もない。動機がなにもないぐらいに未知の世界だから、逆に気になったのかもしれない。ただ、あとにはなにも残らなかった。

「ヨーロッパとは何か」(増田四郎、岩波新書

ヨーロッパについても、イタリア人ぐらいにはなにも知らない。だからこういう表題に惹かれたのだと思うが、もっとちゃんと中身を理解して読めば勉強になったはずなのに、あんまりわからないままに字面だけ追いかけたのだろう。なにも印象に残っていない。

「ヨーロッパの言語」(泉井久之助岩波新書

この本だけでなく、ドイツ語、フランス語などをテーマにした新書を高校生時代に好んで読んでいた。ちょうど、「英会話学習法」みたいなサイトを好んでブックマークするようなもんではないかと思う。いろいろな言語に興味はあるのだが、地道に基礎から勉強しようという根気はない。なので、いきおい、通俗的な新書に手を出す。この本は通俗書の範疇を離れたかなりごっつい専門書なので、たぶん読み通せてないのではなかろうか。これが理解できていたら、もうちょっとマシな翻訳者になれていたような気がする。

ルネサンスの思想家たち」(野田又男、岩波新書

これも相当にしっかりした本なので、ちゃんと読みこなせていたら後の私にかなり有益な基礎になったはずだ。けれど、たぶん斜めに読んできちんとした理解はしなかったのだろうな。何も残っていない*1

「十字軍」(樋口倫介、岩波新書

十字軍はヨーロッパ史においていろんな角度から興味深い現象なのだけれど、世界史の教科書なんかだと「いったいこれは何なんだ?」と疑問が膨らむばかりでさっぱりわからない。このぐらいしっかりした本を読めば多少は理解できるのだろうけれど、これを読んでも私にはやっぱり何のことかよくわからない感覚だけが残った。読む側の実力不足だ。ただ、これに関しては、読んだことも、内容の断片も、かすかには記憶に残っている。

騎馬民族国家」(江上波夫中公新書

有名な本だし、「おもしろかった」という読後感だけはおぼえている。けれど、いまパラパラとめくってみたら、まったく予想していた内容とはちがう。読み直してみなければならない。

「悲風の大決戦」(伊藤正徳他、集英社

今回発掘されたものの中では珍しく親が子どもたちに買ってくれた本だ。インパール作戦とか載っている。子ども向けの「ジュニア版 太平洋戦史」のシリーズで、確か「開戦百日の栄光」という巻を読んで感銘を受けた兄が頼んで買ってもらったのだと思う。ちなみに、インパール作戦はけっこう美化されている。

「丸グラフィッククォータリー20」(潮書房)

小学生の頃に「戦記モノ」にハマった私は、中学生になる頃には立派な軍事オタクだった。その頃に愛読していたのは「丸」という雑誌の「エキストラ版」という月刊誌だった。ちなみに「丸」本体のほうが書店には多く見られたのだが、なんだか敷居が高かった。「エキストラ版」のほうが読み物や写真が多く、中学生にはとっつきやすかった。とはいえ、そこに掲載されていたのは残酷で野蛮な戦争の回顧録であり、そういった残虐行為を懐かしい青春を振り返るように書く人間の心理の複雑さを学ぶことにもなった。今回の発掘でいちばん期待していたのは実はこの「丸 エキストラ版」だったが、1冊も出てこなかった。たぶん「こんな雑誌、価値はない」と思って軍事オタクを卒業していた私は未練もなく廃棄したのだと思う。「あなたが無価値だと思ったものほど価値がある」とは、すべてのオタクに言っておきたい教訓だ。あの残虐行為を赤裸々に語った「エキストラ版」の記事たちは、確かに戦争というものの本性を表していると、ウクライナパレスチナの戦争を見るにつけ、思う*2

「グラフィックアクション ノルマンジー上陸作戦」(文林堂)

軍事オタクにも専門はあって、私は帝国海軍にしか興味がなかった。ついでのように陸軍の飛行機ぐらいはチェックしていたが、ヨーロッパ戦線にはたいして興味がなかった。その私の興味をヒトラーロンメル将軍に向けたのは、中2のときの同級生の宮田くんだ。彼は彼で旧ドイツ軍のオタクだった。だからこの本は、まちがいなく中2のときに買ったものにちがいない。このあたりの基礎知識は、後に3冊めの本を訳したときにすこしは役に立った

チャタレイ夫人の恋人」(上・下)(ロレンス、訳・飯島淳秀、三笠書房

これは親の本だ。私の両親にはどちらも読書の習慣はなかった。家に文学全集はあったが、それは単純に当時そういうのが流行っていたからであって、一頁も開かれた形跡はなかった。まったく読まなかったのかといえば、父親の方は松下幸之助の書いたビジネス書みたいなのをチラチラと読んでいたし、母親は年をとってからは俳句の会に入って会報なんかを読んでいた。だから読書と無縁とまではいえないのだけれど、それにしてもなぜこの「チャタレイ夫人の恋人」みたいな本が親の書棚にあったのかは謎だ。案外と、当時「チャタレイ裁判」が話題になっていたから、好奇心だけで買ったのかもしれない。たいして面白そうでもなかったので、私は子ども時代に手にとったことはなかったし、いまも読みたいとはあんまり思わない。

「女の日記」(林芙美子河出新書

これも親の本だが、たぶん母親が結婚前に読んでいたのだろう。母親は古臭い人間ではあるが、それは単純に時代が変化しているからであって、若い頃はかなり進歩的な人間だったようだ。進歩的というよりも常識にとらわれない、むしろ常識を破ることを痛快だと思うようなひとだった。だから現代ならフェミニストぐらいにはなっていたかもしれない。そういう片鱗が、この本に見えるような気がする。とはいえ、中身は知らない。

「パズル大学」「ロス五輪がビッグに楽しめるおもしろハンドブック」

親の書架にあったのは、だいたいがこういった毒にも薬にもならないような本だった。もっとも、こういうものでも百年置いておけば価値が出るかもしれないな。

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実に雑多な本たちだが、これで当時の私の蔵書の1割ぐらいだろうか。全部並べたらもっとカオスだろう。混沌のなかから、いまの自分が形作られてきたのだなあと、改めて思う。あと、「若い頃は買った本は必ず3度は繰り返して読んだ」と思っていたのだけれど、これだけ覚えていない本が多いということは、読もうとしても読めなかった本も少なからずあるのだろう。積読の数はいまよりは少ないかもしれないが、なに、若い頃だってそこまで体力があったわけでもないんだな。

さて、これを置く場所が、あるんだろうか?

*1:その後、再読し始めたのだけれど、こちらも「あ、そうだったのか」と驚いたことがあった。20年少し前、妻と結婚した後に「マトリックス」のRevolutionが公開された。それを機会に見逃していた「マトリックス」とReloadedを一緒にビデオで見たのだが、「え、これって自由意志論やん」と思って、新婚当時の妻にキリスト教神学の自由意志論争について講釈を垂れた。その知識はどうせネットから拾ったのだろうと思ってたけど、考えてみたら当時はまだいまのようにインターネットは普及していなかったし、そう思えば「あれはいったいどこから来たんだろう」と改めて不思議になる。その源が、どうやらこの本だったようだ。多少は意識の奥底に残ってたんだなあ

*2:これを書いて数日後、古本屋で「丸」のエキストラ版を見かけた。平成になってからのもので、版元も判型も変わっていた。内容も、著者陣の世代が変わってしまったようで、だいぶ異なっていた。やっぱり昭和はカオスだったなあ

シチズンシップについてのわかりにくい話

シチズンシップについてのわかりやすい話」みたいな解説がどこかにあったら、ぜひ読みたいと思っていた。というのも(あんまりはっきり書くと不都合もあるのでやや事実を枉げて書くのだけれど)大学を受験する高3生から「世界市民としてあなたはどう生きるか」というお題について質問を受けたからだ。「入試の小論文なんですけど、世界市民って、どういうことなんでしょうか」というわけだ。尋ねられたって困る。私も知らない。

知らないでは務まらないのが家庭教師だ。知らなくても、言葉の背景ぐらいは説明できる。そこで私はおもむろにホワイトボード(「白紙」と書きたいけどオンライン授業なんで)を広げ、説明をはじめた。

一家庭教師のシチズンシップ理解

「市民」の概念は、「都市国家」に遡る。「都市国家」はメソポタミアや中国にも発生したけれど、現代に続く「市民」の概念についてはギリシアまで遡れば十分だ。世界史の教科書だか資料集だかに詳しく書いてあるけれど、たとえばアテネでは、都市国家の構成員として「市民」(ここでホワイトボードに「citizen」と英語を書く)という概念があった。ただ、この「市民」の資格はなかなか厳格で、まず成人男性であること、次にアテネ生まれであること、自由人であること、アテネに農地を所有していること、ざっとこういった要件がなければ「市民」とはみなされなかった。言葉をかえれば、こういった要件が満たされていれば、自動的にその人は「市民」であるわけだ。「シチズンシップ」(さっきのcitizenに「+ship」と書いてアンダーライン)というのは、いわば「市民である資格」であり、「市民である権利」でもある。そして都市国家には、実質として国家の構成員であるけれど、構成員としての資格、つまりシチズンシップをもたない人々が数多くいた。女性、子ども、他国からの移住者、長期居留者、土地をもたない無産者、奴隷など、現実には多数を占めたであろう人々には、シチズンシップは認められなかった。

シチズンシップには、都市国家の構成員としての権利と義務が付随する。権利は主に参政権だ。アゴラと呼ばれる広場で開かれる民会に出席して自分の意見を表明できる。また、裁判において自分を弁護するための弁論を述べることもできる。一方の義務は、兵役だ。国家を防衛し、場合によっては他国を侵略する軍の一員となって戦う義務だ。だが、この義務は、その戦いに参加して栄誉や略奪品、奴隷を入手する権利でもある。同様に、くじ引きで当選したら公職につくことになるのも、義務であると同時に権利でもあった。そういう視点からいえば、政治に参加する権利にも義務的な側面はあった。ただし、民会に出席しないペナルティはなかったらしい。

シチズンシップはやがて無産者にも拡大していったが、その経緯は教科書に書いてあるんで読んでおいてくれ。この都市国家的なシチズンシップが拡張するのがローマ帝国の時代だ。ローマももともとは都市国家だったので、ギリシア的なシチズンシップの概念をそのまま受け継いだ。だが、ローマは拡大していく。征服地を属州として支配する征服国家の性格を強めていく。このときにシチズンシップは支配の道具として用いられた。すなわち、被征服地の有力者にローマ市民権を与える。ただ、権利といっても、ローマの政治に参加するためにわざわざ属州からローマ市に出向いてくるわけはないので、これは一種の名誉として与えられる。「あなたはローマに屈服したのではなく、ローマの一員として迎えられたのだよ」という懐柔でもある。ローマ市民としてローマの繁栄を分かち合えるという幻想でもある。そして拡張するローマはローマ軍団の構成員を必要とする。軍団で出世すれば、退役とともに広大な農園が恩給として与えられる。だからこれは実利にもつながる。こうしてローマは拡大し、さらに帝政期になるとローマ市民権はローマ世界を構成する自由人(の男性)すべてに与えられる概念となった。もはやそれは特権ではなく、「自分はローマとともにある」という概念になった。あるいは、「自由人」すなわち奴隷ではないという身分を表す概念となった。

しかし、このシチズンシップの概念は、ヨーロッパが中世になると意味を失っていく。封建制のもとでは多くの人々は農奴であり、支配層は騎士であって、どちらも市民の概念から遠いところにある。市民的な概念が復活してきたのは中世が終わろうとする時代の自治都市においてであり、やがてそのなかで力を蓄えていったブルジョワジーを核とする市民革命の時代になって、国民国家(ホワイトボードに「nation states」と記す)の意識と結びついていく。ここにおいて「シチズンシップ」に「国籍」的な概念が加わるようになった。「シチズンシップ」を獲得することは、すなわちその国家の一員として認められ、その国家が保証する権利を享受するとともに国家に対する義務を引き受けることであると考えられるようになった。

この「市民」概念でひとつ重要なことは、「市民」はすべて平等であるというギリシア以来の伝統だ。言葉をかえれば「シチズンシップ」は一国内では一種類しかなく、「一級市民」や「二級市民」といった区別はありえないということだ。これが後にアメリカ合衆国公民権運動(civil rights movement)につながっていく。合衆国憲法では制定当初、奴隷に対して選挙権を認めてはいたものの、その1票は白人の5分の3でしかないとされていた。つまり、憲法の規定上、奴隷を二級市民としていたわけだ。たしかに自由人男性成人しか市民として扱われなかった古代ギリシアよりはマシなのかもしれないが、「不完全なシチズンシップ」は実質的に2種類のシチズンシップの存在を意味する。そこは合衆国憲法修正14条で否定されるのだが、現実に差別がなくならない。そういった状況に対する抗議運動が公民権運動だ。だから、「公民権」は、シチズンシップにともなう諸権利のことであり、その根本には平等という前提があるのだということは覚えておかなければならない。

一個人としての疑問

と、知識がないならないなりに高校世界史の教科書からの受け売りを最大限に引っ張り伸ばしてアドリブで上記のような講義を行ったわけだけれど、さて、これで生徒の質問に答えられたかというと、とてもそうはいえないことがわかるだろう。なによりも質問のお題は「世界市民」なのだ。「国籍」的な意味でのシチズンシップではあり得ない。仮に「国籍」的なシチズンシップがギリシア都市国家的な観念だとしたら、「世界」を関するシチズンシップは当時の人々には世界と同義とさえ感じられた巨大なローマ帝国におけるシチズンシップになぞらえられるのだろうか。

シチズンシップ」が平等であり、市民に認められた諸権利であるというのも、ある意味では謎だ。だって、「平等」とか「自由」とか「参政権」とか、そういうのをひっくるめた概念は「人権」もしくは「基本的人権」じゃないのか? シチズンシップと人権はどうちがうのか? たしかに、人権はユニバーサルなものだ。人間であれば誰であっても基本的な権利を有するはずだというのが人権の考え方だ。だれがその人権を保障するのかといえば、それは国家だ。だから、人権は理念的なものであり、シチズンシップは具体的に国家がそれを保障するものだというように書いてある資料もあった。そうはいうけど、たとえば日本国憲法前文には「…福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」とある。あるいは、世界人権宣言前文には「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、(中略)すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する」とある。こういうのを見ると、シチズンシップとか言わなくったって人間の権利は法制度以前の理念としてユニバーサルに認められているはずなんじゃないか。そのときに、なぜあえて「市民」なのか?

だいたいが、この「市民」という言葉、都市国家の伝統のない日本では、まず字面から誤解を受ける。平成の大合併のおかげでずいぶんと「市」が増えて「郡部」は減ったが、いまから30年ほども前だったか、「市民運動」を力説するインテリの言葉に、「でも私は町民なんで」みたいに困惑の言葉を返す人が実際にいるのを見たことがある。誤解とも性格がちがうが、「市民」を「農民」との対比で捉える人もいた。いや、私自身、ときにそういうスタンスをとることもある。たとえ都市国家的な源流に立ち返っても、もともと「市民」は、ある種の特権を表すステータスであった。「自由人で男性で生粋の土地所有者」が特権的でないわけはない。そういった「市民」の所有する土地で実際に汗水流して働いたのは多数を占めるシチズンシップのない奴隷であったり半自由人であったりしたわけだ。そういった構図は近代日本にもあてはめることが可能で、都市住民が勝手なことをやってるときにそれを支えていたのは物言わぬ農民たちであったと敷衍することもできる。だからこそ、市民としての意識よりも農民としての意識を出発点とすべきだと主張した人々の意味する「市民」が完全に誤解であったとも言い切れないわけだ。

だが、「市民」はローマ帝国においては「都市住民」の枠を超えて、ローマ帝国の支配に服するすべての人々(ただし女性と奴隷は除く)に拡張された。もはや特権を伴わない、あるいは特権とされたものがすべての人の権利とされる状態になったシチズンシップは、そういった分断を超えるのではないか。近代日本においても、市民(〇〇市の住民)だとか町民だとか村民だとかは何ら権利に影響しないし、都市に住もうが田舎に暮らそうが、同じ陛下の臣民(後には同じ日本国民)となった。そうなると、「市民」に「ある国家の枠内に居住する人々」以上の意味はなくなる。だが、そんなふうに特権を伴ったステータスでなくなったシチズンシップは、基本的人権とどこがちがうのか。

これに対して、「人権」は権利だけをいうが、「シチズンシップ」は国家が保障する権利と国家に対する義務の双方を含むのだという論がある。つまり、人権は生まれながらに人間が持つものだとして、じゃあ誰がそれを保障するのかという問題がある。その役割を果たすのが国家であり、ただし、タダでやってくれるわけじゃない、代わりに義務も発生するよというのがシチズンシップだというわけだ。

実際、高校生に対する講義の後で文献を調べたら、「シチズンシップ」の検索でぞろぞろ出てくるのは「シチズンシップ教育」だった。これは「道徳」との関連で語られることも多く、「社会の一員としての自覚を持ちましょう」みたいな観点からとりあげられたりもする。「市民としての義務」がその眼目であって、「社会を良くするためにボランティア活動に励みましょう」みたいな誘導があったりもする。つまり、「人権」ですむところをわざわざ「シチズンシップ」と言い換えるのは、「人権」では義務の側面が見えなくなるのに対して「シチズンシップ」なら「権利と義務」の相互関係としてそれを語ることができるということなのだろう。

だが、それは現代の社会を理解するうえで正しい捉え方なのだろうか。「権利と義務」に関しては、明治憲法の「天皇が臣民に権利を与えるからその代償として臣民は義務を負う」という相互的な思想から、「国民には本源的に権利があり、国家はそれを擁護する義務を負う」という「権利を保障する国家の義務」的な思想への転換があったはずだ。学習指導要領に準拠した教科書もそういう書き方になっている。では人々には権利だけが存在するのかというと、ロックのような人権概念の源流から説明する教科書的な書き方では、「そうだ」ということになる。ただし、人権はすべての人々に等しく与えられているので、個々の人権を尊重するということは、他者の人権を擁護する義務が発生するということでもあり、それを個人で行うのではなく共同執行装置として獲得したのが政府であり国家であるという建て付けだ。だから、義務は国家の側にあって、人々の側にはない。それがどうやら教科書的な「権利と義務」の思想だ。

シチズンシップ教育」は、そういう枠組みに居心地のわるさを覚える人々が主導しているのではないだろうか。「国にすべてを任せて知らんふりは社会の構成員としての義務という点でどうなのよ」と考えたときに、どうしてもロック以後の人権論では追求ができなくなる。けれど、国家はロックがつくったのでもなければ、ロック以後の概念によってはじめて国家が成立したのではない。それ以前のはるか昔から国家は存在し、現に存在するわけで、そのときに国家と個人の間にある関係は「国家が権利を保障し、その代償として個人は国家に対する義務を負う」であることは間違いがない。ロック以後の思想は、その枠組みを単純に利用・流用しているだけだ。有名な「御恩と奉公」だって、互恵的な契約ではないか。権力をそのように理解したときに、「シチズンシップ」は便利な概念となる。

だが、それは正しいのだろうか。いや、正しいと思わないのなら近寄らなければいいだけだ。けれど、生徒は「地球市民」なんていうお題を抱えてくる。それだけではない。実は先に翻訳した本(「貧困とはなにか」)にも「シチズンシップ」は出てくる。そのときにも、このcitizenshipという単語の訳語には苦心した。「市民権」ではどうにも文脈に合わないし、「人権」は別の訳語に予約されている。まして「国籍」なんかではない。どうしようもなくて監訳者に投げ出したら、カタカナ語で「シチズンシップ」になった。それはそれでまあいいのだろうが、だったらそれでスッキリするかといえば自分の中では釈然としない。監訳者によればこの「シチズンシップ」は重要な概念で、著者であるリスター教授には別に「シチズンシップ」を表題に組み込んだ著書もある。そのぐらいに鍵になる概念なのに、翻訳者側の理解が追いつかない。私が翻訳した「貧困とはなにか」でもリスター教授は貧困を一国だけの問題とは見ていなかった。注目すべきなのは実際に貧困を生きている人々の経験であり、政策はその声に耳を傾けて決定されるべきだと主張している。ということは、これは「権利は生得的に人々にあり、国家はそれを擁護する義務を負う」という人権的な思想であり、「国家に対する義務を果たせば国家は権利を与える」という互恵的な思想ではないはずだ。そういう人が「シチズンシップ」なのかよ、というのが正直なところだった。

だいたいが、「世界市民」みたいに枠を拡大したときに、そこに「市民」という概念は非常に据わりがわるいことに気がつく。「市民」がシチズンシップの保持者であるとして、それを「世界」が与えるのだろうか。市民は「世界」に対して義務を負うのだろうか。そりゃ、人間は社会的存在として社会全体に義務を負うだろう。国家に対してはたとえば納税の義務みたいな形でそれが存在する(ちなみに、日本国憲法の3大義務のうち、「勤労の義務」は「勤労の権利」の裏返しであって「人間は社会の構成員として存在すべきだ」という思想の表明であると受け取るほうがよく理解できるし、「教育を受けさせる義務」は国家が保障すると憲法内に規定されている教育権の実行を実務的に保護者に委託しているものと見たほうがいい)。だが、納税は世界に対して行うのではなくて、それぞれが所属する国家に対して行う。そう思えば、「世界市民」という概念は、どうも実態とそぐわない。

共同体とシチズンシップ

辺境の国の日本では、ユーラシアの歴史の中では珍しく、都市国家がほとんど発達しなかった。それに類するものとしては弥生時代に見られた環壕集落ぐらいだろう。だから、「市民」的な感覚は理解しにくいのではなかろうかと思っていたが、しかし、これを公共と個人との関係と捉え直すと、日本人にとって最も近いものは室町期以後、日本のかなりをカバーすることになったムラ(惣村)ではないかと思いついた。というのも、古代ギリシア市民の「代々の土地所有者の奴隷的身分ではない男性」という属性は、そのまま惣村の「本百姓」に相当すると気づいたからだ。私がかつて2年ほど居留したムラは、戦国時代から文献に登場するというから、ある意味、典型的な惣村だった。そのムラを構成する数十戸の戸主は常会に参加する権利と義務をもっており、村役である溝掃除や道普請に参加する義務を負っていた。当番は輪番で平等にまわってきたし、私が厄介になるすこし前の時代までは葬儀があると土葬のため、地区を半分に割って当番地区は墓掘りとそのサポートのための炊き出しにまる一日を潰す慣例があった。神社の当番は「あんたは別にここの氏子というわけじゃないから」と居留者である私は免除されたが、祭りの際に神輿を担ぐ権利は与えてくれた。地域対抗の運動会で盛り上がるのは、権利だか義務だかよくわからないが、まだ体力があったその頃の私は、優勝争いをする人々の足を引っ張らない程度には貢献できたのではないかと思う。いまだに私の心は、あの「故郷」に帰っていく。

このようにムラには「社会の構成員としての義務」が明確にあり、それはある意味、「シチズンシップ」的なものとして理解できる。というよりも、あのムラの決めごとが「シチズンシップ」であると規定するのであれば、雲をつかむような概念であるシチズンシップが「ああ、そりゃ常識だよね」と腑に落ちる。ムラの決めごとはなにはさておいても守るべきものだ。そこに住むという権利と引き換えに、やらねばならない義務だ。それが「シチズンシップ」だと言われれば、「なるほど、住んでる以上はやらないといけないことがあるっていう感覚だな」とわかる。ちなみに、日本語では「住む」と「生きる」は別々の言葉になっているが、英語的には同じliveという動詞だ。生きることが権利であるなら、それは同時に義務もともなう。なるほど。

ただ、この「ムラに生きることにともなう義務」は、けっして「国家に対する国民の義務」的な感覚ではない。もっと当事者性の切迫したものだ。自分の住居に至る道が草に埋もれていたり破損したりしていては、自分自身が不便だ。用水路に泥がたまっていたら、田畑に十分な水が確保できないだけでなく、時には溢れてプチ洪水を起こす。常会ではいろいろなことが話し合われたが、たとえば土地の境界線のような争いが道路の整備との関係で問題になるようなこともあった。公共と個人の権利は常に調整されねばならないが、それは「公共」がその地区の住民の共通利益として、具体的に該当する人々の顔をもっていることから、「お互い様」「自分ごと」という意識になる。「結局は自分のためじゃないか」というのは、わざわざ言われなくても腹に落ちる。「帰属意識」みたいなものは、涵養される必要もない。庭を眺めてそこが自分の住む場所だと思ったら、その先には隣の家の庭があり、農村ならではの風景がある。そのすべてを含めて自分の住む場所であるわけで、それが同時に隣の人やさらにその隣、この地区のみんなの場所でもあるというのは小学生でもわかるぐらいに自明のことだ。だからムラ仕事の義務といっても、それは朝起きたら歯を磨くこととかたまには自分の部屋の掃除をすることとかそういった「ちゃんとした生活」をすべきだという感覚の延長線上にある。そういう生活上の「こうしなさいよ」というのは、あたかも親が子どもにしつける正しさのようなものであり、それだけに「うっとうしいな」という感覚にもつながるだろう。だが、だとしても、どこまでも個人の生活と密着した「まあ、生きてるんだからやらなきゃしゃあないよね」という感覚が惣村における「権利と義務」の感覚であり、それが「シチズンシップ」だというのなら、「ああ、なるほど」ともなるわけだ。

けれども、そういったシチズンシップの理解は、「世界市民」的な言説と折り合わない。「世界」までいかなくとも、もっと狭い範囲でも、公共は既に「自分ごと」の感覚を失わせるのに十分なほどに拡散している。国家までいけば、それはもう怪物の顔をしたリヴァイアサンだ。その一部が自分であると言われても、「そんなん知らんわ」という気分になる。そうなると義務は「自分のことは自分でするのがあたりまえじゃない」という感覚でおさまらなくなる。もっと相互的な「公共が自分の役に立つのであれば、自分も公共の役に立つべきだ」という理屈に落とし込まねばならなくなる。そういう理屈を「シチズンシップ」の言葉で表そうというのであれば、もうそれはムラ社会の論理で理解したものとは完全に性格が異なっていると言わざるを得ないだろう。

京都再訪

そうこうするうちに、監訳者から「リスター先生が来日するんだが、京都で開かれるワークショップに顔を出さないか」という招きがあった。ワークショップのお題は「シチズンシップ」だという。私は堅い学術書の翻訳はしたが、あくまで言葉の専門家として仕事を請け負ったわけで、内容に関しては完全な門外漢だ。学者ではない。まして、シチズンシップなんて、上記のように「わけわかんないよなあ」という以上の感覚がないわけで、「そういうワークショップに出てどうするよ」と思わなくもなかった。ただ、翻訳をしていて著者に実際に会える機会なんてそうそうないのだから、時間をつくってでも行ってみようかという気にもなった。

ちょっと脱線するが、京都は若い頃、2年ほど部屋を借りていたことがある場所だ。住んでいたというのもちょっと恥ずかしいぐらい居着かなかったのだけれど、それでも「ああ、このあたりはよく来たよね」みたいな懐かしさはある。四条から今出川まで、そんな思い出に浸りながら歩いた。外国人観光客ばかりいるあたりを抜けると、やっぱり京都は学生の街なんだなと認識を改める。前の方を歩いていく学生っぽい人を追い抜きながら、「こういう頭の良さそうな学生が今日のワークショップみたいなのにやってくるんだろうなあ」とか思っていたら、実際に後でその人がプレゼンターとして発表していた。ちょっと笑った。

で、ワークショップの方だけれど、その話をする前に、あらかじめことわりを入れておきたい。上記のように、私は学者ではない。貧困についての専門書を訳したとはいえ、それは「英語圏の一般読者が読んで受け取る情報と同程度の情報を読み取る力は自分にはあるし、それを日本語で表現する能力もある」という語学力をもとにしたものであって、特別に深い読み取りをしたわけでもない。まして、シチズンシップに関して深い知識があるわけでもない。学者なら、ワークショップの報告であっても参考文献に当たり、また発言はきちんと記録を参照して根拠ある文を書くべきなのだけれど、私はそういう仕事はしていない。だから、以下のリスター教授の言葉にしても、「私がそう受け取った」というだけのことで、教授の考えを正確に反映しているかどうかは保証できないし、また、その語られた文脈も正しいかどうかは保証しない。リスター教授はこういう注釈を入れておかないと失礼に当たるぐらいの学者だし、実際、ここで重要なのは「私の納得」なので、教授の名前を出さずにおこうかなとさえ思った。ただ、「貧困とはなにか」の翻訳からの流れだから「ある学者」みたいな書き方もおかしいので、名前を出しているにすぎない。このブログは単純に「それって私の感想ですよ」であって、何の根拠になるものでもないと、くどいぐらいに言っておこう。

ともかくも、ワークショップは大学院生や大学教員がリスター教授の研究に触発されて研究を進めたフェミニズムシチズンシップに関するプレゼンテーションに対してリスター教授がコメントする形で進んだ。恐ろしいことに、近ごろの学生は私なんかよりもはるかに英語がうまい。学生の発表を聞きながら、「ああ、この単語の発音は正しくはこうなんだ」とか「アクセントの位置、間違えて覚えてたよ」みたいに自分の英語と引き比べてたぐらいなもんだ。これが極度に恥ずべきことでもないのは、むしろ年齢層の高い教員のほうが英語が上手ではなかったからだ。年齢が上がるほど英語のプレゼンテーションが下手なのは、そういう教育を受けないままに大人になったからだ。私が翻訳の仕事をはじめた頃の英語力なんていまの高校生ぐらいなもんで、ほんとにレベルの底上げはたいしたもんだ。いや、また脱線した。

そのプレゼンテーションや質疑を聞いていても、私の中の「で、シチズンシップってなによ?」というモヤモヤはなかなか晴れなかった。いや、発表のひとつひとつはよくできていて、まあプロなんだなあと思った。おもしろい事例報告もあった。ただ、私の疑問にドンピシャくるものがなかったというだけだ。女性の権利の話なんか、別にシチズンシップを持ち出さなくてもふつうに人権で十分じゃないとかね。

それが少し腑に落ちたのが、最後のまとめの一言、みたいなところでリスター教授が言った言葉だった。私は帰りの電車の時間を気にしていたのでしっかり聞き取れていた自信もないのだけれど、その言葉はこんな感じだった。

「当事者の経験に学ぶこと、当事者の声に耳を傾けることが重要なのです。問題を解決していくためには、当事者がそれをどう経験しているかから出発しなければなりません。そして、そのときにシチズンシップは役に立つと思うのです」

こういう立場は「貧困とはなにか」でも再三にわたって述べられていたので私はそれほど注意を払わずに聞いていた。けれど、「え?」と思ったのが最後の言葉だった。「役に立つ」と言ったか「便利だ」と言ったか、言葉そのものは覚えていないのだけれど、けっして「シチズンシップが重要だ」みたいには言わなかった。そして、「あ、そういうことか」と私は感じた。

 

「貧困とはなにか」のひとつ前、やはりリスター教授の編著になる「子どもの貧困とライフチャンス」という本を私は訳している。これはこのブログでもネタに取り上げてきたので、そちらの方も読んでもらえればいいのだけれど、実はこの「ライフチャンス」という言葉、イギリスの政治の世界ではかなり偏った使われ方をしてきた経緯があるらしい。つまり、「貧困とかいうけれど、それは個人の責任でしょう。まあ、いくら個人が貧困から抜け出そうと思ってもそのチャンスが与えられなければ無理だろうから、チャンスだけはしっかりと確保できるように政策を立てましょうね」という感じの「自助」が基本になる右派的な主張で使われるようになった言葉らしい。それに対して、「子どもの貧困とライフチャンス」では、「貧困が解消されない限りはどれだけチャンスを均等にしようとしても結局はうまくいかないでしょ。無理にそういう政策をとるとコスト高になる。むしろ、ストレートに対貧困政策をするほうがライフチャンスの改善には対費用効果が高いでしょう」と、ネオリベラリズム的な主張を完全に逆手に取って左派的な主張を展開している。

「なるほど、これがリスター流か」と思ったのが、「シチズンシップは使える」という言葉だった。上述したように、「シチズンシップ」の概念は、権利部分では「人権」概念と被る一方で、「人権」の方では重視していない「市民としての義務」をしっかり含んでいる。だからこそ、「権利を言うんならまず義務を果たせ」と主張する右派的な人々が好んで使うようになったと推測される。そして、その言説は、共同体的な感性から民主主義を理解するときには、ある種の納得感をもたらしてくれる。だから、正面からはなかなか対抗しにくい。だったら、それに乗っかってしまえ、というのが、リスター教授の発想ではないだろうか。怪しげな「ライフチャンス」にさえ乗っかったお人だ。右派的な人々が「ごちゃごちゃ言う前にまずは市民としての義務があるだろう」とシチズンシップを持ち出したら、「ほんと、シチズンシップって大事ですよね」と持ち上げておいて、そして実質は人権であるところのシチズンシップの概念に乗っかって権利を奪われた人々の主張を展開しようというのではなかろうか。

このあたりは、完全に私の想像にすぎない。想像を補完するようなリスター教授の著作も私は読んでいない。だから的はずれな妄想かもしれない。ワークショップには、リスター教授の著作を研究してきている研究者も何人もいた。だから、そういった先生方に尋ねれば、あるいは簡単にわかったのかもしれない。ワークショップのあとには懇親会が用意されていたから、望めば出席もできただろう。けれど、私は夜までには自宅に帰り着かねばならなかった。オンラインの高校生が待っているのだ。翻訳者といいながら、実態はしがない家庭教師だ。日銭を稼ぐことが知的な関心に優先する。それが私の当事者性なのだから、ま、あきらめるしかなかろう。

そして、いつまでも謎は謎のまま残る。わかりやすい話なんて、世の中にはなかなかないんだよなあ。

チラシ配りの思い出

長い人生で戸別のチラシ配り、つまりはポスティングをやったことが何度かある。ポスティングの求人のチラシがたまにポスティングされているが(ややこしい)、そういう専門の事業としてではない。事業なら数種類をまとめて投函するので1枚あたりのコストが下がるのだが、そうではないため、かなり効率が悪かった。

直近でそれをやったのは、十年ほど前、どういう行きがかりか家庭教師で食っていくことになったときだった。細かいことはほかで書いたことがあるので省略するのだけれど、ある家庭教師の会社から委託契約で生徒をもらうことになったが、なにせ時給が安い。自前で生徒をとればずっと実入りがよくなる。さらにいえば、会社からもらう生徒は遠方のことが多い。片道1時間かかるとかはザラだ。何年かやるうちにそういうのはうまいこと断る方法も身につけたにせよ、片道30分以内の生徒で揃えても移動時間はボディブローのように効いてくる。けれど、自分で生徒を見つけるのであれば、最初から近場だけをターゲットにできる。ぜんぶ近所の自前の生徒で揃えることができれば、夕方から夜にかけてちょっと教えるだけでヘタに勤めに出るよりもよっぽどいい収入が得られる皮算用となる。現実にはそうはいかない。自前で10人の生徒が集められるかといえば、ほとんどの場合それは無理だ。なので、会社からの生徒と併用になる。それでも自前の生徒が多ければ多いほど、自分がラクになる。

どうやって生徒を集めるか。21世紀に入って以降、仕事はネットからとるものという感覚が自分の中で定着していた。だからまずはWebサイトをつくった。当時はまだSEOというものが有効だったので、しっかりとそういう対策もやった。すぐに、地域名と「家庭教師」の検索ワードでトップに表示されるようになった。そんなマイナーな検索語の組み合わせでどうするよと思わないでもないが、こちらとしては地域を絞って集客したいのだから、あんまり手広くSEOをかける意味はないわけだ。

だが、それだけで生徒が集まるだろうか。ここはベタなことをしたほうがいいのかもしれない。昔ながらの方法といえば張り紙とチラシ撒きだ。張り紙は現代ではほぼ絶滅したし、近所の子どもたちの帰宅途上でチラシを撒くのは息子の評判を落としかねないからさすがに踏み出せない。となるとチラシのポスティングだろう。幸い、私の住んでいる地域は郊外の住宅地で、子どものいる一戸建ての家が密集している。潜在的な顧客には事欠かない。20年も前に開発された地区はさすがに子どもたちも減っているが、5年前とかに開発された地区はちょうど子育ての真っ最中だ。500戸とか700戸とかあるようなそういう地区に順番にチラシを撒いていけばいい。

私はもともと編集屋だから、PhotoshopIllustratorも使える。ないのはデザイナーのセンスだけだ。実際には高額なAdobeのソフトもないから、このあたりはオープンソースGimpInkscapeで間に合わせるとして、どうしても不足するデザインセンスに辟易しながらも、とにかくカラーのチラシのPDFをつくりあげた。ここまでやっておけば、現代はPDF入稿で安く印刷してくれる業者がいくらでもある。なんとも便利な世の中になったものだ。数千枚単位で刷っても、単価5円ぐらいで両面カラーが印刷できたんじゃないかと思う*1

印刷業者のサイトには、ポスティングの単価も書いてあった。なるほど、そこがつながってるわけか。地域を指定して依頼できるし、単価もそこまで高くなかったから、そこに頼むのが賢い人のすることなのだろう。けれど、私はとにかく金がなかった。出費をすこしでも抑えたいし、無差別に撒くよりはすこしでもチラシを有効に使いたかった。外見からどう見ても高齢夫妻しか住んでないような家には入れたくなかったし、そういう判断はポスティングサービスを利用したのではできない。なので、自分でポスティングすることにした。

デザイナーに見せたら眉をひそめられるようなみっともないチラシだったけれど、一応、2つ折りにして表に訴求したい文が出るように工夫はしていた。折りも注文すればできたと思うけど、それも自分で手作業でやった。そのあたりは若い頃にさんざんやったことだから、もう手が覚えてる。それをカバンにいっぱい詰め、日中に配りにまわった。なにせ夕方からは生徒が入っているわけだし、朝は家事が忙しいから、いきおい暑い日中になる。5月だったと思うが、2時間ぐらい走り回るとすっかりくたびれた。そういうのを週に2回、3回と繰り返して、重点地区を攻めた。

このチラシ配り、馬鹿にしたものでもなく、配りはじめてすぐに2件の問い合わせがあり、いずれも契約に至った。「チョロいやん」と思ったのだが、ビギナーズラックは続かず、すぐに問い合わせは止まった。最初のロットを配りきろうかという頃になって、「やっぱりデザインがまずいよなあ」と思うようになった。

チラシを配っていると、同業者に出会う。「同業者」というのは実際に配っている現場で出会うポスティング業者という意味でもあるけれど、生徒を募集している家庭教師という意味でもある。家庭教師募集のチラシを配っている現場に遭遇したことはないけれど、ポスティングされたばかりの家庭教師募集チラシは何度か見た。ずさんな突っ込み方をしてあってポストからこぼれ落ちているものは参考のためにもらっていくことにした。あるいは、私の家にもそういうチラシが投げ込まれていることが何度かあった。そういう同業者のチラシを研究して、ひょっとしたら私は間違えていたのかもしれないという気がしてきた。光沢紙にカラー印刷という業者っぽいチラシよりも、こういう手書きでコピーしましたみたいな手作り感あふれるチラシのほうが訴求力があるんじゃなかろうか。アピールの方向が間違っていたんじゃないかという気もしてきた。

そこで、カラーチラシの増刷は1回だけやってやめた。その代わり、プリンタで印刷したいかにも安っぽいチラシに切り替えた。ちなみに印刷品質にはこだわらないから100均でリフィル用のインクを買ってきて印刷したので、印刷単価は1枚1円以下の計算だ。これをやっぱり数千枚はポスティングした。

最終的にその方向転換が正しかったのかどうかはわからない。というのも、最初の2件以後、カラー印刷のチラシもプリンタ印刷のチラシも、ただのひとつも問い合わせを生まなかったからだ。全部合わせたら1万枚ぐらいは配ったと思うけれど、ごく最初に千枚配る前にヒットした2件だけが成果という、ちょっと情けない話になってしまった。そうこうするうちにWeb経由の問い合わせがそこそこにあって、10人は無理だったけれど、常時4、5人くらいは自前の生徒がいる時期がすこし続いた。やがて家庭の事情で方針を変更し、自前の生徒はあえて増やさないようにした。自然減に任せても今度はなかなかゼロにはならないのだけれど、それはそれ。いまは会社からのオンラインの生徒主体でやっている。

ということで、チラシのポスティングをやったのは最初の年の初夏と、あとは暇な時期になると思い立って撒きに回るぐらいの運用を2年ぐらい続けただろうか。戸建てばかりの地域で、家を選んでポスティングしていたので、あまり嫌な思いをしたこともない。留守の家は放り込むだけだけど、庭に人が出ていたりしたら、必ず一声かけるようにしていた。「要らないよ」と言われるばかりかといえば、「入れといて」と言われることもけっこう多かった。なかには「家庭教師ですか。うちの孫がそういう年なんだよなあ」みたいな話をする人もいた。もっともそれで契約になったとかいうことはないので、どうということもないのだけれど。

 

ポスティングはスポーツかゲームだと思って、「あそこの通りをこういう具合にまわって何分で抜けられるか」みたいな感じで進めていた。たまに郵便受けの場所がわからなかったり構造が複雑だったりして手間取ると、「やられた」みたいな感覚だった。靴底は減ったけれど、すこしは健康になったかもしれない。経済的にはほとんどプラスにならなかったから、まあ、失敗だったんだろうな。儲からないことばっかりやってる人生だわ。それを楽しむぐらいになってきてるから、ほんと、始末がわるい。

*1:当時の帳簿をみればわかるのだけれど、めんどくさいから正確な値ではない

新刊発売のご案内 - 「貧困とはなにか」(明石書店)

去年の秋から年末にかけて1冊の本を翻訳していた。ようやく出版、発売になる。

www.akashi.co.jp

新版 貧困とはなにか - 株式会社 明石書店

https://www.amazon.co.jp/dp/4750356484

この翻訳に関するネタは、何度かこのブログでも取り上げてきた。

mazmot.hatenablog.com

mazmot.hatenablog.com

mazmot.hatenablog.com

なので、いまさら書くこともないようなものだけれど、やっぱりモノが手許に届くと嬉しいので、改めてこの記事を書いている。なにせ専門書だから、「ぜひ読んでください」と宣伝する意味もあんまりない。買う人は宣伝なんかなくても買うだろうし、そうでない人は買わない。業界の人なんか、こっちが言わなくても知ってるだろうし。

それでも宣伝めいたことを書くとするなら、この本、原書が改訂されたものに合わせての改訂版なのだが、だいぶと読みやすくなった。手前味噌の翻訳の上手い下手ではない。旧版の翻訳者も、それなりにいい仕事をしている。もちろん不適切な訳が皆無だったわけではない。旧版では読み取れなかった意味が改訂版で明らかになって、「ああ、ここはこういう意味だったんだよね」となった箇所もある。明らかな読み違えもなくはなかった。それでも、そういった不適切さはどんな翻訳でも発生するものだ。私だって何十年も前の翻訳の誤りに今頃になって気づくことだってある。それでもどうにかなってきたのが、翻訳文化の上に多くのものを受け入れてきた日本社会だ。目くじらを立てるほどのことではない。

読みやすくなったのは、旧版が出てからの12年間でさまざまな概念が整理されてきたからだ。これは不適切な翻訳語を適切なものに置き換えていくことにつながった。たとえば旧版ではcapabilityを「潜在能力」と訳していたのだけれど、これは当時、それが「定訳」であったからだ。けれど、翻訳者の立場から読むとこれが誤訳といっていいぐらいのマズい訳だということはすぐにわかる。細かなことを言い出したらいろいろあるけれど、簡単にいうならcapabilityは「潜在」している必要がない。潜在していようが顕在化していようが、どちらであってもcapabilityだ。そして、この12年間で「潜在能力」のマズさが社会学の業界内でも明らかになってきた。なので、翻訳語が改められ、読みやすくなった。そんな訳語がいくつもある。だから読んでいて「?」となることがだいぶと減った。そこに貢献できたのは素直に嬉しい。

 

前回、やはり同じ監訳者で「子どもの貧困とライフチャンス」という本を訳したときには、長い長い感想文を書いた。

www.kamogawa.co.jp

今回も同じように感想文を書いてもいいのだけれど、本の性格がちがうので、安直にまとめられない。なので、今回は、翻訳中に拾った主に訳語の選択に関するネタをいくつか書いていこうかと思う。「主義」に関しては他のネタとの絡みがあったので先に書いたが、ほかにもいろいろと勉強になったことがある。そういうのをメモしておけたらなと思う。まあ、時間と根性が許せば、だけれど。

 

発売までにはまだ少し時間があるのでいまからだと「予約注文」になる。それでもよろしければぜひ。いや、そんなことを書いても意味ないと自分で書いたばかりなのにな。