なぜ「昔話」のオリジナル版をあまり目にしないのか

こんな増田記事を見てブコメを書こうと思ったけど、長くなるのでこちらで。

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[B!] 昔話はなぜ文語じゃないんだろう

「昔話」と一口に言っても、中身はいろいろある。柳田国男を先駆として各地で採取されてきた「民話」が量からいっても質からいっても「昔話」の大部分を占めるとして、そのなかにもいろいろな系統やら分類やらがあるらしい。そして、その外側に書物に記され、文書として読まれてきたものがある。ただ、それらも口承で伝えられてきたものの記録であったかもしれないし、あるいはオリジナルな創作であっても、それが口承され、やがて民話の中に溶け込んでいったものもあるだろう。

口承の民話であれば、それが文語でないのはある意味、当然だ。文語どころか、地方独特の語り口で記録されたままのものは、現代語の感覚だとまったく意味がわからなかったりもする。そういった記録は当然存在しているのだけれど、一次資料的なそういうものが一般の目に触れないのは、これも当然だろう。

その一方で、書物として伝えられてきた「昔話」に関しては、当然ながら古文で書かれている。増田は「我々が知っているのは、かぐや姫に対する竹取物語ぐらい」と書いているが、たとえば「浦島太郎」は「丹後国風土記」だし、「ものぐさ太郎」は「御伽草子」が出典だ。「こぶとり」は「宇治拾遺物語」に記載されている。これらは、古文で書かれていて、ごく普通に入手できる。たとえば私の書棚にも、岩波文庫版の御伽草子がすぐ手の届くところに置いてある。

つまり、「竹取物語ぐらい」というのは、増田が単に無知なだけだ、と言ってしまってもいいのだけれど、実はここにはそういう無知を発生させる事情があると私は思っている。それは、高校入試、大学入試の存在だ。

 

通常、高校入試、大学入試の国語の試験には古文が出題される。出題される古文は、新たにつくられることはなく(そういう擬古文を問題に出したらたちまち各方面からたたかれるだろう)、中世以降に実際に書かれた文献から抜粋される。千年以上も蓄積された文献があるのだから、いくらでもバラエティに富んだ出題ができるはずだ。しかし現実には、「この文は頻出!」とか、「これは過去にも出題されたことがあるね」みたいなものが多い。つまり、膨大な文献の中から入試問題に出題されるのはごく一部でしかない。

なぜかといえば、それは入試問題のフォーマットのせいだ。入試問題は制限された時間内で解くことが前提であり、たとえば1つの古文に関しては15分とか20分ぐらいで解くことになる。となると、問題文が長大であってはならない。数百字から文系大学の入試でもせいぜい千数百字程度までの長さであってほしい。そして、文脈を理解するためには、できればそれだけの文字数で完結していることが望ましい。そんな都合のいい文だけが入試に選ばれる。

なぜ徒然草宇治拾遺物語が入試問題に頻出するかといえば、単純に長さがちょうどいいからなのだ。もちろん今昔物語や宇治拾遺物語の中には長い目の説話も含まれているが、そういうのは出題されない。入試問題にちょうどいい長さのものばかりが選ばれる。江戸文学あたりだとそういう長さのもののバリエーションも増えてくるけれど、鎌倉時代あたりだと本当に限られてくる。御伽草子は室町期の成立といわれていて、古文の問題として出題されても不思議ではないのだけれど、滅多に出ない。その理由は、単純に一話が長いからだろう。

だから、少し時代が下って安土桃山時代の「伊曽保物語」はよく出題される。これは元ネタがイソップ物語で一話あたりが非常に短い。だから、高校入試とかにはうってつけなわけだ。翻訳(翻案)に過ぎない伊曽保物語と御伽草子と、文学史的にどっちが重要かといえば、甲乙はつけがたいのではないか。そのなかで御伽草子が入試に出にくいのは、その理由として「長いから」という身も蓋もない事情以外、考えられないのではないかと思う。

そして、一般人が古文を読むのは入試や入試対策にほぼ限られるのだから、入試に出ないとなると、その存在すら気がつかないことになる。増田の無知は笑えない。恥ずかしいのは入試制度に過度に傾斜した学校教育のほうだろう。