Web 2.0 以前のテレワーク - ノマド的生き方の思い出

私は若いころ、学参業界と呼ばれた出版業界の片隅でフリーの編集者をしていた。地味で泥臭い仕事で、だから大学を卒業しなかった私でも潜り込むことができたわけだ。主な業務は原稿作成から下版までの校正作業を含む一切だ。写植の時代から電算写植、DTP黎明期からDTPが標準になる時代ぐらいまで、そういう仕事をやっていた。編集プロダクションのアルバイトから修行を始め、足を洗う数年前は小さな会社をつくって事業にしていた。だから20年近い経歴はずっとフリーというわけではない。

もともとこの仕事、好きではなかった。生きるための稼ぎとして始めた仕事が、そのうちにクライアントの業務の流れに組み込まれ、抜けようにも仕事が追いかけてくるようになった。だから学参以外の仕事があれば必ずそっちを優先して請けるようにしていたし、学参の仕事は可能な範囲で下請けに出して、できるだけサボるようにしていた。もっとも品質は確保しなければいけないので、完全に丸投げはできなかった。このあたり、チキンな性格がよく出ている。

そんなふうに年月が過ぎていたのだが、ある年、「嫌な仕事とかゴチャゴチャ言わず、今年は死ぬ気で稼ぐぞ」と決心した日があった。というのは、その年は指導要領の改訂を受けての教科書大改訂の年にあたり、私が最も多くの仕事をもらっていたクライアントで大規模な業務が発生していた。そしてそのクライアントは電算写植へのデータ入稿を活用することで大幅な業務フロー改革を行って、その大波を乗り切ろうとしていた。その中で、データ入稿ができる実行部隊として、私に白羽の矢が立った。可能な範囲でいくらでも仕事は受注できる。ただし、まだまだ経験の蓄積されていないデータの世界だ。中途半端なことでは大規模な穴を開けてしまう。請けるか、逃げるか、ふたつにひとつだ。私は腹をくくることにした。

通常よりも早い2月あたりから仕事がはじまった。クライアントからNECのノートパソコンを支給され、私は準備にかかった。その矢先、札幌に住むひとつちがいの兄から緊急の連絡が入った。兄嫁が危篤だという。私はとるものもとりあえず札幌に飛んだ。そして1週間がたって、兄嫁の息は絶えた。

いまならまったく別な対応をするのだと思う。けれど、若い私はどうしていいかわからなかった。ただ、同様に若い兄を放っておくわけにいかないと感じた。そこで弔いの準備のためにいったん東京に戻った私は、PCや書類をカバンに詰め込んで札幌に戻った。そして、喪に服した家で仕事をはじめた。

仕事をはじめてみると、それはそれでなんとかなることがわかった。ひたすらデータをつくりこむ作業だから、誰にも会わず、ひきこもっていてもできる。東京では都心部にアパートを借りていてクライアントから呼び出しがあればいつでも行ける態勢をとっていたのだが、そこを離れても、雑用がないぶんだけ作業に専心できる。1ヶ月もこもっていれば数冊分の原稿ができるから、PCをかかえて東京に戻り、クライアントの編集部の片隅にデスクを借りて入稿のための仕上げ作業をやる。数日の滞在でそれを終えると、再び札幌に戻る。そういうサイクルを何度も繰り返すことで作業は進行した。

やがて最初の頃に入稿した原稿のゲラがあがってくる。これは宅配便で東京から送ってくる。朱を入れて、同様に宅配便で返送する。この間のメインの仕事は原稿作成だから、そのリズムを崩さないように、ゲラのための移動は行わない。最初は2000円近い運賃を高く感じたが、そのうち、そのぐらいできちんと届けてくれるのは安いものだと思うようになった。そうやって夏を乗り切り、すべてのデータを渡し、校正から下版へのサイクルになった。さすがにその作業は遠隔ではできず、私は東京に戻ることになった。その頃には兄の生活もすっかり落ち着いていた。悲しみは悲しみとして、ひとは日常を取り戻さねばならない。

大車輪で校了へと動いて、私の請け負った仕事はほぼ予定通りにゴールに到達した。だれもが未経験のチャレンジで、よくあれだけのことができたものだと思う。実際、他の編集プロダクションが担当した教科は大幅に進行が遅れていた。なので私はそちらへの応援にも駆り出され、そして最終的にかなりまとまった売上が手に入った。私の生涯で、ほぼ唯一、まともな収入があった年度だった。

その大金を懐に、私はようやく念願をかなえることにした。学参業界から足を洗うのだ。まずは東京を引き払った。そして、いろいろあって、2年ばかり、全国あちこちの田舎を見て歩くことになった。あちらに3日、こちらに10日というように、農家や田舎暮らしの人々の家に草鞋を脱いでは、その暮らしの様子をつぶさに学ばせてもらうことになった。その話は長い別の物語になる。

ただ、世の中、思ったように事は運ばない。それだけの仕事を成功させた人間を、クライアントは放っておいてはくれないのだ。大改訂の翌年で学参業界全体の仕事は大きく減っていたけれど、それでも小さな仕事は継続的に発生する。クライアントはそれを私に回してくれた。

奇妙なもので、いったん根無し草の生活をはじめると、やはり不安が生まれてくる。お金はほしいのだ。だから、私も「学参から足を洗う」という決心はどこへやら、追いかけてくる仕事を渡りに船と請けることになる。結果として、私は旅の荷物にゲラを突っ込むことになった。一応、根拠地として京都にアパートを借りていたから、ゲラはそっちに届く。不在配達票をもって荷物を受け取りに行くと、そのまま再び旅に出て、そして出先から宅配便でゲラを返送する。そのうちに担当者からは「次はどこから荷物が届くか楽しみです」とまで言われるようになった。「寅さんみたいですね」と笑っていた人もいた。携帯電話が普及していなかったから、電話連絡はこっちからするか、アパートにいるときに運良くかかってくるのを受けるかしかない。それではあまりに不便だというので、滞在先の電話番号を教えることもあった。固定電話をそういうふうに使う感覚は、いまとなってはちょっと不思議かもしれない。

ちょうど、パソコン通信なるものが世の中に出回り始めた時期だ。インターネットが日常になるよりはるか以前、まだまだコンピュータは暮らしの中に入り込んでいなかった。それでも旅を続けながら、私はコンピュータの基礎をおぼえ、DTPにつながる知恵を学んでいった。そこから先は、次の物語だろう。

 

この話はフリーランスの業務であって、いま急浮上してきたテレワークとはちょっと毛色がちがう。どちらかといえばだいぶ前に流行ったノマドワークに近いような気もする。とはいえ、インターネット以前、会社に行かずにどうやって業務を成り立たせていたのかという疑問に、ひとつの事例として答えられるのかなと思って、このコロナの時代に書いてみた。ま、若くて体力があったからできたんだよなあと思う。

インスタントラーメンの思い出

世間のひとに比べれば、私はインスタントラーメンを食べないのだと思う。半年ほど前だったか、従姉妹と話していて、「月に1袋か2袋ぐらいは食べるかなあ」と言ったら、「うそ、あんなん、毎日食べるやん!」と驚かれた。月に1袋か2袋というのはそれでも私の生涯の標準からいえば多い方だろう。忙しくなるとインスタント食品に頼りがちになるのは、まあふつうだと思う。

別段、インスタントラーメンが嫌いというわけではない。そうではなくて、どうも分量が合わない。1袋食っても食事としての満足感はないし、じゃあ2袋食えるかといえば口が飽きてしまう。野菜や肉でボリュームをつければいいのかもしれないが、そこまでする余裕があるならなにもインスタントラーメンを使う必要はない。間尺に合わないから、台所に買い置きがあっても使わないまま日が過ぎる。消費期限が近づいて慌てて食べるようなこともあった。

それは、独身時代からずっとそうだった。むしろ、独身時代のほうが食べなかった。たぶん、ひとり暮らしをしていた20年足らずの期間に、自分のキッチンで調理したインスタントラーメンは数袋程度だと思う。チキンラーメンは子どものころから好物だったから、たぶんそれは食べている。ただし、山登りでは別だ。山岳部の朝食はインスタントラーメンと決まっていて、それもシビアな連中は嵩張らないマルタイラーメン一択だった。だから山岳部の連中と山に登ったら、必ずインスタントラーメンを食った。私の中でのインスタントラーメンの位置づけは、そういうものでしかなかった。

この、山で食うマルタイラーメン、山岳部に入って合宿で1日おきぐらいに食わされて、旨いと思ったことがなかった。腹が減っているから食えるのであって、あんなもの、普段なら絶対に願い下げだと思っていた。ところが、下宿生は合宿の残食のマルタイラーメンを喜んでもって帰る。「そんなもの、下界で食うか?」と聞いたら、「マルタイ、旨いで」と言う。変わったやつがいるもんだと思っていた。

それが、ある合宿のあと、残食を持ち帰った中にマルタイラーメンの袋があった。ふつうなら次回の合宿のためにまた部室に持参するのだけれど、そのときはたまたま母親が昼飯の段取りをしておらず、「なにか食べるものないか」という流れでこのマルタイラーメンを持ち出した。私は気が進まなかったのだけれど、ふと、下宿生の言葉を思い出した。「ちゃんとつくったら旨い」と、言っていたな。じゃあ、ちゃんとつくってみようと、水の量を計り、茹で時間を測って調理したら、拍子抜けするぐらいに旨かった。母親が、「あんた、山でこんな美味しいの食べてるんや」と言ったぐらいだ。

山登りでつくるインスタントラーメンは、基本的にまずい。それはまず、水の量がいい加減だからだ。多くの場合、少なくなる。なぜかといえば、それはまず水が貴重だからだし、お湯を沸かすのに必要となる燃料や時間がもったいないからだ。水が少なければ、燃料も時間も節約できる。必然的にスープは少なくなるが、それは調味料の袋を1つ減らすことで対応する。入部したてのころ、先輩が「全部入れるな」と言っていたのは好みの問題以前だったわけだ。さらに、高山では気圧の関係でお湯の温度も低くなる。沸点が下がるのだから、沸騰していても温度が低いままなのだ。加えて、時間がいい加減だ。みんな腹が減っているから、3分の調理時間が待てない。こういった各種要因が全部積み重なるから、山で食うインスタントラーメンは団子っぽく、決して旨いものではない。そもそも旨くつくろうというインセンティブがない。腹が満たされれば上等というのが、大学山岳部における山飯の基本コンセプトなのだ。

だから、「マルタイが旨くない」というのは、実に失礼なことだったわけだ。ちゃんとつくらないから旨くない。ちゃんとつくれば、さすが、九州人の誇りであるわけだ。

 

さて、遅い結婚をして、私は地方都市で慎ましやかな新婚生活を始め、やがて子どもにも恵まれた。結婚時点で私は自営業に復帰したばかりであり、少しの売掛金はあったものの決まった取引先もなく、自営というよりは無職不透明に限りなく近い存在だった。後になって嫁さんは「よくそんなんで結婚しようと思ったなぁ」と呆れるようになったのだが、そんな男と結婚してもいいと言ったのはあんただろうと、笑い話にしかならない。結婚してからは「稼がなきゃ」とフリーの翻訳者として仕事を入れるようになったが、駆け出しの翻訳者は、強引にでも仕事をとってこなければすぐに干上がる。待っていて仕事が転がり込んでくるような身分ではないわけだ。そうやって条件の悪い仕事でも文句を言わずに請け負ってどうにか収入を確保したが、いよいよ出産となって、それどころではなくなった。半ば意図的、半ばやむを得ず、私は産休・育休に入った。そして、ほとんど仕事もせずに半年が過ぎた。

仕事をしなかったのは、体力の弱った嫁さんを助けたかったのと、小さな子どもが気になって仕方なかったからだ。落ち着いて翻訳の案件を取りに行くだけの集中力もなかった。それでも半端な仕事を求めて再起を図ろうとしたが、子どもの泣き声が聞こえるたびにデスクをはなれていた。けれど、ウロウロするばかりの私が助けになることはあまりなく、産後の回復がなかなか進まない中で嫁さんの育児による疲労は増すばかりだった。

そうやって半年余りが過ぎたところで、このままでは詰んでしまうことに私も嫁さんも気がついた。まず、私が戦線離脱した。そのまま売上がほとんど立たない状態を続けるわけにいかないのを口実に、職安に行って奇妙な会社に雇われた(この一件は別の長い話になる)。一方の嫁さんは、しばらく孤軍奮闘を続けたが、すぐにあきらめて子どもを保育園に預けることにした。田舎のことだから待機もなく、すぐに受け入れてくれる園が見つかった。こうして彼女は、ようやく身体を回復することができるようになった。

地方都市のことだから、通勤はそれほどかからないのが普通だ。それでも私の新しい勤務先は、市街地を挟んでちょうど反対側にあって、バイクをすっ飛ばして15分ほどかかった。嫁さんと子どもが気になる私は、昼休みになるとすぐに会社を飛び出して、アパートに戻る。お互い、顔を見るとホッとするのだ(なにせまだ新婚だった)。そして昼飯ということになるのだが、彼女の体調の悪い日はなにも食べるものがない。じゃあ、さっとつくるよと言って、私がインスタントラーメンをつくることがよくあった。60分の昼休み、往復に30分とられるから、10分でつくって10分で食べるようなインスタントラーメンは重宝するのだ。そして彼女は、私がつくるインスタントラーメンが美味しいと、不思議がった。

なんの不思議なこともない。インスタントラーメンをほとんどつくったことがない私は、袋の表示通りに水と時間を測るしかなかったのだ。山岳部時代の経験から、水が足りないとインスタントラーメンが美味しくないということだけは知っていた。けれど、どのくらい入れれば十分なのか、経験がなかった。だから、スケールを持ち出してきて規定量を計った。キッチンタイマーで規定時間だけ調理した。それだけのことだった。それで十分な味が出るように、メーカーは設計している。

 

もちろん、あらゆる料理でそんなことをするかといえば、そうではない。私はどうも発達障害の気配があって、レシピを見ながら調理という並行作業ができない。ラーメンの水の量と加熱時間ぐらいならなんとかなるが、複数の調味料を使って、おまけにその投入のタイミングが決まっていたりするようなレシピは、未だに絶望的にこなせない。それでも独身時代からずっと台所に立ち続けているから、それなりに料理はできる。家庭菜園歴も長いから、他の人にはないバリエーションももっている。

そういう独特の料理をネタに、本を企画したことがある。知り合いの編集者と別の本の話をしていて、いつの間にか自分で料理の本を書くつもりになっていた。結局この原稿は日の目を見ることはなかったのだけれど、そこに書いた数十種類のレシピに、分量の記載はひとつもない。料理は一期一会であって、プロでもなければ再現性を求めるものではないように思う。

実際のところ、たとえ袋に書いてあるとおりにていねいにつくったとしても、もうあのときのインスタントラーメンの味は戻らないのだと思う。新婚の頃のあの驚きに満ちた日々は、あのときだけのものなのだ。

それもまた、人生というやつなのだろう。

なぜいま9月新学期を語るべきではないのか - 意見は変わるのが当たり前

思いもかけず「9月入学」の議論が行われるようになって、マズいなと思っている。本質からズレまくっているからだ。それに関してはもう1週間も前に書いた。

mazmot.hatenablog.com

「9月」は手段であって目的ではない。そして、手段としても既に遅きに失している。4月1日頃の時点では、「先が見えないと、安全な再開方法について十分な準備ができず現場が逐次消耗する。それよりは思い切った先に再開日を設定してそれに向けて準備すべきだ。結果的に秋から再スタートがいいだろう」と思えた。しかし、既に1ヶ月以上が失われている。それだけではなく、「安全な学校再開」という本来の目的を見失った議論で、こういった時期にもっとも避けるべき混乱が発生している。この方向で議論を続けても、「十分な準備」をするのに必要な時間を確保するどころか、むしろその時間がどんどん失われるだけだ。だから、この話はすっぱりと打ち切るべきだ。

そういう意味で、この朝日新聞の記事は本質をついている。これに何かを付け加えることはない。

www.asahi.com

 

私は「学校は変わるべき」と思っている。現状ではとても子どもたちの「教育を受ける権利」が保障されていないという問題意識をもっている。けれど、そういう問題意識を共有しない人々が主流の中で教育制度改革を訴えても、議論はアサッテの方向に行くだけだ。まずは問題意識をしっかりと人々に共有することが先であり、それがない状態で「この機会に問題解決を」と思っても無理だということに、いまさらながら気がついた。自分の愚かさを反省するしかない。

ただ、自分が問題を投げかけたことは後悔はしていない。もちろん「9月」は、有名教育評論家の思いつきが発端であり、私や、どこかの高校生が言ったことは議論の呼び水にはならなかった。それでも、多くの人が「ここまで引っ張ったらいっそ9月」と思ったから、議論がここまで盛り上がったわけだ。そして、こんな片隅のブログからでも、その議論に加われたことはよかったと思う。

そして、そういう議論の結果として、私は「やはり9月に仕切り直しというのは良くない」と意見を変えた。変節ではない。議論を通じて人は意見を変えるものだ。そうでなければ、議論の意味はない。これに関しては、以前に詳しく書いた。

mazmot.hatenablog.com

自分が誤ることを怖れて声を上げないことは、民主的な社会、科学的な態度を基調においた社会においてはもっともよくない。だから、私が「もう9月入学の議論はやめようよ」と言っても、やっぱり議論は続いていくだろう。だが、そこに加わる人々の意見もまた、変わるのだ。議論に加わる双方がそれぞれ意見を変えることによって、より次元の高い解決策が見つかる。それが議論の目的だ。

にしても、私はこの議論から抜けようと思う。だって、「欧米の主流に合わせよう」とか、あんまりにもレベルが低くて、アホらしいもの。それよりは、どうやって感染拡大下での教育が可能になるのか、そして、そのなかで私が問題だと思う子どもたちが学校で精神的に虐待されている問題はどのように推移するのか、そしてそれに対して自分に何ができるのかに、自分の意識を移していこうと思う。

 

それより何より、問題は息子を起こすことだ。学校休業のおかげですっかり生活リズムが狂ってしまっている。さ、朝飯の支度をして…

感染拡大から抜け出る細い道が見えてきた、ような気がする

専門家じゃないのでものすごく雑な話になる。たとえば抗体検査で抗体ありと出ても必ずしもそれで再度の感染をしない保証にはならないとか、たぶん詳しい人にはごく初歩になる前提とかもすっ飛ばしているかもしれない。けれど、抗体検査の結果がぼちぼちと出はじめて、ようやく出口に至る道筋が見えてきたように、シロウトなりに感じている。で、シロウトが居酒屋談義を始めたって仕方ないのだけれど、そういうレベルの話だとことわっておいてする分には害もなかろう。専門家の方から見て、「ああ、世間の誤解はこの程度なのか」と理解する一助になるかもしれないし。

 

まず、従来考えられてきた「出口」には二通りがある。ひとつは完璧な防御であり、たとえば天然痘が撲滅されたようなイメージだ。「コロナ制圧」とか言ってる人のイメージはそういうものなのだろう。もうひとつはいわゆる集団免疫の獲得で、これはウィルスとの共存ということになる。インフルエンザが完全に撲滅されているわけではないけれど既存のインフルエンザに関しては流行があっても別に緊急事態とはならないのと同様、感染する人が発生しても大流行にはならなければOKというイメージだ。この両者の中間に特効薬が開発されて治療法が確立することで解決していくイメージがある。これは「特効薬でウィルス撲滅」から「感染したら特効薬で治療」というところまで、ちょうど2つのイメージの中間の広い範囲をすべて埋め尽くす曖昧さをもっている。語る人によってイメージがちがうので、ちょっと厄介かもしれない。

この出口のイメージによっては以下の話がタワゴトにしか聞こえないだろうから、予めことわっておく。私は、水際作戦が失敗した時点で(後知恵で見ればそもそもあれが「水際」だったのかどうかも怪しいが)、出口は後者でしかないと思っている。つまり、「制圧」なんてのは無理、共存していくしかないんだろうなあと思ったし、いまもそう思っている。インフルエンザ治療薬の現在を見れば、仮に特効薬が出ても、それはほんのちょっと回復への道を助けてくれるぐらいで、基本的には厄介なまま残るのだろうと思う。もちろん、それでも薬はあったほうがいい。けれど、共存戦略の基本は、集団免疫であり、それはつまり、表現は悪いが「みんなでかかろう」ということなのだろう。

じゃあ、いま、外出を自粛し、三密を避け、手洗いを励行し、マスクをかけているのはなんのためなのかということになる。みんなで感染することが出口なのだとしたら、なぜ感染予防をするのだろうか。それはひとえに医療崩壊を起こさないためだ。

感染すれば、一定の比率で重症者が出る。爆発的な流行では、その数は膨大になる。重症者は医療機関で治療しなければあっさりと死ぬ。したがって病院に連れて行かないわけにいかないが、病院が対応できる患者数には限度があり、それを超えると医療機関が正常に稼働できなくなる。結果として、感染症以外の患者の治療もできなくなり、多くの救える生命が失われる。もちろん、医療機関から溢れ出した感染者の生命も失われる。これが医療崩壊のイメージだ。実際にイタリアで起こっていることはこれに近いのだろう。

だから、重要なことは、医療崩壊を起こさない程度のスピードで感染がひろがることだ。そして、そのスピードは、ブレーキを常に踏み続けない限りすぐに加速する。だから、自粛やらリモートワークやら何やらと、負担の大きい予防策をとらねばならないわけだ。これが現状。つまり、政策も、その実態を見る限り、「完全制圧」ではなく「集団免疫」を目指している。私がそう思うというレベルではなく、どうやら日本は(そして世界のほとんどの国は)それを目指している。

 

ただ、このブレーキ戦略、ブレーキを踏み過ぎるといつまでたっても集団免疫が獲得されないというジレンマをかかえている。感染者数が爆発すると医療崩壊が起こり、増えなければいつまでたっても集団免疫に必要とされる「70%の人が抗体を獲得する」ところまでいかない。ちなみに、少し余談になるが、「多くの人がいったんは感染すべき」ということと「高齢者は死亡リスクが高い」ということを併せて考えると、「どっちみち年寄りは死ぬしかないんやね」という結論に達してしまうように見える。これは今日、高齢の私の母親が言ったことだ。「ちゃうねん。若い人らが抗体をもったら、流行は止まる。そうしたら、感染力をもったひとが高齢者に出会う確率も下がるやろ。そやから、集団免疫ができるまで、できるだけ年寄りは感染せんようにせんといかんねん。そして集団免疫ができたら、年寄りでもある程度は安心してふつうの生活ができる」と、私は説明した。「じゃあ、どのくらい我慢したらええん?」と母親は聞いてきた。そこのところがいちばんの問題だ。

その手がかりになるのが、抗体検査のデータだ。海外では、地域住民をランダムに抗体検査したところPCR検査によって感染が確認された人数の数十倍の人が抗体をもっていたことが判明したというニュースもあった。日本でも、しばらく前にある医師が抗体検査を行った結果を発表したが、そちらの方はサンプル抽出やデータの処理に問題があって、あんまり参考にならない。そして、神戸の病院で「外来患者1000人の無作為抽出で33名のサンプルから抗体が検出された」というニュースがあった。

www3.nhk.or.jp

もちろんこれは、「病院を受診している」時点で既に体調不良の人が含まれる割合が高いわけで、多少のバイアスがかかっている。それでも、すべてのひとが不調を訴えて受診しているわけではないわけで、ある程度は参考にできるデータだろう。そしてこれは、希望であると私は思う。

というのは、これが合理的な感染拡大スピードを教えてくれると思うからだ。この調査が行われた4月7日の時点で神戸市は医療崩壊は起こしていない。つまりはこの程度の感染の拡大であれば医療崩壊は起こさないのだということがわかる。神戸に感染が広がり始めたのはおそらく2月であろうから、長めに見積もっても2ヶ月で人口の3%程度が感染するような流行であれば、医療崩壊は起こさない。そして、その程度の流行をダラダラと続ければ、おそらく3〜4年程度で集団免疫は成立するのではないだろうか。もしもその期間に医療機関の増強が行われれば、もう少し流行の強度は上がってもいいかもしれない。仮にワクチンができれば(私はあまり期待していない)、その期間はさらに短縮可能だろう。どちらかがうまくいけば、2年ぐらいで出口だろうか。

 

ということで、シロウト考えだが、この抗体検査の結果は、細くて長く、両側が崖っぷちの危うさを含んだ、それでも合理的に達成可能な出口への道筋を見せてくれたのだと思う。そういう意味で、福音だ。この道をうまくたどることができれば、医療崩壊も起こさず、軟着陸できる。そのためには感染拡大状況をコントロールすることはもちろん重要だ。そしてそれだけでなく、その他の撹乱要因が発生しないように細心の注意を払わなければならない。たとえば、まったく別種の感染症が追い打ちをかけて広まったら、それだけで医療機関へのダメージは計り知れないものとなるだろう。災害も同様だ。経済的要因による健康悪化でさえ、大規模に発生すればダメージをあたえる。実に危ない道だが、しかしそれでも、遠くに出口は見えている。

 

さて、そんなシロウトの希望がもしも正当だとして、その上で何が重要なのかということだ。それは、「うまくいっても2年かかる」というタイムスパンだ。そして、人間の緊急対応は2年どころか2ヶ月ももたないという事実だ。2年は、過ぎてしまえばあっという間だ。しかし、これから迎えるにあたっては、あまりにも長い。これをしっかりと認識することだ。

たとえば、2年間も売上がなければ、たいていの事業は干上がってしまう。私は自営業が長いので3ヶ月ぐらいは無収入でもどうにかこうにかなるぐらいの乗り切り方を身につけているつもりだが、言葉をかえればそのあたりが限度だ。実際、以前、震災後の不況で仕事が半年にわたって途絶えたときには安い時給で雇われの身にならざるを得なかった。事業によってはそんな悠長なことさえ言っていられないだろう。特に、実店舗を構える事業では、固定費負担がバカにならない。「経済を回す」みたいな脳天気な言葉なんかでは話にならないぐらいにえげつなく、お金が入ってこないことは事業を直撃する。

教育についてもそうだ。学校なんて2ヶ月や3ヶ月休んだってどうということはない。これは他の生徒が登校している最中に不登校になった場合でもそうだ。だから今回のように全員が休みになっているなら、なおのことどうってことはない。しかしこれが年単位になると、そのダメージは取り返しがつかなくなる。その好例は太平洋戦争中の勤労奉仕に見られた。非常事態ということで教育が打ち切られて子どもたちは工場や田畑に駆り出されたが、そこで失われた教育は、埋め合わされることがなかった。

だから、いま、緊急事態宣言が解除されるのを気長に待つようなことは、やってはならないのだ。なぜならそれは、断続的に2年間続く可能性が高いからだ。出口への細い道をたどるつもりであれば、緊急事態宣言は、いったん解除されても、必ず再度、発動される。感染拡大が一定のペースを超えたと判断されれば、いつでも再び緊急事態が宣言されるはずだ。だから、緊急事態宣言下で事業を止める、教育を止めるようなことを続けていては、取り返しのつかない被害が発生してしまう。いや、その被害は既に発生している。それがどんどん拡大し、深化し、社会を大きく傷つけてしまう。

 

2年間を失うわけにはいかない。ではどうするべきなのか。それは、緊急事態宣言下でも可能な形で事業や教育を再開することしかない。ここで思い出すのは、1970年代の「公害」だ。私はその時代、堺市の郊外で小学校から中学校に通っていたのだが、「光化学スモッグ注意報」が発令されると校庭には赤い旗が立ち、子どもたちは教室から一歩も外に出るなと厳命された。もちろん体育の授業も校庭を使えない。休み時間に遊ぶこともできない。正常な教育ができないという反発や不安が高まったが、やがて環境規制が功を奏して事態が正常化するまでの数年間、学校はそれで乗り切った。学校を閉鎖するのではなく、教育の形を変えてでも、継続する道を選んだわけである。

今回の感染拡大は、対策がもっともっとたいへんだ。赤旗を立てれば済むようなことではない。けれど、「緊急事態宣言下でも可能な形態の教育」は、思い切った改革を行えば十分可能なはずだ。行政はリソースを集中的にそういった改革に対して投入すべきだ。

そして、現在は感染拡大状況では絶対に再開できないと思われているような業種に関しても、何らかの工夫で、営業ができるようになるものがあるのではないだろうか。だから、政府はいつまでも休業補償を行うのではなく(あ、最初からやってなかった? 失礼。いや、最初の半年ぐらいはきっちりやろうよ)、「感染対策強化設備投資」や「感染対応業態転換投資」「感染に係る事業転換投資」などに対する融資や補助金、奨励金を積極的に出して、「緊急事態宣言下でも営業可能な事業」を増やしていくべきだ。そういうふうにして事業や教育を再開していかないと、とても2年は乗り切れない。

 

「経済が死ぬから緊急事態宣言を解除」とかいうのは、滅びへの道である。同時に、「感染が落ち着くまでは我慢」というのもそれ以上に地獄への道である。どちらも選ぶべきではない。必要なことは、2年間は緊急事態宣言が継続すると覚悟して、それでも社会活動が再開できるように、人間の行動様式を変えることだ。いみじくも、「新しい生活様式」が提唱されている。これはほんの小さな第一歩だと思う。そこからさらに踏み出して、感染拡大下でなお可能な活動を再開しよう。そして、行政は、それを積極的に模索し、支援すべきだ。そのぐらいのことができなくて、なんの政治だと思うよ。

 

ま、居酒屋談義だけれどね。あーあ、飲み屋も行けないんだから…

学校はどうすればいいのだろう - 現在進行中の不具合

春休みを含めれば既に2ヶ月、そしてこの先の1ヶ月の合計3ヶ月にわたる学校休業は、既に大きな被害をもたらしている。直接の原因は天災である。新型コロナウィルスの流行がなければこういった事態にはなっていないわけで、そういう意味では誰の責任でもない。しかしながら、教育を受ける権利が最高法規に明記されている以上、さらにはそれ以前に子どもたちを健全に育てねば社会が崩壊することが明らかである以上、いつまでも放置するのは社会として無責任であると言えるだろう。そして、制度上、責任は行政府にある。政府には、これを打開する責任がある。

これが、今回のような感染拡大でなければ、事態がおさまるのを待って再開という手段が妥当な選択肢に数えられるだろう。たとえば地震や洪水による被害であれば、復興を待って学校教育を再開というのは従来もとられてきた政策である。その際に失われた時間は、長期休暇の短縮等で埋め合わせることができる。

しかし、今回に関しては、同じように考えるわけにはいかない。ここのところがよく誤解されているように思う。5月の末だろうが9月だろうが、そこで感染拡大が収束している保証はひとつもない。希望的観測としては「梅雨時になれば…」とか「暑くなれば…」「いくらなんでも秋には…」というのもあり得るし、実際、私だって一日も早くいい兆候が出て元に戻って欲しいとも思う。しかし、いろいろと今回の騒動の本質が明らかになるにつれて、「元通り」はしょせん無理なんだなということがわかってきた。待ってもムダになる可能性が高い。なかなかはっきりしたことを言わない政府でさえ、「新しい生活様式」と言い出した。元通りにならないことをこれほど明確に表現したことは、これまでなかったのではないか。もしも戻る気があるなら、「新しい」なんて言わなかったはずだ。ここから先、かなりの長期にわたって生活様式を変えなければならないことがよく表現されている。

元通りに戻すわけにいかないこと、そして、感染拡大がどう推移するか読めないことを併せて考えれば、子どもたちの教育に関しても、「新しい教育様式」を考えないわけにいかない局面だということが自動的にわかるはずだ。なぜなら、従来の学級制をベースにした学校運営では、感染リスクを誘発する密集が避けられないからだ。もちろん物理的に教室を広くして拡声器などを使用して密集を避ける方法もないことはないが、もっと単純に、子どもたちの集団単位を小さくすることのほうが有効ではないかと思う。そして、そういった変化を準備するには時間がかかる。

現在、学校はてんてこ舞いだろう。小出しに延長される休業に対処するため、さまざまな仕事が発生している。そういう消耗戦を続けても、「新しい教育」は見えてこない。そうではなく、いったん完全にオフにして、その代わり、きっちり準備して「新しい教育」をスタートするほうがいいのではないかと考えた。だから私は以前このブログで「9月」を主張した。このあたりのことは、ここまでくどいぐらいに書いてきた。(そろそろこの話題から離れたいのだけれど、どうも世間の議論がアサッテの方向から動かないので、そうもいかない。やれやれ)

 

特に、現在の議論からすっぽりと抜けているのは、「じゃあ、対策しないでこのまま放っておけばどうなるのか」という視点だ。現在どんな不具合が生じているのかを直視することだ。そこに焦点を当てれば、「どうも感染が収まらないからまた1ヶ月休業を延長します」みたいな対応を続けることはもう無理だということがわかるはずだ。これが他の災害なら、そういう様子見だってあり得るのだし、教育改革なんて時間と手間のかかる議論はもっと落ち着いたときにやってくれという話も説得力をもつ。けれど、現状はマズい。そしてこれを続けることはもっともっとマズい。先の見通しがたたないことは、破滅的にマズい。子どもたち自身やその家庭では、かなりのひとがそれに気づいているはずだ。

 

学習面に関してマズいのは、子どもたちの教育がバラバラに行き当りばったりで行われていることだ。もちろん、緊急時にはそういう現場の臨機応変な対応こそが必要とされるし、そういった対応の中からしか未来は生まれない。だから個別で頑張っておられる教員の方々には頭が下がるし、その努力はきっと報われるものと思う。しかし、さまざまな学校の生徒を横断的に指導する立場の家庭教師から見れば、このような対応が生徒一人ひとりの単位で学習への取り組みに大きな差を発生させることにつながっているのが見える。そして、そこで失われるものは、現行の枠組みを維持したいのであれば、とてつもなく大きい。(私自身の個人的な信条からいえば、学習進度がてんでんばらばらになることには何の問題もなく、むしろ、その方が世界が豊かになるとさえ思う。皆が同じカリキュラムを同じように学ぶことが前提である現在の教育制度はむしろ子どもたちを不幸にしていると思う。だが、緊急事態下にそこまで話を広げるべきではないので、ここは現行の枠組みを尊重する形で話を進める)。

子どもたちの学習が遅れることに対して、ある学校では「宿題」で対処し、ある学校ではさらに「オンライン教材」を加えて対応する。その出し方の工夫も千差万別だ。そういった差も大きいが、それ以上に大きいのは子どもたちの側、家庭の側の受けとめ方だ。同じ課題が出ても取り組み方の程度の差は、通常時に比べてはるかに大きい。というのも、学校は表向き休業であり、休業中の自宅学習は成績に反映しないというタテマエになっているところが多い。それを額面通りに受け取ってサボるのも、それはそれであり得る対応だろう。その一方で、「この休みの間にこそ差をつけろ」とハッパをかけられて取り組む生徒もいる。そういった意識の差は通常時でもあるのだけれど、ふだんであれば学校教師はあの手この手を使って子どもたちの取り組みの強度を揃える。いわゆる「やる気」を上げるための各種の手口はあざといほどで、私なんかは「そこまでせんでも」といつも思うのだけれど、そういうふうにすることで(特に中学・高校では)生徒たちの「学力」(つまりはテストの得点能力)がある程度足並みをそろえた水準で保たれている面も否定できない。そういうフォローがない状態で、コロナ休み明けに蓋を開けたら、とんでもない格差が発生していることに気づくはずだ。

そして、こういった臨時の学習形態は、教材に依存することになる。それが本当に正しいことかどうか、私は疑いをもっている。というのは、授業もなしにいきなり問題集の問題に取り組ませるのは、海図もなしに航海に送り出すのと同じようなものだからだ。ただ、皮肉なことに、一部の優秀な生徒に関しては、むしろ余分な授業なんかなしにひたすらドリルに取り組む学習のほうが得点能力をあげている。特に高校生ではそれが顕著だ。その一方で、一部の生徒にとっては教材を開いても何をしていいのかさえ見当がつかない事態を発生させている。結果として、学校が同じ対応をしている生徒であっても、そこに大きな学力差が生まれていくことになる。

さらに、学習産業の対応も一様ではない。教室型の塾や予備校は特に都市部では休業要請を受けて閉鎖されている。それらの塾や予備校でも、オンラインに移行できるところはオンラインで商売をしているが、やはりそれは利用者のリテラシーによって結果の差を拡大する。家庭教師は一部営業を続けているが、自粛下の需要は特に増えている様子もない。このようなところからも格差はひろがっていくだろう。

 

学習面の個人差は、大きな視点に立てば問題ないともいえる。あるいは、数年かけて修復していくこともできる。より大きな問題は、子どもたちが蒙っている精神的な被害だ。これは、子どもの年齢によって性質が多少異なっているように見受けられる。

小学生の場合、被害は遊びを通じた人間関係の成熟が阻害されることだ。そしてこれにはかなり個人差が大きい。近所に仲のいい友だちがいて、どちらの家庭でも外遊びに対して強い抵抗がない場合には、影響が小さい。一方で、学校が休業することで仲のいい友だちに会えなくなって孤立する子ども、家庭から外出を強くいましめられて友だち関係が切れてしまう子どもも生まれている。集団の中での自己形成が重要な年齢において友だちの果たす役割は大きく、長期にわたることによってその被害は加速度的に大きくなっていくだろう。

中学生に関しては、友だち関係の重要性もあるが、思春期の重要な時期に不安をひとりで抱え込まねばならないことの影響が大きいようだ。親子関係が変化しはじめる時期でもあり、特に両親が在宅勤務になった場合など、思わぬ影響が出ることにもなるだろう。学校はそういった場合の逃げ場としての役割ももっていたのだけれど、逃げ場をなくした子どもが追い詰められるケースもこれから増えてくるのではないだろうか。

高校生になると、なによりも将来に対する不安が高まってくる。学校は、「ふつうに学校に行っていればどうにかなる」という、ある意味根拠のない自信を与えてくれる安全装置の役割ももっている。その学校が休業することで、それでなくともこの年齢に生まれがちな将来への不安を覆い隠すことができなくなる。漠然とした不安は、長く続くとひとを蝕むだろう。

そしていずれの年齢においても、いつ再開されるのかわからない、いつになったらこの状況から抜けられるかわからないという不安が常に日常につきまとうことになる。その影響は個人差が大きいが、センシティブな子どもにとっては負担が大きすぎるのではなかろうか。

 

そして、無視できないのが、子どもたちを育てる家庭の負担だ。多くの家庭は、子どもたちが学校にいって昼間は留守にすることを前提にその生活を組み立てている。小学校低学年の子どもに対しては生活ケアをしなければならないので、学校がない場合、そのめんどうをみるおとなの在宅を必要とする。私自身の経験では、在宅仕事中に6〜7歳の子どもが周囲をウロウロするのは、仕事の能率を大きく下げる。学年があがるとそのあたりの負担は急速に減るが、怪我やけんかなどのトラブル対応が多くなる。もちろん、交通安全などの面での不安も高まる。高学年になると、学校からの要請によっては勉強の管理をしなければならなくなる場合もある。中学生との間で精神的なコンフリクトが発生しやすいことは先にも述べた。高校生ぐらいになると、子どもが在宅することによる親の精神的な負担はほとんどなくなる。せいぜい、バカでかい生き物が家庭内のスペースを専有することによるストレスぐらいでおさまる場合もあるだろう。

精神的なダメージを倍加させるのが、やはりここでも「先が見えない」ことだ。特に、休業期間中の子どもはたいていは生活リズムが狂いがちで、学校の勉強もなかなか進まないため、親の方は「こんなことではこの子はダメになるのではないか」といういわれのない不安を感じるようになる。よその子どもと比べて、「この時期に差がついてしまうのではないか」と焦ることにもなる。前の方で書いたように学校の対応も子どもの側の受け取り方も多様で「これがふつう」というものがないため、「ふつう」に慣れた多くの親は「だいじょうぶだろうか」と思わずにいられない。

そういった精神的なダメージほどではないが、もちろん、子どもが家にいることによる家事負担、経済的負担は小さくない。子どもといっしょにいられる時間をポジティブな方向にもっていける場合もあって決して困ったことばかりではないのだけれど、やはり学校の存在は大きいと思い知らされるのが、今回の休業なのだ。

 

こういった不具合が現実に被害として発生している。そして、重要なことは、そういった被害が既に発生してしまっただけでなく、今後さらに続き、そして徐々に修復が困難なほどに拡大していくことだ。1ヶ月耐えることと2ヶ月耐えることでは、ダメージの大きさが単純に2倍というわけにはいかない。先行きの不透明さがあたえるダメージは、それをさらにさらに悪化させるだろう。

だからこそ、「新しい生活様式」を確立するのと同じくらい、感染拡大下でも可能な「新しい教育様式」を打ち立てなければならないのだ。それが確立できれば、たとえ感染拡大状況の中でも、学校は再開できる。そういった教育改革を行うためには時間がかかるが、最低限の時間はかけてでも、それをつくり出す意義は大きい。そして、そのために必要な時間は中途半端な対応策はすっぱりとあきらめてつくりだし、そのかわり、仕切り直しのスタート時期を明確にする。それが被害の拡大を最小限に留める最善の方法だと思う。

 

考えてみれば、子どもたちが全面的に教育機会を奪われる状況、そしてそこから新たな教育方法が打ち立てられて再開していった状況は、初めてではない。去年、八十八歳で幸福な人生を終えた私の父親の子ども時代がそうだった。現在の中学生に相当する年齢のころ、父は戦時体制のためほとんど教育らしい教育を受けられなかった。そして戦後、教育改革の中で、ほとんど何も知らないまま、新しい制度によってつくり出された高校へと進学し、そこでほとんど何も学ばないままに卒業させられた。旧制から新制への移行にはそれなりの配慮が設定されていたはずなのに、現実には戦時下の教育機会の損失はついに埋め合わせられなかったのだ。

そういった失敗を繰り返してはならない。戦時下にはすべての世代が被害を蒙ったのだからと、非常事態のせいにしてはならない。同様に、感染が拡大しているのだからと、公正な教育機会が失われるのを座視していてはいけないのだと思う。

もちろん、私個人の思いとしての「学校なんて行かなくったって…」というのはあるのだけれど、それを言い出したら、混乱に拍車をかけるだけになるのだし…。とにもかくにも、コロナ、はやくおさまってほしい…

「授業」はもう時代遅れなのか - 言葉はていねいに使わなければいけないなあ

授業
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

教師が諸分野の知識,技能を生徒に習得させるために行う活動。講義や一斉教授など教師中心の授業が伝統的であったが,今日では新教育の影響で,生徒の自主性や経験が重んじられ,多様な授業方式がある。また授業の改善,科学化を求めて,授業分析などの授業研究が盛んになってきている。

デジタル大辞泉の解説
[名](スル)学校などで、学問や技芸を教え授けること。「国語の授業を受ける」「教科書なしで授業する」「授業時間」

授業(じゅぎょう)とは - コトバンク

家庭教師は気楽な商売だ。というのは、生徒と一対一で学習を進めるからだ。たまには「きょうだい一緒に面倒見てください」みたいな注文もあって、複数の生徒を同時に指導することもある。三人きょうだいを同時に指導した経験もあって、やってやれないことではないことは知っている。けれど、それはあまりにも負担が大きく、指導の質を著しく低下させる。なので、数年前からはそういう注文はできるだけ水際でことわるようにしている。なんだかんだと口実をつけて、同時指導は避けている。

だから、私は学校の教員に対して、いろいろと文句をつけながらも、「すごいなあ」と尊敬の念は失っていないつもりだ。もちろん、指導内容があんまりにもあんまりでどう考えても尊敬できない教師もたまにはいる。けれど、それであっても、私にはとうていできない複数の生徒の指導、それも二人や三人ではなく、その一桁上の人数の指導を同時にやるのが学校の授業なのだから、やっぱりすごいことだと、素直に思う。生徒にも常々そのことは言うようにしている。商売敵である学習塾の悪口は平気で言うが、学校は商売敵とは思っていない。むしろ、共同して子どもを育てていくパートナーだと、一方的に思っている(学校側が家庭教師をそんなふうに見てくれないのはしんどいのだが、それは長くなる別の話だからやめておこう)。

家庭教師の指導中には、そんなふうに生徒と学校の話もよくする。そして、そういう会話の中で、つい数日前、小学校六年生の生徒がこんなことを言った。ちなみに彼は、ある私立小学校の生徒である。

「オンラインで授業の動画をアップしてくれてるなんて、親切な学校やなあ」

「でも、ぼくは学校の授業のほうがいいな」

「だよね」(そりゃ友だちに会えるからだろうなあ)

「学校での授業だと質問できるでしょ。オンラインだと質問ができない」

「ほう」(おや、けっこう本質をついてるな)

「学校の先生が言ってたんだけど、授業料ってのは無限回数質問ができるチケットみたいなもんだって。何回質問しても料金はかからないんだから、どんどん質問しなさいって」

「いい先生やなあ」

「家庭教師が嬉しいのはそこ。何を聞いても答えてくれるでしょ」

(こら、そこで胡麻を摺るな!)

というような内容である。そして、これは「家庭教師は気楽な商売」の本質をついているだけでなく、実は学習というもののひとつの本質をついている。

現代の学校教育が、近代科学の手法をその基礎としていることは、逃げようとしても逃げられない事実だ。その手法を大雑把にいえば、疑問をもち、仮説を立て、仮説を検証するための実験・観察を企画し、それを実行し、結果を考察して、仮説の妥当性を確認し、そして最初の疑問に戻るというサイクルである。けれど、実はあらゆる疑問に対して実験・観察を行うべきなのかというと、そうではない。多くの人が認めた既知の事実については、その事実が導き出された過程をたどることで、実験・観察を行わなくてもよいとされている。そして、そういう既知の事実を追跡する過程を補助するのが教師の役割であり、その行為が広義の「授業」ということになるだろう。そして、その「授業」の方法として、古代より採用されてきた方法が「対話」である。

たとえばプラトンは、学習の方法として対話を重んじ、彼の学園では教育は基本的には教師と生徒の対話で進行したと伝えられている。その著述も多くは対話形式でまとめられている。孔子の教えは基本的に「師曰」と対話形式で残されているし、江戸時代の安藤昌益の著作にも対話によって学問を深めていったと思しき部分が残されている。

対話がなぜすぐれているかといえば、それが思いもかけない関連性を明らかにしてくれるからだ。ヘーゲル弁証法ではないが、生徒の質問に対する教師の答えは、そこでとどまるものではない。教師が答えることによって生徒には新たな疑問が生まれるし、教師の側にも同時に別な疑問が生まれる。それを解決するためにいずれかが新たな問いを発することになり、それに対する答えはまた新たな疑問を生む。このようにして連鎖的に断片的な知識がつながっていくことによって、それまで見えなかった新たなことが見えてくる。教師は既知の事実を提供するデータベース的な機能をもつが、その知識の連関をつけていく作業は実は教師一人でできるものではない。生徒からの問いかけによって新たなつながりが見えることはごくふつうに起こる。だから、そんなふうに指導するスタイルで家庭教師をやっていると、「いっしょに学ぶ」という言葉がキレイごとでもお題目でもないことが実感される。私は、生徒との対話から、実に多くのことを日々学んでいる。若いころに学参業界で問題集・参考書の編集をしていたときには教科書の隅々まで読み込んでそこに書かれてある内容は完璧に理解していたつもりでいたけれど、いまは毎日のようにそこに新たな発見をしている。そこまでの含蓄があったのかと驚くことも少なくない。

だから、質問ができることに価値を認めているその小学六年生は学問の本質の一部を的確につかんでいるのだと思う。実際、私だって、学会発表なんかで質疑応答の時間がなかったらひどくがっかりする。もちろん、私自身が質問の手を上げることなんかあり得ない(専門分野とよべるものがない私が講演会や学会を覗く機会は多くないし、その場合でも門外漢としてそこにいるので、とても発言の資格なんかない)。けれど、私よりもずっと頭のいい人々が、私の感じた疑問をより適切な言葉で質問してくれる。私がぼんやりと感じていて言葉にできなかったようなモヤモヤをすっきりさせてくれる。質問は本当に大事なんだと思う。

 

さて、「授業」という言葉は、「学問や技芸を教え授けること」と辞書にあるので、その定義どおりに使うのであれば、上記のような対話をふくんだ生徒と教師の相互作用全般を指すことになるのだろう。そのような活動は、おそらく人間社会においてはいつまでもなくならない。人間の知的活動の根本のひとつといってよいように思う。

しかし、「授業」という言葉で思い浮かぶのは、百科事典に「講義や一斉教授など教師中心の授業が伝統的であった」と記述されているように、小中学校からはては大学に至るまで、教室で教師が教壇から行う講義であろう。そして、そのような講義は、多くの場合、決まりきった解説の繰り返しになる。実際、かの小学六年生のように教師を質問責めにするような優秀な生徒は少ないし、特に中学生ぐらいになると教師のほうが、教師が「不規則発言」と判断するような質問を拒絶するケースが増える。これは教科の枠組みをつくってしまう現行の指導方法もよくない。たとえば、例の小学六年生に弥生時代の話をしているとき、「その前は?」「縄文時代」「その前は?」「旧石器時代」「そのもっと前は?」「いろんな食べ物を求めて移動生活していたと考えられているね」「その前は?」「尾のない猿が分かれる前だから、猿を思い浮かべてもらえばいい」「猿になる前は?」と、どんどん話がさかのぼって、ついにはビッグバンまでいったことがあった。こういうのは、現行の科目の枠組みではあり得ない。仮に高校理科まで含めることがOKだとしても、社会科が理科になり、理科の生物領域がやがて地学領域へと進む。そういう科目の枠組みを超えることは授業ではできないから、仮に質問を自由に受け付けるスタイルの授業を行っていても、あるラインからは拒絶しなければならなくなる。

そこまでもいかない。多くの学校の授業では、教師が教えようと思った内容から踏み出すことはない。質問はその内容の細部に関するものに限定され、それも、「理解が不足している」「誤解している」部分を補正するものにしかならない。これは教師が悪いのではなく、ひとつには授業がそのように設計されているためであり、もうひとつにはアウトプットとしての特定の技能・知識がテストの点数として測定対象になっているからである。たとえばいま、ここで比率の知識を教えたいときに、合金の知識や栄養素の知識に踏み込んだ質問をされては困るのである。それでは目的の成果が得られない。いきおい教師の授業は、その授業で伝えることを絞り込んだエッセンスに集中してしまう。そして、そのようなギリギリに洗練されきった教師の言葉には生徒の側もたいした疑問を抱く余地がなく、よって授業は活気を失い、最悪の場合には「ここ、試験に出るから」という情けない一言で生徒の注意力を喚起するしかなくなる。

これが、一般的な「授業」のイメージだろう。そして、そういう授業が実際にはその目的であるアウトプットの測定値にもあまり寄与しないことが明らかになっている。そういう意味で、私は「授業は時代遅れ」と公言してはばからない。けれど、よく考えてみたら、それは本来の定義上の「授業」とは異なったものだ。本来の意味では「授業」が時代遅れになることなんかあり得ない。ああ、言葉はていねいに使わねばならないなあと、反省する。

 

点数をとるための授業は、実際に、私だってやる。具体的に例を上げると去年、大学受験を目指す生徒を担当した。彼女は不登校からのドロップアウトであり、高校に行かなかったから授業はまったく受けていない。高卒認定で受験資格はあるけれど、いきなり対策問題集を解かせようにもあまりに基礎知識がない。だから私は、数学・理科・社会の3教科を大急ぎで講義した。そんな講義では、それこそ試験に出ないようなことに踏み込む余裕はないから、基本的には学校でやるのと同じような授業になる。だから、たとえ時代遅れでも、世の中がそれを基準にして回っているときには、必要があればそれをやる。

学校の教員も、同じことなんだろうと想像する。本当はもっと、知的に興奮するようなことをやりたいのだろう。それをやるだけの力もある。けれど、枠組みが与えられ、目標値が与えられたとき、それを簡便にやっつけてしまう方法として、従来の方法が既に最適化されている。そこから踏み出すことはあえてできない。そういうことではないのだろうか。

だからこそ、枠組みを変えなければいけないと思うのだ。そしてその枠組みの転換は、決して現行学習指導要領をひっくり返すような過激なことを行わなくても可能だと思う。ただし、入試制度だけは変えなければならない。なぜなら、そこが点数主義の極北だからだ。それさえ変えてくれれば、変化は可能になる。可能になるだけで、実際に変化が起こるかどうかは別問題だ。そこは、現場の人々の意識にかかっているだろう。彼らのプロ意識を、私は信じている。

どのような形で「感染拡大下の教育」が可能になるのか - 極論としての試案

学校のスタートを9月にするという政策が動きはじめているようだ。1ヶ月前からそれを主張してきた私は、複雑な思いをかかえている。それに関しては前回のエントリに簡略に書いた。

mazmot.hatenablog.com

正直、この話題には少し辟易してきていて、そろそろ別の話題(たとえば料理のことだとか)に移りたいのだけれど、乗りかかった船、もう少しこれに絡んだことを書いていこう。

上記記事で、「感染拡大の状況下で教育はできないのか? 方法さえ工夫すればできるはずだ」と書いた。では、どのような方法が考えられるのだろうか。もちろん実際には公教育の外側で家庭教師なんかやっている私なんかよりもずっとそういうことを考えるのにふさわしい人々はいる。これから書くことは外野の騒音でしかない。けれど、立場がちがえば見えてくるものもちがう。私は学校内でのさまざまなことは知らないが、幼稚園児から大学生までさまざまな年齢の子どもたちを相手にしてきて、彼らの目を通した学校という存在はよく知っている。そういった視点からは、内部から見えないものが見えるかもしれない。そして、そういった異なる視点は、参照項目としては役に立つだろう。書き記す意味はあると思う。

 

本論に入る前に、まず、前提として、私の学校や公教育に関する考え方をごく短くでも述べておいたほうがいいだろう。というのは、こういった非常時の大きな動きに際しては、ふだんからの問題意識が前面に出てしまうもののようだからだ。たとえば、ふだんから「日本の学校はなぜ欧米のように9月始まりじゃないのだろう」という問題意識のある人は、この期に及んで、およそ本質とはかけ離れた9月始業の利点を語りだしたりする。彼らにとっては、それこそが本質なのだろう。

では、私にとって本質的な問題意識は何かというと、それは、「現在の公教育は、憲法に保障された教育を受ける権利を阻害している」というものだ。つまり、もともと根本的な問題をかかえている(詳細は当ブログの他の記事も参照していただければと思う)。これが、多くの人の思う「現代の教育問題」とは大きくちがう点だ。多くの人々が「問題」と思うのは、たとえばPISAの点数であったり、不登校生の増加であったり、大学の生産性であったりする。だが、私のように獣道を選んだ者にとっては、そういう問題意識はしょせん、現代の教育システムをうまく勝ち抜いてきた人々の「なんでお前らはダメなんだ」というおせっかいにしか見えない。それこそが「教育改革」がダメダメな根本原因だとさえ思っている。まあ、前フリはこのぐらいにしよう。

 

感染拡大下での教育の形は、子どもの年齢によって異なる

「学校」と一口に言っても、小学校から大学まで(あるいは幼稚園から大学院まで)その性質は大きく異なる。だから、対応もそれぞれに異なってくる。細かい話でいえば各学年ごとに異なるぐらいだが、あまり細かすぎる話をしてもこの段階で現実的ではないので、とりあえず学校種別ごとに考えてみよう。

まず、簡単なのは高校、大学だ。というのは、これらの学校で学ぶ人々は、それなりに大人である。分別もあれば、かなりのスキルもある。だから、ICTを活用したリモート教育も、それなりに可能になる。スクーリングや実習、実験などが必要となっても、短期間であれば常識的な安全対応で乗り切ることができるだろう。大学でも研究室での研究が必要な段階や、大学院での研究はそうとばかりも言っていられないかもしれないが、対人接触頻度を減らしながら実施することは、この年齢層ではある程度の自律によって可能であろう。もちろんそれを支援する体制が学校側になければどうしようもないのは言うまでもない。

一方、まるで事情が異なるのが小学校だ。なぜなら、小学校で最も重要なのは、教科学習ではなく、集団生活を通した社会的技能を身につけることだからだ。学習塾的な発想だと、「自宅でオンライン教材を用意すれば学力は…」となるのだが、小学生の成長のために必要なのは、そんなケチなものではない。

そして、もうひとつ重要なのは、小学生に関しては学校には教育以外のニーズもあるということだ。現在の学校に教育以外の役割があまりに多く社会から押し付けられている現状を私は好ましく思っていないのだけれど、それでも、まだまだ物理的にも精神的にも弱い存在である低学年児に関しては親が仕事中にその安全を守ってもらう役割(託児機能)が必要だし、探検や冒険に心が動く中学年から高学年にかけては別な意味で安全を確保してもらう役割がある。そういうニーズには対応してほしい。つまり、密集を避けるべき感染拡大状況と真っ向から対立する集団化がどうしても要求されるのが小学校なのだ。

中学校ぐらいになると、事情が変わる。だが、現実には、学習産業界でいうところの「教育ニーズ」が最も高いのが中学生なのだ。それはなぜかというと、もう単純に高校入試があるからでしかない。そして、たいへん申し訳ないのだが、これについてほとんどの中学校で思い違いの教育が行われている。現場の教員の方々は頑張ってるのに、そもそも枠組みの設定がおかしいから、子どもたちが一方的に苦しんでいる。そして、その状況で、もしもICT化とかで合理的な教育をやり始めたら、子どもたちの苦しみは倍加することだろう。だから、中学校に関しては、その在り方を根っこから変えない限り、感染拡大下での安全な教育はありえないと思う。

 

感染拡大下、小学校の教育はどう行われるべきか

小学校の場合、「子どもたちを学校に集める」スタイルは、変えるわけにいかない。ただし、それ以外のことは、現行指導要領に準拠しても、かなり変更が可能だ。

感染拡大下でまず手を付けるべきなのが、「学級制度」だろう。「学級」の歴史に関してはたとえば柳治男あたりの研究を参照してもらえればいいが、日本独自のものである。これが、多数の子どもを一人の教員が効率的に管理し、しかも同年齢集団を育成する上で効果的であるということは、まちがいないだろう。けれど、かつて45人から50人にまでふくれあがった1教員の担当児童の数は、現在では30人程度であり、さらに副担任制の導入などにより、多数を同時に管理しなければならないニーズは小さくなっている。それにもかかわらず多くの教員の苦労が減らない(どころか増えている)のは、教員が管理すべきとされる項目が一方的に増えすぎているからではないだろうか。もちろんそれぞれにはそれぞれなりの必要性があって増えているのだが、学習指導要領の精神からいっても、学校はもっとスリム化してもいい。そうすれば、必ずしも「学級制」は必要と言えないのではないか。

「学級」を解体することによって、「同時に一教室に全員が集まって同一の行動をする」必要がなくなる。そうすることによって、過密を避けることができるようになる。小学校をよく観察してみるとわかることだが、あれだけ広い敷地内に、常に児童が充満しているわけではない。児童は学級の行動とともに密集しており、ある時間にはある空間にだれもおらず、別の時間には別の空間がガランとしている。その一方で、児童は常に密集した集団内に存在する。これが現在の「学級」の在り方だ。

もしも、行動の単位を7〜8人程度までの小集団に変更することができれば、学校内での密集度をかなり下げることができる。その場合、現状の講義型授業中心のスタイルは無理になる。日本ではほぼそのスタイルでしか学校が運営されてこなかったためギョッとするかもしれないが、外国の例を見ると、小集団単位の探求型学習にはメリットが多いことがわかる。そして、それは現行の学習指導要領とも矛盾しない。実際、ごく少数であるが、日本でもそういう学校運営を取り入れて成果をあげている学校はある。それもずいぶん以前から。そういう手法が広まらないところが、学級制の強固なところなのだろう。だが、それは感染拡大と両立しない。

さらに密集度を下げる方法として、学校の敷地を広げる方法がある。単純に面積が広がれば人口密度が下がる理屈だ。これには分校方式を採用すればいいだろう。少子化の影響で、多くの学校が統廃合になっている。その校舎のかなりの部分は使用不能になっているが、まだまだ使える校舎は残っている。こういった空き校舎、空き教室を分校として復活させればいい。また、地域の公民館などの公共施設も、時期を限定して分校扱いで教室化することができるだろう。うまくいけば登下校の負担も軽減され、密集度を大きく低下させることが可能になるかもしれない。

感染拡大の中で、高校はどのように対応可能か

実はこの答えはもう出ている。多くの高校で、学習のオンライン化が進んでいる。その基盤となっているのがCMS(コース・マネージメント・システム)だ。実は私は翻訳者として十数年前から十年間ばかり、CMSの開発・販売をするある会社の仕事を継続的に受けていたことがある。だからその仕組みも長所・短所もよくわかっているのだけれど、システムそのものは非常に合理的にできている。各社さまざまなものがでているが、基本的な仕様に大きな差はない。うまく使えば、かなりのことがCMSを利用して可能になる(ただし、GIGO、使い方が誤っていればロクな結果にならない。もしも「あんなモノ使えない」と思っているユーザーがいたら、そもそも使い方が正しいのかどうかをもう一度見直してほしい)。現在最大手はベネッセのClassyというシステムらしいが、哀しいかな先日情報漏れを起こした。まあ、そのあたりは別の話だ。

学習の主要部分をオンライン化し、分散登校を組み合わせれば、高校では9月といわずすぐにでも学校は再開できるはずだ。そして実際、いくつかの学校ではオンラインによる課題管理と学習を4月から開始している。そして、非常に皮肉なことなのだが、家庭教師としてそういった生徒を教えていて、現在評価されている基準をもとにした「学力」だけを単純に測定するのであれば、今年の生徒のほうが去年の生徒よりもよく伸びている。申し訳ないが、学校の斉一式の授業よりもオンラインを利用した自習のほうが成績を上げるらしいのだ。

それで本当にいいのかと言われれば、私は絶対にちがうと主張したい。けれど、現在の高校の学習指導の主要部分は、大学その他への進学に引きずられている。そして、その中で、「テストの点数を上げる」こと以上の正義はないとされている。アホな話と思っても、現実にそこをやらないと生徒が進学において不利益を蒙ることになる。だから、高校の教育改革は大学入試制度改革を伴わなければ方向性も見えない。そして、いくらなんでも、コロナに紛れてそこまでやったら牽強付会と言われるだろう。だから、本当はそこからやらねばならないし、そこからやるのならさらに「感染拡大下での高校教育」についてもっと深い議論ができるのだろうけれど、それは当面、見送らなければいけないんだろう。残念ながら。

そして、中学校

小学校と高校の間にあって、中学校はいちばん厄介だ。現状の学校システムを破壊するぐらいに変えないと、感染拡大下での安全な教育なんてありえないだろう。たとえばオンライン授業するといったって、そもそも「スマホを禁止すべきかどうか」レベルで止まっている現在の精神状態じゃ、話にならない。さらに、高校では「やむを得ない」と目をつぶることもできる(なぜなら極端な話、高校は行かなくったってどうにかなるのがタテマエだから)「学力」重視の学習も、中学ではやはり本質論としてちがうと言わざるを得ない。ここでいう「学力」は、もちろん試験の点数のことであり、本当の意味での素養はそういうものではない。ただ、私たちはそういうものを評価する正しい方法をまだ知らないでいるので、下手にそこを語りだすといろいろとあやしいものが紛れ込んでくる。本質的に中学校教育にはそういう難しいところがある。その上、この年代は危険な年代でもある。精神的なケアも必要で、本来学校にそこを過剰に求めてはいけないのだが、それでも果たす役割は小さくないだろう。

ということで、もしも中学校に話を進めるのであれば、どうしても「じゃ、公教育って何よ?」というところまで風呂敷を広げなければいけなくなる。この緊急事態下でそれができるのかどうか疑わしいが、それでもやるべきことはやらねばならないのではないだろうか。

 

「9月入学で日本も欧米並み!」みたいな議論が、心底アホらしいことが、少しでもわかってもらえるだろうか。「9月」は、「感染拡大下での安全な教育」を可能にするための議論と準備にかける最低限の(たぶんもう足りないけれど)時間を確保する便法に過ぎない。そしてその議論って、ほんと、たいへんなんだから!