インスタントラーメンの思い出

世間のひとに比べれば、私はインスタントラーメンを食べないのだと思う。半年ほど前だったか、従姉妹と話していて、「月に1袋か2袋ぐらいは食べるかなあ」と言ったら、「うそ、あんなん、毎日食べるやん!」と驚かれた。月に1袋か2袋というのはそれでも私の生涯の標準からいえば多い方だろう。忙しくなるとインスタント食品に頼りがちになるのは、まあふつうだと思う。

別段、インスタントラーメンが嫌いというわけではない。そうではなくて、どうも分量が合わない。1袋食っても食事としての満足感はないし、じゃあ2袋食えるかといえば口が飽きてしまう。野菜や肉でボリュームをつければいいのかもしれないが、そこまでする余裕があるならなにもインスタントラーメンを使う必要はない。間尺に合わないから、台所に買い置きがあっても使わないまま日が過ぎる。消費期限が近づいて慌てて食べるようなこともあった。

それは、独身時代からずっとそうだった。むしろ、独身時代のほうが食べなかった。たぶん、ひとり暮らしをしていた20年足らずの期間に、自分のキッチンで調理したインスタントラーメンは数袋程度だと思う。チキンラーメンは子どものころから好物だったから、たぶんそれは食べている。ただし、山登りでは別だ。山岳部の朝食はインスタントラーメンと決まっていて、それもシビアな連中は嵩張らないマルタイラーメン一択だった。だから山岳部の連中と山に登ったら、必ずインスタントラーメンを食った。私の中でのインスタントラーメンの位置づけは、そういうものでしかなかった。

この、山で食うマルタイラーメン、山岳部に入って合宿で1日おきぐらいに食わされて、旨いと思ったことがなかった。腹が減っているから食えるのであって、あんなもの、普段なら絶対に願い下げだと思っていた。ところが、下宿生は合宿の残食のマルタイラーメンを喜んでもって帰る。「そんなもの、下界で食うか?」と聞いたら、「マルタイ、旨いで」と言う。変わったやつがいるもんだと思っていた。

それが、ある合宿のあと、残食を持ち帰った中にマルタイラーメンの袋があった。ふつうなら次回の合宿のためにまた部室に持参するのだけれど、そのときはたまたま母親が昼飯の段取りをしておらず、「なにか食べるものないか」という流れでこのマルタイラーメンを持ち出した。私は気が進まなかったのだけれど、ふと、下宿生の言葉を思い出した。「ちゃんとつくったら旨い」と、言っていたな。じゃあ、ちゃんとつくってみようと、水の量を計り、茹で時間を測って調理したら、拍子抜けするぐらいに旨かった。母親が、「あんた、山でこんな美味しいの食べてるんや」と言ったぐらいだ。

山登りでつくるインスタントラーメンは、基本的にまずい。それはまず、水の量がいい加減だからだ。多くの場合、少なくなる。なぜかといえば、それはまず水が貴重だからだし、お湯を沸かすのに必要となる燃料や時間がもったいないからだ。水が少なければ、燃料も時間も節約できる。必然的にスープは少なくなるが、それは調味料の袋を1つ減らすことで対応する。入部したてのころ、先輩が「全部入れるな」と言っていたのは好みの問題以前だったわけだ。さらに、高山では気圧の関係でお湯の温度も低くなる。沸点が下がるのだから、沸騰していても温度が低いままなのだ。加えて、時間がいい加減だ。みんな腹が減っているから、3分の調理時間が待てない。こういった各種要因が全部積み重なるから、山で食うインスタントラーメンは団子っぽく、決して旨いものではない。そもそも旨くつくろうというインセンティブがない。腹が満たされれば上等というのが、大学山岳部における山飯の基本コンセプトなのだ。

だから、「マルタイが旨くない」というのは、実に失礼なことだったわけだ。ちゃんとつくらないから旨くない。ちゃんとつくれば、さすが、九州人の誇りであるわけだ。

 

さて、遅い結婚をして、私は地方都市で慎ましやかな新婚生活を始め、やがて子どもにも恵まれた。結婚時点で私は自営業に復帰したばかりであり、少しの売掛金はあったものの決まった取引先もなく、自営というよりは無職不透明に限りなく近い存在だった。後になって嫁さんは「よくそんなんで結婚しようと思ったなぁ」と呆れるようになったのだが、そんな男と結婚してもいいと言ったのはあんただろうと、笑い話にしかならない。結婚してからは「稼がなきゃ」とフリーの翻訳者として仕事を入れるようになったが、駆け出しの翻訳者は、強引にでも仕事をとってこなければすぐに干上がる。待っていて仕事が転がり込んでくるような身分ではないわけだ。そうやって条件の悪い仕事でも文句を言わずに請け負ってどうにか収入を確保したが、いよいよ出産となって、それどころではなくなった。半ば意図的、半ばやむを得ず、私は産休・育休に入った。そして、ほとんど仕事もせずに半年が過ぎた。

仕事をしなかったのは、体力の弱った嫁さんを助けたかったのと、小さな子どもが気になって仕方なかったからだ。落ち着いて翻訳の案件を取りに行くだけの集中力もなかった。それでも半端な仕事を求めて再起を図ろうとしたが、子どもの泣き声が聞こえるたびにデスクをはなれていた。けれど、ウロウロするばかりの私が助けになることはあまりなく、産後の回復がなかなか進まない中で嫁さんの育児による疲労は増すばかりだった。

そうやって半年余りが過ぎたところで、このままでは詰んでしまうことに私も嫁さんも気がついた。まず、私が戦線離脱した。そのまま売上がほとんど立たない状態を続けるわけにいかないのを口実に、職安に行って奇妙な会社に雇われた(この一件は別の長い話になる)。一方の嫁さんは、しばらく孤軍奮闘を続けたが、すぐにあきらめて子どもを保育園に預けることにした。田舎のことだから待機もなく、すぐに受け入れてくれる園が見つかった。こうして彼女は、ようやく身体を回復することができるようになった。

地方都市のことだから、通勤はそれほどかからないのが普通だ。それでも私の新しい勤務先は、市街地を挟んでちょうど反対側にあって、バイクをすっ飛ばして15分ほどかかった。嫁さんと子どもが気になる私は、昼休みになるとすぐに会社を飛び出して、アパートに戻る。お互い、顔を見るとホッとするのだ(なにせまだ新婚だった)。そして昼飯ということになるのだが、彼女の体調の悪い日はなにも食べるものがない。じゃあ、さっとつくるよと言って、私がインスタントラーメンをつくることがよくあった。60分の昼休み、往復に30分とられるから、10分でつくって10分で食べるようなインスタントラーメンは重宝するのだ。そして彼女は、私がつくるインスタントラーメンが美味しいと、不思議がった。

なんの不思議なこともない。インスタントラーメンをほとんどつくったことがない私は、袋の表示通りに水と時間を測るしかなかったのだ。山岳部時代の経験から、水が足りないとインスタントラーメンが美味しくないということだけは知っていた。けれど、どのくらい入れれば十分なのか、経験がなかった。だから、スケールを持ち出してきて規定量を計った。キッチンタイマーで規定時間だけ調理した。それだけのことだった。それで十分な味が出るように、メーカーは設計している。

 

もちろん、あらゆる料理でそんなことをするかといえば、そうではない。私はどうも発達障害の気配があって、レシピを見ながら調理という並行作業ができない。ラーメンの水の量と加熱時間ぐらいならなんとかなるが、複数の調味料を使って、おまけにその投入のタイミングが決まっていたりするようなレシピは、未だに絶望的にこなせない。それでも独身時代からずっと台所に立ち続けているから、それなりに料理はできる。家庭菜園歴も長いから、他の人にはないバリエーションももっている。

そういう独特の料理をネタに、本を企画したことがある。知り合いの編集者と別の本の話をしていて、いつの間にか自分で料理の本を書くつもりになっていた。結局この原稿は日の目を見ることはなかったのだけれど、そこに書いた数十種類のレシピに、分量の記載はひとつもない。料理は一期一会であって、プロでもなければ再現性を求めるものではないように思う。

実際のところ、たとえ袋に書いてあるとおりにていねいにつくったとしても、もうあのときのインスタントラーメンの味は戻らないのだと思う。新婚の頃のあの驚きに満ちた日々は、あのときだけのものなのだ。

それもまた、人生というやつなのだろう。