ブログタイトル変更しました

ブログのタイトルを「シアワセの容相」から、「天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて」に変更した。何かきっかけがあったわけではない。ただ、そろそろ変更してもいいのかなという気がしてきた。それだけのことだ。

もともと、「シアワセの容相」というタイトルは、自分にそぐわないものだった。それを承知で、というよりも、それだからこそ、わざわざ選んだ。カタカナで書く「シアワセ」も、「容相」みたいなもってまわった漢語も、どちらも私はめったに使わない。自分のボキャブラリーにはない言葉だ。

それをわざわざ選んだのは、このブログをこれまで自分が書いてきた他のブログとは全く別なものにしたかったからだ。自分自身の世界を広げたかったと言っていいかもしれない。そして、それがどんな方向に広がっていくのか、予想ができなかった。むしろ、予想ができないのがおもしろいと感じた。そんなときに、自分の持ち合わせた語彙の中からタイトルをつけることは、それまでの世界に引き返すような気がした。安全な逃げ場に閉じこもるような気がした。自分にしっくりくるタイトルは、そのしっくりくるぶんだけ、それまでの自分から踏み出せないような気がした。

だから、あえて、ちょっと気持ちわるいようなタイトルをつけてみた。そのおかげか、あるいはそれとは全く関係ないことだったのかはわからないが、たしかにこのブログ、それまで自分があちこちに書いてきたこととは全く別な世界になっていった。教育の話を真正面から書いたことも、政治に触れることも、それまではなかった。新しいことをやってみるのに、借りてきた着物のようなタイトルは、それなりにふさわしかったのかもしれない。

 

けれど、いくらか続けるうちに、このブログにはこのブログなりのスタイルができてきた。そうなってみると、やっぱり「シアワセの容相」は自分の言葉じゃない。このブログにふさわしいなにか新しいタイトルがないかなあと思ったとき、ふと、最近別枠ではじめたブログのタイトルが目についた。そっちはまだ始めたばかりで、自分以外のアクセスはほとんどない。そのタイトルをこっちにいいただいても何の不都合もあるまいと、タイトルをそのままもってくることにした。それが「天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて」だ。

このタイトルにも、深い意味はない。現世はつまりは天国と地獄の間なのだから、「天国と地獄の間にて」は、「現実の話ですよ」という以上の意味はない。それを少しだけ「地獄寄り」に振ったのだけれど、これはまあ、いま私が見ている現実が、ニュートラルなところから少し悲惨な方に寄っているように見えるからでしかない。基本的に、なにか深いニュアンスを含ませようとしてつけたタイトルではない。

それでも、これまで、自分のブログを見るたびに覚えてきた違和感からようやく逃れられる。そう思うと、少しホッとする。やはり、身にそぐわないことは長く続けるものではないと思った。