ブログを書いている以上、少しでも多くの人に読んでもらいたいのは当然のことだ。読んでほしくなければ非公開設定だってある。そして、はてなブログの場合、ブックマークがつくと露出が高まる。より多くの人に読んでもらえる。だからブックマークがつくのは大歓迎だ。そして、ブックマークのコメント、いわゆるブコメも、参考になる意見が多いので、嬉しい。ときには筋違いのコメントや批判もまじってくるけれど、それらもほとんどの場合は自分の論旨の甘さや考えの浅さに気づかされてくれたり、あるいは異なる立場や思想からの見え方がわかったりするので、ありがたい。実際、私も「はてなブックマーク」(はてブ)ユーザーで、自分なりのブコメをつけている。そういう立場からいっても、ブコメは歓迎こそすれ、避けたいものでは絶対にないはずだ。
ただ、一昨日の夜、一つ前の記事を書いたときには、「ああ、しばらくブコメは見たくないな」と思った。ほぼまちがいなくブコメがつくと思ったし、ちょっとそれが「怖い」と思った。
中学受験のことは、以前にも記事にしている。この話題には、多くの人が反応するのはわかっていた。だから単純にアクセスがほしいだけなら、中学受験について書けばいい。それも極論であれば極論であるほど、燃えやすい。以前にそれがわかっていたけれど、以後、中学受験をメインテーマにした記事は書かなかった。というのも、私はそこまで深く中学受験にかかわっているわけではないからだ。家庭教師として中学受験生の指導に当たることもあるが、過去には年に1人いればいいほうだった。自分が小学生の指導が好きではないのでできる限り避けてきたということもあるが、運もあったのだと思う。同じ会社のなかではけっこう小学生を複数もっている講師も多いので、たまたまだったのだろう。それが、コロナの少し前からオンライン専任講師になったことが関係しているのか、一気に中学受験生がふえた。中学受験ではない小学生もいるにはいたけれど、5人とか6人とか、小学生を教えることになった。そこでいろいろ悩んだことを吐き出したいと思った。とはいえ、中学受験専門の学習塾の講師にくらべたら比較にならないほど生徒は少ない。家庭教師以前には学習参考書の編集者としてこの受験産業界のキャリアは長いから、それなりの知見はある。とはいえ、中学受験にはさまざまなステークホルダーがいる。その最大のものは、受験生であり、受験生を抱えた家庭だ。自分はそういう立場でかかわったことはない。だから記事が一面的になるのは書く前からわかる。そういう記事が批判されやすいのもわかる。なので、「ああ、もう中学受験のことは書かなくていいかなあ」と思っていた・
それでも書くのは、その時々のタイミングで、「ああ、やっぱりひとつ、ガツンと言うたらんとあかんのやないか」という思いが沸き立ってしまうからだ。それは自分の生徒や生徒家庭とのやり取りが引き金になるときもあるし、ネットの記事や、あるいはそれについたコメント群をながめていてのこともある。何かがきっかけになって日頃溜め込んでいることが噴き出す。けれど、書きながら、「ああ、またいろんな人がいろんなこと言うんだろうなあ」と思う。本来は勉強になるそれらの言葉が、自分の気持をさらにかき乱すのは前もって予想がつく。もうやめようかなとも思う。それを押し止めるのは、「せっかくここまで書いたのにもったいない」という意地汚さでしかない。そして、「ブコメが怖い」となる。アホなことと思いながら、「まあ、読まなきゃいいだけじゃない」と思う。そんなわけはない、どうせ読むのだとわかっていても、そう自分を言いくるめて「公開する」というボタンをクリックする。それが2日ほど前のことだ。
まんじゅう怖いではないが、ブコメが怖い。自分のキャパをこえる量のコメントが押し寄せてくるのは、正直いって怖い。この程度の量で、しかもほとんどが穏やかな意見程度のコメントで怖いなんて言ってたら炎上を経験した人には申し訳ない。それでも怖い。
いや、いつもいつも、ブコメが怖いわけじゃない。初めてはてブの存在を知ったのは十数年前、ほかの場で書いたものに500ぐらいのブクマがついたときだった。そのときは「ブックマークのコメントってムチャおもしろい」と、わくわくしたものだ。いまでもそういう気持ちになれるときはある。けれど、中学受験関係の記事につくブコメは、そういうふうに楽しめない。自分がそこに抱いているネガティブな気持ちがどうしても反映されてしまうからかもしれない。恐怖は自分自身の投影であるとか、誰か言ってなかったか。
恐怖や不安といった感情は、けれど、歴史を振り返ったときに時代を動かしてきた重要な動力源であったと思う。いま、そういうことを調べはじめている。ブログの記事にできるほどまとまるかどうかはわからないけれど、下書きをはじめている。ただ、それもまた、「ブコメが怖い」系統の記事になるんだろうなと思う。多面的な事象を一面から切り取って記事を書くときには、こういう感覚におそわれる。ちがう立場からはちがうものが見えていることがしっかりと予想できるからだ。そんなブログならやめちまえと思わないこともないが、このブログはどうもそういう性格のものであるらしい。
もっとのどかなことを書きたいなと思うこともある。たとえば野菜の話とか。葱がうまいとか大根がうまいとか、およそ人畜無害で炎上などしようがないものを書きたいなとも思う。そして、実際に書きはじめている。ブコメが怖い症候群が出たときには、そちらに逃げようかなと思う。ポチポチと、日々のよしなしごとを綴っていきたいと思っている。