シアワセの容相

あしたはこっちだ

なんでカタカナ読みで英語を教えるのか - いまだに謎

家庭教師で新しい生徒をもったときにもっとも重要なのは、現状を把握することだ。ということで多くの家庭教師は「テストの点数を教えて」というのだが、そんなもので生徒の現状がわかるはずはない。点数やその推移は参考にはなるし、戦略を立てる上でも重要なのだけれど、最初に知るべきことはそれではない。

数学だったら四則計算や方程式の解法ができるかどうか、いくつかの問題をやらせてみればいい。そして英語なら、適当な文章を音読させてみる。それでだいたいの現状は把握できる。音読でつっかえるようなら、英語の学習に問題があると言い切っていい。そういう場合には、音読させた文章の大意もつかめていないことが多い。短くても1ヶ月、長ければ半年、そこからひたすら音読を続けると、たいてい劇的に改善する。バカバカしい手法のように思うかもしれないが、音読の効果は侮れない。ただし、学校の教科書は既に飽きるほど音読しているのだから、音読教材は工夫しなければならないのだけれど。

 

というようなことを続けてきて、さて、昨日の夜、新しい生徒(中学生)の英語の指導をはじめた。まず、短い文を音読させてみる。「アイ ウエント ツウ オーストラリア ラスト サマー ツウ ラーン えっと…」みたいな読み方。これはダメ。英語をカタカナで読んでいる。そこで私は説明をはじめる。

「それでたとえばアメリカ人に通じると思いますか? (「思わない」と返答) ですよね。けど、もしもだれか外国人らしい人がやってきて、同じくらいにたどたどしい日本語で話しかけてきたらどうですか? 一生懸命聞きますよね。そして、一言でもふた言でも、わかったところからなんとかコミュニケーションとれるでしょう? 英語は下手でもいいんですよ。けど、もしも相手が自分の知らない言葉で話しかけてきていると思ったらどうですか? あ、こいつ英語でしゃべってる、ドイツ語でしゃべってる、中国語だとか思ったら、もう逃げ出しますよね。コミュニケーションしようって気にならないですよね。ここがポイントです」

ここまで一気にしゃべって、相手が理解してくれたかどうかを確認する。そして続ける。

「ということは、実は英語っぽく聞こえるってことがだいじなんですよ。その読み方じゃ、英語には聞こえない。英語を喋る人が聞いたら、あ、これ、オレの知らない言葉だって、逃げ出しますよ。けど、英語だと思わせることさえできたら、それで通じるんです。じゃあどこを直せばいいかというと…」

と、ここから発音指導にはいるわけだ。たいていは。しかし、昨日の生徒はちがった。実に頭の回転がいい生徒なのだ。

「あ、じゃあ、オレできます。聞いてください」

そして、ほぼ完璧な発音で読みはじめた。おい、さっきのはなんだ? いや、いくつか直したほうがいいところもある。知らない単語をウソ読みでやり過ごしたな。けれど、これならまちがいなく通じる。わかってもらえる。え? できるんじゃないの! 私はあっけにとられてしまった。

 

こういう例はめったにない。たまに遭遇するのは、実は小学生の頃に英会話教室に通っていたことがある、という生徒だ。こういう生徒は、ちょっとツボを教えてやると、むかし習ったことを思い出してくれる。だから、発音指導に手間はかからない。そういう意味で、私は子ども向けの英会話教室をある程度評価している(ただし、それだけでは学校の成績に結びつかないので多くの生徒が途中でやめて塾に切り替えてしまうのが現状)。

ところが件の生徒、英会話教室どころか、学校以外で英語を習ったことなんかないという。なのに、なんでそんなに完璧な英語なんだ?

「ムチャクチャですよ。全然わからずにマネしてるだけです。オレ、洋ゲーとかするし、友だちの影響でビートルズとか聞いてるし、だからマネできるんですよ」

と、彼はこともなく言う。音楽的な好みはちょっとどうかと思うが、ともかく、本物のお手本があって、それを忠実にマネすることができる。そして、実はそれが語学の学習のもっとも重要な第一歩なのだ。英語で5点とか13点とかとってくるこの生徒だけれど、私は一気に安心した。

 

「語学は音からはいる」というのは、上記のような実用的な意味ばかりではない。あの説明は、もっともわかりやすいし、動機づけとしてはいちばん有効だから、使っている。「ふつうの人って、中学、高校で6年間、英語勉強するんですよ。大学行ったらさらに2年とか4年。小学校でやる英語は来年から教科になるから、それ入れたらあと2年。10年も英語やって、それで世の中の社会人、英語できないっていう人のほうが多いんですよ。ものすごいムダだと思いません? ちょっと英語っぽく話すだけで英語なんて使えるようになるのに、ほったらかしにしといたら、最低でも6年分の毎週3時間とか4時間がゼロになってしまう。そんなムダ、それでもいいんですか?」みたいな言い方もする。そうやって納得したら、割とスムーズに指導していける。

けれど、「語学は音から」というのは、実際にはそれ以上の効用がある。たとえば「英単語を覚える」というのは多くの中高生にとって苦行になっているわけだが、音がしっかりとれるようになると、単語を覚えるのが格段に楽になる。音と綴りの対応は、実は慣れてくればそれほど難しくない。なので、耳で覚えた単語は、怪しげな綴りでも視覚的な文字として捉えることができるようになる。

さらに、文字を音に変換する回路ができてくると、知らない単語混じりの文でも平気で読めるようになる。小学生が、読みがなをふってさえあれば、知らない言葉が混じっている文でも読めるのと同じだ。知らない言葉だから当然意味はわからないのだけれど、それでも読み進められれば、文章の大意はわかる。逆に大意から、単語の意味を推測していくこともできる。そんなふうにすれば単語を覚えるのも早いし、なによりも長文問題なんかで手詰まりになってしまうこと、時間切れでギブアップしてしまうことがどんどん減っていく。

そして、(たとえ黙読でも仮想的に)音に出して読んでいく習慣を身につけたら、語句の変化に気づくようになる。動詞の時制変化とか格変化、形容詞形と副詞形のちがいなんかも、自然と判別できるようになる。文法的にも読解力が飛躍的に高まっていく。

 

だからこそ、読ませることが重要なのだ。そして、それを(比較的)正しい発音で実行することにはそれだけの理由がある。完全に正しい発音を追い求めると、これはこれで袋小路にハマる。私だって、いくつかの母音の区別は怪しいし、たぶんまちがえて発音を覚えてしまっている単語だってある。完璧を求めてはいけない。ある程度のことができれば、「英語がお上手ですね」とネイティブに褒めてもらえる(ちなみにこれは英語のプロとしては屈辱であり、つまり、どこまでいっても外国人訛りが抜けないという意味でもある)。

そして、多くの生徒が、このインターネットの時代、それをできるだけの素地をもっている。洋ゲーや音楽はその典型的なリソースだが、それを除いても本物の英語はいくらでも転がっている。それをマネすることからはじめればいいのだし、それは「勉強」とも思わずに子どもたちが自分から進んでやっている。

けれど、その同じ子どもが、「勉強」になったとたんにカタカナ読みで英語を読みはじめる。まるで、「学校の英語はそうでなければいけない」と思いこんでいるかのように、明らかにカタカナで覚えた単語をブチブチにぶった切って読む(ちなみに、英語には日本語とは完全に別種のアクセント体系があって、それを抑えておくだけで、相当に英語っぽく聞こえる)。

いったい何なんだろうと思う。学校は何をやってくれてるんだろう。ほんとに英語を教える気があるのか?

たしかに私が子どもの頃には、教室でちょっとでも英語っぽい発音をしようとすると、クラス中が笑い出すというような風潮があった。当時からテープレコーダーが英語の時間には持ち込まれ、正しい発音のお手本はあった。だがそれを自分なりに一生懸命真似すると笑われ、そして、カタカナで読みがなを振ってそれを棒読みにするとOKになるという不思議な風習は存在した。だが、それはいったい何十年前の話だ?

いまではネイティブの英語教師だっている。教材は格段に進歩している。教師の質だって、むかしのような大阪弁でしか英語の読めない教師なんかとは比べ物にならないだろう。だというのに、いまだに学校の教室ではカタカナ英語が推奨されているのか?

 

この謎は、ぜひ解明したいと思っている。