シアワセの容相

あしたはこっちだ

15歳になった君に - あるおっさんから息子への手紙

これまで何回も、君の誕生日を祝ってきた。15年前に生まれて、生まれたときはもう必死の思いで、とても祝うどころじゃなかった。だから1年目の誕生日からがお祝いで、今日で15回目のお祝いだ。そして今日は特別だ。ひとつの節目だと思うから。
理由は簡単だ。15歳からは歌になる。そりゃあ、もっと小さな子どもが登場する歌がないわけじゃない。けれど、年齢が象徴的な意味あいをもって歌われるのは、15歳からだ。あえて例はあげないけど、いくらでも思いつくだろう。歌になるということは、それ以前とは存在の大きさがちがうということだ。一人前とまではいかなくても、それに近いものとして社会が受け止めてくれる。そこまできたのだなと思ったら、やっぱり私は嬉しい。極端な話、もう私の役割は終わったなと、安心する。
そんなことを言うと、君の「かあちゃん」は、「まだまだ自立してるわけじゃないんだから、無責任に安心しないでよ」と指摘する。もちろん、まだまだ君には助力が必要だろう。だが、それは、足りないところを補ってもらう程度のことでしかないと思う。小さい頃の君はそうではなかった。
小さな君の隣で寝ていて、ときどき不安になって君の寝息をうかがったものだよ。生きているかどうか、心配になってね。そのぐらい、小さな子どもというのは脆いものだ。危ういものだ。「ああ、ここで自分が倒れたらこの子は死ぬな」と、そのぐらいに思わせてくれた。そこまで言うのは客観的には誇張が過ぎる。けれど、赤ん坊は腹が減ってもおむつが濡れても泣くことしかできない。その泣き声に反応してくれる大人が泣き声の聞こえる範囲内にいなければ、長くは生きていられない。水一杯、自分で飲めないし、着替えることも、寒さに対応することもできない。それは生命の危険に直結する。小さな子どもというのは、とことん誰かに頼らなければ存在さえできない。
けれど、小学校に入ってしばらくするあたりから、「ああ、こいつはもう死なないな」と思えるようになる。相変わらず自立はしていないけど、ある程度のことなら、自分で対処できるようになる。小銭さえそこにあれば買い食いだってできるし、そのうちに簡単な調理もできるようになる。寒ければ暖房のスイッチを入れるとか布団にもぐりこむぐらいの知恵だってついている。親がいなければ生きていけないのは相変わらずだけれど、たとえ親がいなくなっても、よっぽどのことでもなければ社会がどうにかしてくれる。親がいなくても生命の危険まではない。依存する先が変わるだけ。
それでも私はその時期、君の十代前半をそれなりにがんばったよ。それは、そこをしっかり支えなければ、君が君として存在できなくなると思ったからだ。生命としては存在できるかもしれないが、生きているだけでは君ではない。これは親としての思い込みかもしれない。君が君として存在し続けるためには、どうしても譲れないものがある。私はそう感じてきた。親にそう感じさせたのは、君の実力だ。「こいつには何かがある」と確信させるものを見せてくれたから、私はありきたりの世界に君を放り込むことができなかった。「こいつを育てられるのは自分しかいない」ぐらいの覚悟を抱かせてくれた。だから、君が13歳の初秋に学校に行かないことを決めたときも、それをしっかり引き受けていこうと思った。そのために親がいるのだぐらいに思った。こういうことを言うとかあちゃんは怒るかもしれないけど、君は一人では不登校生活を続けられなかったと思う。文句をいい、批判をし、時には怒りを爆発させながらも、やっぱり私は君を支えたのだと思う。君が君でいられるためには、やっぱり私の支えが必要だったのだと思う。
けれど、そろそろその必要もなくなってきている。君は料理もできればその他の基本的な家事もできる。そのうるさい服の好みには、私はついていくことができない。知識や技能も、部分的には私を超え始めている。英語の発音は私よりもきれいだし、3Dモデリングの技術は私の想像を超えている。1年前に始めたギターだって、何十年も弾いている私よりも器用な指遣いを見せてくれる折もある。いろんな作業やスポーツや、そんな機会に少し前までは有効だった私のアドバイスのいくつかは既に外野の騒音と変わらないものになってしまっている。雑学では人後に落ちないつもりの私なのに、最新の知識を君に教えてもらうことも少なくない。
一人前と言うにはまだ程遠いだろう。けれど君は、私よりももっと別の人々、その道の達人たちに支えてもらうほうがいい時期にさしかかっている。そしてその準備も整いつつある。来春には高校に入り、寮生活になる。まだ入試の最終結果は出ていないけれど、私は合格を信じているし、たとえそこに行けなくても同じように君はどこかの場所で、誰かから専門的な指導を受けるようになるはずだ。経済的な部分での責任は私に残るし、週末の生活はたぶんこれまで通りだし、その他のことであっても求められればこれまで同様いくらでもサポートはするけれど、やっぱり日々に君を支える役割はもう終わろうとしている。

 

白状すると、15年前、君が出てくる瞬間まで、私は君のことなど何一つ考えていなかった。君という人を知らなかったのだから、あたりまえだ。君が出てくるまで、私はかあちゃんのことだけ、心配していた。この人が早く苦しみから逃れられればいいのにと、そればっかりを祈っていた。君のことは考えていなかった。
かあちゃんはそうではなかった。君が生まれる前から、ずっと君との生活、君の成長、君の将来を考え続けていた。生まれてからもそうだった。私は君のことを美しいと思ったし、君に対する責任も感じてはいたけれど、どこか他人事のようでもあった。おむつを替えるのも君をお風呂に入れるのも、抱っこして散歩に連れ出すのも、それは君のためというよりは、それでかあちゃんが少しでも楽になるから、かあちゃんが喜ぶからだった。ひどいと思うかもしれないが、父親なんてそんなもんだよ。
かあちゃんがあれほど君のことを考えてくれなければ、私たちの人生はもうちょっと別の方向に動いたかもしれない。けれど、かあちゃんは君のこと優先だったし、私はかあちゃん優先だった。そしてしばらくするうちに、私は君と親しくなった。そして、だんだんと、いつの間にかすっかり、君に魅了された。君ほどおもしろいやつはめったになかったし、その才能をしっかり伸ばしていけるかどうかは思った以上に私にかかっていることに気がついた。私の中で君の優先順位が上がっていった。
振り返ってみれば、この5年余りの月日、私は君を育てるために存在したような気がする。もちろん、自分自身の楽しみ、自分の趣味や自分の興味を追いかけなかったわけではない。君の食事よりも自分の仕事を優先したことだってなかったとは言わない。けれど、私の仕事も、巡り巡って「これをやってきたのは君のためだったんだよなあ」と思えるようなものばかりだった。家庭教師の仕事では、いろんな子どもたちを知ることで、君をより深く知ることができるようになった。もしも他の子を知らずに君だけを見ていたら、私はもっとオロオロしていたかもしれない。いくつかの翻訳の仕事は、私から君へ伝えるべきエピソードをくれた。世の中の仕事が、学問がどんな仕組みで動いているのかを、わずかな事例ではあっても君に見せることができたのではないかと思う。仕事や遊びで様々なソフトウェアを使ってきた実績は、君が新しいことに興味をもつたびに私から伝える知識になった。古本屋の百円コーナーで買い集めた蔵書は、私のものであると同時に君のものにもなった。
それは楽しい年月だった。けれど、同時にフラストレーションの貯まる毎日でもあった。君にとっても私にとってもね。君と私は別々の個性だ。同じ音楽を聞いても、感じるものがちがう。時には「その曲は止めてくれ!」と言いたくなる。全てを分け合うことはできない。バックアップひとつとろうとしない君のパソコンの使い方を私が批判するのも、パソコンを乱雑にかばんに投げ込む私のやり方を君が批難するのも、どっちも正しいのだろうけれど、どっちのトクにもなりはしない。私が頑として「斧は嫌だ」と言っても、君が「薪割りするなら斧でなければ嫌だ」と主張したら、やっぱりどこかで妥協しなければ話は前に進まない。そんなつまらない妥協でエネルギーを消耗するのは最低だと思いながらでも、日々に失うものは多い。
だから君は、もっと広いところに出なければならない。世の中には、父親なんて比べ物にならないぐらいの豊な才能をもった人々がゴロゴロ転がっている。たまたま生まれ落ちた家に住んでいたというだけのおっさんよりも、頼るべき人々はいくらでもいる。それを求めて、活動範囲を広げなければならない。

 

それでも私は、君の父親だ。もうしばらくは、君を支える仕事をさせてもらえるだろう。少しずつ軽くなる荷物でも、もうしばらくは背負っていく。そして荷が軽くなった分だけ、自分を取り戻そうと思う。自分は自分で、もっと広いところに出ようと思う。
その先、どこか思いがけないところで君に出会うことがあったら、それはそれでおもしろいと思う。そんなことを少しだけ、楽しみにしている。良き人生を祈る。そして、これまで、ありがとう。