翻訳者は裏切り者

はるか昔、英語の翻訳を学んでいたとき、「翻訳者は裏切り者」( translator is a traitor)という言葉を教えてもらった。元はイタリア語だということで、半分は音が似た単語を並べた言葉遊び(traduttore, traditore)とのことでもあるけれど、現実にそんな愚痴をこぼさざるを得なかった政治家もいたようだ。ちなみに、traitorは国家に対する裏切り者、つまりは「売国奴」を指す言葉でもある。翻訳による誤解のせいで国家的な損失が発生した例は、歴史の中にいくらでも見つかるはずだ。翻訳者を恨む気持ちもわからなくもない。「オマエのせいでこうなった。売国奴め!」と言いたくもなるだろう。

翻訳者の側から言わせてもらえば、それは翻訳者の責任ではない。あるいは、翻訳とは本質的にそういうものなのだ。多くの場合、言葉(単語、あるいは文、文章)は、ある程度の幅を持った意味を伝える。それはもう、どんな言葉でも大なり小なりそうなのだけれど、たとえば「水」という名詞ひとつとってもそれがわかるだろう。英語に訳せば「water」以外の単語は考えられないのだが、日本語の「水に流す」にあるような浄めのイメージは「water」にはない。その一方で、「海、湖」のような日本語の「水」にはないイメージを「water」は持っていたりする。日本語ではっきりと「水」と区別される「湯」も、英語では「water」のうちだ。

文のレベルでも、たとえば「日本語の否定は英語のnoではない」と、よく指摘される。私のもう一つの商売である家庭教師で国語を教えていたら、教材に引用された森本哲郎の『日本語 表と裏』にそんなことが書いてあった。日本人の否定は完全否定ではなく、含みをもたせた否定なのだそうだ。だとしたら、これを英文で「no」と訳してしまえば日本語の含意の一部を削除してしまったことになる。多くの場合はそれで構わないが、それで話が通じなくなる場合には翻訳者はあえて「no」を使わない選択をするかもしれない。しかし、どちらを選んでも「裏切り者」になるジレンマを抱え込む。noと訳せば含意を伝えられないし、noを選ばなければ形式上の意味を伝えられない。別の手段を選べば、原文にない含意を抱え込むことになる。やっかいだ。

それを前提に、それでもなお、翻訳者は仕事をする。それは、翻訳がなければどうしても動かないものが世の中にあるからだ。売国奴、裏切り者と罵られ、誤訳と嘲笑されることをあえて引き受けながら、「それでも自分はこう解釈する」と言い切ることが業務なのだ。100%の完全な翻訳が存在しないのを承知で、少しでもそれに近づけようと努力することが翻訳者の存在意義であると言ってもいいのかもしれない。

 

そういう因果な行いを生業にしてしまうと、「これはどう訳したらいいんだろう?」と、折につけて思うことになる。たとえば、最近ではこんなニュースに接したときだ。

times.abema.tv

「人類がコロナウイルスに打ち勝つ証として」東京五輪開催について安倍総理 | AbemaTIMES

いったい、「人類がコロナウイルスに打ち勝つ証として、東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現する」は、どう訳せばいいのだろう? もちろん、直訳することに困難はない。

We will hold the Tokyo Olympic/Paralympic in their complete form to prove human society can overcome the coronavirus.

ぐらいだろう。だが、翻訳者としてこれを納品できるか、となると、二の足を踏まざるを得ない。なぜなら、論理が通ってないからだ。論理の通らない英文は、少なくともこのような論理が重視される文脈においては、誤訳とみなされるだろう。

どういうことか。この文では、まずは「東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現する」ことが既定の事実(もちろん未来形なので実現していないが、既定路線)として述べられている。そして、その事実があれば、「人類がコロナウイルスに打ち勝つ」ことが「証」になるという順序で訳されている。そうか? それは正しいか? むしろ逆だろう。ウィルスが蔓延するなかで死者をバタバタと出しながら無理やり開催しても、「コロナウィルスに打ち勝った」ことにはならない。そうではなく、もしも「人類がコロナウイルスに打ち勝つ」ことができたならば、「東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現する」ことがその「証」になり得るのだろう。だから、論理の命ずるままにこれを推敲すると、次のようになる。

If human society can overcome the coronavirus, we will hold the Tokyo Olympic/Paralympic in their complete form to prove that. 

しかし、これでは、原文日本語の意味がまったく逆になる。「オリンピックの開催にはコロナウィルスの克服が条件だ」ということになって、現状を公平な目で見る限りは「中止だ! 中止!」ということになるだろう。

では、原文を日本人として読んだ場合、どのような含意が見えてくるのだろうか。「人類がコロナウイルスに打ち勝つ証として、東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現する」は、つまり、「オリ・パラ開催に対して強い意志を示した決意表明」と受け止めるのが日本人としての感性だろう。実際にできるかどうかはともかく、「不退転の決意」、あるいは「玉砕覚悟」の「特攻隊精神」で「やる」というわけだ。そして、論理的に考えたらそのためにはそれ以前にコロナウィルスにかたをつけておくことが必要となるわけだから、もちろんそれも「やる」という順序で、結局は、「東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現するためには何でもやるので、とにかく人類がコロナウイルスに打ち勝つことができる証拠をどこかで見つけましょうよ」ぐらいが、文の見かけにかかわらず、真意であるとも言えるだろう。

実際のところ、このビデオ会談の模様を伝えた英語メディアでは、

Japan’s Abe told the leaders that he was hopeful his country would be able to proceed with the 2020 Summer Olympics, and Trump wished him luck and said he has the support of the rest of the G7, Kudlow said.

www.bloombergquint.com

ということになっている。あくまで仮定法を使って、「オリンピックに向けて準備を進めることができたらいいと望んでいる」と、「オリンピックパラリンピックを完全な形で実現する」みたいな断定ではない形で伝えている。おそらくこのほうが日本語の表面的な言葉の裏にある含意を正しく受け取っているのだろう。そして、英語の論理からいって、そのような仮定であれば文として違和感はない。

We would like to hold the Tokyo Olympic/Paralympic in their complete form to prove human society can overcome the coronavirus.

 

東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現し、人類がコロナウイルスに打ち勝つ証を示せたらと願います。

問題は、「では、公式な翻訳はどうだったんだろう?」ということだ。日本国内向けの発表「人類がコロナウイルスに打ち勝つ証として、東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現する」は、形式上、まずはオリンピック開催が前提で、その他の条件は、病禍根絶を含めてその予定に合わせて進行させる、という、まるで大本営発表のような独善的なものである。もしもそれを会議で「だったらいいよね」という願望として訳出したとしたらどうだろう? それに対して、「まあ、そりゃそうなったらええよな」、「日本がそこまで頑張るんやったら応援するよ」と各国首脳が理解を示したのを、「人類がコロナウイルスに打ち勝つ証として、東京オリンピックパラリンピックを完全な形で実現する」というバカげた論理に対して世界が賛同したみたいに公言するのは、どうなんだろう?

確かに、翻訳者は裏切り者かもしれない。けれど、この場合、二枚舌を使っているのは翻訳者なのだろうか? それとも別の人物なのだろうか?

 

ま、実際には翻訳者じゃなくて通訳者なんだけどね、こういう会議で活躍するのは。あの人たちには、頭が上がらんよ。