世の中を引退した年寄りなんて暇なものだろうと思うのだけれど、老母に言わせればとんでもないということになる。年寄りは忙しい。そういわれて改めて老母の日常を観察すると、それはたしかにそうだ。たとえば先週訪れたときには「寒くなってきたから衣替えに冬物を出した」と言っていたのだけれど、昨日は冬物のジャケットを手にとって、「もう少し置いておくか」と呟いていた。置いておくも何もつい数日前に出してきたばかりじゃないかと指摘すると、「え? いま何月?」と驚いた。どうやら季節は春だと思いこんでいたようだ。このときにはそれで済んだわけだけど、もしも「これはもう片付けてしまおう」となって、翌日に「寒いから出さないと」みたいになってたら、毎日、衣類の入れ替えだけで時間がなくなってしまうことになる。
買い物に出るときもそうで、まず財布の中を改めるところからスタートする。クレジットカードとか、必要なものはいつでも財布に入っているはずじゃないかとこっちは思うのだけれど、「いや、うっかり出したかもしれない。最近、自分のやったことも覚えてないことがあるから」と、たしかに事実認識としてはあっている理由を述べられるとやめておけともいえない。そして内容チェックの済んだ財布をポケットに入れ、部屋を出がけにカバンの中を探して「あれ? 財布もってない」と立ち止まる。いや、さっきポケットに入れたと指摘すると、ポケットを探し、そして「こんなところに入れといたらあかんね」と、カバンに入れ直す。そして、カバンの中を見ながら「ティッシュ持っていかないと」と言って、ポケットティッシュを取りに行く。戻ってくると「よし。お財布もある」と、ポケットを探って、「あれ? カバンかな」と、カバンを確認する。そして次に帽子を選び、帽子をかぶって、また財布を確認する。その頃には財布の中身が気になって、「ちょっと待ってね」と、財布の中にクレジットカードが入っているのを確認する。そして、「診察券は今日はいらないね」と、財布からいつも行ってる病院の診察券を取り出して、引き出しにしまい、「念のために現金も入れといたほうがいいかな」と紙幣をたたみ、そして、準備が整ったところで「えっと、携帯は?」と…
こんなことをやっていると、時間がいくらあっても足りなくなる。傍から見ていると単純にそれは無駄な動きを繰り返しているからに過ぎない。財布の確認をするのはいいけれど、1回やったら十分なところを3回も4回もやるから忙しい。ただ、やってる本人からすれば前にやったことを忘れている以上はやらねばならないことなのだし、やらねばならないことをやることに何の無駄もない。だから、「もうそんなんはええからさっさとしようや」みたいに言われたら、「何を焦ってるんや、慎重さが足りない」と思うだけだ。行動するには段取りが重要で、その段取りをすっ飛ばすのは無謀でしかない。ただ、記憶がもたないから段取りに時間がかかるだけ。
もっとも、買い物は週に1、2回、私が訪問したときしか行かない。じゃあ、それ以外の時間は暇なのかといえば、そうでもない。たとえば、先日、午後に顔を出したら、「テレビがつかない」と悩んでいた。何のことはない、チューナー部分の電源が抜けていただけだった。大型テレビが壊れて以来、運用の関係でポータブルタイプのテレビを使っているのだけれど、チューナー部分と無線でつながるモニタ部分が完全に独立している。だから「テレビ」と思ってるモニタ部分だけをいくらいじっても、改善しないわけだ。「朝からずっと格闘していた」というのだから、ずいぶん忙しかったにちがいない。
だが、そんなトラブルはめったに起こるものではないし、また、たいていのことには「それがダメならこっちで間に合わせましょう」と機転を利かせるのが好きな人なので、こういうことが原因で忙しくなるケースは稀だろう。じゃあやっぱり暇なのかといえば、そうではない。
老母は、私が訪問すると、よく昔の話をする。それも、同じ思い出を何度も繰り返す。いわゆる「老人の繰り言」というやつだ。そのテーマはだいたいそのときによって決まっている。小学生のときに入院していた頃の思い出であったり、新潟の田舎町の中学に転校生として迎えられたときのことであることもある。結婚して新しい親戚と付き合いはじめた頃のこともよく話すし、自宅に工場をつくって仕事をはじめた頃の思い出も尽きない。中年以降にはずいぶんと世界各地に旅行も行っているのだけれど、そのあたりの思い出話はほとんど聞かない。もったいない話だ。お金をかけていろんなことを体験してもそれは記憶に残らず、お金のなかった若い時代の苦労のほうがいい思い出になっているのだから、人生は皮肉。
ともかくも、そういった様々な思い出がランダムに出てくるのではなく、おそらく数日の周期で特定のテーマが決まっている。たとえば昨日は高校生のころに住んでいた家と駅のあいだの光景がテーマだった。
「駅からガードをくぐって小川みたいなのがあって、郵便局があったね。そのこっち側かな、いつも自転車がたくさんとめたあって、中で人がなんかやってた。あれ、なにやってるんやろと思ってたけど」
だいたいこれが主旋律だ。これに副旋律が入ってくるのだが、これに関してはかなり事実関係が怪しい。
「あそこって、いま私が行ってるジムやんね。ということは、あの頃からあのジムはあったんやな」
「いや、いま行ってるとこはビルの1階やろ。あのビルができたんはもっとずっと最近や」
「ビルちゃうやん。平屋の建物で」
「だからお母さんが高校生のころは平屋の建物があったんやろ。そこに人が集まってたのは、そうなんかもしれん」
「そうなんかなあ。あれがジムやと思ったんやけど」
ちなみに、「ジム」というのは先月から通いはじめたデイサービスのことだ。一般的なデイサービスは本人の性格上合わないと思ったので、リハビリ的な機能訓練中心のサービスを選んだ。運動をやる場所だからジムと呼んでいるのだけれど、まあ、あながち間違いでもない。ただし、それが70年以上も前からあったというのは完全に事実誤認だ。
「いっつもその自転車がたくさんとめてあるとこの前を通って、駅に行った。心斎橋のとこに写真をならいに行ってたから」
「いや、高校生のころに写真の趣味はない。写真屋はそれこそ、あのビルの建ってるとこのこっち側にあったけどね。写真教室に行きはじめたのは私が大学生になってから」
「そうなの? あんた、ようおぼえてるね。俳句教室やったかなあ」
「俳句は写真のあと。写真の先生が写俳がどうたらとか」
「ああ、そうやった。あの先生にはお世話になったわ。じゃあ、何を習いに行ってたんやろ」
老母は若い頃からいろいろ習い事をしていた。私が知っているだけでもフラワーデザイン、洋裁、料理など、実にいろいろ雑多に習っていた。その中でも中年になってはじめた写真は、最も長く続いて、それなりにいい作品もできるぐらいには打ち込んでいた。本人が高校生の頃ならお茶かお華ぐらいじゃないんだろうか。
「ジムのところから大通り渡って上がったとこが私の家やったね」
「そう。結婚してここに来るまで住んでた」
「あんたおぼえてる?」
「小学校1年までおじいちゃんとおばあちゃんが住んでたからね」
「こないだ、あんたの車で連れてってもらったね。おじいちゃんが建てた小屋が残ってて懐かしかったわ」
「いや、行ってない。だいたいがあそこ、家の前にあった池も埋めて、いまは住宅地になってる。おじいちゃんらが引っ越したあと、すぐにあのあたり潰してボーリング場ができて、それも数年で潰れて、そのあとは住宅地になった」
「でも、こないだいっしょに行ったやろ」
「行ってない」
「うそ」
実際のところ、これはその前に私も驚いたのだけれど、数日前の日記に「昔の家を見に車で行った」と記載がある。ただし、その日は私は来ていないので、完全に偽の記憶。
「(日記を見せながら)これのことやろ。けど、この日は私はこっちに来てない」
「そうやね。だったらイチローに連れてってもらったんやろか」
「兄貴もこの日は来ていない」
「じゃあ、夢でも見たんやろか」
おそらくそうなのだ。夢で見たことがきっかけになって、それから数日間、このテーマが繰り返されている。上記の会話は、まるでそのまま録音したものが再生されるように、この日、何十回も繰り返された。
同じ話が何度も繰り返されるだけなのだから、聞いている方は無意味に感じる。けれど、注意して聞いていると、すべてのバージョンが必ずしも同じではないことがわかる。我慢して聞いていると、徐々に内容が変化していくことがわかる。
おそらくこのテーマが浮上したきっかけは、先月からその駅近くのデイサービスに通い始めたことだ。デイサービスは送迎付きだから、はじめ、老母はどこに向かっているのかわからなかったようだ。だんだんと場所がはっきりしてきて、それが娘時代に住んだ家の近くだったことがわかってきた。その場所の風景は、当時とすっかり変わっている。だから余計にピンとこなかったのだろう。けれど、むかしの思い出と現在の風景を重ね合わせて場所を確認する作業を繰り返し行うなかで、頭の中にはっきりしたイメージが形成されていく。その段階で夢を見て、そしてその夢をもとに思い出が頭の中を占領していく。
「年寄りのことを〈同じ話ばかり繰り返すようになって、おばあちゃんもボケた〉みたいに言う人がいるやろ。それで年寄りは怒るわけやけど、なんで怒るか、ようやくわかったわ」
老母はそんなふうに言う。
「あれは、同じ話を繰り返してるんと違うねん。そういうふうに話しながら、むかしを思い出してるんやわ」
客観的には同じ話を繰り返している事実に相違はないのだけれど、実際に高齢者の頭のなかで起こっていることは、過去の記憶と現実との間にある微妙なズレのすり合わせなのだと、老母は主張する。少なくとも老母の言葉を私はそういうふうに受け取った。駅から「ジム」までの短い道のりは、確かに自分が若い頃に歩いた駅までの道と同じだ。鉄道の下をくぐるガードレールは、その頃からひとつも変わっていない。けれど、それ以外のすべては変わってしまっている。郵便局もなくなり、小川はコンクリートで打ち固めた排水路になった。「ジム」がいまある場所はどんなふうだったのだろう。そんな記憶の底にある風景を探し求め、そしてそれをいまの光景に重ね合わせる。その作業を延々と繰り返す。そしてその作業中には、ほかの記憶も紛れ込んでいく。いったい自分は駅まで何の用事で行ったのだろう。大阪の方に出る用事がそれほどあったわけはない。いや、そういえば心斎橋で教室に通っていた。あれは何だっただろう。写真かもしれない。そんなふうに記憶がつながっていく。
ゆっくりと、そうやって現実世界が確実なものになっていく。その作業には時間がかかるし、また、その作業が何の役に立つのだと言われても返答に困るだろう。けれど、高齢者はそうやって時間をかけて現実を取り戻していく。その世界の中に自分自身を再構成していく。その営みは、高齢者にとって無意味なことではない。
「むかし、看護学の本を翻訳したとき、〈高齢者の発達課題〉っていうのがあって、高齢期ってのは〈人生を回顧して受け入れることが課題〉って書いてあった。つまり、年寄りは思い出すことが仕事、っていうことやねん。そうやって自分の仕事を一生懸命やってるときに、それを〈ボケた〉とか言われたら、そら、腹立つかもしれんな」
「そやろ。年寄りは、一生懸命思い出してるねん。同じことを言うてるんやなしに、そういうことを言うことでむかしを思い出してるねん。あんたも年寄りを〈ボケた〉とかバカにしたらあかんで」
「そやな。そやけど、さっき何食べたかも思い出せんようなんは、やっぱりボケてるんやと思うで」
「そこは、それやん」
「年寄りの頭はまだらやな。最近のことは思い出せん。これははっきりと頭の機能の衰えや。けど、むかしのことは思い出せる。というか、いまから75年前の駅のあたりのことをはっきり思い出せる人はもうあんまり残ってないんやから、そういう意味ではお母さんは貴重な記憶の保持者やで。それを思い出すことにかけては、それはボケとか関係ないわな。そこは若い人間には真似のでけん芸当や」
「そうやろ。でけんへんこともようさんある。けど、私の役目もあるということや」
ちなみに、「老年期は人生を回顧する時期である。大きな世の中や人類の秩序や意味の伝承と、自分自身の人生を回顧して受け入れることが発達課題である」というのは、エリクソンの説であるらしいのだけれど*1、これは高校の教科書(たしかひとつ前の指導要領まであった現代社会の教科書だったと思う)にも掲載されている。「発達」というと幼児や少年期、せいぜいが青年期までのことだと思うのがふつうだけれど、エリクソンはそれを人間が死ぬまで続くものとして捉えなおした。まあ、このあたりは私もよくわかっていないので受け売りでしかない。
実際、もう20年ぐらい前、仕事で看護学の本を翻訳したときにこの概念にぶち当たって「はあ?」と思ったのを覚えている。ただ、それは、私の記憶だ。今回この記事を書くにあたって当該の訳書を引っ張り出してみたけれど、どこをどんなふうに「はあ?」と思ったのかはもうわからない。確かに上記のエリクソンの発達課題は表組みの中に記載されているけれど、そこまで悩むようなものでもなさそうだ。けれど記憶では、このあたりでだいぶ混乱したことになっている。
そういうことを、私自身がやっぱり思い出している。この仕事は東京の怪しげなエージェントからもらったもので、実務翻訳を請け負う事務所を開いてまだ2年目だったから不利な条件にも関わらず飛びついたんだよなあとか思い出す。なにせ分量の多い仕事だったから途中で飽きてきて、最後の方はけっこう辛かったとか、内容以上に、そんな周辺のことばかり思い出される。いくつかトラブルもあったような気もするが、あのおかげで食えてたのも事実だし、ありがたい案件だった。
こんなふうに、私たちは過去のことを思い出し、その事実を確認するだけでなく、そこに新たな意味を付け加えていく。振り返ってみたらあの仕事がなかったらいまこの家にも住んでいないわけだし、その後の案件を受けるときにもクライアントの信用が得られたかどうかわからない。現在にさまざまにつながってきている。老母との会話でエリクソンを思い出すこともなかっただろう。現在を生きることで、過去の事実に対してどんどんと意味が追加されていく。その作業を行う過程で、意図せず、事実の誤認や身勝手な解釈、美化や矮小化が紛れ込む。だから思い出というのは決して事実そのものではない。けれど、事実関係だけが重要なのかといえば、当人にとってはそうではない。自分の過去が現在の自分にどうつながっているのかを確認し、現在位置を定め、自分自身を確立する。それが思い出すという作業だ。
事実関係がひとつでも、だからこそ、そこに複数のストーリーが生まれる。たとえば、私が翻訳の仕事で初めてお金をもらった翻訳書がある。なぜ23歳の大学中退者が名の通った小説家の著書を翻訳できたのか、それはそれなりに興味深い話でもあるので、断片的にあちこち書いてきた(たとえばここ)。それが、どれもちょっとずつ違う。もちろんそれはそれぞれの原稿がどういう文脈に置かれるのかによって着目点が変わるからではあるのだけれど、私自身の主観からいえば、そうやって少しずつ異なる視点にずらしながら同じ過去を見ることで、次第に自分の中での位置づけが変わってきているのは感じている。
渦中にあった23歳の私は、正直、事態をどう捉えていいのかわからなかった。詩人としても知られたリチャード・ブローティガンという小説家の作品なのだけれど、私は自分自身の修行としてその生前最後の小説を翻訳していた。だから、その原稿はあくまで私的なものであり、どこに行きつくあてもないものだった。ただ、その秋、ブローティガンの訃報が新聞に載った。その段階で私が感じたのはただただかなしみだった。それはそうだろう。翻訳という作業はある意味イタコ芸であって、気持ちの上では作者になりきって日本語の文を書く。その作者が死んだのだ。ショックでないほうがおかしい。数日そのショック状態があり、そしてようやく気がついて、自分の原稿を出版社に送った。すぐに返事が来て、話が動きはじめた。
私はプロの翻訳家になりたかった人だ。だから修行として小説の翻訳もやっていたのだし、その最初の試みがたまたま運命によって仕事になるというのだから、これはほぼありえないほどの僥倖だ。だが、それをラッキーと喜ぶことは到底できなかった。人の死にかかわることだ。しかも、なぜ私が翻訳家を目指していたのかとか、なぜ修行として1冊の小説を訳そうとしたのかとか、そういったことを遡っていくと、いくらでも「笑ってる場合じゃないだろ」という事情に突き当たる。そういうことを書き始めたら1冊の本になる*2。私はなんとも冴えない顔をしながら、この出版に至る時期を過ごしていた。
この小説は、「ハンバーガー殺人事件」という邦題で出版された。刷り上がった本を手にすると、複雑な気持ちの上に、やはり無理もない喜びが重なった。けれど、「プロの翻訳家」なんて、1冊の本を訳したからなれるものではない。編集者の人が目をかけてくれたこともあって時間をあけながらも次の本、その次の本と翻訳の仕事をまわしてもらうことにはなったけれど、ブローティガンの小説がそこに何らかの実績として重みを加えてくれたようには思えない。徐々に、私はその小説から目を背けるようになった。それは過去の栄光に過ぎない。そんなものにいつまでもすがっていてもしかたないだろうと、自分を鼓舞するしかなかった。
それでも、私はこの小説が好きだった。なので、いくたびかの引っ越しでもずっと手もとから離さなかったし、ときどきは読み返していた。友だちに貸したまま行方不明になってしまったこともあったけれど、別方面からまた新たに贈ってもらうようなこともあった。好きな小説だから手もとにあるという意識が強くなっていき、自分自身と結びつけることは、ほとんどなくなっていった。たしかにあの小説がなければ、自分は別の人生を歩んでいたかもしれない。けれど、だからどうしたというのだ。そんな感覚が徐々に若さが失われていく私の中にあった。別の人生を選べるものならそのほうがどれほどマシかと思うような日々を過ごしていたせいかもしれない。
やがて、家庭をもつようになり、自分の選んだ人生が正しいかどうかまではわからないにしても、ささやかな幸せを手に入れた結果につながったことだから否定はできないよな、みたいなことを感じる時代になった。それまでの仕事にひとつ整理をつけて、改めて翻訳で食っていこうと決めたのもその時期だ。自分との関係で考えることがほとんどなくなっていたブローティガンの小説は、「業務実績」として再び自分の経歴に書き込まれるようになった。その頃からのような気がする。ときどき、夢のなかで「あの単語はちゃんと訳したのだろうか」という疑念が湧き上がる。冷や汗をかいて目覚め、そして「ハンバーガー殺人事件」を開く。いつのまにか原書は失われていた。だから確実にはいえないのだけれど、「ああ、そんなに変な翻訳はしていないな」と安心する。そういうことが何度か起こるようになった。インターネット以後、標準的な翻訳の質は飛躍的に上がった。その流れに取り残されないように仕事を続けるなかで、徐々に私は若い頃の自分の英語の能力がいかに低かったかを思い知るようになった。だからこそ、若い頃に何を見落としていたのか、ひどく気になるようになったのだろう。「ハンバーガー殺人事件」は悪夢になった。
やがて翻訳の仕事が徐々に減り、日常の業務は十数年前からはじめた家庭教師としての仕事が主体になっていった。機械翻訳からAIの時代に進むにつれて、実務翻訳の仕事はどんどん減っていった。それでも書籍を1冊訳すような仕事は完全に失われたわけではなく、とぎれとぎれにやってくるそんな仕事も私にとっては重要なものであり続けた。「ハンバーガー殺人事件」を悪夢に見ることもだんだんとなくなってきていた。そしてそんななか、思いもかけないメールが届いた。リチャード・ブローティガンの作品を一気に文庫化する企画が進んでいる。ついては「ハンバーガー殺人事件」をそこに含める許可をもらえないかという話だった。
なぜ、この作品、原題So the Wind Won't Blow It All Awayを新たに翻訳することを私が望んだのか、いまさら説明の必要もないだろう。それは自分自身の過去に再び向き合うことであった。何度も繰り返し、繰り返し、同じひとつの事実、ひとりの詩人が自殺を遂げ、それがひとりの若者の人生のスタートとなった、40年もむかしに起こったその事件を、私は頭のなかで反芻してきた。起こったことは起こったことだ。過去は一切の変更を拒む。時間が前へ進んでも、過去にあったことは何一つ影響を受けない。それでも私は同じひとつの事件に、常にその時その時の自分の状況を投影し、新たな意味を与えてきた。そうすることで、いまの自分自身と過去の自分との折り合いをつけようとしてきた。それが人間のすることだ。だから、人は何度でも過去を振り返る。同じことの繰り返しに過ぎないとわかっていても、やっぱりそれを繰り返す。その必要があるのだし、それをやらなければ前に進めない。
そうして私は、今度は本格的に腰を据えて、過去の自分と向き合った。そこにはさまざまな発見があり、学びがあった。その詳細はここには書かないでおこう。別の場所、別の機会があると思うからだ。ただ、それを通して、私は過去の自分を以前よりは客観的に見ることができるようになった気がすることは、報告しておこう。そこにいるのは自分自身ではあるが、自分とは全く違う個性を備えた若者だ。小生意気で、知ったような口をきくけれど、一方で確かに才気を感じさせる不思議な男だ。そういう自分に出会えたこと、その機会をつくってくれた筑摩書房には、感謝するしかない。
ということで、このブログ記事は、新刊の告知だ。種明かしをすると、そういうことだ。「ハンバーガー殺人事件」は、「風に吹きはらわれてしまわないように」と改題した。それはかつての自分を否定するものではない。そうではなく、若い頃の自分に対して敬意を払いながらも、「いまの私はこうだよ」と微笑みかけるものでもあるのかもしれない。
そして、この小説は、やはり過去を振り返る話でもある。少し抜粋すると、
あの日のことは何度も何度も心の中の再生ボタンを押してきた。映画の編集でもするように。ぼくはプロデューサーであり、監督であり、編集者であり、脚本家であり、出演者であり、音楽もやる。そのほかも、すべてがぼくの映画なのだから。
心のなかには巨大な映画スタジオがある。一九四八年二月十七日以来、ずっとぼくはこのスタジオでこの映画の制作を続けている。ひとつの映画に三十一年間取りくみ続けてきた。ちょっとした記録だろう。そして永遠に完成はないのだろう。
これは、主人公が少年時代に引き起こした人身事故についてのことだ。事件そのものは非常に単純で、事実関係には一点の曇りもない。けれど、主人公は、繰り返し繰り返し、そこに意味を探す。そうすることでしか、彼は前に進めない。けれど、
あのころ、カレンダーを見るたびに、じいさんのことを思った。時間の国で迷子に
なった老人だ。けれど、そのうちにそんなことも気にかからなくなった。遠からず自
分も同じような迷子になってしまうのだとも知らないままに。
と、そういう繰り返しは「時間の国での迷子」につながるだけだということもわかっている。それでもそこを離れることはできない。なぜなら人間は、そもそも本質的に「迷子」である存在なのかもしれないからだ。明確な「こっちが正しい」標識なんて、人生にはない。それでも人間はそこに何らかの方向性を見出そう、意味を見つけようとするのだ。そのためには、繰り返し、繰り返し、記憶の中に沈んでいって、過去と現在を対比させるしかない。
老人の繰り言には、そういう意味があるのかもしれない。それとも、そこまでの意味もないのかもしれない。ただ、さっきまで考えていたことを忘れて、また同じことを考えているだけなのかもしれない。けれど、そうすることが無意味だと、誰に言えるだろうか。老人の人生はその人固有のものであり、そこにどんな意味を見つけようが、それはその人のものなのだから。