保育園の仕事と経営者の仕事と

What business are you in?

私は「ガープの世界」以来のジョン・アーヴィングのファンなのだが、彼の作品群のなかで特に印象に残っているシーンがある。季節労働者の作業場でもあり宿所でもあるサイダーハウスでリンゴ酒の醸造中に、労働者のひとりであるジャックが吸い殻を果汁の中に投げ込む。それに気づいた労働者のボスのミスター・ローズが激怒する場面だ。いま手元に原書をもってきたが、探し出すのが面倒なので、映画版の方から引用しておく。

www.youtube.com

意味深いのは「What business are you in?」というミスター・ローズのセリフだ。この文句で検索すると、「お仕事は何でしょうか?」という穏やかな翻訳が出てくるのだけれど、場面はもっと緊迫している。食品を扱っているという自覚がないジャックに対して、「自分の仕事がわかってんのか?」と問い詰めているわけだ。これに対してジャックはナイフを持ち出すが、あっさりとミスター・ローズの早業に服を切り裂かれてしまう。そしてミスター・ローズは捨て台詞を吐く。「オレの仕事はナイフ使いなんだぜ」と。

最初に読んだときには、この「I'm in the knife business!」の意味がよくわからなかった。単純に「ナイフのプロのオレに勝てるわけないだろ」程度の捨てゼリフだと思っていた。だが、いまになるとわかる。ミスター・ローズは、季節労働者のまとめ役として農場から期待されている(だから彼だけの特典も受けている)。つまり彼は他の季節労働者たちと同様にリンゴの収穫と加工という仕事を請け負っているわけだが、配下の労働者に対してはそれを管理するという業務を請け負っているわけでもある。そしてその管理の根本にある原理は暴力だ。荒っぽい季節労働者たちをまとめ上げるのは、ギャングも恐れをなすジャックナイフの神業だ。だからこそ、彼は「オレの仕事はナイフだぜ!」と啖呵を切ることができるわけだ。

作者は暴力を肯定しているわけではない。中絶問題や家庭内性暴力や障害者の問題や、その他さまざまな社会問題を盛り込みながらもエンターテイメントであるこの作品は、そんな安易なものではない。にしても、ここでは農場主の力の及ばない独立した権力構造がサイダーハウスに存在することとそれを尊重しなければ成り立たない農場経営とがはっきりと浮かび上がる。だが、それが効率的だからといって、社会はその内部に独立王国の存在を許すべきなのだろうか。サイダーハウスの掟に対してその外側の社会は干渉できないものなのだろうか。すべきではないのだろうか。それがこの作品のテーマであるように思える。

保育園の仕事と経営者の仕事 

保育園の仕事は子どもを健全に育てることだ。なんなら保育所保育指針という公文書を見てもらえればいい。そこには

保育を必要とする 子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする

と明記されている。だから、もしもミスター・ローズのような強面が保育所の職員に「What business are you in?」と尋ねたら、上記のように答えるのがいい。ナイフを持ち出されたくなければ。

けれど、保育園の経営者が同じ質問をされたら、もちろん場合によっては同じことを答えることになるのだが、場合によっては「職員の管理です」と答えるべきなのだろう。経営が経営者の仕事であり、経営の目的は事業を健全に継続させることだ。そこで重視されるのは収支の決算表であり、財務諸表だ。保育園のような公益的な法人の場合には、利益を出せばいいというものではない(過剰な利益は法律によって社会還元が義務付けられるので、どっちみち利益は出ない)。利益を出すのではなく、事業が持続可能であるようにお金を回すことだ。そのためには赤字であってはならないし、赤字を避けるためであっても各種引当金などの積金を怠ってはならない。保育園経営には、経営に対するそれなりのプロ意識がなければならない。

anond.hatelabo.jp

保育士の待遇がひどいことが話題になっている。私は、基本的にはブラックな職場はさっさとやめるべきだと思う。だが、保育士のなり手がなくなって保育園が存在できないのも困る。保育士の待遇は改善されるべきだろう。ここで、これに関する議論は2つのレベルがあって、互いに相交わらないのだということに気づく。

まず、保育士の給与水準が絶対的に低いことだ。給与水準は公的に定められているので、それを上げなければ底上げはできない。これは政治的な議論になる。さまざまな立場からさまざまな意見があるだろう。そういう議論は大いにやってもらいたい。

それとはまったく別なレベルの問題がある。それは、個別の園の経営に関わるものだ。これに関しては、いくら政策的な議論をやっても解決しない。なぜなら個別の園の経営は個別の園に任されている。そこで経営者がどのような方針を取ろうが、法令の範囲内であればそこに触れることはできない。そして、そのなかで、上記に引用した増田記事のような過酷な労働問題が発生する。具体的には賃金を支払われない時間外労働だ。

もちろんこれは、「法令の範囲内」を越えているので、法令違反の労働をさせられた保育士はすぐにでも訴えるべきだし、それが面倒で逃げ出すというのもひとつの選択肢だと思う。タイムカードがあってもそれを有名無実化するような運用は、言い逃れのできない法令違反だ。そうやって実質賃金を切り下げるのは(もしも記事のとおりなら時給換算で賃金は半額にもなるだろう)あってはならないことだ。

保育園経営者の言い訳はほとんど想像できる。残業代を払おうと思っても規定の保育収入からでは払える原資がない。だから残業代は払えない。けれど、子どもたちの「健全な心身の発達」のためには、規定の時間内の労働だけでは絶対的に不足する。だからそこはお願いして自主的に子どもたちのために頑張ってもらうしかなかった、とかいうものだろう。

だが、そういった余分な時間の献身的な労働がなければ保育園は正常に運営できないものなのだろうか。ある部分はそうだ。だが、ほとんどの部分はそうではない。なぜなら、たったの一例でしかないけれど、そういった過剰な労働もなしに運営できている保育園をたまたま私は知っているからだ。そしておそらく、世の中にはその一例だけではないはずだ。一つの例は、一つの特殊事情の上にしか成り立たないと思う。だからそれを全てに当てはめろというつもりはない。けれど、なぜ他の園ではそれが当てはまらないのかの推測もできる。

その仕事は本当に必要? 

なぜその一つの例を知っているかといえば、それはたまたま私がその保育園の近所に住んでいて、息子もそこにお世話になって、そういう関係で地元代表としてちょっとした役を引き受けているからだ。守秘義務もあるのであんまり細かなことはいえないが、たまたま去年の財務諸表を見たらここ数十年、ずっと健全経営できていることがわかった。そして、近所にいるから保育士たちが何時に出勤して何時に帰っているのかはほぼ把握できる。遅番はちゃんと遅くに出てくるし(10時)、早番は早くに帰る(16時)。そして何よりも、保育内容が素晴らしい。子どもたちは実に元気に走り回っている。

もちろん、すべてが完璧というわけではない。子どもには子どもなりの悩みがあるだろうし、親から見ても「もうちょっとここはこうしてくれたらなあ」というのがあるのは知っている。他の園と比較して「あそこはやってくれるのに……」という文句もあるだろう。だが、それは本質ではない。子どもたちは健全に発育しているし、親の保育ニーズもある程度満たされている。それ以上を求めるなら、それは園の経営にではなく、法制度の変革に求めるしかないのだろう。そのぐらいに、この園は制度のなかで目一杯のことはしている。

なぜそれができるのか、書こうと思ったら、よく考えたら以前にこのブログで書いている。同じことを書くのも面倒なので、以下にリンクを貼り付ける。

mazmot.hatenablog.com

結論部分だけ抜いておくと、

ここにきてようやく、なぜあの幼稚園で、あれほど勉強熱心、仕事熱心な先生たちが毎日残業をして子どもたちのために尽くしながら、なぜあれほど子どもたちがしんどそうだったのか、理解できた。つまり、過去にやって「よかった」と評価されたこと、さらに他の園の実践の中から「これはよかった」と評価の高いことをできる限り導入し、そして、いったん導入して「よかった」と評価したものに関しては基本的に次年度以降もやる。「よかった」ことをやらない理由がない。去年よかったことなら今年もいいはずで、そうやっていいことがどんどん蓄積していけば子どもたちにとっても素晴らしい幼稚園生活になるはずと、無条件に考える。だから仕事はどんどん増える。そうであっても、子どもたちのことを思えば、がんばれる。そうやって実際に若い先生たちは頑張っていたのだろう。だが、それは結果として子どもたちの負担を増やしていた。

一方のこちらの方の保育園では、過去の成果は、知識・経験としては蓄積されているが、それを自動的にスケジュールに組み込むことはしない。やってもいいし、やらなくてもいい。ただ、「ここで必要だな」と思ったら、すばやく実施に移す。その機動力、瞬発力は感心する。それよりなにより、子どもたちのニーズを的確に把握する能力は、ほんと、プロだなあと思う。そして、子どもたちはその保育士たちの手助けに敏感に反応する。心の底から笑い、そして成長する。

肝心なことは、全ての職員が、自分たちの仕事を心得ていることなのだろう。自分たちの仕事は、「子どもの心身の健全な発達」であり、そのために必要なことはする。言葉をかえれば、必要でないことはしない。過去に「よかった」と言われていることでも、必要でなければしない。なぜならそれは過剰な労働を要求し、結果として子どもたちの心身の健全な発達に対してマイナス要因になるからだ。そのぐらいのことを一人ひとりが自覚し、なによりも経営者がわかっている。

残業代を払えないのは、どこも同じだ。だから払わずに働かせていいというものではない。払えないから定時で帰ってくれと依頼するのが、目的をきちんと理解した経営者だ(それでもその園ではやむを得ない残業の場合はきちんと残業代を支払っていたことが財務諸表から読みとれた)。「もっといい給料を払ってあげたいんですけどねえ」と愚痴る園長は、精一杯のことをやっているから愚痴る資格ができる。これ以上の報酬を払いたければ政治に動いてもらうしかない限界までやっているから、そういうことが言える。まずは経営のレベルでルールを守ってこそ、ルールに対して文句が言える。

サイダーハウス・ルールは燃やしても

個別の経営の中に、個別の内部だけで通用するルールをつくりだしてはいけない。サイダーハウスのルールは燃やされるべきだ。そうではなく、社会全体が合意したルールでもって、組織の内部も運営されねばならない。もしも賃金を支払わない残業が違法であるというのが社会全体の合意であるのなら、それに反するルールを組織内でつくってはいけない。そのためには、いったい自分の仕事はなんであるのかをしっかり理解しなければならない。

とはいいながら、そんなふうに小さな組織の独自性を縛っていくことは、硬直化にもつながっていく。近所の保育園で何がいちばんの負担になっているかというと、それは書類仕事だ。なぜ書類仕事が増えるのかというと、公的な法人に求められる透明性を確保するためだ。つまり、ルールに則っていることを確認するには、文書で残さねばならない。それはそれでわかるのだけれど、「こんな小さな組織にそれを求めてどうするよ」と思わなくもない。このあたり、ほんとうにむずかしいなあと思う。

 

とにもかくにも、どこもここもたいへんだとは思う。実際、じゃあその保育園が本当に全て理想通りにまわっているのかといえば、そうでないことを私は知っている。早朝に目覚めて暗いうちに庭に出たときに、「おはようございます」と園長に挨拶されたことが何度もある。彼はひとり、始発電車で通ってきているのだ。職員に過酷な労働をさせない代わり、自分自身が早朝の時間外労働をやっている(そして、園長が残っていたのでは帰りにくかろうと、いつも早番の時刻で帰るのだが、実際にはその半分ぐらいはそこから会議への出席であったりもする)。結局誰かが身を挺して犠牲にならなければ回らない世の中であったりする。

人間は、もう少し進歩する必要があるのだろうなあ。

 

 

 

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(どうでもいい追記)

ようやく、Cider House Rulesの問題の箇所を探し当てた。映画とはかなりちがう。ミスター・ローズは自分では手をくださず、例のセリフも自分では言っていない(彼の手下が言っている。ちなみにこのセリフは別の場面でミスター・ローズ自身も言う)。ミスター・ローズ自身は、主人公でこのシーンの傍観者であるホーマー・ウェルズをその場からそっと連れ出す。これはこれで迫力がある。登場人物の名前も違っていて、吸い殻を落としたのはジャックではなく、ジャックはそれを咎める役割。ま、ほんと、どうでもいいことだが。

障害を個性と言い切れる時代まで、まだまだ遠い

障害者について何かを書けるほど、私は障害者のことを知らない。もちろん身近にも障害者はいて、たとえば老齢の父親は近頃、障害者手帳を交付された。役所に行って手続きをしたのは私だから、これはまちがいない。ただ、だからといって障害者のことが以前よりもわかるようになったかといえば、やっぱりわからない。父親は父親だし、他の障害者はまったく別な困難を抱えているのだろう。百人百様、単純に括ってしまえないのが人間であり、障害者は特にそうなのではなかろうか。個性的という言葉の文字通りの意味に立ち返れば、まさに個性的なのが障害者だともいえるのだろう。

ただ、そんななかで、「障害者として生きることは生易しいことじゃないんだろうなあ」と想像させてくれる経験は、少しだけある。家庭教師としての私の生徒の中にひとり、生まれついての身体障害を抱えた中学生がいるからだ。職業上知り得た事柄には守秘義務もあるしプライバシーも大切だからかなりフェイクを混ぜて書いていくつもりなのだけれど、彼女からは多くを学ばせてもらっている。その一端をここにシェアしておきたい。

 

彼女は、身体が思うように動かない。完全に動かないわけではなくある程度の動作はできるのだが、可動域に制限があるのと細かい動作のコントロールが効かないのとで、車椅子生活を余儀なくされている。手指の動作がうまくいかないので通常の筆記はできないし、発声もぎこちなくなる。しかし、そういった不自由さを除けば、どこにでもいるふつうの中学生だ。実際、コンピュータのキーボード操作を教えて作文を書かせてみると、ごくふつうに文章を書く。できあがった作文だけ読んだのでは、彼女が障害者であることに誰も気づかないだろう。国語、数学、理科、社会、英語と、どれを教えても特別に大きな困難はない。家庭教師として教えにくい生徒ではない。

だが、彼女に対して完全に他の生徒と同様に家庭教師の仕事ができるかというと、そういうわけにはいかない。決して同じではあり得ない困難を抱えているからだ。

たとえば、私は通常、どの生徒に対しても、大雑把なゴールを決める。これは将来の目標でもいいし、興味の対象でもいい。方向性と見通しを決めておくことが、多くの場合、よい結果につながるのだ。そのために指導の開始時に実施する問答も、ほぼ定型的なものができている。貿易の仕事とか弁護士、美容師、トリマー、教師などなど、生徒に夢を語らせたりもする。

ところが彼女の場合、将来の夢は「歩けるようになりたい」なのだ。そういった夢に対して、家庭教師ができることは何もない。医療関係者であれば何かができるのかもしれないが、家庭教師はお呼びではない。彼女の夢を叶えるために、私は何の力にもなれない。そういう状況は初めてだ。職業に夢があるのならばそれに相応した学校に進学できるように助けることができるし、学歴がほとんど不要の夢(たとえば「パティシエ」というようなのもあった)の場合でも、「一流になったら英語は絶対役に立つよ」とゴールを設定することもできる。「幸せな結婚がしたい」というような夢であったとしても、そのために学問が果たせる役割を見つけることはできる。特別に夢がない生徒には、夢がないことを前提にそれに対応したゴール設定ができる。ところが、彼女には夢がある。そしてその夢である「歩ける」を実現するためには、何を勉強したかはまったく関係がない。どうやってもこじつけられない。これには困った。

そんなふうに、生徒としては出発点からふつうにはいかない。それでも、教科に対する理解力はふつうだ。ぎこちない発音を聞き取れるようになったら、コミュニケーションをとるのも困難ではない。なにより助かるのは、そのポジティブな性格だ。少々のことではめげないし、失敗があってもすぐに立ち直る。これは、そうでなければ障害とともに生きてこれなかったという経歴が影響しているのかもしれないが、他の生徒の見本にしたいほど前向きだ。だから、身体の困難は相当に大きいはずなのだけれど、外見的にはその困難を困難と感じさせない。なるほど、ひとは強いものだなあと、感動さえ覚える。

その楽天的な明るさに感銘を受けるのは私だけではないのだろう。しばらく前、彼女が治療のために訪れたある病院で、医療関係者(なのかカウンセラーなのか支援団体なのか、私にはよくわからなかったのだけれど)から、「あなたは障害者のリーダーとしてこれから世の中を良くしていく仕事ができるはずだ」と、激励の言葉を受けたそうだ。

けれど、ここで私は障害者の抱えるもう一つの困難を目の当たりにした気がした。いや、障害を抱えて生きるって、物理的にもしんどいのに、それだけじゃないんだなあと、ちょっと呆然とした。

どういうことかというと、たしかに彼女は障害にもかかわらずふつうに学業をこなす能力がある。けれど、言葉をかえればそれはあくまで「ふつう」レベルでしかない。特別に優れているわけではないのだ。もしも彼女が身体障害をもっていなかったとしたら、おそらく彼女は定期テストで平均点前後をウロウロするような生徒だろう。そういう生徒に対して、家庭教師である私は適切なゴールを設定することである程度の点数を伸ばしていくことはできるのだけれど、無理なレベルにゴールを設定することはしないし、実際、そうしてもゴールには到達できない。人には向き、不向きがあるのだ。論理的な思考を積み上げる学問に向いているひとは、そういう方向に進めばいい。それよりも感性が美しい人は、それを伸ばす方向に進むべきだ。そして障害者の彼女は、どちらかといえば感性のひとだ。日常に美しさを紡いでいくようなタイプのひとだ。理性でもって全体を見渡し、人を導いていくリーダーにはまったく向いていないひとだ。

だが、彼女は障害者であるという理由で、そして、その障害が身体だけにとどまっているからという理由だけで、勝手に「リーダー」として成長することを期待されている。そして、彼女の幸福を考えたときに、ふつうの中学生が夢見るようなネイリストとか客室乗務員とかスポーツ選手とかの未来が困難である以上、実は頑張って勉強してもらってそういう「障害者だからできる障害者のリーダー」みたいな方面に進んでもらったほうが、実現性が高かったりするのは否めない。彼女の本当の適性とか志望とか、そういうこととは無関係に、彼女が置かれた位置によって、彼女の人生にいろいろな期待や重荷がかぶさっていく。ただでさえしんどいのに、さらに高みを目指さねばならなくなる。

 

そういうことは、障害者に限らないのかもしれない。人間は、ひとりひとり、その社会的な位置によってあらぬことを期待される。それも個性なのかもしれない。けれど、障害者に負わされたものは、ことさらに強烈であるような気がする。物理的な制限が、その社会的なあり方にも制限を加えてしまう。障害者として生きることは、何重にもしんどいように見える。

そういうしんどさを軽くして、できないことよりもできることにフォーカスして、そしてそれが個性だねと笑える時代が来れば、どんなに楽なことだろうと思う。少なくとも、家庭教師商売にとっては、そのほうがラクなんだ。が、まだまだそこには遠い。それでも未来を信じることはできる。私もあの楽天的な彼女の笑顔に少しは見習おうと思う。

子どもはどこまでわかれば大人になれるのだろうか

How many roads must a man walk down before you call him a man.

ボブ・ディラン出世作、風に吹かれての歌い出しだ。いろいろ解釈はあるだろうが、人間は生物学的な存在だけでは人間ではなく、社会的に一人前と認められることが必要だ、というふうに読み取るのが普通なのだろう。「男」と呼ばれて初めて人は社会の一員となる。もちろんこの「男」はかつてはそのままに男性であった。だが、男性だけが社会をつくるのではない。だから、現代ではこれを「一人前の人間」つまり「おとな」と読むわけだ。言葉を変えれば、子どもは社会の構成者としての権利を制限される──もしもそうでなければ、だれも苦労して旅を重ね、一人前と呼ばれるように務める必要などない、という一般常識がこの歌の背景になければならない。では、いったい子どもはどれほどのことを積み重ねればおとなになれるのだろうか。

ボブ・ディランの歌では「その答えは風に吹かれている」。現代日本の法制度ではそれは学習指導要領に定められているのだろう。歌にもならないが、義務教育として等しく人々に与えられる教育(そしてほとんど全入に近くなっている高校の教育)の基準を定めた学習指導要領は、それを修めなければ一人前とは認められない学習の基準を定めている。本当にそうだろうか?

必ずしもそうではないというのは、小学校や中学校には、形式的な出席日数をはじめとする要件を除いて、卒業のための基準がないとうことからわかる。テストがすべて0点で成績表がオール1でも、小学校・中学校は卒業できる(というよりも、卒業させられる)。学校にはさまざまな役割が押し付けられているが、少なくとも初等・中等教育に関しては、一定の年齢層の託児所(あるいは収容所)としての役割が大きいことをこれは反映しているのだろう。日本の法体系においては(そして人権の考え方からいえばこれは現代のあらゆる法体系でそうあるべきなのだが)、成人としての権利は何らかの資格として付与されるものではない。後見制度など一定の権利を制限するルールはあっても、それは決して学業の成績をもって行われるものではない。

つまり、学習指導要領は、あくまで「これを教えます」という範囲を定めたものであって、「それを理解していなければなりません」という結果を求めるものではない。少なくとも小学校・中学校では理解度は要件ではない。これは「履修」が卒業要件になる高校でも実質同じで、何もわかっていなくても出席と提出物だけで成績とすることが可能だ。そして、提出物は単なる作業だけで認定基準を満たしてしまう。

では、理解度はどうでもいいのかというと、そうではあるまい。やはり、教える側は「わかってほしい」と願って教えているのだ。唯我独尊、「ついてこれるやつだけついてこい」式の古の大学教授ならともかくも、初等教育中等教育の教師が生徒の理解を目標に置かないわけがない。だが、ここで重要なことが抜け落ちている。「どこまでの理解」をゴールにするのかだ。これは、明確なようでいて、実はそれほど明確ではない。

 

たとえば、私たちは足し算を正確に理解しているだろうか? 「足し算わかります?」みたいなことを言われたら、ほとんどの人が「失礼な!」と思うだろう。実際、足し算の計算ができない人はめったにいない。そりゃあ得意な人も苦手な人もいるし、ちょっとこみいった数字になれば計算間違いだって普通にする。けれど、苦手だとかミスが多いってことで「わかっていない」ということにはならない。ほぼすべてのおとなは、足し算をわかっている。ただし、その理解のしかたは、実は人によって異なっている

それがいいとかわるいとかいうことではない。ある抽象的な概念に対する理解は個人ごとに異なるのが普通だし、なんならひとりの人間の中でも成長によって変化していくのが普通だ。たとえば、私は当然ながら義務教育を終えた時点で(あるいはそのはるか以前に)「足し算」を理解したつもりでいた。にもかかわらず、いま、生徒に教えている足し算の概念のかなりの部分は二十代に学習参考書編集の仕事を始めてから改めて身につけたものだし、さらにかなりの部分は最近になって家庭教師として子どもたちに算数を教えるなかで身につけたものだ。つまり、現在の私の足し算の理解を基準にして考えると、義務教育終了時点では私は半分も足し算について理解していなかった。そして、理解が変化したことを踏まえてこの先の変化を外挿すると、実は現在でもまだまだ足し算は完全に理解していないのではないかとさえおもえてくる。もちろん、自分以上に頭のいい人々、たとえば数学を専門に研究している人々を基準にしたら、私は足し算の概念のごく初歩の部分しか理解していないのだろうと想像できる。

しかし、だれも初等教育で数学者並みの足し算の理解をゴールに置いたりはしない。「どこまでの理解」をゴールにするのかが重要なのは、そういうことだ。どの程度わかれば、初等教育の理解として、あるいは中等教育の理解として妥当なのだろうか。そしてもちろんそれは、学習指導要領にかなりの程度記載されている。明記されていなくとも、しっかりと読み込めばおよそわかる程度には書いてある。それでも私が「それほど明確ではない」と思うのは、その学習指導要領の想定する理解の程度が、どの程度の達成度を想定しているのか、それが学問というものの本質上、明確になり得ないからだ。どういうことか?

たとえば中学校1年生の理科では、力学の基礎として「力」の概念を「力が働いたときには運動の様子が変化する、物体が変形する、物体が支えられる」として理解することになっている。これは古典力学の力の定義である「物体に加速度を生じさせるもの」に「フックの法則」と「力の釣り合い」の概念を統合したものだが、そういうことは中学1年生ではわからない。わからないから、この段階の理解は「力ってそういう感じ」という漠然としたものにとどまらざるを得ない。 漠然としたものである以上、生徒にはこの3つに限定されるという納得感は生じないはずだ。「そういう場合もあるけれど、他の場合もあるんじゃない?」程度に考えるのが思考力のある生徒であるはずで、教師はそれに対して、現行の指導計画の中では反論する余地がない(反論しようとすれば高校物理の範囲まで指導を拡張しなければならなくなる)。である以上、学習指導要領はこの学年の生徒に対しては正確な理解など求めていないのだと判断するのが妥当だということになる。

それは、中学3年生で再び力学が取り上げられるときになってより明らかになる。こちらでは、「力が働かないときは等速直線運動をする」と、反語的に「力が働けば運動の様子(速度)が変化する」を学習する。つまり、言葉を変えれば中1では力と速度変化の関係について大雑把な理解しか求めていないのだということがわかる。より正確な理解はここまで持ち越されている。しかしさらにいえば、ここでは加速度の概念は学ばないことになっているので、ニュートン力学としては極めて大雑把であり、さらに精緻化するのは高校の物理基礎ということになる(ここでは数学との関係で微分を使わずに処理するのが前提なので、やはり大雑把であることは否めない)。つまり、理解度は少しずつ高めていくことになっているのだが、その境界部分はかなりあいまいであり、また、大雑把である以上、「このように理解しておかねばならない」という厳密なモデルを設定できないようになっている。

だから、中学1年の段階で「自動車が一定速度で走るにはエンジンの力が必要だから力には一定速度に保つ働きがある」みたいな解釈をしていてもそれを「誤っている」と力の釣り合いの概念を持ち出して否定することはできないし(まあ摩擦力とか持ち出して誤魔化して説明はするんだけど)、物体の剛性に関する知識もないから「力が働けば物体が変形する」というフックの法則をばね以外の物体に拡張することも困難だ。このように、中学1年の力の理解は穴だらけであり、中学3年も同様に穴だらけだ。

ところが、理解度を測定するという名目で行われるテストでは、模範解答は厳密に決められている。「力が働いていることはどのようなことからわかるか」という問題で「バットで打たれたボール」の項目では「運動の様子が変化した」を答えねばマルはつかない。実際にはボールは変形しているし、近年の映像技術を使えばその変形の様子を観察することも容易だというのに「物体が変形した」を答えるとペケになる。物体を机の上に置いたときには物体は変形するのに(たとえば豆腐をまな板の上に置いた場合にこれは容易に観察できる)、そういう場合には「物体が支えられる」だけが正解になる。屁理屈を言い出したらいくらでも穴がつけるのが小学校・中学校(ときには高校)のテスト問題だ。もしもそういう穴を塞ごうとしたらたちまちより高次の概念を持ち出さねばならなくなり、学習すべき範囲を越えてしまう。

つまり、学習指導要領が「このあたりまで」と定めても、それを厳密に適用することは論理の組み立て上できないし、またすべきでもないということだ。大雑把な理解は個人によって異なっていることを許容するものでなければならない。だからその達成度を筆記テストのようなもので測定しようというのは原理的に無理だし、場合によっては弊害が大きい。

 

そして、ある段階での理解が完璧である必要もないのだ。理解は発達段階とともに徐々に変化する。変化することを見越して、学校では同じテーマを繰り返し、視点を少しずつ変えながら学習することになっている。何らかの完成があるのなら、そういったカリキュラム編成はおかしなものだ。そうやって少しずつ理解を深めながら、人は成長していく。その成長に終わりはない。少なくとも、どこかで区切ることのできる終わりはない。

だから、人はどこまでいっても未完成だ。完成した姿をおとなだというのなら、人はいつまでたってもおとなにはなれない。ディランが答えを風の中に投げかけてしまわねばならなかったように、どこまで旅をすれば人は一人前と呼ばれるのかわからない。それが人生というものだ。

ところが、現代の社会制度はそういった哲学的な解釈を許容しない。一人前とみなされるため、つまりは大学進学であるとか資格の取得であるとかのためには、テストで一定以上の点数をとらねばならない。そして、テストで点数をとるためには、「どこまで深く理解したか」ではなく、「どれだけ覚えたか」「どれだけ定められた手順を実行できるか」「どれだけ苦痛に耐えられるか」といったようなおよそ本質的ではないスキルが必要とされる。

そんなことは本当は誰も求めていないのだ。少なくとも社会的な合意のもとに作成されたと(ある程度までは)いえる学習指導要領はそんなことは求めていない。子どもたちの幸せを願って学習塾に子どもたちを送り出し、受験へと駆り立てる親たちも、そんなことは願っていない。ただ、なぜだか「それが必要だ」と錯覚している。それが錯覚だと指摘すると、現実を見ない夢物語だ、理想論だというふうに拒否される。なぜなら、自分たちもそういう錯覚のもとで育てられ、そういう錯覚を内面化して育ってきた世代だからだ。だから、自分たちの正直な感覚を、「現実はそうではない」と必死に打ち消して、そして子どもたちに誰も望まないプレッシャーを与えていく。

 

家庭教師をやっていると、それが見えてくる。子どもたちを幸せにしたいのならその成長に沿った理解を与えていくべきだし、その理解の程度には「これでよし」という満点もなければ「それではダメだ」という合格ラインもない。ひとりひとりは限りのない成長の途中であり、そしてその途中のどこかでおとなとしての行動を求められ、不安に苦しみながらなんとかそれをやりすごし、そして次代に希望を残して死んでいく。人間とはそういう存在だ。

よく考えたら、ディランの歌でさえ、「a man」は「before you call him a man」すなわち「男と呼ばれる前」に既に「男」と呼ばれている。人間は、一人前になる前に既に一人前だ。つまり、生まれ落ちたその瞬間からひとは一人の人間であり、半分の人間とか四分の一の人間とかではない。そして人間を人間足らしめているのはその不断の成長であって、成長の結果ではない。

 

というようなことを、いつまでたっても成長しないカネのないオッサンが力んでみても、説得力、皆無なんだよなあ。こういうの(↓)を読んでかなしくなって書いたけれど、あんまり関係もなさそうだし。

togetter.com

蚊帳を吊っている

子どもの頃、夏になると蚊帳を吊っていた。どこの家でもそうだったのかまでは知らない。田舎の方ではヤブ蚊が多いから、蚊帳は普通だったのではないかと思う。ただし、それほど長い間ではなかったようにも思う。そのうちに蚊は蚊取り線香で追い払うようになった。キンチョーのコマーシャルも一役買っていたのかもしれないが、蚊取り線香に殺虫剤が配合されるようになって除虫性能があがったことが関係しているのかもしれない。そのうちにエアコンが普及し、家の気密性もあがっていく中で、蚊帳は遠い記憶のものになった。

だから、妻と結婚したときに彼女が蚊帳をもってきたのには驚いた。なんでも奈良で誂えたこだわりの品だという。実際、結婚してすぐに引っ越したアパートは古びていたので、この蚊帳は重宝した。中に入るとその狭い空間がなんとなく落ち着く。やがて子どもが生まれ、3人で寝るには手狭になったのでやや大きめの蚊帳を新しく買った。古い蚊帳は、そっちのほうが品物がよかったこともあり、友人に譲った。そのころには、家族構成が変わることとかは考えていなかった。

やがて私たちは引っ越し、いくらかの曲折を経て最終的に新築の家に引っ越した。この家では、網戸さえきっちり立てておけば虫ははいってこない。だから長いこと、蚊帳は納戸の奥から出てくる機会がなかった。

 

去年から、父親の体調不良で実家に行くことが多い。半年ほど前からは、週のうち2回は泊まる。3〜4日、週の半分を実家で過ごすことになった。寒いうちはよかったが、だんだん暖かくなって蚊に悩まされるようになった。実家もかつての懐かしい家ではない。その後に新しくしているから決して古い築ではないのだけれど、母親が開放的なのが好きなので、蚊は好きなだけはいってくる。これは困ったなあと思って、蚊帳を思い出した。

吊ってみると、実に懐かしい。むかし3人で寝た空間に、私ひとりだ。そんなふうに、時代はどんどん移っていく。いろんなことが変わっても、この小さな空間の落ち着きだけは変わらないなあと思う。

なぜ比率の理解度が低いのか - 人間の成長の階梯と論理の要請の間で失われるもの

「%」がわからない?

日本の大学生がパーセントを理解できていないというようなブログ記事を見かけた。

toyokeizai.net日本の大学生が「%」を理解できなくなった理由 | ブックス・レビュー | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

大学生が百分率を理解していないのかどうか、特に実証的な研究というわけではないようだ。あくまでこの記事の著者の体感らしいのだけれど、少しだけ、ひょっとしたら関連するかもしれないという自分自身の観察がある。その観察もまた同様に実証的なものではないけれど、可能であれば実証的な裏付けがほしい、言い換えれば必ず実証的に正しいと証明できるはずだと思っている。そのぐらい、ほぼ例外なく普遍的に(少なくとも私の生業の半分である家庭教師の生徒になる子どもたちの間ではほぼ例外なく)見られるものである。私は大学生は教えていないから、これは小学生から高校生までの生徒を観察しての結論だ。その結論が上記の大学生の観察を支持するのか、あるいはそれを否定するものかは、どちらも実証的なものでないから言えない。ただ、関連はあるのかもしれない。

ごく短く要約すると、その観察は「小学生には比率の概念は理解できない。比率の概念が理解できるようになるのは中学2年生以後であり、高校2年生以後にはごく容易に比率の概念は理解できるようになる」というものだ。どういうことか。

比率がわかってなくても入試問題は解ける

まず、百分率を含めた比率の概念は、現行学習指導要領では小学校5年生に配当されている。中学受験をするような小学生だと学習塾では3年生、4年生あたりから教えるところもあるようだ。そして、中学受験には相当に高度に比率の概念を使った問題も出る。そして、中受をするような生徒は、そういった複雑な問題を実にエレガントに解いていく。それは、感動するほどだ。

だが、そうやって高度な問題を解く小学生だが、かなりの確率で中学の方程式問題や関数問題で躓く。難易度からいえばそれほど高度な問題でもないのだが、中学入試問題とはパターンがちがうからだろう。とはいいながら、比率の概念が体感的にわかっていれば、その間のギャップを越えるのはそんなにむずかしくないはずだ。というよりも、ギャップなんかないはずなのだ。ところがけっこう躓く。

そこで、彼らは本当にわかっているのだろうかという疑問が生まれる。確認のため、小学生に質問する。比率の概念がつかめていたらこの程度のことはわかるだろうというような質問をしてみる。すると、あれほど難しい問題に正解する能力をもっている生徒が、答えに逡巡する。あれ? わかってないんじゃないの?

そう、わかっていないのだ。彼らがやっているのは、たとえば「くもわ」の公式を覚え(これは学校で教える「てんとう虫」と呼ばれる図で、「らべるもの」「とにするもの」「りあい」を3分割された領域に当てはめて計算式を導くもの:類似のものに速さ問題の「みはじ」もある)、どれが「く」「も」「わ」に当てはまるのかの判別をするポイントを覚え、そうやって判別した数値を公式にあてはめる作業をやっているだけなのだ。そういう作業をすれば確かに正解は出る。しかし、それで比率を理解したことになるだろうか? 「なる」というのが学習産業界の言い分だが、実用的にはそうではない。そうやって身につけた比率の技能は、実生活では役に立たない。

実生活に役に立たなくてもいいではないかという議論も可能だろう。いや、実際、学問なんてそういうものだ。だが、比率の概念は、実生活で使える程度のレベルで体感的に掴んでいなければ、学問でも役に立たないものだ。それはたとえば「1万円って多いの少ないの?」という感覚だ。日常生活で1万円が大金なのかはした金なのか、それは「場合による」。財布から生活のために出す金額としては1万円はかなりまとまった金額だが、もしも1年間の収入の中で考えるならかなり小さな金額になる。ものの大小を考えるときには、文脈、つまり「何に比べての量なのか」ということを常に前提に置かなければならない。こういう感覚は、たとえば歩留まりの感覚であったり誤差の感覚であったりをつくっていく。あるいは相関関係や分散の捉え方の基礎にもなる。量を理解するときに、常に比較でもって考えるのは、工学にとどまらない多くの科学の基礎になる。だから、大小関係を比率でもって捉えるのは感覚的にできていなければならない。それは、数値操作とは無関係に身に着けておくべきものだ。

そして、小学生にはそれができない。教えてもできない。体感的につかめない。教え込んだら計算はできるが、計算の意味が体感的にわからない。ところが、同じ説明を高校生にやったら、ほんの数分で理解できる。見事なほどのコントラストだ。

そういう観察をある教育学者に話したら、「そりゃあたりまえやろ。高校生になるまでにどれだけ勉強したと思ってる?」と答えが返ってきた。小学校以降の学校での学習によって身についたのだと、ふつうならそう思うだろう。それがちがうことは、家庭教師商売をやっていればわかる。なぜなら、比率の概念の復習は、中学校以上の学校ではほとんどやってくれない。学習塾でも、中学生に対して「くもわ」式の数値操作は教えるが、そんなものでは比率の概念はわからない。典型的な実例がある(サンプル数は1でしかないが)。私が比率の概念を教えたある高校生だ。彼は中学時代からあらゆる勉強をドロップアウトした定時制高校生だった。高校でも勉強なんかするわけもなく、卒業単位が足りなくなって高卒認定試験を受けるから教えてくれと言ってきた生徒だ。小学校以降の積み上げがあるわけはない。その彼が、比率の概念を一瞬で理解できた。小学生ならいくら頭のいい生徒であっても絶対に理解できない概念が、何の苦もなくわかったのだ。

そこまではっきりした事例でなくても、中学2年生でいくら言っても比率がわからなかったのに中3で同じことを復習したら一発でわかった、とかいった事例は事欠かない。正確にいつ転機がくるのかわからないが、どうやら人間の頭の構造は、ある一定の段階に達したら突然、比率の概念がつかめるように発達するようだ。自分自身を振り返っても、ちょうど中学3年生の夏、「打率」の概念がわかって急に野球中継がおもしろくなったのを覚えている。いや、それまでも「3割バッターはだいたい3回に1回ぐらいヒットを打つんやで」みたいなことは聞いていたと思う。けれど、それが試合進行にどう影響するかみたいなことは想像できなかった。「このバッター、ヒット打つん?」というのが重要であり、それが比率とか確率とかいう概念と結びつくことはなかった。根拠にもならない思い出話に過ぎないが、現在の自分自身が子どもたちと向き合う実感と照らし合わせても、やっぱり小学生に比率は理解できないのだと思う。テクニックとして比率問題は解けても、その意味はわかっちゃいないのだと。

発達段階とカリキュラムの組み立てと

実際、人間には成長の過程で、ある段階に達しなければ身につけられない能力が存在する。これは幼児教育ではむかしから知られたことであり、なんなら中学校の保健体育の教科書にさえ記載されている。空間の認識とか順序とか同一性の認識、対立の概念など、人間は年齢とともに順を追って理解できるようになっていくようだ。

同様の発達段階が、幼児期だけではなく、その後の学齢期になっても存在する。カリキュラムはそういった発達段階の進行に合わせて組まれることになっている。たとえば理科教育においては小学校低学年ではそもそも科学的な思考は発達段階から言って無理ということでかつては組みこまれていた理科を「生活科」に改め、「自然現象に親しむ」程度でとどめておく。中学年では自然現象の中に驚きを発見し、疑問をもつことまで踏み込むが、それを実証的に調べるところまでは発達段階が追いつかない。高学年になってようやく実験や観察の具体的なところまで進むが、その計画ができるのはさらに中学、高校と進まねば無理だということになる。そして数量的な解析は高校でなければできない。発達段階を追いかけるとそうならざるを得ず、したがって理科では同じテーマが繰り返し登場することになる。電気や磁石は小学校の中学年にも高学年にも配当されているし、中学校にも高校にも配当されている。同じ現象に対して、取り組むスタンスがまったく異なっている。

 

ただし、それではすべてが発達段階を意識して組み立てられているかと言うと、どうやらそうではない。それは、中学生に小学算数を(復習として)教えてみるとよくわかる。小学算数の特に四則演算と数の拡張は、しっかりと緻密な論理的組み上げでできている(だからわざわざ中学生に振り返らせる必要がある)。十進法の概念がわからなければ足し算の繰り上がりがわからず、繰り上がりの計算ができなければ繰り下がりが理解できず、足し算がわかっていなければ掛け算に進めず、掛け算がしっかりできていなければ割り算がわからない。割り算の概念ができていなければ分数に進めないし、分数と小数は並行して進めないと本質的な理解にたどりつけない。小学校の算数は、なによりも数学の論理構造をたどるように組み立てられている。

つまり、カリキュラムの組み立て方には二種類の考え方があることがわかる。ひとつは子どもの発達段階に合わせて「いま、この年齢ならこういう概念を身につけることができるはずだ」と、その発達を促すように組み立てるものである。そしてもう一つは、論理構造をもとに、「まず最初はこれがわかっていなければ次がわからないし、それがわかったら次はこれがわかるはずだ」と順序立てていくものだ。そして、この二種類の考え方は、必ずしも整合性のよいものではない。ときには対立する。順序としてはこのあたりで理解しておいてほしいことが、発達段階からいえば到底無理だというようなことが起こり得る。そして、特に算数では、発達段階の要請は論理構造の要請に打ち負かされてしまう。結果として、その学年に配当されているのに著しく理解が低い領域が発生する。それが典型的に起こっているのが、小学5年生の「比率」なのだ。

再考すべきはカリキュラム

中学校では比率的な概念を用いた学習が多くなる。理科の濃度や密度などはその典型だ。社会科でも人口密度や生産高の比較など、比率の概念が重要になる。そこに向けて、小学校の算数で比率について掴んでもらいたいという論理構造上の要請がある。小学5年に比率が配当されているのはそういう理由なのだと思う。

しかしながら、私の観察では(あくまで実証的な裏付けがないことは繰り返しておく)、小学生に比率の概念は掴めない。これは発達段階として、まだ物理的にそういう段階ではないからだ。よく英才教育的な発想として「どんなものでも早くから仕込めばそれだけ上達も早い」という思い込みがあるようだが、これはまったく事実ではない。年齢に応じて可能な能力の範囲は、それぞれの年齢に応じて平均的な身長や体重が決まっているのと同様、平均的な脳の発達にもとづいて決まっている。だから、どれほど早くにスタートしようと、ある発達段階の人には、それより上の発達段階で初めて可能になるような能力は身に着けられない。そして、比率の概念は、どうやら14歳頃を境に身につくようになっている。

しかし、数学の論理内での要請、あるいは他の教科からの要請がある。そういった論理的な組み立てからいえば、比率は小学校5年生で教えたい。その矛盾を解決するために生み出されたのが「てんとう虫図」であり、「くもわ」の呪文だ。そして、要領のよい教師であれば、どれが「く」でどれが「わ」、どれが「も」であるかを判別するコツをうまく生徒に伝えることができる。そういった努力の結果として、見かけ上は比率の問題が解けるようになり、見かけ上は小学5年生に比率の問題が理解できたことになる。そして、それを誰も疑わないから、相変わらず比率は5年生の配当から動かない。

 

けれど、決められた方式に決められたことをあてはめる能力でもって、数の大小を比較の中で把握する能力が代用できるのだろうか? それが代用できると主張することで、実は後者の能力の発達段階に合わせた成長が阻害されていないだろうか。そして、それがさらに成長し、大学生、社会人となったときのコンピテンスに影響することはないのだろうか。

これらはすべて憶測の領域だ。だが、憶測は実証的な研究の出発点になり得るのではないだろうか。そして、そのなかから何らかの実証的な知見が得られたら、あの「くもわ」に苦しむ小学生たちが、いくらか救われることになるのではないだろうか。

 

みたいなことを、こんな雑記ブログの片隅でボヤいてても仕方ないんだけどなあ。やれやれ。

なぜビジョンを語らないのか - それができれば苦労はないのだが

太陽光発電のことを書いたひとつ前のエントリがやたらとアクセスが集中して、ちょっと困惑している。確かに太陽光発電に関連するある領域は私の専門と言ってもいいのかもしれない。けれど、底の浅い専門だし、その他にもっと自分にとって重要なことはたくさんある。その一部はこのブログでも書いてきたし、思い入れもある。そういうのがあんまり注目もされず、過去の記憶を掘り起こして書いた記事が広く読まれる。ま、世の中なんてそんなものなのかもしれないが、なんだかなあと思ってしまう。

太陽光発電に関しては、それでもまだまだ言い足りないことがある。まず、そもそもなぜ太陽光発電が国家政策になったのかとか、そのあたりの歴史的経緯は、ちょっと調べればわかることなのに、あんまり話題にのぼらない。現代の人々にはどうでもいいことなのだろう。私のようにちょっと長いこと生きていると、やっぱりそこは無視できないことになる。

まず、太陽光発電、というか光電池の歴史だ。これは高校の物理でも習う光電効果がそもそもの発端だから、100年以上前に原理が発見されている。これが改良を重ね、最初に実用として用いられたのは人工衛星の電源としてだった。それにはそれなりの理由がある。

端的にいって、光電池は出力が小さい。電源としては実に弱々しい。けれど、光さえあればいつでもどこでも長期にわたって電圧を発生させる。送電線の接続や電池の定期的な交換などが不要である。つまり、そういうことが困難な場所で最もその価値を発揮する。地球を離れた人工衛星は端的にそういう場所だ。そして、人工衛星で用いられて以後、光電池は主にそういった場所で細々と活用されるようになった(たとえば光電池を搭載した電卓は1970年代初めに日本メーカーが世界に先駆けて開発している)。1970年頃までは、未来のエネルギーといえば原子力であり、太陽光の利用は太陽熱温水器のような熱利用とすべきだという考え方が主流だった(この太陽熱温水器の話は、実はそれはそれで非常に面白い歴史になるのだけれど、私はそれに詳しくないので興味のある方は他をあたってほしい。ただ、この少し後にくる太陽熱ブームの顛末は、実は太陽光発電の政策にそこそこの影響を与えている)。

そういった流れが急速に変化したのは、オイルショックだった。それまで化石燃料への依存を強めることで経済を高度成長させてきた日本が、ここにきてピンチに陥った。代替エネルギーという言葉が生まれたのはこの時代である。化石燃料はあてにならない。未来のエネルギーとなることが既定路線の原子力でさえ、安全保障上の理由でいつなんどきウランが止まっても不思議はない。資源小国の日本で自給できるエネルギーは何かということで、地熱や風力、太陽光が注目されることになった。通産省は1980年にはNEDO(新エネルギー総合開発機構)を設立し、新エネルギーの研究に資金を投入しはじめた。

政府の動きとともに、人々の意識も急速に変化した。「公害」が怪獣映画のテーマにさえなり、環境問題への意識が高まった。それは現代文明への批判ともなり、あるいは「もう人類はダメだ」という終末観にもなった。世界的にいっても、ベトナム戦争終結によって目標を失ったヒッピームーブメントの流れのいくつかは、反文明的、厭世的な思想へと向かった。そんな中、アメリカでは太陽光電池で電気を自給して暮らすエコなヒッピーたちが現れた。彼らは自動車用のバッテリに電気を貯めてそれでもって当時ようやく市場に出始めたばかりのパーソナルな計算機を操るような人々だった。もちろん日中には自家菜園でトマトなんかをつくるわけだ。大企業が支配する産業社会に背を向けても文明的な生活ができることを実証しようとする。こういう人々を俗に「12ボルト貴族」と呼んだそうだ(というような話は、はるか以前にどっかで読んだのだが、出典が不明。なので、風説に過ぎないかもしれない。ただ、時代の雰囲気は伝えているように思う)。

日本政府はそんな優雅で非現実的な思想とは無縁だった。当初、太陽光利用で最も成算があると考えられたのは、太陽熱発電だった。太陽光を集めることで高温の反射炉をつくることは既に19世紀に実用化されており、幕末期の日本でも実用に供されていた。この高温を利用して蒸気タービンを動かそうという発想だ。実際、これは現代でも受け継がれている技術であり、立地条件によってはソーラーパネルよりも発電コストが低くなるそうだ。日本では香川県の塩田跡に実証実験施設がつくられ、実際に発電も行われた。ただしバブルにさしかかろうとする日本では、発電コストがまるで割に合わなかった。なにしろ日本の土地を売ったらアメリカ全土が買えてしまうといわれた高地価の時代だ。人件費も安くない中で、火力発電のコストと勝負することはできなかったらしい。

1980年代には、地熱発電、波力発電、潮力発電、風力発電、太陽熱発電などの華やかな写真が中学校や高校の教科書にまで載るようになったのと裏腹に、「新エネルギー」の活用はさっぱり進まなかった。増えていったのは原子力発電で、「省エネ」への取り組みである程度は抑えられたとはいえ、石油への依存は増えこそすれ減りはしなかった。しかし、通産省の働きかけが完全に無駄だったのかといえばそうではないだろう。政策の力だけではないにせよ、この時期、日本メーカーは光電池の開発で世界のトップを走っていた。1980年代初期にフランスに設置されたソーラーパネルが2012年頃に調べたところでは世界で最も古い現役稼働中のパネルだったのだが、それは日本製だった。日本製のパネルが世界標準だった時代は、けっこう長く続いたらしい。

そういった安定したパネルの供給を受け、それを送電線に接続する技術が開発されていった。ここで注意してほしいのは、もともと光電池は送電線や電池交換が不要というのが最大のメリットだったということだ。アメリカの12ボルト貴族も、企業に支配された送電線網からの独立、すなわちオフグリッドに力点があっての太陽光発電だったといえるだろう。1979年のスリーマイル島の事故以後に特に環境派の間で評判が悪化した原子力発電は、大規模送電網の存在が前提になる。それを否定していくと、究極は分散型エネルギーになる。そして、当時「新エネルギー」とされていた自然エネルギーのほとんどは、分散型に適している。なかでも太陽光発電は最も手軽にオフグリッドの電源になり得る。実際、1990年頃に太陽光発電に興味を持った私の頭の中にあったのも分散型、オフグリッドの給電システムだ。秋葉原まで出かけてパネルの値段を調べ、何年で元がとれるかと計算したのも懐かしい思い出だ。もちろんこの計算は、電力会社との契約を破棄することを前提としている。自分が年間に支払う電気料金の何年分でパネルが何枚買えるのか。試算以上に進まなくてよかったと思う。電気に関する知識の浅い私が試行錯誤でシステムを組んでいたら、たぶん何らかの事故にはつながっていただろうから。

そんなオフグリッド派の考えと、系統接続の発想はまったく相容れないものだった。私はどちらかといえば分散型エネルギー原理主義者で系統接続なんて邪道だぐらいに思っていた。系統接続はすなわち広大な面積にソーラーパネルを配置するメガソーラーを想定するものであり、それは環境破壊につながる。そうではなく、未利用のスペースである自宅の屋根で自分が使う電気を自給するオフグリッドシステムこそが未来のあるべき姿だと考えていた。実は、根本的には私は未だにそう思っている。ただ、「系統接続は邪道」みたいな原理主義者的言説は捨てた。そのぐらいには現実はわかっているつもりだ。

なぜなら、系統接続が一般家庭に認められるようになり、補助金が出るようになって、ようやく「屋根の上にソーラーパネル」の一般住宅が現実のものになったからだ。それまでは、理想としてはそれは存在した。けれど、コスト面と実用的な運用面から、それは不可能だった。自然エネルギーに必ず発生する不安定さが、オフグリッドでは回避できない。回避しようと思えば不必要に大きいシステムと、何よりもしっかりした蓄電池が必要になる。それはコストをとてつもなく押し上げるだろう。だから、理念としては独立電源の家はあり得ても、現実にはあり得なかった(金満家のヒッピーが遊び半分で住む家ならばあり得たとしても)。ところが、系統接続によって、そういった困難が外された。余れば売ればいいし、足らなければ買えばいい。フレキシブルな設計が可能になった。補助金の助けもあって、アーリーアダプターたちが試行を始めてくれた。

この時期に太陽光発電を始めてくれた人々は、かなり経済的には「損」をした。巨額の補助金は出たが、それ以上に多くの投資をしなければならなかったからだ。だが、彼らの積み上げたデータがなければ、後のFiTによる太陽光発電推進政策はあり得なかっただろう。そういう意味で、進んで捨て石となってくれた彼らの投資は貴重なものだった。ちなみに、なぜそういう人々が儲かりもしない太陽光発電を進んで選んだのかといえば、それは個別に理由がちがうが、多くは純粋な興味関心であったり、あるいは社会貢献への意欲であったりしたようだ。「未来の子どもたちのために太陽光を」というのは、純粋に信じられるテーゼでもあった。

事実、オイルショック後に通産省が新エネルギーに対して大きく舵を切ったことには、国民的な合意があった。世論は「省エネ」と「新エネルギー」であり、だからこそ国会でも予算が通った。確かに通産省は強力な原発推進機関でもあったのだが、まったく同じスタンス(すなわちエネルギー自給率の向上)から、新エネルギーに対しても熱心だった。そして、官僚と部分的に一体化している与党自民党もそうだった。だから、誤解してはいけないのは、系統接続からFiTの導入までの太陽光発電推進政策は、自民党のもとに経産省が練り上げたものだということである。そして、その背景には、いつまでも石油依存は続けられないという国民的な共通認識があったことは絶対に忘れてはならないことだ。

 

と、こんなふうに、国家政策の推移を個人的な思い出に絡めて振り返ってみて、2009年以降の太陽光発電推進政策に何が欠けていたのか、あるいは何が誤解を呼んだのかと考えてみると、いろいろと見えてくる気がする。まず、政府はこの政策についてたいして広報をしなかったように思う。正確な情報を提供するよりも、マスコミの報道に任せた。そして、マスコミは両極端の報道しかしなかった。

ひとつの極端は、理念的な「代替エネルギーが未来を救う」的なものだ。そしてこれは、制度スタートから数年を経ずして起こった福島原発事故によってさらに増幅された。原発はダメだ。だからソーラーパワーだ、という論調だ。

そしてもう一つの極端は、あまりにもベタな「太陽光発電は儲かる」というものだった。制度スタート時点では、実はそれはかなり危うかった。スタート時点の試算では「10年では元はとれない」だった。だが、運用が始まり、設置コストの下落が始まると「だいじょうぶじゃないか」という見通しができはじめた。政策実行の末端にあった地方自治体の外郭団体なんかも、さかんに「元がとれる」「儲かる」という情報を発信し始めた。最初はおずおずと、やがて大胆に。補助金はまだまだ潤沢だったし、マスコミも報道するネタに困らなかっただろう。

さて、それがどういう帰結につながったのか。「未来は太陽光だ」という理念に走りすぎた論説は、どのような太陽光利用が未来の社会に最適かという議論をすっ飛ばして、「太陽光ならすべて善」というイメージをつくりあげてしまった。そんな中で、巨大資本がメガソーラーに乗り出してくる。両手を上げて誰もが賛成してしまう空気ができてしまっていた。だが、メガソーラーや、それ以上に中途半端なプチメガソーラーがどのような未来社会にフィットするのか、そういうことはすべてすっ飛ばされることになった。

フグリッド原理主義者の私でも、決してメガソーラーや50kW程度の小規模太陽光発電所を全面否定するものではない。ただ、そこには屋根の上の未利用空間を有効活用する家庭用太陽光発電とは異質なものがある。そこをもっときっちり詰めるべきだったのだと、いまになって思う。

そして、「太陽光は儲かる」式の論説は、逆に「儲からなければ太陽光発電なんて意味がない」的な空気をつくりだしてしまった。FiTの買取価格が下がらなかったのにも、こういうイメージが作用した部分が小さくないように思う。つまり、「儲かるから」と人々が選択する太陽光発電があまり儲からなくなったら「水をかけた」というようにとられてしまうのだ。買取価格の適正な操作を不可能にしたのは、こういうイメージではなかったのかと思う。

 

結局のところ、政府は率先して、どんな未来社会をつくっていきたいのか、その中で太陽光発電はどのような位置を占めるのか、それを実現するためにはどのようなコストが必要で、それをどうやってまかなっていくつもりなのかを、もっと真摯に語るべきだったのだ。だが、それが不可能なことも、よくわかる。

なぜなら、この時代にあって、理想を語ることはほとんど詐欺を働くことと同然になるからだ。かつて社会主義が信じられていた時代、その理想を語ることはある意味、真実であったのだろう。だが、善意が裏切られ、現実が牙を剥くことが明らかになってしまった歴史を経たいま、大きなビジョンを誰が語るだろう。政策単位にブレイクダウンしていける堅実なビジョンなど、誰が展開できるだろう。

そして、何の根拠もない「アメリカを偉大に」とか、なんとかミックスとか、スローガンだけが空中を飛び交う。あーあ、何という時代に生まれてしまったことか。といいながら、まあ、けっこうそれを楽しんでるのも私なんだけどね。

太陽光発電は終わったのか?

太陽光発電に関する政策を巡っては、当初から現在に至るまで、誤解が絶えない。そして、太陽光発電は、誤解をもとに持ち上げられたり批判されたりしてきている。太陽光発電そのものは持ち上げられるべきものでも批判されるべきものでもない。それに関する政策には、いろいろと批判されるべき点も多い。だが、現在多くの人が口にする批判の多くは、誤解にもとづいたものだ。だから、最大の批判はそれら多くの誤解が発生するに任せ、それを是正しようとしていなかった点にあるといってもいいのだが、それをいっちまったらもう何がなんだかわからなくなるだろう。ともかくも、正当な批判は、少なくともマスコミやその周辺に群がる一般のあいだにあまり見られない。そして、見当違いの批判が人口に膾炙する。

こういう状況を見て、いっぺんはこのブログでも太陽光発電をめぐる政策についてきっちり事実を確認し、その上で批判しておかねばならないと思っていた。思っていたけれど、なかなかできなかった。なぜなら、いったんそれをはじめたら長くなるし、めんどうくさいし、わずか1年だけ格安の給料をもらっただけの臨時仕事の総括をなんで何年もたってから無給でやらないかんねん、とアホらしくなるからでもある。そう、私はかつて(確か2012年のこと)、ある外郭団体の臨時職員として太陽光発電普及の末端で仕事をしていた。それはもう、単純に中高年にまともな時給がつくような仕事が他になかったからという情ない理由でしかなかったのだけれど、一応は専門職として、それなりのプライドをもって勉強もした。なので、政策がどういう考え方のもとにどういうことを目指したのかについては一般の人々よりは多少は詳しい。そういった政策が現場レベルでどのように運用され、それがどうねじ曲がっていったかは、この目で見ている。もちろん末端だし政策が実施されて以降の地方公共団体レベルでの採用だから、中央官庁で実際にどういう動きがあったのかとか、そんなことまでは知らない。現場で見たごく限られたこと以外には、法令やら解説書、一般新聞・雑誌記事レベルの、どこまでも一般向けの知識でしかない。けれど、そういうレベルの知識さえなしに批判する人々が、マスコミや知識人と言われる人々にさえ少なくないように見える。そうなると、やっぱりめんどうでも、まとめられるだけはまとめておかねばならないのだろう。とてもきっちりとはいかないのだけれど。

 

前置きが長くなった。まず、私が個人的に太陽光発電をめぐる政策で最も批判されるべきものを何だと考えているのかを明らかにしておこう。上記のように「人々を誤解させた」ことは特に罪深いのだが、これはマスコミの責任でもあるし、あえて誤解をしたいと願った人々の側の問題でもあるので、それに関しては話は別になるだろう(話せば長いよ)。政策として「ああ、ここは誤りだったなあ」とはっきりいえるのは、2点だ。

  • 本来は小規模分散型で設計された政策をメガソーラーに拡大し、さらに中途半端な発電設備を容認したこと。
  • 買取価格を早期に下げなかったこと。

これらに関しては、政策がおかしかった。本来の政策理念を政治家が理解していなかったのではないかと思う。固定価格買取と補助金の2本立てでスタートした太陽光発電普及政策は、本来の屋根の上の太陽光パネルに対する事業に徹していれば、もっと健全に進行したはずだ。だが、そこを話し始めると、それはそれで非常に長くなる。だから、少なくともこの記事では後者に絞って話を進める。前者は機会があれば別途書こう(そっちのほうが現場での実際の見聞が活かせるので話としては面白いのだけれど)。ということで、以下は、「政府は太陽光発電に対する金銭的なインセンティブをもっと早くに下げるべきだった(当然、もっと早くに制度をやめるべきだった)のになぜそれをやらなかったのか」という話になる。

 

まず、固定価格買取制度(フィードイン・タリフ:FiT)がどういう発想で生まれたのかということを明確にしておかねばならない。私がこの話を最初に聞いたのは確か1990年代半ばのことだった。「太陽光発電を劇的に普及させる方法がひとつあるんです」と、あるセミナーで紹介されていたのだが、それは「劇薬」とも表現され、また、「大多数の人々の理解が得られなければ無理でしょう」とも言われていた。その「理解」とは、すなわち、「太陽光発電を普及させることは未来の世代にとって良いことである」という共通認識のことだ。もしも多くの人々が太陽光を利用することが良いことであると考えるのであれば、最も合理的な方法はFiTである、というわけだ。

では、なぜFiTなのか。その時代、太陽光発電の普及を阻んでいた最大の要因は、設置コストの高さだった。だからそれを埋め合わせるための補助金も用意されていたのだが、補助金で埋め合わせてもなお、太陽光発電は割に合わなかった。割に合わない太陽光発電の設備をつけようという個人は、よっぽどのソーラーマニアでしかない。けれど、もしもこれが割が合うようになったら、多くの人々が自宅の屋根にソーラーパネルを載せるだろう。じゃあ、どうなったら割が合うようになるのか? それは、設置コストが下がることだ。たとえば、10年間で100万円の電気代を払う家庭があるとする。この家庭が太陽光発電設備を備えることで完全に電気を自給できるのなら(このとき既に系統接続はできるようになっていたので、売電分と買電分の差し引きゼロでかまわない)、設置コスト100万円なら10年でもとがとれる。その場合には、「じゃあ、11年目からは電気料金が無料になってお得じゃないか」と設置に前向きな人は増えるだろう。だから、何としても設置コストを下げねばならない。

資本主義の世の中では、価格は大量生産によって下がる。当時の太陽光発電で最も費用の大きな部分を占めていたのはソーラーパネルの価格だった。それが高止まりしているのは、量産効果が出ていないからだ。だとしたら、ソーラーパネルが大量に売れる状況をつくればいい。多くの人々が競って屋根の上にソーラーパネルを載せるような状況が出れば、必ず価格は下落する。

ここで、「卵が先か鶏が先か」の状況が生まれていることに有能な人が気づいたわけだ。普及のためには価格が下がらなければいけないし、価格が下がるためには爆発的な普及が必要になる。では、どちらかを人為的に起こしてやればいい。もしも太陽光の普及が国家レベルで追求すべき目的であるのなら、そこに税金を投入するのもありうるだろう。

ただし、補助金では効率が悪い。補助金は1990年代当時に既に存在したが、補助金だけでは元がとれない。そして補助金の額を増額して普及を目指すには、財源が足りない。しかし、もしも電気の買取価格を高めに設定し、差額を国が負担することにすれば、補助金の予算よりも遥かに低額で「元がとれる、割が合う」太陽光設備の設置が可能になる。なぜそうなるのかはかなり面倒な計算式があったはずなので、興味のある方は調べてもらえれば出てくるはず。同じ予算を使うのなら、補助金よりも買取価格保証だというのが、経済学者の算出した答えだった。

ただし、もしも固定買取価格を長期に維持したら、最終的には補助金を出すよりも政府支出は高額になる(政府が出さずに電気料金に上乗せという形にするのなら、最終的には消費者の負担が増加する)。だが、その心配はない。なぜなら、FiTを導入したら、メーカーはどう対応するか。当然、ソーラーパネルの需要拡大が見込めるから、増産態勢に入るだろう。増産によってソーラーパネルの価格は下落する。下落したら、それに合わせて固定買取価格を下げる。固定買取価格が下がっても設置コストが下がるので、消費者はやはりソーラーパネルを設置するだろう。そうすれば需要が続くから、さらに設置コストは下がる。下がった分だけまた固定買取価格を下げるということを継続的に繰り返していけば、最終的には固定価格による買い取りを廃止しても太陽光発電は設置したほうがお得だという状況が生まれるはずだ、というのが、FiTの筋書きだ。

 

つまり、FiTの導入にあたっては、設置コストのモニタリングを厳正に行い、その結果を素早く固定価格の変動に反映させていき、最終的に固定価格買取制度からの離脱を行うという微妙な舵取りが必要であると、これは制度導入前の経産省のレポートにも明記されていることだった。それをやらなかったらどうなるか? 価格が高止まりしたら、太陽光発電を設置した人々が不当に儲けることになり、それを補償する税金が無駄遣いということになる(結果的には税金ではなく電気料金への割増となった)。そういった不公平は、許されるものではないだろう。一方、低く設定しすぎたとしたら、設置へのインセンティブははたらかず、設置コストが下がらないままに推移し、制度からの離脱ができなくなる。それはそれでやはり税金の無駄遣いだろう(もちろん実際には電気料金の負担の増加に帰結する)。

だから、これは「劇薬」であり、「多数の人々の理解が得られなければ無理」な政策であるわけだ。そして、たとえ多くの人々の理解が得られても(実際、国会でこの制度が承認されたわけだから、その時点での理解はあったわけだ)、運用をほんの少し間違えるだけで大きな副作用に苦しんでしまう「劇薬」であるわけだ。だが、運用は、それほど難しいわけではない。設置コストの相場を算出し、それに機械的に合わせていけばいいだけだ。制度のスタート時点では、誰もが楽観していた。

 

さて、現実はどう推移したか。最初の数年でソーラーパネルの価格は急速に下落した。太陽光発電設置業者の数は雨後の筍のように増え、業者間の競争から工事費も下落し、制度開始前に比べれば設置コストは数年でほぼ半額にまで落ちた。これを受け、政府や自治体は、それぞれが用意していた設置時点での補助金を急速に縮小したり廃止したりした。補助金がなくなっても買取価格が保証されていたので、設置へのインセンティブは下がらなかった。新築一戸建てには太陽光発電装置がセットされるのが標準のひとつになった。すべては順調に見えた。

しかし、そこから設置コストは底を打ってしまった。ソーラーパネルの増産効果による価格下落が限界に近づいてきたからでもあるし、増産効果のないその他のコスト、施工費などが占める部分が相対的に大きくなってきたからでもある。現在、政府の調査では1kWあたり設置コストが30万円程度と見積もられている(実際には規模を上げ、いろいろ工夫することでもっと下げられるが、それはおいておく。あくまで平均的な見積)

しかし、じゃあ太陽光発電は割が合わないのかといえば、実は固定価格買取制度のもとでは元がとれるどころか、大儲けできる。現在の買取価格は1kWあたり24円であり、運用のしかたによって大きく異なるのだが、年間で1kWあたり7〜8万円4〜5万円ぐらいの儲けになる(「儲け」というのは、売電収入と自家消費による電気料金の低減分を合わせた漠然とした数字だからだ)。つまり、10年どころか4〜5年6〜7年で設置コストが回収でき、それ以後は継続的に儲かってしまう。(注:当初の計算がかなりズレていた! 現場からしばらく離れているうちに感覚が衰えていた! 「大儲け」まではいかない。少しの儲け。これも雑な計算なので、あくまで参考値

つまり、kWあたり30万円という設置コストは、実は固定価格保証を外してもかなりいいところに近づいている数字なのだ。いま、完全に制度から離脱するには、10年で計算するとまだまだ元がとれない。けれど、FiT導入から10年、これまでの実績からみると、太陽光発電設備の耐用年数は10年どころではないことが明らかになってきている。パワーコンディショナの交換などのメンテナンス費用はかかるが、20年、30年と使い続けられることがわかってきている。となると、それだけの年数で設置コストとメンテナンスコストの合計を割り算するつもりがあれば、実は既にkW30万円というのは合理的な人なら「新築するなら太陽光載せるのは当たり前じゃない」と判断できるだけの数字になっている、ということなのだ。

 

さて、そうなると、この度、経産省が制度からの離脱を検討し始めたというのは、遅きに失したと批判を受けても、「太陽光発電を見捨てるのか!」という批判にはまったく当たらないことがわかるだろう。

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むしろ、遅すぎるのだ。もう5年も前にやめてもよかったし、その数年前に買取価格はいまの半額にしてもよかった。なのにそれをやらなかったから、「太陽光を設置できる金持ちをなぜ優遇しなきゃいけないんだ!」という批判にも晒されることになった。本来金持ち優遇ではなかったし、そうであってはならない。ちなみに私の家も2010年に太陽光発電設備を設置しているが、当初の計算では「10年では元がとれない」だった。幸いにいろいろなラッキーが重なってどうにかこうにか10年で設置費用ぐらいは回収できそうになったが、当初はむしろ、「未来の世代のために代替エネルギーを普及するのだから少しは負担をしよう」ぐらいの考えだった。本来はそれでいいのだ。

 

さて、ここからは現場から見た経験を踏まえての批判なのだが、では、なぜ買取価格を政府は下げられなかったのか、そして買取価格保証制度の廃止をもっと早期にできなかったのか、その理由だ。それは、一言でいってしまえば利権だろう。

太陽光関係の仕事をしていたとき、業者が暗い顔をしてはよく愚痴ったものだ。「来年は買取価格が下がるそうですね。政府はいったい、太陽光を普及したいのかどうか、私らにはわからんですよ。もっとやれと補助金を出してるからどんどん儲かるのかと思ってこの仕事を始めたら、ハシゴ外されるでしょう。私ら振り回されてばっかりですわ」。そんな感じの政治不信は、業界では普通だった。

私としては、「アホか」と言いたいのをぐっとこらえるのが精一杯だった。さいしょっから、政策は価格を下げていくと明言している。それを「これからは太陽光だ! 親方日の丸だ!」と誤解して過剰な投資をやったのはおまえらの不勉強だろうと、呆れるしかなかった。だが、そんなふうに思いながら事務仕事をしている脇で業者と話している担当者は、「いや、だいじょうぶですよ。これからの時代、太陽光に政府が力を入れることはもうまちがいないですから」みたいに根拠のない慰めをしていたのだ。それは、担当者自身がそう信じていたからにちがいない。つまり、不勉強だったのは、業者だけではない。役所の人間さえ、自分たちの親方が何を目論んでいるのかを知らなかったのだ。

 

だから、急速に伸びた太陽光業界が、「いまここで買取価格を下げられたら私らは潰れる、失業率が増加する、それでいいんですか」と政治に脅しをかけたら、政府としては業者のアホさなんて指摘するわけにもいかず、諾々と高価格を維持するしかなかったのだろう。また、行政の末端で太陽光発電の普及に当たる人々も、過剰なインセンティブがあったほうが仕事がしやすいので、買取価格が高値維持されることは歓迎だった。情ないのは、行政の人間が、「これだけ儲かるから」と業者の片棒をかつぐような広報をしていたことだ。むしろ、金銭的なインセンティブは市場に任せて、なぜ代替エネルギーが必要なのかとか、それをどのように実現したいのかとか、そういったことを広報すべきだっただろう。そして、FiT制度が正しく運用されるように世論を誘導すべきだったのだと思う。

長くなったが、書きたいことの半分にも届いていない。それでも、これだけでも現状の批判がどれほど的外れか、少しは想像してもらえるのではないかと思う。少なくとも、「政府が太陽光発電を見放した」みたいな捉え方や、「太陽光発電なんて元々おかしいんだ」みたいな考え方が思いっきり的外れだってことは、理解してもらえるんじゃなかろうか。

 

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追記:時間の隙間で書いたんで勘違いしてた。どうやら今回の話はメガソーラーが対象のようだ。ということで、私の批判点の第一の項目の方を書かねばならなかったようだ。やれやれ、また宿題が増えた。