シアワセの容相

あしたはこっちだ

軍隊は違憲? - アメリカにもあった憲法問題

憲法改正は争点?

衆議院選挙が近い。今回の争点はまったく不明で、単純に政敵を追い落としたいだけの低次元の争いにしか見えないのだけれど、それでも各党の立場のちがいを比較することに意味はある。こんなサイトが、割とわかりやすかった。

go2senkyo.com

そこを争点とするのかどうかはともかく、上記サイトの調査では憲法問題で各党の立場が大きくちがう。設問がなかなかクレバーだなと思うのは、憲法について、それぞれ5段階のYes/Noで「憲法を改正するべきだ」という項目と「憲法9条を改正し、自衛隊の存在を明記すべきだ」という項目を分けていること。憲法論議でこれがよく混同されるのは、一部の左系が主張するように、「改憲勢力の本丸が9条だ」という、あながちウソでもない事情が存在するからだろう。けれど、「憲法を改正しますかどうですか?」という質問と、「改正するなら9条はどうしますか?」というのは、本来別物だ。だから各党の反応も、それぞれになる。たとえば公明党改憲には賛成だが9条に関しては中立、立憲民主党改憲は考慮してもいいが9条に関しては強硬というようなちがいが出る。

私自身は、憲法そのものに改正の手続きが書いてある以上、改憲が必要ならやったらいいと思う。しかし、いま改憲が必要かといえば、別に要らんようにも思う。憲法変えなければ困るようなことも起こっていない。だったら、国民投票とかするコストがムダじゃない。

 

とまあ、実際のところ憲法問題は私の関心ではないのだけれど、それでももしも改憲賛成派が勝利したら国会の議題にのぼってくるのは避けられない。無関心でばかりもいられないだろう。改憲するかどうかではなく、どんなふうに変えるのかとか、どこを変えるのかという具体的な話にもなるかもしれない。ちなみに、社会科で中学・高校生に憲法を教える立場の人間としては、現状の憲法そのものを変えるのではなく、アメリカ合衆国憲法のように修正条項を加えてオリジナルは残す方法にしてほしいなとは思う。現状の憲法は、あれはあれで歴史文書として非常に一貫しているので、継ぎ接ぎで変えられると読解できなくなる。歴史は歴史としてきちんと残しておく意味が、憲法ぐらいの重要文書にはあると思う。

ともかくも、具体的な話になったときに、やっぱり俎上に乗るのは9条だろう。なにしろ、自衛隊憲法9条に外見上の齟齬があることは、はっきりしている。ただし、「きちんと解釈すれば矛盾ではない」という極論から、「この程度の矛盾は矛盾のうちに入らない」とするなあなあ論、「矛盾はあっても運用上問題ない」という現実論から「矛盾があるから訂正しよう」という名実一致論、「現状の自衛隊では不足だから憲法から変えよう」というタカ派論議から果ては「違憲だから自衛隊は廃止」という理想論まで、さまざまな方向性のさまざまな議論がある。その中で自分の立ち位置を決めるのは、なかなか難しい。

だが、そもそも、憲法の条文と現実に多少の齟齬がある、というのは、それほどまずいことなのだろうか。軍事占領下での憲法成立という特殊事情のある日本に固有の事情なのだろうか。ふとそんなふうに思って調べてみたら、なんと、本家のアメリカにも実は軍隊をめぐる憲法問題があるということがわかった。日本のようにそこを巡る議論が決着がつかないわけではないが、日本以上に決着のつかない問題にも連なっている。そのスジの人には常識なのかもしれないけれど、ちょっと驚いたので報告を。

アメリカ合衆国憲法の陸軍

まずはその戦争に関する議会権限についての条文  

第1章

第8 条[連邦議会立法権限]

[第11 項]戦争を宣言し、船舶捕獲免許状(国家が私船に海賊行為をすることを認める許可状。1856 年のパリ宣言で禁止)を授与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を設 ける権限。

[第12 項]陸軍を編成し、これを維持する権限。但し、この目的のためにする歳出の承認は、2 年を超 える期間にわたってはならない。

[第13 項]海軍を創設し、これを維持する権限。

[第14 項]陸海軍の統帥および規律に関する規則を定める権限。

アメリカ合衆国憲法|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN

アメリカの軍隊は、陸軍、海軍、海兵隊、空軍の4軍からなっているが、憲法に規定があるのは陸軍と海軍。このうち、海軍は「創設し、これを維持する」ことが認められているが、陸軍に関しては「編成し、これを維持する」権限を認められているものの、「この目的のためにする歳出の承認は、2年を超える期間にわたってはならない」となっている。小さなちがいだが、実は憲法ができたときには大きなちがいだったらしい。

どういうことか? 2年を超えて予算をつけられないと言いながら、アメリカでも役所は基本が単年度主義だ。だから、毎年予算は更新されるので、第12項の制限は事実上の制約にはなっていない。だが実は、憲法が書かれた時点で、これは陸軍に関しては「常備軍」を持たないという方針を表明したものとして理解され、合意されていた、ということらしい。

詳しい話はこちらの論文("The History of the Second Amendment" by David E. Vandercoy)に書いてあるのの受け売りなのだけれど、アメリカ建国の時点で、「建国の父」たちは常備軍に対して強烈な拒否感をもっていたらしい。その理由は、彼らの母国であるイギリスの歴史に遡る。ピューリタン革命を中心としたイギリス激動の時代、常備軍は常に権力者の手先として人民を弾圧してきた。理由は単純で、職業軍人は、給料を支払ってくれる権力者の命令を第一に考える。また権力者は、自分の命令に従う人間を好んで軍幹部として採用する。したがって、常備軍が権力者の側に着くことは避けられないし、権力者は常に暴走する危険性をはらんでいる。割りを食うのは人民だ。そして、その弾圧を逃れて新大陸に移民した人々は、最終的にはイギリス国王の常備軍を打ち破ることによって独立を達成した。だから、自由の国に軍隊はあってはならない。これが「建国の父」たちの共通した認識だった。けれど、彼らは現実主義者でもあった。新しく整わない自分たちの国が外国からの侵略を受ける可能性が高いことも十分に承知していた。どうすべきか。

ここで、再び母国であるイギリスの歴史が関係してくる。戦乱の世のイギリスでは、支配者は戦いに勝つために支配下のあらゆる力を動員する必要に迫られていた。ヨーロッパは本来ローマ軍団の残骸である「騎士」が土着領主として封土を支配する封建制を基本としていたが、戦争が続くと非戦闘員である農牧民までを動員するようになる。イギリスでは13世紀頃には「全ての健康な成人男子は武器を持ち、戦時には民兵として出役すること」という近代徴兵制へと続く慣習法が成立していたらしい。いったん戦争が起こると、常備軍に加え、この民兵が戦争に参加する。それは戦う双方ともそうだ。となると、敵の民兵が少ないほうがありがたい。したがって、戦争に勝った方は、常に相手方の民兵武装解除しようとする。常備軍の強化と民衆の武装解除が、アメリカ独立以前のイギリスで繰り返されていた。

ところが、アメリカ独立戦争を勝ち抜いたのは、植民地の民兵たちだった。植民地では、防衛のために民間人の武装を認めないわけにはいかない(参考:米国における軍隊の国内出動 ― 「カトリーナ」が残したもの ― 井上 高志。その武装した民間人が、イギリス伝統の民兵として武装蜂起に参加した。そして勝った。

だから、「建国の父」たちも、いざとなればこの民兵に頼ればいいと考えていた。全ての民間人を対象に、必要なだけの民兵を動員すればいい。およそ植民地の成人男子は、基本的な銃器の扱いはできる。いつでも兵士になることができる。その一方で、特殊な技能と装備を必要とする海軍については、常備軍として維持することもやむを得ないだろう。海軍は海の上のことだけを扱うのだから、民衆の自由を奪う権力者の道具になる可能性も低いだろう。

そんな考えから、海軍については「創設」(provide)する権限を議会に与えているのに、陸軍については「編成」(raise)する権限しか与えていない。「編成」は、文脈からは「招集」ぐらいの訳語のほうがしっくりくるだろう。つまり、陸軍に関しては、必要に応じて招集をかけ、必要がなくなったら解散する。だから、予算年限を2年と決めても問題はない。侵略戦争に対する戦いは、それほど長期に渡ることはないだろう。

アメリカ合衆国憲法は、少なくとも成立時には連邦軍としての常備軍の保持を禁じていたと考えていいようだ。あるいは、連邦陸軍は期間限定でのみ存在できると規定していたと言ったほうがいいかもしれない。軍隊はあくまで臨時編成のものであって、その期限は2年。ただし、海軍は除く。これが憲法の規定で、その後200年以上、改定されていない。ただし、表現が禁止規定ではなく、招集と予算執行の権限を与えるものであったため、解釈によってその後、常備軍憲法に矛盾しない形で運用されてきた。現代では、この第一章の第8条を根拠に「軍隊は違憲だ」というようなアメリカ国民はいない。

アメリカの憲法問題 

ただし、常備軍に対する「建国の父」たちの強い拒否感は、別の憲法問題を引き起こした。そしてそちらの方は現代のアメリカの国論を二分している。修正第2条だ。

修正第2条[武器保有権] [1791 年成立]

規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない。

アメリカ合衆国憲法に追加され またはこれを修正する条項|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN

常備軍が権力の手先となって民衆を圧迫するというシナリオにおいて、「じゃあ誰がそういう権力者になるんだ」といわれれば、最もありそうなのが「連邦政府」というのが、「建国の父」たちの共通認識だった。これは、反連邦派だけではなく、連邦派にさえ共有されていた認識だというのだから、アメリカ人の自由への執着の凄まじさには驚くべきものがある。では、連邦政府の軍事的暴走を誰が止められるのかといえば、それは同程度以上に強力な軍隊でなければならない。そしてその軍隊は民衆を代表するものでなければならない。しかし、職業軍人は必ずその雇用主の命令に従う。であるならば、職業軍人ではない民兵がその任務を担わなければならない。

民兵は、すなわち武器をもった民衆だ。民衆は常に武器を携え、そして、いったんことあるときには集まって軍団を組織する。その組織は州単位で行えばいいし、平時でも交代で訓練と警備に当たればいいだろう。これが州兵であり、現在のNational Guard of the United States(国家警備隊、国防軍)ということになる。現在のNGUSは外見上、合衆国陸軍(United States Army)と区別がつかない。どちらも大統領の指揮下にあるし、どちらも同じような階級をもち、どちらも同じように任務に着く(例えば海外派兵もかなりの部分はNGUSが担っているらしい)。ただし、州兵の任命権は州にあって連邦にはないし、兵士は原則として専業ではなく、特に志願しない限りは6年間で累計24ヶ月以上の軍務を課せられないなどの規定があるというNational Guard of the United States - Wikipedia。このあたり、「建国の父」たちの民兵に対する思想が連綿と続いているといっていいだろう。つまり、もしも合衆国陸軍が暴走したら、それを止めるのは州兵部隊だということだ。

そして、州兵を構成するのは、原則として民衆の全てでなければならない。なぜなら、一部の職業軍人は、必ず一部の権力者の手先となるからだ。そして、そのためには、一般人は常に武器を携え、その扱いに習熟していなければならない。少なくとも、そうする権利を剥奪されてはならない。

なぜなら、イギリスの歴史は、権力者による反対勢力の武装解除が権力の強化手段として実行されることを教えているからだ。軍隊を手先として暴走する権力者は、必ず、反対勢力である民衆の武装解除を行う。そのような武装解除を明示的に禁止するのが、合衆国憲法の批准と抱き合わせで制定を約束され、そして最初の議会で憲法に加えられた修正第2条なのだ、という。

そして、その「武装する権利」が、アメリカを大惨事に陥れている。乱射事件は跡を絶たず、小規模な銃にまつわる事件・事故は報道さえされない。対岸から見ていれば「銃規制すれば済む話じゃないか」と思うのだけれど、彼らにとっては、それは国家を二分する憲法問題だ。日本人がなぜ憲法9条があるのか、その理念は何かを社会科で教えられるのと同じように、彼らは修正第2条の成立の背景、その理念を教えられるのだろう。だから、日本人にとって9条に手をつけることが平和を乱すことのように感じられるのと同じくらいに、彼らにとって修正第2条を無視することは自由を否定することになる。憲法違反をしてまで銃犯罪を防ぎたいのかと言われれば、それを本末転倒だと考えるアメリカ人が多いのだろう。そして、憲法論争が感情的になるのも、どうやら日米を問わず、ということらしい。

やっぱり憲法は放っておこうよ

こんなふうに アメリカの憲法を見ていると、日本の憲法について、その論争になりがちな9条について、ちょっと別な角度から見えてくるものがある。それは、「実は9条は軍隊を放棄してないんじゃないの?」ということだ。

現在の日本国憲法が占領軍総司令部の草案によるものであることは、いまさらなんの秘密でもない、義務教育の教科書にさえ書かれている歴史的事実だ。その経緯がどうだったかは、いまでも新たな知見が出てきているぐらいでかなり靄がかかっているが、その草案をもとに国会で(主にその解釈を)綿密に議論され、その末に議決によって成立したという正統性とともに、かなりの部分がアメリカ由来であるということは否定してはならない。そして、アメリカ人は、アメリカ人としての常識をもっている。すなわち、常備軍に対する拒否感だ。

そう思って読むと、

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

の第2項にある「陸海空軍その他の戦力」とは、常備軍を意識しているのではないかと思えてくる。なによりも、「保持しない」という文言は、アメリカ合衆国憲法の陸軍の「維持」(support)に相当するように見えてくる。アメリカ的な感覚だと、「国権の発動たる戦争」を行うのは集権的な権力者であり、その手先となるのは常備軍だ。だから、その目的を達するためには常備軍は保持してはならない。だいいちが国家には交戦権を認めない。

しかしながら、 そういった国家の専制的な行為に対する自衛は、当然ながら基本的人権の一部として認められるはずだろう。その専制は、日本国内に発生する場合もあれば、外国に発生する場合もある。それに対して武力で対応するのは、修正第2条をもつような国の国民としては書くまでもない基本的な権利と感じていたはずだ。

そんなふうに思うと、占領軍総司令部のとった戦後処理の大方針、すなわち、「今回の戦争は軍部の暴走であり、日本国民の大部分は一部の指導者に騙されていたのだ」ということで世論をまとめあげようとした大方針も、ひょっとすると彼ら自身がそう信じていたのではないかと思えてくる。彼らにとって常備軍は必ず専制権力と結びつくものであり、あってはならないものだった。だから常備軍は解体で、二度と保持しない。常備軍や専制権力による「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」しなければならない。戦争に勝利した高揚感の中で、そんな理想主義に酔っていたのだと考えてみてもいいのかもしれない。

 

 

もしも日本国憲法の第9条がそういうふうな思想でできたのだとしたら、自衛隊の存在がそれほど憲法違反には見えなくなるのかもしれない。もちろん、自衛隊職業軍人から構成されていて、決して民兵ではない。それでも、文民統制の原則やその活動をきちんと管理する法制度を厳格にしていけば、その武器が国民に向けられるような事態は避けられるのかもしれない。そして、もしもそれが可能であるならば、憲法はいじらなくていい。

正直、私にとって、憲法改正はぜんぜん嬉しくないんだよな。ただでさえ公民は教えることが多くてうんざりするのに、この上、また教えることが増えるのかと思うと…