「うちで踊ろう」の一件について - わかっちゃいない大人たち

星野源の「うちで踊ろう」動画を官邸ツイートに利用した件で、ネットは今日もにぎやかだ。本来なら私はこの件になにか一言はさむ資格はない。というのは、テレビを見ない私は星野源というシンガー(一応、さっきからあえて「さん」は付けずに書いてる。そのぐらいにはアイコンであろうという認識はある)のことはほとんど知らないからだ。もちろん、この時代、テレビなんか見なくても動画を探せばいくらでも出てくる。たとえば

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トップアーティストであることが十分わかる歌唱力、曲作りだろう。好みかどうかはおいておいて、実力は申し分ない。

今回の騒動は、彼がカバーやダンスで多くの人に乗っかってくるのを呼びかけた「うちで踊ろう」に、なんと官邸オフィシャルのTwitterが反応して首相が家でくつろぐ動画をアップしたことによるものだ。日曜の朝、これを見たとき、私は「あ、これは確実に炎上案件」と思った。案の定、外国メディアにまで報道されるほどの騒ぎになった。

いろいろ不適切なところは、私が言うまでもないだろう。巨大な「パンがなければケーキを…」事件であるという側面はやっぱり大きいだろう。そこに何かを付け加える気はないが、私としては、やっぱりこれはとてつもなく「大人気ない行動」で場を一気にしらけさせてしまった事件だという気がする。なぜそう思うかといえば、実は、この「うちで踊ろう」という曲、この事件が起こる数日前から耳にタコができるほど聞いてきたからだ。そして、それが若いアーティストたちにとってどういうものであるのかを直接に感じてきたからだ。

 

私の息子は高校生だ。高校生のくせに、というよりも高校生だから、バンド活動にハマっている。この3月にも初めての本格的なステージを予定していて、準備に励んでいた。それまでは学校内のイベントを中心にしか活動していなかったので、力の入れようはずいぶんとちがっていた。

けれど、急転直下のコロナ騒ぎだ。ライブハウスはバタバタと閉鎖された。予定されていたイベントも中止になり、しかたないから、せめてオリジナル曲をYouTubeにアップするという方向で、なんとか気持ちを紛らわせていた。

学校の再開が何度も追いかけるように延期になり、同じ学校の仲間であるバンドのメンバーにも会えない。鬱々と過ごすなかで、数日前にいそいそとギターの練習をはじめた曲がある。それが「うちで踊ろう」だ。

「それはなんだ?」

という私の問いに、彼は星野源が公開した音源を見せてくれた。その短い曲を聞いて、私が最初に思ったのは「イタイな」だった。

どういうことかというと、この曲ははっきりいってひどいのだ。曲作りも演奏も、とてもプロの作品とは思えない。まあ、そこらのアマチュアがやってるんなら「おお、なかなかやるじゃん」と思うかもしれないが、とてもプロのレベルではない。素人バンドのデモテープのレベルであり、「ああ、若い頃はこういうのをカセットテープでよく聞かされたよ」っていうシロモノである。

なんじゃこりゃ、と思ったが、じつはそこがポイントだったのだ。大物アーティストだからこそできること。どういうことか?

完成された楽曲、完成されたアレンジだと、よっぽどの才能のあるひとでなければ、そこを崩せない。あるいは、下手に改変したら、オリジナルとの落差で聞くに耐えないものになる。つまり、完成された作品を提示して、「こういうのができました。みんなも歌ったり踊ったりしてください」って言ったって、だれも楽しめない。ところがそれを、あえてデモテープレベルの状態で発表する。大物アーティストがそれをやることで、それを聞いた人々の創作意欲はこの上なく刺激される。「あ、自分だったらこうアレンジする」「自分だったらこんなふうに解釈する」という想像力が膨らむ。そして、若いアーティストたちは一斉にさまざまな派生作品をつくりはじめる。

そこまで考えてやってるんだということは、すぐにわかった。いや、こいつは凄いわと、感心した。そして、続々あがってくるさまざまなスタイルの「うちで踊ろう」を息子は聞かせてくれた。粗削りのデモからは一歩も二歩も飛び出した素晴らしい作品がいくつも出てくる。本家の動画はそのなかで埋もれてしまうほどなのだが、それでいいのだ。このムーヴメントを仕掛けた張本人として、言ってみればこれら膨大な作品に星野源の署名があるようなものなのだから。

もちろん、息子も参戦した。バンドではなく、もうひとつの活動として地元で力を入れているアコースティックデュオだ。

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そんなふうに若い人たちが気持ちよく遊んでいたんだと思う。アマチュアもプロもなく、音楽を愛する人々が、それぞれ自分を表現して楽しんでいる。そんなところに、あの動画だ。おい、それはやっちゃいかんだろう。空気読んでないどころの話ではない。

 

「だれでもおいでよ、一緒に遊ぼうよ」と呼びかけた人に応じて、人が集まってくる。そしていい時間を過ごしている。そこに、「だれでも来ていいんだろう」と、ビジネススーツの大群が押し寄せて、しかめ面で会議をはじめる。私の受けた印象はそういうものだ。あるいは、たとえばイチローのような大スターが、プロという立場を離れて純粋に「草野球しようぜ」と呼びかけたと思ってくれてもいい。そこにはプロ野球OBや現役選手も集まるかもしれないが、同時にアマチュアも参加して、和気あいあいとゲームを楽しむ企画がうまく進行している。そこに、いきなりヤクザが現れて野球賭博をはじめたらどうだろう。

たとえは悪いかもしれないが、私は今回の官邸とった行動は、「ぶちこわし」以外の何物でもないと思う。そりゃあ、「自由に使ってください」という言葉を額面通りに受け取れば、それを官邸の広報に使ってもいいのかもしれない。けれど、それは使い方がちがう。「自由に使ってもいい」という公園にロープをはって酒宴をはじめる人がいたら、やっぱりそれは自由を履き違えているとだれだって思うだろう。そういう意味で、本当に大人気ない行動だったと思う。

とまあ、こんなことを書いたことが息子にバレたら、「あんたも大人気ないなあ」と呆れられるんだと思うけどね。

 

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【参考としてリンク追記】

 

nlab.itmedia.co.jp

rollingstonejapan.com