シアワセの容相

あしたはこっちだ

社会の原理と個人の原理が異なることについて - 歴史と個人と

在日韓国・朝鮮人のことについて少し書くつもりなのだが、私は決してその方面に明るくはない。むしろ、私より上の世代の常識を基準にしていえば無知な部類に入るのだと思う。それでもその私の理解を書こうというのは、そういった不正確で誤りの多い理解でさえ、それ以後の時代に急速に失われているのではないかと危惧するからだ。実際にはそうでないのかもしれない。それは比較しなければわからないし、比較するためにはとりあえず標本をひとつ、ここに置いておくのがいいのではないか、と思うからだ。

私の理解している在日朝鮮人の歴史

在日朝鮮人のルーツが戦前の日本の朝鮮半島統治にあることは言うまでもないだろう。戦争以前は、戸籍は朝鮮籍でありながら国籍は日本であるという奇妙な地位を朝鮮半島の人々は占めていた。同化政策皇民化政策がとられていたのとは裏腹に、彼らは大日本帝国を構成する二級国民として位置づけられていた。だから日本(内地)への渡航も制限されていた。昭和に入って安価な労働力が必要になってから朝鮮半島から内地への人の移動が少しずつ増え始め、やがて戦時体制になって労働力が不足して徴用や密航を含めた人々の移動が強化され、日本の降伏時点で200万人からの朝鮮籍の人々が内地に在住していた。

日本の降伏とともに、これらの人々の地位は非常に不安定なものとなった。日本が既に朝鮮半島を領有しないことは明らかであったが、その一方で朝鮮半島には独立した政府が存在せず、38度線を境界にソ連アメリカが分割占領している地域でしかなかった。日本政府は朝鮮半島に対する主権を持たないので、その地域の人々である朝鮮籍の人々を支配する権限を持たないことは明らかであった。その一方で、外国人として扱うにはその帰属する国家が存在しない。そうであっても、朝鮮半島にはその人々による国家がやがて成立するものという前提で政府は動かざるを得なかった。国内に自身が管轄できない人々が大量に存在するのを政府が好むわけもなく、朝鮮籍の人々は朝鮮半島への帰国が前提となり、多くの人々が引揚船に乗り込んだ。しかし、当然ながら帰国を希望しない人々もいた。その事情は多種多様だ。既に内地で生活基盤を築いていた人々は、生業を捨てて帰国するわけにいかなかっただろう。来いと言われて来て、帰れと言われて唯々諾々と帰ることを好まなかった人もいるだろう。非公式なルートで来て帰れなかった人もいるだろう。なによりも、朝鮮半島はまだまだ不安定であり、戦後混乱期とはいえまだ内地のほうが安定していた。統治機構さえはっきりしないような場所に帰りたいひとは多くないだろう。むしろ、政情不安な朝鮮半島を逃れて内地へと密航するひとさえ現れた。そして、日本政府も昨日まで日本人だといっていた人々を都合が変わったからすぐに立ち退けとは、論理上も倫理上も、言うわけにいかなかった。だから何十万人もの人々が日本に残った。

多くの日本人は、彼らにどう接していいかわからなかった。戦前は二級国民として差別の対象であり、感覚的にはそこに変化があるはずはなかった。しかし、日本は敗戦国であり、彼らは新たに生まれるであろう独立国の外国人である。日本の警察は、外国人に対して日本人に対するのと同様の扱いをできなかった。特に経済犯に関しては、外国人であるが故に戦後の物資統制を免れるのだという理屈を否定することはできなかった。それ故に在日の人々は好むと好まざるとにかかわらず闇物資流通や加工・販売の担い手となり、日本人が手を出せないような脱法的な行為にまで手をひろげるようになった。これが日本人の反発をかい、戦勝国民でも敗戦国民でもない「第三国人」という蔑称が生まれることになった。この時点で在日朝鮮人とは、すなわち朝鮮籍をもちながら内地に居留を続ける人々であり、外国人でありながら故国が成立していない難民でもあった。ただし、現代的な意味での難民としては認定されなかった。

やがて朝鮮半島に2つの国家が成立し、あっという間に戦争が始まった。戦争中の国に帰国したいひとは多くないだろう。日本国内では朝鮮戦争の特需を受けて経済が成長し始めた。この時期に実業家として成功した朝鮮人も少なくない。その成功を聞いて、戦争中の朝鮮半島から日本へとわたってくる人々もいた。現代的な感覚なら彼らもまた難民として認定されるだろう。だが、そういう枠組みを当時の日本は持たなかった。そして日本は独立し、朝鮮籍の人々は正式に無国籍になった。彼らは韓国なり北朝鮮なりに帰国すればその国籍を回復できたが、日本にとどまっている限りにおいては国籍をもてなかった。

朝鮮戦争の停戦後、建国事業を進めていた北朝鮮は労働力と資本を必要としていた。そのなかで目をつけられたのが日本で無国籍状態となっている在日朝鮮人であった。北朝鮮政府は強力な宣伝活動によって彼らを「帰国」させる事業を進めた。これは日本政府としてもコントロールしにくい勢力として邪魔者であった在日朝鮮人を厄介払いできる機会でもあった。両者の思惑は一致し、帰国事業は大々的に進められ、やがて多くの悲劇を生んだ。その一方、在日朝鮮人を日本政府との取引材料にして引揚者の引取を拒んでいた韓国政府は、1965年の日韓基本条約の締結とともに在日朝鮮人に対して日本永住権をもつ韓国人としての国籍を付与する権利を得た。これによって、在日朝鮮人は、新たに韓国籍を取得して在日韓国人となるか、それを実行せずに無国籍なままの在日朝鮮人であり続けるかの選択をすることになった。したがって、「在日朝鮮人北朝鮮国籍」という理解は誤っている。単純に、韓国籍を取得することに躊躇した人々が旧来の地位を保持し続けただけに過ぎない。もちろんその理由の中には北朝鮮支持というものもあり得る。しかし、単純に韓国政府が信頼できないとか、いまさら韓国籍を取得するメリットを感じないとか、そもそも祖国は統一されているべきであるとか、なかには手続きがめんどくさいとか、さまざまな理由(あるいは理由の欠如)があったのであろう。こういった旧朝鮮籍の人々に難民としての地位が与えられたのは1981年以降である。

時代とともに戦前から戦後すぐにかけて発生した朝鮮半島に生活の記憶がある在日韓国・朝鮮人は減少し、現在はその二世、三世が民族的アイデンティティとして在日を生きている。さらに主に韓国から新たに渡航してきたニューカマーがそれに加わっている。

歴史と、個人の軌跡と

こんなふうに歴史を振り返ると、いろいろな感慨を覚える。まるで評論家にでもなったように、たとえば「日本が朝鮮半島を植民地化したのが問題の根っこだ」とか「日本国籍がないことを利用して金儲けをした在日朝鮮人はけしからん」とか「奴隷を連れ去るように帰国事業を進めた北朝鮮は卑劣だ」とか「韓国もそれに劣らず在日朝鮮人を政治の道具に使った」とか、いろんなことを言いたくなる。「歴史」とは、人にそういった感覚を抱かせるものだろう。

だが、そのなかで生きてきた個人が辿った軌跡に注目すると、そういった感覚は消える。たとえば、生まれ故郷をはなれた土地でいきなり国籍を失い、そして帰国しようにも故郷は荒れ果てている。そんなときにとりあえずいまの場所でなんとか活路を見出そうと誰かが思ったとして、それを非難することはだれにもできない。そして、目の前に脱法的な仕事があり、それを選択することで少しでも豊かになれるときにそうすることは、それを拒否するよりもずっと自然なことだろう。政治的な理由であれ経済的な理由であれ故郷にとどまることが著しく困難である人がそこを離れる権利は、国際的にも難民という概念で認知されている。難民に対して文化的なアイデンティティを捨てることを強要するのは、現代では犯罪行為とさえみなされるだろう。

私の親しい友人にも、戦後の混乱期に親が日本にわたってきて(密航かどうかまでは知らない)土建でひと財産なして(だから彼は高校はお坊ちゃん校に行っていたらしい)、さらにその後波乱の人生を送った男がいる。彼の生涯を聞いてみると、「アホやな」と思うことも多いのだけれど、ひとつひとつの選択は「ああ、自分ならそこまでうまくやれないな」とか、「そりゃそうやで」と思わされることも多い。結局、ひとりひとりの人間は、そのときに最善と思われる選択をし、精一杯に生きている。それが結果としてネガティブなことになる場合もあるし、振り返ったらアホと思えることもある。けれど、それを批判することはできない。

そういった個人のギリギリの選択が束ねられ、社会が動いていく。そして、社会の動きは歴史としてまとめられる。

そう思うとき、評論家のように「あのとき歴史が動いた」だの「これが正義だ」だの、「あの国は卑怯だ」だの、そんな考えかたをするのはそもそもおかしいのだと感じられるようになる。人間は、つねに自分自身のことでしか動けない。狭い視界の範囲内のことしか見えないし、ごく身近な人々のことしか考えられない。そして、そういった行動は、だれにも否定する権利はない。人間が行うことには、たとえ誤りを自分自身が悔やむようなことがあったとしても、他人からダメ出しをされるようなものではない。結果は全て自分に返ってくるので、あとはそれを引き受けるだけだ。

そしてそれを束ねたものが歴史であるときに、歴史とは、それを知り、学ぶことができるものであったとしても、それ以上のものではないことがわかる。まして、歴史でもって特定の個人を攻撃したり、特定の人々に何らかの感情をもつことなど、無意味であり、異常である。

 

社会とは、個人の集団である。しかし、社会の行動原理は、個人の行動原理とはまったく異なる。つまり、人間によって構成されるものでありながら、人間とはまったく別個の研究の対象になる。それが社会学の立場だ。そういう基本を忘れ、あたかも社会集団を人間であるかのように扱う人々がなぜか絶えないように思う。社会科が教育課程に組み込まれて長いのに、それが変わらないのは、やっぱり受験教育のせいなのかと、やれやれ、いつもの結論になってしまった。愚かだなあ。