子どもの世界は安全になったのか - 子どもの目に映る世界

昭和の子どもの世界は非常に危険だった。直接的な危害だけでも、私の記憶の中には「あれは本当に危なかった」というのがいくつかある。たとえば、当時、宅地化が進みつつあった私の家の近所には、(子どもの目からみて)広大なジャンクヤードがあった。廃物の家財道具や電化製品、廃車に至るまでのありとあらゆるガラクタ類がうず高く積み上げて放置してあったのである。もちろんまったく放置されていたわけではなく、そこに廃品を持ち込む業者や、そこから廃品を運び出していく業者が出入りしていた。けれど、常駐の管理人などはおらず、周囲との境界も曖昧で、子どもたちが勝手に出入りする遊び場となっていた。そしてひどく危険な場所であった。たとえば、当時の冷蔵庫は外側からノブを引かなければ開かない構造になっていたのだが、その冷蔵庫の中に子どもが隠れるぐらいのスペースはあった。結果として、冷蔵庫内への子どもの閉じ込めによる死亡事故が多発していた(さらにその結果として、冷蔵庫の扉はわずかな力で開閉できるように改良された)。私自身、そんな放置された冷蔵庫の中に入って遊んだことがある。外からロックされてたらあっさりと死んでいただろう。

もっと危なかったのは、廃車の中に閉じ込められ、火をかけられた経験だ。近所の悪ガキと遊んでいて、廃車の中に入ったら、外から閉じ込められてしまった。夏の暑い日だったから、それだけでも熱射病で死にかねないイタズラだ。こっちも危ないのはわかるから、「出してくれ!」と泣きわめく。たぶん、外から重いものでバリケードにしていたんじゃないかと思う。だが、ガキどもはおもしろがって出してくれない。それどころか、こともあろうに、その廃車の脇で焚き火をはじめた。いまでは信じられないだろうが、喫煙者が幅を利かせていた当時マッチはどこにでも転がっていて、小さな子どもが火遊びをすることぐらいは珍しくなかった(当然、火事も起こった)。ゴムの焦げるにおいのする煙が車内に充満して、冗談じゃなく「あ、ここで死ぬんだな」と思った。炎がチラチラと見えて絶体絶命と思ったときに、さすがにバリケードは外された。苦しみながら転がり出た姿が想像以上にひどかったのだろう。それまで笑い転げていた悪ガキどもは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。私は大泣きに泣きながら家に帰った。何があったかは一言も喋らなかった。

そのジャンクヤード以外にも、危険な場所はいくらでもあった。田んぼには野ツボとかドツボと呼ばれる肥溜めがあって、そこにハマったら死ぬと言われていた。もとより糞まみれで死にたいやつなどいないからふつうは近寄らないのだけれど、宅地への転用が進む荒れ果てた田んぼには隠された落とし穴のようなドツボが残されていて油断がならなかった(だから「ツボにはまって笑う」神経が私にはわからない)。その一方で公害問題が注目されるようになった時代で、川は汚れきっていた。河原に降り立つとヘドロが水面を覆っている場所があって、そこは陸地と見分けがつかない。そんな場所にうっかり足を踏み入れて私の目の前で溺れかけた友だちもいた。あるいは、開発が進行する時代で、いたる所に危険な工事現場があった。いま思い出しても肝が冷えるのは、工事中の橋桁に柵を乗り越えて入ってその桁の上で遊んだことだ。コンクリートの河床まで10メートルぐらいの高さがあったから、落ちたらよくて骨折、下手すれば即死の遊び場だった。あんなアホなことをよくやったもんだと思う。

 

いまは、そんな危険な場所はめっきりと減った。たとえ危険な場所があっても、大人の管理が厳しく、子どもたちはそこに近づけない。けっこうなことだと思う。子どもの命が失われるのは悲しいし、傷を背負わせて人生を歩ませるのも親としてはいたたまれない。昔はよかった式の話をするつもりは毛頭ない。あれはひどい時代だったと思う。

いまの子どもたちは、真綿にくるまれたようにたいせつに育てられる。それは正しいことだと思う。だから根性がないみたいな話には、困難に打ちひしがれたひとには新たな困難に耐える力が残されていないことが多いという観察でもって反論しよう。危険を経験させるメリットがないとはいわないが、それと危険によるダメージを総合的に計算したら、多くの場合、危険を回避することのほうがずっと合理的であるはずだ。

ただ、そういうことを前提にして、私が思うのは、いまの子どもたち、決して大人が思うほど安全な世界に生きてはいないのだということだ。確かに客観的に見て危険は大幅に減少した。それでも、当事者である子どもの目から見れば、世界は相変わらず危険に満ちている。大人は気がつかないが、どうやらそういうことになっている。

それを知ったのは、息子と話していてのことだ。ウチの息子、もう高校3年でほとんど大人だから、親としてはもう子育ては終了という感覚だし、彼の方も子ども時代を遠くに見るような感覚でしゃべる。その彼が、「あのときは死ぬかと思った」という経験を話すのだ。それも私が知らない場面、たとえば道路脇で車にはねられそうになったこととか、キャンプに行ったときに滝で溺れそうになったこととか、本人しか知らないことばかりだ。

息子は、親がかなり年を食ってからできたたったひとりの子どもということもあって、たいせつに育ててきた。「箱入り息子」を公言して、意識的に過保護なぐらいに扱ってきたつもりだ。危険なことには近寄らせないし、本人も親がやかましくいうものだから、あえて危険には近寄らない。生まれもっての臆病な性格でもある。ところがその息子でさえ、親の知らないところで交通事故や溺死に近い経験をしているのである。

もちろん、それは本人の思い込みだけで、実際にはそこまで危ない局面ではなかったのかもしれない。けれど、そういうことを言い出したら、私のジャンクヤードでの体験だって、本当はそこまで切羽詰まってはいなかったのかもしれない。生死を分かつ経験は、実際には客観的な評価とはまったく独立して、本人の主観に依存する。経験している本人が、「あ、ヤバイ、死ぬかもしれない」と思う感覚は、嘘でも偽りでもない。そして、時代がどれほど安全になろうと、そういう感覚を覚える瞬間はだれにでもある。なぜなら人間は必ず死ぬものとして運命づけられているのだし、実際、案外にしぶとい一面を持っているくせに、驚くほどもろく、ときにあっさりと死んでしまう生き物であるからだ。

 

そして、考えてみれば、子どもにとって、この世界が未知の不安で満たされたものであるという事実は、世の中がどう変わろうと同じことなのだ。成長とは、そういう未知の世界に一歩を踏み出していくことである。その未知の世界には、それまで出会ったことのない喜びや発見がある半面、危険もまた同時にふつうに存在する。それを確かめながら、ひとは世界についての感覚をつかんでいく。

だから思うのだ。この緩衝材とクッションで厳重梱包された段ボール箱並みに危険から守られた世界にあっても、やはり子どもたちは危機を乗り越えながら成長していくのだろうと。そして、何十年かの後には、「おれが子どもの頃はあんな危ないことがあった、こんな危険があった」みたいな昔話をするのだろうなと。

 

 

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こんなブログ記事を読んで感じたことを書いた。

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