息子の動画を非公開にした - 春の大掃除

私の息子は、(親バカが言うのもなんだけれど)才能のある人だ。小学生の頃は落語家で、イベントの出演や施設の慰問にしょっちゅう出かけていた。もちろん小学生のやることだからしょせんは素人芸でしかないのだけれど、それでもあんなふうに何百人もの聴衆を相手に舞台に立てるかと言われたら、私にはムリだ。中学生になってすぐに全国放送のテレビにも出演したのだから、まあそこそこのところまでは行ったのだろうと思う。

器用なやつなので、小学校の高学年の頃にはコマ撮り動画なんかを撮影しては遊んでいた。やがてBlenderぐらい使えるようになり、3Dの動画なんかも見せてくれた。

声変わりを機に落語はお休みにして(その後復帰できていないのだけど)、ギターの練習をはじめた。声変わりが終わりかける頃から歌もつけるようになって、なぜだか70年代から80年代のフォークソングを弾き語るようになった。これが中高年世代にウケた。「さだまさしを歌う中学生がいるよ!」と、その世代の母親に急いで電話をかけていた女の子の声は忘れられない。高校に入ったときも、たちまち学校公認のフォークシンガーになってしまった。あんまり持ち上げられるのが鬱陶しかったのか、結局歌うのはやめてギターに専念し、3年間でずいぶん上達した。何十年ギターを弾いてる私よりも遥かに上手く、昨夜もいくつかコードを教えてもらった。たいしたもんだ。

そういう芸歴だから、親バカとしてはこれまでいくつもの動画をアップしてきた。よく見られたものでも数百だから、まあ友人知己に自慢するためだけのものではある。プライバシー的なことも考えないでもないが、ステージに立って不特定多数に向かって演じている時点でそれはもう割り切るべきだろう。息子も「アホな親のやることはしゃあない」みたいに黙認してきた。落語で十数本、弾き語りも二十数曲はアップしたと思う。コマ撮り動画とかは、特別に公開を意図したというよりも、息子に渡す目的でアップしたのがそのままになっていた。もともとほぼ非公開に近いものではあった。

それらの動画を、数日前、すべて非公開にした。公開しておく価値がなくなったからではない。たとえばいくつかの落語は子どもが落語をしたいと思ったときの参考になるだろうし、フォークソングの弾き語りは、この時代にちょっと新鮮だったりもする。親が自慢したいだけでなく、置いておけばゴミよりは少しマシな程度の役には立ったかもしれない。けれど、この春、いったん過去のものは整理しようと思った。というのも、そんな息子も高校を卒業し、大学に進むことになったからだ。ここらが区切りだろうと思った。

 

去年のコロナの時期、息子は自らInstagramYouTubeTwitterでの発信をはじめた。自分たちのバンドやユニットが、「これだ」と思うようなコンテンツをアップするようになった。ということは、親が親の思いで彼にまつわる情報を出すべき時期ではない、ということだ。ここから先、新たな活動がどんどん増えていくだろう。外に出す情報は自分で管理していくことになる。親としては、ひとりの観客として、それを楽しめばいい。オフィシャルが出さない情報は、存在しないものとして扱うのがファンの礼儀だ。だから、非公開にした。

もっとも、私が管理していないコンテンツは、どうしようもない。たとえば彼がかつて参加した落語大会の公式ページには彼の過去の演目がいまも公開されているはずだ。Webに公開されているわけではないが、学校行事で参加した演目は、学校内ではふつうに閲覧できたり配布されたりしている。そしてトドメは、彼がまだ保育園の頃、自宅で撮った「手遊び」の動画、妻がYouTubeにアップしたものだ。いまだにアクセスが絶えない。10年以上たって、さっき見たら31万回を超える再生数になっている。

この再生回数を超えることが、彼の最初の試練になるのだろう。そう思うと、笑みがこぼれるのをおさえることができない。