「体操服の下に下着を着ない」は、変態教師の妄言とは、ちょっとちがう

ブラック校則との関係で「体操服の下に肌着を着てはいけない」というルールが少し前からときどき取り上げられる。私は着衣や髪型などに関してとやかくいうのは人間としてどうなのと思うほうだから、こういうルールが学校にあるのはおかしいと思っている。そして、多くの校則が「規則のための規則」と化し、その意味が検討されることもなく、ただそれが存在することによって統制と権威付けが行われる機能だけをもっているという現状を見たら、「ええかげんにせぇよ」と言いたくなる。ときには、「そのルールは異常だろう」と思えるものもふつうに通用していたりする。

ただ、どんなにおかしく見えるものであっても、成立当初には何らかの合理的な理由があったと考えるのが穏当だろうとは思う。たとえば「体操服の下に下着を着ない」というルールにしても、一見、「下着のことなんて気にするのはおよそ変質者ぐらいなもんだろう」と思えるのだが、実はそれなりの根拠はあったようだ。これはもっぱら、家庭科の方の知見によるものらしい。たとえば、

『衣服の着方の工夫で冬を快適に』 の授業提案 (薩本弥生,井上真彰)

によると、

肌着は吸湿性の高い綿などの素材が使用されることが多いため、一度濡れてしまうと後冷えして不快になるため、汗をかきやすい季節や運動量が多い時は吸水速乾性に優れた体操服だけに着替えて運動し、運動後は汗を拭きとってから、肌着を制服の下に着るのが良いと考えられる。 

 とある。これはなにもこの論文で初めて主張されたことでも何でもなく、私が中学生だったはるか昔から、家庭科の教師や体育の教師が主張していたことである。ちょっと探しただけでは文献に出てこないぐらい、常識化していた知見であるわけだ。ちなみに、これに対しては「なるほど」という意見と「ちょっとおかしい」という意見が、当時でも両方あったと記憶している。特に、「後で冷えるにしても、運動中の汗を放置するのはまずいだろう」という意見はけっこう説得力があり、そのため、タオル2枚を用いて体操服の下に汗取りのための層をつくって、汗をかいたらすぐにそれを抜き取る、みたいな運用も(マラソン大会のときなんかには)あったように記憶している。

じゃあ、「体操服の下に肌着を着ない」というのは合理的なのかといえば、現代ではそんなことはない。なぜなら、下着の性能が上がり、「吸水速乾性に優れた」素材は普通に安価に手に入る。下手をすれば、体操服以上だ。そういうものが求めればいくらでも手に入る時代に、いまさら「下着が濡れたら気持ち悪いから」みたいな理屈は通らない。

結局、問題なのは時代に合わせたアップデートができないことであったり、一律に問題を解決しようとする姿勢であったりであって、決して変態趣味ではないのだ。問題を正しく把握しないと、解決からはどんどん遠ざかるだけだから、このあたりは気をつけるべきだと思うよ。