暗算のヒント - 人間の頭の構造は人それぞれだけど

何年か前、「ズルい算数」という本を書こうと思ったことがある。暗算を中心に、主に四則演算の計算方法について、実用的な方法をまとめておこうと思ったのだ。出版のアテがあったわけではない。書けたらオンデマンド印刷でもやって生徒に配ろうと思っていた。実際、書きかけのものをプリントアウトして生徒に渡したこともある。ずいぶんと不評だった。難しすぎるという。まだまだ修行が足らんわと思って、続きを書く手が止まった。それ以来放置してある。

暗算は、一応、小学校の算数のカリキュラムの中には組みこまれている。けれど、学校ではこの技法を推奨しない。面倒でも筆算をしなさい、そのほうが正確だからというのが、多くの学校教師の立場だ。だが、私の経験上、実際には筆算だから正確ということはない。要は、人間はまちがえる生物なのだ。どんな方法をとっても必ずまちがえる。だから、要点は2つ。まず、必ずまちがえることを前提に、まちがえが多発する操作は避けること。もうひとつは、自分は必ずまちがえると心得て、じゃあ、一旦まちがえたときにどうやって被害を最小限にとどめるかを考えることだ。この2点に留意すると、暗算の価値がぐっと上がることになる。ちなみに、小学校算数の教科書を素直に読めば、そういうことが前提なんだなあと思える箇所がいくつもある。決して私のオリジナルな説ではないと思う。

 

さて、まずは、四則演算において、まちがえが多発する操作はどういうものかということだ。長いこと生徒を観察してきて、ごくシンプルな事実に気がついた。まず、人は、1桁と1桁の計算はほとんどまちがえない(割り算は除く)。加減の計算も掛け算も、2つの数を扱うわけだが、両方が1桁のときはまずまちがえない。これは、組み合わせが少ないから、自然におぼえてしまうからだろう。掛け算に関しては、九九という呪文で強制的におぼえてしまう。だから、ある程度の練習を積んだあとでは、ほぼ百%の正答率が得られる。

次に、2桁と1桁の加減乗算は、あまりまちがえない。慎重にやりさえすれば、ほぼまちがえないといってもいい。だから、ここまでは安全圏だといえる。

ところが、2桁と2桁の加減乗算は、けっこうな確率でまちがえる。そして、3桁と2桁とか、3桁と3桁の計算は、たとえ筆算でていねいに処理しても、手計算であれば無視できない確率で、どこかでまちがいが発生する。確かにドリルをやったら90点以上はとれるだろう。けれど、たとえば100題解いたら1題まちがえるようなときには、計算ドリルなら「満点、合格!」と言えるのだが、実用的には信頼性が著しく低いといっていい。特に、シーケンシャルに計算が続く大問だと、途中のどこかで1回まちがえるだけで答えが合わなくなる。

だから、手計算で解かなければならない計算問題が発生したら(そして日本の教育課程は何故か手計算にこだわって、電子機器を使わせない)、まずはその計算を可能な限り「1桁と1桁の計算」に落とし込むことだ。実際、筆算は、そういうことをシステマティックに実行する手法だ。だが、残念なことに、筆算がそういう仕組みだと意識して計算している人は少ない。筆算の導入時にその仕組みは学習するけど、小学生にはなかなか理解できない。結果として、ブラックボックス化した自動処理として筆算は「身体で覚える」よう指導される。それはそれで関数的な発想でわるくはないのだけれど、もったいないなあと思う。筆算の原理は、中学校ぐらいで復習しておくべきだと思う。そうすれば、計算間違いがぐっと減るはずだ。まあ、グチはこのぐらいにしておこう。

もう1点のポイント、「まちがえても被害を最小限にする」は、どうやってまちがいを発見するかということでもある。つまり、検算方法だ。そして、小学校ではこの有効な方法をカリキュラム的には組み込んでいるのに、積極的に推奨しない。なぜなのかわからない。

検算をやるのに、「もう一回やる」のは、まったく合理的ではない。もしもまちがいが発生したのなら、同じところで同じまちがいが発生するリスクが非常に高く、結局、まちがいを発見できないからだ。人間の頭の構造はそうなっている。同じ失敗は、同じところで発生しやすい。だから、同じことをやったのでは検算にならない。

じゃあ、別の方法として何があるかといえば、概算とサンプリングだ。たとえば3桁×3桁の計算は、上述のように非常にまちがいが発生しやすい。このとき、致命的になるのは桁違いの計算結果が出ることだ。だから、頭1桁にまるめて計算をして、その概算結果と見比べる。そうすれば、桁違いの計算まちがいはすぐに発見できる。これで致命的な部分は回避できる。

それでも、細かいところが違っていれば、やはりマズい。そういうときには、たとえば最後の1桁に注目する。末尾1桁同士の計算結果のさらに末尾1桁は、必ず答えの末尾1桁になっているはずだ。そこが確認できたら、まあ、大きな勘違いはしていないだろうと推測できる。もしもそれで不安なら、別のサンプリングをすればいい。

 

以上、計算を実行するときの原則を2つあげた。重要なことなので、改めて箇条書きにする。

  • 一度に計算する演算桁数を極力下げること。
  • 概算とサンプリングでチェックを実行すること。

これだけで、計算の精度は、手計算であっても実用的になる。そして、これでようやく、暗算に関する大前提がそろったことになる。やれやれ、そりゃ、小学生にこの説明は、たいへんだよなあ。

 

さて、暗算の細かいテクニックだが、これは単純な訓練からスタートする。といっても、ソロバン式の暗算ではない。私にとって、あれは謎だ。なんで頭の中にソロバンをイメージするだけで暗算できるのかわからない。ほんと、人間の頭の構造は人それぞれなんだなあと思う。

 

最初の訓練は、これは実は小学校1年の算数で既にできている。「いくつといくつで10」というやつだ。理屈に深入りすると面倒なのだけれど、現代の算術は10進法でものごとを考える。ということは、目の前に数があったとき、「それを10のカタマリにするにはどうすればいい?」と考えるべきなのだ。だから、小学校1年では、任意の1桁の数を提示して、「あといくつで10になる?」という訓練を実施する。これができてはじめて、繰り上がり、繰り下がりができるようになる。

そして、実用的に、これはもっと上の桁まで拡張できる。つまり、2桁の数を見て、「あといくつで100になる?」という訓練だ。そんなものができるのかと思うかもしれないが、やってみればかんたんだ。なんなら3桁にまで拡張して、「この数にあといくつで1000になる?」もできる。というか、多くのひとは、買い物をする際に、無意識にこれをやっている。たとえば、レジで458円を払うとき、無意識に多くのひとが千円札を出す。そして「ああ、おつりは542円だな」と思うだろう。思わないかもしれない。私は思うし、確認してみたらそういう人は他にも結構いる。そう思わない人もいるだろうけれど、ここは訓練ですぐに到達できる。ちょっとやってみるといい。

これができると、桁数の多い加減算が非常に楽になる。たとえば3桁の足し算なら、2つの数の最初の数を見て、「あといくつで1000だな」と思ったら、それに見合った数がもう一方の数にあるかどうかをみる。なければ答えは1000より小さいし、あったら、その数を減らして1000に加えればいい。つまり、繰り上がりを3桁まとめて実行できるようになる。

これは、「演算の桁数を下げる」という原則と矛盾するように思えるかもしれない。けれど、3桁をまとめて1桁のように扱うことで、実質的に演算の桁数を下げることになっている。実際、こういうふうに数を扱うと、暗算でも計算まちがいがほぼなくなってくる。

 

次の訓練は、「2倍」と「半分」だ。どんな数でも、つねに2倍と半分は一瞬で出せるように訓練する。やってみるとこれも意外にかんたんだということがわかる。まず2倍は、同じ数を足せばいいだけだ。九九を使うよりも、そのほうが早くて正確だ。この際、上記の「いくつといくつで10、100、1000」の訓練を積んでいると、より正確さとスピードが上がる。しばらく練習すると、2倍は一瞬でできるようになる。

「半分」の方は、少し難しい。私の場合、これは図形的なイメージを使っている。ただ、人間の頭の構造は人それぞれなので、あえて私の方法は示さない。半分に分ける計算も、訓練によってどんな数でも一瞬でできるようになる。

さて、これができると、実は九九なんかはおぼえなくても掛け算・割り算の大半ができるようになる。なぜなら、半分にすることは、5をかけて桁を1つ下げることと等価だからだ。すなわち、

    ×5=×10×1/2

だからだ。同様に、2倍することは、5で割って桁を1つあげることと等価になる。こうすると、5倍するのと5で割るのは、実は既に訓練済みとなる。

そして3倍は、2倍にさらに同じ数を足せばいい。4倍は、2倍を2回実行する。6倍は3倍してから2倍する。8倍は2倍を3回実行。9倍は3倍を2回実行すればいい。となると、7倍だけが厄介で、8倍から同じ数を引くか、6倍に同じ数をたすことになるけれど、実用的にそれはかなり危険だ(計算まちがいが発生しやすくなる)。だからここは、素直に7の段の掛け算を使ったほうがいい。

 

以上の基礎的なスキルを訓練するだけで、暗算は飛躍的に楽になる。だが、お楽しみはこれからだ。この2種類のスキルを組み合わせ、さらに演算法則を組み込むことで、相当なところまでは暗算で計算が実行可能になる。だが、それを書き出したら、やっぱり本1冊分になってしまう。

そして、ここで何よりも重要なのは、こういう工夫は、基本的に演算の実行を楽にしてくれるということだ。そして、ストレスの小さい方法では、計算まちがいの発生頻度が大きく下がる。つまり、「楽して正確」になる。そんなうまい話がと思うかもしれないが、楽をすることによって、より正確になるのは事実なのだ。何も進んで苦しむ必要はない。

ここに書いたようなことは、すべて、原理的には小学校の教科書に書いてある。ただ、それを実用的にやらせる訓練を小学校ではせず、教条的な筆算ばかり練習させる。あれも原理に戻って理解すれば悪くない方法なんだけど、原理よりも「慣れる、覚える」方を優先する。あれじゃあ子どもらがかわいそうだと思う。

ただ、そう思って子どもたちにこんなことを教えようとしても、たいていは拒否反応にあう。そこで思う。やっぱり、人間の頭の構造は人それぞれだなあと。ただ、その構造を秩序付けていくのは教育で、教育にもうちょっと柔軟な発想があればなあとも、残念に思ったりもする。

 

こんな増田記事を見たので、書いてみた。

anond.hatelabo.jp

暗算ってどうやったらできるようになるの