菜っ葉の炊いたんについて

昭和のおかずの代表的なものは「菜っ葉の炊いたん」だと思うのだが、この呼び方、既に若い人には通じないのかもしれない。

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京都人だが炊いたんが通じない

京都に限らない。私は大阪の河内地方の出身だが、子どもの頃には「菜っ葉の炊いたん」は定期的に必ず食卓にのぼった。菜っ葉と厚揚げを炊き合わせたものである。ただ、この「炊き合わせる」という感覚が、どうも上方以外には通じないようだ。そして、だんだんと若い人にも通じにくくなっているのかもしれない。

料理の教科書的にいえば、これは「煮物」なのだろう。ただ、大阪で育った感覚では、「煮る」のと「炊く」のは別物だ。「煮る」のは、文字通り「煮沸」するイメージがある。したがって、火力は中火以上になる。水分が多ければグラグラと沸き立つ感じだし、水分が少なければ調理は比較的短時間で終わるだろう。たとえば「菜っ葉のおひたし」は、教科書的には「煮浸し」であって、大量のお湯のなかに菜っ葉をさっと入れるから、まさに「煮る」プロセスだ。魚の煮物は、落し蓋で数分、比較的強めの火力(中火くらいかな)で仕上げる。だから、こういうのは「炊く」とは言わない。

典型的に「炊く」のは、米飯だ。米を炊くのは、「はじめチョロチョロ、中パッパ、じゅうじゅう吹いたら火を引いて、赤子泣いても蓋とるな」と言われる。ただ、これは「おくどさん」で炊く方法で、薪に火をつけようと思ったらどうしたって「はじめチョロチョロ」にならざるを得ない。重要なのは「中パッパ」であり、さらに火を引いてから余熱で(おくどさんの熱容量は非常に大きいのでガスコンロなら弱火に相当する)時間をかけて仕上げることである。

つまり、「炊く」プロセスは、沸騰させるまでは中火〜強火で手早くやるのだけれど、そこからはゆっくりと長時間かけて調理することに力点がある。だから、「おまめさん」は煮るのではなく炊かなければならない。グラグラ煮立たせる必要はない(そんなことをしたらアメが吹きこぼれて、鍋底が焦げ付いてしまう)。コトコトと、2、3時間もかければふっくらと柔らかくなる。

同様に、菜っ葉も、さっと茹でればシャキシャキとするが、コトコトと炊けば柔らかくなる。とろっと柔らかく仕上げた「菜っ葉の炊いたん」は、年寄りのいる家では喜ばれ、そして、子どもたちにとっては最も冴えないおかずであった。それでも、若夫婦と子ども二人の核家族のはしりであった私の生家でも、必ず定期的に出てきたものである。いまでこそ都市化したが当時はまだ農村的な雰囲気も残していた地域だったことも関係しているかもしれない。だが、そんな「ムラ」に他所から嫁いできた私の母は非常にハイカラな人で、ことあるごとに伝統とぶつかり、上の世代からは非難を一身に浴び、そして下の世代からはロールモデルとして憧れの目で見られるというようなタイプの人だった。料理だって斬新なメニューを次々に取り入れていた人である。それでもなお、菜っ葉の炊いたんは捨てがたかったらしい。

 

この「菜っ葉」、アブラナ科の野菜なら基本的になんでもいいのだけれど、大阪では特に「しろ菜」が好まれた。ハクサイではない。しろ菜という。これはアブラナ科の野菜の中では四季を通じてつくりやすいということで、1960年代までは大阪近郊で広くつくられていた野菜である。1970年代に入って関東からやってきた小松菜に一時駆逐される。小松菜のほうが硬く、輸送性がいいので、大規模化した流通に好まれたことが大きいらしい。また、料理番組のほとんどが関東地方で制作されていた関係上、材料として「小松菜」が取り上げられるとそっちのほうが売れたとうこともあるようだ。しろ菜は急速に市場から姿を消したが、年寄りは「あんな硬いもん、嫌や」と小松菜に拒否反応を示したらしい。菜っ葉の炊いたんが廃れていったのには、そういったことも関係しているかもしれない。

そのしろ菜、十数年前ぐらいからぼつぼつとスーパーでも見かけるようになり、少なくともこの近所では割とふつうに手に入るようになった。私の生家では厚揚げだったのだけれど、妻の実家では薄揚げだったらしい。いい記憶がないのでそんなにしょっちゅうつくるわけではないが、たまにしろ菜を買ったときには苦笑いしながらつくることもある。いまだにたいしてうまいものとは思わないのだけれど。