学校の始業時間を遅らせることは、少なくとも子どもたちにとっては益が大きい、らしい

不登校の話が出る度に関連の話題として自ブログのリンクを貼っていたら、けっこうアクセスがあった。この記事だ。

mazmot.hatenablog.com

上記の記事では不登校の無視できない部分を占める起立性調節障害に関してサマータイムが悪影響を与えるだろうということ、そして何だったら逆に始業時間を遅くしたほうがいい、というようなことを書いた。その根拠となる論文も引用した。ただ、この記事はけっこう勢いでサッと書き上げたものだったので、とりあえず検索してたまたま出てきた関連ありそうなやつを引っぱってきたに過ぎなかった。言い換えれば、その関連では思春期の睡眠パターンがプレ思春期のそれとも大人時代のそれとも大きく異なっているということが常識だということでもあったわけだ。たまたま拾ったもので事足りるほどなのだからね。

そして、引用しそこねたのが、

アメリカでは登校時刻を通常よりも1〜2時間遅らせることで全体の成績が向上したという研究結果もあるらしい。

という部分に該当する研究だ。引用しようにも、聞きかじりで詳しい情報を覚えていなかったので、検索する手掛かりがなかった。もちろん時間をかければなにか出てきたかもしれないが、根性がその前に尽きた。いい加減なものだ。

ところが、それでもブログを書くことに意味はある。なぜなら、ブコメで情報元を教えてくれる人が現れたからだ。id:natu3kan さんにご教示いただいた記事はこれ。

natgeo.nikkeibp.co.jp

そうそう、この記事を以前、生徒の起立性調節障害について調べていたときに読んでいたんだった。この記事の上記リンクに続くページによれば、

この試みは、米国ロードアイランドの私立校に通学している9-12年生(日本の中学3~高校3年生に相当)を対象に行われた。2カ月間にわたって始業時間をそれまでの午前8時から8時半へと30分遅くしたのだ。親の同意が得られた201名の学生が試験に参加している。

 その結果、参加した学生の睡眠時間は試験前の平均7時間7分から7時間52分へと45分長くなり、授業中の眠気が顕著に減り、集中力が上がるようになったのだ。

ということで、明らかに子どもたちにとって良好な結果が得られている。ちなみに、この情報をもとに検索してみると、もとになった研究はおそらく1995年のこの論文(Early school schedules modify adolescent sleepiness)だろう。その原文は見つけられなかったが、同じ研究チームによってたとえばこのあたりの研究(Adolescent Sleep Patterns, Circadian Timing, and Sleepiness at a Transition to Early School Days)があるなど、継続的に研究は続いてきたらしい。上記引用によれば最近の話のようだが、実はもう20年以上も前から知られていたことになる。

ただ、上記引用を読んで「そりゃあ、始業時間が遅くなったら最初のうちは睡眠時間が伸びるだろう。けど、そのうち寝る時間も遅くなって、結局は同じなんじゃない?」というツッコミが入ることは十分に予想される。実際、前のブログについたブコメの中にも、睡眠サイクルは習慣であって、既日リズムとは関係ないのだという立場に立ったものあった。しかし、実際にはそうではない。それは研究によって実証されている。

たとえば、2002年のこの研究だ。

Changing Times: Findings From the First Longitudinal Study of Later High School Start Times

これは、ミネアポリスのハイスクール(日本の中学から高校に概ね相当)で始業時刻を7時15分から8時40分に遅らせてから数年間の結果を調査したものである。生徒の平均的なウィークデイの睡眠時間は約1時間伸びた。ここで特筆すべきなのは、その1時間の増加が始業時刻の変更後4年たっても継続していたということだ。つまり、「起きるのが遅くなっても寝るのが遅くなるだけじゃないか」という仮説は、完全に否定されている。

そして、この論文でも、あるいは同時期のこちらの論文:

Assocciation of Sleep and Academic Performance

あるいは、少し遅れてこちらの論文:

School Start Time and Its Impact on Learning and Behavior

さらには、最近の:

Impact of Delaying School Start Time on Adolescent Sleep, Mood, and Behavior

や:

Later School Start Time Is Associated with Improved Sleep and Daytime Functioning in Adolescents

などに至るまで、一貫して、出席率の向上、交通事故の減少、うつの軽減、幸福感の増加、学力向上などの好影響が報告されていることは重要だ(ま、「学力」に関しては、そんなものきちんと測定できるのかよ、と私は思っているわけだが)。

これらは主にアメリカ合衆国での研究になるわけだが、文化がちがうと始業時刻の変更の影響は多少異なってくるらしい。合衆国とオーストラリアの比較の研究もあった。

A Cross-Cultural Comparison Of Sleep Duration Between U.S. And Australian Adolescents: The Effect Of School Start Time, Parent-Set Bedtimes, And Extra-Curricular Load

このように、学校の始業時刻を遅らせる効果についての研究は、少なくとも過去20年以上にわたって連綿と続いてきている。では、それらの蓄積にもかかわらず、なぜ大部分の学校の始業時刻は変わらないのだろうか。

それに関しては上記の論文内でもいろいろと検討がなされている。結局のところ、学校の始業時刻は決して生徒のためだけではなく、さまざまな社会的な都合で決められている、というのが合衆国での状況らしい。なあんだ、日本と同じじゃないか。

ただ、それにしても、日本の場合は特に周辺からの圧力が強いように思う。それにはいくつかの種類がある。ひとつは、以前にも書いたが、子どもにはさっさと学校に行ってもらいたいという親の都合だ。できることなら仕事に行く前に子どもを学校に送り出して安心して働きたい。だが、これに関しては、現実に子どもよりも早い時刻に仕事に出かけなければならない親も少なくないことを思えば、やってみれば案外と問題がないのかもしれない。

それ以上に強いのは、おそらく、「勤勉」に対する信仰に近い思い込みだろう。クラブの朝練習をやったから体格が向上するわけでもないし、早朝から詰め込み勉強をやったからといって一時的なカンフル剤程度の成績向上以上のことは見込めない。けれど、「がんばっている」という姿を見せれば、たとえ効果はなくとも誰もが納得する。そういう奇妙な風潮が、この日本を覆って長い。

それは確かに競争に負ける弱者を救済する効果はあるのかもしれない。「結果は出なかったけど頑張ったからエライ」というのは、結果を出せなかった私のような出来の悪い生徒にとっては救いにもなった。だが、それが度をすぎれば、「結果を出さなくても頑張ればOK」という感覚に行き着く。そして、それは生産性にほとんど影響しない儀式的な仕事を繰り返す多くのオフィスワークにもつながってしまう。

科学でガチガチに詰めていくのは好きではないが、少なくともみんなが幸せになることが科学的に明らかになっているとき、それを無視するのはやっぱりちがうんじゃないかと思う。「がんばり」を評価するのはひとつの知恵であったかもしれないが、知恵はアップデートしてこそ本当の知恵になる。そろそろ、学校の始業時刻を少し繰り下げてはどうなのかなあと、改めて思う。

 

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ちなみに、上記の論文、大半はちゃんと読んでない。全部リンクを貼ったのは、そのうちきちんと読もうというメモとして、だ。なあんだ、科学だエビデンスだといっても、読んでなきゃしかたないじゃないかと、自分にツッコんでおく。