機械翻訳の時代に翻訳者はどう生き残るのか? - 「英語が得意」では食っていけない時代へと

機械翻訳がまた進化した、ようだ

20年ばかりも前に翻訳ソフトというものに初めて触れて以来、いつかは実用的なレベルの機械翻訳が現れると思ってきた。そして10年ばかり前、Googleが「あと10年で完全な機械翻訳を実現する」と言っているのを聞いて、「そりゃそうだろう」と思った。スマホ時代に入ってさまざまな翻訳アプリが登場し、最近ではGoogle翻訳の精度も増して、「やっぱりなあ」という感覚をおぼえることは度々だった。ただし、「それでもまだまだ」「この程度じゃプロの翻訳者が食えなくなることはない」という安堵感も同時におぼえてきた。そう、私は(既に収入面での比率は相当に下がったが)英和翻訳者として飯を食ってきたので。

ちなみに私は資格その他とは無縁の人生を送ってきたのだが、TOEICだけは過去に1回だけ受けたことがあり、そのときの得点は900点を超えている。まあ、そのぐらいなければプロの翻訳者としては苦しいだろう。だが、これからはそれでももっと苦しくなる。なにせ、いよいよ機械翻訳がそのレベルに近づいてきた。

news.mynavi.jp

このみらい翻訳という会社、以前から機械翻訳に関する製品開発を精力的に進めてきていて、2年ほど前には「2019年にはTOEIC800点程度の機械翻訳を」と言っている。その予定がかなり前倒しされたということなのだろう。

japan.cnet.com

で、同社のサイトにはデモが用意されているので、早速試してみた。

www.miraitranslate.com

テストのために使ってみたのは、このブログの一つ前の記事である。著作権の心配とかもないから。あえて名文じゃないほうがいいだろうとも思ったし。

上記の記事にあるように、多くの砲弾は戦場から帰還した軍人が記念として持ち帰り、奉納したものだろう。だが、平和な時代を数十年過ごし、神信心とも縁遠くなってしまった私達の感覚では、それでも「なぜ?」という疑問は晴らせない。たとえば、いかに元軍人とはいえ、武器をそう簡単に持ち出せるものでないことは明らかだ。一発何億円もするミサイルほどではないにせよ、砲弾はそれなりの有価物だ。演習での使用済み品や不良品その他の理由で不要とされたものであったとしても、下げ渡しにはおそらく相当に面倒な手続きが必要だっただろう。

 

As mentioned in the above article, a number of artillery shells would be taken home and dedicated to commemoration. But in the sense of our senses that we spent 10 years in peace and the faith of God became far away, why? The question is. It is clear, for example, that the military cannot easily carry weapons. Even though it is not as much as a missile that costs hundreds of millions of yen, artillery shells are valuable. Even if it was not necessary for used goods or goods or other reasons in the exercise, it would probably be necessary to do a very troublesome procedure.

最初のセンテンスは、ほぼ文句はない。ただ、硬いなあと思う。もうちょっと柔らかく訳して欲しい。とはいえ、そこらの下手くそな翻訳者ではこのレベルもいかない。

次のセンテンスも、アラはある。sense of our sensesなんて詩的な表現かと思ってしまう。それでも、「なぜ?という疑問は晴らせない」を「why」の一言で片付けるような大鉈は、過去の機械翻訳ではなかなかにできなかった。個人的にはここはもうちょっと原文に沿った訳をして欲しかったのだけれど、翻訳のコツとして「原文に沿いつつ、原文から離れる(不即不離)」というのをよく言うので、そういう意味では、コイツはデキる。

ただ、その後に、意味不明の「The question is」が入っているあたり、やっぱりアホなのかなとも思う。ひょっとしたら「疑問は晴らせない」をここにこんなふうにもってきているのかもしれない。だとしたら、まだまだ文脈は読めていない。

その次の文は「いかに」が訳せていない。それに「持ち出す」が「持ち運ぶ」になってしまっている。その次の文はまあいいとして、最後の文は、ちょっと文脈を見失ってしまっている。

ということで、「TOEIC900点以上」はちょっと大げさだと思うが、改良されたGoogle翻訳といいこのみらい翻訳のデモといい、確かに生ちょろい翻訳者よりはまともな文が書けている。ちなみに、このみらい翻訳のサイトには「統計的機械翻訳 (汎用モデル) 」と「統計的機械翻訳 (特許モデル)」のデモも用意されているが、どっちも同じ文で試したらダメダメで、意味が根本的にわかっちゃいない。そういう意味では、確かにAIというのかニューラルネットワークは強い。機械なんだから「理解している」というのとはちょっとちがうのかもしれないが、見かけ上は「理解している」のと非常に近似な挙動を返している。

翻訳者はどうなる?

さて、そうすると、翻訳者は今後不要になるのだろうか? ある意味ではそうだと言えるし、別の意味ではそうではないはずだ。つまり、「英語が読めます」とか「読みやすい日本語の文が書けます」といった語学力レベルだけで仕事をしている翻訳者は生き残っていけない。もちろんそういう翻訳者だって即応性が求められるようなオンサイトの翻訳なら利便性があり得るので絶滅まではいかないだろう。また、他の業務をやっていての兼務なら、やはり利便性を買われるケースもある。だが、専任で機械と競争するなんてむちゃな話になってくる。

しかし、翻訳者のやっていることはそのレベルの仕事だけではない。テキストとしてやってくる原文情報を大きな枠組みの中で判断して、最も適切なアウトプットを用意してやることもまた、翻訳者の仕事だ。そして、それはまだ機械翻訳が進出していない領域だ。機械にできないというのではない。単純に、まだそこまで対象として取り上げられていないというだけのこと。だから、しばらくの時間的猶予はある。

ビジネス文書がやってきたとき、それを翻訳することで、翻訳者はその文書に対するクライアントの反応をある程度誘導している。恣意的な誘導はすべきではないが、何らかの方向性が文書内に読み取れるのなら、その読み取ったことをクライアントに伝えるのは翻訳者の務めだ。たとえば詐欺的な請求文書なら、それが詐欺であることが明らかにわかるように訳出しなければ犯罪の片棒をかつぐことになる。そういった判断は、まだまだ機械にはできないだろう。また、そういう判断をされても困るのだし。

そんなふうに、コンテクストを読む仕事が、翻訳者に求められる。だが、その仕事は本当に翻訳の本質そのものなのだろうか。翻訳者の概念そのものが、これから先の時代、急速に変化していかねばならないようにも思う。

 

とはいえ、そういった変化を(あまり意識もせず)私たちは受け入れてきた。私が初めて翻訳で報酬をもらったときと10年前、そしていまとでは、明らかに翻訳に求められているものがちがう。言葉にするのはむずかしいが、ちがっている。いつか、そういうことも分析できたらおもしろいだろうな。機械に仕事を奪われてすることがなくなったら、やってもいい。もっともそのときには生きていくためにまた別のことで忙しくなっているのかもしれないが。