道徳教育推進教師に資格はない? - 無資格教員が教科を指導する矛盾

指導要領改訂で道徳科という科目ができるとかいう話を聞くのだけれど、家庭教師としては文部省のサイトに「道徳科の評価で,特定の考え方を押しつけたり,入試で使用したりはしません。」と書いてある以上、特に関心はない。特定の思想の押し付けはないと言い切ってる以上、科学教育への悪影響はあり得ないと考えざるを得ないし、成績に関係しないんだったら、まあ勝手にやってくれというところ。

けれど、ふと思った。教科になるなら、当然、専門の教師が必要になるはず。ということは、教員養成課程でそういう専門科が大学に設置されるんだろう。やっぱり社会科学の系統になるのかなあ、などと。

そこで調べてみたら、道徳に関しては「道徳教育推進教師」というのを用意するらしい(Q&A:文部科学省)。そしてどうやら、この「道徳教育推進教師」というのは学校内での役職名であって、資格ではない。いったん道徳教育推進教師になったら研修とかもあるらしいのだが、それは教員資格とは無関係なもののようだ。

これっておかしいよなと思う。というのは、現在の法体系では、学校では無資格の教員が(補助的な指導を除いて)教科指導をしてはならないことになっている(学校教育法教育職員免許法)。だから、たとえば私のような家庭教師が学校の教壇に立つことはあり得ない。そういうものとして運用されているのが学校制度だ。しかし、道徳科を教えるのに、道徳科の資格をもった教師がいない。これは法体系のほころびではないだろうか。

 

屁理屈のように聞こえるかもしれないが、これは重要なことだ。というのは、大学は腐っても大学、そこには研究もあれば学問の自治も(一応は)ある。道徳の指導ということをきちんと研究すれば、結果的に文部科学省のタテマエそのまま、すなわち

道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,自己の生き方を考え,主体的な判断の下に行動し,自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/08/10/1375633_1.pdf

方法論、すなわち、正しい批判精神と共感をどのように身に付ければいいのかという社会学的な方法論に至るはずだからだ。そういった素養を身に着けた道徳科専門教師が指導をするのであれば、アホみたいな教育勅語論争とか、そういうものからこの教科は無縁でいられるはずだ。

ところが、これが大学教育とは無縁に行われるとどうなるか。OJTとして行われる「研修」は、現場の効率化とか恣意的な目標設定とか、そういうものと親和性が高い。結果として、指導要領に記載されているのとまったく別物の指導が推進されてしまう危険性がある。

そういう危険性を避けるために、法令は教員免許の必要性を定めているのだと思う。それを無視して専門性のない教員に指導を求める現行指導要領は、考えてみれば非常に奇妙だ。

 

指導要領をはじめとして、教育行政の公的な文書類は、素直に読めば決しておかしなことは書いていない。そりゃあ、頭のいい官僚たちが知恵を絞って書いているのだから、ある意味、非常にまっとうなことが書いてある。ところが、それが現場では全然まっとうじゃない使われ方をする。ほんと、それは呆れるほどだ。

つまり、法律は、読み方でどうにでも解釈できる、と思われている。そう扱われている。だから、法律で縛ってブレーキをかけるというのが非常に効きにくい風土になっている。そんなところに、そのブレーキを外してしまったような「道徳教育推進教師」の存在は、本当に危うい。

無資格教師が教えていいんなら、私はいつでも学校に行くよ。あそこで雇ってくれたら、こんな嬉しいことはない。ま、引っ掻き回されるのがわかってるような男を雇いたい学校なんて、あるわけはないのだけどね。