風邪はなかなかダイナミック

正しく発せられた問いかけは、問題の大半を解決しているという。風邪をひいたらどうすべきだろうか? その問いは、正しく発せられているとは言えない。なぜなら、風邪といっても一様ではないからだ。それに、風邪の各段階によってすべきことはちがう。さらに、風邪をどんなふうに治したいのかによっても、やることはちがってくる。だいたいが、風邪というのは身体的な症状だけではなく、社会的なものでさえある。さまざまな状況を勘案しないでこれがベストというのはあり得ない。

常識的にもわかるそういうことをあえて書こうと思ったのは、この記事を読んで、「なんだかなあ」と思ったから。

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書いてあることにウソはないのだけれど、なんだかポイントを外している。それは、この著者自身に問題があるというよりもその元になった論文

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の研究の設計に問題があるようにも思うのだけれど、それをあえて取り上げたのはこの朝日の記事の著者なのだから、まあ、それを弁護の材料にすることもないだろう。

最初に断わっておくと、私は

葛根湯でも総合感冒薬でも、あるいは薬を飲まなくても、おそらく大差はありません。つらい症状が出ていない段階では、病院を受診しなくてもかまいません。むしろ、インフルエンザなどの他の病気をうつされるかもしれませんので、あまりお勧めしません。

という結論部分に関しては、何も文句をいうつもりはない。というか、なかなか医者としては言いにくいことをよく書いてるなと感心する。たぶん、医学なんてのは、世間がそういうふうに祀りあげているほどには、健康に寄与してくれない。だからといって無意味だというつもりは、もちろんない。そういう話ではなく、何でもかんでも医者のいうことが正しいみたいに思われたのでは、医者の方でも迷惑だろうと思うわけだ。とはいえ、この記事は医者が書いているわけで、「医者が言うからそうなんだろう」というのは、やっぱり医学に対する盲信のようなものの延長でもあるように思う。このあたり、切り分けはなかなか厄介。

 

ともかくも、研究の設計に問題があると思うのは、記事の中でも触れられているように、処方が画一的である、という点だろう。「風邪のひきはじめに葛根湯を飲むと効果があるという主張もありますが、」というのが冒頭に書いてあるが、そもそもそういう主張をしているのは、申し訳ないが身体のことにあまり関心も知識もない一部の人々ではないのだろうか。これはまるで、「パソコン入門者にはMacがいいという主張もありますが」という前提で研究しているようなものだ。いや、確かにMacはスタイリッシュだし、初めてパソコンを触る人にとっては使いやすいものかもしれない。使用者のストレスを測定したりサポートにかかる費用を比較するなどの研究もあっていいかもしれない。けれど、それは、「パソコン買おうと思うんですけど、なにがいいですか?」という人に対するアドバイスをする上ではたいした参考にはならない。ちょっとでももののわかったひとなら、「なんでパソコン買おうと思うの?」と質問するだろう。そして、「ああ、それならタブレットにしときよ」とか、「最終的にCGの勉強しようっていうんならグラボ積んだPCの方がいいよね」とか、もちろん、「何も考えんでいいMacにしときよ」というのも含めて、相手のニーズに合わせてアドバイスするだろう。決して一律に「初心者ならMacでしょう」とは言わないはず。

同様に、「風邪のひきはじめ」とひとくちにいったって、それだけで適切なアドバイスができるはずはない。そこに一律に「葛根湯」をもってくる発想そのものが批判されるべきなのであって、その発想をそのままにして「風邪のひきはじめに葛根湯の効果があるかどうか」を調べたってしかたなかろうと思う。世の中にはいろんな料理があるのに、あらゆる料理を出刃包丁と菜切り包丁でやらせてみて「出刃包丁に意味はありません」って言ってるような感じか。小難しい「証」なんて専門用語を使わなくったって、そのぐらいのことはわかる。

こういうことを書くと、(特に例の「キューレーションサイト」問題のあとでは)シロウトがいい加減な医学知識で有害情報を撒き散らすなみたいな批判を受けるわけだが、そんなふうに医学を聖別してしまうことのほうが健全な知識の普及によっぽど有害だと思う。というのは、医学が扱うのは風邪のごく一面にしか過ぎないからだ。そして、その風邪、common cold、上気道感染症、どう呼ぼうと、あの咳やくしゃみ、鼻水、微熱などの症状に対して医学がしてくれることはあまりたいしたことではない。その理由は、医学の中のことなので、それこそシロウトが喋るべきではないのだろうが、たいていの風邪薬が対症療法でしかないという事実がそれを裏打ちしているように思う。

医学的には風邪は悪化しないように症状を緩和して自然治癒を待つというのが風邪治療の実態であるのなら、たとえシロウトであっても、自分自身の経験と観察にもとづいて意見をいうことは何ら咎められることではない。というのも、症状の多くは自覚症状であって、「快・不快」が大きく影響する。そして、なにが快適でなにが不快なのかは、個人の感覚に依存する。個人の感覚を超えて危険な症状は、たとえば呼吸困難につながる咳込みとか後遺症を残しかねない高熱とかだが、多くの風邪はそこまでの過激な症状をもたらさない。じゃあ、どう対処するのっていうのは、個人の感覚に多くが委ねられることになる。

もっというならば、そもそも人はなぜ風邪をひくのか、ということだ。衛生が保たれ栄養状態の行き届いた現代、「絶対に風邪をひかない」と心に決め、それだけに専心すれば、ほぼ風邪をひくことなしに一生を過ごすことも不可能ではない。しかし、だれもそんな人生を歩みたいとは思わない。風邪のいちばんの原因は疲労だ。風邪をひきたければ、年末の時期、徹夜仕事を何日か続け、そのあとで薄着で街に出掛けてふらふら遊び歩いてから帰って寒い寝床にもぐりこめばいい。ほぼ確実に風邪にかかる。しかし、そのリスクを冒しても人は仕事をするのだし、ときには飲みに出かけるし、ここぞというところでは保温性よりもファッション性を重視する。風邪をひくというマイナスと、仕事をするという経済的なプラス、遊びに出るという精神的なプラスとを天秤にかけて、自分に最適と思う選択をする。そんなところまで医学は踏み込むわけにいかない。風邪が社会的な現象だというのは、そういうことだ。

 

だから、たとえば風邪の治療にしたところで、なにを求めるのかは社会的な状況によってちがう。たとえば私の場合、「しまった、うっかり風邪をもらってしまったなあ」と思うことがある。その段階で、もしも急ぎの仕事を抱えていたら、まず考えるのは、どうやってごまかすかだ。本格的に風邪をひきこんでしまう前に、この目の前の仕事だけは片付けなければならない。そのために必要な期間が何日あるかということを考え、その間だけはともかくも寝込まずに済むように、あらゆる手段を動員する。

しかし、いくら貧乏暇なしだからといって、そんな状況ばかりではない。「あ、やられたな」と気づいたときに、「ここしばらく忙しかったからなあ。疲れが溜まってるよ。ここらで休んどかないと先にいって本格的に身体こわしそうだなあ。2、3日なら抜けても大丈夫かもな」なんて考えて、必要以上の対策をとらない場合もある。そういう場合は、予定通りに風邪をひいて寝込んでしまうわけだが、それがいい休養になってくれる。

そして、風邪をひきこんでからの対症療法だってそうだ。とりあえず熱を出せないときは、解熱剤系の風邪薬だって使う。だが、それは風邪を長引かせる。少し休んでもどうにかなるときには、一気に熱を出してしまう。熱を出せるだけだしたほうが、風邪は早くに治る。そして、そういうときに使うかなり危険な手段が、私の場合は葛根湯だ。

 

葛根湯には、体温を上昇させる効果がある。これは、たとえばこういう動物試験の結果を見れば明らかだ。

ci.nii.ac.jp

記憶では、確か10年ぐらい前にヒト試験の論文も読んだような気がするのだが、ちょっと現物が出てこなかった。おぼろげな記憶では体温が0.4℃上昇するとあったように思うのだが、それはこの動物試験で0.6℃上昇するグラフがあるのと符合するだろう。投与後の体温上昇は、ほぼ間違いなく確認されている葛根湯の効果と見ていい。

だからこそ、たとえば葛根湯は肩こりに効くとされている。肩こりも原因のはっきりしない複雑な症状ではあるのだけれど、血行をよくすれば症状が緩和することが多いようだ。そして、体温上昇は血行改善に寄与するだろう。たとえば、次のような研究は、そういう考え方にもとづいて行われているようだ。

葛根湯の肩こりに対する改善効果とサーモトレーサーによる検討
矢久保修嗣、小牧 宏一、八木洋、上松瀬勝男

だからこそ、風邪のひきはじめに葛根湯を飲むと効果があるという主張」が生まれる。風邪は、体温の低下によって誘発される。体温を上げれば、本格的に風邪をひかずに済むかもしれない。だが、それはかなり限定された場面でしか有効ではないはず。

というのは、体温を確保する方法としては、葛根湯なんか飲むよりは厚着をし、湯たんぽを抱え、ストーブのそばに行き、あるいは風呂に入るなどの方法のほうが、はるかに効果があるからだ。しょうがを効かせたあんかけうどんを食うというのは、江戸時代から大阪に伝わる風邪除けの秘伝だ。たぶん、葛根湯以上の効果がある。

まして、風邪の予防のために日常的に葛根湯を飲むというのは、およそ本末転倒ということになるだろう。およそクスリというのは基本的に化学薬品であって、化学薬品に対する身体反応が薬効だ。それは日常的にあっていい刺激と反応ではない。実際、葛根湯を用もないのに飲み続けることによる健康被害も知られている。

感冒予防のために内服した葛根湯で発症した薬剤性肺障害
西山明宏、石田 直、吉岡弘鎮、橘 洋正、橋本 徹
 

こういう健康被害は、「シロウトだから」とか「医者のいうことを聞かないから」といった問題ではない。自分がなにを目的としてどういう行動をとっているのかを深く考えないことが根本的な原因であり、それは非常に安直な「風邪のひきはじめに葛根湯を飲むと効果があるという主張」みたいなのが広まっているという状況と裏表でもあるだろう。「ひきはじめにいいんなら予防にもいいだろう」と考えることそのものはおかしくもないが、その効能が体温上昇だということまで考えたら、葛根湯を飲むよりは下着を保温性の高いものに変えるほうがよっぽど効果が高いことがすぐにわかるはずなのだから。

 

風邪について考えるのは、実際に風邪をひいているときにそれをゆっくりと観察するのがいちばんの材料になる。理想的に進行する風邪の場合、まず最初に寒気がする。いくら着込んでも、カイロや湯たんぽを抱えても、ともかくも寒い。寒いから体温が下がっているのかといえば、この段階では体温は上昇しつつある。体温が上がっているのに、寒い。

この段階では、とにかく身体を温めてやる。毛布でも布団でも、ありったけをかぶる。湯たんぽを3つぐらい布団の中に入れることもある。寒いんだから温めるほうが気持ちがいい。というよりも、この段階でもしも熱冷ましなんか飲んだら、寒くってやってられない。それでも熱を下げたいときもあるにせよ、差し支えなければ熱が上がる間は身体を温める。

やがて、熱が上がりきってしまう。数時間は、高熱の状態が続く。そのうち、突然、寒気が消える。すると、汗が出てくる。体温が高いのだから、暑くって、汗が出るわけだ。そうなったら、汗ぐっしょりにならないように、こまめに着替える。そして布団を薄くする。普段通りに戻すわけだ。西洋式の古い医学ではここで水風呂に入れて急激に体温を下げるらしいが、そんなことをしたらたぶんまた振り出しに戻る。汗をかいたら着替えるのは、急激な体温の低下を防ぐためだ。それでも体温はどんどん下がっていく。うまくいけば、数時間で平熱に戻る。

そのあとでも、体温は微妙に上がったり下がったりを繰り返す。高熱のせいで食欲は落ちているし、体力も使い果たしている。体力を回復させるためゆっくり休んで、2、3日たったらすっかり元気になる。これが、理想的な風邪の進行だ。

 

この理想的な風邪の進行の中で、寒気がするとき、つまり、まだ初期段階で汗が出ていないときに、私は葛根湯を使うことが多い。この段階では、普段は有効な「外から温める」方法が、いくらやってもそれだけでは十分じゃない。そのときに、薬品の効果として体温を上げてくれる葛根湯は、確かにありがたい。

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だが、このような葛根湯の使い方は、かなり危険だろうと思う。いってみれば炎上しているところにガソリンを撒くような行為である。体温計を枕元に常備して常に体温の変化をモニタしながら、慎重に使わなければならない。自分にだからやるけれど、他人には勧められない。

 

実際、これが可能なのは「理想的な風邪の進行」の場合であって、たとえば長引いてこじらせた風邪とか、体力が消耗してしまっているときにひいた風邪のときなんかは、こんな荒療治はできない。特にここ数年は、こういうやり方がこたえるようになってきた。年齢のせいだろう。年齢だけでなく、体質にもよる。たとえばそれほど熱が出ない体質の人なら、使うクスリは葛根湯ではないだろう。

だが、いずれにせよ、自分の身体の変化をじっと観察することで、どのような手段をとるべきなのか、どのような手段をとりたいと自分が思っているのかがはっきりしてくる。観察してみれば、風邪のときの身体の変化はかなりダイナミックだ。その変化を楽しめるぐらいの気持ちになれば、風邪には勝てる。

ことしもたぶん、風邪をひくだろう。ことしはどんなふうに身体が動くのか、ちょっと楽しみな季節になってきた。ま、用心しよう。