トランプとヒラリーがどっちも嫌われる理由

私のような傍観者が分析することでもないのだが、今日の2回めの大統領候補ディベートを聞いていて、なんとなく理由がわかったような気がした。

タウンミーティング形式の今回のディベート、一般市民から選ばれた人々が質問する。そのなかで、非常に良い質問があった。これは私がそう思っただけでなく、会場が一斉に沸いたことからもわかる。「相手の長所は何でしょう?」という質問。これには両候補とも意表を突かれたようだった。特に今回の選挙は中傷合戦に陥っている。それまで卑劣とか嘘つきとか罵り合ってきた相手を褒めなければならない。これは難問。

そこはプロフェッショナルな両候補である。「子どもたちが素晴らしい」とか「闘争心が見上げたもんだ」とか、それまでの自分の言動と矛盾しない褒め言葉をすぐに引っ張り出してきた。それはいい。だが、ダメだなあと思うのは、与えられた時間の使い方。

この質問は、流れを変える非常にいいポイントだったはずだ。戦う敵を賞賛するのは、難しい。それだけでなく、敵を賞賛することは、大統領らしい寛容や、大局を見据える視点、感情に流されない態度など、器の大きさをアピールする絶好の機会だったはずだ。

けれど、両候補が持ち時間でやったことといえば、自己宣伝だけ。ほんの一言だけ賞賛の言葉を言ったら、あとはそれを切り口にした自分の宣伝。それだけかよ、おい、という感じ。ユーモアのカケラもない。

これは嫌われるわ。トランプには実行力があるかもしれない。ヒラリーは有能かもしれない。しかし、どっちも似たりよったりだ。自己陶酔、「オレに任せろ」というところでは、両候補は非常によく似ている。

政策内容に関しては、それは賛成も反対もあるだろう。だが、「オレに任せろ」という訴えに対しては、「よし任せた」か「ちょっとそれは…」しかない。その判断をつくりあげるのは、人物の態度だ。その態度が、「オレはエライ」では、人々は白けてしまう。

ほんと、罰ゲーム化した大統領選挙。そのなかで、ヒラリーは「ここから8年間」と、二期やる意欲満々をうっかりと漏らしてしまった。いや、無理でしょう。どっちが通っても、4年後にはもうご老体。共和党はポール・ライアンが来るだろう。民主党だって、若手はいくらでもいるはず。

さて、この先の4年で、大災厄が起こらなければいいがな。