スケールが変わると意味が変わる ─ 一千億円の損失を出せるもんなら出してみたい

ドナルド・トランプが18年間にわたって税金を払っていない可能性が報じられたとき、最初に思ったのは、「あ、私とおんなじだ」だった。

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ドナルド・トランプとたぶん同じ理由で私も自分の確定申告書のコピーは公表したくないのだが、これだけは認めよう。少なくとも過去5年以上、私は所得税を一銭も払っていない。理由は単純で、それほどの所得がないからだ。だが、一昨年度にはかなりの売上はあった。それでも所得税を払わずに済んだのは、さらにその5年前に大きな損失を出してその繰越損を算入できたからだ。ちなみに、毎年の売上が小さいと大きな損失がなくても少しずつ繰越損が蓄積していくから、ちょっとぐらい調子のいい年があっても課税対象になることはない。

自慢にもなんにもならない話だ。損失の繰越は青色申告をやっていれば、いまは税務署のサイトで自動でやってくれる。これをやっているから「税金の裏側まで熟知している天才だ」と賞賛されるのなら、私をはじめ、日本には天才が無数にいることになってしまう。なるほど、ノーベル賞が輩出されるわけ(ちがう!)

おそらく、アメリカでも同じだろう。税金に「富の再分配」という機能を期待するのであれば、少なくとも所得税に関しては低所得者には課税せず、高額所得者から徴収する、いわゆる累進課税制になる。だから、「所得税を払っていない人」は、世の中にふつうに存在するし、それを非難するのは見当ちがい。だから、今回の税務署類の暴露はトランプ候補には失点にならない。むしろ、多くの低所得者が、「ああ、あの人も自分たちと同じだ」と親近感を抱く方に働くのではないだろうか。

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だが、冷静に考えてみよう。そりゃあ、私のような低所得者なら、5年分の所得をすっかり帳消しにするぐらいの損失を1年間ですることぐらい実にたやすい。もともと課税所得があるかないかという低空飛行の自営だから、仮に課税所得が50万円という(私にとっては)絶好調な年度が5年続いたとしても、その前年にたったの250万円の損失があるだけで税金は一銭も納めずに済む。そして、250万ぐらいの赤字を出した年は実際にあるし、いや、それ以上の赤字の年だってあった。個人営業であるから、損失は基本的に自分で全額かぶらなければならない。貯金がガクッと減った。その貯金は未だに回復していない。

しかし、これが今回報道されている9億1600万ドル、およそ一千億円の損失だとどうなるのだろう。まさか、それだけの貯金を個人で持っているわけはない。いくら貧富の差が激しいアメリカという国の超富豪だといって、それだけの流動資産を保有しているとは思えない。というか、そういうキャッシュを持っているはずはない。一定以上の資産があれば、それをキャッシュで保有しているのは多くの場合最悪の投資だ。もちろん、リーマン・ショックのような証券の暴落局面ならキャッシュで持っていたほうが結果的に勝ちにまわれただろう。だが、通常であれば資産家は資産を投資する。投資することによって、通常の成長率を上回るリターンを得ることができる。これが貧富の格差を加速させている事実は、いまやだれもが知ることになっている。

だとしたら、トランプ氏が一千億円の損失を出したとき、その損失はどうやって補填したのか。しがない末端自営業のように貯金を取り崩したわけはない。資産を売却しなければ補填は不可能だったはず。

ここで、奇妙なことに気づく。資産を売却したら、それは所得になる。その所得は、その年度の損失をその場で埋め合わせるだろう。つまり、損失そのものが減少する。一千億円の赤字を埋め合わせるために一千億円分の資産を手放したら、その年度のキャッシュフローはトントンになる。もちろん簿記上は資産の減少として計上されるわけだが、そこは所得税の対象ではない。

一千億円の赤字を赤字のまま置いておく方法は、それを借金の形で計上しておくことだろう。借入金は収入ではないから、課税対象にはならない。その代わり、返済は経費にはならない。おそらくトランプ氏は会計上そういう形をとったのだろうが、さて、そうなるとだれが個人に一千億円もの金を貸すのか、ということになってくる。おそらくこれはトランプ氏自身の会社だろう。ただ、経営者であるトランプ氏が巨額の損失を被っているということは、当然その会社そのものが同様に損失を出しているはず。その会社に融資可能な現金があるのだろうか。頭のいい詐欺師なら、融資させといてからその会社を倒産させるかもしれない。まあ、バレるだろう。もうちょっと洗練された手法を使ったのかもしれない。

ともかくも、何らかの操作をせずに一千億円もの損失を出すことはできない。どんな資産家にもそれは物理的に無理。その無理をやったことで「天才」と評価されているのなら、それはそれで頷けなくもない。だが、それは、「所得税払ってないんなら私たちとおんなじだ!」という素朴な親近感とはかけ離れた世界の話。

 

スケールが変わると、同じ現象でも意味が変わる。これは自然界ではふつうに目にすること。たとえば田んぼで米をつくるという日本人が古くからやっている作業にしても、1枚の田んぼの広さが1反ならできたことが、そのままスケールをでかくして1枚の田んぼを10倍の1町とかにするととたんにうまくいかなくなる。水や土の物理的な性質が、規模を拡大するなかで同じようなコントロールを受け付けなくなるからだ。広い田んぼの管理にはそれなりの高度な技術が必要になる。けれど、農業から離れてしまった私たちのような町の住民は、数アールの狭い田んぼを見ても広大な田んぼを見ても、「ああ、日本にも秋がきたなあ」みたいな感想しか持たない。スケールの変化でまったく意味がちがうものがそこにあっても、同じにしか見えない。

ポピュリストは、そういった錯覚をうまく利用するのだろう。政治家の「庶民感覚」ほど、疑わしいものはない。同じように見えるものも、スケールが変わると意味が変わる。気をつけたいところだ。

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さて、新米の秋。美味しいお米をもらいに行かなければ。来週あたり、車を出そうかな。

 

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追記:あまりにも桁が大きいので計算間違いをしてしまった。「一千億円」を当初「一兆円」と書いてしまっていた。どっちにしても、私からはピンとこない数字。やれやれ。