火傷を炙るのは、そこまで非科学的なのか?

火傷は冷やすべき! だけれど…

ヤケドの応急処置は、流水で冷やすこと。水道水程度の温度の流水で20分間程度冷やしてから、程度がひどいようなら医者に行き、痛みが引いていたらあとは放置でいい。私自身はそうするし(ただし20分もやってられないので5分ぐらいで「ま、いいか」にすることが多いが)、身の回りでヤケドをした人がいたら必ずそうするように奨める。

なんでそういうことを書くかというと、しばらく前に、こういうブログ記事を見たからだ。

ameblo.jp

当然、私としては「そりゃあ、ないよな」と思った。けれど、要点はそこではない。別にどこかの誰かさんが風変わりな治療法をやっててそれが「ちょっとどうなんだろう?」というようなものであっても、別に私はかまわない。

気になったのは、はてなブコメでこれが実に悪しざまに叩かれまくっていたこと。

b.hatena.ne.jp

まあ、私だって「やめといたら?」ぐらいのコメントはつけると思う。けれど、まるで魔女狩りのようなコメントの数々を見ていて、「あ、これはちょっと、ちがうんじゃない?」と思った。どうちがうのか?

それは、流水の治療法が科学的であり、ホメオパシー式の「あたためる」治療法が非科学的であり迷信であるとする断定だ。本当にそうなのか? 根拠はあるのか?

たとえば、流水の治療法は、私ははるかむかし、子どもの頃に母親に教えてもらった。母親もどっかから聞きかじってきたのだろう。つまりは、伝承に過ぎない。その後、保健センターとか病院とかの掲示物やパンフレットなんかで同様の情報を見て、「ああ、自分は間違っていなかったんだなあ」と確認した程度。それって、科学的だろうか?

たとえば私が若い頃には、運動部では「練習中に水を飲むな」というのは常識だった。それは、先輩から教えられたことであり、多くの専門家が同じようなアドバイスをしていた。それは科学的だったのだろうか?

どちらも科学的ではない。「先輩がそう言っていた」とか「ママに教えてもらった」は、はっきりと非科学的な態度であり、たとえそれが自分の実体験に照らしてそこそこの説得力をもつものだと感じていても、それでもって科学的な追試をしたことにはならない。そういう意味では、「ホメオパシーでは冷やさずに温めるんだって!」的な知識をひけらかすのと「それはまちがっている!」と「ママに教えてもらった」知識で反論するのとは、五十歩百歩。どっちも科学じゃない。

じゃあ、科学的な根拠は?

科学的な態度で反論するのなら、実験と検証をやってからにしなければならない。ただし、科学の世界では、それを自分自身でやらなくてもいいことになっている。ちゃんと実験をした文献があれば、それを根拠にしてもいいことになっている。じゃあ、コメントをつけている人々はそういう根拠を持っているのだろうか。持っているのかもしれないが、持っていないのかもしれない。持っていることを明示して叩くんならかまわないが、「それが常識じゃない」程度の知識で「非科学的だ」「迷信だ」と叩いているんなら、それはやめといたほうがいい。

では、実際に根拠はあるのか。もちろん、流水で治療すべきだという文献はいくらでも出てくる。ただ、ここでちょっとおもしろい文献を見つけたので、紹介しておきたい。

A review of first aid treatments for burn injuries

上記リンクで見えるのは要旨だけだが、検索すると全文のPDFも出てきた。有史以来現在まで医学で用いられてきた熱傷治療についてレビューしているのだが、その基本的なスタンスがおもしろい。いわく、「すべて(の医療機関のアドバイス)が冷水を推奨しているにもかかわらず、火傷の応急治療は未だに議論の絶えないトピックである。多くの人々が未だに数百年、数千年前に処方された治療法を、「それが効くから」と使っている。そして多くの場合、それが有効であるかどうかの判定は難しい。初期の治験報告は対照が明確ではなく、もっぱら症例報告のみである。1950年以来行われてきた膨大な動物実験の結果は、互いに矛盾する。これは異なる機序によって発生する異なる程度に対応して熱傷のモデルが多様であること、長期的な傷跡を尺度として用いるのではなく、疼痛の軽減や浮腫といった短期的な効果の尺度が用いられていることによる」と、現代の常識的な治療法(流水20分)を強く推奨しながらも、他の療法の科学的根拠を否定していないことである。その上で文献批判を進めていくわけだが、もちろん結論は「流水20分」に落ち着く。とはいえ、その過程で読者は、必ずしも過去の治療法が迷信ではなく、また、現代の治療法も絶対的に科学的な真実とまではいえないことに気づく。

どういうことか。この論文では、冷水、温水、氷、自然植物療法(アロエベラ、ティートゥリー製品)、オイル(ラベンダー、タイム)、民間療法について、それぞれ科学的な根拠となった文献をレビューしている。当然ながら冷水に関しては治験から作用機序まで一通りの論文が揃っているのだが、他が絶無ということもない。温水に関しては、ホメオパシーと関連する文献もとりあげられてはいるが、それ以上に古くからヨーロッパでこの方法が採用されていたことと、その作用機序として熱傷によるショックの緩和という、ある程度説得力のある議論を掲載した古い論文がかつての根拠であったことも述べられている。つまり、「ヤケドを温める」というのは、現代では採用されていない方法ではあっても、かつては医学の世界で科学的な処方として採用されていたことがわかる。

アロエベラやアロマオイル、その他の民間療法に関しても、決して迷信ばかりというわけではなく、それぞれに、ある程度の科学的根拠が存在する。そして、どうやら熱傷の応急処置に関しては、実はまだまだ科学的知見が不足していることがわかる。というのも、どのような応急処置が傷痕を含めた長期的な治癒に効果があるのかということについては、熱傷の深度や原因によって一概にはいえないから、ということらしい。それに対して比較的研究が進んでいるのは熱傷直後の痛みの緩和や浮腫の予防、ショックの軽減で、これらに関しては流水20分の効果は明らかだ。ただ、どうやらその作用機序は、最初に原因となった熱を除去してそれ以上の進行を食い止める効果(数分以内に終わる)を除けば、あとは負傷部分の皮膚が外気にさらされることによる疼痛を抑える効果と、患部の免疫反応を遅らせることによる効果がもっぱらなようだ。そして、前者に関しては温水やオイルその他の方法で患部を覆うことは十分に意味があるし、後者に関しては長期的な治癒と関わってくるので議論の余地もある、ということらしい。傷痕の残らないような軽度のヤケドはどのみち放っておいたら治るので、負傷直後の痛みの緩和だけやっておけばそれで効果があったように見えるため、なおのこと効果の判定は難しいようだ。

明日、「迷信だ」と非難されないために

もしも科学だの迷信だのという話をするのであれば、単純な否定は避けるべきだ。確かに現代の科学的知見の蓄積からいえば、「流水20分」は最も推奨される方法だ。けれど、それが最終的なベストの応急処置であるかどうかは、実はまだわかっていない。当面はベストだ。だが、もっとよい治療方法が発見され、「流水20分」は決して推奨される方法ではない、という時代が来るかもしれない。科学には、それだけの余地が残されている。

そして、そうなったときに、人々は「流水20分」を「迷信だ」と叩くのだろうか? そうなったらおしまいだ。一応の根拠はある。ある程度の効果もわかっている。だったらそれをやることを責めてはならない。「もっといい方法があるよ」とアドバイスを送ることはできる。積極的にそれはすべきかもしれない。だが、古い方法は迷信ではないし、叩いてはならない。それが科学的な態度。

科学的な態度といえば、最近ではなによりも根拠だ、エビデンスだと言われる。しかし、重要なのは、エビデンスだけではない。たとえば自由だ。自由がなければ明日はない。

近年は、なにかというとエビデンスエビデンスとやかましい。いや、もちろんエビデンスは重要だし、私だって気に入らないことに対してはエビデンスを突き付けて(あるいはエビデンスがないことを指摘して)文句をつける。ただ、その一方で、エビデンスに固められたことしかできないのであれば、科学は、あるいは人間社会は進歩しない。エビデンスというのは過去の経験であり、エビデンスにもとづいた行動は基本的には過去の経験を超えることができない。人間は、ときどき「それはちょっとどうなの?」というようなことでもやってしまうものだし、そういう疑わしい経験の中から新しい知見が出てくる。根拠もなしに疑わしい行動ばっかりしている人はちょっとアレだが、ちょっとぐらいの逸脱は、大目に見たほうが世の中は進歩する。

批判は重要だが、それが非難や脅迫にまでエスカレートすると、およそろくなことはない。それは人間の自由を制限してしまうからだ。自由を奪うこと、それは科学的な態度ではない。

もちろん、人間がすべての行動を科学的に行うべきだというのはバカげている。人間の行動なんて基本的に非合理的なもので、感情というわけのわからないものに支配されている。ではあるけれど、すくなくとも科学の権威を借りて言葉を発する場合には、そこに科学的な何かがなければならないはず。

そうでなければ、次に「迷信」と批判されるのはあなたになるのだから。いや、「あなた」ではなく、私か。「ママに教えてもらった」知識でいまだにヤケドを冷やしているのだから。