宗教に関する断片的な思い出 - 1990年代の地方都市と農村で

私はノンポリであると同じくらいに非宗教的だ。ただ、これにかんしては個人的に引いている一線がある。「宗教」というものを私は2つに分けてとらえている。まずひとつは個人的な非合理な思考だ。もちろん非合理的思考のすべてが宗教であると考えているわけではない。非合理的思考のうち、なにかを畏れ、なにかを尊いものとし、自らの行動を律するものが宗教だ。これはほとんどの人間の内にあるものだと思う。なぜなら、世界は人間の頭脳が合理主義で解析できる限度を遥かにこえた複雑系として存在するからだ。どれだけ合理主義を信奉する人であっても、日々の生活を実行していく上では、なんらかの非合理的な信念をもたねばやっていられない。朝起きて「気分がいいな」と思うことに理窟は要らない。友だちをつくるときにいちいち自分にとっての利害を考えるやつはいない。飯は箸と茶碗で食うものであって、合理主義で食うものではない。人間の生活を構成しているものの大部分は習慣と信念であり、部分的にそこには合理的な根拠もあるのだけれど、そうであったとしても「昔からやってるから」とか「これはそういうもんだろう」みたいな薄弱なものであることが多い。そういった非合理的な習慣や信念のなかで、とくに畏敬の念にかかわるものを私は宗教であるととらえる。したがって、そういう意味での宗教は非常に個人的なものである。個人的なものではあるが、習慣や信念は社会的に共有される部分が大きいので、ある程度は社会的なものにもなる。そういった宗教的な思想に従って自らの行動を社会的に受容可能なものに整えていくことが「敬虔」な態度なのだと思う。そういう意味で、私は敬虔な人間でありたいと思う(思うだけで実際にそうだとは言っていない)。

そういった個人的な敬虔さを体系化し社会構造化したものとして、組織宗教がある。組織宗教は、もともと各個人のなかにある非合理的な習慣や信念を根っこにもっているので、多くのひとに受け入れられる。言葉をかえれば、多くのひとが共有する習慣や信念を、宗教という形で組織化する。この組織宗教が、私がとらえる2つめの「宗教」だ。組織宗教の特徴として、非合理的な思考になんらかの根拠を与えてくれることがある。なぜ朝の空気が気持ちいいのかといえばそれは神の恵みであるのだし、なぜ隣人を友としなければいけないのかといえばそれは神の愛である、という具合だ。そして、その根拠の由来に関しては、やっぱり合理的な根拠はない。聖典に書いてある、というのは決して合理的根拠ではない。それを信じるかどうか、だけだ。信じる動機としては、「だって昔からそうやってきて、人類はうまくいってきたじゃない」という経験則がある。そして組織的な宗教は、信念に関わる原理のほかに、組織に関わる原理でうごくようになる。自然選択的な原理によって、自らを維持できない組織が脱落していく結果、組織維持に一定以上のリソースを割く組織宗教のみが生き残る。キリストがペトロに教会を築けと言わなければ、キリスト教が後の世にのこったかどうか疑わしい。ブッダの教えはサンガが継承・発展させたのだし、宗教改革プロテスタント教会がなければ組織的な抵抗にはなり得なかっただろう。組織宗教の重要な特徴は、組織そのものの存在にある。そして一般に「宗教」とよばれるのは、この組織宗教だ。

私は敬虔なひとでありたいと願う(願うだけかもしれないが)一方で、組織宗教は願い下げだ。それは坊主を嫌い続けた(それは多分個人的怨恨だったのだが)父親の影響であり、それ自身が非合理的な信念だ。いわば、宗教的信念によって組織宗教に反発する。とはいえ、積極的に組織宗教の本山に火をかけにいくような織田信長でもなくて、寺社に行けば小銭をさらって賽銭ぐらい投げる。葬儀に行けば坊主の読経も聞くし、結婚式では十字架に頭を下げる。自分自身は組織宗教と無縁でいたいと思うが、組織宗教が歴史的に果たしてきた役割や未来に果たす可能性がある役割まで否定しようとは思わない。

もちろん、歴史をみれば組織宗教が行ってきた悪行がそこかしこに目につくだろう。気分がわるいのでいちいちはあげない。その一方で見逃してならないのは、組織宗教が多くの弱者を救ってきた事実だ。たとえば仏教なんかは、もともと衆生の救済がその最大の目的であったわけで、歴史的に貧民救済事業なんかはずいぶんとやってきた。教会もそうだ。ムスリムに関して私はまったく無知なのだけれど、イスラム教の拡大の背景にはそれが社会の相互扶助を基盤としていることがあると聞いたこともある。権力から見放された人びとに力をあたえることは、多くの宗教が果たしてきた重要な役割だろう。

とくに、多くの宗教は、神の前での平等観から、社会からはじき出されたひとを積極的に拾い上げてきた。社会のなかに居場所を失った人びとを吸収する役割を果たしてきたのである。罪人であっても、悔い改めて宗教組織のなかで修行に励んで救済される道が用意されていた。江戸文学には寺に入って更生するような物語もあったように思う。宗教は、社会が養えなくなった規格外の人びとを引き取ることもできた(ある部分ではこのあたりは昔日のヤクザとかぶる部分もあるのだけれど、その話は長くなるだろうからやめておく)。組織宗教が提供する物理的な構造物は、あるときはシェルターとしての役割も果たした。そして、加賀の一向一揆のように、ときには権力に対抗する拠点にもなり得た。

 

もう20年以上前になるのだが、私は丹波の農村に一時居留していた。そのときに見聞きした話だ。ある家に、40歳に近い独身者が住んでいた。近所のひとの言葉では、彼は心の優しい人であった。けれど、勉強ができたわけではなく、また人付き合いがうまいわけでもなかったので、いつのまにか職をうしない、無職と、ときに臨時的な雇用との間を行ったり来たりする生活を続けていた。その数年前からは非正規の職もみつからず、母親の年金に頼って先祖伝来の田舎家でほそぼそとくらしていた。だが、そこで母親が亡くなり、彼は窮地に立たされた。彼が窮地に立たされたというよりは、その小さなむらで、地縁共同体的な関係にある数軒の家が困った。放って置いて餓死させるわけにもいかない。働きに出てくれればいちばんなのだが、本人にその気も能力もなさそうだ。野菜ぐらいなら余り物をもっていってやらないでもないが、現金までは出せない。一家をかまえる力のない男に、近所づきあいもできない。つまり、農村の相互扶助社会の一員としてみとめられるだけのことができない以上、相互扶助の対象になりにくいわけだ。なお、彼の家屋敷の権利は末子である彼ではなく、とうに地域をはなれてしまっている跡継ぎの血筋の方に移っている。無資産・無収入で、ただそこにいるだけの存在だ。本人もこのままではどうしようもないとわかっているのだが、かといってすでにどうしようもない状態が何年もつづいているので、いまさらといえばいまさらで、どうすればいいのかもわからない。通りすがりからみればいくら親戚の所有になっているとはいえ家賃をとられるわけではない家に住むことはできるのだし、1人が食うぐらいの小銭は稼げなくはなかろうと思うのだが、そういう生活力みたいなものと無縁で何十年も生きているとそれは相当に難しいことでもあるようだ。

そこで近隣の世話人的な縁者や遠い都会の跡継ぎ筋の親戚が相談した結果、彼は天理教に引き取られることになった。「天理教で修行をしてやり直させる」みたいなことを言っているひとがいたが、どちらかといえば天理教に厄介払いしたような印象でもあった。ただ、それが彼にとって一概に不幸であったとも思えない。教団の方で元気にやっているという噂も聞いた。持病もあるような話だったから、草深い田舎でひとり引きこもっているよりは、健康にもよかったのではないだろうか。田舎では社会的に居場所を見つけられなかったかもしれないが、宗教組織のなかで、どこかに自分の居場所を見つけたともいえるだろう。よかったとかわるかったとか言えるほどに私はそのひとも前後の事情も知らないのだけれど、そのときに、「宗教というのはこういう役割を社会のなかで果たしてきたのだなあ」と感じた。

 

私がこの農村に身を寄せていたのはわずか2年ほどのことだ。その前後は、そこから10kmほどはなれた地方都市でくらしていた。およそ、丹波という土地は、さまざまな宗教の交差点だ。PL教や真光教の源流でもある大本教の発祥の地でもあるし、古来の寺社仏閣も多い。金光教天理教といった老舗の新興宗教の教会、もちろん創価学会支部もあった。

私が仕事をしていた事務所にしてからが、4階建てビルの4階にあったのだけれど、すぐ下のフロアには幸福の科学が入っていた。いや、私の事務所さえ、ずいぶんと怪しげだった。これは書きはじめると長くなるので端折るのだけれど、今回の選挙でいったら参政党みたいな感じのミニ政党(結局誰も当選しなかったので政党ですらないが)の事務を引き受けてたときもあるし、農業関係の小さな雑誌の発行所であったこともある。ある意味、幸福の科学以上に怪しげな人びとを惹きつける磁力を発していた。もちろん、まともなひともたくさん出入りしていて、私はいまでもそういった農村の人びとから力をもらっているのだけれど、紛れるように怪しい人もずいぶんとやってきた。ま、私自身がかなり怪しいので、類は友を呼ぶのだろう。

そのなかのひとり、Kさんは、統一教会の人だった。もちろん(といっていいのかどうかわからないが)最初からそうだといっていたわけではない。どういうツテで現れたのだったかもう覚えていないのだけれど、Uターンの新規就農者ということで自己紹介があった。農協の発行する機関紙の紙面トップに写真入りの記事があるのを見せてもらった。その頃で40歳ちょっとぐらいの、農村部では若手とよばれる年齢層の人だった。もううろ覚えだけれど確か10メートル×50メートルの相当におおきなハウスを2棟建てて施設園芸をやるのだという。「回転をあげて稼がないといけないから、小松菜とホウレンソウでいこうと思うんです」みたいな話だった。そのときには、「すごいひとがいるもんだなあ」と感心した。数百万円の投資をして、それを上回る売上をあげて経営を回していこうという。「もちろん無農薬です」と胸を張るので、売るのがたいへんでしょうというと、産直組織があって、そこにおくるのだという。「自分がつくる野菜だけじゃ手配できないから、市場のセリに参加する権利も手に入れたんですよ」という。地方都市の市場は、片手間で趣味のようにつくっている野菜が持ち込まれることもあるので、目利きをしっかりすれば品質のいいものを安くで仕入れることもできるのだそうだ。そういう野菜を仕入れてきて「産直」(と言えるのかどうか疑問だとそのときも思ったが)で消費者に直送する。そこに自分がつくる菜っ葉類を加えれば、売上は安定するというわけだ。たいしたもんだよねえと、素直におもった。

つぎにあったのは、まだ寒い2月の頃ではなかったかと思う。すっかりしょげていたので聞いてみると、大雪にハウスを潰されたのだという。大型ハウスは構造上、雪に弱い。とくに日本海側の重い湿った雪は、多くの被害をもたらす。それは地元の人だからよく知っていて、パイプも一回り太いものを使って頑丈に組み立てていたのだけれど、それでもやられてしまった。なにせぐんにゃり曲がってしまっているので、修理などできない。全面的に建て替えるぐらいしか方策はないけれど、そのためには倒壊したハウスの破れ果てたビニルや折れ曲がった鉄管を撤去しなければならない。産直のネットワークを抱えていることがこういうときには裏目に出る。野菜を安定して供給し続けるためには毎日の市場からの仕入れと出荷作業が欠かせず(平常時の数時間のハウスの世話に割く時間は余裕であるとしても)、こういう非常時にハウスの撤去に集中してかけられる時間が取れそうにない。

ここで、私は施設園芸の過酷な経済を教えられることになった。Kさんが「農協の融資」だといっていたのは、実はリース契約でしかなかった。「3年で完済したらあとは自分のもの」といっていたハウスは、(農協職員の口約束は知らないが)実際には3年の使用権でしかなく、つまりはその数百万円の投資は、投資でもなんでもなく、少なくとも契約上は施設使用料でしかなかったようだ。最初の数年は売上をすべてつぎ込んで融資の返済に当てるという計画は、実はどこまでいっても売上は農協に入っていくというしくみでしかなかったようだ。もちろん、口約束ではたぶんリース落ちのハウスは「どうぞ使ってください」ということになるのだろうし、その際のハウスの土地の使用料は微々たるものになるのだろう。にしても、それは契約書のどこにも書いていなかった。しかしまた、もしもハウスの所有権が農協のものであるのなら、大雪被害による損失は農協のものであるのが筋だと思われた。けれどKさんによれば、倒壊したハウスでも、融資の返済は続けなければならない。融資じゃなくてリース契約なんだろうと思うが、どうもそれ以外にも新規就農資金の融資はうけているようで、話が混乱している。なにが正しいかわからないが、毎月の支払いだけは確実な数字のようだ。なんだ人生のすべてを農協の借金のカタにとられてるみたいじゃないかという感じだ。これがUターン新規就農の現実なのかと、まだまだ田舎のシロウトだった私は暗澹たる思いでその話を聞いた。

けれど、Kさんはしょげてばかりではなかった。どこからその信念がくるのだか、とにかく頑張るという。そこで私は、ひとつ提案をした。地方都市に引っ越して1年以上がたつというのに、私はまだ自分の畑というものがなかった。せっかく農地が郊外に広がる場所に住んでるのに、土に触れる機会がない。運動不足にもなる。だったら、Kさんがハウスの残骸を片付けるのを手伝うというのはどうだろう。その代わり、Kさんが出荷するのに余る野菜を分けてもらう。私にとってわるい取引ではないような気がした。

Kさんは、一気に元気を取り戻した。「神様が助けてくれた」みたいなことも言っていたように思う。その頃までにKさんがクリスチャンだということは聞いていたので、「信仰のある人は言うことがちがうなあ」ぐらいに私は思った。そして、それから1ヶ月ばかりたって春の日差しが戻りはじめたころ、私はKさんに連れられてその倒壊したハウスの現場を訪れた。思った以上に悲惨な状況だったが、私はこういうグチャグチャなところで頭を使いながら身体を使うのは嫌いじゃない。半分楽しみで片付けに通うようになった。Kさんは1回か2回野菜をくれたほかは忙しいのかめったに会わない。けれど、近所の婆さん連中が通りがかりに野菜をくれるようになった。隣のハウスのプロ農家とも知り合った。彼は地元の若手ホープであり(といってもKさんとたいして年齢は変わらない)、トマトを周年栽培していた。なるほど、このぐらいしっかり出荷できるなら、農協の支払いもどうということはないのだろうという感じだった。もちろん大雪でもハウスを潰すことなどなかった。

鉄骨やビニルの残骸を片づけた跡地に、ハウスが再建されることはなかった。Kさんにはとてもそれだけの余力はなかったわけだ。その代わり、Kさんは跡地に露地栽培をはじめた。たかが1反ほどの露地栽培でどれだけの売上が見込めるのかわからなかったが、放置しておいたところで始まらない。私も手伝って夏野菜を植えた。けれど、その収穫ができる頃になると、Kさんは畑に現れなくなった。ナスもトウモロコシもどんどん盛期を過ぎるから、しかたないので私は出荷できなさそうなのからもいで食べるようになった。たまにいいのがなくなってることがあったから、「ああ、Kさんが出荷したんだな」と思う程度で、その夏はほとんど顔を合わせることがなかった。そのまま季節が巡って翌年の春ぐらいじゃなかったかと思う。突然Kさんが事務所にやってきた。そして、「仲間がやっている集会があるんだけど、来ないか」という。ここに来てようやく、私はKさんの「キリスト教」が、カトリックプロテスタントの教会ではなく、なんらかの新興宗教なのだろうと思い至った。めんどうなので断ったのだけれど、しつこく言うので詰まっている予定表を見せると、「その空いている日でいい」と言う。そうなると断るのもおかしいので、じゃあその日に、と訪問することにした。行ってみると、学生の頃に話に聞いたことがある統一教会だ。なんだかしらないけど奇妙な踊りをしてるビデオを見せられ、「どうだ?」と聞くから「いや、もういいです」みたいなことを言って退散した。実際、たかが数十分のビデオだったけれど、時間を損した以上の感想は出てこなかった。あれ、なにがしたかったのか、未だに理解できない。

その後、Kさんとあったとき、「まつもとさんは神の使いだと私は信じていますけれど、神様のことを話したくないのは理解しますから、まつもとさんとは農業のことだけにしますね」みたいなことを、気を悪くしないでください的な口調で言った。私は別に人の信仰はその人のものだからどうでもいいと思っていたので、とくにKさんとの関係がその一件で悪化したこともなかった。ただ、いろいろと思い当たるフシはあった。

Kさんの「産直」は、つまりは統一教会の信者向けの事業だったのだ。だから、安定していた。信者なら、教会関係で回ってくる野菜には文句を言わずに金を出すだろう。そういう意味では、Kさんが曲がりなりにも新規就農者として食っていけたのは、統一教会のおかげであるわけだ。けれど、その売上の大半は、農協への支払いに充てられる。Kさんは、産直の売上だけでは足らず、いろいろとアルバイトを掛け持ちするようになった。そうやって稼いだお金でなんとか農協への支払いを続ける。「3年で完済したら」という話を何度も聞かされたが、隣のハウスのプロ農家の話とかいろいろ総合すると、どうも夢を見ているような気がしないでもない。子どもも多く、家族を養うのもたいへんなKさんは、たまに顔をあわせるといつも忙しい、しんどい、金がないと言っていた。そして、たまに神様のことを話した。話してから、「あ、まつもとさんにはこういう話はしないことになってましたね」みたいに謝るのだけれど、神様の話をしているときは目の光り方が全くちがっていて、正直、私は少し怖かった。

その後も私はハウス跡の畑に通い続けたけれど、Kさんはもう現れなくなった。畑の主がいないとはいえ、放置したら草だらけになるだけだ。仕方ないので、私は自給用には広すぎる畑を自分の裁量で耕すようになった。そうやって出入りしていると、近所の人から噂を聞く。Kさんは最終的にはもちこたえられず、都会に舞い戻っていったそうだ。農協と宗教、どっちがKさんの生活を破壊したのか、私にはいまもわからないでいる。

 

とにもかくにも、組織宗教は願い下げだ。それは、新興宗教だけではない。いや、むしろ旧来の宗教の方に私は強く反発を感じる。それは先に書いた父親の私怨(たしか小学校時代にお寺のボンボンに地域でもっとも貧しい地区の子だというだけで相当に馬鹿にされたとか言っていたと思う)の影響もあるのだろうが、やっぱり先に書いた農村に居留していたときの経験が大きく影響している。数十軒しかないちいさな集落だったのだが、高齢化の時代ということもあって、何度も葬式があった。その葬式のたびに、きらびやかな格好で地域の寺の僧侶がくる。あるとき、私の住んでいる家の隣人が死んだ。50歳前の、農村では若いひとだ。元は板前だったらしいのだけれど、身体を壊して生家に引きこもるようになっていた。数年前に同居していた母親が死んでからは、母屋は荒れるままにして、離れに引きこもって病身をいたわっていた。その彼が、死んだ。無一物の貧しさの中でしんだ。その葬式、坊主がベンツでやってきた。デカすぎで、むらの道に入らない。交通整理係が嘆くのだ。あんな外車、傷をつけるわけにもいかないし、かといって坊さんを遠くから歩かせるわけにもいかない。あちこち整理して、ようやく場違いな空き地にとまった車から降りてきた血色のいい僧侶を見て、私は心底、仏教というものに絶望した。これはありえんわと思った。貧しさのなかに放置した挙げ句、死んだらいそいそとやってきてお布施をぶんどっていくのかよと、呆れるばかりだった。

 

農業は、宗教と相性がいい。複雑系である農業は、合理主義でつめていってもなかなかうまくいかない。やるだけのことをやっても、結局は祈ること、感謝することでどうにかなる部分はなくならない。だから、農村には古くから地域の寺社があるのだし、明治や昭和の頃からの新興宗教もけっこう根を張っている。世話になった農家でお昼をごちそうになったとき、その床の間に真光さんの軸がかかってあるのにようやく気がついたこともある。列車の窓から「あれが大本の農場」と教えてくれた人もいた。新規就農の若い人たちには、そういった組織宗教には属さないけれど、「スピリチュアル」な指向性をもった人がすくなくなかった。自然を相手にする仕事をしていると、やっぱり人間を超えたなにかを思ってしまうのは無理のないことなのだろう。

私はそういうものを否定したいとは思わない。一方で強く合理主義を信奉しながらも、同時にそれで全てが割り切れるもんじゃないよとも思っている。だから最初に書いたように、できれば敬虔な人でありたいと願っている。だが、組織宗教の生臭さ、胡散臭さには辟易する。宗教に限らない。組織というものには、つねに警戒心を抱く。それは、組織が不可避的に組織の維持・拡大を原理としてそこに組み込んでいるからだ。

人間は社会的存在であるから、かならず他者と協同して生きる。その協同のあり方に秩序をもたらすのが組織だ。だから、組織をつくることは社会生活においてはごくあたりまえなのだし、その組織が安定していることも、ある程度は重要だ。けれど、組織は目的ではない。目的を果たすための道具だ。目的が達成されるのであれば、組織そのものの存在は重要ではない。ところが、一般に、組織はその組織の維持・拡大を目的に組み込んでしまう。宗教でいえば、かならず布教が信者の義務になる。なぜなら、維持・拡大を意識しない組織はやがて消え去ってしまうからだ。「生き残るものだけが生き残る」という身も蓋もない自然選択原理によって、維持・拡大を原理に組み込まない組織は消えていく。ときには、本来その組織ができた目的以上に、維持・拡大に特化した組織だけが生き残っていく。宗教に限らない。既得権益をがっちりおさえてあらゆる手段で新規参入者をはばむような組織をみていると、「それって本来の自分の存在意義を忘れてるんじゃない?」とおもわざるをえないことがよくある。そういった組織のもっともおおきなものは、国家であるかもしれない。本来は人びとの幸福を最大にするために存在するはずの国家なのに、やたらと好戦的で、勢力の維持・拡大に多大なリソースを割く軍事国家などはその典型だ。ミサイルにかける金を困ってるひとにまわすのが本来だろうとおもうのだけれど、それでは生き残れない。結局は人民を飢えさせても軍備を増強するような国が生き残ってしまう。

そういう奇妙な現実を是正していくには、組織なんてないほうがいい。けれど、なければ不便だろう。だから、あらゆる組織には、その寿命をあらかじめ設定しておくべきだと、私はいつのころからか夢想するようになった。存続のための存続をゆるさない天寿があれば、組織の自己目的化は避けることができるんじゃなかろうか。そういう夢想は、やっぱり非合理的で、だから私の宗教なのかもしれない。さて、布教活動を…

蕎麦の思い出 - たいした話ではないけれど

蕎麦、といっても麺類としての「ソバ」ではなく、穀物としての蕎麦を初めて意識して食ったのは、たぶん20代の終わり頃、信州の土産で「蕎麦米」を買ったときだと思う。信州土産といえばそれ以前に蕎麦茶は何度かもらったり買ったりしていたので、そこまで遡るともうちょっと古い話になる。蕎麦茶は香りがいいので好きだったが、どういうわけか2種類、全く別々のものがあるのを不思議に思っていた。いずれも玄米茶と同じように蕎麦を炒ってあるのだけれど、いまにして思えば丸い粒のまま炒ったものと、粗挽きにしていったものだったのだろう。その後、粒のままの蕎麦茶には巡り合わない。

なぜ「蕎麦米」を手にとったのかといえば、その頃、私は意識的に米を食わない生活をしていた。まあ、外食したときには食べるので完全に忌避していたわけではないのだけれど、自炊では基本、米は食べない。その代わりに雑穀を主食にする1年を過ごした。雑穀には粟、黍、稗の3種があるが、いろいろと漁っているとその他にもシコクビエとかキヌアとか、いろいろあることがわかってきた。おもしろいと思っていろいろ手を出すうちに、蕎麦米を見つけたわけだ。ひょっとしたらそういう生活をしている私をおもしろがって、当時よく家に酒を飲みに来ていた友人が買ってきてくれたのだったかもしれない。自分で買ったのか、もらったのか、記憶が曖昧だ。ともかくもその友人と、蕎麦米をネタに飲んだ記憶がどこかに残っている。

蕎麦は、本来粉に挽く。粉に挽いたほうが合理的だからだ。というのも、蕎麦殻(枕のクッションに使われる)は脱穀しにくく、力を込めると脱穀する前に穀粒が割れる。割れるのなら脱穀せずに粉に挽いて蕎麦殻は篩い分けたほうがうまくいくという原理だ。その点は小麦とよく似ている(小麦は殻ではなく種皮なのだけれど)。

信州名物の蕎麦米は、わざわざ蕎麦粒を蒸してから干し直して、デンプンを固め、その上で脱穀するのだそうだ。手間がかかっている。米の貴重な山間部で、それでも米のように蕎麦を食べたいという執念が結実したのではないか、みたいなことがどっかに書いてあったように思う。ツルンとした感じで食感は悪くないが、あまりありがたみもなかったように記憶している。

そのうち私は雑穀から小麦に主食を移していった(あちこちとよその家の飯を食うことが増えて結局米断ちも解禁した)。小麦は粉だから、いろんな粉に興味が移っていった。たとえば「はったい粉」は、大麦の粉で、かつては日本全国で食べられていたものだ。日本に限らない。ブータンではいまでも普通に食べられていると聞く。これは大麦を炒ってから挽いてあるのだけれど、それは小麦と大麦の粒の性質のちがいによる。そんなこともだんだんと身をもって学んでいった。そして蕎麦に再会した。当時はまだ限られたスーパーにしかなかったが、それでもごく当たり前のスーパーマーケットの棚に蕎麦粉を発見したわけだ。

蕎麦粉は、加熱時間がごく短時間で糊化する。とことんでいえば、熱湯をかけてかき混ぜるだけで食べることができる。蕎麦掻きだ。だから、薄焼きのクレープなんかがうまくいく。ただし、蕎麦の粉は水との馴染みが良くない。小麦粉とは明らかにちがう。なるほど、蕎麦打ちが趣味になるわけだ。

 

そのうちに私は地方都市に引っ越して、数年のうちによくわけのわからない耕作者になった。自家菜園にしてはやたらと広い場所を、自分のものでもないのに耕すようになった。そして、友人に蕎麦のタネをもらった。「どうすんの?」と聞いたら、「さあ。私ももらったからわからない」という。一応、春蕎麦と秋蕎麦があるとか、蕎麦は75日とか、そういう古い農書に書いてあるようなことぐらいは耳学問としてあったから、この辺の時期かなと思うところで畑に播いてみた。いまとちがってまだネットの情報もない頃だから。

蕎麦はきれいに発芽した。そして、どんどん伸びた。盛夏を過ぎた頃だったけど、まだまだ夏草は伸びる時期だ。けれど、雑草に打ち克つスピードでどんどん成長した。そして、思いもかけずしっかりと収穫できた。僅かなタネを15メートル×2条ぐらい播いただけだったけれど、1kgぐらい穫れたのではなかったかと思う。別に何というアテがあってつくったわけではない収穫、どうしようかと思っていたら、友人の友人が蕎麦打ちを趣味にしているというので、来てもらって蕎麦打ち大会となった。

ところがどっこい、これを粉に挽くのが実に厄介だ。代わる代わるに石臼をゴロゴロと回すのだけれど、いっこうに粉にならない。結局、その粉で打ったのは1回分だけで、あとは持参の粉をごちそうになったのだったと思う。穀物の粒を粉に挽くのは、相当にたいへんだ。よくこんなことをやろうと思ったなと呆れてしまう。それでも食うという執念が、人間をここまで変えてきたのだろう。おそろしい。

 

蕎麦はその後も、数年の間は毎年のように播いた。というよりも、半ば雑草として生えていた。蕎麦の実は、熟するとどんどん脱落する。稲のように刈り取って干していても、あんなにきれいに穂に残るようなものじゃない。だから、収穫できる実の量と畑に落ちる実の量と、どっちが多いかというぐらいになる(もちろんプロはそんなアホなことはしないだろうけれど)。結果、畑に大量のこぼれ種が残るから、翌年以降も雑草のように発芽する。

蕎麦の若い葉っぱは、刻んで薬味にできる。あの頃は、よく雑草化した蕎麦やらしそやらの葉っぱを集めてきては、刻んで食っていた。そこらの草を食ってれば、あとは貰い物でけっこうどうにかなる。そんな生活は、それなりに安定していたなと思う。古い思い出だ。

電力逼迫時にEVの急速充電を割高にするのは、ありだと思う - 1人のEVユーザーの視点から

こちらのTweet

ぽよぽよちゃん。 on Twitter: "電力逼迫注意報か警報が出たらEVの急速充電料金を10倍にしろ論。ええぞやったれやったれ。 https://t.co/ngr9rpZEh1" / Twitter

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実際、EVの電池はオフピーク時の充電によって電力需要の平準化に役立つ面もあるから、ピーク時には控えるような合理的判断を価格の方でコントロールするのはありかなと思う。どうしても必要なときは高くても払うから

2022/06/28 15:03

b.hatena.ne.jp

に、やたらと星がついている。このコメントはそのとおりで特に補足も何もないようなものだけれど、一応、私が9ヶ月のEVユーザーで、そして、ユーザーの感覚として「それはありだろうな」と思っているのだということは付け加えておいたほうがいいのかなと思って、書く。

まず、基本的にEVの充電にかかる電気代は安い。このガソリン価格高騰の折、実際、EVで助かったなと思う。どのくらい安いかというのは、実際には車によって大きく異なる。私は中古の三菱iMiEVに乗ってるが、電池がヘタっているので、充電性能も良くなく、さらにいえばもともと急速充電器の高電圧に対応できないので、そういう意味ではあまり安くない。ちなみに、自宅の充電は自宅の電気契約によって電気代が異なるわけだが、公共の充電設備での充電は、基本的に充電器の使用時間割の支払いになる。1分あたりに何円という価格設定だ。だから、同じ時間でも大量の電流を流すことができる最新式の電池を搭載したEVのほうが、圧倒的に電気代が安くなる。おそらく半額とか、4分の1とかのレベルで安くなる。だが、そこまで安くならない私の旧式のEVでも、距離あたりの値段にしたらガソリン代よりも安い。

具体的にいうと、200Vの通常充電器の場合、1時間で20kmぐらいの走行が可能な程度の電気が入る。私がいつも使うイオンの充電器は1時間で100円なので、100円で20kmだ。去年まで乗っていた軽は、リッターあたり17kmぐらい走ったから、いまのガソリン代なら20km走るのに200円ぐらいになるだろう。つまり、ガソリン車の半額だ。

急速充電の場合、三菱車なので、三菱のディーラーなら、1分あたり5円で入れられる。30分充電すると30kmぐらい距離が伸びるから、通常充電とほぼ同じ価格だ。悔しいのは、急速充電器の場合、上記のように最新型ならその2倍、3倍の電力量は同じ時間で入るので、さらにさらに激安になる。うまくすれば燃料代はガソリン車の2割とか、その程度でいくんじゃなかろうか。

そして、多くの場合、自宅で充電すればもっと安くなる。このあたり、契約によって大きく異なるのでなんともいえないのだけれど、kWあたり料金が30円としても、外で充電する場合の半額程度ではなかろうか。まあ、電池の性能がよければ、ディーラーで急速充電するほうが安いのかもしれない。このあたりは、私がそういう高級車を持っていないので、わからない。ときどきディーラーで高速充電器を占拠している高級車を見るから、そういうことなのかなとも思ったりもする。

ただし、私の場合、自宅充電はもうタダみたいなものだったりもする。というのは、10年の買取価格保証期間を過ぎた太陽光パネルが屋根の上にあるからだ。価格保証が過ぎると、買取価格は二束三文になる。この二束三文の電気、売らなければ、ある意味、二束三文で使うことができるということにもなるだろう。天気のいい日を見計らって、充電する。この場合、100Vの電圧なのでずいぶんと時間はかかるけれど、そのほうが電池のためにはいいのだし、時間なら通常はたっぷりある。こうすれば、実質の燃料費はタダ同然で、EVに乗れる。もちろん、たまには曇りの日が続いたり、翌日の予定のために夜間に充電しなければならないときもあるから、やや高めの電気代を払わなければならないときもある。それでも、ガソリン代に比べたら微々たるものだ。

実のところ、こういう詳細をレポートして記事にしようと思っているのだけれど、もう少しデータをためたいので、先のことにしている。とりあえず、今日は、まず「燃料費はガソリンに比べたらほんとに安いよ」ということを知ってもらうことが第一だ。そして、そのうえで、「必要があれば少々高くても気にしないよ」ということを伝えたい。

このあたりは、ユーザーによって違うだろう。けれど、上記のような「自宅で充電するのがいちばん安くて便利」という状況があるときに、じゃあ、なぜ公共の充電器を使うのか、ということになる。それは、基本的には走行距離が延びて電気が足りないからだ。だが、EVでそこまでの遠出はしない。もともと遠出に向いていないのを承知で買ってるわけだから、近距離用途が中心で、たまに都合で遠距離に出る。だから、公共での充電が少々高くついても、全体としては燃料費にほとんど影響しない。あるいは、外で充電するときに、必ずしも満充電まで持っていく必要を感じない。不足分だけ入れられれば、帰ってから充電するほうが時間の節約にも電気代の節約にもなる。

実際のところ、急速充電器の価格設定は、スポットによってけっこう違う。ディーラーは1分5円だが、イオンは1分12円だ。そして、他社のディーラー(よく使うのは日産だが)は1分あたり15円したりする。3倍だ! けれど、30分制限の充電、たかだか300円だけ余分に払うだけといえなくもない。そして、ピンチを脱するためにそこに充電器があるなら、そのぐらいの出費は安いものだと思える。そこで10分だけ充電することで家に帰れるのなら、3倍と言わず5倍、6倍でも私は使うだろう。

仮に10倍の価格設定がピーク時に実施されたとして、基本的にはその時間帯の急速充電器の使用は避けるように行動を工夫する。けれど、車なんて、使いたいときに使えるから魅力的なのだ。だから、必要があれば、日中でも乗るだろう。そして、電池が怪しくなってきたら、やっぱり急速充電器は使う。余分な電気代にヒヤヒヤしながらも、しょせん数百円で電欠の難を逃れられるんだったら、そりゃ、やむを得ないと思う。それでもトータルで見たら、ガソリンに比べて遥かに優位にたってることがわかってるんだし。

 

だから、電力逼迫時に急速充電器の設定を変えるのは、それはそれでありだと思う。そうやって不要不急の使用を回避できればいいのだし、緊急の使用で儲かった分は、いろいろと有効活用できるだろうと思うし。

私は道に迷わない - だからアブナイ奴、という話

山岳部の連中は、案外とよく道に迷う。昔のことで、GPS使うのが一般化したいまのことは知らない。笑い話のようではあるが、反省会とか行くとアプローチで道まちがえたとか、下山の道に迷ったとか、割とよく聞いた。自分自身でも、しょっちゅう道を踏みまちがえてた。理由は簡単で、山岳部の連中は基本的には地形を読む。地形を見て、地図を確認し、自分の現在位置を把握して、方向を決める。だから、登山道のないバリエーションルートであるとか、あるいは登山道が雪に閉ざされてしまう冬山とか、そういうところでも安全に行動できる。ルートの選択は「あっちの斜面は雪崩れそうだ」とか「あそこの尾根に取り付いたら上部の処理がヤバいな」とか、そういった判断で行われるのであって、そっちに登山道があるかどうかとか、そういったことからはほぼ独立している。その判断をまちがえたら命にかかわるから、等高線の読み方みたいなことは徹底的に叩き込まれる。実際の地形と地図を何度も見比べ、立体が図上にどのように表現されているのかの対応を地道に学んでいく。だから、よっぽどのことがないと高山ではルートをまちがえないし、仮にまちがえたとしてもそれにきっちり対応できるだけの心の準備と装備は整えている。そういう意味では、山岳部の連中は道に迷わない。

ところが、低山ではそのセンスが通用しない。なぜなら、樹林帯の低山は、基本的には人為的に開かれた道によって通行可能なルートが定まっているからだ。道を歩くときに、ひとは地形を気にしない。地形的にいったら「このあたりは登らなきゃおかしいのになあ」と思っても、道がそちらになければ道に従うしかない。そしてたいていの場合、道は何らかの都合で合理的につけられている。もちろんおおまかには、「だいたいはこの尾根を行くんだな」みたいに把握しているわけだけれど、ときに登山道は尾根の腹をまいていたりする。「あれ?」と思っても、しばらくするとまた道は尾根の上に戻る。だから、あまり疑問を持たずに道にくっついていくのが正解だし、なんなら道標や踏み跡に注意して、「正しい道」を外れないように進むことが重要になる。ところが、山岳部の連中ときたら、ついついそこで高山の感覚を生半可に出してしまう。「生半可に」というのは、確かにきっちりと地形図を読んでおけば、まちがえないのだ。けれど、登山道がある樹林帯では、どうしてもそのあたりの判断が大雑把になる。「ここはずっと尾根筋だよね」と思っていると、主尾根をはずれていく分岐を見落として、地形上は尾根筋が続いているように見える獣道に突っ込んでしまう。本当はそこで支尾根に踏み換えて道は続くのだけれど、そういう細かいところを見落としてしまう。結果、しばらく進んで、突然あるはずのないピークに出て、わけがわからなくなる。続いている道だと思ったものはそこで消え、どっちも急傾斜の高台で、ようやく道をまちがえたことに気がつく。

山岳部の連中のタチのわるいのは(一般的に、ではないと思う。私の知ってる何十年も前の連中だ)、そこで強行突破してしまうだけの体力と装備をもっていることだ。いや、ちょっと戻ればいいだけなのだ。けれど、そこでおもむろに地形図とコンパスを取り出して、「ちょっと外れてしまったけど、こっちの方向にこの斜面をトラバったら支尾根の方に出れるはず」みたいな、雪山だったら正しいかもしれない、絶対にまちがった判断をやってしまう。そして、行ってしまう。おい、戻れよ。戻ったほうが早いよと、第三者的な立場からはいえるのだけれど、そこを強行してしまう。そして、どう考えてもヤバいザレ場を突破したりして、行っちまう。

ただ、低山をなめてはいけないのは、それが通用しない場面もある、というよりも本当なら通用しない場面のほうが多いからだ。だいたいからして日本の山はV字谷みたいに言われるが、むしろ小文字の「r」ぐらいに思ったほうがいい。谷筋に向かうと急速に傾斜が増すのが普通だ。だからうっかり下っていくと、思いがけない急斜面やガレ場、ときには崖に行き当たる。いったん谷底まで行ったらいいのかといえば、日本の沢筋には滝やゴルジュ帯があったりする。昭和からこっちは谷沿いの林道なんかも開発されてたりするのだけれど、それは少し高いところを高まいていたりして、谷底からでは存在が見えなかったり、あるいは無理にそこまで登ろうとすると、また崖に阻まれたりする。突破するのにロープ持ち出して懸垂下降したり、おい、目的を果たして気楽なはずの下山中にそんなことするのかよと、そんな事態にもなりかねない。

あるいは、低山で案外にやっかいなのが人里近くなってから道を外れてしまったときだ。自然の崖なら弱点をつくなり最悪ロープワークまで繰り出して突破する山岳部の連中も、まさか道路の擁壁のコンクリートの懸崖をそうやって通過するわけにはいかない。「この沢筋を下れば道路に出られるはず」と思って下っていったら両岸をコンクリート護岸で固められていて、にっちもさっちもいかなくなることだってある。私有地の柵にぶち当たって、柵が切れるまで延々と密な藪と格闘しなければならないこともある。身体的なダメージでいえば、これは相当にでかい。

ふつう、そこで道に迷わないだろうとか、道に迷ったことがわかった時点で引き返せばいいのにとか、冷静になれば思う。けれど、どうにか突破できるだけの体力と根性と装備をもって行動してると、「えい、いってしまえ」となってしまう。そういうことを繰り返しているといつか死ぬぞと思いながらも、本人に「迷った」という感覚がないから、前に進んでしまう。

 

そう、一般人が「道に迷った」と感じる場面で、ある人々は「おや、やっかいごとがおこった」ぐらいにしか思わないのだ。「ある人々」なんて言わなくていい。どうやら私はそういう性格だ。ふつう、「あ、ヤバいな」と思ったとき、ひとは引き返す。私は突っ込んでしまう。客観的に見ればアホなことで、場合によっては道徳的にアウトなことであっても、行ってしまう。いや、山の話ばかりではない(ちなみに低山でそういうアホなことをしてしまったのは、家から歩いて出かけた六甲の山で10年ばかり前にやらかしたのが最後だ)。仕事でも生活でも、「そこでやめとけよ」とずっと後になって冷静になったら思うようなことでも、「なんとかなる」と突っ込んでしまう。

こういう人生で、よく生き延びてこられたなと、自分ながら呆れる。けれど、突っ込んでは窮地に陥ってなんとか脱出するのを繰り返す。おそらく、そういうスリルを味わってしまうと、それが人生の刺激になってしまうんだろう。何だ薬物中毒と同じじゃないか。アブナイ奴じゃないかと、我が事ながら思ってしまう。

命までは取られなかった。けれど、その過程で、迷惑をかけたひとはずいぶんいる。それはいまでも痛い。だから、せめてこのぐらい生きてきたんだから、残りの人生、他人に迷惑をかけることは避けるようにしていきたい。とは思いながら、やっぱりやっちまうんだろうなとも思う。中学生のとき、葛城山で、道に迷って、それでもなんとか突破できたあの体験が道を踏みまちがえた最初だったのだろう。あそこに戻れるなら…

目標、努力、成功、成長について(その2) - 同じ言葉を使っていても

前回、「目標、努力、成功、成長について」という記事を書いた。

mazmot.hatenablog.com

これはもともと、はてなを代表するブロガーのひとり、シロクマ先生のブログに感じた違和感が出発点になっている。

p-shirokuma.hatenadiary.com

p-shirokuma.hatenadiary.com

違和感というのは、物柔らかな口調であるから普通に読んでいたら気にならないのだけれど、シロクマ先生が成功することに価値を見出しているのがどちらのエントリにも強く現れていたことだ。いや、そりゃ、人間は幸福であるべきだし、幸福な状態を入手することを成功だと定義するのであれば、成功は喜ぶべきことであるにちがいない。けれど、記事中では、「アタリ」の例とされているのが大学進学であったり、「点の成功」の例とされているのが「大学入試。就職。結婚」であったりと、「成功」は「社会的により上位にあるとされるものへの上昇」として描かれている。一般に、「社会」を語るときには、それがどんな「社会集団」であるのかを定めておかなければならない。この文脈ではそれは日本社会ということになるのだろうけれど、シロクマ先生の見ている日本社会と、私の感じている日本社会は、どうも微妙にズレている。それが違和感の発生源だろう。

確かに、私たちは有名大学に進学した人、有名企業でバリバリ仕事をしてる人、そこで出世の階段を登っていく人、あるいはベンチャーを立ち上げて経営者として活躍している人、ときには素晴らしい配偶者を得て幸福な家庭を築いている人を「成功した人」として羨む。自分もそんなふうになれたらいいだろうなと夢想することもある。けれど、重要なことは、そんな成功をつかめる人はごく僅かである、という事実だ。ごく僅かであってもそうありたいということで、たしかにそれに向かって努力する人々は成功する人々の数よりはずっと多い。けれど、もっとその外側に、そういうものを成功であると認めた上で、はなからそれは自分とは無関係な世界のことであるとして、特にそれを目指そうとか、それに向かって努力しようとか、そういうことを考えない人もまた、多いのではないだろうか。むしろ、そっちのほうが多数派なのではないだろうか。

そういう多数派であっても、それぞれなりの小さな成功はある。たとえば東京の私立大学への進学は、東大や京大といった国際的にも名前の通った大学への進学を成功と捉える人々にとってはとてもとても成功のうちには入らないだろうが、別の人々にとっては十分な成功といえるだろう。全国的Fランク大学として高名な某芸術大学に通っている私の息子にしたところで、半数ほどの卒業生が進学しない彼の高校では「大学行けていいね」の部類になる。それぞれの身分にはそれぞれの身分なりの成功があり、それは上の身分の人々の失敗と実質的に同じである、みたいなことはあるのかもしれない。ああ階層社会。

昭和的な言い方をすれば、係長になった人は課長を羨み、課長は部長になるまでそれを成功と認めない。部長は取締役にならねば敗者だし、取締役は社長にのぼりつめたいと願う。けれど、圧倒的多数は万年平社員で、何なら失業して職安に行ったり、土方になったりする。ま、令和の現代にそういうモノサシは古すぎるだろうが、成功を社会的な上昇と結びつける限り、そこには絶対的な安住の地はない。成功はどこまでも逃げ去るものであり、捕まえようとしても捕まらない青い鳥に過ぎない。

もちろん、それを回避する方法はある。目標を明確にしておくことだ。たとえば、「医者になりたい」というのを明確な目標にすれば、国家試験に合格した段階ではっきりとそれは「成功」と認められる。「医者になって人の命を救いたい」というような漠然とした目標には安易に成功は確認できないかもしれないが、それでも、診断がピタリとハマり、治療が功を奏した瞬間には、成功を感じてもかまわないだろう。物事が曖昧なのは測定基準がはっきりしないからであり、測定基準をはっきりさせればそこは明確になる。目標は、成功のいい測定基準になる。

そして、目標が定まれば、そこに対する具体的な努力が可能になる。およそ、目標を定めない努力は精神論にしかならない。それは、目標を定めない上昇志向と同じで、人を終わりのない泥沼に陥しいれる。そういう側面からも、目標設定は大切だ。そして、目標に向かっての努力の達成度から、人は成長の度合いをはかることができるだろう。

けれど、ここで繰り返すなら、それは多数派には当てはまらないのではないか。なぜなら、努力に見合う絶対的な成功の価値が、「下に」いくほどだんだんと低下していくからだ。トップクラスで競っている人々にとってはそうではなかろう。成功は莫大な見返りをもたらすのだし、なんなら成功が得られなくとも、見返りは大きい。たとえば東大をトップクラスで卒業という目標を達成できなかった東大生でも、世間からみればそりゃ優秀な企業への就職が可能だろう。目標を立て、そのために着実に行った努力には、たとえ目標達成の成功が得られなくとも、それなりの価値がある。司法試験を目指して猛勉強して結局合格しなかった人でも、大企業の法務部という一般人から見たら羨むべき安定職への可能性がある。成功には価値があるし、成功が得られなくても努力によって得られるものは大きい。ところが、もっと「下の」クラスになると、どうだろう。たとえばそこそこ名の通った私立大学への入学は、多くの「偏差値が真ん中あたり」の高校生にとっては目標になり得る。けれど、もしもその目標が得られたとしても、そういった大学に通うことによって得られるメリットはそれほど大きくない。まあ、大学の価値なんてそれぞれだけれど、たとえば就職先でいえば有名私大を出ても非正規雇用がやっとなんてのは近年ではザラにある。それでも生涯賃金を見たら大卒のほうが多少は有利なのかもしれないが、それが「努力」の成果として得られたものだと思ったら、なんだか哀しくなる程度のものでしかないのではなかろうか。また、大学合格を目指して努力したけれど成功しなかった場合、その努力に対する報いはほとんどないのではないか。受験勉強としての英語や数学が多少できたところで、それが大学入試以外のどこで役に立つというのだろう。結局は骨折り損のくたびれ儲けではないか。

だから、シロクマ先生が「努力はみんなするけど、努力ガチャを引ける回数がちがう」とか、「点の成功より線の成功」とか、あるいは直近では「性淘汰圧」とかいうときに、なんか違和感が拭えない。いや、そうやって努力を当然とする価値観とか、成功があって当然みたいな考え方とか、異性の選択によって生殖機会の回数が定まるとか、それはそれぞれに正しいのだろうけれど、「それって一般化できるのか?」と思ってしまう。そういう価値観や思考方法や原理が当然とされる社会は、確かにある。受験業界なら「最低でも関関同立か関東ならMARCHぐらい、順当にいけば旧帝大ぐらいがあたりまえでしょ」みたいな世界に住んでいる人々の集団では、おそらくそれはあてはまる。医者や弁護士を輩出するような進学校の内部では、そんな価値観や原理が支配的であっても不思議はない。けれど、私の仕事は、そういう生徒ばかりを相手にしているのではない。高校卒業のために単位を揃えるのに四苦八苦している生徒に、「努力は報われる」みたいな価値観で接しても、すれちがうだけだ。部活が楽しくて仕方ない生徒に、「幸福になるためには目的意識がなければなりません」みたいに説教したって、空回りする。だって彼女は既に幸福なのだから。

 

人間は多様であって、すべてに通用する原理・原則は、なかなか見つけにくい。とりあえず私は、「うまいものを食ってよく寝ること」が人を幸せにするという原則はだいたい大丈夫だろうと思っているけれど、それすら絶対的なものとはいえないと感じることもある。目標、努力、成功についても、それが当てはまる人に関しては、それは割と有効なモデルだし、よくできているとは思う。けれど、それが当てはまらない人々の存在を、最近特によく感じている。そして、まだまだ修行が足らんなあと反省したりもする。

それでも、私がたぶん、人間に関してだいたいは当てはまるんじゃないかと思う原則は、ないわけではない。たとえば、「人は成長する」。これは、長い目で見たときに、たいてい当てはまるように思う。たとえどれほど家庭教師がヘボだろうが、生徒はそれにもかかわらず成長する。それを信頼していれば、たいていのことは乗り越えられるように思う。たとえ、努力や成功がなくても、「成長したなあ」と感じることは多い。もちろんそれは、客観的な指標なんかない感傷に過ぎないのかもしれないけれど…

目標、努力、成功、成長について - 流れ去る時間と円環する時間

家庭教師として生徒を教え始めたときに、最初に確認するのは「なんのために勉強するんですか」ということだ。もともと私は勉強が大嫌いだし(ちなみにざっと9割の生徒が「嫌いだ」と答えているからここでは多数派だと思う)、嫌いなことをあえてするのであればそれには必ず理由があるはずだと思うからだ。好きなことをするのに理由はいらない。嫌いなことをあえてするには、そのための理由がなければおかしい。理由がわかれば、その理由に沿って指導ができる。これが顧客満足度をあげるもっとも確実な方法だ。売りたいものを売るんじゃなくて、客が望むものを売るのがサービス業の基本(まあ、優秀なビジネスマンにとってはそうではないのだろうけれど)。

勉強をする理由としてあがってくるのはさまざまであり、個別だ。ひとりひとりちがっている。もちろん、表面的な理由(「大人になって困るから」とか「将来のため」みたいなの)は理由になってないから徹底的に潰しておく。観念的なお題目は要らない。こっちはもっと具体性がほしいわけだ。「親がうるさいから」というのは十分に具体的だが、こういう外部からの圧力はやっぱり理由にはならない。もしもそれが唯一の理由だというなら、私はクビを切られるのを覚悟で親と話し合うだろう。いまだそれで辞めさせられたことはない。

具体的に理由をどんどん詰めていくと、半数ぐらいの生徒は「将来の目標」を出してくる。実は、このタイプの生徒は教師にとって非常にラクなのだ。なぜなら具体的な目標があったら、それに到達すべき経路が明らかになり、そこに至るまでのマイルストーンも置くことができる。ひとつひとつ確認していけば、なんなら次のテストの目標点まで割り出せて、こんなやりやすいことはない。ま、実際には「将来の目標」なんて成長の途中でコロコロ変わるから、最初に描いた筋書き通りに進むことはめったにない。とはいえ、そういうのを便宜的にでも置いておけば、なすべきことが自ずと明らかになる。無意味な「やる気」なんて引っ張り出さなくてよろしい。

しかし半数ぐらいの生徒には、これは当てはまらない。ただ、それでも無理矢理にそういうスタイルに当てはめてしまう場合もある。たとえば「何になりたいかわからない」という生徒に、「じゃあ、10年後、20年後にどんな自分でいたいか想像できますか」と尋ねたら、「ときどき美味しいものを食べて、旅行に行けるような暮らしをしている」と答えた生徒がいた。ならば、そのイメージ通りの未来を実現するためにはどんなことが必要でしょうというところから、「じゃ、大学行って給料がいい会社に就職するみたいな感じですか」と、目標っぽいものを設定した場合なんかがそうだ。つまり、意識されない動機をとりあえずは目標モデルに落とし込んだわけだ。そういうのまで含めれば、6、7割ぐらいは目標モデルにもっていける。けれど、どう工夫してもこのモデルがしっくりこない生徒は少なくない。

その中でも、割と少数派だけれど家庭教師にとってやりやすいタイプの生徒は、「好きだから」タイプだ。「なんで勉強するんですか」という問いに、いきなり数学の問題がうまく解けたときの快感だとか、歴史の魅力だとかを語りだす連中だ。注意しないといけないのは、こういう生徒の中には頭が良すぎて「模範的にはそう答えるべきだ」と理解した上でその筋書きに沿ってセリフを並べている生徒が混じっていることだ。まあ、そのぐらいに自分を客観的に操作できるなら、それはそれでたいしたものだ。ホンネで勉強の魅力を語る生徒と同じくらいにはやりやすい。これらの生徒は、表面的には「勉強は嫌いですね」みたいに言っても、そこまで忌避してるわけではないから、放っておいてもやるべきことはやってくれる。手間がかからない。ただ、どちらにせよ、こういう生徒は多くない。

けれど、そこまで意識的ではないけれど、学ぶことの魅力に気づいている生徒は案外といる。これはある意味当たり前のことで、人間はもともと新しい情報を貪欲に取り込む性質を本能に組み込むことで発展してきた生物でもあるわけだ。それらの生徒は、自分自身の知的好奇心と学校の授業で強調される技能訓練とのギャップの前で、勉強が嫌いになっている。人間の記憶なんていい加減なものだから忘れるのは当たり前なのに、「教えたことは必ず覚えているべきだ」とする教師の姿勢から、退屈な反復が「勉強」の中心に来て、わくわくする新しい知識に触れることがどんどんとぼやけてしまっている。そういう不条理があるのだということさえわかれば。実際にはこのタイプの生徒も「好きだから」のグループに入れられるだろう。あまりうるさいことを言わずに知的満足をもたらす餌だけ与えていけば、着実に伸びる。家庭教師の役割は、テストの点数に一喜一憂する親をどうやってごまかすか、みたいなところに絞られてくる。

そして最後に、どうしても「なんで勉強するのか」に反応できない一群の生徒がいる。多数派ではないのだが、確実にいる。どういうふうに尋ねてみても、動機が不明。かといって親や学校からの強い圧力に屈しているわけでもない。「嫌だな」と思いながらも、どうにかこなしていくことで日常がまわり、その日常が続くことに何らかの意義を見出しているのかもしれない。そのあたりの行動原理が言語化されていない。だから、私もよくわからない。けれど、なんとなく共感する。私もたぶん、子どもの頃に「なんで勉強するのか」を質問されたら、同じように答えに詰まってしまっていただろうから。

 

ともかくも、大別すれば生徒には目標をもって勉強に取り組む生徒と、目標はないけれど勉強に取り組む生徒の2種類がいることになる。もちろん人間がきっちり2種類に分類できるわけはなく(いや、阪神ファンとそれ以外とか、できるといえばできるのだが)、その間にはグラデーションがある。目標があるといえばあるけれど、実は目標をもてと言われたからなんか適当に言ってみただけみたいな生徒も実際には少なくないように見える。上記のように教師からすれば目標をもっている生徒は指導しやすい。おそらくそれが理由なのだろう、21世紀の子どもたちは、小学生の頃からことあるごとに将来の目標を学校で尋ねられる。もちろん、「大きくなったら何になる?」は昔から大人が子どもに尋ねる定番で、「男の子は大将、女の子は看護婦」の戦時中から「末は博士か大臣か」の立身出世主義の高度成長期にかけても普通の質問だった。けれど、その時代の「何になる?」は「目標」みたいな具体的なものでなく、「夢はでっかく」と、現実味がないほうが称賛された。「ノーベル賞」とかね。小学校6年生のときの同級生で「サラリーマンになりたい」と言ってたやつは、興ざめなこと言うな的な目で教師から見られていた。なにせ、21世紀には宇宙に飛び出して銀色のレオタードを着るのだみたいに思われてた時代だ。現実主義は嫌われていた。ところがその21世紀の子どもたちは、同じような答えをしたら、もっと現実的にと言われるだろう。「サラリーマン(とはもはや言わないだろうが)にもいろいろな職種がありますよ。まず技術職ですか、営業職ですか。どんな分野に興味がありますか」と、事細かに具体化される。なぜなら、具体的な将来の夢は目標に置き換えやすく、目標ができれば指導がしやすいからだ。だから、いまの子どもは将来の目標について聞かれることに慣れていて、中学3年生ぐらいだとこっちが驚くほどかっちりした人生プランをもっていたりもする。

そういう子どもたちの中には、本当にしっかりしたひともいるのだろう。人生三周目ぐらいに知恵のある子どもだっている。けれど、教師に言われたからというだけで「目標」を設定する生徒もいる。そして、いくら教師がはたらきかけてもそれがピンとこない生徒もいる。その中には、それでも好きだから学ぶという生徒が、やはりその強度はグラデーションではあるのだけれど、確かに含まれる。けれど、特別に目標があるわけでもないし、また特に好奇心が強いわけでもないし、それでもまあ、そこそこに勉強はやるんだという生徒が、確かに存在する。そのあり方もやっぱり一様ではなく、さまざまな形がある。ただ、そういう生徒と話していると、私自身の理屈の根拠である「嫌いなことをするんだったら必ず理由があるはずだ」という問題の立て方が現実を反映していないのかもしれないという気もしてくる。以下、話をわかりやすくするために、一方の極に「目標タイプ」、もう一方の極に「動機なしタイプ」を置くことにしよう。

 

「目標タイプ」には、努力がよく似合う。努力の方向性が定めやすいし、努力の結果がはっきりと目に見えるからだ。到達すべきところが明確であれば、そこまでのマイルストーンもはっきりする。努力は常に成果と照らし合わせることで持続される。そして、努力が着実に実を結べば成功が手に入る。それは志望校への入学であるかもしれないし、正社員としての就職であるかもしれない。あるいは職場での達成であるかもしれない。そして、そういった努力と成果のサイクルを回していくことで、着実にそのひとは成長していくだろう。

その一方で、「動機なしタイプ」には、努力という概念がそぐわない。そりゃ、そういうひとでもがんばるときにはがんばる。ときにはとてつもない集中力を発揮してくれたりもする。けれど、目標のないがんばりは一過性のものにならざるを得ない。継続的な努力へとは、なかなか昇華できない。それでも、いろいろやってれば、なんだかんだで成功が訪れるかもしれない。けれど、そういった成功は、それを狙って準備してきたものではない。本人にとっては、気がついたら転がり込んできたラッキーのように感じられるだろう。周囲が成功だと讃えても、ピンとこない顔をしている。そりゃ嬉しいのだけれど、「よくがんばったね」なんて言われたら、居心地が悪い。謙遜でもなんでもなく、「たまたまですよ」と返すしかないだろう。

どちらがいいとかわるいとかいう話ではない。だいたいが、この2つの「タイプ」そのものが仮想的に置いたものであって、必ずしもそれが当てはまる話ばかりでもない。じゃあなぜこんな2つの「タイプ」を持ち出したのかといえば、それが、人間の時間の観念とどこか対応するのではないかと思いついたからだ。

ずいぶん古い読書で得た知識なのでもう出典も定かではないのだけれど(調べたら案外と簡単にわかることなのかもしれないけれど)、近代西欧的な時間の観念は、直線的なものなのだそうだ。すなわち、時間とは一方向に流れ去る量であり、いったん流れ去った時間は二度と戻ってこない。そういうふうに言われれば、確かに時間とはそういうものかもしれないなあと思う。覆水盆にかえらずだし、こぼれたミルクの上で泣いてもしかたない。人生にやり直しはない。

その一方で、人類の歴史の中では西欧近代的な時間の観念は特異的なものであると、その書物には記されていた。もともと人類は、円環する時間の中を生きていた。円環する時間とは、繰り返し繰り返し、同じことが起こる時間の流れだ。たとえば、冬が来れば必ず春が来る。苗を植え、収穫の秋を迎えれば、きっと来年も同じように実りの秋はくる。これが円環する時間だ。繰り返しは1年の単位で起こるばかりではない。朝が来れば太陽が昇り、日が暮れたとしても、また必ず東に曙光がさす。あるいは、ひとは生まれて死ぬかもしれないが、死ぬ人がいれば必ず生まれてくる人がいる。物事は必ず繰り返すのであって、どこかに始まりがあるわけでも終わりがあるわけでもない。こっちにしても、そういうものだと言われればそうなのかなあと思う。人類学の教えるところでは(といっても最新の知見は知らない。出所がもう何十年も前の本だから)、ほとんどの人類はそういった時間の観念のもとに生きてきた。

そして、もしもそうであるのなら、目標を定めて、それに向かって努力し、そして成功を収めるという一連のモデルは、西欧近代化とともに生まれたのではないかという気がしてくる。流れ去る時間に最もうまく対応するためには、先まで見通した計画を立てて行動する必要がある。つまりは目標を立て、その実現に向けて努力する。成功は、一方向に進む時間の中で、努力の集積として実現する。「目標タイプ」は、直線的な時間の流れと相性がいい。

もちろん、円環する時間であっても、目標は立てられるだろう。たとえば秋の豊作は、たとえ実りの秋が毎年くるとしても、やはり毎年同じように切実な願いであるはずだ。秋の豊作を目標として、春の田起こしに精を出すのは、「目標があっての努力」と捉えることができるかもしれない。けれど、そのときに、秋の豊作は「成功」ととらえられるだろうか。円環する時間の中で、たとえば豊作の願いは状況がどうだろうが個人がどうだろうが、毎年繰り返し起こる事象であり、豊作をもたらすための努力である農作業も毎年繰り返し起こる。結果として豊作が現実になることもあれば、天候その他の事情で不作になることもある。同じように豊作を願い、同じように努力しても、結果は年によって違う。そんなとき、豊作は、「努力の成果」としての成功としてとらえられるだろうか。

円環する時間の中では、サイクルを越えて目標を立てることができないし、そしてサイクルの中で立てる目標は次のサイクルの中でも目標になるわけだから、それに対する努力も同じことの反復になる。そこに特別な何かはないのだし、特別なことがないのに結果が少しずつ変化するのであれば、それはもう「運・不運」のレベルだろう。このような時間を生きる人にとって、「成功」という概念は、いまひとつ理解しにくいにちがいない。「努力」さえ、なにか「目標」があるから行うのではなく、毎年の循環の中で繰り返し行うことに位置づけられる。春の田起こしは秋の豊作を願って行うのかもしれないが、なぜそうするのかと言われれば「毎年やってるから」というのが最もしっくりする感覚になるだろう。

こういった時間の観念のもとに生きていると、「なんのために」をいちいち考えなくなる。考えなくてもやるべきことをやっていれば世界は回る。そういう信頼感のもとに、人は日々の行動を営む。そうやって生きてきた流れの上に立って子どもたちに「なんのために勉強するんですか?」という問いを発したときの反応を受け止めれば、どこか納得できるような気もする。そんなことは考えなくても、むかしから子どもは学校に行くもんだし、学校に行けば勉強はするもんだ。あるいは親は子どもに勉強しろというもんだし、子どもはいやいやでも勉強するもんだ。むかしからそうやって世の中は回ってきてるんだし、理由なんてのはあとからくっついてくるもんだ。意識してそう考えているのではなく、感覚的に、そんなふうにとらえて生きている子どもたちは案外と少なくないのだろう。これが「動機なしタイプ」として現れるのかもしれない。

 

古い小説を読んでいると、よく東京の立身出世主義と田舎の因循姑息が対比的に描かれている。都会での競争に疲弊した登場人物が故郷に戻ってホッとするのも束の間、どこまでも進歩のない農村の感性に嫌気が差してまた大都市へと舞い戻る、みたいな筋書きは、誰のどの作品というのでもなく、実にありふれていたように思う。明治維新以後、日本人は西欧的な時間の流れを受け入れていった。けれど連綿と受け継がれてきた円環する時間の感覚が基底を形作っている。個人の中にある感覚の不調和が小説に描かれているのだと思えばわかりやすい。そして、ここで1人の個人が2つの時間の観念を同時に内在化させているように、実は一方向に流れる時間の観念と円環する時間の観念は、決して「西欧文化東洋文化」のような対立ではないのかもしれない。

私たちは、もともと、過ぎ去る時間と繰り返す時間の両方の感覚をもって生きている。たとえば方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして…」は、流れ去る時間と繰り返す時間の両方の感覚がなければ味わえないように思う。芭蕉奥の細道の書き出し、「月日は百代の過客にて…」も、一方向に流れる時間というものを明示的に表現しているといえるだろう。伝統的な日本人の感覚の中にも、一方向に進み戻ってこない時間の感覚は確かに存在する。ヨーロッパ世界において、近代以前には円環する時間の観念が主流であったと言われるが、その時代に流れ去る時間の概念がなかったわけでもなかろう。一方向に進み戻ってこない時間の観念は、もともと目立たなくともあったものが、近代化の中でことさらに強調されるようになったのだと考えればいいのだろう。そして、そういう観念で時間を捉えるひとも、身体のどこかには円環する時間の観念も併せ持っているにちがいない。

 

なんでこんなことを考えるのかといえば、ひとつには最近、年老いた母と過ごす時間が増えていることが関係しているのかもしれない。一方向に流れる時間で人生を見ると、老齢は惨めだ。なぜなら、目標は既に達成されてしまった。あるいは、達成不可能という現実が確定してしまった。先に待っているのは死でしかない。ここからどんな目標を立て、どんな努力をして、どんな成功があるというのだろう。もちろん、近代は年齢を問わず、目標モデルを当てはめる。看護学の本を訳していたときに知って驚いたのだが、近年は「成長」を少年期や青年期にだけ当てはめるのではなく、壮年期や老年期にも当てはめる考え方が広まっているのだそうだ。つまり、「成長」というモデルはそのままに、それを「未熟な状態から一人前の状態になること」だけではなく、もっと拡張していこうという考え方だ。成長とは、年齢の変化に応じて自分自身を変えていくことだ。たとえば高齢者にとっての成長とは、日々衰えていく身体能力を受け入れ、それに順応してなおかつその能力を十分に活かして充実した生活を送れるように適応していくことだ。たとえば脳梗塞で入院し、快癒した高齢者にとっては、失った能力を少しでも回復し、あるいは失った能力の代替になる能力を開発することが目標になり、そのための日々のリハビリが努力となり、成功をつかむ道程においてそのひとは成長する。これが近代の求める高齢者の生き方だ。

それはそれで、納得のできるものでもある。実際、そういう言い方で鼓舞される高齢者もいる。数年前に亡くなった私の父親なんかもそんなふうだった。できなくなっていくことの中でそれでもひとつの目標を定め、そこへのマイルストーンをおいてそれをクリアしていくために努力を重ねる。マラソンランナーならではのその姿勢は、看護チームからも称賛されていた。そして実際、そういった病院生活で、父は人間としても成長していったと思う。そういう姿を思い浮かべると、人生のどんなステージにあっても「目標モデル」はありなのかなと思えてくる。

けれど、その一方で、もうひとり、私にとって忘れられない老人がいる。丹波の田舎に暮らしていたとき、近所に住んでいた農夫だ。区としては隣だったので日頃顔を合わせることはそれほど多くなかったのだけれど、山の奥にある住まいから里に出る途中に私の家があったので、ちょくちょくと立ち寄ってくれていた。しばらく顔を見ないなと思っていると、またひょっこりと来てくれて、入院していたと言う。もういいのですかと聞いたら、いや、ブドウの剪定の講習があるから途中で1回帰ってきたんだとのこと。そのときは、そうですか、おだいじに、みたいなことを言ったのだけれど、たまたまそのとき家にいた友人と、後で顔を見合わせてしまった。

この老農、その頃でもう80歳ぐらいだったように思う。腰も曲がっていて、60代が若手と呼ばれる田舎の基準でみても年寄りの部類に入る人だった。農業に関してはベテラン中のベテランで、素人である私たちが見たら信じられないような立派な作物をつくる。その人が、いまさらながらにブドウの剪定を習うというのである。何を習うというのか。人に教えるというならともかく、新たに学ぶことなんかないだろう。だいたいが、数年前に植えたというブドウ園にしたところで、彼が生きているうちに盛期を迎えるとは思えない。いや、そうなるのかもしれない。いったい何歳まで生きるつもりだよ、と。

私はこの話を、「人間、いくつになっても学ぶことをやめてはならない」とか、「向上心は人を若々しくさせる」みたいな教訓として使ってきたのだけれど、なんとなく、「それはちょっとピントを外しているかもなあ」という感覚ももつようになってきた。たぶん、かの老農は、そんな感覚で剪定の講習を受けたのではない。地域で推進してるブドウを植えたし、普及所が講習をやるというし、そういうときの講習は受けるもんだ、みたいな感覚だろう。そのときに、一方向に流れ去る時間の中に自分がいるという意識はない。ブドウの樹が成熟する頃に自分がどうなっているかなどと、考えても仕方のないことは考えない。そういうことは、実際にそのときになってみればわかることだ。それよりも重要なことは、以前牛がいたときに草をはやしていた斜面が空いてるし、それを放っておくわけにいかないから何かを植えることだったのだし、そのときに奨励されているブドウはひとつの選択肢として正しかったのだろうし、果樹の剪定のことはだいたいわかってるといっても普及センターでこの品種に合わせた講習をやるというのなら受けるべきなんだろうし、とにかくこの状況で自分がやらねばならないことをやることだ。それをやっていれば世の中は回っていくのだし、世の中が回っていれば自分がどうなろうが、それですべてうまくいく。仮に自分が倒れたとしても、誰かがあとを引き継いで、やっぱりやるべきことをやっていけば、それでいいのだ。だからこそ、自分はこの瞬間に、自分がやるべきことをやる。そんな感覚だったのではないだろうか。

実際、彼の農場は実に見事だった。1町近い山の中の田んぼをほとんど手植えでつくりまわしていたのだが、豊作の秋にいくら穂が重くなっても倒れる気配もなかった。手植えなのは大苗の健苗が田植え機にかからないからで、なぜそんな大苗にするのかといえば、昔からそうやってきて、それでうまくいっているから変える必要を感じないからだった。機械を拒否するわけではなく、稲刈りには古いバインダーを使っていた。有機農業関係者が比較的目立つ地域だったが、主義主張に関心はなく、牛がいるから堆肥を田畑に入れる、農協に出すより儲かるから自分で販売までやるというスタンスで何十年も生きてきたのだということだった。

私はその後、子どもが生まれる前に10キロほど離れた地方都市の郊外に引っ越した。息子が生まれたとき、それを聞いてこの老農は自転車に乗って峠を越えてわざわざうちまで祝いに駆けつけてくれた。私はとても嬉しかった。それから一年ほどたって、時雨気味のある日、妻が彼を見かけたという。曲がった背中で子ども用の自転車に乗って夕暮れの中を走っていった。翌日、その老人の訃報が届いた。不思議な出来事だった。妻が見たのは錯覚だったのだろうか。田んぼで倒れて亡くなったのだそうだ。

話が少し逸れたが、あの尊敬すべき老農夫は、円環する時間を生きていたのだなあと思う。壮年期に野菜の行商に使っていたがっしりした荷台の自転車を取り回すだけの体力がなくなると、成人した息子が納屋に放置していた子ども用の自転車を自分用に使うようになった。それは、彼にとって「できなくなったことを別の手段でできるようになる」という成長モデルで説明するよりも、「去年までと同じことを今年もできるように工夫する」という繰り返す時間のモデルで説明するほうがピッタリくるような気がする。来年も、再来年も同じことを繰り返す前提で、それでも同じことができなくなれば、それに応じて工夫する。その工夫によって、また新たなサイクルが生まれ、そしてそれが続いていく。変化はあるし、その変化の最大のものは老いであり、この世からの退場である。けれど、自分が消えていくあとからあとから、新たな命が生まれて、また新たなサイクルを始める。それは単純に寿ぐべきことだ。

葬儀の家の庭に起こされた焚き火の火にあたりながら(このときの火の粉で上着にできた焼け焦げがいまも残っている)、大往生とはこういう人生をいうのだろうと私は思っていた。そういう人生の片隅にごくわずかだけでも関わることができて、私も幸せだと思った。その祝福を受けた息子の人生も、きっと幸せなものになるだろうと確信した。センチメンタル。

 

嫌いな勉強をするのにはきっとなにか動機があるはずだ。それを目的とか目標とかいって引っ張り出せる「目標タイプ」と、どうしてもそれが出てこない「動機なしタイプ」と、実際にはその両者が同時に一人の人間の中にいるような気がする。それは、人間が直線的に進んで始まりと終わりがある時間の感覚と、始まりも終わりもなくただ循環を繰り返す時間の感覚の両方を備えているからなのだろう。その感覚の強弱は、個人によって異なっている。同じ人でも、状況によって異なった感覚が優先するだろう。だから、多数派の生徒は家庭教師が無理矢理に目標設定するのについてくることができる。家庭教師としてはそのほうがラクだから、可能であれば目標は設定しておきたい。けれど、それがピンとこない「動機なしタイプ」にどう対応すればいいのか、これはなかなかに難しい。

それは、私の中にそういった時間の感覚がないからではない。そうではなく、現代の学問をベースにした学習指導要領に準拠した教育課程が、やっぱり近代西欧的な直線的な時間の感覚に馴染みがいいからなのだろう。目標を立てることは、個人的な営為である学問を一般化し、場合によっては公共のものにすることだ。個人の営為の社会化といってもいい。資本主義社会のもとでは、個人の欲求の達成は社会化され、社会の発展に結実するとされる。目標を立ててそれを実現することは、まさにそういうことだ。

その一方で、循環する時間の中で行う学問は、どこまでいっても個人的なものだ。個人的な営みを支えるのは、ひとつには喜びだろう。一面に青々と活着した田んぼの苗を眺めるとき、「ああ、美しいな」と思う。納屋に積まれた米の袋の山を見て「今年も大丈夫」と安心する。椎茸を売りに回って、空になった荷物の代わりに膨らんだ財布を確認して「儲かったな」とほくそ笑む。あの老農はそういう喜びを日々に積み重ねていたに違いない。それは個人的なものであって、とるに足らないつまらないものにも見える。けれど、その積み重ねでもって、毎日が、毎年が、そしていくつもの人生が繰り返され、天下が成り立っている。そういう意味で、これもまた、個人と社会のかかわり方のひとつであるともいえる。「動機なしタイプ」を支えるのは、そういった小さな喜びを大切にすることであるのかもしれない。そして、そういった喜びを積み重ねることで、確かにひとは成長する。それは目標モデルのいう成長とは異なるような気がするが、やっぱり成長と呼べる何かが起こるような気がする。

だとしたら、そういう生徒に向き合うときには、「小さな喜び」が感じられるような指導にしなければならないのだろう。会社のミーティングで他の講師の話を聞くと、たとえば「できたらシールを貼ってあげる」とか「褒める」とかいったテクニックで子どもを「やる気にさせる」みたいな話がよく出てくる。私はけっこうそういうのに懐疑的で「子ども騙しだ」とか「何様だよ」みたいに内心批判してきたのだけれど、ひょっとしたらそういうやり方は、生徒の中に小さな喜びをつくり出す工夫なのかもしれない。

そんなことをしなくても、授業そのものが面白ければ、それは喜びになる。そのはずだ。何のためにやってるとか、それで何が得られたとか、そんなことはわからないけれど、単純に家庭教師の時間が楽しみになる。そういう授業はあり得る。それができることが、生徒の中に小さな喜びをつくり出す本来ではないのだろうか。

ただ、それがホントにできるのかと言われれば、うん、私の授業、そこまでのエンターテインメントにはできないよなあとも思う。同じ時間を過ごすのに、90分の映画を1本見るのと同じだけの楽しみを与えられる授業であればなあと、これは実際に生徒に向かってもいう。でも難しい。難しいけれど、それができればなあと切に願う。そのためには、努力も必要だし、まだまだ成長せねばならない。結局のところ、それが私の「目標」だったりと…

オンライン家庭教師を2年以上続けたので、そのノウハウを公開する

前史(ここは飛ばしてOK)

あまり気が進まないままに家庭教師をはじめて10年以上になる。そこら辺の事情は別で書いたので、繰り返さない。やっているうちにいろいろ考えて、「やっぱりこれは自分の仕事なんだろうなあ」と思うようになっていった。そこにすべてを賭ける気にはなれないが、いろんな仕事のひとつとしてこの先もずっと付き合っていくことになるんだろうぐらいに思うようになった。その矢先、アレルギー性の喘息が再発した。再発というのもおかしいかもしれない。小児性の喘息持ちだったのが成人して寛解しても、年をとるとまた出てくることがあるらしい。それだった。自分の感覚では喘息なんて慣れたものと思っていたのだが、実際に数十年ぶりに発症してみると血中酸素濃度が下がって平地にいるのに高山で行動しているような覚束なさに陥った。通常5分の駅までの道のりを途中2回休憩のためにしゃがみこまなければ歩き通せなくなって、命の危機を感じた。医者に行くとステロイドの吸入を処方されて事なきを得たが、アレルギー検査の結果、ペットとハウスダストには要注意と言われた。ここに至って、家庭教師を続けることに赤信号が灯った。

子どものいる現代の家庭が一般にどの程度の比率でペットを飼っているのか知らないが、少なくとも家庭教師を依頼する家庭のペット飼育率は高い。統計をとったわけではないから偶然である可能性もなくはないのだけれど、私が担当した生徒の場合、半数以上には何らかのペットがいた。寝そべっている犬をまたいで玄関に上がる家もあれば、足下にまとわりつく猫を振り払いながら教えたことも、授業中に脱走したモモンガにペースを乱されたこともある。ペット不可の条件を出して生徒を探すことは不可能ではないだろうが、生業としては難しいだろう。さすがに多くはないのだが、ときには掃除の行き届いていない子ども部屋で教えねばならないこともある。ペット不可の条件は出せても、家庭教師のために掃除をしておいてくれとはとても頼めない。アレルゲンを極力避けねばならない身の上としては、職業としての家庭教師は無理ではないかと、冷静になった夜に結論づけた。

家庭教師の仕事はもともとはある会社の業務委託として始めたのだが、すぐに自分自身で生徒を探して自前の生徒をもつようになった。つまらない話だが、そのほうが圧倒的に実入りがいいからだ。といって会社に対して中抜きを非難するつもりはない。諸経費を考えたら、逆に「よくそれだけで経営が成り立つねえ」と感心するぐらいだから。ただ、こっちだってボランティアじゃないから、会社の仕事は安定を確保するためのベースとして捉えることにしたわけだ。実際、間に1枚挟むことでいろいろと都合のいいこともある。

そのひとつが、緊急時に講師交代を頼めることだ。個人でとった生徒は、全責任がこっちにかかる。会社の生徒は会社が責任を引き受ける。だから喘息で動けなくなったときもそれで助かった。実はその少し前から自前の生徒はどんどん減らしていた。ここのブログでも書いたが、父親の体調が落ち込んで、最終的には入院から病死に至る一連の流れが2年ぐらいかけてあったからだ。いつ何時、緊急で教えにいけなくなるかわからない。だから、自前の生徒は自然減に任せて、会社の仕事ばかり入れていた。父親が死んだあとも後始末で忙しかったから、自前の生徒は増やさなかった。喘息の発作が起こったときにはたまたまそれがうまく機能したわけだ。

だから、家庭教師をやめるのは、簡単だった。会社に対して「やめます」といえばすむ。会社は困るだろう。私ぐらい会社にとって都合のいい人間はそうそういないだろうからね。だが、知ったこっちゃない。まあ、そこはあくまでソフトに、オブラートに包んで、相談という格好で、辞めることを伝えた。当然、引き止めが入った。が、命には代えられない。やめるのは既定路線だからと思っているところに、「今年からスタートさせたオンライン授業のほうがまだまだ十分じゃないから、そっちの専任で残ってくれないか」と言ってきた。正直、めんどくさいなと思ったけれど、いきなり家庭教師からの収入ゼロになるのもちょっと怖いわけで、だったら引き受けてみるか、と思った。新しいことへの挑戦は、常にわくわくすることでもあるのだし。

既存の生徒はペットがいるところはすべて交代を頼み、ペットもハウスダストも大丈夫なところだけ、通うことにした。そしてオンライン授業のオリエンテーションを受け、準備を整えた。けれど、最初の数カ月は、1件の生徒も入らなかった。「結局、企画倒れで、既存の生徒が卒業するにつれてだんだんとフェードアウトしていくのかなあ」と思い始めた頃に、コロナ騒ぎが始まった。突然のようにオンラインがもてはやされるようになり、ようやく私のところにも生徒が回ってくるようになった。半年もたたないうちに訪問指導の時期と変わらないぐらいに(つまりほとんど毎日いっぱいいっぱいに)生徒のスケジュールが埋まるようになり、1年ほどたって完全に訪問の生徒がいなくなった。名実ともにオンライン専任講師となって、いまに至る。

だから、私ほどオンライン指導の時間を重ねた家庭教師はそうザラにいないだろう。安定して毎月100時間ぐらいオンラインで教えてるわけだから、たぶん2年余りで2000時間ぐらいは経験したことになる。オンライン英会話みたいなのはずいぶん以前からあるけれど、オンラインの家庭教師は比較的最近だろう。いや、存在そのものはSkypeの時代からあるのかもしれないが、なんといってもコロナ以降に大きく進化している。ネタとしては美味しいのではなかろうか。

もちろん、ノウハウのいくらかは私のものではない。会社からのオリエンテーションを受けているし、その後の指示やアドバイスも受けている。そういったものは守秘義務の対象になるはずだ。けれど、家庭教師商売なんて、まだまだ個人の試行錯誤に頼り切ったところから抜けきれていない。そして、私が私自身の試行錯誤で得たノウハウは、個別のプライバシーにかかわることを除けば私のものとして持ち出して構わない。それが業務委託にとってのNDAだ。

だから、ここから書くことには、会社独自のやり方やノウハウは含まれていない。それ以外の部分、つまり、一般的にそうなるよねというものと、私が工夫してこうしているというものが基本だ。そして、そのすべてを書くことはできないだろう。書いたつもりで伝わらないことのほうが多いのが普通だからだ。また、すべてを書く意味もない。

なぜなら、これを書いておこうと思ったのは、やっぱり多くの同じ立場の人に、できるだけ質のいい授業をしてほしいからだ。商売敵であるかもしれないけれど、そんなケチなこと以上に、次世代の人々に質の高い教育を施すことは重要だ。私にそれができているかどうかは甚だ疑問だが、ここに一例あれば、それを参考に、よりよい方法を工夫することができる。そして、参考であるならば、すべてを完全に伝える必要もないわけだ。

いつものように前置きが長くなった。私が編集者なら、この部分は全面的にカットする。けれど、私はこの場では著者だから、ちょっとワガママでいたいと思う。えい、さっさと始めろ!

準備

オンライン授業をするには、いくらかの設備がいる。もちろん、やれといわれればPC1台あればどんな場所でもどうにかするだけの自信はある。けれど、恒常的に業としておこなうのであれば、環境は整えておきたい。そのほうがストレスなく授業を進められるからだ。まずはハードウェア環境からだが、最も重要なパソコンに関してはソフトウェア環境とまとめて後述することにしよう。というのも、パソコンの場合、ハードウェアとしては一定の要件を満たしていることぐらいが条件になるが、むしろソフトウェア環境のほうが重要だからだ。

ハードウェア設備

なにはなくとも専用のデスクだ。専用のデスクを置こうと思えば、当然、それに対する椅子や照明といった設備を含めての空間が必要になる。私は現在、2箇所にオンライン授業用の拠点をもっている。自宅と母親の居宅だ。自宅の方で当初から続けていたのだけれど、最近になって老母の体調に不安が出てきたから実家に拠点を新たにつくってそちらで仕事をすることにした。行ったり来たりだが、セッティングのストレスをなくすため、どちらも同様の設備にしてある。そして、どちらも1.5×1.5メートル程度の空間を仕事空間として確保した。オンライン授業専用スペースとして、このぐらいが必要かつ十分だ。もちろん、そんな狭い部屋があるわけではなく、自宅の方は子ども用の本を集めた図書室の片隅を専有しているし、実家の方はかつて母親が趣味で使っていた暗室を改造したので、ガラクタが積まれた半端な残りの部分はある。実際、上記空間はオンライン授業には必要十分だが、資料を置いたり、休憩時にストレッチしたり、お茶を飲んだりと、その他の空間はどうしても必要になるだろう。とはいえ、それはそれぞれ個別の事情によるわけで、上記の2.25平方メートルがあれば仕事そのものはたいていどうにかなる。授業に必要なテキスト類だって置いておくことができる。もちろんそこには電源があり、インターネットのアクセスがあることが重要だが、それは言わでもがなだろう。

一般のデスクの大きさは、70センチ×110センチぐらいのものが多い。よくある事務のスタイルではこの70センチの奥行きのデスクの奥に書類を立てて置いたり、右側か左側に書類を積んでいたりするのだけれど、オンライン授業ではデスクは広く使いたい。というのは、講師の顔を写すカメラと顔の距離が近すぎると、どうしても圧迫感が生まれてしまうからだ。生徒に気持ちよく授業を受けてもらうためにはカメラから顔面までの距離を70センチぐらいはとったほうがよく、そうなるとノート型PCのばあい、デスクの奥の方にPCを寄せて手前に空間を広くとる必要がある。モニタ上部にカメラを設置するデスクトップタイプのPCの場合も同じだろう。私はマウスは使わないのだけれど、マウス操作をするのであればPC画面の前面で行い、右手側は広く空けておく必要がある。これは手もとを第2カメラで写す必要があるからだ。ということで、私はどちらのデスクも奥行き、幅とも通常よりもかなり大きなものを使っている。実家の方のデスクは80×140センチの合板に日曜大工で脚をつけたものだ。このぐらい大きいと、かなり自由がきく。

実家の方のデスクの配置

 

椅子は、高さが重要だ。数センチの差で画面に映る位置や姿勢がかなりちがってくる。理想的には高さが調整できるタイプのオフィスチェアがいいのだろう。ただし、PCのマイクは(指向性の高い専用品を用意するのでなければ)かなり雑音を拾うので、軋み音がするものはよくない。いったん始めたら60分から120分は座りっぱなしということになるわけだから、体への負担の少ないものを選びたい。とはいいながら、私はダイニング用の椅子の座面高を間に合わせに改造したものを使っていたりする。理想と現実は、かくも異なる。

椅子のすぐ背後が背景になる。背景は、案外と重要だ。もちろんクロマキー処理でソフトウェア的に背景を適当に変更することはできる。けれど、いくらソフトが進んでも、この処理は縁がボケたり腕が突然に消えたりと、あまり感心しない現象が起こりがちだ。背景にお花畑や星空を置くのもいいだろうが、それが生徒にどういう印象を与えるかは予測できないし、予測できないことはやらないに越したことはない。なので、背景は物理的、かつ無地であることが好ましい。無地の壁であればそれでOKと思うが、私は当初、自宅環境の背景を180×90センチの大判のホワイトボード(物理)にしていた。これは実際に、そのホワイトボードに板書するためだった。画角の関係から、画面いっぱいにホワイトボードを写すためには、椅子のすぐ背後にホワイトボードを設置する必要がある。椅子を置く空間が60センチぐらい必要だから、机の奥行きやその他の隙間を見込んで1.5メートルの空間が必要となる計算だ。ちなみに、椅子から背景までの距離が遠いと画面に映り込む壁面が増えるから、よっぽど広い無地の壁面が確保できる場合以外は、背景面は椅子のすぐ後ろにある方がいい。

背面のホワイトボード

ホワイトボードはホームセンターで売っているプラスチックの板にホワイトボード用のシートを貼って自作した。板はすでに手持ちのものだったから、実費1000円程度。実はその後の運用でホワイトボードに板書することはほぼなくなったのだけれど、背景としてわるくないので、実家の方に拠点をつくったときもそうしようと思って準備した。けれどこちらは、ホワイトボードを吊るすのにいい壁面がなかったので、プロジェクター用の幅150センチの大型スクリーンを置くことにした。必要に応じて収納できるので、これはこれで使い勝手がいい。このスクリーンは、自宅でオンライン授業をしているときでも、臨時に場所を変更する際には何度か使用していた(冷房のある部屋に移動する夏場とか)。これも新たに購入したのではなく、以前に別の用途で用意してお蔵入りになっていたものを活用したものだ。それにしてはまるで誂えたようにうまくはまっている。

背後のスクリーン。元暗室なので、窓が黒いのが不気味だ

デスクにPCを置いたら、右手側には第2カメラを設置する。左利きの人は左側になるんだろう。このカメラは数千円出してWebカメラを買っておくのが手間がなくていい。この際、解像度はケチらずにフルHD 4K以上の高品質のものを選ぶべきだ。手元を写したときに文字が読めないと何をやってるのだかわからなくなる。幅720pの解像度だと、ページもののテキストを左右幅いっぱいで写したときに文字が読みづらい(テキストを写すのはときには著作権法上ややこしいことにもなるので注意。くわしくは後述)。手書きの文字もボヤけると生徒にストレスがかかる。なので、解像度は重要。なお、私は長いこと古いスマホを第2カメラとして使ってきた。この使い方は後述するが、スマホのカメラは近年解像度が非常に高いので、その点では優れている。

第2カメラはできるだけ正確に、机の水平面に正対するように固定する。百均ショップや500円ショップ、ホームセンターや家電量販店で簡易なスマホ用のアームが売っているが、あれは実はよろしくない。基本的には針金を曲げているだけなので、アームが長くなると不安定だし、スマホの重さによってよく傾く。不用意に振動すると、生徒にとっては画面全体がゆれる感じになるから、気分がよくないだろう。これはホームセンターで手に入る金物やパイプ類でカッチリしたものを自作したほうがいいようだ。そうはいいながら、自宅では百均のアームを改造して安定度をあげたものを使っている。実家の方はもともと暗室だったので、現像用の機材がいろいろあったから、それを流用している。第2カメラとしてのスマホの固定には、自撮り棒を使ったが、これは案外といい。

ちなみに、第3カメラとして別アングルからの講師の顔を写すWebカメラも設置はしたけれど、これはあまり役に立っていない。むしろ、第2カメラとは別に机の面を写して参考書とノートを切り替えて使うほうがいいかなと思案中。ともあれ、入力ソースは多いほうが使い回しはいいように思う。

カメラに劣らず重要なのは照明だ。自宅の図書室はもともと子ども部屋だった関係で、天井が低く、部屋の一方の端に壁を背に向けて座っているため斜め前上方から照明が当たる。窓からの光も顔の高さとあまり変わらない。夜になるともうひとつのシーリングライトをつけるが、これもかなり低い斜め前方から光る。この2灯の配置がたまたまよかったので照明の重要性には気づかなかった。むしろ、手もとの第2カメラの画面にカメラ自身の影が映りこんでしまうのをどうやって避けるかということのほうが重要に感じていた。けれど、こちらの問題はカメラ自身のLED(あるいはスマホならスマホ自身のフラッシュライトの点灯)で解決できる。むしろ、講師の顔に当たる照明のほうが重要だと、実家の拠点をつくってようやく理解した。

というのは、実家のデスクは真上に天井灯がある。その結果、顔の陰影があまりに際立ちすぎるのだ。もちろんソフトウェア的な補正もできるが、そうなると光があたっている鼻の頭が飛んでしまったり、全体的にボケた感じになったりして、うまくいかない。役者じゃないから顔なんかどうでもいいといえばどうでもいいのだけれど、それを見なければならない生徒の立場にたってみれば、あんまり化け物じみたものは嬉しくなかろう。「オンライン会議のために照明を設置しました」みたいな話を読むたびに「自意識過剰!」とか思ってきた私だけれど、照明の向きによって「ああ、これはないよな」という画面になってしまうのは事実だったようだ。

真上からの照明。影が不気味

照明は、正面から2灯で当てるのが基本だ(だから自宅はたまたま理想的な照明環境だったわけだ)。ただ、真正面に顔を照らすランプを置くのは眩しいし、直接光を当てるといくら2灯でもやっぱり影ができる。そこで、こんな工夫をした。

正面からの照明

台所からアルミホイルをくすねてきて真正面の壁に貼り、そっちに向けてLEDのランプを当てたわけだ。これがうまい具合に柔らかく光る。ちなみに白熱電球用のソケットはなぜか大量にあった。もともと暗室だから。

正面からを加えた照明。多少はマシ

これで頭上の照明を消せばさらに顔は明るくなるのだけれど、全体的に部屋は明るいほうがいい。カメラは光があってのものだから、補正をするとしても基本的には明るい入力を補正していくべきだ。もともと白い背景だから自動で露出すれば逆光になって顔が暗くなるのだけれど、十分な光量があってのバランス上のことならソフトウェア上の補正でうまくいく。上の写真は青いシャツを着ているけど、白いシャツだと完全に飛んでしまうぐらいになる。けれど、それでもクロマキー処理の失敗で消えてしまうような不自然さはないから面白いものだ。

PCとソフトウェア (追記あり*1

PCは、それほどハイスペックでなくてもどうにかなるだろう。最初の1年はcore i3のちょっと古いノート型で仕事をしたが、特に不自由は感じなかった。ただし、メモリだけは16Gを積んでいたから、そのせいでうまくいったのかもしれない。ここは検証していない。一方で、モバイル用に使っている非力なノートはメモリ4Gしかないせいなのか、あるいはCPUはじめとしてあらゆるスペックが低いせいなのか、いろいろと不自由が出る。会社のWeb会議ぐらいならそっちでもできるけれど、授業は難しい。これは、会議システム(ZoomやGoogle Meetなど)以外のアプリケーションを使う都合上というのがあるのだろう。

現状、使っているのは2箇所の拠点にそれぞれ1台ずつの合計2台とも、Core i7NVIDIAのグラボを積んだゲーミングタイプのノート型で、まずは十分すぎる性能といえる。これはたまたま息子のお下がりをもらえたからで、自分の好みで誂えたわけではない。ちなみに彼はグラフィック系のソフトを扱う大学生であり、音楽系のソフトや配信関係のソフトを扱うミュージシャンでもある。だから、彼が不自由を感じるマシンでも、こっちにとっては十分すぎるわけだ。

周辺機器としては、USB接続の外部カメラかその代用に使うスマホが1台必要だ。スマホは決して普段遣いのスマホを使ってはならない。当たり前な話だが、普段遣いのスマホには電話がかかってきたり通知が入ったりと、忙しい。時には指導中に生徒との連絡に使わなければならなかったりもする。手もとを写しているのを中断して操作をするのは鬱陶しい。だから、古くなって使わなくなったものでもいいし、それがなければ数千円の中古品でもいい。必ず、別途用意する。それから、ヘッドホンかヘッドセット、イヤホンなどを用意しておく。これは常に使うのでなくとも、非常用に置いておくべきだ。

PCや周辺機器ではないが、PCまわりの環境としてインターネットアクセスも重要だ。基本的には光回線が通っていればいい。可能であればルーターとPCは有線でつないだほうがいいように感じている。Wifiでも可能といえば可能なのだが(実家の方はまだLANケーブルを引けていない)、Wifiの中継機は使わないほうがいいような気がする。確たる根拠はないのだけれど、トラブルが発生した事例が何件か中継機使用の生徒で発生している。他の要因もあるので原因とは言い切れないが、講師側では避けておいたほうが当面は無難かなと思う。あと、どこの会社とは言わないが、接続が切れる業者が存在するようでもある。ルーター再起動で解決するのだが、もちろんその間の5分程度は失われるわけで、信頼性の高い業者は選びたいものだ。ちなみに、Wifiが安定しない場合にスマホテザリングでつないだほうが安定するという裏技もあるのだけれど、日常的に業務としてやるのにその方法はどうかなと思う。

ここからのソフトウェアの話は、多くの方の参考にはならないかもしれない。というのは、私は2006年からこっち、基本的にずっとUbuntu使いで、業務の必要がない限りはWindowsを使わない(Macは母親のマシン以外は触っていない)。近年は多くのソフトがマルチプラットフォームであったりプラットフォームに依存しなかったりするのでまったく参考にならないこともないかもしれないが、ちょっとずつズレている可能性は高い。Linux、いいよ。なんでみんな使わないの?

ともかくも、ソフトウェア環境として、なにはなくともZoomやGoogle Meetなどのビデオ会議システムがないと授業にはならない。上記の2つはどちらもそれぞれなりの良さがあるが、基本的には大差ないといってかまわないだろう。これらを使うにはブラウザがほぼ必須だが、ブラウザなしで日常的にPCを使ってるひとも普通はないだろうから、特記することはない。生徒との連絡手段はいろいろあるだろうが、古典的なメールが文書の添付も手軽で結局は楽なのかもしれない。もちろん「そこはLINEでしょう」というのがあってもかまわない。ちなみにLINEはビデオ会議もできるわけで、それを指導に使うのももちろんあり得ると思う。使ったことはないので使い勝手はわからないが、Zoomの音声不良のときに音声だけLINEで間に合わせたケースはある。いろいろなオプションが用意できればそれに越したことはない。

実は最近になって使い始めたのだが、配信用のアプリケーションがかなり使える。というか、使い始めてみると、これなしでどうやって済ませていたのかがわからない。OBS(Open Broadcaster Software)Studio というマルチプラットフォームかつオープンソースのツールで、実のところ息子に教えてもらったものだ。ただし彼は、それでオンライン授業を受けつつも「さり気なく自分の名前を画面に表示しとくぐらいしか使いみちあらへん」と嘆いていた。生徒側からすればそうなんだろう。だが、講師側には実にメリットが多い。必ずインストールをお勧めしたい。ちなみに、Ubuntuの場合、リポジトリに含まれてはいるのだけれど、公式サイトからソースを追加しておかないと重要な機能が使えない*2。また、バグがあって、「仮想カメラ」機能を使うためにはちょっとしたオマジナイが必要だったりする。たぶん他のプラットフォームでは大丈夫なんだろう。

もうひとつ、必須にしているのが、実はとてもマイナーなソフトでXournalというもの。これはもともとWindowsにあったJournalというメモ用アプリを想定して開発されたものらしいのだけれど、本来の用途とはまったく別な用途で非常に使い勝手がいい。どういうものかといえば、PDFファイルを開いて、そこに文字や描画を自由に追加していける。典型的な使用例としては、生徒から提出してもらった宿題の画像をPDFファイルにしておいてXournalで開き、赤ペンを入れる感じでどんどん書き込んだり、マーカーで強調したり、正答例をテキストで打ち込んでいったりできる。そして指導後にPDFを書き出して生徒に返却することもできる。PDF形式はずいぶん前からユニバーサルなものになっているし、ときには生徒から送ってくるファイルがすでにPDFだったりもする。それを指導教材のベースにもってくるのは理にかなっている*3

XournalでPDFファイルを使用する関係上、PDFファイルを操作するためのアプリが必要だ。PDFsamのようなオープンソースマルチプラットフォームなツールはいろいろあるのだけれど、私はPDF Arrangerというのを使っている。特にこれでなければならないというものではないが、複数のPDFファイルをまとめたり分割したり、あるいはサイズを変更したり余分なところを切り落としたりと、いろいろと下処理に使えるものがあれば便利だ。

PDFで文書を扱うなら、画像ファイルをPDFに変換する処理も手早くやってしまいた。これにはいいGUIのアプリが見当たらないので(以前はあった気がするのだけれど)、あまり気が進まないけれど端末を開いてimageMagickのオマジナイを唱えている。複数の画像ファイルを一瞬で複数ページのPDFにしてくれるので、魔法は便利。

あと、PCのデフォルトで入っているスクリーンショット機能は、ショートカットで簡単に起動できるようにしておく。特に、「範囲を指定してスクリーンショット」の機能が最も使い勝手がいい。というよりも、指導ではそればかり使う。たとえば生徒側のカメラで問題を映してもらったら、すぐにその必要部分だけビットマップとして切り取って、上記のXournalで開いたPDFに貼り付ける。あるいは選択肢のある問題では選択肢部分だけコピーしておいて、それを本文上で動かしながら指導する。基本機能は便利だからこそ基本機能として組み込まれているのだと理解している。

第2カメラとしてスマートフォンを使う場合、スマホ側にアプリを入れる。USB接続でそのままPCの外部カメラとして使うアプリもいくつかあるようだが、無料版だと解像度が低かったり、いろいろとやりにくいところがあるようだ。私が使っているのは無料版のIP Webcamというアプリで、これはUSB接続はできないが、解像度もしっかり取れるし、いろいろな設定をPC側から操作できる。よっぽど古いAndroid以外は少々古い機種でもインストールできる。PCとスマホが同じWifiに繋がっていれば、IP Webcam側で表示されているIPアドレス(たとえばhttp://192.168.2.301:8080/みたいなやつ)をブラウザのアドレスバーに打ち込んでやれば、それだけでスマホで写した画像がブラウザ上で表示される。PC側では特別なアプリは不要だが、上記のOBSで読み込んで使うのが基本だろう。

文房具など

ハードウェア環境というほどのものではないが、文房具はオンライン指導でも必要になる。最も基本的なものは紙と鉛筆だろう。いくらPC上で文字も打てれば図も描けるとはいえ、手書きの表現力は侮れない。第2カメラで手もとを写して書きながら説明する。ホワイトボードに板書しなくなったのは、やっぱり紙に書くほうが早くて読みやすいからだ。紙は白紙であれば何でもいいのだけれど、基本的にはA4の裏紙を使っている。これは単純にそんな裏紙が溜まっていたから。2年でほぼ使い切ったので、最近は新品のコピー用紙も使っている。表裏、ともに使う。鉛筆の方は、Bもしくは2Bの濃いのを使っている。これは、HやHBで「読めません」と言われることが頻発したからだ。鉛筆の黒は、照明が強いと光ってかえって読みにくいのだけれど、暗ければやっぱり読みづらい。そう思えばサインペンやボールペンのほうが読みやすいのだろうけれど、消しゴムをかけられる点で鉛筆は捨てがたい。濃い鉛筆を使う。

訪問指導の頃は赤ペンは必須だったし、何ならマーカー類もカラフルに使った。けれど、オンライン指導ではほぼ使わない。カラフルにしたいのはたいてい元になる文書がある場合だし、そういうのはだいたいはPDFにしているわけだから、アプリケーション上でカラフルにできる。上記のXournalならそこが自由自在だから、下手な蛍光ペンなんかは要らない。

定規やコンパスなんかは、やはり訪問指導の頃に比べれば必要となる頻度は減った。とはいえ、これらは定規やコンパスの使い方そのものを指導するケースがあったりするので、必要なことに変わりはない。消しゴム、ハサミ、鉛筆削り、USBケーブルなど、一般的な文具も一般的なものとして必要だ。

意外なものが重宝する。文鎮とルーペだ。第2カメラで手もとを写すのだけれど、カメラから被写体までの距離があまりとれない関係上、思いの外に手もとの文書が歪む。例えば本が丸くなっているとして、1センチだけ真ん中の部分が端の方より浮き上がっているとする。ふつう、実物を目にしているときにはなんの違和感もない。けれど、これを本の表面から20センチだけ上方にあるカメラから写すとなると、カメラと被写体の距離が5%も変わってしまう。これは思った以上に読みづらい。だから、なるべく重い文鎮が役に立つ。いくら大量に抱え込んでいても、iPhoneXperiaレベルでは軽すぎて話にならない。小学生が書道で使うものでも軽すぎるぐらいだ。ブロンズ製のずっしりしたのを愛用している。

ルーペは、単純に老眼だからというのもあると思うが、最近の電子デバイスの解像度が高いからこそ使う価値がある。スクリーンに表示された文字が細かいときに、たしかにそれはソフトウェア的に拡大表示ができるのだけれど、それよりは虫眼鏡で見たほうが早い場合が少なくない。特にスマホタブレットの画素数はそこらのPCのスクリーンの画素数よりも多いのだから、ルーペで拡大して読んでも違和感がない。PCのスクリーンでさえ、20年前はルーペで拡大するまでもなくドットが視認できたことを思えばずいぶんと細かいところまで表現できる時代だ。見えなければ虫眼鏡(物理)が案外と手軽だ。恥ずかしがる必要はない。

時計は、もちろんPCに表示されるもので十分ではあるのだけれど、アナログ時計があったほうがPCの前に座っていないときでも時刻を確認できていい。指導直前の準備でバタバタしてるときなんかは、いちいちPC前まで確認に行けないから。そして、おそらくもっと役に立つのはキッチンタイマーだ。気に入ったのがなくて導入していないのだけれど、たとえば90分指導なら90分でタイマーをスタートしておけば、終了時刻を間違える心配はない。タイマー音が鳴れば指導終了のきっかけにもできるし、きっと役に立つよと思いながら、日用品売り場を探し続けている。

教材

教材は、当然ながら担当する生徒ごとに必要になるものが違う。だから個別にいろいろと異なるところはあるのだけれど、一般的に事前に準備できるものは準備しておく。事前に準備できないものとしては、たとえば突然の質問や指導中に思いがけず深入りする場合に必要な情報がある。そういうときにはブラウザ画面を生徒と共有して見ながら検索して探すことになる。

事前に準備しておけるものは問題集や参考書ということになるわけだが、出版物に関しては著作権に留意しておくことが重要だ。なお、後述するように教材は可能な限りPDF形式で準備しておいたほうがいいのだけれど、まず基本になるのは物理的な紙で出版された教材だ。そして、そういった出版物の著作権は、物理的な存在に紐付けられているとみていい。なので、1冊の本に許諾された著作物の利用権は1つであって、複製は許可されていない。こういうことは訪問指導の家庭教師にとってほぼ意識する必要がないことだ。なぜなら、生徒と一緒に問題集を開いているとき、そこにあるのは利用が許諾された著作物であり、その利用方法は(公衆に公開するとかいった場合は別になるけれど)どんな方法であっても私的な範囲であるから文句を言われる筋合いはない。生徒と教師が同時に利用していても、1冊の本しか利用していないなら1冊の本に許諾された著作権の範囲でだいじょうぶだ。まあ、世の中の教師には1つの利用権しかない1冊の本を平気でコピーして何人もの生徒に使う不届者もいたりするし、ときにそういうのが学校で配布されてたりして「どうなのよ」と思ったりもするのだけれど、それはまあ置いとこう。悪しき慣行はマネしてはならない。ふつうにやってれば、著作権はだいじょうぶなんだから。

ところがこれがオンライン指導になると突然話が変わる。たとえば生徒がある問題集を使っているとする。それを訪問して一緒に見るのではなく、オンライン上で一緒に見る。やっていることはまったく同じに見えるが、これは著作権法上、アウトである可能性が高い。教師が参考書を持っている。この参考書を生徒に読ませようとカメラで写す。やはりアウトになる可能性が高い。なぜか。それは、画像を共有しようとカメラで写した瞬間に、私的利用の許諾の範囲を越えて複製したことになり得るからだ。訪問指導とまったく同じことをしても、間に機械が挟まるだけで、法律の解釈上は別な事象として扱われる。正直、釈然としないのだけれど、どこかで線を引かないと拡大解釈はどんどん広まってしまうので、ここは「まあ、そういうことなんだろうな」と思っておくべきなんだろう。時間が経てばもう少し法律やその解釈も変わっていくとは思う(だからここに書いたことも時代遅れになるはず)。当面は、回線越しの本(物理)の共有はアウトだと認識しておこう。

では、問題集や参考書(物理)は使えないのか。いや、使うことはできる。基本は、生徒と教師が同じ教材をそれぞれ手もとに置くことだ。こうすれば、仮に指導の必要があってカメラでその教材を写していても、1冊の本に対する2つの使用許諾を2つの利用でもって消費しているだけなので、著作権の原則を何も侵さない。カメラで写す行為は同じであっても、それは複製のためではないことになる。同じ行為であっても目的と実質が異なるので、これは文句はつけられない。ただし、その授業を第三者が見た途端にその行為は著作物の複製になってしまう。このあたりがとてもややこしいのだけれど、安全のためには問題集や参考書(物理)を写した授業は、録画もストリーミング等での公開もできない。ふつう、家庭教師の授業でそんなことをするやつはいないわけだからだいじょうぶなんだけど、ここはしっかり押さえておく必要がある。

とはいえ、現実には、家庭教師の手もとにない練習問題を生徒が教えてほしいと思うことは普通に発生する。そういう場合は、特に数学や理科であれば、その練習問題を生徒が写真に撮って教師に送っても、ほぼ著作権上の問題は発生しない。なぜかといえば、だれが作っても同じようなものができる著作物に関しては、著作権は発生しないからだ。だれかが「1+1=2」という問題に著作権を主張し始めたら世の中の動きがストップするという単純な例をあげれば十分だろう。およそ、広く公知である科学的な事実をもとにそれを展開しただけの問題には、著作権は発生しない。ただし、それだと数学の問題集はすべて著作権フリーになるのかといえば、そうではない。なぜなら、ひとつひとつには著作権が発生しない問題であっても、それをどう配列するのかということに工夫があるからだ。まずは問題Aを解かせ、その基礎の上に問題Bを解かせようという意図のもとに問題AとBを配列してあるような問題集であれば、その配列にはまちがいなく著作権が発生している。これも一般的に「どう考えたってその順番じゃなきゃおかしいよね」という程度の配列なら著作権は無理筋だと思うのだけれど、まあ細かな工夫はどこにでもあり得るから、そこはツッコまないことにするのが礼儀というものだろう。ともかくも、数学や理科であれば、多くの場合、問題単体に著作権はないが複数の問題の配列には著作権があると考えるのが穏当だ。そうでなければ世の中は発展しない。だから1ページまるごとのコピーは著作権法上アウトでも、わからない問題1つを教えを請うために写真に撮って教師に送るのは、ほぼ著作権を侵害しない。

社会科の1行問題、英語や国語の文法問題に関しても、これはあてはまる。だが、ややこしいのは社会科や英語、国語では、通常、「本文」と呼ばれる長文が付随することだ。これらの本文は、誰が書いたって同じようなものとはとうてい言えないし、実際、オリジナリティがはっきりと読み取れるものである。国語や英語の長文読解では、問題集に掲載される以前にさらにオリジナルの著作物があり、そちらははっきりと著作権を有している。安易に複製して送信することはできない。

正直なところ、これに対処する方法を私は知らない。もちろん、そのオリジナルの本文がすでに著作権切れである古典(例えば芥川龍之介の「羅生門」とか)なら遠慮は要らない。英語の長文の場合、たとえばNew York Timesの公開記事にオリジナルが見つかったとかなら、そっちを参照して指導ができる。学校の定期テストで教科書の本文が引用されている場合なら、同じ教科書が家庭教師の手もとにあるなら、文句を言われる筋合いはない。個別にそういうふうに可能な場合はあるだろう。けれど、一般的に著作権を侵さない方法は、これら「本文」を含んだ問題では存在しないのではないだろうか。

話がだいぶと逸れたが、結局のところ、問題集や参考書(物理)の教材準備は、単純に同じものを生徒用と教師用の2冊、購入しておくということだ。可能であれば生徒が学校で使用している教科書も、同じものを入手しておく。教科書は販売されている場所が限られているので、特に留意が必要だ。もっとも、最近はネットで注文もできる。けっこうな時代だ。ともかくも、「同じものを回線のこちらと向こうの両方に用意しておく」のは、手間がかかるので事前準備としてわざわざ書き出しておく意味があると思う。

ただし、教材として使いやすいのは、PDFだ。カメラで写すことによる読みづらさが発生しないのと、解説を直接画面に打ち込んだり重要なところをマーカーで記したりといった作業がやりやすいので、紙媒体よりも指導しやすい。可能であれば教材はPDF形式の電子データで手もとに置いておきたい。

とはいえ、「じゃあ、手持ちの問題集をスキャンしてPDFにしようか」と考えるべきではない。それはたいていの場合、著作権を侵害する。だいたいがけっこうな手間であり、どこからどう見ても賢いことではない。じゃあどうするのがいいのかといえば、ベストの方法は紙媒体と同じで、すでに電子化されているデータを生徒の分と2件分、有償で購入することだろう。

それをやった上でなお、教材は不足する。家庭教師をやっていて痛感するのは、大部分の教材は使う必要はないけれど、本当に必要な教材は必ず不足するという事実だ。ほとんどの生徒は、特定の教科の特定の単元だけを繰り返し練習する必要に迫られている。集中的に弱点補強をしようとすると、その範囲の問題は必ず不足する。その一方で、(十分に点数がとれてるケースとか、逆にそこまで手を広げられないケースとか、事情はいろいろだが)それ以外の範囲の問題はほとんど余る。教材を買っても手を付けないまま終わることが多い。それを無駄と感じるひともいるだろうが、必要な問題を揃えるためには余分なものもまとめて買っておかなければならない。問題のバラ売りなんて基本はないのだから。

ともかくも、有償で教材を準備しても、教材は必ず不足する。それを補うのは、著作権上の問題が発生しないオープンな教材だ。あらゆるものが十分に揃っているわけではないけれど、Webを探せば自由に利用できる教材を公開してくれているサイトがいくつか見つかる。もちろん「自由に」といっても営利利用はダメとかいろいろサイトによって条件があるので、利用規約はしっかりと見る必要がある。個人利用のみOKというような場合には生徒には紹介だけして授業で利用しないようにするとかの工夫も必要だが、ともかくも、こういうサイトには助けられる。英語圏まで広げるとこういうフリーな学習補助サイトみたいなのはけっこうたくさんあるから、高校生ぐらいだと英語の勉強を兼ねてそういうところの情報を使うこともできる。また、世の中には行政が公開している教材もPDF形式で存在していたりもするので、著作権に問題なく使えそうなものは探して手もとに確保しておく。古文だったら、古文の原文そのものは著作権切れだから、国会図書館とか探したら画像ファイルとして入手することもできるだろう。

その上で、最後に不足するものは、自作するのが最も問題がない。汎用性の高いもの、たとえば中学数学の計算問題とかであれば、自作するのも容易だ。とことんな話、手書きで書いてスキャンしてもかまわない。私は字が汚いので、もっぱらワープロで打ち込んでPDFで出力する。英作文問題とか理科や社会の記述問題なんかは、何人もの生徒で使いまわしている。

指導

準備が整ったところで、実際の指導だ。もちろん指導以前に新規生徒の獲得とか、いろいろあるのだろうが、そこは別の話になるだろう。現在の私のようにそのあたりを会社に丸投げしているなら、来るものを受ければ済む話でもある。

ソフトウェアの設定

指導開始前にソフトウェアの設定をしておく。とはいえ、ほとんどの設定は最初に1回やっておけばいいのであって、あとは起動順だけ気をつければいい。もっとも、起動順をまちがえても一手間増えるだけで、何も問題はない。

最初に起動するのは(もしもスマホを第2カメラとして使うのであれば),スマホのIP Webcamだ。起動したら「映像ストリーミングの開始」でスタートさせ、電池の消耗を防ぐために「動作」から「バックグラウンドで起動」もしくは「撮影画面を表示しない(エコモード)」を選んで、ディスプレイの電源を切っておく(あるいは「電源管理」で設定できるのかもしれないが、よくわかっていない)。ただし、初回の場合、あるいは再起動したあとなんかには、ディスプレイを切る前にIPアドレスは確認しておく。

次にOBSを起動する。初回の設定がうまく通れば再起動とかでIPアドレスが変更されない限りは、この順番でやればIP Webcamの読み込みは前回から引き継がれる。ともかくも、OBSの設定では、まず、いくつかの「シーン」を考える。OBSは複数のカメラからの動画、ファイルに保存された動画、画像、同時に開かれているウィンドウ、テキスト、ブラウザのページなどを1枚の「仮想カメラ」として出力できる機能を備えている。これを使えば、ZoomやGooglle Meetの入力値として、上記のイメージを自由に送り込むことができる(音声に関してもできることは多そうだが、オンライン指導では使いみちがいまのところ見つかっていない)。ただ、常に同じ配置で送信するのでは芸がない。いくつかの配置を切り替えて使う。これを「シーン」と呼ぶ。

たとえば、待ち受けのシーンはこんな配置になる。

待ち受けのシーン

左下隅を拡大すると、こんな感じ。

左側の「シーン」でこの「待機」を選ぶと、テキストと画像を組み合わせた映像が仮想カメラに出力される。だからどうなのよ、と思わないでもない。この画像をZoomに流しておけば生徒がアクセスしたときに「ああ、このIDでうまく参加できたんだな」とわかるわけだが、別にこんな画面がなくたって、不安になることはないだろう。また、やろうと思えばZoom上で似たようなことはできる。けれど、OBSの使い勝手がいいのはここからだ。

上の画像の「シーン」で、「待機」を「講義」に切り替える。すると、こんな画面になる。

「講義」のシーン

PCの内蔵カメラが表示される。操作部分を拡大すると、

シーンの切り替え

これは生徒から見ると、通常のZoomの講義の画面だ。ふつうにZoomなので、「何が嬉しいの?」となるだろう。しかし、ここで「シーン」を「手元」に切り替える。

「手元」のシーン

第2カメラで写した手元が表示される。それだけならZoom単体でも工夫すればできなくはない(USBの外付けWeb Cameraなら、左下隅のボタンで切り替えられるはず)。けれど、上の画像の左上隅を見てほしい。私の顔が映っている。これは静止画ではなく、PC内蔵カメラで写した動画だ。つまり、講義中の講師の姿を映したまま、手元も同時に映すことができる。

あるいは、「講義」のシーンで内蔵カメラをオフにすると、こんな画面になる。

さらに画像を追加したシーン

左側の答案は、生徒から画像で送ってきた提出物。これを画面に表示しながら、手元の紙に指導していくことができる。この画像はXournalで処理中のアクティブなものだから、こっちの方にいろいろと注釈していくこともできる。

答案にソフトウェア上で注釈をつけていく

もちろん、Xouranalの画面をもっと全面に引き伸ばすこともできるし、さらに別の入力ソースを加えていくこともできる。

入力ソースは増やせる

つまり、基本的には複数のシーンを切り替えながら講師の顔を映したり、手もとを映したりする。その上で必要に応じて、ソースの表示・非表示を切り替えたり追加したりして画面に映る情報をコントロールしていく。

OBSの設定は、そこまでを想定して行っておく。たとえば「手元」のシーンでは講師の顔画像が縮小されているが、よく見てもらえれば顔の周囲の空白もクロップされている。これはソースを右クリックして「変換」を編集すれば簡単にできる。こんなふうに、あらかじめレイアウトを決め、それぞれのソースを最適にしておけば、使い勝手がどんどん上がる。

なお、IP Webcamを使った場合のソースの追加は「ブラウザ」で行うのだが、このときのURLは、たとえば表示されているのがhttp://192.168.2.301:8080/だとしたら、http://192.168.2.301:8080/browserfs.htmlのように、末尾にbrowserfs.htmlを追加しておくといいようだ。詳しいことは聞かないでほしい。私もよくわかっていない。スマホの操作(ピント固定とかズームとか明度・コントラストの調整とか)は、別途Webブラウザの方で行うといいようだ。

OBSを起動したら、必ず「仮想カメラ開始」をクリックしてから、Zoomを起動する。この順番でやると、ミーティングを起動したときに(前回OBSを使っていれば)、OBSの出力映像が自動的にZoomに表示される。順番を間違えるとZoomがカメラを見つけられないから、改めて「仮想カメラ開始」をしてからZoom側で設定を触らないといけないので、一手間だけ増える。まあ、たいしたことではない。

Zoomの設定についてはいろいろ解説も出回っているので私が今更どうこう言うこともないと思うが、だいたいはデフォルトで使っていて問題ないと思う。ただ、オーディオ設定の「マイク」の「自動で音量を調整」だけはチェックを外しておいたほうがいいようだ。音声は毎回生徒にきちんと聞こえるか確認したほうがいいのだが(先方の環境によって聞こえ方が多少異なるようだ)、その際にPCの音量調整を調整しても、ここにチェックが入っているとZoom側で勝手に調整をかけてもとに戻ってしまう。小さな親切・大きなお世話を感じている。

指導の開始から実際

事前の準備が整ったところで、指導が始まる。もちろん、上記の設定のほかに実際の授業の準備が必要な場合は、それもやっておかねばならない。たとえば、メール添付で宿題の提出を受けていた場合なんかは、複数画像ファイルのままでは面倒なので、1ファイルのPDFにまとめておく。そういったPDFファイルや、教材として予定しているPDFファイルはあらかじめ開いておく。その他ローカルにあるファイルで臨時に必要になるものが出る可能性があるので、ファイルブラウザも開いておく。質問が予想される場合なんかは、Webブラウザも開いておく。なお、ブラウザはアドレスバーに履歴が見えたりして自分の情報が生徒に見えてしまう場合もあったりするので、指導用には専用のブラウザもしくはプロフィールを用意しておくぐらいの用心はしてもいい。たとえば、普段は使わないFirefoxとかOperaを指導用にインストールしておくというのもひとつの方法だろう。

セッションの開始は定時を契約時に決めておくわけだが、開始前からZoomでミーティングルームを開けておいて、OBSで待機画面を出しておけばいい。

定時になったら講師の側から顔と声を出して、挨拶をする。このとき、必ず、音声がクリアに聞こえるかどうかの確認をしている。音声のトラブルは、案外と多く、また、授業の妨げになる。生徒にも声を出してもらって、こちら側でもきっちり聞こえることを確認する。聞き取りにくい時にはヘッドセットやイヤホンを使うと聞き取れる場合がある。毎回の指導で使うのは耳に負担だが、聞こえにくい生徒の声に苛つくぐらいなら1回の指導の間ぐらいは我慢できる。

指導の内容には踏み込まない。というのは、これは生徒によって千差万別だからだ。ただ、訪問指導の場合と大きく異なるのは、生徒の手もとが見えないことだ。もちろん、あらかじめ契約時に説明して、生徒の手もとが写せるように外部カメラやスマホを用意してもらうのは可能だ。だが、経験上、そういったハードウェアをうまく使いこなせる生徒は5人に1人だ。もちろん、たまにはこちらが感心するぐらいうまく手もとを映してくれる生徒もいて、そういう場合には、たとえば「じゃ、この問題やってみて」みたいに指示を出して問題を解く手もとをじっと観察してアドバイスを送るような指導もできる。けれど、多くの場合は、画角が狭すぎてすぐに画面をはみ出したり、アームが不安定で見ているだけで酔いそうになったり、ピントがボケて文字が全く読めなかったり、あるいは最初から設定を諦めていたりで、手もとを見ながらの指導なんて基本的にはできない。

ではどうするかといえば、工夫は生徒によってそれぞれだ。スマホの操作に慣れた生徒なら、問題を解いたらすぐに写真に撮って送ってもらう。送ってもらった画像をスクリーンショットで切り出してXournalで開いたPDFに貼り付けて、その上に赤を入れていく。ガジェットを使うのに苦労する生徒なら、顔を映しているカメラの前に答案を広げてもらう。ピンボケしていても、どうにか読める場合がほとんどだから、手で広げてもらっている間にスクリーンショットを撮る。あるいは指導中の問題演習は一切諦めて、問題を解くのはすべて宿題にしておいて画像で提出させる。ときには、問題のPDFファイルをXournalで開いた画面を共有して、口頭で解答や途中式を言わせて、それをこちら側でPDFに書き込んでいく。共有画面では生徒に書き込ませることもZoomの仕様上は可能なのだが、実はZoomの描画機能は思いの外に使いにくく、生徒がそれを使いこなすことはかなりの困難を伴う。それよりは、Xournalのアノテーション機能でこちら側で書き込んだほうが確実で早いわけだ。

とはいいながら、やっぱり訪問指導に比べたら、目の前で問題を解かせる頻度は減る。ま、もともと私は他の家庭教師に比べたらそういう時間は少ない方だった。「勉強の見張り番」みたいな役割ではまともな指導料は取れない。学生講師ならそういうのもありかもしれないが、いい年をしてそういう仕事はできない。現状を把握し、ビジョンを見せ、計画に落とし込み、それが実行できるように工夫するのが仕事の基本だと思うし、問題の解説や講義をするのはそれを支えるためだと思っている。問題を目の前で解いてもらうのは現状を把握するためであり、練習を積ませるためではない。練習なら自分一人でできるだろう。もっとも実際には、1題うまくいったら次はこれ、うまくいかなかったらこっちの問題みたいに、目の前で練習させないと先へ進まない単元もあったりする。たとえば中学数学の正負の計算や方程式の導入時の指導なんかはどうしてもそうなる。そういう指導は、確かにオンラインはやりにくい。実際、それでうまくいかなかった生徒もいて、数学だけは訪問指導に切り替えられて、私は国語の指導に配置換えになった。このあたりは未解決の課題だ。

しかし、そういう単元は全体から見れば多くない。英語なんかは、手もとを見なくても別に不自由はない。もともと言葉は音声なのだから、音声で答えさせればいい。それでは単語の綴りを覚えないではないかと思うかもしれないが、練習問題の解答を手書きにしたからといって余計に綴りを覚えるものでもない。むしろ、綴りと音の関係をしっかり意識して発音させるほうが、単語の習得は早い。私ではなく英語が専門の講師がそういう実証的なエビデンスがあるようなことを言ってたから、たぶんそうなんだろう。

となると、結局のところ、音声でのコミュニケーションが訪問指導のときにも増して重要になる。訪問指導のときに比べると喋る量は体感で2倍くらいになるし、生徒の喋る量も増える。これは実はオンライン指導のひとつの長所ではないかと思う。というのは、誤解を避けるために講師の側も声の出し方に気を使うようになって技量が上がるのだし、それよりなにより、生徒のコミュニケーション能力が向上するからだ。だいたいが、中学生とかの年代の子どもは、無口になることが少なくない。訪問指導の生徒でほとんど声を聞かないまま最初から最後までの指導を終える場合だってないわけではない。男女を問わず、喋らない生徒はとことん喋らない。けれど、オンライン指導ではそういうわけにはいかない。音声のコミュニケーションがなければ指導が進まない。うまい具合に、生徒の側にとってもオンラインは案外と喋りやすいもののようなのだ。生徒が無口になるのは、「人見知り」みたいな言い方もできるが、やはり家庭教師という存在の物理的な圧迫感が影響している部分が大きいのだろう。同じ生徒で比較できたわけではないけれど、訪問指導だったら口を開かないような生徒がオンラインだからどうにか喋ってくれる、という感触のケースが多いように思う。もしもそうであれば、そこをきっかけに、コミュニケーション能力が向上していくのではないかと思う。ちなみに、コミュニケーション能力は、学習指導要領でも重視している基本スキルセットのひとつだと私は捉えている。

学校での学習事項の理解が生徒に乏しいときや先取り学習をするときなんかは教科によらず講義をすることになるわけだが、その場合ももちろんこっちは喋り詰めになる。といって生徒を黙らせておくのももったいないので、適宜質問を挟んでいく。私は(学生の頃の塾講師のバイトを除き)教壇に立ったことはないので、多人数に対する講義をどう進めていいのか、想像もできない。けれど、一対一なら普通の会話と同じなので、どうやって相手に喋らせるかみたいなことは考えながら進めることができる。これはなかなか楽しい。そして、音声だけでなく、もちろんいわゆる「板書」もする。ただし、ホワイトボードの使用は半年ぐらいでやめた。もともとそういう素養がないので、下手くそなのだ。数学なんかは数式のややこしいのや図形は手書きのほうが楽なので第2カメラで手もとを写して白紙の上に書いていくことが多い。けれど、最近は可能な限り、Xournalで白紙のPDFページを開いて、そこにテキストと描画で打ち込んでいくようにしている。なによりも読みやすいからだ(なにせ私の手跡はひどく汚い)。そして、講義が終わったあと、その板書をそのままPDFで保存して生徒に送ることもできる(滅多にやらないけど)。

オンライン指導では、Webブラウザを生徒と共有して利用することも多い。基本的な検索・閲覧で使うことも多いわけだけれど、Web上のアプリケーションを使うこともある。特にDesmosは、関数の学習では中学・高校を問わず必ず使う。ほかにも役に立つサイトはいろいろあるが、それはまた別の話になると思う(もう2万字越えてる。どう考えても一記事として長過ぎるやん)。

指導の終了と後始末

あの手この手を尽くして無事に1コマの指導を終えたら、締めの言葉と挨拶で授業を終了する。音声をオフにし、画面はOBSでGoodbyeに切り替えて、生徒の退出を待ってミーティングルームを閉じる。Zoomの場合、設定にもよるけれど、1回限りのミーティングルームはいったん閉じるともう再開できないので、生徒を先に退出させるほうが一般にはいいのだろう。

通常は指導と指導の間には必ず一定の休憩時間を挟むので、その間に次の生徒の準備をすればいい。ただし、稀には生徒の都合で連続して次の生徒にかからなければならない場合もある。Zoomの場合、定刻前に入室可能の設定でミーティングルームを予約しておけばそういう対応も可能なのだけれど、正直、これは慌ただしい。ただ、おもしろいのは、訪問指導だと定刻に終了といってもなんだかんだと5分とか10分、生徒の家の玄関を出るまでにはかかるのが常なのだけれど、オンライン指導の場合、定刻に終わるのがそれほど難しくない。そういう意味では、こんなアクロバットも可能になるわけだ。

とはいえ、指導が終了したら、ログを兼ねた報告を書いたり、生徒に必要なPDFを書き出して送ったり、いろいろとやっておくことはある。なので、間の休憩時間は決して休憩のためではない。このあたりは学校の教員と同じなのかもしれない。その時間も時給の対象にしてほしいなあとは思うが、業務委託の「時給」は実際には1コマやっていくらの丸投げなので、このあたりは自分で工夫して合理化していくしかない。

おわりに

家庭教師をはじめてまだ数年しかたたない頃に、家庭教師のためのマニュアル本を書いた。出版社には相手にされなかったのでAmazon電子書籍として出したが、7年ほどの間に累計で130冊以上プラス2万ページ以上が細ぼそと売れている。年間にすれば(ページ数も冊数に換算して)30冊ぐらいがコンスタントに出続けている計算だ(その程度しか出ないロングテール商品だから出版社が見向きもしなかったのもわかる)。その本はそれなりに思い入れもあってつくったのだけれど、経験としてはそれ以前よりもそれ以後のほうがずっと長いわけで、いろいろと不満なところもある。

だから、数年前から新たな本を書こうと思っている。だけれど、これがなかなか進まない。いったん宿題化すると、いつまでも積まれてしまうのは性格なのだろう。とはいえ、放っておくには惜しい。新たな知見もたくさんある。たとえば、今回書いたオンライン授業にまつわるものなんかは、以前の本にはひとつも触れられていない。ならば、新たな本にこのネタはとっておいたほうがいいんじゃないの、と思わないことはなかった。

けれど、ソフトウェアに依存したオンライン授業は、あっという間に変化する。変化の早いものは、情報として劣化してしまう。以前の本のように7年も売れ続けたとしたら、あとの方の読者にはずいぶんと役立たずな情報を与えてしまうことになるだろう。それは本意ではない。

ここで取りあげた内容の多くは、私自身の体験を基本にしている。けれど、その中でもOBSやIP Webcamのようなソフトウェアのあれこれは、Webから得たものが多い。そしてそれらの情報は、先人が公開していてくれたものだ。ずいぶんと助けられた。であるならば、やはり私も同じように情報を公開すべきではないかと思った。もちろん電子出版も公開のひとつの方法であるが、古びていく情報にはブログのほうがお似合いだろう。

家庭教師という商売をやっていて、この方法にはまだまだ多くの可能性があると思う。一対一の指導は、実にいろいろな展開を可能にする。従来の教室型では考えられないような指導方法もまだまだ見つけていけそうだ。その一方で、1人の教師を食わせるためにはかなりの経済的負担を生徒家庭がしなければならず、裏を返せば家庭教師で蔵を立てるほど稼ぐことは不可能でもある。そういう意味では問題の多いあり方でもある。

オンライン指導は、まだまだ始まったばかりで、どう展開するかはわからない。けれど、ひょっとしたら一対一の指導の長所を活かしながら、経済的にはどうもうまく回らないよねというところを変えていくきっかけになるかもしれない。それにはまだまだ知恵とイノベーションが必要だ。けれど、そういう未来も、ひょっとしたら来るかもしれない。

そして未来は、誰か頭のいい人が一人で切り開くのではない。天才も必要かもしれないが、その足下には無数の捨て石が転がっている。そういう石ころのひとつとして、この記事が役立てばいいなと夢想したりもする。いや、そんな大層なもんかいな。

*1:その後、同業者との話の中で、案外とタブレット使用の講師が多いことがわかってきた。タブレットにはタブレットなりのノウハウがあるのだと思うが、私はその実践者でないので触れない。ただし、タブレットユーザーのデモを見ていて羨ましいと思ったのは、デジタル教材への書き込みだ。タッチスクリーンなので手書きでどんどん書き込める。後述するように私はソフトウェア上で書き込むのにポインタでやっているので、ただでさえ汚い字が更に汚くなり、生徒に申し訳ないことこの上ない。これが多少は改善できそうだ。

そこで、タブレットの導入も考えたのだけれど、実はこれは以前にPCのサブモニターとして導入しようと試みて失敗している。これはそもそもハードウェアの問題でもあったので、そういう解決策もあるとは思う。ただ、そうするためには新たなタブレットを買わねばならず、予算と市場価格を見比べて考えていて、それならいっそ、タッチスクリーン式の外部ディスプレイを手書き入力専用端子として導入するのがいいのではないかと考えが至った。
割と安物の14インチのディスプレイを導入してみたら、これがプラグイン・プレイで何の苦労もなく本体PCとミラーリングができる。そしてそこにタッチペンで書き込むと、確かにポインタ操作で苦労して手書きするのとは比べ物にならないぐらいに楽にペン描画ができる。これはオンライン指導時のハードウェアの標準装備として書き加えておくべきだと思った。
なお、後述のソフトウェアXournalは、このペン描画のときにタッチスクリーン対応をいちいち指定しなければならず、実用上問題がある。困ったなと思ったら、そのフォークらしいXournal++というのがあることがわかった。これならまったく問題なく、直観的な操作でタッチペンの描画ができた。Xournal++はクロスプラットホームらしいので、私のようなLinux環境でなくても使い勝手がいいだろう。

*2:Ubuntu 23.04では通常のリポジトリのもので解決していた。なので、普通にインストールするだけで大丈夫だ

*3:さらにいえば、Zoomはデフォルトのホワイトボードが非常に使い勝手が悪いので、Xournalで白紙のPDF文書を開いてホワイトボード代わりにしている。これがなかなか有能