地頭の良さと受験勉強と

学習塾的な教育が「本質的に」役に立ってるのかという増田(Anonymous diary)記事があった。

anond.hatelabo.jp

SAPIXみたいなのって本質的に役に立ってんの?

老子によればおよそこの世の中無用のものはないのであって、そりゃ、この世に存在するものであれば役に立ってないわけはない。ただ、記事には「本質的に」とある。じゃあ、「本質」って何かって考えたら、そこはわからなくなる。まあ、難しく考えるからわからなくなるのであって、ひらたく考えたら、「子どもに教育を受けさせる意味」みたいなことかもしれない。だったら、これは「本質的には役に立たない」と断じてかまわないだろう。少なくとも現代社会に合意されている意味では、役に立たない。

なぜなら、日本国憲法にあるように教育を受けるのはすべての人に認められた権利であり、基礎教育は国が無償で提供する。無償で提供する教育内容は、「本質的に」役立つものでなければならない。現実がどうなっているかはさておくとして、理念としてはそうなっているはずだ(でなければ国会で法改正が議論されるはず、ってのが民主主義だよね)。そして、教育基本法以下、学習指導要領までを読めば、たしかに(それが正しく実施されるなら)、公教育は本質的に役に立つように設計されている。

公教育の外側に位置する受験産業は、多くの場合、公教育で認められなかった教育を施すものだ。特に、中学受験のさまざまなテクニックは、かつては指導要領の中で認められながら、それが洗練されるとともに次第に排除されるようになっていったものだ。もしもそれらが本質的に役に立つものであったなら、排除されるはずがない。本質的ではないから排除されたのだ(ただし、受験業界には、序列をつける上でそれらのテクニックを利用する価値がある。だから公教育の外側で生き残った。そのあたりの批判は、別記事でも書いたところだ)。受験産業のやってることの多くは、「本質的な」意味では役に立たない。

もちろん、このブログでも何度も書いているように、全体の話と個別の話を混同してはいけない。個別には、そういったテクニックを学ぶことで本質的な成長を遂げる生徒もいるだろう。だが、そうなってくると、教育が目指す本質的な成長とはどういうものだという話になってしまう。そして、この少し前に目にした別の増田記事が思い浮かぶ。これだ。

anond.hatelabo.jp

いや、この記事そのものよりも、そこについたブコメ群のほうだろう。

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コメントを見ていて思ったのは、「地頭」のイメージがずいぶんとひとによってちがうのだなあということ。まあ、元増田のイメージはかなり極端なハズレ値だと思うのだけれど、それにしても幅が広い。

私のイメージだと、「地」なのだから、余分な介入をしない時点での利発さのことかなあと思う。そして、「余分な介入」の大部分は、私にとっては受験勉強に代表される反復訓練だ。それをしなくても「一を聞いて十を知る」ような回転のはやい生徒に当たったとき、「ああ、こいつは地頭がいいなあ」と思う。そして、「これはラクができるな」とホッとする。家庭教師にとってはアタリの生徒だ。細かいこと言わなくても、軽いアドバイスでどんどん点数をあげていってくれる。実際のところ、「できるやつは何をやってもできるし、できないやつはどうがんばったってできない」。この絶望的な事実は、家庭教師を数年もやればイヤでも気づかされることだ。伸びる生徒は家庭教師なんぞつけなくったって伸びるし、底辺を這いずる生徒は家庭教師がいくらムチで叩こうが成績を上げない。結局は地頭の良し悪しが結果を左右してしまう。ミもフタもないことではあるが、ある部分は、否めないことだ。

この「地頭がいい」生徒、意外にも小学生時点では珍しくない。それが中学生になると、減ってくる。ということは、外部から感じられる「地頭の良さ」は、決して遺伝のような生得的に決まるものではなく、あるいは幼児期の英才教育のようなもので決まるものでもないのではないかと思えてくる。もしもそうなら、年齢によって出現率が変化するのは奇妙だということになるからだ。そして、だとするならば、「地頭を良くする介入」ができるのではないかという推論が生まれてくる。変化するものなら、その変化への介入はできるはずだ。地頭の良くない生徒の成績を伸ばすことは困難だけれど、地頭を良くすることはできるんじゃないかという希望が生まれてくる。

ということで、私はできるだけテスト対策なんかには時間を潰さずに、「どうやったらこいつの地頭を伸ばせるだろうか」という課題に焦点を当てるようにしている。もっとも、そのあたりはいろいろ兼ね合いもあるので難しい。それになにより、「地頭」というものの正体がいまひとつ判然としないため、それを伸ばすためにどういう対策がベストなのか、生徒によっては狙いを定めきれないことも多い。それでも、そういう観点で取り組むことで、どうやらこうやら「家庭教師なんてあってもなくても同じ」というところから少しだけは抜け出せているのかなと思う。

 

ちなみに、「地頭」を伸ばす方法として、おそらくこれまでの研究の蓄積の中でほぼ唯一エビデンスが得られているのは、「読書」であるようだ。ただし、読書なら何でもいいのかというとどうもそういうことでもないし、読書が唯一の方法であるのか、それがベストの方法であるのかということも、何一つエビデンスがないようだ。私がもう一つ注目しているのは「対話」なのだけれど、これも方法論として確立しているわけではない。いずれにせよ、こういうことは「本質的」な教育効果につながると思うし、学習塾ではまずやらないことであったりする。ということは、まあ、やっぱり学習塾とかには、「本質的な」意味はないのかなあ。もちろん、中受の合格勝ち取りたければ、ヘンな家庭教師なんかにつくよりはよっぽど役に立つと思うけどね。

なぜ「昔話」のオリジナル版をあまり目にしないのか

こんな増田記事を見てブコメを書こうと思ったけど、長くなるのでこちらで。

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[B!] 昔話はなぜ文語じゃないんだろう

「昔話」と一口に言っても、中身はいろいろある。柳田国男を先駆として各地で採取されてきた「民話」が量からいっても質からいっても「昔話」の大部分を占めるとして、そのなかにもいろいろな系統やら分類やらがあるらしい。そして、その外側に書物に記され、文書として読まれてきたものがある。ただ、それらも口承で伝えられてきたものの記録であったかもしれないし、あるいはオリジナルな創作であっても、それが口承され、やがて民話の中に溶け込んでいったものもあるだろう。

口承の民話であれば、それが文語でないのはある意味、当然だ。文語どころか、地方独特の語り口で記録されたままのものは、現代語の感覚だとまったく意味がわからなかったりもする。そういった記録は当然存在しているのだけれど、一次資料的なそういうものが一般の目に触れないのは、これも当然だろう。

その一方で、書物として伝えられてきた「昔話」に関しては、当然ながら古文で書かれている。増田は「我々が知っているのは、かぐや姫に対する竹取物語ぐらい」と書いているが、たとえば「浦島太郎」は「丹後国風土記」だし、「ものぐさ太郎」は「御伽草子」が出典だ。「こぶとり」は「宇治拾遺物語」に記載されている。これらは、古文で書かれていて、ごく普通に入手できる。たとえば私の書棚にも、岩波文庫版の御伽草子がすぐ手の届くところに置いてある。

つまり、「竹取物語ぐらい」というのは、増田が単に無知なだけだ、と言ってしまってもいいのだけれど、実はここにはそういう無知を発生させる事情があると私は思っている。それは、高校入試、大学入試の存在だ。

 

通常、高校入試、大学入試の国語の試験には古文が出題される。出題される古文は、新たにつくられることはなく(そういう擬古文を問題に出したらたちまち各方面からたたかれるだろう)、中世以降に実際に書かれた文献から抜粋される。千年以上も蓄積された文献があるのだから、いくらでもバラエティに富んだ出題ができるはずだ。しかし現実には、「この文は頻出!」とか、「これは過去にも出題されたことがあるね」みたいなものが多い。つまり、膨大な文献の中から入試問題に出題されるのはごく一部でしかない。

なぜかといえば、それは入試問題のフォーマットのせいだ。入試問題は制限された時間内で解くことが前提であり、たとえば1つの古文に関しては15分とか20分ぐらいで解くことになる。となると、問題文が長大であってはならない。数百字から文系大学の入試でもせいぜい千数百字程度までの長さであってほしい。そして、文脈を理解するためには、できればそれだけの文字数で完結していることが望ましい。そんな都合のいい文だけが入試に選ばれる。

なぜ徒然草宇治拾遺物語が入試問題に頻出するかといえば、単純に長さがちょうどいいからなのだ。もちろん今昔物語や宇治拾遺物語の中には長い目の説話も含まれているが、そういうのは出題されない。入試問題にちょうどいい長さのものばかりが選ばれる。江戸文学あたりだとそういう長さのもののバリエーションも増えてくるけれど、鎌倉時代あたりだと本当に限られてくる。御伽草子は室町期の成立といわれていて、古文の問題として出題されても不思議ではないのだけれど、滅多に出ない。その理由は、単純に一話が長いからだろう。

だから、少し時代が下って安土桃山時代の「伊曽保物語」はよく出題される。これは元ネタがイソップ物語で一話あたりが非常に短い。だから、高校入試とかにはうってつけなわけだ。翻訳(翻案)に過ぎない伊曽保物語と御伽草子と、文学史的にどっちが重要かといえば、甲乙はつけがたいのではないか。そのなかで御伽草子が入試に出にくいのは、その理由として「長いから」という身も蓋もない事情以外、考えられないのではないかと思う。

そして、一般人が古文を読むのは入試や入試対策にほぼ限られるのだから、入試に出ないとなると、その存在すら気がつかないことになる。増田の無知は笑えない。恥ずかしいのは入試制度に過度に傾斜した学校教育のほうだろう。

無敵の人になる方法 - はみ出し者の組織における役割

家庭教師を派遣する小さな会社に雇われて子どもに教え始めてからちょうど8年になる。初めての生徒をもったのが2013年の2月だった。いまでも印象に残っている。あの頃は、私もまるで素人で、生徒にずいぶん迷惑もかけた。私だけじゃない。会社もいまよりもずっといい加減だった。私自身が会社に不信感をもっていたし、会社の方も講師は使い捨てという態度だった。実際、2年ほどで最古参になれたぐらいに人の入れ替わりが激しかった。ロクなことではない。

この8年で私は大きく変わった。あの頃には夢想もしなかったオンライン授業までやってるんだから、わからないものだ。そして、会社も変わった。まだまだ「ちょっとどうなの?」的ななところは多いけれど、ずいぶんとまっとうになった。ブラックだった労働環境も、ホワイトとまでは言わないが、だいぶ明るい色になった。それを証拠に、ここ4、5年は講師陣の顔触れがほとんど変わらない。ポツポツとメンバーの入れ替わりがないわけではないが、以前のように数ヶ月で消える人はいなくなったし、いつの間にかいなくなって「あれ? 辞めたの?」みたいなこともなくなった。このぐらいの人の入れ替わりはどこの会社でもあるだろう。人が安定することは組織が安定することでもあるし、サービスのレベルが維持され、向上していくことでもある。正直、こんなふうに変わるとは想像もしなかった。

とはいえ、私はこの家庭教師サービスを全国展開している会社とは、個人事業主としての業務契約を締結しているに過ぎない。いわゆる「契約社員」というやつだ。だからどれだけ会社が成長しようが、ある意味では他人事である。私がこの会社の仕事を始めたときはそういう立場の講師も多かったのだけれど、途中から会社は正規雇用の常勤講師の比率を増やす方向に舵を切った。安定し始めたのはその頃からで、やっぱり経済的な保障が何よりも重要なのだなあと思い知らされた。ちなみに私が「正社員」にならなかったのは自分にとってそのほうが都合がいいと判断したからで、そのことは5年前に電子書籍として出した本の中で詳しく書いた。繰り返しになってもいけないので、詳しくは書かないけれど、興味があったら読んでみてほしい(末尾にリンクを貼っといた)

会社の体質が変わったのはファンドが入って経営が変わったことがひとつの理由だ。ただ、その少し前から変化の兆候はあった。そして、単純に経営者が変わっただけで何もかもが変わるわけもない。やはり現場の一人ひとりの意識が変わったことが大きい。その変化のためにはやっぱり自由にモノが言える雰囲気が大切だ。そして、古参講師のひとりとして、私はそういう空気をつくるのに多少の寄与をしてきた自負がある。口幅ったい言い方ではあるが、大きな変化の中のごく小さな部分は、自分がいたからだと思っている。言葉をかえれば、そういうふうに思えるからこそ、ときに「しょうもない会社やなあ」と思いながらも、私は未だにその会社の仕事をしている。そしてたぶん、まだしばらくはそれを続けるつもりでいる。なぜなら、その「しょうもない」部分を少しでもマシにしていけると思うからだ。

ダメな勤務先は辞めればいい。基本的に私はそう思っている。ダメな連中のために自分の貴重な時間を潰すべきではない。ただ、ダメなところを辞めて、次にマシなところに移れるかといえば、その保証はない。だんだん年齢を重ねてくると雇用のチャンスはどんどん小さくなる。ある時点から私は、ダメなところから次のダメなところに移るより、ダメな場を少しでもよく変えていくほうが面白いと感じるようになってきた。それが常にできるとは限らない。けれど、できるのならそうするほうがエネルギーの使い方として賢いのかもしれないと思えるようになってきた。

ダメな職場に勤めている人の多くは、「ああ、ここ、ダメだなあ」とか「どうにかしてくれないかなあ」と思ってる。けれど、たいていは黙っている。言ったところで変わるもんじゃないし、批判ばっかりしてると空気を悪くする。周囲から煙たがられるし、場合によっては上から睨まれる。下手をすれば給料や雇用に響いてしまう。余分なことを言うことで職を失うぐらいなら、少しのことぐらい我慢すればいい。それが人生というものだと、目先のことに集中する。そうしていれば、どうにかこうにか生きていくことができる。ま、はなっから問題なしと思い込んで政治ゲームにうつつを抜かすような人々だっているし、もともと自分の目先のことにしか関心のない人だっている。そういう人はそういう人だ。けれど、話してみるとけっこう多くのひとが「もっとこうすればいい」みたいなことを思いながら黙っている。身の安全のために黙っている。

ダメな場を少しでもよくしたいと思うのなら、そういうひとが声を出せるようにするのがいちばんだ。なぜなら、自分ひとりでは絶対に大きな場を変えることはできない。それだけのエネルギーもないし、だいいちが、自分自身の問題意識が正しいかどうかもわからない。「絶対こうなった方がいい」というアイデアがあっても、自分しか賛同者がいなければ基本的にそっちには動かない。けれど、多くのひとが賛同するようなアイデアであれば、意外に簡単に場は変わる。じゃあ、賛同するひとがいるかどうかっていうのが問題だけれど、それは皆が自由に喋るようにならなければわからない。皆が意見を言えるようになったら、場は変わる。ときには自分から見て「あれ? かえってわるくなったんじゃないの?」って方向に変わることもあるけれど、変わるときはチャンスだ。止まっている石は動かせないけれど、転がりだした石は脇から小さな力を加えるだけでうまくすれば望んだ方向に向きを変える。変わり始めたら、まずそれだけで大きな第一歩だ。

そしてここで、私のようなはみ出し者が役に立つ。正規雇用の常勤の講師たちは、そうそう簡単に声を上げられない。生活がかかっている。けれど、時間いくらで契約している私のような立場なら、いくらでも言いたいことが言える。だから私は、この8年間、会社のミーティングに出席するたびに文句を言い続けてきた。自分に関係のない常勤講師の問題にまで首を突っ込んで文句をつけた。なぜなら、常勤講師が働きやすい職場になれば会社全体のクォリティが上がり、それが自分の仕事のしやすさにつながってくることに気づいていたからだ。末端の労働提供者に過ぎないくせに、会社の経営方針にまで偉そうに意見を言った。もしもそういう変化が起これば、自分の仕事がやりやすくなることがわかっていたからだ。

ふつう、そこまではできないと思う。なぜ私ができたのかといえば、「クビにするならいつでもクビにしてくださいよ」と言える立場をつくりあげてきたからだ。いわば、組織内の「無敵の人」だ。一般に「無敵の人」は悪い意味で使われる。安定した社会のルールを無視して好き放題に振る舞うその姿勢は、秩序を壊すだろう。けれど、ダメな組織を変えようと思ったら、そういう無敵の人が必要だ。私は半ば意図せず、半ば意識的に、そういう人になった。

通常、雇用者と被雇用者の立場は、圧倒的に後者が弱い。雇用者が「嫌なら辞めてもらってけっこう」という言葉と、「嫌ならいつでもクビを切れ」という言葉では、強いのは前者だ。後者は普通、負け犬の遠吠えにしかならない。そうならないようにするためには、本気で「辞めさせたければ辞めますよ」と言えなければならない。そのためには2つのことが重要だ。

まずひとつは、「こいつを辞めさせたら損だな」と会社に思わせることだ。これは案外と簡単にできる。もともと非正規雇用契約社員は常勤の正規雇用に比べて会社にとってメリットがある。なにせ安いから。ぶっちゃけの話、家庭教師の給料なんて底辺レベルでしかない。正規雇用だとそうではあっても固定給に保険だとか賞与だとかいろいろ付いてくるから多少はマシになるのだけれど、非正規だととにかく安い。これはデフォルトで会社のメリットだ。ただ、それだけなら「代わりはいくらでもいるよ」というのが産業革命以降の雇用者の立場になる。そう言わせないためには、真面目で優秀な従業員になることだ。難しいことではない。余分なことに気を回さず、求められたことをやればいい。この会社が講師に求めているのは、第一に生徒を辞めさせないこと、第二に生徒家庭から追加の授業を申し込んでもらうことだ。つまり売上を減らさず、増やすことだ。この2点だけそつなくこなせば、それができない他の講師よりも評価は上がる。会社がぜひとも手放したくない講師になれる。

もうひとつは、それでも万一辞めなければならなくなった場合でも困らないだけの準備をしておくことだ。それは、自らの技量を磨いておくことだ。プロの家庭教師として、そのレベルを高めておけば、いざというときの保険になる。なぜなら、その技術はそのまま会社を辞めても使えるからだ。たとえば、私は常に会社とは無関係な生徒を何人か確保しておくことにしている(私が非正規雇用を選んだ理由のひとつはそこにある。並行して個人営業が可能だから)。もしも会社を辞めても、最低限の収入は確保できるし、生徒を増やせれば失った分もカバーできる。じゃあなぜすぐにそうしないのかといえば、個人で生徒を集めるのはめんどくさいからだ。会社にぶら下がっていれば生徒を集める方にではなく、教える方に集中できる。そこはメリットだ。けれど、常にスキルを磨いていれば、会社にすべてを依存する必要はなくなる。使ってくれるならそれはそれでいいけれど、嫌なら自分でやるよという姿勢が身についてくる。あるいは、他の会社に行ってもいいよと言えるようになる。

会社にとって惜しい人材になることと、会社に生活のすべてを依存しないようにすることと、この2点で、会社という組織内で私は無敵の人になれた。利害はあるけれど執着のない関係者になれた。だから、言いたいことは遠慮せずに言う。それが組織内を活性化して、会社がいい方向に変わるのに少しでも寄与したと、自分ではそんなふうに思っている。

「それってタダ働きじゃない?」と言われたこともある。こういう自慢話をすると、鋭い人は気がつくのだ。組織が良くなることでトクをしているのは会社であり、私ではない。捨て身の無敵の人になることで、私はリスクを背負い、会社は活性化する。それって単純に損じゃないかというのだ。それはそうかもしれないなあとも思う。けれど、そこまできたら、私には別な動機があるのだということがわかってくる。

それは、会社の方針をもっと大きく変えることだ。たとえば、いま、会社では講師の標準的なプラクティスとして、宿題を義務付けている。どんな生徒であっても、毎週、宿題をきっちり出さねばならない。私はこれを変えたいと思っている。なぜかといえばそれは子どもたちのためにならないと信じているからだ。その信念のもとをたどれば宿題嫌いだった昔の自分がいる。だからこれは宗教みたいなもんだ。宿題根絶は私の悲願だ。だからまず、ひとつの会社で「宿題は必ず出すもの」という思い込みを、「宿題は必要に応じて出すもの」というごく当たり前の実践に変化させたい。その上で、「必要なんてほとんどないじゃない」という事実に気づかせたい。そうやって、宿題依存の業務形態を変えさせたい。そんなもの、ごく小規模の特殊な家庭教師会社ひとつ変えたところでどうなると言われるかもしれないが、もしもこの会社がそう変わることで他社に差別化ができ、営業成績が上がるようになれば、必ず業界に追随するものが現れる。世の中の変化はそういうふうにして起こすものだと思う。そこまでできたら、多少自分に損なところがあっても本懐ではないか。

だから私は、いまもときどき思い出したように、会社のミーティングでは「宿題なんて毎回出す必要ないですよ」とか、「習慣だからって勉強するのは害悪でしかないですよ。あれは必要だからやるんです」みたいなことを言う。無敵の人だからそれを言えるのだし、そういうことを言っていると、そのうちに「そこまで言ってもええんやな」という空気が生まれてくるはずだ。そしたら、本当の意味での議論が始まる。そして、議論の中で会社も変われば、私も変わる。それが楽しくてしかたない。

人生、楽しまなければ損だ。だから私は、あえて組織におけるはみ出し者になる。追い詰められてはみ出すのはしんどいだけだ。楽しくなんかない。けれど、自分からきっちりと準備してはみ出すなら、こんなにおもしろい役回りはない。人がそれを道化と言おうが、それもまた、人生。

 

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個別の優秀さは全体がクソであることを救わない - 神戸にもいい教師はいる

神戸市北区の小学校教師が「忘れ物」に対して理不尽な対応をして処分を受けたことが報道された。以前のエントリで「忘れ物を叱っても意味はない」みたいなことを書いたばかりということもあって、暗澹たる気持ちになった。

www.asahi.com

消しゴム忘れた児童、3時間半立たせる 体罰で教諭処分:朝日新聞デジタル

神戸市の学校では、カレー強要事件とか、いろいろと不祥事が相次いでいる。少なくとも報道ではそういうふうに見える。だから、この記事にも早速「また神戸か」みたいなコメントがたくさんついていた。だが、神戸市に勤務する多くの学校教師の名誉のために言っておこう。神戸の教員が特にクズばかりということはない。私の生徒は(去年からはオンラインのおかげでさらに全国区に広がったけれど)基本的に兵庫県大阪府にしかいないから公平な比較はできないのだけれど、少なくとも、神戸市北区に素晴らしい教師が存在することだけは言える。なぜなら、私の息子は問題の神戸市北区で小中学校を過ごした9年間に6人の先生に担任をもってもらったのだけれど、そのほとんどが尊敬にあたいする人々であったからだ。私の書く文にはよく「n=1でそんなことを言うな」的な批判がつくのだけれど(「事例」はあくまで代表例としてあげているだけで本質的には一般化できる場合が多いことを読み取ってほしい、とは思うのだけれどそれはともかく)、「素晴らしい教師がいる」ということを断言するのにn=1で不足することはないだろう。全員がそうだと言うつもりはまったくないのだし。

実際のところ、「あ、これはハズレだな」という教師もちょくちょくとはいた。息子と同じ保育園に通っていた子どもたちはほとんど兄弟みたいなノリで付き合っていたので、私は授業参観に行くとそういう子どもたちの姿を見たくてよその教室も(あまり邪魔にならない程度に廊下から)のぞくのが常だった。そういうとき、「あ、この先生には当たらなくてよかったな」と思う教師も実際にいた。生まれもって「運のいい男」である息子は、どういうわけだか常にそういうハズレの教師を避けて、アタリの教師ばかりを引き当てた。これは、息子にとってのアタリという意味であって、そのときそのときの彼のニーズにぴったりとマッチした担任に不思議とめぐりあう運命であったようだ。唯一、中学1年のときの担任はまったく彼のような存在に対する理解のない人ではあったけれど、それにしても、おかげで学校を飛び出してフリースクールに逃げ込むきっかけをつくってくれたのだから、やっぱり必要な人を引き当てたといえなくはなかろう。ちなみに、不登校中の2年間を担任してくれた教師は、息子がフリースクール生活をエンジョイするのを全面的にサポートしてくれたのだから、やっぱり大当たりだったと言えるだろう。

小学校で世話になった先生方はいずれも思い出深いのだけれど、特に、5、6年生のときに担任してくれた先生は授業もうまかった。その頃には私はもう家庭教師の仕事をはじめていたので、「なるほど、プロの仕事はこういうものか」と感心させられたものだ。実際、私は生徒と一対一だからなんとか仕事ができるのであって、30人もの生徒の前で同じことができるかと言われれば、とても無理だと頭を下げるしかない。素晴らしい指導方法には素直に拍手する。それは、生徒から聞いた学校教師の教え方の場合でも同じだ。「あ、これはいいな」と思ったら、生徒の前で「その先生はうまいな」とすかさずに褒めるようにしている。

 

ただし、それであっても、私は学校に対しては批判的だ。これもまた、生徒に対してはっきりという。たとえば一律に宿題を強制するところ、別なやり方を認めないところ、本質的でない些末なところにやたら力を入れること、手書き・手計算への異常なこだわりなんかは、批判の定番だ。テストの問題の作り方とか、下手くそだったらまっすぐにそう言う。あるいは、なぜそんな苦しいことになっているのか教師の手のうちを説明したりもする。

概ね、現在の義務教育、特に中学校の指導には、相当な歪みがある。これはシステムとして歪みきっているのであって、そのなかで一人や二人の個別の優秀な教師がいたところでそのおかしさは解消されない。いや、それどころかほとんどの教師が優秀であり、また職務に情熱を燃やしていたとしても、やっぱり歪んでしまったものはなおらない。そしてそのなかにたまたま優秀でも情熱的でもない人、あるいは優秀さや情熱がおかしな方向に向けられた人、つまりは普通にどこにでもいるような人が混じると、たちまち歪みがそこに集中して問題化する。それが「また神戸か」といわれるようなものとして現れているのではないだろうか。

システムのおかしさは、方法論のおかしさでもある。たとえば、お金がほしいとき、人は「お金をください」と言うだろうか。そうではなく、「仕事をください」と考えるのが多くの社会人だろう。そうでなければお金はもらえない(まあ、はてブなんかは「スターください」とダイレクトに言ったほうがもらえたりするんだけど、それはふつうじゃないから)。目的があるときに、その目的を直接に求めるのは方法論としては往々にしておかしい。であるのに、学校ではテストの点数をあげるためにテスト問題を繰り返し解かせようとする。アホちゃうかと思う。それ以前にやることがあるだろうがと思う。忘れ物をなくすために、「忘れ物をしません」と誓わせようとする。それ、無意味だから。しかし、学校という場には、そういった誤った方法論が満ちている。言っとくけど、これはn=1の話じゃなくて、その気になればいくらでも事例は出てくる。そのぐらいに普遍的な話だ。

場がそういうことであれば、いくら個別が優秀であっても、アウトプットはおかしなものになる。あるいは、ぎりぎりアウトプットをおかしくしないためには、個別の死ぬほどの頑張りが必要になる。大きな流れを変えようとせずにそういう個別に頼ろうとするのは、滅びへの道だ。戦局打開のために神風特攻隊を出すようなものだ。個別の特攻隊員がたとえ敵艦を大破させようと、そんなことで流れは変わるものではない。いたずらに人々が消耗していくだけだ。変えなければいけないのは戦いを続けなければならない状況そのものであり、結局は政策ということになるだろう。だが、政策は、人々の支持がなければ無力だ、となれば、教育に何を求めるのか、社会的な議論をして明らかにして、義務教育に対する要求仕様をまとめ直さなければいけないのではないかとも思う。ああ、たいへんだ。

 

とにもかくにも、神戸市の教職員の皆様の名誉のために繰り返したい。そりゃ、なかにはひどい教師もいるだろう。けれど優秀な教師、尊敬すべき教師も少なくない。それは、あらゆる職場と同じことだ。ことさらに神戸市の学校がひどいわけじゃない。それでもなお問題が起こり続けるのであれば、それはもう個別の責任じゃない。

何度もここで書いているけれど、個別と全体は切り離して考えなければならない。社会学は、その事実に気づいた人々によってつくり出された。社会学者叩きがここのところ流行っているそうだが、個別と全体が異なった原理で動いているという社会学の知見は今後ともますます重要なものとなっていくはずだ。そうでなければ、いつまでも人類は「あいつがわるい」「あいつのせいだ」という責任のなすりつけ合いから先に進めなくなる。それではほんとうに、誰も救われないと思うから。

翻訳の思い出

自分名義の翻訳書が何冊かあるので「翻訳者」を名乗ってもバチは当たらないと思うのだけれど、経済的な寄与でいったら私の生涯の収入に翻訳からの印税や翻訳料が占める割合はそれほど多くない。いろいろな半端仕事を継ぎ接ぎしながら生きてきた、そのパッチワークでちょっと色のちがう柄が翻訳だという程度のことだ。なかには潰れた企画やムダ働きになった仕事もあったけれど、それらのおかげで多少は英語に詳しくなれたのだから文句はいえない。実際、翻訳で初めてお金をもらった頃の私の英語力は情けないほど低かった。仕事をしながら覚えてきたわけで、だからあまり自慢できるようなものではない。

私にとっての最初の翻訳本が出版されたのは1985年の3月のことで、まあなんとも古い話になってしまう。なぜたいして英語のことも知らない若造に翻訳ができたのかというのは、それはそれでちょっとおもしろい話だが、やたらと長くなるのでここに書くようなことではなかろう(実際、20年ほど前にその話を書いたら、1冊の本になってしまった)。重要なのは、どうやって駆け出しの私の訳文がなんとか書店に並べられるぐらいのものに仕上がったのか、ということだ。それは、ひとえに編集を担当してくださったOさんのおかげだ。いやフルネームできちんと書いてもいいんだけど、感謝の気持を伝えるには、こんなブログでは足りないから、とりあえず頭文字にしておく。

なにせ、インターネット以前の時代の話だから、初めて会うまで、お互いのことは何も知らない。Oさんは「手紙の字が乱れてるから相当なおじいさんかと思いましたよ」と笑っていたが、生まれついて字が汚いだけのことで、ほんと恥ずかしい。ちなみに、字が汚かったから当時発売されたばかりのワープロ専用機にいち早く飛びついて、このときの原稿は16×16ドットのドットインパクトプリンタで打ち出したものだった。そんなタイプ原稿が物珍しいような時代だった。当然、印刷も写真植字であり、いまのコンピュータ化されたものとは世界がちがう。ただ、大手印刷会社が電算写植というシステムを大々的に売り込み始めていた頃で、少しだけは現代に近づいていた時代でもあった。

私はなにしろ世間知らずだった。若くて経験がないのだから、しかたない。ただ、世間知らずであるほど、そのことを隠そうとするものだ。いまの私なら知らないことは平気で知らないと言えるのだけれど、二十代の頃の私にはそれができなかった。だからまるで出版界のことを知り尽くしたベテランのような顔をしてOさんと話し始めた。もちろんOさんは瞬間でその見栄を見破っていた。そしてきっと、厄介な若者を引き受けちまったもんだと思ったに違いない。

そこから編集会議で正式に企画が通り、私の方も手直しした原稿を入稿して、初校が出た。編集者の仕事を見せつけられたのはこのときだ。なんとOさんは、びっしりと付箋が貼られた校正紙を持って打ち合わせのための喫茶店(たぶんルノワール)に現れたのだ。そこから3時間ぐらいもかかったのではないかと思う。たかだか百数十ページの小説の翻訳にあたっての問題点を、延々と追及された。「ここはどうしてこんなふうに訳したんですか?」「この表現はまずいと思いますね」「ここって、意味がわかんないですよ」「もうちょっとどうにかなりませんかね」「原文のここ、抜けてませんか?」といった具合に、駆け出しの私は針の筵の気分だった。もちろん半分ぐらいは自分なりの正当な根拠を示すことができた。けれど、半分くらいはやっぱりまずかった。そして根拠のある部分でも、「でも、読者としてはここはわかんないですよ」と、改良を求められた。途中で、「そこまでよくわかってんだったら、Oさんが翻訳したらいいじゃないですか」という言葉が出そうになった。

後になって私自身が農業関係の編集をやるようになってよくわかったのだけれど、編集者は専門家である必要はない。専門家はあくまで著者であり、編集者はそのスパーリングパートナーだ。スパーリングパートナーだとかバッティングピッチャーは、決して一流のプレーヤーである必要はない。相手を打ち負かすのが仕事ではなく、相手の能力を引き出すのが仕事だ。そしてその仕事は、専門家の仕事とは全く質が異なるものだ。Oさんは、実にその仕事に長けていた。私はプロの編集者の仕事に圧倒されるばかりだった。

同じような凄さは、私の3冊めの翻訳本を担当した別の出版社のNさんにも感じた。おしゃれな街のおしゃれな会社に勤めていたNさんはおしゃれなキャリアウーマンであったけれど、仕事の徹底ぶりはすばらしいものだった。私がどう調べても出てこなかった単語を「それ、原著の誤植でしょ」と、一刀両断に解決したのが印象に残っている。

 

むかしの編集者がすべてそうだったのかどうかは知らない。私の出会った翻訳書を扱う編集者は、皆、原文の一行たりともゆるがせにしない厳しさをもっていた。ただ、それでは翻訳書が原著の完全な再現ということになるかというと、特段にそういうわけでもなかった。たとえば、原著にある「まえがき」を割愛するとか、原著の膨大な参考文献リストを「どうせこういうのは日本では手に入らないのだから」と削除するとか、そういった作業はふつうにやっていたように思う。このあたりは現代でも変わらない。うまくいけばこの夏には久しぶりに私の名前で翻訳書が上梓されるのだけれど(とはいえ、監訳者は私ではない)、その担当編集者も昔気質の人のようだ(直に会ったことがないまま何年も仕事が続くのはいかにも現代的だ)。そしてやっぱり同じように、ツキモノ(本文以外の部分をそんなふうに呼ぶ)に関してはあまり原著にこだわらず、むしろ読者にとっての利便性を考えている。

原稿を商品としての書籍に仕上げるのが編集者の仕事なのだから、このあたりは頷ける。商品としてはまず本文が正確であることは欠かせないが、読者の理解のためには大鉈を振るってもかまわない。出版とはそういうものだと思う。文化的な背景も基礎的な知識も大きくちがう場所に移植するときに、せっかくの作品が枯れてしまわないように配慮するのは当然なのだろう。

それにしても、文章が基本的に情報である以上、情報が失われたり曲げられたりしてならないのは当然だ。そういうことを思うのも、こんな話を最近聞いたからだ。

原文を省略する翻訳は、あってもいい。しかしそういった訳は抄訳と呼ばれる。抄訳であっても、読者がそういうものだと了解して読むのであれば、それはそれで意味はある。ただ、それを知らされないで原文がそのようになっていると思い込んで読むのでは、そうはいかない。それは誤解を広めるだろう。

もちろん、こういった意図的もしくは意図的でない脱落は、洋の東西を問わずむかしからあった。 たとえば、源氏物語をヨーロッパに紹介したことで名高いアーサー・ウェイリーのThe Tale of Genjiは「葵」までしか訳していないし、それどころか途中、どう考えても1ページ分が脱落していることを後の訳者であるサイデンスティッカーが指摘している。彼の説ではある朝、ウェイリーが朝食に食べていたトーストのジャムがページにくっついてしまったのではないかというのだけれど、東洋のマイナーな言語で書かれた本の翻訳ではさすがに編集者も気づかなかったのだろう。また思い出すのは(現物に当たれないのが残念なのだけれど)、1970年代の「リーダーズ・ダイジェスト」誌に掲載されていたアメリカの読書家のエッセイだ。ヨーロッパの小説の翻訳を取り寄せたらいちばん好きな部分がカットされていたと書店に手紙を書き、そこから交流が始まる、みたいなストーリーだったように思う。してみると、かつては「翻訳」と銘打ちながら実は抄訳に過ぎないものが数多く出回っていたのだろう。そういえば、「アラビアンナイト」の翻訳も底本が不明でかなり怪しいものだという話もある。もともとは翻訳なんてその程度の扱いを受けてきたのかもしれない。その程度であっても、珍奇なものを紹介する意味はあったのだろう。

とはいえ、世の中はインターネットの時代だ。世界が狭くなっていて、情報は豊富に手に入る。そういう時代に不正確なことをやっていては通用しない。特にそれが誤解を生みやすい文脈に置かれたものであれば、なおのことだ。このあたりは自戒も込めて、よくかみしめておきたい。

生きにくさは社会的な文脈で変わる - 「忘れ物」は特異な概念かも

前回、忘れ物のことを書いたら、かなり多くのひとが読んでくれたようだ。特に私同様に忘れ物で苦労したひとからのコメントが多かったのは心強かった。それと同時に、私から見たら筋違いと思われるようなコメントも、それなりにいろいろ考えさせてくれるヒントになったので、ありがたかった。それらはまた先々のネタに使い回させていただくかもしれない(たとえば私は前回の文中で「叱る」と「叱責」を同じ概念の単なる言い換えとして使ったのだけど、この2つを別概念として使い分けている人がいると知ることができたのは非常に刺激的だった)

mazmot.hatenablog.com

この記事は仕事の隙間時間の1時間弱で書いたので(「所要時間20分」みたいな神業は私にはできない)、かなり中途半端だった。そういうこともあって、最後の締めくくりに「じゃあどうすればいいのか、みたいなことまで書きたかった」と書いたのだけれど、実際には「こうすればいい」銀の銃弾があるわけではない。特に、個人の側の対応としては、よく言われる「忘れ物対策」的なもの以上の妙案はないだろう。

ただ、問題は個人的なレベルだけのことではない。これはだいぶ以前に貧困問題と絡めて書いたのだけれど、人間の抱える問題は多くの場合社会的な現象として現れる。社会的な現象に対しては、社会的な対策が可能になる。たとえば制度の設置や変更・改良などの政策的な対応であったり、あるいは社会的な規範・意識に働きかけることであったりする。重要なことは、社会的な現象は常に統計的にしか把握できないということであり、統計であるから、個別の事例に降りていけば必ず相反する事例が存在するということである。そして社会的な現象は基本的には個別の事例の積み重ねからしか見えてこないのだから、ここで泥沼のような議論が発生することになる。社会レベルの話に個人レベルでの対策みたいなものがまぎれこんでくる。たとえば「貧乏だとかいうけど、無駄遣いを抑えたらもっと少ないお金でも十分に暮らせるじゃない」みたいな議論だ。そして多くの場合、その個別の解決策は一定の正しさをもっているから、厄介なのだ。社会的な現象の解決策として個人的なレベルの対策を持ち出すのは、それは本質的にすれ違いを生むだけだ。

社会的なレベルの話は、個人的なレベルの個別の話と切り分けて語らなければならない。そして両者はときには矛盾するように見える。けれど、レベルが違うのだから、しかたない。たとえば、貧困問題に関しては、私は基本的に社会保障制度を拡充して誰もが気軽に利用できるようにすべきだと思っているが、その一方で個人レベルではそういう制度なんかに頼らなくてもごくわずかの現金で生きていく方法に関心があるし、なんならそういう貧乏生活マニュアルみたいなものを書ける自信さえある。そういう「貧しくても元気」みたいな生き方は、「だから自助!」みたいなところに容易に結びついてしまう。そうじゃなくて、ここは切り分けてほしいのだ。社会的な視点は統計の視点である一方で、個人的なレベルは唯一無二の特殊なものだ。同じ人間を対象にしていても、その発想は両極にある。

「忘れ物」に話を戻せば、それで個人が困るのは、あくまで個人のレベルの話だ。その対策は基本的には個人レベルで行う「忘れ物対策」であり、たとえばカバンに必要なもの一式を入れておいて常にそのカバンを携行するとか、メモを玄関扉に貼り付ける習慣をつけるとか、もうあちこちで言われていることになる。それはそれで重要だし、いくつかは私も実践して、多少マシになった。ちなみに、そういうので困っている個人に対して「ちゃんとしなければ困るだろう」とか言って働きかけるのは大きなお世話であって、ましてそれを叱ることで治せると思うのは現実を全く見ない行動だ。それでなくても本人は困っていてどうにかしたいと思っているのだ。それをさらに責めてどうなるよ、と、そのあたりのことをいいたくて、前回のエントリを書いたわけだ。

その一方で、「忘れ物をされると迷惑だ」「他の人が困るだろう」という視点は、個人のレベルのものではない。人間が複数いるときに限って発生する問題は社会の問題であり、社会の問題については社会的な対応が必要になる。その問題の解決を「お前が忘れるからだ」と個人のレベルに押し付けるのは誤っている。ちょうど貧困問題を「個人の努力が足りないからだ」と捉えるのに似ている。そういうところにフォーカスしても解決には至らない。そうではなく、貧困問題の場合は「一定の比率の貧困が発生するとして、それが人々の幸福を妨げないためにはどうすればいいのか」とか、「社会全体で貧困の発生率を下げるためにはどうすればいいのか」といった視点で考えなければならない。そして、忘れ物の場合は、「忘れ物するひとがいたとして、それでも全体が困らないようなありかたにはできないのか」とか、「忘れ物の発生率を下げるために社会としてできることはないのか」といった観点でなければならないだろう。前回記事のさらに大元となっていた小学校校長の取り組みは、まさに前者にあたる。そういう意味でこれは評価に値する取り組みだと思うし、「そんなことしたら当事者の子どもが将来社会に出たとき困るだろう」という否定的な意見には、「その社会を変えたらいいんじゃないの」としか返せないと思う。社会はそうやって進歩してきたのだと思うのだし。

で、ようやくここからが本論になる(前置きが長い!)。忘れ物が多いことが問題であるとして、そして学校での問題行動の多くが「障害」として分類され、その枠組みで対応されるようになってきた流れの中で、これが注意欠陥/多動性障害(ADHD)のひとつの特徴として捉えられるようになってきた、という認識が私にはあった。だから、前回のエントリを書いたあと、「こりゃ、続きを書くにはそのあたりのことをもうちょっと調べておかんといかんなあ」と思った。特に、「個人的な一例だけでよくそんなことが言えるな」的な反応に対しては、「いや、引用する時間がなかったけど、ADHDへの対応として叱ることは明確に否定されてるんだよ」と根拠を示す必要があると思った。なので、まずは調べようと、基礎的な文献を探し始めた。まだ手をつけたばかりの段階なのでその結果までは今回は書けないのだけれど、その途中で、奇妙なことに気がついた。それは、日本語で書かれたものと英語で書かれたものの違いだ。つまり、日本語の一般的な解説では、ADHDの特徴として「忘れ物」がほとんど必ず言及されている。ところが英語ではそうではない。全く言及されていないわけではないが、その頻度は明らかに少ない。この不一致に、「え? なんで?」と思った。そして考え込んだ。

だいたいが、英語に「忘れ物」に相当する単語はない。もちろんその概念を英語で表すことはできる。ただし、それはかなりまだるっこしい表現になる。たとえば、(授業で必要なものについて)「忘れ物をする」は forget to bring materials to class などと表現できるのだけれど、じゃあ「忘れ物をする」を forget to bring とイコールでつなげるのかというと、かなり無理がある。まして、その名詞型の「忘れ物」を forgetting to bring などと置き換えれるかといえば、そりゃどうしたって無理だろうということになる。

じゃあ、英語で「忘れ物」の概念をどのようにADHDと結びつけているのかなと思ってみてみたら、そもそもが診断基準の方には「忘れ物」が入っていない。近いところで「なくす」というのと「忘れる」というのはあり、

often loses things necessary for tasks and activities (toys, school assignments, pencils, books, or tools)
(例えば、おもちゃ、学校の宿題、鉛筆、本、道具など)課題や活動に必要なものをしばしばなくす。

is often forgetful in daily activities
しばしば毎日の活動を忘れてしまう。

DSM IV TR)

と定義されているらしい。これを日本人的に解釈すると「あ、これは忘れ物のことだな」となるだろう。けれど、よくよく注意してほしい。英語圏の社会で注目されているのは、「モノ」に対しては「なくす」という行動であり、「忘れる」という行動の対象になっているのは「毎日の活動」だということだ。もちろん現象としては私たち日本人が「忘れ物」と呼んでいるのは「授業がはじまったときに宿題や鉛筆や教科書が出てこないこと」であり、その原因のかなりの部分が「忘れ物がないかどうかをチェックするという毎日の活動を忘れること」なのだから、この2つの行為は日本人にとっては「忘れ物」と表現するのが最もふさわしい。しかし、もしも英語圏のひとにとってそうなのだったら、これは英語でもそうなっているはずだろう。ところが2つの行為に分けられているということは、それぞれが別々の現象として彼らには現れているわけであり、そこには「忘れ物」で括られる問題は存在しないのではないかと考えられる。

そんなバカなと思うかもしれないが、「忘れ物」のような問題は社会的な問題であることを思い出してほしい。社会的な問題は、ある現象が存在することだけではなく、その現象が社会にとって「問題である」と捉えられることによってはじめて出現する。そりゃ、英語圏にだって我々の概念でいうところの「忘れ物」はたくさんあるだろう。ひょっとしたら日本以上にひどいかもしれない。しかし、彼らはそれを「忘れ物」としては問題化しない。たとえば授業で使うコンパスを誰かが持ってこなかったとしよう。日本ならこれは典型的に「忘れ物」の問題だ。しかし、英語圏ではこれは「必要なものを失くした」とか「しばしば指示に従えず、学業、用事、または職場での義務をやり遂げることができない(反抗的な行動または指示を理解できないためではなく)」と、別の問題として認識されている可能性が高い。

つまり、同じ現象に対して、別な枠組みで問題化されている可能性が高いのではないかと思うわけだ。「どっちにしても問題なんじゃないか」と言ってしまえばそうなのだけれど、問題の枠組みが異なれば、当然、対処の枠組みも異なってくる。社会的な対応も変わってくる。それによって、困難を抱えた当事者の生きやすさ、生きにくさも変わってくるのではないか。少なくとも、「忘れ物」という概念がない世界では、その頻度がクラストップである不名誉とか、そんなものは存在しないのではなかろうか。もちろん、その代わりに他の不名誉があるかもしれないのだけれど。

それにしても、私たちは学校という枠組みがつくりあげた概念に縛られた社会に生きているのではないかと思う。「忘れ物」もそうだ。現実の社会では、同じような不注意をしても、学用品の持参を忘れたことによって発生するような被害が起こらないケースだって数多い。たとえば私は家庭教師として生徒宅を訪問するときに、よく忘れ物をする。けれど、「今日は◯◯を持ってくるのを忘れたので別のことをやりますね」と進めるので、何一つ困らない。まあ、モノを届けるだけの用事のときにそれを忘れたら話にならないとしても、たいていの用事はひとつやふたつモノがなくてもつつがなく進めることができて特別に問題になることがない。特にこのインターネットの時代、資料を忘れたらPCを開いて探し出せばいいのだし、PCさえ忘れたらスマホもあれば、なんなら出先で端末を借りることだってできる。学校の教師が警告するほどには(そして多くの親が心配するほどには)忘れ物は社会的に問題にならない。

「忘れ物」だけではない。学校が「社会に出たら役に立つから」と生徒に(おそらくは心からの温情として)与えようとする枠組みの多くは、実は時代遅れになっている。このブログでもたびたび文句を言っている「目的や結果はどうであれとにかくがんばっている姿勢だけを評価する」こともそうだ。そんな概念を植え付けるから、他人の足を引っ張ることだけにがんばってるひとが周囲から高い評価を受けるようなわけのわからないことが起こったりするのだ。「秩序を守ること」もそうだ。本当の意味での秩序は尊重されるべきなのかもしれないが、外見を揃えることだけに力点が置かれた学校式のやり方は、結局は多様性の排除にしかつながらない。

文句をいい出したらきりがない。とにもかくにも、重要なことは、社会的に問題を捉えるとき、その概念の立て方は重要であるということだ。そして、無意識に「そんなもの常識だろう」と思って概念化したことは、案外と思考を縛ることになる。それが生きにくさにつながっていないか、日々、再点検しながら進むしかないんだろうな、とか思う。

なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか

忘れ物をしても叱らない教育をしている学校があるとかいうTogetter記事を見て、「そりゃそうだ」と思ったのだが、そこについてるブコメ群のかなりの部分を占める意見が否定的なのに驚いた。いや、ほんとに驚いた。

b.hatena.ne.jp

もちろん、「叱ってもいいことない」という論調に賛同するコメントもないことはないのだけれど、「いや、それは当人のためにならないだろう」という意見が多い。ああ、地獄への道は善意で舗装されてる、と思った。

もともと教育現場で「叱る」という行為が横行していることに関しては別途思うところがあるのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、そこはおくとしよう。教師が叱ることが場合によっては認められるとした上で、なお、少なくとも忘れ物に関しては効果はほとんどない。それは私自身がほとんど常にクラスいちばんの忘れ物王者であり、そしてそれはいくら叱られたってなおらなかった過去をもっているからだ。忘れ物は叱ったからってなおらない。たかが一例でそう断言するのはおかしいのかもしれないが、実際、最近の研究でも注意欠陥/多動性障害に関しては叱責のような感情的なアプローチに効果がないことは明らかになっているはずだ(適切な文献がすぐに見つけられないのだけれど、例えばこのあたりにも叱責は否定的に書かれているように見える)。「いや、忘れ物が全部注意欠陥/多動性障害というわけじゃないだろう」というかもしれないが、だったらなおさらのことだ。ちなみに、私は注意欠陥/多動性障害の診断を受けたことはないし、たぶん診断基準に当てはまったことはないと思うのだけれど、スペクトラムな人間として、そういう傾向を生得的にもっていたことはあり得ると思っている。

 

「叱責すべきだ」と考えているひとは、たったひとつの事実を誤解しているのだ。それは、忘れ物をした当人が忘れ物をどう受け止めているのかだ。彼らは、「忘れ物をするやつは、そもそも『忘れ物をしてはいけない』という認識がないのだろう。だから忘れるし、忘れたことをわるいとも思っていないにちがいない。その認識は改めさせなければいけない」と考えているように見える。それはちがう。断じてちがう。

忘れ物常習犯だった者として言わせてもらおう。だれも忘れ物をしたいなんて思っていない。事実はまったくの逆で、忘れ物に対してはひどく緊張する。私の時代には叱責されるのが当然だった。毎日のように黒板に名前を書き出され、恥をかかされた。そんな状態を望ましいと思ってるひとなんていない。それ以前に、たとえ叱責されることがなかったとしても、忘れ物をすると困る。これは特に叱責されることがない個人的な場合にははっきりと感じることができる。たとえば財布を忘れて出かけたら、駅からすごすごとUターンしてこなければならない。せっかく買ったばかりのものを店に忘れて帰ってきたら、その敗残感たるや言葉に尽くせるものではない。忘れ物は、気がついた瞬間にひどく落ち込むものだ。だれも平然となんかしていない。もしも平然としているように見えるとしたら、それはあまりのことに茫然自失しているのだ。「あれほど忘れないようにと気をつけたのに、なんで忘れてしまったんだろう!」と、自分で自分を責めている。その姿が、外見上は「こいつ、全然反省しとらんやないか!」と逆に受け取られてしまう。

「じゃあ、忘れ物しないようにしたらいいじゃないか」というかもしれない。しかし、なぜそれができるのか、忘れ物ばかりしてる本人にはわからないのだ。十分に注意しているつもりだし、言われた手順は全てやっている。けれど、忘れる。忘れ物常習者というのは、そのぐらいにひどい。そして、それは叱ったからといって治るもんじゃない。

 

じゃあどうすればいいのか、みたいなことまで書きたかったんだけど、ちょっと今日は時間がない。またいつか、続きを書けたらと思う。