感染拡大から抜け出る細い道が見えてきた、ような気がする

専門家じゃないのでものすごく雑な話になる。たとえば抗体検査で抗体ありと出ても必ずしもそれで再度の感染をしない保証にはならないとか、たぶん詳しい人にはごく初歩になる前提とかもすっ飛ばしているかもしれない。けれど、抗体検査の結果がぼちぼちと出はじめて、ようやく出口に至る道筋が見えてきたように、シロウトなりに感じている。で、シロウトが居酒屋談義を始めたって仕方ないのだけれど、そういうレベルの話だとことわっておいてする分には害もなかろう。専門家の方から見て、「ああ、世間の誤解はこの程度なのか」と理解する一助になるかもしれないし。

 

まず、従来考えられてきた「出口」には二通りがある。ひとつは完璧な防御であり、たとえば天然痘が撲滅されたようなイメージだ。「コロナ制圧」とか言ってる人のイメージはそういうものなのだろう。もうひとつはいわゆる集団免疫の獲得で、これはウィルスとの共存ということになる。インフルエンザが完全に撲滅されているわけではないけれど既存のインフルエンザに関しては流行があっても別に緊急事態とはならないのと同様、感染する人が発生しても大流行にはならなければOKというイメージだ。この両者の中間に特効薬が開発されて治療法が確立することで解決していくイメージがある。これは「特効薬でウィルス撲滅」から「感染したら特効薬で治療」というところまで、ちょうど2つのイメージの中間の広い範囲をすべて埋め尽くす曖昧さをもっている。語る人によってイメージがちがうので、ちょっと厄介かもしれない。

この出口のイメージによっては以下の話がタワゴトにしか聞こえないだろうから、予めことわっておく。私は、水際作戦が失敗した時点で(後知恵で見ればそもそもあれが「水際」だったのかどうかも怪しいが)、出口は後者でしかないと思っている。つまり、「制圧」なんてのは無理、共存していくしかないんだろうなあと思ったし、いまもそう思っている。インフルエンザ治療薬の現在を見れば、仮に特効薬が出ても、それはほんのちょっと回復への道を助けてくれるぐらいで、基本的には厄介なまま残るのだろうと思う。もちろん、それでも薬はあったほうがいい。けれど、共存戦略の基本は、集団免疫であり、それはつまり、表現は悪いが「みんなでかかろう」ということなのだろう。

じゃあ、いま、外出を自粛し、三密を避け、手洗いを励行し、マスクをかけているのはなんのためなのかということになる。みんなで感染することが出口なのだとしたら、なぜ感染予防をするのだろうか。それはひとえに医療崩壊を起こさないためだ。

感染すれば、一定の比率で重症者が出る。爆発的な流行では、その数は膨大になる。重症者は医療機関で治療しなければあっさりと死ぬ。したがって病院に連れて行かないわけにいかないが、病院が対応できる患者数には限度があり、それを超えると医療機関が正常に稼働できなくなる。結果として、感染症以外の患者の治療もできなくなり、多くの救える生命が失われる。もちろん、医療機関から溢れ出した感染者の生命も失われる。これが医療崩壊のイメージだ。実際にイタリアで起こっていることはこれに近いのだろう。

だから、重要なことは、医療崩壊を起こさない程度のスピードで感染がひろがることだ。そして、そのスピードは、ブレーキを常に踏み続けない限りすぐに加速する。だから、自粛やらリモートワークやら何やらと、負担の大きい予防策をとらねばならないわけだ。これが現状。つまり、政策も、その実態を見る限り、「完全制圧」ではなく「集団免疫」を目指している。私がそう思うというレベルではなく、どうやら日本は(そして世界のほとんどの国は)それを目指している。

 

ただ、このブレーキ戦略、ブレーキを踏み過ぎるといつまでたっても集団免疫が獲得されないというジレンマをかかえている。感染者数が爆発すると医療崩壊が起こり、増えなければいつまでたっても集団免疫に必要とされる「70%の人が抗体を獲得する」ところまでいかない。ちなみに、少し余談になるが、「多くの人がいったんは感染すべき」ということと「高齢者は死亡リスクが高い」ということを併せて考えると、「どっちみち年寄りは死ぬしかないんやね」という結論に達してしまうように見える。これは今日、高齢の私の母親が言ったことだ。「ちゃうねん。若い人らが抗体をもったら、流行は止まる。そうしたら、感染力をもったひとが高齢者に出会う確率も下がるやろ。そやから、集団免疫ができるまで、できるだけ年寄りは感染せんようにせんといかんねん。そして集団免疫ができたら、年寄りでもある程度は安心してふつうの生活ができる」と、私は説明した。「じゃあ、どのくらい我慢したらええん?」と母親は聞いてきた。そこのところがいちばんの問題だ。

その手がかりになるのが、抗体検査のデータだ。海外では、地域住民をランダムに抗体検査したところPCR検査によって感染が確認された人数の数十倍の人が抗体をもっていたことが判明したというニュースもあった。日本でも、しばらく前にある医師が抗体検査を行った結果を発表したが、そちらの方はサンプル抽出やデータの処理に問題があって、あんまり参考にならない。そして、神戸の病院で「外来患者1000人の無作為抽出で33名のサンプルから抗体が検出された」というニュースがあった。

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もちろんこれは、「病院を受診している」時点で既に体調不良の人が含まれる割合が高いわけで、多少のバイアスがかかっている。それでも、すべてのひとが不調を訴えて受診しているわけではないわけで、ある程度は参考にできるデータだろう。そしてこれは、希望であると私は思う。

というのは、これが合理的な感染拡大スピードを教えてくれると思うからだ。この調査が行われた4月7日の時点で神戸市は医療崩壊は起こしていない。つまりはこの程度の感染の拡大であれば医療崩壊は起こさないのだということがわかる。神戸に感染が広がり始めたのはおそらく2月であろうから、長めに見積もっても2ヶ月で人口の3%程度が感染するような流行であれば、医療崩壊は起こさない。そして、その程度の流行をダラダラと続ければ、おそらく3〜4年程度で集団免疫は成立するのではないだろうか。もしもその期間に医療機関の増強が行われれば、もう少し流行の強度は上がってもいいかもしれない。仮にワクチンができれば(私はあまり期待していない)、その期間はさらに短縮可能だろう。どちらかがうまくいけば、2年ぐらいで出口だろうか。

 

ということで、シロウト考えだが、この抗体検査の結果は、細くて長く、両側が崖っぷちの危うさを含んだ、それでも合理的に達成可能な出口への道筋を見せてくれたのだと思う。そういう意味で、福音だ。この道をうまくたどることができれば、医療崩壊も起こさず、軟着陸できる。そのためには感染拡大状況をコントロールすることはもちろん重要だ。そしてそれだけでなく、その他の撹乱要因が発生しないように細心の注意を払わなければならない。たとえば、まったく別種の感染症が追い打ちをかけて広まったら、それだけで医療機関へのダメージは計り知れないものとなるだろう。災害も同様だ。経済的要因による健康悪化でさえ、大規模に発生すればダメージをあたえる。実に危ない道だが、しかしそれでも、遠くに出口は見えている。

 

さて、そんなシロウトの希望がもしも正当だとして、その上で何が重要なのかということだ。それは、「うまくいっても2年かかる」というタイムスパンだ。そして、人間の緊急対応は2年どころか2ヶ月ももたないという事実だ。2年は、過ぎてしまえばあっという間だ。しかし、これから迎えるにあたっては、あまりにも長い。これをしっかりと認識することだ。

たとえば、2年間も売上がなければ、たいていの事業は干上がってしまう。私は自営業が長いので3ヶ月ぐらいは無収入でもどうにかこうにかなるぐらいの乗り切り方を身につけているつもりだが、言葉をかえればそのあたりが限度だ。実際、以前、震災後の不況で仕事が半年にわたって途絶えたときには安い時給で雇われの身にならざるを得なかった。事業によってはそんな悠長なことさえ言っていられないだろう。特に、実店舗を構える事業では、固定費負担がバカにならない。「経済を回す」みたいな脳天気な言葉なんかでは話にならないぐらいにえげつなく、お金が入ってこないことは事業を直撃する。

教育についてもそうだ。学校なんて2ヶ月や3ヶ月休んだってどうということはない。これは他の生徒が登校している最中に不登校になった場合でもそうだ。だから今回のように全員が休みになっているなら、なおのことどうってことはない。しかしこれが年単位になると、そのダメージは取り返しがつかなくなる。その好例は太平洋戦争中の勤労奉仕に見られた。非常事態ということで教育が打ち切られて子どもたちは工場や田畑に駆り出されたが、そこで失われた教育は、埋め合わされることがなかった。

だから、いま、緊急事態宣言が解除されるのを気長に待つようなことは、やってはならないのだ。なぜならそれは、断続的に2年間続く可能性が高いからだ。出口への細い道をたどるつもりであれば、緊急事態宣言は、いったん解除されても、必ず再度、発動される。感染拡大が一定のペースを超えたと判断されれば、いつでも再び緊急事態が宣言されるはずだ。だから、緊急事態宣言下で事業を止める、教育を止めるようなことを続けていては、取り返しのつかない被害が発生してしまう。いや、その被害は既に発生している。それがどんどん拡大し、深化し、社会を大きく傷つけてしまう。

 

2年間を失うわけにはいかない。ではどうするべきなのか。それは、緊急事態宣言下でも可能な形で事業や教育を再開することしかない。ここで思い出すのは、1970年代の「公害」だ。私はその時代、堺市の郊外で小学校から中学校に通っていたのだが、「光化学スモッグ注意報」が発令されると校庭には赤い旗が立ち、子どもたちは教室から一歩も外に出るなと厳命された。もちろん体育の授業も校庭を使えない。休み時間に遊ぶこともできない。正常な教育ができないという反発や不安が高まったが、やがて環境規制が功を奏して事態が正常化するまでの数年間、学校はそれで乗り切った。学校を閉鎖するのではなく、教育の形を変えてでも、継続する道を選んだわけである。

今回の感染拡大は、対策がもっともっとたいへんだ。赤旗を立てれば済むようなことではない。けれど、「緊急事態宣言下でも可能な形態の教育」は、思い切った改革を行えば十分可能なはずだ。行政はリソースを集中的にそういった改革に対して投入すべきだ。

そして、現在は感染拡大状況では絶対に再開できないと思われているような業種に関しても、何らかの工夫で、営業ができるようになるものがあるのではないだろうか。だから、政府はいつまでも休業補償を行うのではなく(あ、最初からやってなかった? 失礼。いや、最初の半年ぐらいはきっちりやろうよ)、「感染対策強化設備投資」や「感染対応業態転換投資」「感染に係る事業転換投資」などに対する融資や補助金、奨励金を積極的に出して、「緊急事態宣言下でも営業可能な事業」を増やしていくべきだ。そういうふうにして事業や教育を再開していかないと、とても2年は乗り切れない。

 

「経済が死ぬから緊急事態宣言を解除」とかいうのは、滅びへの道である。同時に、「感染が落ち着くまでは我慢」というのもそれ以上に地獄への道である。どちらも選ぶべきではない。必要なことは、2年間は緊急事態宣言が継続すると覚悟して、それでも社会活動が再開できるように、人間の行動様式を変えることだ。いみじくも、「新しい生活様式」が提唱されている。これはほんの小さな第一歩だと思う。そこからさらに踏み出して、感染拡大下でなお可能な活動を再開しよう。そして、行政は、それを積極的に模索し、支援すべきだ。そのぐらいのことができなくて、なんの政治だと思うよ。

 

ま、居酒屋談義だけれどね。あーあ、飲み屋も行けないんだから…