大学受験の思い出 - 生存者バイアスから人は逃れられない

大学入試改革が荒れている。改革の目玉の二本柱を失って、「結局センター試験とどう違うの?」という結末が見えてきたのだけれど、まあ変わるところは変わるんだろう。そして、この一連の報道を見てきて、入試に対する自分の感覚は世間一般とずいぶんズレているのだなあと改めて思い知らされた。とはいえ、私はおかしいのは多数派の方だと思ってる。だって私はちゃんと生き延びたんだから。

入試改革に対する大方の反応は、こんなものだろう。なんでいまさらセンター試験を変える必要があるのか? そりゃ時代に合わないところがあるかもしれない。だったらセンター試験を改良すればいいじゃないか。四半世紀以上の蓄積のある美しいセンター試験を完全に捨て去って、それ以上のものができるのだろうか。大きな改革は混乱をもたらし、受験生を追い詰めるだけではないのか、といったもの。

そういう意見が出る背景は十分理解できる。いま、産業社会を動かしている中核人材は、ほぼセンター試験を勝ち抜いてきた人々だ。彼らはきちんとセンター試験の準備をし、その準備に応じてきちんと得点をゲットし、それによって大学に進学して現在の地位を掴んだ。センター試験に対する信頼が生まれて当然だ。実際、センター試験の方も、共通一次試験以来の長年の蓄積の中で非常に洗練されている。出題内容には毎度感心させられる工夫がある。隅々まで文句のつけどころがないほどに推敲されている。もしもそこを改革するのであれば、よっぽど凄いことでもやってくれないとこれは超えられないだろうと思える。ところがそこで用意された代案は、陳腐な民間英語検定であり、アルバイトを動員して採点する記述試験だという。隅々まで統制のとれたセンター試験と比べれば、あまりに見劣りがする。「なんだこれは?」と呆れられるのも、それはそれで理解できる。

 

だが、そもそも大学入試はそういったものであるべきなのだろうか。私はその根本から、多くの人と意見を異にする。極論をいえば入試の公平性はクジ引きでしか達成できないと思っているぐらいだ。「優秀な学生を選抜する」という入学試験の基本的な機能そのものに疑問を感じているクチだ。優秀な学生は育てるものであって、選抜するものではないだろう。なぜなら、私自身が決して大学に優秀な学生として選抜されたのではないことを重々に承知しているからだ。どさくさ紛れにもぐりこめた大学で、それでも私は貴重な教育を受けた。たしかに私は最終的にそこを中退したが、だからといってそこで受け取ったものが価値を落とすとは思わないし、また、大学に投入された公金を無駄にしたとも思わない。高等教育はたしかに私の人生を豊かにしてくれたし、社会に貢献できる力を私に与えてくれたと思う。

だから、大学に入る段階で、「いっしょうけんめい努力を積み重ねた」優秀な学生である必要はないのだと、私は思う。どさくさ紛れにもぐりこんできた怪しげな学生であっても、そこにしっかりした教育を施せば、大学はその役割を立派に果たすことができる。それでこその大学だろう。

 

では、私はどんなどさくさに紛れたのか。それは昨今取り沙汰されている入試改革なんかとは桁違いに物議をかもした「共通一次試験」の導入だ。そう、私はセンター試験の前身である共通一次試験の第一世代なのだ。

共通一次試験は、それまでの大学入試の常識を覆した。それまで理系には不要と言われていた文系科目の学習(あるいは文系には不要と思われていた理系科目の学習)が必須になるなど、多くの変化を受験業界にもたらした。その詳細を語り始めたらこのブログの枠にも私の能力にも余る。ひとついえるのは、今回の入試改革以上に、先の予測のつかないものだったということだ。たしかにプレテストはあったものの、全国共通の学力試験というようなものは前代未聞であり、鬼が出るか蛇が出るか、だれにも何の予想も立てられなかった。そして予想ができない以上、多くのアドバイスは「確かに共通一次は大きいけれど、最終的には二次試験がだいじだから」と、それまでの伝統に固執するものになった。多くの受験生も、そのセンに沿って対策していたものだと思う。

私は、そうではなかった。共通一次向けの対策をしていた、というわけではない。あらゆる対策をしなかった。受験勉強を一切しなかったのだ。このあたりに関連することはひとつ前のエントリにも書いた。アスペな私は地域トップ校の挟持をかけた建前(受験勉強は邪道だ!)を真に受けて、そういう努力を放棄してしまっていた。

では遊んでばかりいたのか? とんでもない。私のまわりには、中学生の頃からとんでもないモンスターがそろっていた。彼らは科学のこと、歴史のこと、アニメのこと、深夜放送のことなどなどに詳しかった。あるいは、漱石、太宰、康成、三島などの文学作品を読破していた。そういう友人たちに囲まれて、私はとてつもない恐怖におそわれていた。彼らは本物を知っている。大人と互角に渡り合える。自分の両親のような俗物以上に、世界を知っている。成長するということは、そういった素養を身につけることなのだ。なのに、自分はせいぜい北杜夫のエッセイと漱石の「坊っちゃん」ぐらいしか読んでいない。ホームズしか読んだことのない私に、アガサ・クリスティやルブランの話は通じない。私は焦りまくって、毎日読書にふけることになった。

高校に行くと、さらにいろんなことに詳しい連中がいる。いまにして思えば、だれもがあらゆることに詳しかったわけではなく、それぞれに狭い得意分野があったのだろう。だが、私はそれらすべてを圧倒的な不安の対象として受け取った。だから、ビートルズボブ・ディランをはじめとする洋楽に浸ったり、30巻を超える大衆向け歴史書を何度も読み返したり、現代教養文庫の(いまにして思えばかなりソビエト連邦直輸入の)科学本、さらにはブルーバックス岩波新書など、とにかく手当たりしだいに友だちに追いつけ追い越せとインプットを増やした。

それは、私にとって単純に不安をなだめる作業でしかなく、それを「勉強」だと思ったことは一度もない。ただ、親は本を読んでいる私を「勉強しているのだ」と思っていたようだ。なにしろ戦前生まれの彼らの世代は受験勉強など無縁だ。大学入試のために何が必要なのかなど、知るわけはない。だから、おとなしく活字を追いかけている私を誤解していたのだろう。

 

そして、なんとも幸運なことに、それが共通一次試験にヒットした。ヒットしたというよりも、他の受験生が脱落する中で、私はそういう素養のおかげで踏みとどまれた。基本、受験勉強は傾向の分析とその対策だ。過去の情報が一切なければ、それは無効になる。だが、本来の学力テストは学力(つまりは本来学校教育で身につけるべきスキルセット)があることを確認するものだ。だから、受験勉強なしでも、きっちりと素養を身につけていればある程度の点数は確保できる。このとき起こったのはそういうことだった。いまでも覚えているが、第一回の共通一次試験は基礎問題に傾斜していた。トリッキーな設問が一切なく、ていねいに文脈を追いかけていけばほとんど誤解のしようのない問題ばかりだった。だから私は、浪人生として私と同時に受験した兄(その年には旧一期校の国立大学に晴れて合格した)に1000点満点中の100点近い点差をつけて勝利することができた。過去問分析のない受験勉強がいかに脆いか、いまにして思えば非常にわかりやすい教訓だったと思う。

この高得点をもってすればどんな大学でも合格できるはずだった。ところが私は、「滑り止め」のはずの私立大学(理系としてはそこそこに優秀なところばかり)をほとんどなすすべもなく落ち続けた。そして、「本命」のはずの大阪大学の問題も、ほとんど一問も解けずに落ちた。あたりまえといえばあたりまえなのだ。私立の試験や国公立の二次試験には、過去問の蓄積がある。傾向と対策で勝ち上がれるタイプの試験なのだ。ところが私は、共通一次の成功に浮かれて赤本さえ買おうとしなかった。過去問のひとつも見たことがないような状態で、本番試験に挑めるわけがない。至極当然な結果が出ただけのことだった。

ただ、それでも私は真剣に問題に取り組んだ。大阪大学の入試では、たしか3問か4問ほど大問があった。どれもとても手に負えるものではなかったが、最後の問題、回転振り子の問題だけは、どこかに糸口がありそうに見えた。遠心力? 求心力? えっと、錘の立場にたって考えてみよう。そういうわけのわからないものは無視。重力と糸の張力しか働いてないはず。合力は三角関数だっけ。どっちがサインでどっちがコサインだ? で、この合力がどっちに働く? いや、なんで力が働いてるのに等速運動なんだ? 速度は変化してるだろう。つまり、向きが変化してる。一定なのは角速度で、えっと、ラジアンだから1周で2πで……。

本来だったらこんな基礎的なことは受験勉強のごく初期に済ませておくべきことなのだ。それを放ったらかしてきた私は、なんと受験会場で回転運動の基礎を研究しはじめた。その先に、この問題の正解が見えてくるはず、という確信があったからだ。だが、入試とはそんな悠長なものではない。トンネルの先にようやく微かに光が見えてきたと感じられるようになったそのとき、無情にも試験終了を知らせるベルがなった。いくら共通一次の持ち点が高得点でも、二次試験が零点で通るはずがないのを、会場をあとにする私はよく知っていた。

このシーズンの大学入試はこれで完全終了のはずだった。だが、オマケのようにもうひとつだけ試験が残っていた。もともと共通一次試験は大学序列を形作っていた「一期校、二期校」の格差を解消することがひとつの目的であって、すべての大学の二次試験は一斉に行われるのが建前だった。ただ、そこに法令上の縛りがあるわけではなく、掟破りをする学校が何校かあった。そのうちのひとつが大阪府立大学の工学部で、通常の入試日とは別設定のその入試には全国から志願者が殺到し、数十倍を超える大盛況だった。私は家が同じ市内ということもあったし、受けておいて損はないかとばかり、願書を出していた。ただ、連続して6校を手も足も出ない状態で落ち続けた身としては、その極端な高倍率を戦い抜ける気はまったくしなかった。もうほとんど予備校に行くつもりで、実際既に予備校の試験には通っていた。経験値を上げるのに役立つかな程度で受験した。

その入試問題、やはり不勉強な私には理解できないものばかりだったが、第三問を見てあっと驚いた。なんと、回転振り子の問題なのだ。これならわかる。なぜかといえば、大阪大学の試験時間に90分かけて基礎を研究している。あの続きをやればいいのだ。他を放り出して、その問題に全力でかかりきり、そこだけはどうにか満足のいく答えを出せた。ささやかではあるけれど、私の初めての受験シーズン、有終の美が飾れた。もちろん、大問ひとつの正解で合格できるはずがないことは理解していた。なにせ周囲は、阪大どころか東大、京大といったトップクラスの大学と併願している受験生ばかりだ。そのなかで自分がどのあたりの位置にいるのかは、いくらぼんくらな私にでもわかった。

実際、不合格の発表があり、予備校への入学手続きも終え、進学の決まった友だちを祝ったり浪人が決まった友だちと慰め合ったりしている間にあっという間に時間が過ぎた。そして忘れもしないエイプリルフールのその日、一本の電話があった。大阪府立大学から補欠合格のお知らせだという。またたちの悪いイタズラをだれが仕組んだんだと思いながら電話に出ると、どうもウソではない。

国公立とはいえ一流とはいい難い大学のかなしさ、いくら優秀な受験生を集めても、合格者が入学するとは限らないのだった。優秀な人々が次々に入学辞退する中で次々繰り下げていった結果、正解1問だけれど共通一次の得点が異様に高い私がボーダーラインで浮上した。ウソのような話だが、乗らない手はない。いや、少し前の私なら、「もっと上の大学こそ自分にふさわしい」ぐらいのことを思っただろう。だが、ようやくここに来て私も受験勉強というものの世間的に正しい姿を知ることになった。傾向と対策で反復練習をしなければあんなもの勝てっこない。そして、それをこの先1年、浪人してやりたいかと言われれば、絶対に否だった。そんなアホなことに潰す時間は持ち合わせない。バタバタと手続きを踏んで、その1週間後には私は大学生になっていた。こうやって、ついに私は受験勉強実質ゼロで、どさくさ紛れに大学にもぐり込むことに成功したのだった。

 

いま、受験勉強を含めた学習指導をするプロの家庭教師として、私は絶対にこんなアホな自分の方法を生徒たちに勧めない。受験は点取りゲームだし、点取りゲームに勝利するにはゲームの攻略法をきっちりと押さえていかねばならないし、そのためには分析とトレーニングが欠かせない。少なくとも洗練されきったセンター試験で必要な点数をとるにはそういった方法しかない。世間の常識がそうなっている以上、裏技は通じない。

けれど、それって本当に子どもたちの成長に有益なのだろうかと、指導をしながら思わないわけにいかない。いったい子どもたちは不安にならないのだろうか。数学の問題で対数が出てきたときに、それがなんの役に立つのか、何のために自分はそれに取り組んでいるのか、疑問に思わないのだろうか。現代文で 「なるほど!」と膝を討つような評論が出てきたとき、その全文を読んだことがないのを恥じないのだろうか。年号や人名を選びながら、その時代の人々の暮らしに思いを馳せたりはしないのだろうか。そして、そんな思いを「受験勉強の間は仕方ない」と抑え込むことは、いったい正しいことなのだろうか。

だから私は、いくら洗練されたものであるからといえ、いや、洗練されきった科挙のような存在であるからこそ、センター試験は廃止されるべきだと思う。当然、理詰めで結果を生み出していく伝統芸能のような受験対策は無効になるだろう。そこに残るのは混乱ばかりだろう。けれど、その混乱の中でこそ、ラッキーをつかめる私のような人もいる。たとえそれがどれほどアホらしいことであっても地道な努力は必ず報われるという日本社会の思い込みを信じられない人もいる。眼の前の点数よりも、自分自身の人生に対する不安の解消のほうが優先されると思う人もいる。そういう人が何年かに一度発生する大混乱の中でどさくさ紛れの優待券を手に入れても、それはそれでいいじゃないかと、私はどうしても思ってしまう。

 

それが生存者バイアスだということは、よくわかっている。けれど、センター試験を擁護する人々の心の中に、同じような生存者バイアスは存在しないのだろうか。自分たちは立派にそこを乗り越えた。だからこそ、それよりいい加減な入試システムで若い人たちラクをするのが許せないというような、かつての体育会系のノリはそこにないのだろうか。

入試なんてクジ引きで決めればいい。クジ引きがあんまりだというのなら、何らかの試験を施してもいい。だがそこにあまりに過剰なエネルギーを注ぐことを強要する現状は、どうにもおかしくないだろうか。中学生、高校生の頃には、もっと愚にもつかない雑多な情報を海綿のように吸収していくべきではないのだろうか。そういった素養というものが、人生を豊かにしてくれるのではないだろうか。

もしも現代が競争社会であり、その競争に生き残るために多様なスキルが要求されるのであればなおのこと、あまりにも一本調子な競争をスタンダードにするべきではないのではなかろうか。そういう意味で、AO経由の入学比率を3割に上げるとかいう流れは歓迎だと思うし、さらにもっともっと多様な進学オプションがあればいいのにと思う。そして、いったん働いてから何年かして学びの場に戻れるような道筋も、もっともっと広くなればいいのにと思う。

そうなれば私の仕事も、ずっとしやすくなるんだ。