シアワセの容相

あしたはこっちだ

畑ぐらい手伝えよ、の理想と現実

あまり自分とは関係のない増田(通称アノニマスダイアリー、いや、逆だ)記事に雑なコメントをつけたらそこそこに星がついた。雑なコメントをだったなあと思うけど、書き直すには長くなるので、こっちで追記みたいなことをしておこう。ま、元記事の趣旨とは全く関係ないのだけれどね。

anond.hatelabo.jp

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畑ぐらい手伝えよ

2019/06/12 09:26

b.hatena.ne.jp

まず、このコメントに星がついたことそのものは、ちょっと嬉しい。というのは(承認欲求とかはおいておくとして)、私はかつて「自給的な農業こそが未来をつくる」みたいな思想をベースにした小さな雑誌の編集をやっていたこともあって、あまりに生産現場から離れた発想の言説が世間に多いことにいまだに危機感をもっているからだ。そんななか、「畑ぐらい手伝え」という田舎ならごくあたりまえの言葉に共感が得られたのは、心強い。まだまだ日本も捨てたもんじゃないな、と、おおげさかもしれないが、そのぐらいに思う。

その上で、畑を手伝うというのは、実はかなり難易度の高い行為だということをすっ飛ばしてしまっていた。これはいけないなあ、と思い直したわけだ。どういうことか。

まず、「畑」といってもそこで行われている実際は千差万別だということをことわっておかねばならない。10町歩を越える広大な北海道の畑から1坪ほどのキッチンガーデンまで、およそ野菜が育っていればそれはすべて畑と呼ばれる。大雑把にいっても生産物を出荷して販売する営業用の畑と、自家消費用の畑とでは、やることがまったくちがう。そして、田舎の方ではその中間的な畑、つまり、営業用といってもたいして儲かりはしないけれど、自家消費分もあるし、まあこのぐらいはつくっておくか的な畑も少なくない。そういうところにはそういうところなりのやり方がある。さらに、施設園芸や、集団的な管理が必要になる水田など、それぞれに特別な仕事がある。そして、規模や施設にかかわらず、農業はその主の考え方によって、やることが大きくちがう。

だから、一概に「手伝う」といっても、要求されることは同じではない。たとえば大規模な農場で「手伝う」といったら、それは単純作業に従事することになるケースが多い。季節によってやることはだいたい決まっている。朝から晩まで中腰になってポット苗の間引きをするとか、どこまでも続くトマトの列を支柱に固定していくとか、黙々と菜っ葉を束ねるとか、めんどうだけれど誰かがやらないといけない作業の人手になることが「手伝い」に要求されることになる。

一方、家庭菜園の延長のような畑では、ひとつひとつの作業は短時間で終わる。10本やそこらのキュウリに支柱を立てるのも、5メートルぐらいでしかない大根の畝にトンネルをかけるのも、それだけなら1時間もかからないだろう。だが、自給的な菜園には、無限に多種類の作業がある。そういった場に「手伝い」に入ると、次から次へと仕事を言いつけられることになる。「それが終わったら次はあれ、あれが終わったら次はこれをやっといて」みたいな感じだ。そして、指示はあまり具体的にならない。なぜなら、1種類の作業を1日やるんならインストラクションに数十分をかけても割は合うが、何種類モノ作業の一つ一つに細かな説明をするくらいなら、「ええい、自分でやったほうが早いわ!」ということになるからだ。

で、どちらの場合も、「手伝う」側には相当なストレスがたまる。大規模農園の場合にはキツイ仕事をあまり儲からない事業のためにやることになるので、「なんでこんなことせないかんねん!」という感覚が生まれてしまう。よっぽど好きでもなければバカバカしくなってしまう。自給的な畑の場合だと、「指示がいい加減だ」「こっちは良かれと思って手伝ってるのに文句ばっかり言われる」という不満が蓄積する。もちろんそれ以外にも畑の主とのあいだではさまざまな軋轢が発生する。家族農業であれば、そこには家族内の人間関係も絡んできて、けっこうたいへんなことになったりもする。

 

畑は、共同でやるとうまくいかない。細かなところに好みや性格が反映されるため、衝突が起こりがちだからだ。家族で畑をつくっている場合でも、だれの畑なのかを決めておいたほうがうまくいく。営業的な農園の場合は従来の家父長制の中で当主が管理権を握り、家族はそれに従うことが多かった。それはそれでかなり問題だ。1970年代以降には従来の家長に相当する人々が稼ぎ仕事に出てしまうので、主婦や隠居世代に管理権が移るようなことも普通になった。一方、自給的な畑はたいてい一家の主婦が管理権をもっていて、男は立ち入らないのが古くから普通だったようだ。そういった管理権のない畑で、成人男性が気兼ねなく「手伝う」方法が、農村にはひとつある。それは、農業機械を使うことだ。女性や高齢者が苦手とする(と決めつけて)トラクターのような農業機械でもってたまに作業をすることだ。鼻歌交じりにエンジン音を響かせたあと「きれいにしといたったで」みたいに言い捨てるのは、農村男性にとってストレスのたまらないいいリクリエーションであったようだ。だが、いまの農村では、そういうふうにやってきた担い手がそのまま高齢者になっているので、若い(多くの農村では60歳でもまだ若手に分類される)男性には、そういうおいしい「手伝い」の余地も残されていない。

 

ということで、「畑を手伝う」というのは、口でいうほど簡単ではない。忍耐力とコミュニケーション能力が要求される高度な技である。畑仕事が好きでも、それに耐えられずにあえて畑は手伝わないという人はザラにいる。そういう人が畑に立てるようにするには、畑を分割して自分専用の畑を用意するしかない。だが、自給的な畑ではそれは使いみちのない野菜を生み出すだけだし(なぜならすでに主婦は自分の畑を確保しているのだから)、それで農業収入をと思っても雀の涙程度の現金にしかならない。

なかなかに畑仕事へのハードルが高いのが、日本の農村の現実らしい。そういうことを抜きにすれば、種をまいて野菜を育てることは楽しみでしかないのだけれどなあ。