医師は男性で看護師は女性 - 文化としての医療

先月、父親が入院した。どこがわるいわけでもない、というよりも、(検査の数値的には)わるいところだらけで、そういった数値からだけではいったいなにが原因なのか特定は非常にしにくい。ともかくも、ふらふらになってぶったおれそうだったので、とりあえず病院に行って、首をひねるばかりの医者に「朝から水も飲めない状態ですよ。明らかに脱水症状ですよ」とねじこんで、入院させた。実際、放っておけばおそらく血管系かどこかに命とりのイベントが発生したように思う。ただ、たまたま食欲がなくなって脱水症状になってくれたからよかったようなものの、そうでなかったらいくら本人が苦痛を訴えていても、「数値ではどこにも特に急変はみられませんねえ」で放置された可能性が高い。まあ、入院させてもらえてその後は順調に回復をみせて退院も近いのであまり悪口を言ってもいけないのだけれど、医療の現場なんてそんなもんだろうと思う。

今日も退院前の診察があるというので病院に行ってこようと思っているのだけれど、この病棟、ご多分にもれず女性の職場である。いくら「婦長」が「師長」に変わったとはいえ(それでも古手の看護師は昔ながらの呼び方をうっかり使っていたりしたが)、目につく看護師は全員女性である。もちろん院内には男性看護師もいるのだろうが、そこは適材適所で何らかの役割分担があるのだろう。ナースステーションに見かけることはない。一方の医師の方だが、担当医や当直医は男性だし、入院時の外来の医師も(なにせわるいところだらけなので順番に4人の医師の診察を受けたのだが)、全員が男性だった。当番医の表をみると女性医師もいるのだけれど、あたらなかったのはたまたま以上のものがあるように思う。

 

少し前、はてな匿名ダイアリー(通称:増田)を中心に、女性医師が現場で「使えない」というような話があった。医療関係者でもない外野の素人から見れば、それなら単純に人員を増やせばいいじゃないかと思うのだが、まあ、そうもいかない現場のいろいろもあるのかもしれない。だが、実際に医療現場には男性も女性もいて、それぞれが相当にタフな仕事に従事しているのだから、「医者は男で女は看護師」という分布の不均衡に何らかの合理性があるようには思えない。医師1人を養成するのにかかる費用は1億円ともいわれるので、1人あたりの稼働率をあげたいというのはわからないことではないが、おそらくそれは別の問題だろう。

とはいいながら、現実がそうなっている以上、「まあ、やっぱり女性は医者になりたがらないのかなあ」ぐらいには思っていた。ところが、医科系の大学で、女性受験者の点数を意図的に操作して女性の入学者比率を調整していたという報道があった。なりたがらない、のではなく、させたがらない、だった。

www.nikkei.com

mainichi.jp

news.livedoor.com

高校生を教えていると、いわゆる学力に性差はあんまり関係ないということがわかる。アホな男子もいれば、突き抜けた男子、優秀非の打ち所のない女子、どうにかしてくれよという女子、そしてそういったカテゴリー分けに当てはまらない多様な生徒がいる。女性の方が比較的「真面目」な場合が多いように見えるのは、なにか文化的な分析ができるかもしれない。頭の構造はちがうのかもしれないが、たかが学校の勉強程度のことではっきりとあらわれるような差異ではない。

だから、大学入学者の男女比の差が発生するのは、能力のせいではなく、志望者比率のちがいでしかないはずで、それはつまり大学卒業後のキャリアパスをどう描くか、どう描けるかという社会学的な問題でしかないと思っていた。まさか、大学が男女のちがいで入学者を選別していたとは、ちょっと思いもよらなかった。

実際、かつて医者を志望する女性が男性よりも少なかったのは日本だけではない。アメリカでもヨーロッパでも、はるかむかしには医師は男性、看護師は女性という偏向があったようだ。しかし、イギリスでは2011年の予想で2017年には医師の男女比率では女性の方が多くなるとされており(おそらくもうそうなっているのだろう)、さらにアメリカ合衆国では2017年の医学部の入学者の男女比率は女性の方が多かった。そもそも日本の内閣府男女共同参画局の文書にさえ、「医療分野への女性参画促進について」として、この問題に関して言及がある。

わが国における総医師数に占める女性の比率は、近年、一貫して上昇しており、図表 6-1のように 2008 年末で 18.1%となり確実に増えている。医学部学生に占める女性の割合は、さらに増加傾向にあり、医師国家試験の合格者における女性の割合は 1998 年以降、30%を越えている(図表 6-2,6-3)。そして、過去 18 年間を通して、医師国家試験の男女別合格者はすべて女性の方が高い合格率を示している。

と現状を認識した上で、

日本の科学技術の進展や国際競争力の強化を生み出し、支える人材の確保のために、女性医師・女性研究者の能力を最大限発揮し、活躍するための環境を整えていくことが重要であることが指摘されている。

との問題意識を明らかにしている。そして、タテマエとしては、大学側もそれに賛同し、なんと補助金までもらっている。

医師・医学生支援センター 文部科学省「平成25年度女性研究者研究活動支援事業」に採択されました | 東京医科大学

 

であるというのに、その入り口である大学入学において男女比率を意識的に調整しているというのは、ちょっと解せない。さあ、社会学者は商売のしどころだ。どういう社会的な圧力に寄ってこんな奇妙な現象が生じているのか、ぜひ明らかにしてほしいものだと思う。

実際、アメリカでも、「医者は男の仕事」的な意識が、いまだに強いようだ。たとえば、

www.theguardian.com

によれば、医療の現場では男性主導のセクハラ・パワハラなんてあたりまえというどこかで聞いたような話が、海の向こうでも存在するらしい。非常に古めかしい世界である。

歴史を遡ると、医療は決して男性に専有されていたのではないようだ。ヨーロッパ中世の魔女が民間医療を担っていたのは有名な話だし、女性の保健は多くの文化で助産師によって担われてきた。この話はぜひもっと詳しく調べたいと思ってネタを温めているのだけれど、どうも19世紀に一気に医療の科学化と男性化が起こっている。どうやら、男性が、科学の権威を借りてそれまでの民間療法を駆逐するキャンペーンを行ったようなのだけれど、確かにその結果として医療が進歩した面もあるので、あまりネガティブな面ばかりに注目するのも公平じゃない。

科学というのは、方法論としては厳正中立であるかもしれないが、その用いられ方にはつねに社会的な圧力がはたらいてきた。また、その発展が、新たな社会的圧力を生み出すこともすくなくなかった。医療の文化史は、そういう面で非常に興味深い。もうちょっときちんと調べてからこのあたりのことは書ければいいと思うけれど、それだけの力があるかなあ。ま、なんにしても、もしも書けたら、近代医療文化の男性性は、絶対におもしろい話になると思うよ。

 

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追記:フランスでも、医学部は女子のほうが多いらしい。ただ、医師全体が同数になるのはまだ数年先とか。ということは、やっぱりフランスでも、もともとは「医師は男性」文化があったんだろうな。

 

アメリカの方の現状はこちら。

cakes.mu

 

追々記:各国別の男女比は、こちらにあった。詳しい。

labcoat.jp