シアワセの容相

あしたはこっちだ

定義をするのはむずかしい - ネコは液体か?

イグ・ノーベル賞の季節である。Improbable Researchの発表によれば、トップに来るのが物理学賞「ネコのレオロジーについて」。この「レオロジー」、聞き慣れない言葉だが、連続体力学の中で粘性をもって流動するもの一般を扱うものらしい。そういえば学生の頃に「流れ学」みたいな講義があって、「それって流体力学とちがうんですか?」と、主に単位の関係で疑問に思ったものの、適当に過ごしてしまったような記憶が蘇ってきた。流体力学ニュートン流体と非ニュートン流体の力学を対象とするのに対し、レオロジーは非ニュートン流体の力学と塑性力学をまとめて扱う。といったあたりは俄仕込みの知識だ。

で、非ニュートン流体というのは、水や空気のような単純な挙動をする流体ではなく、塩ビやゴム、デンプンのような高分子がドロっと動くような場合の流体を指すらしい(ああ!いい加減だ)。飛行機の揚力みたいなのは割とニュートン流体的な解釈で計算できるのだけれど、マヨネーズとかケチャップみたいな食品工業で扱うものはだいたい非ニュートン流体らしいので、そっち方面の工学ではけっこう重要な基礎らしい(このあたりとか、参照)。

で、受賞論文を読んでみた。なかなかおもしろい。その紹介。

 

まず、この論文、半分はジョークである。末尾のAcknowledgementを読むとわかるのだが、これは非ニュートン流体力学の権威(らしい)Gareth H. McKinley教授の50歳の誕生日とビンガム賞受賞を記念して書かれたもので、所属も大学と学会(これもちょっと怪しめ)に加えて、「McKinley一家」と、明らかにジョークがかかっている。それでも一応は学会誌なので、決しておふざけには流れていない。ところどころにジョーク(たとえば株屋の慣用句である「死んだネコでも高いところから落とせば少しは反発する」みたいなのを引用するとか)を散りばめてはいるが、論旨はしっかりしている。

で、その論の要は、つまりは固体、液体の定義だ。すなわち、古くから物質の三態は、定性的に定義されてきた。しかし、レオロジーでは、より定量的に、数式を使って定義する。その定義に照らして、ネコを判定してみようというわけだ。ちなみに、いかにも学術論文らしくネコは学名で記載されているが、これもジョークのうちだろう。

さて、レオロジーでは、固体か液体かをデボラ数を用いて判定する(らしい)。デボラ数についてはこちらの解説がシロウトにはわかりやすかったのだけれど、

デボラ数ですが,これは材料の緩和時間と工程の滞留時間の比で定義され,緩和時間に対して通過する工程の滞留時間が短ければ材料は弾性体(固体)として振舞い,滞留時間が長ければ粘性体(液体)として振舞います.

とのこと。つまり、ネコについてデボラ数が算出できれば、それは現代的な科学らしく定量的に固体か液体かを判定できるだろう、ということらしい。

で、そこからの(おそらく玄人受けするジョークを含んだ:たとえばキャピラリー数をわざとcatpillaryと綴り間違えるとか)ディスカッションはすっ飛ばして読み進めると、さらにネコの乾湿、摩擦、降伏応力、接着性などを検討している。わけわからない。たぶんレオロジー関係者には馴染みの深いさまざまな流動体の性質や状態になぞらえているのだろう。そして後半、さらに踏み込んだ検討としてレイノルズ数Weissenberg数を持ち出し、さらには古代ギリシアヘラクレイトスまで持ち出す衒学ぶりで議論を進めるのだが、このあたりもシロウトには読みこなせない(仕事ならもうちょっと頑張るんだけどね)。ざっと見たところでは、万物流動ヘラクレイトスの思想は、「力」がなければすべてのものは止まると考えたアリストテレスによって影響力を失い、さらにガリレオ以降の合力がゼロであれば運動は変化しないという古典物理学の思想によって否定されたみたいな歴史が書いてあって、結局レオロジーヘラクレイトス的でもありアリストテレス的でもありガリレオ的でもある、みたいな感じの議論なのかなあと思う。

で、ネコなんだけど、結局それは慣性的であるのか弾性的であるのかなどの考察を経て、結論はネコはじっとしてないし、「さらなる研究が必要」みたいなことになっている。ま、このあたりはお約束の書き方なのかな。論文は以上。

 

で、ネコは固体なのか液体なのかということでいえば、もちろん、常識的に言ってこれは固体。まあ生物というのは大半が水でできていて、特に動物は革袋に入れた水みたいなもんだから、液体っぽい動きも多少はある。けれど、常識的には液体じゃあり得ない。

ただ、学問の世界での用語は、日常の世界とは微妙に異なる。例えば論文中でも出てくるpowerは日常的には「力」だけれど、物理学では仕事率のことであって、日常的な意味とは別な意味合いをもつ。ニュートン力学での「力」はforceだが、これは決してジェダイが操る「銀河の万物をあまねく包み込む」ものではない

学問に限らないのだけれど学問の世界では特に、言葉は定義された上で用いられる。だがその定義は、ときには日常の経験や常識と整合しない。この論文が(たとえ笑いの要素を評価の尺度としている賞とはいえ)イグ・ノーベル賞を受賞したのは、そういった定義による判定と日常的な経験による判定のズレをしっかりと把握していたからではないだろうか。(かなり強引なこじつけや飛躍があるといえ)、レオロジーの定義を杓子定規に当てはめていくと、ネコは固体であると同時に液体であるとも判定されるのかもしれない。だが、それでもって我々の日常経験が否定されるわけではない。学問の正当性も揺るがない。それがこの論文の鮮やかな結論ではないかと、私はシロウトなりに読んだ。

 

実際、言葉はむずかしい。定義されて使う文脈であっても、往々にして日常的な文脈での用法が混入し、議論を混乱させる。正確な定義の重要性についてはこのブログでも書いてきたし、言葉の定義を辞書から引用した記事も数多い。そうはいいながら、私自身、定義されない言葉に頼って文を書くし、定義がはっきりしている言葉をわざわざひっくり返してみたりもする。かくもいい加減なことばかりしているのに、定義が重要だなんて、聞いて呆れるかもしれない。

それでも、ほんと、誰かが何かを言ったときに、その言葉がどういう意図で用いられているのかを正確に見極めることが、どんどんと重要になってきている。バベルの塔が崩壊したようなこの時代、その作業をおろそかにしたら、次に来るのは混沌しかない。

 

いや、もう混沌の中にいるのか。マヨネーズのような流動体の中でもがいているのが、案外と現代の人間かもしれないよな。レオロジーよ、救っておくれ!